エルヴァが学園を卒業し、倫敦へ渡ってから早2ヶ月が過ぎおった。その間、こちらは毎日がいつも通りであり、何かと楽しくもあり騒がしくもあった。エーデルフェルトだけなら、こちらの家屋は高校生ばかりじゃからそうでもないんじゃ。しかしここにアインツベルンが絡むとのぅ。小学生の子供達は孫か曾孫のように可愛いのじゃが、ステッキになってまともな精神を取り戻したとは言え、年寄りには少々堪える場合もあるのじゃ。エルマの相棒でもあるルビーが居らなんだら一体どうなったであろうな?
ああ、先に説明しておこうかの。『魔法のステッキ』とは名にし負う『宝石翁』が造ったとされる、人工精霊の宿った第二魔法の一部が使える杖型の礼装なんじゃな。そして元々はアインツベルンの本家(ユーブスタクハイトが『アハト』と名乗った時に気付くべきじゃった)が開発した女性型ホムンクルス用の礼装じゃったそれを、『宝石翁』は使用者を『年若い魔術回路のある女性』に拡大し適正年齢を若干下げた。翁は何を考えておったのかのぅ? 想像し得るに汎用性を求めつつ、趣味にも走ったというところかの?
さて。時に翁が遠坂を弟子と認めたのは永人の力量があったからではない。確かに何もないあのような江戸時代に、食事や金銭面で過分な援助が永人からあった事には感謝しておったと思う。じゃが、弟子に取ろうとまではせんじゃろう。その答えは偏に二代目遠坂……即ち永人の一人娘の才能に翁が惚れたがためじゃった。
実は『初代遠坂』たる永人は、聖杯戦争の枠組みを決める話し合いに参加しておった程度で、第一次のマスターではない。マスターはその永人の娘だったのじゃ。名は『おりん』じゃったか『おすず』じゃったか……よぅ憶えとらん。まぁ、これは儂がボケたのもあるのじゃが、ルビーにしてやられた可能性もある。つまりは(今のルビーには申し訳ない言い方じゃが)、永人の娘はこの杖型礼装を完璧に使いこなしておったのよ。じゃから、令呪もなくままならぬ第一次に生き残れたのじゃよ。また振り返ればその杖を娘に授けた事こそが、翁の永人に対する礼だったのじゃな。
そして第二次……。儂とサーヴァントを見事にぶっ倒してくれた小癪なババアが、永人の娘だったと気付いたのは随分後じゃった。そして今じゃ。遠坂六代目たる『凛』は世界に拠って様々じゃが、名も思い出せぬほど記憶は薄いのに二代目遠坂によう似とるように思う。ルビーを封印しておった箱が開いたのもそのせいではないか? 儂はそんな気がしてならん。
さて……。ここの世界にはそんな世にも不思議な『魔法のステッキ』が複数本、それも重複して存在しとる。種類としては主に『ルビー』に『サファイア』というコランダムの名を与えれた、中に入っとる人工精霊が姉妹という2本に、『エメラルド』と『ダイアモンド』の2本じゃ。以上、四大宝石の名を与えられた4本で全種類なんじゃが、まずこの全揃いフルセットがこの世界には2組ある。
1セットはスイスのエルヴァのもので、もう1セットは並行世界から『現象となった姉』に送られ、アメリカのエルヴァと暮らしとるパミのものじゃ。パミはわかる。あちらのアインツベルンの遺産として受け継いだんじゃなと。ではスイスのエルヴァのは? あの家のルビーとサファイアは、アハト経由で遠坂とエーデルフェルトに渡ったのではなかったか?
ところが答えは意外と単純じゃった。あそこのルビーとサファイアは新たに作られたものだったんじゃ。そしてこの世界には宝石翁が長らく滞在しとるし、おまけに魔術協会の理事をしとるアインツベルン本家とも旧知の仲であったりする。さもありなんだったんじゃな。
して、アハト経由のルビーとサファイアなんじゃが、そちらはカード騒動の時からアインツベルンのチビと、その友人の衛宮美遊に貸与されておる。その後、エルマが並行世界で新たなルビーを確保し、その姉妹のサファイアはルヴィアが買い取りおった。また六代目遠坂である凛も異なる並行世界でルビーを格安で買い取った。つまりセット分も含めるとルビーが5本にサファイアが4本ある事になる。これが重複しておる理由じゃ。
それでエルマは間桐臓硯であった儂の願いを叶えるべく、醜い蟲だった儂をルビーを参考に魔杖に変えてしまったのじゃ。それから儂は愉しい第二の人生を歩んどるんじゃよ────。
エルヴァが倫敦に渡って居なくなった事で、精神的支柱を見失ったのかクロエは4月頃少々荒れ気味じゃった。三つ子の姉妹であるチビやよく顔を合わすルヴィアに凛に当たるという事はなかったが、向かいの衛宮の家では兄である士郎や父である切嗣に些細な事でよく切れておったそうじゃ。
賢しい子じゃから、部活動で忙しいエルマやトロンメルに心配を掛けまいと自分を抑えとったんじゃな。何よりエルマやトロンメルからエルヴァに伝わる可能性もある。じゃから隠すようなところもあった。そういう部分と、小学部で最高学年になったからという自制心……それらが合わさって余計に『すとれす』が溜まっておったのじゃろうとは、エルヴァに託された姉でもある英霊のイリヤスフィールの言葉じゃ。
発散する相手が家族の中の男性陣だけというのも自制しておった結果で、甘えているだけじゃとイリヤスフィールは言っとった。そしてそれが良くない事じゃと自分でもわかっておるから余計に苛立っておったらしい。
そんなクロエが『ごうるでんうぃ~く』を終えれば、急に立ち直った。それはエルヴァからエルマの『ぱそこん』に送られてきた『め~る』に依ってじゃった。それは当然エルマに向けたものであったのじゃが(トロンメルやマルガリータ、凛やルヴィアへは個別に送っとるようじゃ)、その中にチビやクロエに向けたものもあったのじゃ。
それをエルマが『ぷりんとあうと』して向かいの衛宮邸に持って行けば、翌日からクロエの雰囲気が変わっておった。現金なものよのぅ。ま、それがあの年代の難しさであり、良いところでもある。呆れる士郎を他所に切嗣もアイリスフィールも笑っておったからな。
そんな訳じゃから、エルマとトロンメルは安心して修学旅行に行けたんじゃ(毎年2年生の春に行くそうじゃ)。ところが止めておけと言うに、ルビーがカバンに隠れて勝手に着いて行きおってのぅ。行きの新幹線の中で大騒ぎになったらしいぞい。どうもなぁ、JRの在来線でカバンがもみくちゃになったそうでな。その後、新幹線に乗り換えたエルマが菓子を取り出したところへ『プハ~』と出てきおったそうじゃ。それでトロンメルと2人して(アルトリアを含め、今年の3人は同じ学級じゃった)、丸ごと一両全員に暗示を掛けたという。
するとこれが思いの外、効果が高い事に気付いたらしくての。それで旅行期間中、級友や班の仲間にずっと暗示を掛けておったそうな。まぁ、妙な動きをせなんだら、お喋り機能付きの『ふぁんしぃ』な『ぶろうち』か髪飾りにしか見えんからの。
また、ルビーの方もチビのルビーと違い、その辺の線引と匙加減は『弁(わきま)えとる』。なので親しく話せる友人もできて、存外と楽しい旅行じゃったそうな。
そんな土産話を携えて、無事高等部2年組は帰って来おったのじゃが、残っておったこちらはこちらで少しだけ面白い事になっておった。それがエルヴァが残していきおった自転車の行く末についてじゃった。あやつ、気配りのよくできる細かな性格なのに、自転車の事だけは誰にも言伝をしておらなんだのじゃ。
幾ら何でも倫敦に行っとる間の期間放っておく事もできんので、高等部組にどうかとアイリスフィールが声を掛けたのじゃが、凛もルヴィアも士郎もその申し出を断ったんじゃな。それは先の2人がエルヴァの自転車が競輪の自転車のように『固定』だと知っておったからであり、おそらく遠慮もあったからと思うんじゃ。
では修学旅行から戻った2年生にとなると、エルヴァに妖しい感情を抱いとる流石のエルマも『固定』に臆しておった。学園に向かう『往路』だけでも、急坂があるので変速のない自転車じゃと登りが厳しい。それが『復路』となると、その急坂を下って来ねばならんのじゃ。一応『ぶれ~き』はあるし、エルヴァはそこのゴムをプロ用に交換しとるそうでかなり効きが良いそうじゃ。じゃが、勝手に回る『くらんく』はどうするのじゃとなる。なので、この辺りの細かな事情を知っとるトロンメルも断った。
そこで手を挙げたのがクロエよ。限界はあるが鞍を下げ、尻をずらせば一応6年生のクロエでも爪先だけじゃが足が地面に届いた。また兄の士郎かアーチャーに頼めば、後輪をひっくり返して固定を解除できる事も知っておったのじゃ。『くらんく』を逆回転できるようにすれば、幾分安全じゃ。しかもクロエは自転車通学できぬ小学部生じゃ。つまり平坦な街での遊具となる。
ただ、今の体型では止まる時に横に飛び降りねばならん訳じゃし、例え通学に使わずとも歯車が重いらしく女子(オナゴ)には厳しいものがあった。じゃから士郎が心配して、もう少し背が伸びてから乗った方が良いと忠告しておったのぅ。が、アーチャーが手を加えてもう少し軽くしてやったそうじゃ。確か47を43にし、17を18くらいにしたとかどうとか話しておったかのぅ。何の話か儂にはわからんが。
そうやって当面の問題は片付いたのじゃが、高等部が旅行から戻って数日経つと今度は小学部の修学旅行となったんじゃ。
行き先は高等部が東京、中等部が信州・飛騨で小学部は京都・奈良らしい。今どきならもっと違ったところに行けば良いのにという意見はきっとあるじゃろう。しかしなぁ、これがそう簡単にはいかんのよ。儂がPTA会長をしておった学園は高校だけじゃったが、何度か場所を変える案が教師や生徒から上がっておった。が、結局は変わらんかったな。
これは宿や旅行代理店との長年の付き合いもあるが(癒着ではないぞ? 生徒の総数と業者の儲けを考えれば賄賂を捻出できる程でもないじゃろ)、それらは些末な事でのぅ。地方とは言え穂群原は私立なので、授業料が公立より高い訳じゃ。詰まるところ、保護者の負担を軽減するという意味合いが強かったのじゃ。儂はこう見えても柔軟でのぅ。若者の気持ちもわかれば、親御さんの気持ちもわかるし、先生方や理事会の考えもわかる。誰しもが行かせたいのは山々じゃが、全家庭が高額になる旅行費用を捻出できるのかとなる。そうなると高校生で北海道や沖縄に行きたいのなら、学園卒業後に自分達で金を貯めて行けとなるし、義務教育期間中の中学生や小学生なら、自分の金で行かんのじゃからそれで我慢しろとなる。
要は経済格差じゃよ。毎年家族で海外旅行に行ける家もあれば、授業料の支払いが厳しい家もあろう。そういう格差から差別が起きてはいかんと言うのは、内容としては正しいんじゃが、これもまた間違った考えから来た言い方での。学校教育の現場では対外的な建前も確かに必要なんじゃが、それよりもっと重要なものがある。それが機会の均等分配なんじゃ。平等かどうかではなく、公平かどうかなんじゃよ。学校運営で重要なのは実に『ここ』でのぅ。教師が生徒の一人ひとりに格差なく教育を施せる場と機会を与えられる事、そのような環境を整え維持する事。これらが学校に求められるものなんじゃよ。こういうのは県の教育委員会に聞いても、そうとしか答えんじゃろう。
じゃからじゃよ。授業料に四苦八苦する保護者であっても、子を修学旅行に参加させる事ができる旅費に抑えるのは。『公』は『個』の上にあり、『平等』は『個』の下にあるものなんじゃ。ここがわからんと教育者にはなれん。
それはともかくじゃ。子の成長に伴って親も成長するとは本当の事での。子が高校生ならまだしも、小学生となると親もまだ未熟な者がそこそこ居っての。そういう学校関係者の気苦労を知らんで、物を見る目も金の使い途も知らん小学生児童にガボッと小遣いを持たせようとする者が居るんじゃよ。
まぁ、どこの学校の先生もこれで困っとる訳じゃが。これが高校生であるなら、自分でいくら位必要かを考えるであろうし、親の懐具合も勘案しよう。昨年の士郎も先輩などに聞いて部活へのお土産と予備費を込みで5万持って行ったが、1万以上お釣りがあったそうじゃ。なので弓道部副部長のエルマも使ったのは同じ4万、トロンメルで3万じゃった。2人とも1万以上余った訳じゃから、エルマもトロンメルも士郎と同じく金の使い方が上手いんじゃな。
しかも士郎やエルマ達に『持って行きなさい』と小遣いを用立てたのは切嗣じゃ(ここのアヤツは死んだ目をしとらん)。つまり、セラもアイリスフィールも高校生に『小遣いが必要』とは考えんかったんじゃ。もっと言えば『修学旅行にはそういうものが必要なのだ』とそこで初めて知ったんじゃよ。じゃから才覚のあるエルマ達はともかく、切嗣が気付かんかったら昨年の士郎は貯金を崩して自腹じゃったろう。
それを後で知って反省したんじゃろうなぁ。アイリスフィールは、何とチビどもに一人3万ずつ渡しておったのじゃ。一人5万でなく3万なところにアイリスフィールなりの考えが透けて見えるが、それより先に母親なら旅行前に配られるであろう保護者案内を読むなり、クロエなりチビなりが持っとる『旅の栞(しおり)』くらい目を通さんか。そこにきちんと『お小遣いは5千円』と書いてあろうし(ここいらの公立の3千円と違って少し多い)、バス車内でのおやつも『500円まで』と書いてあるのじゃ。なのにあの母親は……。まったく……。エルマとトロンメルが手を組んで、子供達の持ち物を事前チェックしたから発覚したんじゃよ。
それはともあれ、儂とルビーはチビのルビーが勝手に着いて行かんように、アヤツを見張るべく預かっておった。当初は『自分は着いて行ったのに、どうして私だけが? 私にはマスターの安否を気にする資格がないとでも?』と、こちらのルビーをチクチクと責めておったのじゃが、幾らエルマが手を加えようとも、基本どちらも『ルビー』である事は変わりゃせん。たちまち意気投合して、そこらをふわふわふらふらと遊び呆けておった。ま、そこが我が相棒とエルマが建てた作戦の肝だったんじゃが。
要は同じ『ルビー』でも感応度が違うんじゃ。基本性能はそう変わらんが、マスターへの感応度が高いがためにエルマのルビーはよりマスターの精神年齢に即した行動が取れるようになっとる。つまりマスターが子供なら、一緒に遊べ、成長を促すべく時には姉や母親のように振る舞うとかじゃな。これは魔杖に付いとる元々の機能なんじゃ。
ところがチビはまだ小学生じゃし、エルマは高校生じゃ。しかも魔術知識は『エル』譲りで、目を瞠るものがある。この差は大きい。またチビはホムンクルスとの間の子(あいのこ)じゃが、エルマは人の心を持っておっても純然たるホムンクルスじゃ。つまり魔術師として上か下かの前に、ハナから魔杖への適性力が上なんじゃよ。なにせ魔杖は元来アインツベルン製ホムンクルスのための礼装だったのじゃから。
じゃから、凛もルヴィアも新たな魔杖を欲したんじゃ。何故なら時計塔は遠坂とエーデルフェルトから一旦預かったルビーとサファイアに、純然たるヒトでも扱えるように手を加えておったと読めるからじゃ。その際に別の命令も入れられておらんか? それを指摘したのは儂と出逢う前のエルヴァじゃったという。その後の調べで『時計塔に逆らうな』という軽い命令のみである事が判明し、そこまでの危険もないとわかったので、成り行きのままチビと美遊に貸し与えとる訳じゃ。
このように魔杖を扱う上で調べておかねばならん事、知っておかねばならん事は多い。これは魔杖と限らずどんな礼装にも言える事じゃ。
そしてクロエやチビ達が修学旅行から帰り、5月も中旬に差し掛かり高等部生が来たるべき中間考査前の勉学でひぃひぃ言っとる頃、英霊のイリヤスフィールが儂とルビーに相談があると言って来おった。元々凛もルヴィアも勉強はできる方じゃし、自主的な人間でもあった。なのにエルヴァがおらんようになって、どこか抜けておる……困ったものじゃ。
『儂らに相談じゃと? 何じゃな?』
「うん。エルヴァからメールがあってね。実はあの子ったらゴールデンウィーク中に魔眼蒐集列車に乗っていたんだって」
ほほぅ。魔眼蒐集列車か。中々聞けん名じゃ。
『魔眼蒐集列車?』
『うむ。魔眼のな、売買やオークションを開いとる専門の列車じゃ。知っての通り魔術の世界に於いての魔眼は特別な位置に属する。それは眼というからには眼球なので、身体の一部で間違いない。が、同時に肉体に左右されぬ単独の回路でもあり、刻印でもある。よって高額で取り引きされる場合が昔からままあったのよ。ところがお察しの通りでな。内臓とも形容される刻印と、魔眼はまた違うものじゃ。なので本物の刻印ではない。拠って、どう移植するのかという問題に突き当たる訳じゃ。余程そういう魔術に長けた家でないと難しかったんじゃよ』
儂はルビーにそう説明した。
『という事は、そこを解決したのがその列車の人達な訳ですね?』
『そういう事じゃ。じゃから商売として成り立ったんじゃな。早々できる事ではないぞい』
ここで相槌を打っておったイリヤスフィールが声を出した。
「まぁ、そこはいいのよ」
ん?
『それは済まんかった。本題は別か?』
「そう。エルヴァからのメールで、香港にいるアオレアールという人を調べて欲しいって。それにはゾウケンが適任だから、ルビーと一緒に連れて行って欲しいんだって」
ほぅ?
『エルマはなんと言っとる。聞くまでもないのやも知れんが』
「それこそお察しの通りよ。好きに連れて行って下さいだってさ」
エルマならそうなるの。
『期間は?』
「エルマ達の試験期間中」
ま、それが一番無難じゃな。となると明後日からの二泊三日か三泊四日となる。
『アサシンは借りれんのか?』
「借りれるよ。あっちだとそのアオレアールが持つアサシンの眼が光っているからね。だから開き直ってアサシンを連れて行くのか、それとも私達だけでエーテル出力なんかで誤魔化し通すのかね」
『なるほど。敵ではないんじゃろ? 何の調査じゃ』
「そこはこれで」
そう言ってイリヤスフィールが取り出したのは、エルマが使っとるペンギン柄の『USBめもり』じゃった。このところのエルマはこういうペンギンの『ぐっず』に目がない。この春より筆記用具もこのような柄で揃えておった。一方、トロンメルは相変わらず古代の生物が好きなようで、珍しいカブトエビのキャップが付いた『USBめもり』を使っとるのを見た。自作かのぅ? まず売っとらんじゃろ、そんなもの。
まぁ、そんな柄の事は個人の好みじゃからどうでもええ話しじゃ。それよりも現代では、小学生のチビやクロエまで『USBめもり』を持っとる事に儂は驚いたものよ。最早『こんぴゅうたぁ』を使う授業は、小学部でも行われておるんじゃ。
『この怖さが理解できますか? この早い拡がり方の怖さを?』
『デジタルカメラが恐ろしい』。エルヴァは儂にそう言い残して倫敦に旅立った。そんな『でじたるかめら機能』が携帯電話に付いたのは世紀末の1998年頃であったそうじゃ。それがあれよあれよと時が過ぎ、2005年の今現在、気付けば店頭に並んどる携帯電話は全機種カメラの機能が付いとるのじゃ。現代はそういう便利な道具が溢れとる。そして誰もが『いんたぁねっと』に繋がり、情報を得て、人と知り合い、更なる情報が拡散していく時代になったんじゃ。
人の心を取り戻せた今の儂にエルヴァの言葉は重い。本や新聞が廃れ、やがて『てれび』も廃れるじゃろう。それは言ってみれば魔術の起きて欲しくない未来でもある。聖杯戦争に執着した過去の儂は魔術を潰えさせる、拡散され得る機会を一般人に与えておった愚か者よ。
『例えば技術畑の奥の奥にある秘伝のような技術は、学術論文と違ってネットに出ません。それは書くのも難しく理解し難いものだからです。ですがどんなにマイナーな技術であっても動画になると人は理解し始める。おそらくそのような改革は2010年頃に起きます。それまでにどう手を打つかです』
エルヴァが時計塔に向かったのは、時計塔で暗躍する者達の対処も当然あったが、大きな理由は急速に進む『でじたる』の波に、我ら魔術師がどう向き合うかを探る事にもあったからなんじゃ。冬木のアインツベルン家を守りたいのも本心なら、魔術そのものを守りたいのも本心じゃろう。妄執に駆られ『邪』であった儂にエルヴァは眩しい。じゃからこそアヤツの助けとなるなら、何としても手伝いたい気持ちが強かった。
儂はイリヤスフィールから受け取った『USBめもり』を、儂の『きゅ~と』で『えくすとり~む』な身体に繋いだ。この『で~た』が流れ込む時の『きゅんきゅん』来る感覚は何なのかのぅ。ルビーは『ぞくぞく』して無意識で甘い声が漏れると話しておるが、儂の場合は甘酸っぱい切ないような……もう、長い事忘れておった遠い記憶の彼方にある初恋を思い返させる感覚じゃ。
『ユスティーツァ……』
「はい? メモリの中身はエルヴァのメールと、それを補填するエルマが打った文章だけの筈だけど、ユスティーツァ様の事なんて書いてあった?」
『あ、いや、何でも無いぞい。ま、まぁ……その文章のお陰で大まかな事はわかった。では明後日にの』
「ええ、お願い」
そうして儂らは準備を整え、翌々日に香港へ旅立ったのじゃ。見送り? そんなものはないぞ。エルマ達は学園があるしの。
空港に到着した儂とルビーは、現在イリヤスフィールの背負っとる革製のリュックにぶら下がる飾りでしかない。旅費も経費もエルヴァが精算してくれるのじゃが、それは後での話で、今はこちらが出さねばならん。なので費用を抑えるためにエーテル出力せず、リュックの飾りとして飛行機に乗るわけじゃ。さて、香港では何が待っとるのかの。
穂群原はゴールデンウィークが明けた5月の第二週月曜日から服装の調整期間に入る。全校衣替えは5月の第5週の月曜日だ。つまり2005年の今年なら5月9日から調整期間に入り、30日に完全夏服になるので調整期間は3週間もある事になる。完全移行日は他校と変わらないが、調整期間の開始はどこよりも早い。そして秋は9月の第三火曜日から調整期間に入り、完全移行日は10月1日でなく10月の第二火曜日となっていた。こちらは敬老の日の翌日からが調整期間で、体育の日の翌日が完全移行日だから覚えやすい。けれどこれも他校と比べると随分と長い調整期間だ。
どうしてこうなっているのかというと、その方が冬木という街の気候に合っているし、20数年前よりも夏の平均気温が上がっているからだ。局地的温暖化はあるのかも知れないけれど、地球温暖化なんて利権を増やしたい政治家と、そのお零れに与りたい御用学者のがなり立てる嘘だ。もっと高校生でもわかる理由を挙げるとすれば、それは到るところにアスファルトが増えたからに他ならない。
南極や北極の氷が溶けて水位が上昇し海面より低い都市が水没するって? これを真面目に信じている学者が居たら、そいつは中学生より頭が悪い。お姉様は京都議定書詐欺に騙されては駄目だと話していた。そして今後は二酸化炭素税なんて国家詐欺が横行するかも知れないと2004年の段階で話していたのだ。箱物を無駄に作る必要はないが、公共事業に拠る工事は技術継承や国民にお金を回すためには必要な措置だとも話していた。だけど、軽トラックが1台やっと通れる農道までアスファルトを敷く必要なんて無いとも。
裏返せばその頃から世界規模で『戦争以外で次に儲ける手段』として手を打っていたのだろう。特に欧州もアメリカも日本のクルマ産業にヤラれている。一矢報いたいどころか産業を潰したいと考えている連中は、ルールから変えて来る。汚いやり口だけど、『商売=武器を持たない戦争』だ。ここがわかっていないと……。
まぁそこは置いて、実は秋がこんな不思議な移行期間になったのは何と2000年からだった。これは国の休日が何月何日でなく第何週という風に変わってきた事に便乗しての事だったらしい。夏はもっと前から決まっていて、切っ掛けは10年くらい前にあった登校中の生徒の熱中症だったという。その頃は日射病と言っていたらしいが、ある女生徒が学園坂の途中で倒れたのだ。それ以降体調を見て衣替えをしなさいと期間が早まり、そう煩く言う先生も居なくなったそうだ。
まぁそこが小学部まで併設する一貫校の強みなのかも。だってクロエちゃんなんて、6年生に上がった始業式以降ずっと半袖だ。けれど先生には叱られないらしい。どうもそれは昔からの事らしく、小学部では11月でも半袖の男の子が、毎年何人か居たそうだ。近年では『吉川弘三』という名の男子がそうだったと、軽音部の先輩に教えられたトロンメルから聞いた。
言うまでもなく『吉川弘三』とは、愛しいお姉様のイイ人だ。『お姉様親衛隊隊長』であり『お姉様を愛でつつ見守る会会員No.1』のこの私が、致し方なしと認めた唯一の男性が吉川先輩だった。卒業されて、目の毒だった中庭でのイチャイチャお弁当タイムを見なくなり、お姉様が倫敦に行かれた事で遠距離交際になった。
『ザマァミロ』という気持ちと『お姉様はお気の毒』という気持ち、離れて暮らすから『寂しい』と思う気持ちと、『今こそ私の愛は試されている』と思う気持ちが不思議な交錯をして、クロエちゃんの事も客観的に見ていられたし、あの子の取る行動も却って落ち着いて見れた。だからゴールデンウィーク明け(5月6日金曜日。学生だからね)に、かつてお姉様にしていたように、クロエちゃんが私に抱き着いてきた時に気付いた。
(ああ……この少し離れて見る感覚。これがお姉様の視点だったんだ)
って。頭ではわかっていたのに、そこで実感したのだ。私にはそういう、他人とはズレたところがある。それは私が純然たる『人間』では無いからだ。そうだ。私とトロンメル、今は異なる世界に居るヴンダーの三姉妹は、三つ子でなく『同時期に鋳造された同型機』だ。一応、私が長女で、次女がヴンダー、三女がトロンメルとなっている。
勿論、姉妹という感覚はある。家族という感覚も知っている。こうして姉妹で学園に通わせて貰え、友人がたくさんできた。親友と言っても良い大切な友人とも出逢えた。そして部活では、その親友や義理の兄とともに汗を流している。こんな夢のような学生生活は、私やトロンメルにとって掛け替えのないものだった。
そんな学園に、昨年度までは義理の姉でもある『お姉様』が居た。『お姉様』が愛おしく恋しい。これは可怪しい感情だ。それはわかっている。だけど『人間』でなく『ホムンクルス』として考えれば、ありがちな感情でもあった。要は子供が母親を愛しく思うのと同じように、鋳造物たる私達も鋳造者への愛が強いのだ。
だけどそれは本来なら鋳造者である『エル様』に向けるべき感情だった。けれど『エル様』はここには居ない。異なる世界で、きっとお元気に活躍されている事だろう。ここは『エル様』の一部だった『お姉様』が、流され漂流された世界だ。そして『エル様』は『お姉様』を探された。やがて『エル様』と『お姉様』は再会できたのだが、何と『お姉様』はこの世界で大切な人達に出逢ってしまっていた。だから『お姉様』は『エル様』へ還る事を拒み、完全に『エル様』から切り離された存在になった。つまり独立した一個人となられたのだ。
そんな『お姉様』をサポートすべく私が送られ、そこにトロンメルも加わったのが去年の春から現在に掛けての、この一年の出来事だった。
『お姉様』は『エル様』の一部であり分身でもあるから、本来エーテルで出力されるべき存在だった。だからヒトとしての肉体は持っていなかった。
そういう人だったからエーテル慣れしていた。だからカードという礼装との親和性がやたら高かったのだ。しかも肉体を得るためにご自身が選ばれたカードは、その中身の英霊が『エル様』の義理の兄であり、『エル様』の中に『お姉様』という存在が居る事を知っている英霊でもあったのだ。
さて、ここで考えてみて欲しい。
肉体がなく精神体、それも『エル様』の一部でしかなかった『お姉様』は人間だろうか?
カードから得た肉体は、英霊の能力をそのまま引き継いだものだ。そこも問題点だけど、肉体を他人から借りているようなものである。それでも『お姉様』は人間だろうか?
答えは『yes』。『お姉様』は人間だ。それは義手や義足を装着しても、全身を義体化してもヒトであるのと同じだ。重要なのは『心』なのだ。更に言えば、その『心』がどのように育ったのかもある。
だから鋳造物である肉体(素体/人形)に先人の精神や意識を容れても『心』が確かなら、それは『ヒト』であると認識される訳だし、同じ鋳造物の肉体であっても、更にストックしてある人魂を使ったとしても、新たな人格を与えた(リセットした)場合は『ホムンクルス』となってしまう。『ヒト』と私達の差はそういうものだ。
確かに厳密に言えば人魂を触媒にしての御魂入れでなく、人魂そのものを使ったのなら、それは限りなく『ヒト』に近いと言えるだろう。だけれどそれは人工輪廻であり人工転生であって、また区別されるべきものだ。お姉様が仰るにはスイスのマアエモさんがこちらの鋳造法らしい。
そして私やトロンメル達は、『エル様』の魂を触媒にして引き寄せた『似た形質の魂』を使い、そこに『エル様』の『精神や心をモデルにした意識パターン』を植え込んで造られている。だからあの人が二重の意味で『母』のような存在になってしまって、私はアイリスフィール様を中々『お母様』と呼べないのだった。また、この『お母様と呼べない事』や、『エル様への思い』を、『お姉様』に転嫁する事で自意識と自我を護っていられるのだという事をも自覚していた。
だけれどそれは仕方ない事でもあった。だってそれこそが私自身が育てた私の『心』であり、アイデンティティだったからだ。このようにヒトは『どう育てるのか?』『どう自らの精神を成長させるのか?』が重要な訳だ。『ヒト』と『ヒト型製造物』の差はそこにある。だからヒトの両親を持ちヒトとして生まれても、やはり『どう育ち』『どう自らの精神を育てたか』が重要で、時々、自ら『ヒトの価値』を貶め逸脱させてしまい、『ヒトで失くなって』しまう人間が現れる場合がある。
さて、もう一度考えてみて欲しい。その逸脱してしまって人の心を失った人は、果たして『人間』だろうか?
やがて人類はロボットやアンドロイドでこういう問題に突き当たるだろう。私達アインツベルンがとっくに体験し、答えを出している事に。私は造られた存在として、そんな人類の未来を見ていこうと思う。
そして5月9日の月曜日の朝。いつものように食堂に降りると凛さんの制服が早々と半袖に変わっていた。勿論、校則違反ではない。本日から調整期間だからだ。そして凛さんはブラウスの上に、四つボタンの制ベストを羽織っていた。こうするとパフになった半袖が強調されてより可愛く見えるのだ。だから調整期間中はこのスタイルの人が多い。
けれどお姉様は、半袖ならこのスタイルもあったけれど、紺や白のニットのベストを羽織るスタイルが多かったように思う。グレーもあったなぁ。
「早いって? だからカバンにはセーターも入れてんのよ」
そのセーターもお姉様は愛用していた。わざと少し大きめを選ばれて、ざっくりと着こなされていた。上着をきちんと着た正装姿より、ニットのセーターやベストを羽織っていられた姿の方が強く記憶にある。お姉様はお洒落だった。リボンの結び方なんて学園一上手だったのではないか? それは私の贔屓目だろうか?
さて、幾ら綺麗に折り畳めたとしても、幾らスクールセーターが薄手であったとしても、教科書やノートが入っている手提げ型学生カバンに普通はセーターなんて入らない。これは凛さんのルビーがカバンの中を空間拡張しているのだとすぐにわかった。無駄に魔力を使うより、せっかくの便利アイテムだ。この使い方は正しい。
それを見習ってか、6年生になったイリヤちゃんも時々この空間拡張の魔術をランドセルに使っている。元々はそういう魔術があるなんて知らなかったらしく、美遊ちゃんがしているのを見て知ったそうだけど、ルビーを使えば誰にでもできるとヒントを与えたのはこの凛さんだった。
マルガリータさんとアーチャーさんがいい匂いが辺りに漂よわせ始めたら、トロンメルやルヴィアさん達がぞろぞろと集まった。現在この家の敷地にランサーとランスロットさんは居ない。2人は中国から帰った後、南米に行き、その後再び中国、そして今はエジプトに行っていた。今回の依頼人はエーデルフェルト家だが、2人はお祖父様からも重宝されていた。なのでお姉様も私も2人の仕事は、お祖父様とエーデルフェルトに一任していた。
テーブルに着くと、トロンメルとルヴィアさんは私と同じ長袖ブラウスにベストだった。ルヴィアさんはお国がお国なので寒さに強い。けれど直射日光は避けておられ、他人より長袖期間が長い。おそらく昨年と同じく先生にでも指摘されない限りずっと長袖だろう。完全移行した夏服の季節も、この人は二の腕まである白い長手袋を愛用されていた。どうもあれはUVカット素材らしいけれど、アームカバーではない。どこまでも指の分かれた手袋なのだ。あんなものどこで売っているのだろう?
対するトロンメルは凛さんを見てハッとしていたから、今日から半袖でも良い事を忘れていただけだと思う。というのはこの子、同型の筈なのに私より暑がりなのだ。また、軽音部(本当は軽音楽部。お姉様に何か言われたらしく、トロンメルは軽音楽部を軽音部と呼び、私にもそう強要している)で使うギターやエフェクターを運ぶためにママチャリ通学だった。
ホームセンターで売っているような2万もしない26インチの6段変速だけれど、お姉様が手を入れていて女の子でもスイスイと学園坂を登って行ける性能がある。あそこを登るには相当な脚力があるか、私の『Surly Cross-Check』のような自転車が必要だ(それでもしんどいけどね)。
それをあんな重いママチャリで登ろうと思えば、『魔術ですわね』『ええ、魔術を使っているわね』となるはずなのだが種明かしはちゃんとあって、後輪にハマったギアを大きいタイプに変えてあるのと(確か『7速化して海外向けの34Tを入れた』とか話されていた)、動きがスムースになるよう注油したりベアリングを交換してあるだけだった(ヘッドとかボトムがどうとか……よくわからないところの。多分前後の車輪とクランク、それとハンドルのところだと思う)。それと乗り方のレクチャーかな。サドルの高さだけでなく、トロンメルの太腿の長さやヒザ下の長さまで測って、サドルの前後までキッチリ合わせ直していたから。
配膳も終わり、そろそろ朝食を頂こうかという最後の最後に私達皆んなの姉的存在であるイリヤさんが降りてきた。いつもの明るい笑顔と元気な挨拶で。
魔術師なんてどいつもこいつも根暗で陰気だ。そうではない人も稀に居るが、口数が少ない寡黙なタイプか研究肌で真面目一辺倒な人が多いのは間違いない。あの『お姉様』にしたって、弓道と体育の運動以外は無駄口を叩かない物静かで内省的な人だった。実際、学園祭で初めて『思ったより気さくな人だった』と知った下級生は多い。では同学年では? これはお姉様と同じクラスだった遠峰先輩に聞いていた。
『けれど可笑しかったら普通に笑うし、休み時間になれば誰とでも気軽に話していた。要はアイツ、根っから真面目なんだよ』
そういう事らしかった。実にお姉様らしい。
食事が始まった。その間、聞くともなしに皆さんの会話が耳に届いていたが、私はその輪に入らなかった。さっきのように『お姉様』の事を思い出していたのだ。それはもしやと閃くものがあったからだ。頭の中で想像しただけで、紙などできちんと数えた訳ではないが、もしかしたらお姉様は4月半ばの編入日から卒業式の日までを計算されて、夏服と冬服の期間がちょうど半々になるように調整期間や休祭日を利用していたのではないか?
そう考えれば、確か去年の秋だ。長袖の翌日に半袖だった時があった。お洗濯のルーティンがどうとか、風を通しておきたかったとか妙な言い訳をなさっていたような記憶もある。コートじゃないし、蟲遣いでもあるお姉様がクローゼットに防虫剤なんて置くはずもない。
う~ん……。お姉様が『エル様』の元にいらした頃は、リリーフかピンチヒッターでしか出番がなかったと思う。それにその少ないチャンスもケースバイケースで、誰(ベンチウォーマー)に当たるかわからない訳だし。
ああ、そういう事か……。一人のヒトとして学園に通う事があの人の『ユメ』だったんだ……。つまりここに残ったのも、一個人として生きていけるチャンスだったからだ。当然イリヤちゃんの事も考えた上でだったろう。けれど一石二鳥どころか三鳥、四鳥狙うのはお姉様らしいし、またそれは『エル様』も同じだった。
今朝の料理はマルガリータさんが作ったらしくメニューは魚介のカオトムと、さくらんぼとキウイの入ったヨーグルトだった。カオトムはタイのお粥で、この家では割合よく出る。今朝のようにお魚の身を入れたり、お肉が入ってくる場合もあった。スープのようにご飯粒が消えるまで煮込んだものはジョークというのだが、そちらもスープ代わりに出て来る場合があった。
そこにヨーグルトを足してくるのは、マルガリータさんなのかアーチャーさんなのかよくわからない。だけど食べる人の体(腸内環境)を気遣ってくれているのはよくわかる。この2人とお姉様は作る料理こそ違えど、食べる側の事を考えて料理をしているのは共通していた。そして一石二鳥以上を狙うところも共通していて、このカオトムもやはり冷蔵庫整理の意味があった。
強いて言うならマルガリータさんはスープ系で冷蔵庫整理をし、アーチャーさんは煮物や大判卵焼きで冷蔵庫整理をしてくる。対するお姉様はキッシュなどのパイで冷蔵庫整理をする場合があった。このキッシュというアルザス地方のパイを凛さんが気に入り、調理方法をお姉様からしっかり学んでいた。ルヴィアさんもこれは作れるので、この家の冷蔵庫はいつも無駄がない。
これを『医食同源の逆』だと言ったのはお姉様だ。人の体に足りていない栄養素を加えて調理するのが『医食同源』の考え方だけれど、中の食材がどんどん使われ減っていくのが冷蔵庫なので、その意味での『逆』らしい。
それと今朝のお粥じゃないんだけど、吉川先輩が風邪をひいて寝込んでしまった事が数ヶ月前にあった。お姉様が倫敦に向かう日が近づいて、気持ちが少し弱くなったのかも知れない。そこでお姉様は先輩のご自宅までお見舞いに行き、そこでお粥を作ってあげたそうだ。
そのお姉様のお粥がこうだ。お姉様はいちょうに切った大根と葉をお鍋に入れ、そこにご飯とダシと醤油を入れたそうだ。だけれど別のお鍋で溶き卵を落とした鶏ガラスープを作って両者をミックス。器に盛って仕上げにラー油2滴とごま油を1滴垂らして出されそうだ。トッピングは刻んだ長ネギだ。少しピリ辛の中華風お粥なのだけど、咽るほどでもない。食欲のなかった先輩がお代わりしたそうだから、流石はお姉様というエピソードだ(おそらくだけどラー油を垂らしたのは相手が吉川先輩だからだ。幾ら辛いものが平気なお姉様でも相手の体調や年齢などは考慮する。この場合はそうした方が先輩の食欲が戻ると確信していたからだろう)。
食事を終え、再度歯を磨き、お手洗いに行き、身嗜みを整え、各自アーチャーさん謹製のお弁当とカバンを持って玄関を出た(冷めても美味しい和食はアーチャーさんかお姉様に限る)。イリヤ姉さんが門まで見送ってくれるのもいつも通りだ。だけどルヴィアさんがオーギュストさんをお国付きにしたので、今はルヴィアさんも凛さんも自家用車でなく、私と同じバス通学に変わっていた。さぁ、歩き出そうとしたらイリヤ姉さんが私に小さな声で『戻ったら話がある』と言った。何だろう? そう深刻な話ではないような気がする。
バス停まで皆んなで歩いていると、『お先』と言って、少し遅れて出たトロンメルの自転車が私達を追い抜いて行った。その背中にはギターのソフトバッグが背負われている。ちなみにあのバッグの中身はいつもの『Les Paul Stadio Lite』ではない。入っているのは『Fender U.S. Cyclone』の『Update』というモデルで、アメリカのお姉様から『出物があったから』と贈られたものだ。色は『Surf Green』でピックアップが前後黒いカバーの『Hot Noiseless』だ。この辺は耳タコもので聞かされたから憶えてしまった。
『エル様』から贈られた『Les Paul Stadio Lite』は今も大切に使っているが、これは2年に上がってから軽音部内でオルタナティヴ系のバンドが親しくしている3年の先輩達と1年間限定で立ち上がったらしく、そこで使っているギターだった。
その『Fender U.S. Cyclone』の予備として部屋に置いてあるのが、昨年お姉様と交換した3PUの『AriaProⅡ 615』なのだけど(この615もMk2やらNashvilleやら色々あるらしい。後年AE200なんてのも出ていた)、どうもトロンメルにはフェンダーのロングスケール(25.5")が合わないようだった。これは昨年度にあった『Squier'51』のやり取りで自覚した事らしく、お姉様からもミディアムスケール(24.75")があなたには合っていると言われていたらしい。
こういうスケールの合う合わないは慣れだという人もいれば、そうではないという人もいるという。楽器は自転車のように身体に密着させて使う道具だから、身体にフィットさせるべきだとはお姉様のお言葉だったらしいが、そう言われると確かにそうかなとも思う。だけど楽器は形態にも拠るが、その大きさで音程が決まったりするタイプもあるから、そんな簡単なものではないようだ。だからピアノを習う人は皆んな指の開きや長さで悩むのだと思う。だってピアノの大きさは変えられないからね。
そもそもそんな事をトロンメルに話しているのに、当のお姉様はそういうスケールを選ばない人であった。しかもピアノもバッチリ弾ける人だ。つまり指のストレッチがきちんとできている。指の長さは変えられないけれど、そういう練習で拡げる事はできるのだろう。そうなると結局はタイプなのだと楽器素人の私なんかは思うのだけど、小学部生のリコーダーの得手不得手が笛のサイズで多少とも緩和されるのなら、それはそれで良い事だと思う。ギターにもそういう救いの部分があっても良い。
そこまで考えて振り返ると、『ミディアムスケールがあなたには合っている』という、トロンメルに残したお姉様の言葉は、指でなく精神のストレッチだったのかも知れない。
まぁ、ともかくそれでトロンメルは、新都にあるいつもの楽器屋さんに行った。そこで見付けたのがコンディションのとても良い『IBANEZ/TALMAN TC930TK』という3PUのモデルだったそうだ。95~96年頃のギターらしいが、当時のバンド・ブームに乗っかるカタチで作られたオリジナル・デザインという事でとても人気があったそうだ。
ただ、この90年代半ばはほぼバンド・ブームの終焉頃で、ブームそのものはそれより少し早い80年代後半から90年代前半にあったらしい。またそれらはポスト・パンク(グランジやオルタナティヴなど)や、技巧回帰、音楽性回帰といった世界的な流れとほぼ同時に起きた、日本国内限定のムーブメントだったらしい。だから楽器だけでなく、楽譜やTAB譜というのがよく売れたのだとか。
ただ70年代の頃から、『Les Paul』や『Stratocaster』といった、所謂オーソドックスなタイプとは異なる、けれど60年代のようなチープなビザール感がないオリジナル・デザインのギターはチラホラあったらしい。けれどメーカーが『これは使える』というカタチと操作性を与え、『俺達でも買える』という価格で出して来たのは90年代半ば以降だそうだ。
現にこの『TC930』の下の『TC630』や、2PUの『TC620』は使っていた先輩が数年前まで軽音部に在籍していたという。『TC930』の定価が8万5000円だったそうだから、それがほぼ新古品の状態で7万だとお得感がある。ところがこの傷もない綺麗な『TC930』を持たせて貰うと、残念な事にロングスケール(25.5")だったそうだ。
結局トロンメルはその『TC930』を買わずに帰り、部屋で『AriaProⅡ 615』やお姉様から預かっていたギターを掻き鳴らしたという。そうするとやはり『Epiphone』や『Gibson』が弾きやすく、『Fender』系はお姉様の『Telecaster』も自分の『Custom』も弾きにくく感じたそうだ。
そこでトロンメルは、そういう諸々の事情をアメリカのお姉様にメールで相談した。それから一週間ほど経った頃だろうか、パミちゃん経由で送られて来たのがあのポプラ材の『Fender U.S. Cyclone』だったのだ。それ以来、トロンメルはミディアムスケールのギターばかり使っている。
(日本版ウィキペディアの『Fender Cyclone』には、ボディ材がアルダーと書かれているが、これは間違い。木材はポプラだ。また、トロンメルのもうひとりの師匠でもある学生メイドのトント(トントゥ)さんは、『エル様』のバンドで主にベースやドラムを担当する人だが、本物のマルチプレイヤーでもあるがギターやベースのリペアも得意としているそうだ。そんなトントさんが言うには『思い入れがある分、楽器には憑く場合がある』そうだ。だから中古を手に入れる場合は、必ず手に取って、その時に魔術回路を起動しておくべきなのだとか)
また返信のメールには、『TALMAN』が欧州やアメリカでも販売されていた事や、『TC930』の輸出用は集積材でなくアッシュのモデルがあった事、バンドの音楽性次第でその前にあったHSHの『TV650』も捨てがたい事、『TC630』や『TC620』以上のグレードは日本のフジゲン製なので買って損はない事、90年代末期の『Orville』や『Orville By Gibson』に代わって復活した2001年頃までの『Epiphone』はどれも日本製だから、もしあればそっちを手に入れても良いだろう、などなどが書かれてあったそうだ。流石、詳しいなぁ。
また、『エル様』は子供の頃から70年代(77年か78年のモデル)の『Fender Mustang』を使っていたらしく、それに代わって買い足したのが、メキシコ製のオリジナル『Fender Cyclone』であった事などが綴られていたそうだ。だから、何なら『Cyclone』に『Sky SLV-1(TCに付いているリップスティック型のPU)』を付けてあげようかとも書かれてあったらしい。実に魅力的な提案だ。
けれどそれは予算オーバーだから、ノーマルの『Cyclone』だけお願いしたという。とは言っても配送は宝具から宝具だ。現地価格のブツが関税無視の送料無料で手に入るのだから、これはこれでとんでもない話なのだけど。
それとこれは余談だけれど、トロンメルは色んなジャンルの音楽を聞くが、中でも1999年以降の『Dream Theater』や、『Rush』がお気に入りで自分で作詞・作曲できるマルチプレイヤーを目指している。ならベースも弾けなきゃならない。ロングスケールが苦手だなんて言ってられないし、楽器を選ぶ事もどうなんだと思う。今後は変わっていくのだと思うけれど。
対するお姉様はさっきも言ったように、ギターでもベースでもピアノでもキーボードでも何でも弾ける人だ。それは元々『エル様』がそうだったからだ(『エル様』はサックスも吹けるしドラムも叩ける)。そしてその『エル様』も様々なジャンルの音楽を聞き、中でも初期のプログレッシヴ・ロックを好んでいらした。
お姉様曰く『エル様』は、『Dream Theater』の事をハゲ率が高いとか、『Rush』は踏んづけていったエミューを思い出すから苦手だとか、認めているくせに無茶苦茶な事を言うそうだ。だからというか何というか、少し未来で『エル様』はこの2005年に個人で『KORG OASYS』の88鍵フルセットを、これまで使っていた『TRITON』に換えて手に入れられている。それで食べてるプロでもないのに。後に再会できた時、お姉様もアメリカのお姉様もそれを知って呆れたそうだ。
そんな『エル様』は高2の学園祭で『EL&P』の『タルカス』を全曲自分のバンドで弾き通したという。しかもそのステージのためにキース・エマーソンと同じモーグ・モジュラーやミニモーグ、ハモンドオルガンなどを学園に持ち込んだのだ。更に別のバンドでもキーボードを担当したり、ギターやベースを弾いたりしていたという。おまけにそちらも自分の機材やアンプを持ち込みだったという。勿論、ローディーはアサシン'ズとアーチャーさんだったそうな。こんな人があちらの軽音部では練習に出てこない幽霊部員だったりするのだ。
(音合わせは最後の最後だけで、それまでの練習は個人でやるタイプらしい。それに元陸上部員でもあったから、トロンメルもそこは似ている)
なお1年生の時の学園祭で、3年生の先輩方のメタルバンドに入って花道を飾ったのは、『エル様』になりすましたお姉様だったそうだ。それってどういう事だ?
また『エル様』はクルマやバイク、ライフルの他に、楽器も数多くコレクションなさっているそうで、ヴィンテージものからチープなものまで様々持っているらしい。ギターは最初が『Mustang』だったからか、フェンダーのショートスケール(24")も結構集めておられるそうだ。その延長で、日本に来てからは『Squier』の『Jagmaster』や『Super-Sonic』なども買い求めたらしい。このようなスチューデント・モデルをコレクションしているなど知らなかったし、私の記憶にはなかった。トロンメルから聞いて初めて知ったのだ。
こんな情報、それこそ直接『エル様』にお聞きするか、倫敦のお姉様かアメリカのお姉様を通してでしか知り得ない情報だと思う。私は以上の話を倫敦のお姉様のメールで知ったのだが、そこには『P.S.(PostScriptの略で追伸という意味)』でこうも書かれてあった。
『その『TC930』は、あなたが引き取れば良かったのに』
それって、私にギターを始めろって意味ですか?
『ついでに言えば『Orville by Gibson』のLPS-QMやLPS-FMをもし見付けて贈ってくれたのなら、日本に戻った時、1日あなたとデートしてあげますよ』
マジか!? 私がアサシンを動員して、日本全国を血眼になって探したのは言うまでもない。で、程度の良いLPS-QMを1本とLPS-FMを2本見付けた。QMはキルテッドメイプルの略でFMはフレイムメイプルの略だ。当時の定価が228000円と198000円。色はどちらもヴィンテージサンバースト、チェリーサンバースト、レモンドロップの3種類で、PUはQMが『'57 Classic』、FMが『TM490』だった。私がお姉様にお送りしたQMはヴィンテージサンバーストで、FMはヴィンテージサンバーストとレモンドロップだった。
『冗談だったのに本当に見付けてきたの!?』と随分驚かれていたが、このエルマを舐めないで欲しい。お姉様のためなら例え火の中水の中でも、なんて事はありません。後日、私の方から倫敦に出向き、楽しい数日を送ったのは誰でも想像できるだろう。
なお私調べだが、『Orville By Gibson』の『Les Paul Standard』には、この下に『TM490』が付いたモデルが幾つかあり、125000円のLPS-QとLPS-T、トップに何の模様も出ていない110000円のLPS、『TM490』に代わって『P-90』が付いた120000円のモデルがあったようだ。これ以下の75000円のモデルはブランドが『Orville』になって、PUも国産になる。けれどメイプル・トップのマホガニー・バックは同じなので、こっちを買ってPUとサーキットを好みのものに換える方が、より自分好みの良い音がした事だろう。
そんなものが当時の高校生は新品で買えたのだ。しかも国産だから、本家の『Gibson』よりバランスが良かったと出会った人が皆んな言う。詳しそうな人だとマホガニーの乾燥が良いから、アメリカ産の穴空きモデル(正確には『Weight Relief』というチーズのような軽量加工を指す)より中身が詰まっているのに軽いそうだ。
ただ穴があるから音響的に悪いとか、身が詰まっているから響きが良いという事もないらしく、ほとんどの人は勿論の事、それがプロでもわからないものらしい。仮に音の違いを感じ取れる奇特な人が居ても個体差の範囲内だそうだ。それよりもステージで立って演奏する時のバランスだそうで、それが75000円の『Orville』はやたら良いらしい。
だからお姉様のLPS-QMやLPS-FMを探す時に見付けた『Orville by Gibson』のLPSや『Orville』のLPSなどなどを私も数本手に入れていた。弾けないけれど『工芸品として凄いのだ』と知ったら身近に置きたくなったのだ。中でも『ES-175D』のヴィンテージサンバーストはお気に入りで部屋のオブジェになってる。チューニングの仕方くらい教わっておくべきかな?
私はバスに先に乗っていた桜と挨拶を交わしながら、見送ってくれたイリヤ姉さんが門のところでチラリと言った『学園から帰ったら話がある』という内容について想像していた。だけれどよくわからないので考えるのをやめた。学園生でギュウギュウ詰めだった学園前のバス停で、ブワッと吐き出された私達は後ろを振り向いた。
高等部生に守られたらしき小学部の子供達が、その相手にお礼を言っているのだ。このホッコリする場面が、お姉様も知らない学園前行きバスの日常だった。これを見て私達は今日も頑張るぞとヤル気が出て、中等部生はいつか私も俺もと私達の後に続くのだ。そして半袖ブラウスの女子は皆んなして一斉に潰れたパフなどの乱れた服装を直しているのも、この学園あるあるな場面なのだった。
下足室で凛さんやルヴィアさんと別れた頃に、息を切らしてトロンメルが現れた。その横を涼しい顔のアルトリアが目で挨拶して通り過ぎた。彼女はトロンメロと同じ自転車通学なのだ。
階段下でアルトリアと合流して3人で教室に入った。自分の席にカバンを置いて、今更ながらに偏ってしまったに違いないお弁当箱を『棚』に入れた。学校の学習机のここを正式には何というのだろう? 引き出さないのだから『引き出し』ではないよね?
そしてアルトリアは盛大な顰(しか)めっ面をしていた。お弁当箱を包んでいた布が香ばしい色に変色しているのだ。
「煮物?」
「ええ。気を付けて煮切っていましたのに。時間が経つと汁が滲み出るようです」
思わず『ご愁傷さま』と身振りで示した。彼女、お姉様やアーチャーさんが親身に教えていたので、何気なく料理が上手い。ここに来る前は『エル様』が自ら手解きしていたそうだ。だから焼き魚でも卵焼きでも問題なく作れる。人のことは言えないが、あの見た目で調理実習の上位に入る腕前だ。アルトリアはセイバーさんとは随分違う。『王になれなかった』という憐れみは彼女に対して的外れで、セイバーさんの期待を受けて『青春を謳歌』している。うかうかしていると追い越されそうなくらい弓道の腕前も上達していた。
でも、煮物とくれば純粋な日本人でも、高校生では難しいと思う。『煮切った』というくらいだから、汁が失くなるまでしっかり煮たのは間違いない。だけど豆腐や油揚げが入っていると後で汁が出て来る。この加減は実に難しい。
押し合いへし合いになるバスの中では、仕切りカップを使っても駄目な時はある。だから煮る時に芋類を入れるかお麩を入れるのが一番手っ取り早いのだけど、これこそ高校生では知りようもないし、お家のお母さんですら知らない人も居るだろう。
「フですか?」
「そう、お麩。すき焼きに入れたりしない?」
「ああ……。すき焼きで、そいつだけ味が濃くなる……」
そこか。確かにそれが嫌だという人もいる。だけどアルトリアの言いたい事はわかる。かくいうお姉様がそうだったから。じゃ、お麩が生に近い方が良いのかと言うと、それも味気ないお煎餅のようだし、口の中の水分を一気に持って行かれるので嫌だという。『面倒くさい人だ』と言えば『生卵に付けて頂けるのだから許して下さい』と涙目で訴える。これ、わかるだろうか?
まず好き嫌いのないお姉様だけど、お麩の立ち位置と言うか、存在意義がイマイチわからないらしい。その滲み具合で味に濃淡付くところが味わい深いのに、きっちり煮込めないそんな料理素材は許しがたいのだそうだ。意外な一面でしょう? けれど赤出汁に入れるような『の』の字に丸まった焼麩は好きらしく、それに対して文句を聞いた憶えがない。きっとあれはお味噌汁の汁に浸っていて満遍なく味が滲みているからだ。
なおこのお姉様、八丁味噌は『カクキュー(四角の中に『久』)』と『まるや(丸の中に『や』)』しか認めないという、名古屋県民も驚きの本物志向の人だ。そもそもお味噌や醤油、味醂などをスーパーで買わず、専門のお店に行って買う人でもある。料理酒なんて、呑んべのオジサンが見たら怒りそうな、結構名の通った吟醸酒を使うような人だ。鳥肝をお父さんが秘蔵しているのと同じ高級スコッチで洗うのを見た事もある。そんな人だから、煮物の煮汁対策にゴマや鰹節は浮かんでも、お麩を使うなんて考えもしなかったのだと思う。
授業が終わり、弓道部で汗を流した後、桜やアルトリアと連れ立って道場を出た私は、駐輪場から出ていく寸前のトロンメルに手を振った。
「話し込んでて良いの? 家でイリヤ姉さんが待っているんでしょう?」
そうだった。私達は慌ててバス停に向かった。ちなみに食材の買い出しは、アーチャーさんかアサシンの誰かが行っていて、ついでにアルトリアの分も買ってきている。だから余程の事がない限り、私達は寄り道せずに帰っていた。こういうのをお姉様はしなかったなぁ。あの人はお買い物も自分でするタイプで、しかも自分で決めた予算内できっちり纏めるお買い物上手でもあった。見習うべきなのだろうけど、収入が私以上にあるだろうにケチくさい人だとも思う。やっぱり真面目なんだよね。
そうしてそれぞれと途中で別れて家に戻ったら、食堂でお茶を楽しんでいたイリヤ姉さんと目が合い、『上で話そう』と合図を送られた。だから私は部屋に向かった。程なく部屋に来られたイリヤ姉さんに椅子を薦め、私はベッドに腰掛けた。
勿論私の部屋なので、ゾウケンくんもルビーも居てイリヤ姉さんの言葉を天井付近を漂いながら待っていた。
「実はエルヴァからメールで依頼があったの」
「姉さんに?」
「ん~そうとも言えるかな? まぁ、ちょっとした調べ物なのだけど、エルヴァの依頼したい本命が実は私じゃなくゾウケンとルビーなのね」
「え? ゾウケンくんとルビーに?」
思わず天井を仰いだ私だ。すると2本のステッキはいつの間にか部屋から消えていた。気を利かせたのだと思う。
「どうしてまた?」
「あなたは学園があるし、中間試験が近いじゃない。だからよ。魔杖にリンクしているあなたなら、ここに居ながらにして分析したりしてゾウケンやルビーをアシストできるし、アサシンやランサーに念話を送れたりもできるでしょう?」
「もしや姉さんが運び屋で、場所は海外?」
「そう。香港でアオレアールという人物に会って、その人のあり方を考察して欲しいんだって」
そうしてイリヤ姉さんとゾウケンくんにルビーという、少し変わった3人組の旅が決まったのだった。ゾウケンくん達には、また今度話そう。