前を歩くアオレールは、胸に真っ赤なバラの刺繍がある、豪奢な白いチャイナドレス姿だった。
「チーパオ?」
「そう、チーパオ」
旗袍と書いてチーパオと言うらしい。チャイナドレスの正式名称だそうだ。
私達は今、オークションの会場で指定された席に着いていた。ボックス席と言うか少し高さのあるところで、オークショニア(auctioneer、日本語発音でオークショナー。オークションの進行をする人)の立つ舞台や、競りに参加する人達の席を一望できる位置にあった。この列車の空間がどうなっているかなんて今更だけど、前回と同じ入口から入ったはずなのに、出品物の案内の時とも違う部屋なのには少し驚かされる。
始まるまではもう少し時間があるようだ。テーブルの上の大皿には、サンドイッチやスコーン、ショートケーキなどアフタヌーンティーに出るような軽食が並んでいた。ティースタンドで出ないのはアフタヌーンティーではないという意味なのだろう。だけど、こういう場合の軽食は日本の方が凄いと思う。欧州人に一度厚焼き玉子サンドや、玉子サラダサンド、フルーツサンド、カツサンドなどを食べさせてみたい。
薄っぺらいキュウリだけのサンドは、長時間放置するとパンがパサつくからね。どうなんだこれ? と思っていたら、続々と入ってくる参加者が席に着くやいなや、自分の前のテーブルから適当にサンドやスコーンを手に取っていた。そこで自由に食べて良いのだとやっと理解した。手を上げたり、ベルをチンと鳴らせばウェイターが紅茶を持って来てくれる。なるほど。
程なく、ニコニコとこちらに手を振るイヴェット・L・レーマンや、ジャンマリオ・スピネッラ達もそれぞれの席に着いた。サンドイッチをパクつく象さんと目があった。私は彼に軽く会釈をした。すると彼は気さくに手の平をヒラヒラと振った。魔眼持ちだと目していた、聖堂教会の老神父の眼が以前と違っていた。知らない間に魔眼を摘出し売っていたようだ。
どこからともなく漂う香りに眉を顰(ひそ)め、鼻をスンスンさせると、エルメロイⅡ世先生が顎でこの会場の一角を指した。ガラス戸で隔離された喫煙コーナーだった。分煙の波はこんなところにまで……。まぁ、仕方ないのか。しかし、臭いタバコだ。何だこれ?
「珍しい。これは台湾の『煙龍』ですね」
アオレアールが知っていた。何でも一部の魔術師御用達の知る人ぞ知る銘柄なのだとか。台湾に流れた東洋系の魔術師が作っていたオリジナルのブランドで、もう生産されておらず大変希少らしい。
「美味しいの?」
「その銘柄が好きな人を何人か知っていますけれど、皆んな不味いと言いますね」
は?
「魔術回路に良いとか、術式構築の際に、精神安定剤になり得るとか?」
「全然。前者はスパシーボ効果で、後者は個人の思い込みでしょう」
どっちにせよ思い込みじゃないの。変な習慣性に目覚めでもしたの? まぁ、タバコなんてそんなものだろうけど。やがて進行役のレアンドラが登壇した。いよいよだ。
だというのにアオレアールはオルガマリーにチャイナ・ドレスの事を話していた。
「チーパオは清朝末期から中華民国成立までの僅かな期間、租界で流行った外国人向けの中華風ドレスの事ですよ。今はパーティドレスのバリエーションという認識ですが、以前は香港などの一部を除けば、これを着る人はあまり居ませんでした。逆に中華人民共和国になって西暦の1980~1990年代頃から徐々に見直されたのが漢服(ハンフー)ですね」
「ハンフー?」
「ええ。明朝まで残っていた、漢民族の伝統衣装とされるものです。言ってみれば日本の着物のようなものです。身分に拠って身に纏って良いもの、駄目なものがありますから、機会があっても海外の人はみだりに手を出さない方が良いですよ。それで私もチーパオなのですから」
アオレールが、オルガマリーや3人娘に説明してくれているのだけど、知らない事だらけだから皆んなオルガマリーの話に食い付いていた。それはツングース系の女真族という別の民族に蹂躙された漢民族の悲しい歴史であり、意地であり、抵抗の話でもあった。
漢服が清朝で制限され途絶えた事で、巷には襟の立った女真族の衣類が半ば強制的に広まった。だから虐げられた人々は自らの身と家族を護るために拳法を大いに学んだのだという。やがて清朝末期、中国は大きく揺れた。そんな頃に巷に広まっていた女真風の衣装が拳法家向けに改造されたりもした。私達がイメージする中国拳法の達人が着ている服……亀仙人や悟空が着ていた、前を紐で止めたかののような服、あれがそうなのだという。また、チャイナドレスも清朝の衣服を西欧風にしたもので、あのスリットは馬の鞍に跨るためにあった切れ込みの名残なのだそうだ。
また、ベトナムのアオザイもその流れを汲むものだそうで、あの両脇のスリットも同じ意味の名残だという。ただし、アオザイは男性用の衣服からベトナム向けに変化したものであるらしく、だから下がズボンなのだとか。それに暑い国だから生地を薄くした分透けやすい。なので垂らした生地で下半身を二重にして、透け防止を狙ったのもあったようだ。
また、北部ほど普段からアオザイを着る人が多く、北部に中国由来の美味しいベトナム料理がたくさんあって、北部にやたら色白な美人が多いのも(この手のベトナム美人は、ほぼ四川美人の系統で血が混ざっているそうだ)、それだけ清朝の影響が大きかったのもあるし、昔から商人の行き来があって交流があったからだそう。実際、白いアオザイが女学生の制服として厳しく指定されているのは、ハノイからフエという中部の街までで、ホーチミンまで南に行くとアオザイの学生は極端に少なくなって白いブラウスと紺色のスカートの制服ばかりになるのだとか。
それは思想や文化の背景もあるが気候が余りにも違っているからもあるらしい。アオレアールは春節(旧正月)の時期、喧騒を避けて旅行に出る事が多かったらしい。そういう時期にハノイに行けばとても過ごしやすく、薄手の長袖が1枚あれば事足りるそうだ。けれど足を伸ばしてホーチミンまで行くと、そこはもう夏だそうで熱中症で倒れる人があちこちに居るという。ベトナムが南北に長い国なのは知っていたが、そこまでなのかと驚いた。何より春節って2月の頭じゃないか。
詳しいなと思って尋ねれば、アオレアールはベトナムがかなり好きらしく、昔から、つまりあちらの世界に居た頃から何度も通っており、市場の商店で客の顔を見てぼったくったり、お金もないのに見栄を張りたがる国民性……中国からの悪い影響も気にならないらしい。
むしろそういうお店で交渉という名目の長話をしたり、現地価格を見切った上で少しだけ上乗せ価格で買ってあげたり、相手の見栄っぱりな話に乗ってあげて、『じゃ、頑張って。来年逢った時、そうなっているのを期待します』とわかれ際に言ってあげたりしているそうだ。ても、翌年逢った時は前回の話は忘れていてあげる……そういう気遣いができるアジア旅行のベテランでもあった。
なので刺繍入りの色とりどりなアオザイや、正絹の真っ白な冠婚葬祭用のアオザイ、果ては衣料店で見本としてぶら下がっている、白い学校制服用のアオザイも持っているそうだ。
(学校名が入っていないものなら案外気軽に買えるらしい。ただしアオザイはその人の体型に合わせて縫うものだから採寸後に数日待つ必要があるという。また、あの強調されたバストは、そういうアオザイ用の矯正下着を着けて出すらしい。どうしてそんなに体型ラインを出しバストを強調するのか? それがあの国での女性美であり、若い女性が心掛けなければならない身嗜みでもあるからだとアオレアールは言う。だからスリットの脇から、矯正下着で押し出されたダブついた脇腹が見えても、口にしてはいけないそうだ)
こういう制服好きな部分は『エル』っぽいなと思うし(実際、『エル』も学生用アオザイを持っていて、姉のイリヤとそれを着てハノイの街を歩いていた)、彼女の料理の腕とアジアンへの理解があれば、マルガリータとも話が合いそうに思う。
が、こうしてアオザイの話を聞いた私は少々複雑な気分だった。というのも、私もコスプレ好きなのだが、要はそのコスプレ好きな部分は自分の中から生まれたものでなく、『エル』の残した影響とも受け取れるからだ。まるで誰かが誰かの正義感を借り物だと詰(なじ)ったあのままだ。とてもムカッと来る。だから開き直る。私個人も元からそういう嗜好だった、で良いじゃないか。
そんな私の心を読んだのか、アオレアールは微笑みながら余談として次のような事を教えてくれた。それは香港の学校制服についてだった(中国語で『校服』というらしい)。
中国本土の主だった学生用制服はジャージと体操服だけど、香港だけは英国の影響と制度の違いで、いかにも制服というデザインの制服がある。概ねは襟付きの白や水色の半袖ブラウスか、背中にファスナーのある半袖ワンピースの学校ばかりなのだとか。それで大抵は襟にリボンかネクタイを通すようだ。半袖なのはそれだけ気候が温暖だからで、寒い季節は冬でもカーディガンを羽織る程度だそうだ。中には長袖も存在する学校があるそうだけど、それを揃える学生は余程校則が厳しい学校に通っているのでもなければ、滅多に居ないらしい。
(彼女の近隣ではという話。旧ポルトガル領だった澳門と同じで、旧英国領だった香港も基督教系の学校が多い。なので服装には厳しい学校が多いそうだ。またそういう訳で、どこの学校にも冬服があるらしい。それでも長袖の冬服が記憶に残らない本当のところは、着ている期間が極端に短いので目にする機会が少ないからだそうだ。真冬の平均気温が14~15℃となれば、それはカーディガンやセーターで事足りるだろう)。
ちなみにワンピースだからとか、襟が大きな丸襟だからと言う理由で中学か高校かは区別できないという。つまり全般的にデザインが子供っぽい印象があって、その反動からか人気があるのは、やはりブラウスとスカートが分かれたセパレート・タイプであり、余り子供っぽく見えない制服なのだそうだ。同じように学校ごとに制服がある台湾の情報もよく香港に入ってくるそうだけれど、日本の情報も時折入ってくるようで、大抵の学生は日本や台湾の制服に憧れがあるらしい。
そこまで聞いてチラリとアオレアールを見れば片眼を瞑って、『カソリック校の校服はどれも可愛いけれど、新界にある中学校や九龍にある女子校の夏の校服も可愛いですよ。水色や青のチーパオで』だって。水色のチャイナドレスって凄いな。学校名も真光やら協恩やら彼女はきっちり口にしていたから、マニアだ。彼女はきっとそんな香港の幾つかの校服と、日本の……もしかしたら穂群原の制服なんかも持っていそうに思えた。
(まぁ、私も今住んでいる家に近いジュニア・ハイスクールの制服はネクタイの色合いとスカートの色が可愛いな、欲しいななんて思っているのだから似たり寄ったりなのだけれど……。ただ、現役の子達は結び目がやたら大きかったり弛んでいるのはどうかなぁと思う。それはウィンザーノットでもない限り、タイの結び目は程よい大きさにキュッと締める方がカッコイイと私が考えているからだ)
またそんな流れから、香港の学生で日本語を学ぶ人もそこそこ居るらしく、その人数は台湾やオーストラリアの学生とそう変わらないらしい。日本大好きな台湾や、国際交流が盛んなオーストラリアならわからなくもないが、中国と近い香港もと聞くと少し意外だった。
そこから話が戻った。
通常オークションはオークショニアが場の空気を読みながら、競りが盛り上がるように進行していく。なので基本出品物はカタログ通りに出るとは言え、この公表された順番が既にオークショニアであるレアンドルの読みであり腕の見せどころでもあった。ただ、こちらの予想外の事もある。それはカタログが出来上がった後に依頼された出品物の場合だ。これをどこに挟んで来るのか。それで場の空気をどう動かすのか、そこもオークションの見どころだとイヴェットが教えてくれた。
一方、オークションには興味がないのか、アオレアールの薀蓄はまだ続いていた。
漢服の流れを汲むものが日本の和服や沖縄の琉装などで、着物はその中の1つなのだと彼女は言う。殿上人の女人が十二単を身に纏う前は、もっと漢服っぽい衣類だったそうだ。そう言えば古墳の壁画なんかがそうだよね。遣唐使や遣隋使で伝わったのかも知れない。また琉装は胸元のVゾーンに見える布地の数と色合いの多さで格が決まるそうで、そこは十二単の影響だろうとの事だった。
それに追加して、『漢服は、仙女や浦島太郎の乙姫のような、『漂う』イメージでしょうか』と言った。『漂う』か。言い得て妙だなぁ。それでその『漂う』印象は、帯や紐の端を処理しないでぶら下げるところから来ているそうだ。これを残しているのが朝鮮半島のチョゴリだという。
それは明朝がまだ他民族や属国に寛容だった証だそうで、次の清朝は朝鮮半島や他民族には苛烈に接し(これがベトナム美人の由来。そんな清朝の悪習を近代に行ったのが韓国で、それがライダハンの悲劇だ)、李氏の王族(両班)に自分達のようにせよと厳命し、一般人(中人・常民)には黒などの色を使うことを許可しても、衣類に白と黒以外の色を使う事を厳禁し、奴隷(白丁)には白以外許可しなかったのだそうだ。こうして衣類から身分があからさまにわかるようにして、被虐心や屈辱心、恥辱心を煽って弾圧するのが騎馬民族の方法(やり方)なのだという。
(この清朝時代に美人は貢物にされ、賢く『できる人』は使える奴隷として大陸へ拐われた。だから半島に残った人々は他人を売ったり騙したりする人だらけになってしまった。また残った人々は元々『そういう悪性を持っていた』から、同門同族ばかりだった。なので近親婚が増え、似たような顔の人ばかりになってしまったらしい。これも民族浄化だろう。酷いなぁ)
それでこんな圧政が蔓延った当時に上下セパレートなチョゴリが生まれたそうだけど、このチョゴリはそこらで用が足せ、授乳ができるようにしてある、まさに平民や奴隷のために考案された衣類だったそうだ。そして一部の北方に住み、王族に仕えた平民以外は、ほとんどが長い年月の弾圧で奴隷に身分を落とされてしまったという。
そんな色の少ないチョゴリの名残は北朝鮮系の民族学校の制服や喜び組の衣類に残っているのみで、綿や麻を染めた本来の伝統的なチョゴリは歴史から消えてしまったそうだ。なので今の綺羅びやかな化学繊維でできたチョゴリは、弾圧された反動から生まれたとも言える、想像から生まれた架空の衣類だった。
だけどアオレアールは『そうやって文化は変わっていくものです。それに想像からモノが生まれたならそれも立派な創造です。またそれはある種の悪しき記憶の浄化ですよ』と微笑んでいた。
こういう視点は凄いなと素直に思った。全然差別意識が無いのだ。『アインツベルンにあらずんば人にあらず』とまで言っていた『エル』とは大違いだ。いや、『エル』は『エル』で、アインツベルン以外心底どうでもいいらしく、逆に人種差別も民族差別もしなかった。それと似て、悪く言えばアオレアールも他人事だからどうでもいいのかも知れない。けれどここまで調べているのは、客観的に正しい事を知ろうとしていたからだ。そこで気付いた。北の王朝を滅ぼしたのは中国の現政権というより、アオレアールの意思だったのではないか? と。
香港やマカオ、台湾の独立を中国の現政権が促しているのもそうだろうし、南が中国から徹底的にシカトされているのもそういう事ではないか? 何故なら輸入も輸出もままならないほどシカトを通し、日本政府にまで『援助するな、交渉するな、徹底的にシカトしろ』と圧力を掛けてきているらしいからだ。そこでアオレアールを再度見れば、素知らぬ顔をしていた。その真意は時間を掛けての浄化ではないだろうか? つまり世代交代を重ねる中で、狡い考えや汚い行動を恥と思う心を養うよう促すという……。どうだろうか?
オークションはとっくに2品目に移っていた。1品目は思ったより盛り上がらなかった。
アオレアールの話は続く。今の日本の着物や琉装を思えば、凄まじいローカライズとアレンジだと彼女は感心しながら言った。それをして『天津飯精神』だそうである。『魔改造』とは言わないんだ?
あ、それと。代々中国大陸で伝えられたり、中国大陸で新しく発祥した家庭料理が『中国料理』なのであって、『中華料理』とは言わないらしい。昔は宮廷料理を『中華料理』と言っていた時代があって、その後日本に本格的な中国料理が伝わった大正から昭和の初期頃に、大皿に盛られた幾つもの料理を小皿に取り分けるスタイルも日本に入った。
そういうスタイルを指して、宮廷料理に引けを取らないぞという売り文句的に『中華料理』という言葉が広まったらしい。だから日本でのみ『中華料理』の名が残ったそうだ。また、あの中華ターンテーブルもそういう流れから昭和初期に日本人が考案したものなのだそうで、本当の意味での『魔改造』はあのテーブルだったとアオレアールは教えてくれた。
「よくよく考えてみて下さい。本当の宮廷料理でなく、お皿に盛り付けられている料理が家庭料理だったとしてもですよ? ビュッフェではありませんから、レストランで客が取皿を持ってウロウロ歩くと思いますか?」
つまり、『あれ取って』と言えばボーイなりウェイターが取り分けて持って来てくれるのが、本場中国の格の良いレストランのスタイルなのだそうだ。それより格下のレストランでは、自分達で大皿を相手の前に押したりしていた。だから日本から逆輸入で伝わったターンテーブルが一気に普及したのだそうだ。それはそうだろうね。ターンテーブルがあれば人件費から変わって来るだろうし。むしろボーイなりウェイターが居るレストランこそが『高級』なのだろう。その例としてアオレアールは北京ダックのお店の事を教えてくれた。
専門の人が調理された肉の塊を、客の前で切り分けるスタイルは欧米にもある訳だけれど、『他人を使ってナンボ』という価値観は、個人の好き嫌いがあったとしても贅沢は贅沢だ。だから押し並べて北京ダックのお店は高いらしい。有名店だと看板料も凄まじく、アメリカで良質なTボーンステーキを食べるのより高いそうだ。
それで今の若い中国人は、天津飯などの日本製料理をして『中華料理』という別ジャンルと考え、自分達の料理は『中国料理』と分けて考えているらしい。そこでこんな勘違いが生まれてしまった。『ターンテーブルがあるのが中国料理のレストランで、ないのが日本の中華料理だ』って。それはあなた達が円卓もボーイも居ない安いお店ばかり行くからだ。それに何も日本観光に行ってまで『中華料理』を食べるなと、アオレアールは笑いながらボヤいていた。
だけど今後は変わる可能性はあるけれど、自分や家族に安全のために生モノや冷たいものを口にしない習慣があったのだから、お寿司も、和え物などがある懐石料理も厳しいものがある。かと言って小麦粉文化圏の東北の人に丼(どんぶり)ものは違和感があるし、長江以南の人にとってもご飯の上におかずを乗せるスタイルは労働階級の卑しい食べ方となるようだった。
海外旅行ができるのは、ある程度収入があって教養もある人達だ。それが例えギャーギャー煩くとも、中国人の中では結構な身分だったりする訳だ。だから自ずと中国からの旅行者は中華料理店かラーメン店を選んでしまう傾向があるっぽい。それで東北の人は焼き餃子に驚き、江南の人は丼ものに驚く訳だ。
これらの話は私だけでなく、オルガマリー達にも聞かせていたらしく、熱心に聞くオルガマリーを見てアオレアールはとても優しい顔をしていた。ずっと見ていて思ったのだけれど、どうやらアオレアールは、オルガマリーに期するところが大きいのだと思う。そこにあるのは、西欧の文化だけが文化じゃない。国や民族の数だけそれはあるだろうし、多種多様だ。そして風習や習慣なんて人の数だけあると見て間違いない。同じ風習があるから同族なのではない。それは単に嗜好が似た同好の士でしかない。だから魔術師の世界もクラブ活動みたいなものだ。そんな狭い範疇のものが、広い世界の全部じゃない。もっともっと視野を広げて考えなさい────。
なんて『メッセージ』が言葉としてでなく意思として頭に届いた。念話の一種だったのかも知れないが、オルガマリーやグレイにセイバーが大きく頷いていたので、その魔術は大したものだった。
彼女もきっと、年下の子が『大きく』なっていく姿を見るのが好きなのだろう。これは私もそうなので、その気持ちはよくわかった。またスヴィン君もエルメロイⅡ世先生の向こうから(グレイと離れてくれている)、先生と同じような顔をして、アオレアールを見ていた。
するとそんなタイミングで、レアンドラがここでとある、文字通りの目玉を放り込んで来た。その名は『泡影の魔眼』だった。『宝石』に比するランクだという。私はレアンドラの解説もそっちのけで、老神父を見た。会場のどよめきが中々収まらない。過去視がどうとか、過去にあった現象を再現がどうとか耳に入るが、私はただただ老神父のためにも高額で落札されれば良いなと思った。
え? どうしてそう思ったかって? そこが自分でもわからない。それは不思議な感覚だった。
「魔眼もないのに、対象となった人物の来歴や柵(しがらみ)は感じてしまう……。あなたは反対派のリーダー格だった。ですから『エル』は煙たがっていた。なのに一目も二目も置いていたのは、そこですよ?」
「え?」
「魔術回路が半英霊の身体と本当に馴染んで来たのだと。ですから、あなたの能力が以前よりも増して来ている訳です」
あ~、そういう事なのか……。アオレアールの言葉でわかった。確かに昨年は身体と回路で苦しんだ経験がる。だけれどこの幻視は……。これはおそらく『エル』が持つ『並行世界の事象を視て感じ取る能力』の零れものだ。魔眼でなく眠っている間の夢、或いは白日夢として幻視している。だから今のは白日夢なのだろう。
年齢から来る強弱はあるだろうけど、この能力はエルヴァちゃんにもある。そうか、ナンバーズの中でも私はそれが強い方で、そんな能力が半英霊化で、より一層強くなりつつあったのか……。漸くその事を自覚した。
そして私は唐突に、自分の娘の名前が『吉川灯(あかり)』だとわかってしまった。それで次に息子、その次に男女の双子を儲ける事も。と同時にフンボルト君を伴侶にした『私』が最初に産むのが男の子で、その名を『レオポルド』と名付ける事もわかってしまった。
ついでに吉川の伯父様の愛車が『S170系クラウンエステート(S13系ステーションワゴンからの買い替え)』なんてのも頭に浮かんだ。裏庭の奥にある農作業場(蔵とは別に土蔵があってその横にある)の奥に、誰も使っていない4代目のJAサンバー(営農サンバー)・トラックがあるのもわかった、というか視えた。それもビシッとオリーブドラブの荷台シート(平シート)が張られた、パートタイム四駆のエクストラロー付きプロ仕様だ。この旧サンバーの時代に3気筒のドミンゴが生まれたから、エンジンは2気筒の550ccで、出力が30ps前後だった頃だ。5速+エクストラローでなく、4速+エクストラローらしい。
『エル』が森で使うために揃えたサンバーは、この次の5代目からで、そちらは660ccの直4の40ps以上、5速+エクストラローとなる。正直どうかなと思うところもあるけれど、直して動くのなら直してあげたい。
というのはそのサンバー、伯父様のお父様、つまりコーちゃん達のお爺様がお達者な頃に使っていたサンバーで、庭の菜園だけでなく、日々のお買い物や家から少し行った山にある畑へ通うために使っていたクルマだという事もわかってしまったからだ。お爺様は道場主であっても、そういう畑で農作物を育てていた訳だ。
確か昨年チラリと聞いた話だと、伯父様とお義父様の間にも男兄弟が3人居るらしく、つまり合計5人の息子を育てた人でもあったのだ。コーちゃんのところの3人より兄弟が多かったと知って、お爺様とお婆様の世代は本当に大変だったろうと思ったものだ。そんなお爺様が晩年に使っていた軽トラックだ。だから直したいなぁと考えたのだった。
ところが道場の跡を継いだ伯父様は健脚自慢なので、農具を二輪の手押し車(現場などで使う一輪はネコと言うらしい)に載せて徒歩で山の畑へ通っていらっしゃったようだ。う~ん……県警本部にも指導に行くほどの道場主と言っても、収入は結構厳しいものがあるのかも。
なお、その山の中の畑はコーちゃんが引き継ぎ、彼は私が倫敦に渡っている間に免許を取って、7代目S82P系のハイゼット・ジャンボ(MTのパートタイム四駆)の中古を買っていた(※)。
※)ジャンボを選んだ理由は、コーちゃんの身体が大きく、普通の軽トラだと窮屈だったからだ。また、その頃の軽トラは以前と違ってセミ・キャブオーバーになっていた。エンジンと前輪が座席の下にあるのがキャブオーバーで、エンジンは座席下でも前輪が座席よりも前にあるのが、軽トラでのセミ・キャブオーバーとなる。それでこうなった理由は衝突安全性を高めるためと、荷台を少しでも広くしつつ、限られた室内を確保するためだった。その結果としてホイールベースが長くなったので、直進安定性が少しだけ良くなった。
その代わりアクセルペダルがタイヤハウスに押されて左に寄り、足元が狭くなった。また前輪がかなり前に来たので小回りが効かなくなってしまった。そんな弊害があったので、狭い畦道や林道を毎日通わなければならない本業の人から苦情がたくさん来たらしく、それで各社の軽トラが売上を落としていったのがこの頃だった訳だ。そんな中でスバルのサンバーとホンダのアクティには、RRとMRというアドバンテージがあった。それは座席の下にエンジンが来ない設計ができる事だった。だからサンバーのトラックは歴代のどれもキャブオーバー・スタイルで、前輪がお尻の下だった。これを有り難く思った人は多いだろう。
だというのにホンダはそのアドバンテージを活かさず、前輪をボディの前に持ってくるセミ・キャブオーバー・スタイルにしてしまった。きっと直進安定性を取ったのだと思うが、それが悪い方に出て一気にホンダ離れが広まった。後のモデル・チェンジでキャブオーバー・スタイルに戻るのだが、それがホンダの最後の軽トラックになってしまった。デフロック付きの前後スーパー・ローは良かったのに……。
だけれどスバルはそれよりも早くに軽トラや箱バンなどの商用車を失くしてしまった。残念だけど体力的に難しかったのだと思う。
(なお箱バン(商用ワンボックス)やワゴン(乗用ワンボックス)からも、2000年に入ってサンバー以外からキャブオーバーが消えた。それ以前にはアクティもあったのに。他社がバンやワゴンにセミ・キャブオーバーを採用したのは、思うに小口配送に使われる事の多いバンや、趣味や家族の足として高速道路を使う場合も想定されるワゴンには、小回りよりも直進安定性が求められたからだと思う。これに関連してエルマも似たような事を話しており、高速道路の使用が多く、道の駅や比較的道が綺麗なキャンプ場で車中泊する旅に使うなら、お薦めはセミ・キャブオーバーだそうだ。けれど、人も来ない不整地な場所で寝泊まりするならキャブオーバーだとも話している。ちなみにエルマのキャリイ・クラシックはキャブオーバーだ。これの意味するところは、その方が僅かな手間で水平を出しやすいからだそうだ。水平……寝泊まりを考えたら必要な事だなぁ。今まで余り考えなかった事だ)
そうなのだ。だから日本に戻ってコーちゃんとデートとなったら、私がクルマを出さない限り軽トラだったのだ。それを見かねてラパン・ショコラを贈って下さったところもある。つまりショコラの代金は伯父様や伯母様だけでなく、お義父様達やお父さん達も出してくれていたらしいのだ。だからハスラーを手に入れても手放せなかった訳だ。
なお、お爺様の形見であるサンバーは、コーちゃんだと狭くて乗れなかったそうで、結局私が居ない間に残念だけれど廃車したらしい。なのでハイゼット・ジャンボだった訳だ。
それにコーちゃんという男性は、服装や髪型といった身嗜みはキチンとしているが、子供の頃から無駄金を使わない人で、お年玉やお小遣いを、学園を卒業するまでちゃんと貯めていた人でもあったのだ。まぁ、剣道の道具や衣類で半分は消えていたのだけれど。そういう事を知っていたので、私は軽トラのデートでも不満はなかったし、婚約指輪も断っていたくらいだった。結婚式の時に結婚指輪を交換しただけだ(しかもその指輪はエルマ謹製だったりする)。
そもそも私はそういう『世間一般的な事』をコーちゃんに求めていない。『エル』から贈られた大金も関係ない。倫敦の4年間での、生活費を引いた講師代や、エーデルフェルトやお祖父様に投資でお預けした分、自分でアメリカ株などに投資した分で、ガッツリ儲けていたからだ。おまけに日本に帰るために投資を一旦引き上げたのだが、そのタイミングが良かった。サブプライムでの暴落を上手く避けられたからだ。
なお倫敦時代に乗っていたコペンにロードスター、バンバンなどはお祖父様の手配で日本へ送り、輸入車として登録しなおした。その後コペンはセイバーとアルトリアに贈り、ロードスターとバンバンは結婚するまで乗っていた。そのロードスターも同棲時代(日本に帰ってから伯父様の家で同棲を開始し、その同棲期間中に離れの家を建てて頂いた)のデートによく使ったので、ジャンボと同じくらい思い出深い。だから売らずに森の城で時間凍結して保管してある。だからお城にはSL300とS2000、それとNAロードスターが仲良く並んでいる。
(お母様のNBロードスターはNC→NDへと代わっていった。バンバンはクロエちゃんに譲った。あの子、ランサーやランスロットさんの監督指導の下で、庭内限定でだけど『TW』に中等部時代から乗っていたそうだ。だから高等部に上がってからは、ちゃんと免許を取っていた)
また余談だが、私もコーちゃんもお金の使いどころは家族の思い出にと考えるタイプなので、子供が増えてもミニバンやワゴンには乗り換えず、ショコラとハスラーの2台体制で回転寿司やファミレスやキャンプに行っていた。伯父様もそんな私達夫婦の行動を見て考えが変わったのか、月に数回の県警道場への指導で使うクラウンエステートを売り払い、エブリイ・ワゴンのMT/4WDに乗り換えていた(DA17W型JOINターボ。2015~2016年頃の話だ。そのご決断は免許を返す時が近い年令になったという判断と、マニュアルだとボケ防止になるし、事故防止にも繋がるからという計算があったかららしい)。
それでこのエブリイ・ワゴンが大活躍だった。私かコーちゃんの運転で伯父様夫妻を花見に誘ったり、キャンプに誘ったり、お買い物に出たりと随分と走った。家にあるクルマは私が2台にコーちゃんと伯父様、計4台の軽自動車だ。だけれどそれで十分だった。エステートがあった頃より、税金も保険代も節約できたのも大きかった。
しかも彼はその後スズキから出たスーパー・キャリイのMT/パートタイム4WD(デフロック付き)に買い替えるまで、10年以上そのジャンボに乗っていた(93年式を2006年頃から2018年まで乗っていたという意味だ。2014年には新型ジャンボが出て、相当迷っていた)。ちなみにこのスーパー・キャリイはアーチャーさんも同じのを手に入れていた。2人とも身体が大きいからなぁ。
そうそう。弟の士郎クンもわかっていた事だけど、消防士になってからズンズンと背が伸びて大きくなっていた。だからなのか、自分のクルマは家族全員で乗れる大きい方が良いだろうと、お父さんと相談して2014年に再発売された70系ランドクルーザーのバンを手に入れていた。私もお父さんも、彼と遭わないように苦慮しているアーチャーさんも、皆んなが皆んな『同じ買うならピックアップにしろよ』と思ったものだ。
というのは消防士の彼は公務員なので休日も長期休暇もしっかりあるのだけど、冬木市消防局が2部制なので交代要員の都合もあり、冠婚葬祭でもない限りお盆休みなどは随分とシーズンと外れた頃になってしまう。それに2日に一回は非番と言っても、確実な連絡が入る自宅に居るか、雑務や訓練のために配属先の署に出向かないといけない。完全な休みとなる週休は2週間に1回しか巡って来ない訳だし、それでもアルコールは控えろと言われる場合もあったりする。そんななので一向に気が休まらない職業なのだった。だから相当割り切れて切り替えの早い人でないと、家族でキャンプや旅行というのも難しいものがあった。
だから彼が70系ランクルを買ったのは、『仕事に慣れた証』であり、交代制などにも順応したという意味でもあったのだ。だから買う意味はあった。実際家族でキャンプに行ったりしているから。ところが彼の予定が空かない限り、それ以外の日はガレージでの肥やしでしかない訳だ。奥さんである桜ちゃんが免許を取ってからこっち、オートマの軽自動車しか乗って来なかったので、既にその大きさやマニュアルのミッションに臆していたというのもある。だからピックアップなら誰かしらが遊びで借りて乗れると考えたのだった。まぁそうは言っても、誰彼構わず士郎クンも貸したくは無いだろう。
だから一見無駄に思えてしまう。でもそこは消防員と学園の先生だ。2人の収入は安定しているし、新築の家もお父さんだけでなく、お母様経由で実家が協力してくれたとして、お祖父様や私からもお祝いとして幾分出していた。つまりローンが一切残っていないのだ。更に子供が幼稚園に入るまではセラやリーゼリットも子供を預かってくれたし、末っ子の美夕ちゃんも面倒をよくみていた。つまりあの2人は日々の仕事は別として、一歩家に踏み込めば悠々自適だった訳だ。要は肥やしを抱えても生活に支障がない立場にあったという事だ。
(なのにしおらしく、『俺達を育ててくれたオヤジは凄い。一体、幾ら稼いでいたんだ?』と話しているのを何度か聞いていた。家を構えて漸くそう考えられるようになったらしい。よしよし、お姉ちゃんは嬉しいぞ。ちなみに士郎クンは学園卒業後、私を『姉さん』と呼んでいた)
自覚した途端にそんな細かい事まで視えて来たから、私はビックリした。
ところで私はコーちゃんの家で現在免許を持っているのは、お義父様とお義母様、そして弘一お義兄さん、弘二お義兄さんだとは知っている。これは穂群原時代に度々お邪魔していた時に聞いていたからだ(要はコーちゃん以外の全員が免許持ちだ。今の幻視から察するに彼も今年中には取るだろう)。
それでコーちゃんのお義父様のクルマもクラウンで、先代S170系のマジェスタだというのも知っていた(あの家は親世代の男性5人が全員クラウンの何かだ。それが『成功』みたいな、男兄弟ならではの何かがあるっぽい)。一方、お義母様がお買い物にお乗りになるクルマが、冬木警察署のミニパトと同じテリオス・キッドなのも知っていたし、弘二お義兄さんが時々それを借りているのも知っていた。だけど伯父様の家には数回訪れただけで、クルマがどうこうや畑がどうこうの事情なんて一切知らなかった。だから本当に驚いたのだった。
それからオークションはカタログ通りの品に挟まれて、ちょこちょことカタログにない珍しい魔眼が出て来るようになった。それも左右の対だけでなく対の2セットや3セット、三眼で1つのセットという『三つ目族の魔眼』という、とんでもなく珍しいものまで出て来ていた。
「三つ目族?」
「オークショニアから説明があると思うけれど、巨人伝説などと同じ、レムリアの末裔ですよ」
そう軽くオルガマリーに返すアオレアール。オルガマリーにしてみればチンプンカンプンだろう。
この場合のレムリアは大陸の名でなく、文明の事だ。レムリア文明……それはムーの人々が築いた文明を指し、それを継承したのがタルタリアの人々だったとされている。それでそのタルタリア文明はほんの100~200年前までは残っていたという説もあるのだ。
もっと言うと、それは西はロシアとウラル山脈を境とし、東はサハリン(樺太)を越えて、北海道や東北、果てはアラスカやカナダにまで及び、南はモンゴルを越え、中国の長江辺りまでを領土にしていた大帝国(タルタリア帝国)があったとされるオルタナティブ・ヒストリーの事だった。
彼らタルタリア人は巨人族や三つ目族、その他の異形な人々と平和に暮らす巨大国家だったとされる。いや、昔の領土はもっと広く、長江以南ベトナムやラオス、タイやミャンマーの北部までが南の領土で、西はバルト三国を越えるところまであり、新大陸は現在のアメリカの北半分まであったという説もあった。そんな大帝国が滅んだのはナポレオンがロシアに遠征した後の事で、ナポレオンが遠征した理由も、当時巨大なチカラを持ちつつあった大英帝国を牽制するために、タルタリアと同盟を組むためだったという。
では何故滅んだのか? それが当時には無かったはずの『核兵器』だったとされている。石やレンガで造られたモスクワにどうして火災が起きたのか? 50万人以上も居たナポレオンの兵はどうしたのか? 生き残った者達が着の身着のままで撤退したにしても、それまでに出たであろう何万何十万もの死者はどうしたのか? その死者が身に付けていた装備の行方はどうなったのか? これらがどこにも残っていないのだ。
また日本の東北にどうしてロシア人のような日本人が多いのか? アイヌという民族はどこから来たのか? イヌイットはどうしてロシア側とアラスカ側に跨るのか? フィンランドのサーミ人はどこから来たのか? ネイティヴ・アメリカンはどこから来た民族なのか? 函館の五稜郭のような星型の城塞が、どうして西欧のあちこちにあるのか?
これら無数にある点とクエスチョン、それらを結びつける線と答えがタルタリアなのだった。そして忘れてはならないのが、ナポレオンのモスクワ侵攻が1812年なら、ワシントンが焼け落ちた英米戦争も1812年だという事だ。
ピョートル・チャイコフスキーは序曲『1812年』で何を訴えたかったのだろうか? トルストイが『戦争と平和』で描けなかったのは何だったのか? チェーホフが『三人姉妹』の中で描いた軍人はどこから来たのか? どうして街で頻繁に火事が起きたのか? そして1812年以後の一時、軍人のバッジの意匠は火炎を噴出する手榴弾だった。これの意味するところは何だったのか? それもこれも核兵器の使用を隠蔽するためだったのではないか?
そしてそれもこれも、これらに暗躍していたのが『赤い盾』の一族であり、英国に巣食った『アイツラ』だったのは知る人ぞ知るところだ。
とにかくナポレオンが撤退後、タルタリアの人々には信じられない災厄が襲い、巨人の骨は決まってアメリカで発見され、ロシアの樹木の樹齢は総て200年未満であり、歴史ある昔からの大都市周辺には丸いクレーター跡のような湖が無数に残った。ワシントンDCもサンクトペテルブルグもウラジオストクも、タルタリアの領土にあった都市だ。そんな領土内の都市という都市が1812年以降何度も大火災といった災害に見舞われ、マッドフラッドという土砂の洪水に洗い流された。そんな都市に残った建物の地上階をよく観察すると、決まって半分埋まった地下室の窓のようなものがある。そういう石やレンガでできた建物は、決まって前文化の遺跡を再利用した建物なのだそうだ。
そして調べてみると、そういう建物の設計者は、何故か判で押したように同じ名ばかりが残っている。まるで何かを隠蔽するかのように。だからこそ1812年の2つの歴史的軍事行動が、それこそ西と東からタルタリアに攻め込んだ地球規模の世界大戦だったのではないかと考えられるのだ。ちなみにナポレオンの死因も、ロシア皇帝アレクサンドルⅠ世の命令でモスクワを明け渡したクトゥーゾフの死因もガンだったとされている(その頃の原子爆弾は後のヒロシマ形やナガサキ型とは違うと思うが、つまりは被爆したと考えられる)。
また地球温暖化の真の原因は、『核の冬』が漸く終わりつつあるからだとの説もある(そもそも現在の地球は間氷河期から氷河期に向かいつつある)。
こちらのルヴィアは感化されただけだと思うが、『エル』の世界のルヴィアは違う。彼女や彼女のお父様が探している礼装────。ナチスの残した礼装もあるかも知れないが、そこにロマノフ朝の礼装は無いのではないか? 本当に探し求めているのはタルタリアの礼装ではなかったのか?
私はそんな風に考えるに至っていた。だからこそ、今回のこの三つ目族の魔眼に驚いたのである。それはこの出品で、レール・ツェッペリンが表の歴史に出て来ない三つ目族の存在、ひいてはタルタリアの歴史を認めている事になるからだった。
レアンドラの口上がどこか遠くに感じられる。それくらい私の心はざわついていた。『現在・過去・未来』を見通すというその魔眼の能力は、一つ一つだと大した事はないらしい。けれど三つ同時に扱えば宝石級の能力が得られるという。ただし取り扱うにはそれなりの能力と工夫が必要だという。
「私らが二つ目族ですからね。自らが眼球を移植するよりも、同型のシンクロ率が高いホムンクルスなり使い魔なりを3体用意して、それらの神経や脳を同調させて、そこへ自分の意識を同期させる方法が無難でしょう」
ポソっとアオレアールがそう言った。ああ、そういう使い方をか……。確かに。なら、『エル』みたいな多眼蟲に背負わせる方が良いのではないか? そうすると3体も使い魔は必要ない。ただし懸念事項はある。そこにグレイやスヴィン君が疑問を呈し、エルメロイⅡ世先生が補足の解説を加えていた。
それはこうだ。オルタナティヴな歴史は脇に置き、三眼なんてどうやって使うのか? ヒト側にそんな神経も、視神経からの刺激を演算できる脳もないのに? といったような事をだ。その答えの一つをアオレアールは先に呟き、それを聞いた私が多眼蟲を思い浮かべたのだ。それでエルメロイⅡ世先生は、やはりアオレアールと同じ方法をグレイ達に話していた。
「それで師匠、どうして三つも眼が必要だったのですか?」
「オークショニアが説明していたろう? 未来を導き出すのは現在での事象であり、その現在は過去の積み重ねから得られた結果な訳だ。実にシンプル。だがシンプルな組み立て方から来る魔眼だからこそ、並行世界などに翻弄されるリスクが少ないのだろう。つまり未来視の的中率が高いのだと予測される。グレイには現段階でオルタナティヴ・ヒストリーを学ぶのはまだまだ早いが……スヴィン、これは高値がつくぞ」
「はい、先生。ですけど、あの魔眼は何年保管していたんでしょうね?」
「そこだな」
私は、多分300年くらいだと思う。また私はこのオルタナティヴ・ヒストリーが消え去った理由を隠蔽だけでなく、そもそもそれが起きた時、世界はここのような平行世界と重なっていた、つまり同時存在して繋がっていたのではないかとも考えていた。有り体に言えばそこがドラゴン族などが渡ったとされる世界の裏側だ。だからレプティリアン(爬虫人類)とドラコニア(龍神ともされる)を分けて考えるのではないか? そして北半球を襲った核攻撃に拠って、その世界が離れていった。そして神々は『沈黙』した。もしかしたら『守護霊』など私達を見守ってくれていたすべての存在が。
私はそんな仮説を立てていた。こういうのはエルメロイⅡ世先生とじっくり話し合いたいところだけど、今は正直難しい。話すならオークションが終わって部屋に戻った後だろうね。
レアンドルが補足的に言う。
「この魔眼は、かの『ルッキンググラス』よりも正確性が上です」
何と、それを言っちゃうのか?! 『ルッキンググラス』とは『アイツラ』、即ちアヌンナキやレプティリアンと呼ばれる異世界から来た、私達人類を人工的に造った者達が使っていた『未来を視る時空遠視装置』の事だ。ただ、この装置は使用者のポテンシャルに拠って『視える』範囲が変化する。誰しもが全パターンの未来を視れる訳ではない。
今の言葉でオークションへの熱が一気に高まった。つまり幾ら秘密にしていても、そういう装置の事を知っている者は知っているという事なのだろう。結局、落札価格は400億ポンド(日本円で約6兆)という超高値が付いた。当然競り落としたのは、正体が誰のものとも知れない使い魔だった。ハンマーが打ち下ろされた時、会場の緊張が一気に緩み、それが会場にいる全員の溜め息の合唱へと変化した。だけれど正確に未来がわかるのなら、人によってはこんな高額でも安いかも知れない。例えば国家を率いる立場にある人などなどだ……。
そこに気付いていたのかセイバーが実に複雑な顔をしていた。散々悩んだ彼女だから無理もない。友人として私の胸もキュッと痛くなった。ただ、そのようなセイバーの気持ちを慮(おもんぱか)るのとは別に、一魔術師としてこのような魔眼の最高峰は、個人を対象にどうこうとかでなく、人類全体の行く末を視る未来視にこそあるのだと得心できた。これは前々から考えていた事だった。
対象に害をなす即応性の高い魔眼は避けられる。咄嗟に相手を空間転移で地上数千メートル上空や、地中或いは海中数千メートルに沈めるか埋めてしまえば。だからアオレアールと同じく私も大抵の魔眼は恐れていないし、直死の魔眼はそれが内包する神秘こそ凄いと思っても、使用者が人間である限り穴だらけだと考えていた。
だから『未来視』をラストに持って来たこのオークションは、納得できる内容だった。何より王様を英雄王足らしめたのは、この未来視があったからこそだし、悪魔を使役できたソロモンも、この能力があったればこそだ。『エル』が特殊なのも魔眼としてでなく、この異能を別のカタチで持っているからだ。
それも並行世界の事象と、現在の世界を視て演算し、独自に『ルッキンググラス』のような事をしている。だからこそ、今回のこの魔眼は事前にリークがあって、どこかの国に仕える魔術師が、その国家を率いる人物の代理で使い魔を列車に預けていた可能性があったのだとも読んで取れた。問題は予め落札価格を予想してあって、それに応じた金額を使い魔がコールできるようにプログラムしてあったのか、それとも元の世界と何らかの通信手段があるのか、或いは私の目の触れぬところで列車に同乗していたのかどうかだった。
(お祖父様の使い魔も居たものなぁ……あれはお祖父様の意識を一時的にコピーしたものだろうけど……)
本当、レベルの高い魔術師は何をしてくるかわかったものではない。
(最後の手段でこちらの様子を伺っているなら……。アオレアールと話していたように、オルガマリーを襲うとすればオークションの最中か、終わって一息つく寸前だろうなぁ)
この後、一度醒めた熱気が再度熱くなるまでに十数点の魔眼にハンマーが下ろされた。カタログ最後の魔眼も、見る人が見れば宝石クラスに匹敵する品だったので、かなりの値が付いていた。それでオークションが終わったと思えば、レアンドラの合図で係の者がハンマーを再び鳴らした。
「カタログは以上で終わりですが、今回の旅を記念して幾つかのレプリカを放出致します。レプリカですから格安です。どうぞご飲食、ご歓談しながらお気軽にご参加下さい」
「は、はい~~!?」
そんな口上に反応して、立ち上がって叫んだのがイヴェット・L・レーマンだった。それこそまさにお家芸を奪われたにも等しい。だけど魔眼蒐集列車に文句を言っても仕方ない。今までそんな放出が無かったとしても、この列車ができない訳ではないのだ。誰もが誰かと似たような事を思いつき、それを成そうと様々なアプローチを取る。特許なり効力のある契約でもない限り、魔術の世界なら起こりうる事だった。そういう当たり前の事を失念してはいけない。
「レプリカですから一点物ではありません。二対・三対は当たり前とお考え下さい」
そうして待機していたボーイ達が、二つ折りの、何かファミレスのメニューにも見えるレプリカ魔眼のカタログを配り始めた。こちらにまでカタログが回って来たので広げて見てみたら、珍しく希望(推定?)落札価格が記入されていた。そしてそれらは総て名前の部分が伏せられ、代わりに『ノウブル』『黄金』『宝石』などが、まるで『牛100%ハンバーグ400g』みたいに囲み付きで書かれてあった。セットで落札するとお得な魔眼も下に書かれてあったので、本当にファミレスのメニューみたいだ。だけれどよくよく考えてみれば、英国にファミレスなんてほとんどなかったのだった。これなら割安感が出るし、物珍しいだろう。巧い方法だなと感心した。
「ウソッ!? 『黄金』や『宝石』クラスもあるっていうの!」
またまたイヴェットだった。確か彼女の家での人造魔眼は現在『ノウブル』が限界なのだっけ? きっと家(一族)の最先端を行く者なら、『黄金』や『宝石』にも届く製造者が居るのかも知れないけれど、もしそうでなかったとしたらこれはキツいなぁ。
「では最初のレプリカです。本物ならば『黄金』のランクです。こちらは5万ポンドからスタートです。その名も……」
そうして新たなオークションが余興的に始まった。
ところで、人造魔眼には必ずリミッターを設けるものだ。それは製作・製造者が必ず思い付かねばならぬ事でもある。何故ならこの『リミッター(制限)』は避けて通れないもので、術者(買い手)の身を守る大切な機能であり、製作者の身の安全を保証するものでもあったからだ。
もしそれを取り払えば、最悪術者に、死を含めたとんでもないフィードバックが起きてしまうし、製作者にもトバッチリが来ないとは限らない。だから商売として人造魔眼を売るなら、そういうリミッターは保障の意味でも必須だった。もっと言えばそういうリスクが考慮されずに売買できるのが『天然』であり、『養殖(人造魔眼)』であるからこそ保証が必要でもあると言える訳だ。これは礼装でもそうだ。
『天然』であればそれを使った事で術者が死のうが寝たきりになろうが、ある意味関係ない。そのリスクを理解して手を出すべき代物であるし、それが理解できない魔術師は馬鹿にされるのがオチだ。だけれど製作者が明確で、なおかつ作者が現存し、商売として売買しているのなら話は別になる。だから双方の(安全)保障のためにリミッターが必要なのだ。ひいてはそれが(品質)保証になるのは言うまでもない。そしてそれは私の記憶する『エル』が絶対に怠らない掟のようなものでもあった。
ところでこの場合の『制限』に、あなたは何が思い付くだろうか? 性能のランクが下がる事だろうか? それともできる事が複数あるなら、その内の幾つかが使えなくなる事だろうか? はたまた、魔眼が使える回数だろうか? 答えはどれも正しく、どれも間違っていると言える。というのはこの場合に重要なのは、買い手が術者とは限らないが……もし術者であるならその人に合ったアレンジを人造魔眼製作者は対応してくれるかどうかにあるからだ。こんな部分が信用になって行く。つまりは『天然物であるにも関わらず、ある程度対応する』から、この列車は名高い訳だ。
『多少の制限はありますが』という前置きでその『制限』が明らかにされた。そこはキチンとしているんだなぁ。まぁ、信用第一だからね。
けれどそういう制限があっても使えると思う人は居るようで、レプリカとわかっているのに、その魔眼はまぁまぁな金額で競り落とされていた。なお、その入札にイヴェットも参加していた。終わった後に『今の魔眼の機能は『淨眼』の域にも掛かっていましたよ。よくあれを解析して再現できたものです』と感心しながら教えてくれた。例の軽い口調で。
その後も養殖物(レプリカ)のオークションは続いた。イヴェットも一つばかり落札していた。これはお家の研究のためだろう。
「さていよいよ今夜最後のオークションです。品は『直死の魔眼』レプリカです。これだけの魔眼のレプリカですので、かなりキツい制限があります。使えるのは一回のみ……」
会場のざわめきで後半の説明が聞き取れなかった。オルガマリーやイヴェットだけではない。何十人かの人が立ち上がって容器に浮かぶ人造魔眼を見詰めていた。『直死の魔眼』のレプリカって……こんなの『エル』でも造れないぞ? 出どころはどこだ?
「一回こっきりか……なるほど。そういう制限を設ける事で造れたと考えるべきだな」
何を当たり前の事を。問題はどうやって解析し、どうやって造ったのかでしょうに。そんな気持ちでエルメロイⅡ世先生を見やれば、イヴェットも私と同じようにヤレヤレと先生を見ていた。
「そこではないでしょう? 僅か一回のチャンスで、術者は確実に死の線なり死の点を突かなければならないところでしょう? こうして回数制限を設ければ、本当に使えない魔眼だというのが良くわかりますね」
アオレアールだった。そして彼女の言葉に頷く私と、少し学んだオルガマリーだ。考えてみて欲しい。例えばだ。消したい政敵が居るとして、その決断をした時に、それなりの立場もあるだろう自らが一々動くのか? そんな場面をデジカメやビデオで撮られネットなんかに流されたらどうするのだ? 後々のリスクを考えればそれはない。それならアサシンの英霊を召喚したり、ロード・ユリフィスのように死霊を使役する方が楽で証拠も残らない。
結局、『直死の魔眼』は退魔の体術在りきであり、それに付随する『淨眼』が変化したものでしかないのだ。余りにも特化し過ぎている。だから、この魔眼の存在を時計塔にリークしたのは蒼崎橙子さんであり、それでそこそこ儲けたのだなとわかってしまう訳だ。ついでに言えば、その情報は『あぶれ魔術師』を釣るための餌かも知れない。それでそういう時計塔への貢献があったから、あの人は封印指定を解除されたのではないか? 私はそんな風に考えている。
オーククションがお開きとなり、人々はレクリエーション車に行ったり、食堂車に向かったり、この会場のボックスにボーイを呼んでアルコールを注文したりしていた。腹拵えにせよ、酔いを求めるにせよ、気の合う人と語り合うにせよ、どの人もオーククションの熱気を冷ますための行動のようだった。
そんな、ほぼ全員の気が抜けた一瞬の隙きを突くかのようにして『それ』は起きた。まぁ、起きたと言っても大した事はない。窓の外にワラワラと黒化英霊のような出来損ないがブワッと湧いていたのだけれど、列車はそんなのを待たずに一瞬で通り過ぎたからだ。召喚中らしかったので実体は編めていなかった。なので誰も追って来なかった。こんなに惨めで哀れな召喚があるだろうか? 酷いものだ。さすがのセイバーも眉の間に親指と人差し指を当て、揉むようにして悩んでいた。
窓の外はロシアらしきところを抜けてカナダっぽいところに差し掛かった。一体どのくらいの速度で走っているのか。そこで『ああ、一周して倫敦か』と漸くわかったのだった。
このお話に出しているエルマのエブリイ・クラシックは97年製でとても珍しいものです。
エンジンはSOHC3気筒のF6A型657cc。シングルカムなのに4バルブです。最高出力は42ps(31kW)/5500rpm、最大トルク5.8kg・m(56.9N・m)/4500rpmと、パワーとトルクは低いですが、それはこのエンジンがキャブレター式だからでした。
けれど660ccの3気筒なんてバイクと同じですから、ちょちょいとイジると46~50psくらいは軽く出ます。現に当時のアルトは同じエンジンにインジェクションで54ps、ワゴンRは55ps出ていました。
ですので吸気を良くしてマフラーを換えれば……まぁ、車検時に排ガスを測られたら終わりですけど。
ですが、レスポンスの良い、よくできたエンジンだったと思います。