以前、日本で逢ったときにも思ったけれど、エルヴァって第一印象と違ってかなり話しやすい子だ。ナンバーズとして『エル』の一部だった頃は『反対派』だったからかなりの堅物だったらしいけれど……。こうして『エルヴァ』として独立してしまうと、良い意味で好奇心が適度にあって、思慮深くもある。けれど物怖じせず、素直に私の話を聞きたがる人懐こさもあって……。
一応同い年だけれど、私はナンバーズのプロトタイプだ。しかも同じプロトタイプのボーデンやシュラムよりも、ある意味古参だし、本体である『エル』の中では最年長の『姉』でもあった。まぁ、だからこそ『エル』か『私』かという『自我』が誰よりも曖昧で、意識を取り戻しても、『アオレアール』『王一诺』という与えられた人格を本当の意味で取り戻し、自我を確立するのに必要以上に時間が掛かってしまう。この世界に流された元47番だったエルヴァも、自分が『エル』とは違う存在だと納得するまでにひと月近く掛かったようだから、そこがこの人格を分ける魔術最大の難点だろう。
用事が済めば即座に元に戻すというような、正に人形のような存在であれば、別に同一存在と認識させていてもそう問題はない。けれど本人とはまったく異なる場所で異なる体験を経るなら、機械でない有機体の私達に度重なる並列化(同期化)はアイデンティティ崩壊を招くリスクが大き過ぎた。だからこその別人格の植え付けでもあったのだ。つまり『エル』という『女王蜂』が安定しているからこそ、私達も安定した存在として出力されるというか……。
だけど『エル』は更に先の段階へと進んだ。なんとエルヴァを第二の女王蜂にしてしまったのだ。ただし、エルヴァ自身は人形(ホムンクルス素体)は作れても、思考分割がきないし、相手からの定期的なメールなどの報告なしには子蜂の様子はわからないようになっているようだ。このような奇妙な処置は、きっと『エル』の『期待』の現れだろう。『エル』はここでのエルマやトロンメル、エルヴァの妹達を観て、エルヴァをそんな風に決めたのだと思う。その期待がどこに向いているのか?
確かに一度迎えた『死』を、次はもっと簡単に回避・補填する意味もあったと思う。つまり『エル』が予め用意した人形が、エルヴァの死で意識も自我も、知能や記憶もそのままで目覚めるみたいな……。だけどそれも少し違うと思う。『エル』が惜しむそれはズバリ『他者への影響』だ。そこが『人形遣い』の特質なのか、エルヴァはナンバーズの中では『エル』並に周囲への影響力が強い。このような特質を獲得したナンバーズは数人居て、それはおそらく第四次聖杯戦争に参加した時に出力されたかどうかにあるようだ。ミト然りパミ然りだ。
それでエルヴァだが、エルマ達や妹達と離れて暮らす倫敦で寂しい思いをしていないかと心配してアサシンを遣って探ってみれば、彼女はなんと幽霊を人形に押し込んで『妹』にしていた。『使い魔』でなく『妹』だ。セイバーの事にしたって『姉』のように立てながら、『年上の妹』でもあるかのように優しく丁寧に現代の事情などを教えているのだろう。こういう子だから、彼女を思う仲間が自然と増えるのだ。これはスイスのエルの証言でも確かだった。
(スイスのエルが詳しく知るエルヴァはカリフォルニアの方だろうけど、2人は一応面識があり、何度か逢っている。またエルはもう少しホムンクルス然としていて、家族以外にはあまり関心がないように見える)
そしてそういう他者との接し方は私と随分似ていると思った。そういった単純な理由から、私は日本で初めて逢った時からエルヴァに興味を懐いていた。なので今回、ここまで話して前以上に『面白い子だ』と惹かれてもいた。いずれこの子の子蜂(とも言い切れない。完全な自由意志を持つから)であるカリフォルニアのエルヴァにも逢う機会があるだろう。あちらはどういう存在だろうか? 相方にメロメロな、単にエロい子ではないだろう(一時、勝手にパスから流れてくるエロ・ビジョンに悩まされた私だ)。シベリアで頑張ったそうだし、あの子の奥には一体何があるのか? とても気になる私だった。
さて、私は先程エルヴァに黙っていたり、端折っていた事が幾つかある。一つ目は私の生い立ちにあるのだが、出力された6歳のあの日から、私は『料理の勉強のため』に香港で5年間『エル』と離れて暮らし、広東料理を真面目に学んでいた。その時の人形は6年目に入ろうかという頃に私自身が意識を分けて『子蜂化』し、今は上海にあるお店の料理長を任せている。それで私はまた別の人形を使い、イタリア(ナポリ)で5年間料理修行をしていた。
つまり最初の頃の私は『エル』が出力した精神体であり、それを彼女が持つ『ラインの黄金』で造ったエーテルの身体(人形)に押し込んだ姿だったのだ。精神体と言っても『エル』に拠る魔術の産物だから、決して彼女が百貌のような解離性同一性障害(多重人格)という訳ではない。そして『エル』そっくりな『アオレアール』という『ラインの黄金』を備えた素体を与えられ、彼女の予備として時々外に出ていた。
そんなある日、香港に商談で向かった『エル』の目と舌を通して、私は現地の料理に驚き強く興味を惹かれた。こんな食べ物がこの世にあるのかと感動したのだ。だからアンテナとして情報を送るから料理を学びたい……と、自分から言い出して香港に残ったのだった。
(この『残った』という事実から、私と『エル』が個別の人格を持つ事が理解できると思う)
その時に『エル』に造って貰ったのが、広東語を事前習得させた東洋系の『王一诺』という10代後半の人形だった。そうして私は『エル』の宝具(ラインの黄金)に戻らず、離れて暮らす事ととなった。
その時に言われたのだ。『アオレアールも10人までなら精神を分けられるから、そちらの宝具にも予備の人形を入れておいた』と。つまり、その何10人かに精神を分け、人格を同時操作できる機能こそが『女王蜂』だったのだ。ちなみにこのチカラは私とボーデン、そしてシュラムの3人が持っていて、私達以降に造られたエルヴァ達ナンバーズは持っていない筈だった。今回、『エル』はそれを知らぬ間にエルヴァに与えていたのだ。教えなければ使えないだろうに……どういう意図だろうか?
それはさておき『エル』と別れた私は、この魔術機能を大いに活用させて貰った。『1年革命』然り、料理の修行然り、拳法の修行然りだ。実は私、『エル』と違って空手が使えない。形はある程度知っているが、それは知識のみの話だ。けれど『王一诺』の人形を2体用意し、1体には料理を学ばせ、もう1体には洪家拳と並んで広東で人気のある詠春拳を学ばせ、時々交代させるなんて使い方をしていた。
詠春拳は南派少林拳の流れを汲む拳法で、300年ほど前に清朝の圧政から身を護るために従来からの拳法を改良して女性が創始したとされている。その女性の名を厳詠春という。詠春拳とはそんな四川の女性拳法家(創始者かどうか不明)にちなんで名付けられたそうだ。また、この人とほぼ同時代に5人ほどの尼僧(五梅という。四川梅花拳の創始者)が、女性でも使える最小の動きで相手を倒せるように少林拳に改良を施した。やがて各々が弟子を取り、今に四川梅花拳が伝わったとされている。また、厳詠春は夫である梁博儔の弟子、梁蘭桂にも詠春拳を伝えたという。この梁蘭桂が今の広東の人で、この人は無類の粤劇(広東に伝わる中国オペラ)ファンで、演劇団が旅の間で災禍に遭わぬよう詠春拳を教えた。これが古式の詠春拳だ。そして時代は下り、演劇で旅をする人達は旅先で様々な拳法を学んだ。その中にはかつての四川梅花拳もあった。そうしてミックスされ洗練されて行ったのが今に伝わる詠春拳だった。
そんな中に梁贊という人が居て、この人は四川梅花拳、蛇形洪拳、古式の詠春拳をも使えたので『詠春拳王』という通り名があった。この梁贊の弟子の1人で、後に跡を継いで門下生を大きく募り、詠春拳を広めたのが陳華順だった。その陳華順の弟子達から詠春拳が幾つかの流派に分かれてしまった。時代は清でなく中華民国、中華人民共和国へと変遷する頃の事だ。ざっくりいうと広州派詠春拳(蛇鶴詠春拳)、佛山派詠春拳(彭南詠春拳)、古勞偏身詠春拳、葉問派詠春拳などなどだが、もっと前に枝分かれした詠春拳もあれば、更にもっと古い古式の段階で枝分かれした詠春拳もある。この中(わりあい最近の流派)でも有名なのが葉問派詠春拳で、この人はあのブルース・リーの師匠でもあったが、後に本人も映画化されている。ちなみに私が学んだのも、この葉問派詠春拳と広州派詠春拳だ(自宅には木人樁という練習用の人形が置いてある)。
そしてその古式のどれもが護身とレジスタンスのための拳なので、一体幾つの流派があるのか謎な部分も多く、伝承者が途絶え、おそらくは消え去った拳もあるとされている。そして説明通り詠春拳はか弱い女性や、肉体的に恵まれない男性達の間で伝わった拳法だから、その極意は相手を斃す事でなく(斃すと心に重荷が残るので)、相手の戦意を削ぐところにある。そこは日本の武道に通じるところもあるけれど、本質は『やっとれんわ!』と相手に思わせる(諦めさせる)ところにあったりする。要はとにかく手数が多く、速く、攻撃が防御でもあるから、傍で見るとやたらしつこいのだった。言ってしまえば夫婦喧嘩で、そこらにあるものを投げつけて来る、手に負えない奥さんみたいなものだ(個人の感想)。
そんな拳法だから武器の使用も当然で、八斬刀という『どう考えても中華包丁を使った二刀流でしょう?』という形や、六点半棍という、『それって物干し竿だよね?』という棍での形がきちんとしていた(竿竹のように軽くてしなる方が、点が安定しないので効果が高く使いやすい)。
なので私は二刀流も使えるし、棍も使える。ついでに言うと包丁でもまな板でも、中華鍋でもジャーレンでも、箒でもハタキでも武器にできる。これはそこらにあるものを暗器にして活動する暗殺部隊と同じだ。ついでに私は『エル』ほど『ママ達』の影響を受けていない。だから相手を『懲らしめる』ためなら、失明させるのも(空間転移で煮え滾ったラー油を眼底に送り込んだりできる)、腕の1~2本を斬り落とす事も厭わない。そんな訳で私はアサシンと頗(すこぶ)る相性が良かった。
……ナニカを失って改心出来ないなら救いようがないが、失った事で改心できるなら、私は代わりの目でも腕でも用意できた。そうして以前の香港は制圧したのだ。
(BGMは『Tonight Is What It Means To Be Young』。私は映画『Streets of Fire』のファンだ。この歳になって思う。私はさらっと救けて、さくっと去っていくトムのような男性に憧れていると……)
なお、アーチャー(この人もさくっと去っていくタイプだけど、それが『お兄ちゃん』とは限らない)の使う干将莫耶の二刀流は、この八斬刀を自分なりに改良したもので間違いない。だから私には動きが全部読めてしまう。それに拳銃の弾でも慣れれば弾の軌道や弾頭が見えるものだ。まして自分に向かっているなら(弾頭の重い45口径ならドロップするのも見える)。なので反応して避ける事も可能だ。これらもエルヴァに話していない事だった。
また少し『トンデモ』な話だけれど、プロトタイプである私とボーデン、シュラムの3人は、後のナンバーズより幸運値がかなり高い。これは運命に翻弄される事を嫌った『エル』が、自らの強運・豪運を私達に押し付けているからだ。中でも私が1番酷く、香港の六合彩(MARK SIX、香港の競馬主催組織が出しているロトくじ)や、中国本土で売り出される福利彩票(彩票はくじの事)や、体育彩票(スポーツ振興)などは昔から複数回当たっていた。(共産党時代はその莫大な利益が、本当に福利厚生やスポーツ振興に使われていたのかは謎)
こちらの世界では『現象の彼女の意向』を避ける意味でも、宝くじなどに頼らず、自分で事業を興したのだが、それが大当たりで上手くビジネスが回っている。取り分け仲間になってくれた『江東の二喬』と『貂蝉』の働きが大きい。これだけだと意味がわからないと思う。だけど今の時代にも名が残る奥方や、女人に女傑も三国の英雄とともに復活していたのだと言えばわかって貰えると思う。要は『現象となったエル』は英雄だけでなく、彼らの家族も必要と考えたのだと思う。つまりこの中国改革に、それだけの時間を要すると考えた結果なのだ。
ところが孫策や周瑜(公瑾)には本妻がいた。そして現代人の規範を護る守護者として召喚されていた。なので、妾であった大喬・小喬の姉妹は行き場を失ってしまった。そこで呉に近い立場だった私に『そういう人達を預かって、ここで生きていけるようにしてやって欲しい』とお鉢が回って来たのだ。それでとある事業の看板となると思い、そこの店長として雇った。
私は3人の皇帝に、食事に困っている子どもや貧困な人々に、無料、或いは格安(政府からチケットが配られるようにも手を打った)で食事が得られる公共の大衆食堂を作って貰った。今はまだ各省に数件ずつしか配置されていない。けれど何れは……と考えている。そんな食堂の店長を『江東の二喬』に任せたのだ。彼女達のお店は上海にあり、そこは私の店のすぐ近くだった。また『任 紅昌(貂蝉の氏名)』もこの事業に参加してくれ、彼女は広州市にある方の慈善店の店長だ。広州市は深セン市と近いので、うちの料理店のスタッフやアサシン達がよく巡回している。
ちなみに貂蝉は絶世の美女とされ、春秋時代の西施、前漢時代の王昭君、唐時代の楊貴妃と並んで中国四代美人の1人とされている。ただし、貂蝉は後漢の人で三国時代を前にして董卓と呂布に翻弄され、その短い生涯を終えたとされていた。けれどその実態はアーサー王などと同じで、実在しない架空の人物だった。その証拠に正史『三国志』には一切登場せず、空想混じりの物語や『三国志演義』の方にのみ登場している。
だけども英霊達に引っ張られる形で、貂蝉は現代に現れた。董卓は復活しなかったのに(※)、呂布が居たので引き摺られたのだ。そんな彼女をお手付きもせず匿っていたのが、呉の呂蒙(子明)だ。放浪中の彼女を発見したのは甘寧(興覇)だった。この甘寧という人は、言ってみれば元半グレか元珍走団のリーダーで、大の旅(放浪)好きだった。出身も今の重慶なので四川やその先の僻地の事にも詳しかった。なので三皇帝から成都よりもっと西方の現況確認に駆り出されていたのだけれど、そこで貂蝉と出会った訳だ。そうして董卓が復活していない事を知らせ、呂布から匿う事を約束し、呂蒙に預ける事とした。その後、呉の閣議で私のもとに来たという訳だ。
※)佞臣と史書に記載されている者や、三国の皇帝の子女、宦官なども復活していない。これは英傑達が要らぬ野心を抱いて乱れないためだ。それだけ『現象のエル』は選別を徹底していた。なのに『貂蝉』が居るところに私は驚きを禁じ得なかった。けれどそれこそが知名度と信仰だと改めて納得したものだ。
ところでこの知名度と信仰だけれど、関羽だけは面白い事になっていた。世界各国に散らばった華僑から崇められ、中華街には決まって関帝廟がある(私も深水埗の関帝廟に何度か参拝した経験がある)。そんな神仏にも等しい信仰があるのに宝具は武器でなく、お金に関するものなのだ。本人はとてもそこがイヤらしい(ある種の『黄金率』だろうか?)。けれど街を歩けば手を合わせて拝められ、お賽銭まで飛んで来る始末だから仕方ないとも思う(なので今の関羽は若干引き篭もり気味だ)。
それで諸々の事を聞いた上で貂蝉に逢った私は、すぐさま伊達メガネとマスク、帽子を彼女のために揃えた。貂蝉は色白な中国美人というだけでは無かったのだ。東北美人でなく今で言う四川美人に入る、どこか無国籍さがある顔立ちの系統だった。涙袋のカタチや髪の色こそ中国人のそれだけれど、もしかしたら先祖にシルクロードから流れて来た西欧の血が入っているのかも知れない。アジア系の男性が100人居たら、全員が口を揃えて美人だと断言する美貌と健康美を併せ持った人だったのだ。
しかも連環計の手始めとしてまんまと董卓の寵愛を得る事に成功した頃が16歳頃、死んだ時が17歳くらいだったとされている。司徒・王允に引き取られ舞を学びながら育ったというが、董卓と呂布を手玉に取って計を成功に導いた肝の座り方と、知性は生半可ではない。なお連環計とは複数の手段や複数の細かな計を用いて大きな謀略を達成する事を言う。赤壁の魏船団を鎖で繋げた時の『連環』は、もっと大きな謀略があるぞという龐統から曹操に対するヒントであり、仕上げに向けた皮肉でもあったのだ。つまり蔡中らに見せつけた偽情報(反間計)、黄蓋のウソの投降(苦肉計)などを引っ括めた全部が連環計な訳だ(曹操も物知りなので計があると疑っていた。だから計に計を重ねたのだ)。そんな呉の将軍や蜀の軍師が行った大それた計を、僅か10代半ばの少女がたった独りでやり遂げた(離間計)ところに貂蝉という女性の本質がある。
彼女の身長は170にちょい足りないくらい。細くスラッとしているのに胸は適度に大きく、全体のバランスがとても良い。けれどそこいらのモデルよりもっと美人。まるでゲームのヒロインのようだった。いや、ゲームのイメージイラストが霞んで見えるくらいだ。英霊と同じ知名度補正かも知れないが、この世の人とは思えないほどの美人だったのだ。だから私はマスクや帽子を揃えたのだ。
そりゃ涼州なんてど田舎の男(董卓の事。涼州は現代で言う甘粛省から寧夏回族自治区の辺り。何もない荒野が広がる事で有名な場所だ。テレビドラマの舞台にもなった)や、并州の荒くれ者(呂布の事。并州は今の山西省の大部分と河北省、内モンゴル自治区にまたがる広大な州。北京に政権が移動するまでは野蛮な僻地だった)はメロメロになるはずだ。
そして私も彼女の知性とその美貌で大いに助かっていた。普段は広州市にある慈善食堂の事務室で店長として事務と雑務に勤しんでいる訳だけど、たまに深センにある私のお店へふらりと寄って、食事をしたりお茶を楽しんでいってくれる。そこは嬉しいのだけど、窓際の席で静かにお茶を飲んでいるだけでお客の入りが全然違った。何のイベントだというくらい男性が、通りを埋めるほど列をなして並ぶのだ。客引きパンダと言うと失礼だけど、その効果は絶大だった。
本当なら、映画女優やお天気キャスターなどをしても良いくらいの人だと思う。けれど彼女は表に出て目立つ事をあまり好まない人でもあった。けれど舞を舞うのは好きらしく、私のエアロビクスや木人樁での修練を興味深そうに見ていたのが印象的だった。その内、彼女も詠春拳を習い始めたりして。その前に本人はクルマの免許が欲しいらしいけれど。まぁ、そんな事から私は貂蝉を中国に留めず、もっと広い世界を見るべきだと感じている。なのでいずれは海外に連れて行こうと考えていた。
それでその免許の話だけれど、三皇帝と主だった将兵はこぞって免許を取っていた(中国の運転免許試験はザルだ。これから厳しくなるので早目に取った者勝ちだった)。中でも呉の甘寧、魏の張遼は早かった。この2人は国こそ違えど、その来歴はとても似ていた。
(それぞれが曹操や孫権に仕えるまでは転々としていたり、部下の面倒見がよく、やたら腕が立つところなど、似ている部分がやたら多い)
そして発想が柔軟で臨機応変さがあった。甘寧は孫権から提言される前に自分で免許を取り、重慶市の慶鈴汽車股份有限公司というメーカーのトラックを手に入れて乗り回していた。この慶鈴汽車は『いすゞ』との合弁会社で、甘寧はエルフのバンに乗っていた。それも日本にしかないはずの、ルートバンだ。日野デュトロのルートバンを乗り回す『エル』並にオカシナ男で、『最初にそれなのかい!?』と皆んなが突っ込んだ。けれどそれを聞き知った張遼は唸り、蜀の張飛は悔しがった。目下この2人はもっと大型のトラックに乗ろうと決意を固めているから困ったものだ。
そして思わず刮目したのが、呉のもう1人の暴れん坊将軍こと、呂蒙だった。このオッサンは、何とGC型インプレッサのGT(日本で言うWRX)の中古を台湾から引っ張って来ていたのだ。
調べるとGC型は、2002年まで台湾の大慶汽車工業股份有限公司でも取り扱われていたらしい。そこも今はホンダを扱うようになったそうだけれど、私は全然知らなかったよ。そして呂蒙のそれは98年頃の2ドア・クーペでシルバーのSTi仕様だった。ちなみに台湾は香港や日本と同じ右ハンドルだ。左ハンドル右側通行の中国によく持ち込めたものだと感心してしまった(そこが呉のチカラなのかも)。
ところで私はバイクにも乗るが、車の方がもっと好きだった。そこもエルヴァと似ているところだ。それでもって欧州車や米国車より日本車の方が好きでもある。だからと言って『エル』(※)のように働くクルマや、旧車でも何でも好きという訳でもなかった。
※)なお旧車好きは優れた魔術師に共通の趣味と言えるかも知れない。新しく優れた技術を受け入れるまでに、妙なプライドが足を引っ張り『時間』が掛かり過ぎるのだ。そしてその『時間』は個人の時間軸でなく、一族全体の時間軸でもあった。例えばあの蒼崎橙子の愛車はこの現代でトヨタ2000GT(色は白。空間拡張したカバンに入れて渡航したりしているらしい)だったりする。親から譲って貰った訳でもないだろうから、間違いなく『価格がASK』のプレミアム中古だ。幾らで手に入れたんだろうね?
また、あのエーデルフェルト理事(奥さんの方)の愛車はジャガーのマークIVだったりする。こちらは親から譲られたもので、普段遣いの街乗り用は1980~90年代の323(マツダ・ファミリア)の四駆車だったりする。『良い趣味を持つと世間との時間軸が揃う』という、戒めか教えがエーデルフェルトにはあるのかも知れない。
ボーデンが欧州のライトウェイトスポーツ一択なのは『エル』の影響だろうし、シュラムがセリカの4WDやソアラやスープラのツインターボ、RX-7といった高性能スポーツの改造車ばかり集めているのも『エル』の影響だろう。けれど私は仕事で選んだものばかりで、何でも乗っていた。アジア担当だったから、宝具に仕舞ってあるのは四駆がやたら多い傾向にあるけれど(※)、自分の趣味で選んだクルマは、90年代のNSXだけだ(スープラもコルベットもアメリカ大陸を走るためのGTカーでしかない)。
そしてこの赤いNSXはタイプRでなく、95年頃のマイチェン後(タルガトップが追加された頃)のもので、エンジンはノーマルだし、エアコンも付いた重ステのⅠ型だ。けれど5速のマニュアルはスコスコ入るし、サスも去年調節機能付きのものに交換したばかりなので文句は一切ない。何よりトランクの上にGTウィングを取り付け、ボンネットも風が抜けやすい形状のドライ・カーボン製に換えてあるので愛着が強い。ただ、今のⅣ型のタイプSは、おそらくこれが最終型だろうから、S2000とともに手に入れておくべきかなとは考えている。
(私は基本ホンダ党で、スバリストではない。それでも呂蒙のインプレッサはカッコイイと思った。なお『エル』がインプレッサ好きなのは、彼女が単純なスバリストだからではない。ランエボのように電子制御が入らないからだ。あちらのルヴィアは泥濘(ぬかるみ)などを走る事が多いようなので、却ってそういう制御が入るところが気に入っているようだ。けれど、舗装路だと予期しない制御が入るし、やたらアンダーがキツく感じる時がある。でもインプレッサにそれはない。最初から最後までアンダーがほとんど出ないところは本当に素晴らしいと私も思う。ただしランエボのⅧ以降(スーパーAYCが入って以降)は制御がかなり自然になっているので、MRや、先々月に出たⅨは良いと思う)
※)主に70系のトヨタ・ランドクルーザーや110のランドローバー・ディフェンダーだけれど、70系のライト系最終版やプラドの初代と二代目、ハイラックスの五代目、六代目も持っている。そうやってあれこれ乗ってみると、やはりフルタイム4WDよりもパートタイム4WDだと私は思う。デフ・ロックできるフルタイム4WDもあるけれど、構造が複雑になって修理が難しくなるのはどうなのかな? と。だから70系のヘビーは、80系や100系、その後のモデルが発売されても、世界のどこかで売られ続けると信じている。
ディフェンダーもビジネス上仕方ないとは思うけれど、『ディフェンダー』という名前が付く前の『90』や『110』、『127(後の130)』の方が良かった。何故なら、この70系ランクルもディフェンダーも、パートタイム4WDで、トランスファーのハイ・ローの切り替えもあるので悪路に滅法強い。また、ハンドルの左右やエンジン型式に関わらず、どんなにボロかろうが現地で確実に売れる走るお金でもあった。少々重いのが難点だけれど、人も荷物も載るから大層便利だ。
なおハイラックスはピックアップ・トラックだ。いわば日本での軽トラックだ。だから本格オフロードのランドクルーザー、その廉価版という立ち位置のプラドと同格か、それより下というのが日本以外の評価だったりする。けれどと言うか、だからこそと言うか、そういう価格帯のトラックなのに、ちゃんとトランスファーがあってパートタイム4WDだ。だから砂漠の戦士はこぞって砂の海に沈まないハイラックスを求めたのだ。砂漠でランクルに乗っているのは金持ちか、バックにアメリカか、かつての中国が付いていた組織だと誰でもわかる構造になっている。
荷台に立てる機関銃はロシア製だと誤魔化しても、戦士が背負うアサルトは中華製AKだったり、東欧から流れたAKだったりする。ソ連崩壊後のロシアに世界で暗躍できる程の財力はない。むしろ財源がなくなったからソ連は崩壊したのだ。そうして富める国アメリカは、中国という化け物を肥え太らせてしまった。『現象の彼女』が立ち上がり私達が動かなければ、この先はもっと巨大なモンスターになっていただろう。
時に私の中での最終兵器は、同じパートタイム4WDのJB23型ジムニーとJB43型ジムニーシエラだったりする。中でもディーゼルのJB53(中南米モデル)と、1300ccのインド・マルチ・スズキのロングフレーム版は最強だと思う。これにチェーンやスコップ、ロープや脱出用足場、長靴や防寒着などなどを積んで宝具に押し込んでいれば、どこに行っても必ず帰ってこれるし換金もすぐにできる。ただし狭いので乗車は2名まで。寝泊まりは1名が限界だ。おまけに速さもパワーもない。なので突っ切るような走りには向いていない。トコトコとゆっくり帰って来るイメージだ。
『エル』も冬木の森を走るためや、単なるコレクションのためだけにJA11-5型、JA12/22型、JB23型ジムニーや、JB32型、JB43型ジムニーシエラなどなどを複数台持っているが、免許を取得する前に買ったJB23型2WDの『L』か『J2』のどちらかを街乗り用に登録したと聞いている。まぁ、彼女はボンネットとグリルが一体になったJB23型初期モデルが好きらしいので登録したのは、2000年の5スリット『L』だろう(この5スリットはジープの真似っぽいが、いかにもオフロード車らしくて似合っている)。
それでこの暫定『L』は、2WDなのに車高を3inch(7.5cm)もリフトしてあって、タイヤもインチアップしてあるそうだ。意味がわからない。なら4WDにしろよと思うが、その心境は陸サーファーのようなものだろうか?
まぁ勝手に想像するなら、街中用に登録するのだから、自ずと舗装路でのチョイ乗りメインになる。ならば燃費の面からも2WDで十分と考えたのかも知れない。そうなるとリフトアップやインチアップと矛盾するけれど、見栄えも考えての事だろう。そうとなればパジェロミニでも良いじゃないかと思うけれど(驚くべき事に市販されているパジェロミニの大半は2WDモデルだ)、それだと他人と被るなんて事も考えたのだと思う。
だからといってシエラ(ジュニア)やエスクード(イオ)のような普通車を新たに買うなら、デュトロのルートバンで良いやと考える女でもある。冬木という街のシチュエーションや、近所のスーパーまでの道路事情を考えると、そんなところに考えが落ち着いたのだと想像しているのだけど、どうかな?
それともう一つ理由をあげるなら、30年50年と経った場合でも修理が可能なのは、間違いなくパジェロミニでなくジムニーの方だと思えるところだろうか? これはパーツの有無の問題ではない。大袈裟だけれど、歴史の背景と信仰の問題だ。例えメーカーからのパーツ供給が途絶えても、それを何としてでも探そう、何なら自作してでも直そうと思えるモチベーションを所有者に与えてくれるのは、どちらのクルマなのかという話でもある。
これは英霊への信仰にも通ずる話で、カリスマにも通じる話だ。つまり所有者の『思い入れ』だ。こういうので耐久性や強度、寿命なども変わって来ると思う。エルメロイⅡ世先生と行動をともにしている今は強くそう思う(※1)。
ただしスズキ車は下回りが少々弱いので、防錆処理を自分でやった方が良いという話もある(特にJA11型/JA12型など90年代のタイプと、それ以前のタイプ)。だけれど『エル』なら防錆効果を見込んで下回りをショッキング・ピンクなんかに塗っていそうだ。それでもってスプリングコイルやショックの外筒、ラテラルロッド(※2)などをシルバーやグリーンのメタリックにメッキしていそうでもある。当然リフトアップでチラチラ見える下回りを見せる(魅せる)ためだ。
※1)私達の大本である『エル』は、自分の世界のウェイバー先生と仲が良いが、他の世界のエルメロイⅡ世先生の事は嫌っている。おそらくエルヴァが時々先生をからかうのも、そこがあるからだ。人は誰かに雇われ、それなりの対価を得ない限り、誰の所有物でもないし、ご近所さんであるとか知り合いでもない限り、無闇に頭(こうべ)を垂れるものでもない。相手がお客であるとか、尊敬できると思えた人にこそ、人は自然と頭(あたま)が下がるものだろう。『あなたこそ我が王だ』────。自身の領土(精神)と自治権(自らの判断)を明け渡すような発言は、仮に大王の『カリスマ』にアテられたにせよ愚か以外の何物でもない。ましてや『ロード』という立場を拝命している者が。それが時計塔の理事を務め、一族を率いる『エル』の考えだ。おそらくエルヴァも同じ考えだ。けれどあの子は甘いから、直接言ってしまってエルメロイⅡ世先生を傷つけまいとしているのだろう。要は時々の『からかい』はストレス発散と、『いい大人が本気でそんな事を今も考えているのか?』という確認のために探りを入れているだけだ。
私? 私は『エル』の一部でしかない。だけど好き勝手に生きているけれど。
※2)後輪側のデフの上に斜めに掛かった棒。ここのブッシュがヘタるとジャダーが起きたりする。キングピンベアリングと並んで不具合の原因箇所になりやすい。なので定期的な点検と交換が必要になる。前輪側はステアリングギアボックスのガタツキが原因の場合が多い。何れにせよ、軽の4駆なので車格の割にタイヤもホイールも大きく重い。このような重量物がメカの端っこにあるからヘタリは避けられない。ましてや自ら進んで、とんでもない不整地を走ろうと考える人は要注意だ。これらは欠点でなく、そういうものだと割り切って交換しながら乗るのがジムニーだ。
ちなみにジムニーのオフロード性能を上げるだけならリフトアップは1inch(2.5cm)で十分(勿論4WDでないとダメ)で、タイヤもノーマルサイズでパターンを変えるだけで良い。それが1番安上がりで効率がいいと私は思う。日本の話だけど、その範囲の改造ならナンバーを取り直したり改造申請も必要ないからね(JB23型やJB43型のようなコイルスプリングなら車検に問題なく通る)。
そもそも輸出用やシエラのようなワイドボディでないと、2inch(5cm)以上のリフトアップは不格好で似合わないと思う。それでも元が軽規格だからホイールベースがやたら短い訳(※)で、大きなタイヤを履かせると転けそうな不安感が私の場合先に立つ。そのチョロQっぽさがカワイイともいえるのだけど(特に丸っこいJB23型は)。
※)その意味でもマルチ・スズキのロングフレーム版が良いのだ。また、アジアでのクロカンはいかにもなオフロードより、バンやトラックの方がウケが良い。それの意味するところは、例えばミツビシならパジェロよりスターワゴンやスペースギアの方が好まれる傾向にあるという事だ。これは人も荷物も運べるからだ。だから道が舗装されておらずとも、そこそこ良いならコースターやシビリアンの4WDといったマイクロバスの中古もよく走っている。とは言え、前輪がお尻の下にあってノーズのないコースターやスターワゴンで、ガードも何もない崖っぷちを走ったり、急坂を下るのは本気で勇気が要る。
なお私が宝具に収めている最終兵器はJB33型ジムニーワイドの左ハンドル、2inchアップだ。
個人的には大きくて狭い場所が苦手という欠点はあるけれど、ジープ・ラングラーもランクルやディフェンダーと並ぶ良いクルマだと思う。私はYJより現行のTJが好きだ。中でもギアが低くデフロックできるルビコンが良いと考えている。同じようにKJ型リバティ(米国外ではチェロキー)も結構好きだったりする。だけどアメ車や英国車はエンジンの耐久性に一抹の不安があるので、どうしても国を跨ぐ使い方の場合はランクルを選んでしまう。
ただ、すべてのオフロード四駆に言える事だけれど、ガレ場の悪路は大きな石や岩が見えるから、避けて通ろうとアタックルートを誰でも考えるが、何もかもが真っ白な積雪だと何も考えずに突っ込む人が居るところだ。轍で腹が浮いて亀になるとにっちもさっちも行かなくなるから困るけれど、それでも命には関わらない。だけど黒竜江省や内モンゴル自治区の北部に行くと、雪の下に何があるかわかったものじゃない。ああいうところやシベリアに真冬に行くなら、キャタピラ(無限軌道。これを世界で最初に思い付いたのは、特許こそ取っていないがロシアの人だという)の作業車の方が断然無難だと思う。『エル』やここのエルヴァちゃんがシベリア探索を夏に行ったのは、その季節だとトラックで行けるからだ(それでも相当な準備をして行ったと聞いている)。
ちなみに『エル』が開発した例の『触媒』……。それとダウンサイジングやジャストサイジング(ライトサイジング)といった理論も、この世界では私を通して政府主導で各メーカーに波及していっている。欧州各社も『どうして中国からこんな技術が?』と脅威を持って渋々迎えられた。まぁ、ここでは地球温暖化がウソである事が明白になっているからね(海に砂糖を千トンぶちまけても甘くはならないし、大きな氷をぶちまけたプールにフチギリギリまで水を張ったとしても、溶けたからと溢れる事はない。中学生でもわかる理科レベルの話だ)。けれど排気ガスの環境汚染や大気汚染は事実だから、クリーン化は今も推進されている。そこに介入して、自動車産業のイニシアチヴを握った訳だ。
それは来る電気自動車のウソを今年(2005年)中に発表するためと、国家として安定した収入を得るためだった。従来の発電方法では電気自動車を幾ら増やしても、その製造コストと製造時や廃車時に出る二酸化炭素の量が、化石燃料を使う旧来の方法と見合わないのは自明の理だ。原子力に頼らない、地球の自転や地磁気を利用した新しい発電方法がこれからの未来には必要なのだ。これらの技術は今まで『アイツラ』が隠していたものだ。それらを私達が一旦独占し、そこから平和利用してくれる仲間に徐々に広めていき、それまでに儲けられる分は儲けておこうという計算でもある。その時にこそエーデルフェルトにも出て貰う。問題はそれをどう発表するかにあった。
(エルヴァは記憶頼りに、少しルヴィアに話したそうだけれど、教えて良いのは『触媒』までだ。『発電の技術』はマナとも関係してくるので、情報のコントロールが難しいのだ。この神秘に関わる話を少ししておこう。『エル』の開発したディーゼル用インジェクションは、とあるタンクと繋がっていて、そのタンクは走行中に取り込んだ大気中のマナを分離する機能がある。要はマナの混じった混合気に拠って軽油を従来の1/20以下しか使わず済むという画期的な高燃費を手に入れられる装置なのだった。またタンクから分離された空気は空間圧縮の魔術を掛けられながら冷やされる。その圧縮空気が吸気口に繋がっているのだ。『エル』は、こんな魔術装置を搭載したマンやスカニアを自分の経営する運送会社で、特定のドライバー向けに運用しているのだ。そしてマフラーには例の触媒だ)
「ん、そろそろか」
部屋に備え付けの時計を見れば夕食の30分前だ。その食後からオークションが始まる。私は意識を分けて、片方をアオレアールの身体に入れた。そうして部屋の前の通路で、エルヴァ達と別れあとからずっと待機してくれていたアサシンに声を掛けた。その後、本物のオルガマリーの部屋に行きノックした。
ガチャリとドアが開き、トリシャが出て来た。彼女を伴って食堂車に向かおうとすれば、エルヴァ達が出て来るところで、その向こうにはこちらに歩いて来るエルメロイⅡ世先生達も見えた。
JB23の後継である今現在のJB64型ジムニーは、2018年7月の発売当初から旧車のジムニーを思い起こさせる角型のデザイン、ラダーフレームなどの基本性能の継承、トランスファーレバーの独立、それらに現代の安全基準を満たした高機能性と価格とのバランスが高く評価され大人気です。
見積もりを貰ったら2019年春で納車が半年後と言われ、2021年の11月頃で1年から1年半待ちに伸びていて驚きました。
ただ私自身は昔から『最強の軽のあるべき姿』は箱バンだと考えていて、現に乗用車タイプもセミトールワゴン、トールワゴン、スーパーハイトワゴンと各社そういう風に変化して来ました。先鞭を切ったのはワゴンRだという意見もありますが、この流れでのエポックメイキングと考えれば、商用ならまずは360cc時代の65年発売ハイゼット・バン、常用なら72年発売のホンダ・ライフステップバンも外せません。
想像でしかありませんが、写真でしか見たことない最初期のハイゼット・バンで車中泊をした経験のある人が平成の頃までは居たと思うのですね。
昔は2000年頃のアトレーワゴンやアトレー7、ハイゼットのデッキバンなどが欲しかったです。これらの四駆ならパートタイムでなくフルタイムであってもキャンプ車として良いと思いませんか?
2022年の今ならアトレーのバンで、リフトアップして遊びたいですね(先代のハスラーにはMTがあったので、それをリフトアップしていた人が居ました。あれはカッコ良かったです)。