※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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裏話としてトロンメルに光を当ててみました。趣味全開で書いてて楽しいので長くなりました。


95、香港好日子 02

 2年生に上がってからエルマはやたら忙しくなった。これは倫敦に行った姉さんの『せい(お陰?)』でもあった。

 まずプライベートでは────本当は本人も寂しいだろうに、その異常なまでの『姉さんラヴ』な気持ちを取り敢えず脇に置いて、妹のクロエちゃん第一であれこれ腐心していたところが立派だった。姉さんに頼まれていた事だった言え、自分の気持ちを抑えて、年上らしく言葉をよく選んでいたし(私達の鋳造年を考えればクロエちゃんの方が遥かに年上だけれど)、そんな言葉の端々からもクロエちゃんを思う気持ちが伝わり、姉という立場をちゃんと理解していて素晴らしいなと思った。私も私なりにお手伝いした積もりだけれど、こういう心の綾というか機転や機微はエルマの方がやはりウワテで、本当に素晴らしいと心から思ったものだ。

 次にパブリックなところでは────。新1年生からの弓道部と軽音部への入部希望者が殺到した。特に弓道部が酷い。何でも1年女子の半数以上が入部希望で、『これはいかん』と職員会議で抽選にするかくじ引きにしようかで揉めたという。それで結局希望者全員を体験入部させ、二週間くらい掛けて適正を判断して決める事になったそうだ。その向き不向きの判定をエルマ達上級生が行って、20人くらいに絞ったのだ(『先生方が逃げた』とも言える)。

 道場という場所の問題もあるから仕方ないのだけど、『やる気があるのに、他人が決める合否で涙を飲ませて良いのか』と女子副部長を拝命したエルマも、新部長となった桜も随分悩んでいた。ただ絞ったはずの20人でも例年よりかなり多く、通常は10人居るか居ないかだそうだから、つくづくとんでもない置き土産と言わざるを得ない。

 それが弓道部女子の話で、対する男子は例年より多いと言っても、まだ平和だった。新1年生には中等部時代から名の知られた遠峰先輩の弟君である遠峰郡司君や美綴前部長の弟君である美綴実典君が居るので、弓道がどういうものか知っている人がそこそこ居るのだ。ただ実典君は弓道初心者だ。なので男子の方の田上不二男副部長が良く面倒をみていた(今年から副部長が二人になったのだ)。

 かくいう軽音部も入部希望者が10人を越えているから、こちらはこちらで顧問の若地先生ともども驚いていた。私としては昨年の冬休みと今年の春休みに、近藤部長達(この春から先輩が部長になった。弓道部と違ってウチは3年生から部長が選ばれる)とギターやベースをある程度直しておいて良かったと胸を撫で下ろしていた。だけどいざ蓋を開けてみると入部希望者のほとんどがフォーク・アコギ系で、ロック・バンド系がほとんど居なかったのはどうしてだろう? 先生や先輩方は喜んでいたけれど。

 ただ朗報もあって、この春にOBや昔の保護者から使っていない楽器の寄贈がそこそこあって、楽器を持っていない新入部員にも楽器が十分回る事になった。近藤部長や私がギター修理やメンテをしていたのはその点にあったから、備品が増えたのは素直に嬉しいし、『それなら修理なんてしなくてもよかったのに』なんて言う人が出なかったのもこの部らしくて良いなと思った。

 おまけにそんな寄贈品の中に『Fender Japan』が何本かあって、その中に『TL52-95』があった事に先輩方は飛び上がって驚いていた。それもさもありなんで、どうやらその『TL52-95』は1983~84年頃の最初期のモデルらしく、ボディはソリッド・アッシュ、ネックはワンピース・ハードメイプル、アッセンブリーは『Made in USA』という垂涎ものだったのだ。

 倉庫のジャンクと違って、寄贈品はどこまで行っても個人使用の中古だ。だからどれも十分使えるものばかりだった。中でもこのテレは綺麗だ。しかも色は見事なバタースカッチブロンド。だけど綺麗過ぎない……?

 

「20年前に子供が高校生だった保護者からだってさ」

 

 と、近藤部長。明日から考査一週間前になるので部活がしばらくできなくなる。なので本日は楽器の整理で皆んな集まっていた。ちなみに私と近藤部長は付き合っているのだけれど、部活ではお互い馴れ馴れしくしないように心掛けていた。

 

「まさか子供の形見とか遺品?」

 

 別の3年の先輩がそう言った。

 

「それなら親が手元に置くだろう? その指板の綺麗さが物語っているよ。あまり弾かれていなかったんだろうな。9万5000円のギターなのにだぜ?」

 

 確かに。ペグやストリングスガイド、フレットやビスなどの金属部分に錆や汚れはあるけれど、フィンガーボードはわりあい綺麗だ。

 

「は~、なるほど。ポンと10万もするギターを子供に買い与えられる裕福な家なのに、当の本人は飽き性だったとか?」

「らしい。それを提供してくれた人が親父さんなんだけど、元バンドマンでさ」

「ああ、息子にもギターをってか?」

「そう。けど、軽く弾いてくれたのは贈って一週間後くらいだし、その後は全然だったらしい。部屋に置いていたのも学園高等部時代だけで、卒業後はケースに入れっぱで15年くらいクローゼットで眠っていたそうだ」

 

 そんな人もいるんだなぁ。私なんてどういう音が出るのか気になって即座に弾くけれど。それに早く手に馴染ませたい。元々楽器に興味のなかった人なんだろうなぁ。

 はぁ~勿体ない。『52』っていうくらいだから、サーキットはフロントとリアのミックスが出せないプリセット・トーンのタイプだろうか? 気になるなぁ。ただ、私にはこのテレのようなロングスケールは合わない。なので今はカスタムもアリアのナッシュビルも部屋で指のストレッチ用になっているから他人の事はあまり言えない。どっちも練習用の『Marshall JTM310』アンプと相性が良いのに。

 

「じゃ、近藤部長。このテレは元からこういう色んだったんですか?」

「そうだ、トロンメル。エルヴァ先輩が居たら、アメリカの隠れ名手の曲をいきなり弾きそうだな?」

 

 カントリーには日本人が知らない名人がゴロゴロ居るとは姉さんの言葉だ。そんな姉さんだから『イキナリ弾く』のはありそうだなぁ。何はともあれ、保護者やOBに不要な楽器を募ったのは正解だった。少なからず私が解析した限り、妙なものは憑いていないようだし。運のいい事にジャンクもないように思う。後輩にも申し送りして、十年に一回はこういう事をしても良いんじゃないかと思った。

 発案者は近藤先輩だけれど、『備品の充実』や『倉庫で眠る楽器の管理』もあったけれど、何より『使われず見捨てられていく楽器が忍びなかった』事が今回の企画となった最大の動機だ。また、『壊れた楽器を直して売れば部費の足しになる』事も理由としてあった。そこに旧2年生や旧1年生だった私達が賛同して今に至った訳だ。

 それでなくともウチの軽音部は『材木を切り出して一からギターを作ってしまう』猛者や、『真空管オーディオアンプ作りを趣味にしている』奇特な先輩が居たし、今の部長は『電気モノの故障は大抵ポットの劣化かハンダ箇所の断線だ』と言ってコテ片手に直せる人だった。だから『見捨てられていく楽器』を減らすために、ギターやベースだけでなくアンプやエフェクターなんかもできる限り自分達で直していた。

 ただ、電子部品満載のキーボードは手に余るし、管楽器などの手作りモノも無理だった。エレキを自作した横田先輩やアコースティックギターを自分で直した前部長の大槻先輩みたいな人も今は居ない。こうなって来ると皆んな近藤先輩頼りになる。そこでトントさんのお陰というか『エル様』のお陰というか、多少なりとも知識のある私が名乗り出る事になったのだ。

 

 余談だけれどトントさんと私の関係はこうなる。アインツベルン言語で書かれたコードで作られたアーキテクトに、『エル様』は独自のコードを書き足し、更にブラッシュアップを図られた。そんなOSを実装したボディ(素体)に、ほとんど壊れかかったヒトの魂を押し込んだ。それがあちらの世界で学生メイドなったトントさんとペッコさんだ。

 お二人は紛れもなく元はちゃんとした人間だった。けれどどちらも子供の頃に人買いに誘拐され、とんでもない目にあって殺された。ペッコさんの事はあまり知らないが、トントさんの事はよく分かる。トントさんはイタリア南部のカラブリア州カタンツァーロ県カタンツァーロの生まれで、珍しいベルベル人の血を引く褐色の肌に明るい金髪と青い瞳を持つ女の子だった。

 兄弟姉妹の多い貧しい家庭の末っ子で、いつも一人で何かを叩いてはそのリズムを楽しんでいる子だったそうだから、生粋のドラマーでありベーシストだったのだろう。そして大変珍しく顔立ちの整った子だったから、イタリア南部のマフィアに目を付けられ誘拐(キッズナップ)された。キッズポルノの演者にされたのだ。

 それで年端も行かない子がレイプという名の初体験から排泄行為まで全部ビデオに撮られ、ヴァギナもアヌスも繰り返し犯され、ついには自分から求めるまでの従順な人間にされてしまった。これらが定期的に海外の闇マーケットで出回った。だけどそこは抗うから面白いのであって、そうさせるために彼らはついにトントさんの足の指を切り落とした。そんな残虐な行為も全部ビデオに撮られ、やがてそれはどんどんとエスカレートしていった。

 痛み止めなのか、薬漬けで廃人になったのが14歳頃だったそうだ。やがて彼ら犯人は、使い物にならなくなったトントさんを郊外の荒れ地に埋めた。そんなトントさんを発見したのが当時12歳頃の『エル様』だった。シチリアでの商談からナポリへ帰る途中だったそうだ。どうもアーチャーさんの運転するクルマから降りたのは、野ションをしようとしたかららしい。

 

『そりゃもう、漏れるという意識一色でしたから、クルマから離れたら一気にパンツを下ろしてしゃがみました。そうして間に合ったぁ~とホッとしたら、目の前に人の腕が地面から生えていたのです。何を考えたのか私は少しにじり寄って、その腕に残ったオシッコを掛けました。その後、お股をティッシュで拭いて、そのティッシュをその生えている手に握らせました。そこで『死後硬直していない。まだ血が巡っている』と気付いて、慌ててお兄ちゃんを呼んだのです。気が動転していたのでしょうね。どうして濡れたティッシュを握らせたのか……』

 

 どうしてなのかは私にもわからないけれど、ともかくそれで脈がある事がわかったのだから結果オーライだ。そうして二人で掘り返し、宝具に取り込み時間停止させて連れ帰ったそうだ。これは救急車を呼んでいる時間もないと判断したからだ。まだ脈の残っているこの一瞬が奇跡だ。だから事件性が高いのはわかっていたが、そういうのは全部後回しにして、とにかく生命第一で連れ帰った。片腕が失く両足も膝から失く、両目の眼球も消えていた。死んで『一』に還ろうとする魂を何とかこの世に繋いでいたのは、薬漬けで狂っていたからなのか、本人の『生きたい』という強い願いだったのかは『エル様』でもわからないそうだ。

 そして『エル様』は丸二年掛けてトントさんを救った。バラバラに霧散しそうな魂を守るために培養槽ごと結界に封じ込める事数ヶ月。新しい肉体をホムンクルスの鋳造技術を使って作り直す事数ヶ月。半ば壊れた魂を戻すのに1年半。そうしてトントさんは『エル様』付きのメイドとなって学校に通うようになった。本当の年齢は『エル様』より2歳年上だろう。けれど学年は『エル様』の一つ下となった。何故ならそれがリハビリの一環となると信じていたし、トントさんが元の名前すら思い出せない状態でもあったからだ。

 ご本人がイタリア南部のカタンツァーロという出身地を思い出せたのは、『エル様』が高等部に進学する頃で、『エル様』の薦めで楽器を触り始めた頃でもあった。それと同時に『エル様』はトントさんの実家を調べさせたそうだ。するとそ家には誰も住んでおらず、数ヶ月掛けてトントさんの実のお兄さんを別の街で探し当てた。その報告に『エル様』が動いて、お兄さんの思考を魔術で読んだ。結果、末の妹の『Zaira(ザイラ)』はやはり死んだ事になっていて家族は皆んな結婚したり、もっと良い職に就いたりしてバラバラなところで住んでいる事がわかった。だけど皆さん穏やかな生活を送っているらしかった。

 それでトントさんの本名は『Zaira Fantini』である事が判明した。『Zaira』とはイタリアでも珍しい女性名で、アフリカのナイジェリアで見掛けられる地名や人名だった。そして姓の『Fantini』は騎手という意味で、ワインなどによく付けられる名だそうだ。これらの事を日本に帰ってからトントさんに話し、『家族に会いたいか?』と尋ねたそうだ。けれどトントさんは断った。

 とっくに死んだ事になっていて、しかも幾ら『エル様』が再現に根を詰めたとは言っても元とは違うかも知れない顔……。特に眼球が失かったので、瞳の色は『エル様』の想像だ(瞳のモデルは凜さんだったらしい。トントさんと凜さんは人種も体付きも異なるが、ほっそりした面立ちが似ていたので、ついついそうしてしまったという。後で瞳は青だったと言われてホッとしたそうだ)。だから家族の平和を壊すと考え、逢わない事を選択した。トントさんの夢遊病と『エル様』への依存度が今まで以上に酷くなったのはそれからだ。

 だから『エル様』はトントさんが高等部生になった時に軽音部へ誘った。気晴らしになると考えたのだ。トントさんがアンプの修理やギターの修理ができるのは、トントさんの将来を案じた『エル様』とお祖父様の催眠教育の賜物だった。そして私トロンメルは、第6世代ホムンクルスのテストケースであり、そんなトントさんを更に回復させるための実験台でもあった。だからここに来る前はトントさんの部屋の隣に自室を与えられ、トントさんに何かあった時の見張りというか、アンテナみたいな役をしていた。そんな役目を負ったのは、私はそのトントさんの精神パターンと意識のコピーを使って御魂入れされていたからだ。しかも鋳造後の催眠教育装置はトントさんに使われていたモノだった。

 まぁ……だから何というか、私は目を瞑っていてもフレットボードが感じられるし、今がもしCメジャー基調ならそのC基音のフレット位置が全部わかってしまう。『エル様』は様々考えられた上でそうされたのだろう。そこはわかる。わかるけれど、トントさんは身長170cm越えで、私は150cm台だ。頭の中のフレット位置と実際のフレット位置が違うのだ。姉さんのお陰で、最近になってようやくそこに気付けたのだった。

 この事はエルマに話していない。話すと絶対に『そんな役目、断りなさいよ』と怒って言うからだ。それって怒る事なのかなぁ? 私らってそういうモノじゃないの? エルマは本当に人間っぽい。

 

 この第6世代ホムンクルスのプロトタイプは3体あって、最初の入魂がエルマで2番目がヴンダー、3番目が私だ。そして私達を構成する素体には、姉さん達ナンバーズで使われたアイデアや、それぞれのナンバーズが考え出した技法も入っているので、私達はナンバーズに続く100番代となっている。そしておそらく4番目の『完成品』がスイスのエルさんであり、5番目・6番目(もっとあるかも知れない)があの階段の踊り場に掛けられた鏡の中で眠っているのだと思う。世界が切り離されてしまっている今は、きっとあちらで『エル様』は第7世代ホムンクルスの鋳造に向けての研究をなされているのだろう。

 そしてその第7世代の基礎となっているのは、私やヴンダーでなく、間違いなくエルマだ。私が近藤先輩とお付き合いしているのも『人間らしさ』を学習するための意味が大きい。だけど、妙な『お姉様ラヴ』なところ置いておくと、『人らしい優しさ』を一番持っているのがエルマだと思うのだ。そういう部分は姉さんも『エル様』も見逃さないだろう。だからルビーを扱う事を許可し、あんな7体にも分裂できるカードを与えているのだと思う。

 そしてこんな風に考えられるような私になれたのは、姉さんのお陰だ。姉さんは刻印や魔術回路だけでなく、ホムンクルスに対しても一級の調律師だ。多分、そこは『エル様』より上なのではないだろうか。私はそう思う。

 

「よし、戸締まり終わったぞ。帰るか、トロンメル」

「はい」

 

 西日の差す音楽室前の廊下で、私と近藤先輩はキスを交わした。お互い機材の入ったバッグを背負っているので、頭の上からニョキッと生えたネックをぶつけないよう体を捻りながらのキスだ。

 

(トントさん。恋をしていますか? ぜひとも『エル様』に代わる人を見付けて人らしい恋をして下さいね)

 

 私はそう考えながら、先輩と階段を降り駐輪場に向かった。弓道場のところでエルマと桜が戸締まりをしているのが見えた。当然エルマは私の気配に気付いている。だけど戸締まりに気を取られている『フリをして』、私と先輩がお互いの自転車を押して校門を出るまで無視してくれた。

 

 

 

 適当なところで先輩と別れ、家に戻った。先に戻っている人や留守を預かってくれていた人達に挨拶してから自室に入った。学生カバンを机の上に置いて、肩に掛かったギターバッグをそっとフローリングの床に下ろす。ギターを出して、部屋の隅に置いてあるギター・ラックの空いている場所に立て掛けた。エフェクター類もラックの横の木製の棚に置いた。

 これらのラックは姉さんの音頭でアーチャーさんとランスロットさん、ランサーが共同で作ってくれたものだ。ギター・ラックは上下二段で、押し込めば9本ずつの18本は収納できる大きさがある。アコースティックなら7本ずつの14本だろうか。

 そこの下の段にトランスルーセント・ブルーの私の愛機『Gibson Les Paul Studio Lite M-Ⅲ』や、何を思ったか姉さんとのお買い物で衝動買いした1988年製で、サンセットメタリックという珍しいピンク色の『Gibson Les Paul Custom Lite』、流石に倫敦には持って行けないからと姉さんから預かっている『Gibson Historic Collection '59 Reissue』、アメリカの姉さんからピックアップとサーキットが贈られたので買った『Epiphone Goth Les Paul Studio』などなどが並んでいる。

 下の段には近藤啓司先輩とお揃いの『Fender Japan Telecaster Custom TC72-70』があり、その横にはこれまた姉さんから預かっている『Fender Japan Telecaster TL62-75』、軽音部顧問の若地先生と相談して、部費という名目で1万円で買い取った『F&C Anboy AF-55』、姉さんと交換した『aria proⅡ 615 Nashville』、『Epiphone Goth Les Paul Special II』などなどが並んでいた。バッグから取り出した『Fender U.S. Cyclone Update』を置いたのはここだ。

 最後の『Epiphone Goth Les Paul Special II』は、日本の楽器店では見掛けた覚えがない。セットネックでなくデタッチャブルネックだからアジアで作られた安物だろう。きっと学園に持って行けば、60年代までの『Gibson』とタメを張っていたアメリカ製『Epiphone』や、経営母体が変わった事で日本製になった70年代から90年代の『Epiphone』を知らないと、『何だよ、これ?』って笑う人が軽音部にも居ると思う。事実、そういうブランド価値に今はなってしまっている。

 だけど2000年代のこれは、韓国か中国かは知らないけれど、今まで以上にアメリカの本家『Gibson』を盛り立てるべく歩み寄り、ホロウは良いけどソリッドは駄目という事もなく、ちゃんと使えるギターになっていた。アメリカの姉さんの受け売りだけど。そしてこの『Special II』は、そのアメリカの姉さんが撮影で使ったものをそのまま引き取って帰り、ご自分で改造したものだった。

 まずボディ・トップがカーヴドでなくフラットなのだ。そして上部1/3がメイプルで、下部2/3がマホガニーの貼り合わせになっていた。何と姉さんはデタッチャブルネックで簡単だからとボディを自作したのだ。そこにフロイドローズが搭載されているのも、フラットなボディ・トップだから割合簡単に可能になった事なのだと想像できる。そして前後のピックアップも、姉さんお手製の手巻きハムバッカーに換装されていたし、配線材やポットにも良いものが使われていた。

 コントロール・サーキットは、1ボリューム1トーンで、トーンポットを兼ねたコイルタップスイッチでなく、タップスイッチ新たにが増設されていた。これはライブでの演奏性を高めるためと、タップした時に隠し味のコンデンサとレジスタンスを通すための配慮だった。だからシングルにしても音圧はファットで、中域が『P-90』のようにゴリゴリと来る。アンプとワウだけでもステージに立てる、そういう人向けの『ツウ』な改造なのだった。実際、最近の私は部屋だとこれを手に取る事が多い。

 ただ、どうもこのギターはフレットから削り直してあるようだから、当然ながらお店でこのレベルは売っていない。これはお店を開いた時にこういう調整が出来ますよというデモ機でもあったのだ。

 この他、倫敦の姉さんからお預かりしているギターもまだある。『Greco D-800P』というリゾネーターと、これもアメリカの姉さんが贈った『Epiphone Goth 1958 Explorer』だ。これもファットでイカしたピックアップが付いている。ベッドの枕元に置かれていた『Morris MD512』は倫敦に持っていかれていたから、あちらでも寝る前などに弾かれているのだろう。

 なお、楽器店オリジナルのディンキー・タイプはここにはない。姉さんが横田先輩に前金で改良を依頼し、その出来上がりを吉川先輩が預かってくれているのだ。多分、姉さんを思い出しては弾いているのだと思う。またそうなるように姉さんが仕向けていた気もする。『気がする』だけだけどね。

 それでリゾネーターの『D-800P』は、同じアコースティックの『Headway』共々、『'59 Reissue』と同列の上段に祀ってある。だからこの部屋の神棚は、私の中でそこという事になっている。なのだけれど『Explorer』が、私の『Charvel Star』と同じでどうしても棚に入らないし立たないのだった。

 この家はエーデルフェルトの、言ってみれば日本別宅であって、私達はルヴィアさんの好意で住まわせて貰っている居候に過ぎない。凛さんの妹でもある桜は別として、彼女以外の人は幾ら親しい友人であってもこの家には連れ込めるものじゃない。そんなだから壁にポスターを貼ったり、釘を打つのも控えていた。なのでクローゼットがあるのに洋服ダンスを通販で買い求め、その側面にギターハンガーを取り付けて『Charvel Star』をぶら下げていたのだ。

 なのに『Explorer』を預かる事になってしまった。これは困ったと悩んでいたら、アーチャーさんがクローゼットのハンガーにギターを吊り下げられるフックを幾つか作ってくれた。ナイスアイディアだ! お陰で今は『Explorer』も『Charvel Star』もクローゼットの中だ。それで空いたタンスの横に、『ZENON F-170』をぶら下げている。この『F-170』は食堂に置いてあった、オーギュストさんが持ち込んだアコギだ。姉さんが居なくなると私以外誰も弾かないのだ。だから『(フックの)交換条件だ。君が持っていろ』とアーチャーさんに押し付けられてこうなった。

 これは仕方ないなと思っている。誰も使わない楽器なんて掃除の邪魔だろうしね。だけど、お気軽に取れる場所にあるので、姉さんみたいにポロロンと爪弾く機会がやたら増えたように思う。クローゼットを開いて制服から私服に着替えていたら、扉の裏に取り付けてある鏡に『Marshall』の『MF400A』キャビネットと『Mode Four MF350』ヘッド・アンプが写っていた。その横にはこれまた姉さんから預かっている『Fender Hot Rod Deluxe』コンボアンプとトントさんから戴いた、回路に手が入っていて、スピーカーがエミネンスからセレッションに換えてある『Marshall JTM310』コンボがあった。

 こいつの真空管は『6L6』だし、回路の設計から『Marshall』でなく『Fender』みたいな音がするとよく言われる。けれどこのトントさんが手を入れたアンプは『Marshall』っぽい、けれど新しい何かをその2発のセレッションから弾き出す。妙なディストーションもオーバードライブも要らない。これまたトントさんが改造した『Jim Dunlop CRYBABY』ワウがあれば十分だった。

 

 ワウ・ペダルで双璧をなすのは 『CRYBABY』と『Vox』だけれど、両者は掛かり具合の深さとエグみが全然違っていて、アクの強いのは『CRYBABY』の方だ。だけどそれがバッキングだと主張し過ぎて邪魔になる場合がある。そこでトントさんはペダルのデカさを活かして、『CRYBABY』の筐体にもっとエグくなる回路とインダクターを、やや大人し目にアレンジした『Vox845』の回路とともに組み込んだのだ。その2つの音色をスイッチ一つで切り替えらるところが凄い。これは『エル様』にも差し上げていて、トントさんはご自分のベースで使っていた。

 当然ながら私が持っている『BOSS DS-2』も『OS-2(OverDrive/Distortion)』もトントさんの手が入った改良品だ。先の『DS-2』は深いディストーション(Ⅱ/ターボモード)と浅いディストーション(Ⅰ/ノーマルモード)が、筐体のスイッチかリモートのフットスイッチで切り替えられるというスグレモノなのだが、『Marshall』使いのためにと、もう少し大人し目なオーバードライブとディストーションが切り替えられるようになっているのが特徴で、言わば『OD-1』と『DS-1』が切り替えられるような感じになっていた。

 音色的にオーバードライブは古い『OD-1』より80年年代に入ってから発表された『SD-1』の方が好きなのだけれど、トントさんもそうらしく、そちらを手元に置いて私にはこちらをくれた。そしてこの古臭い音が『JTM310』によく合ったし、姉さんの『Hot Rod Deluxe』にも合うのだった。姉さん曰く『もう一台作れませんか?』『この大きさに『PROCO』の『RAT』と『RAT2』が入ればなぁ』だって。

 それで『OS-2』の方は切り替わるのでなく、徐々にオーバードライブからディストーションに変化する感じのエフェクターなのだけどこれもトントさんの改造で、オーバードライブからディストーション、最後はファズに近づくような回路になっていた。そんな『OS-2』を『エル様』も愛用しているが、あの人のは非改造のノーマルだった。『エル様』はこれでアンプをブーストして、トータルの歪や音色を決めているのだ。ここ一発の歪は、どこ製で誰が作ったのかもわからない、やたら伸びるファズっぽい何かを使っていた。

 そう言えばトントさんは、ジャンクだった『maxon』の『D&S』と『D&SⅡ』を組み合わせ、切り替えたり内部で直列の順を入れ替えたりできるエフェクターを実験的に作っていたなぁ。この直列は凄かった。言うならファズとディストーションを繋いだようなものだからだ。そんなペダルでシングルコイル・ピックアップのストラトを使って演奏したものだからノイズも凄かった。

 そんなトントさんの愛機は『Squier Jagmaster』なのだが、日本向けのショートスケールモデルでなく、アメリカ向けのロングスケールモデルだった。前後のハムバッカーは元から『Duncan』がフェンダーに卸しているもので、そこそこの音がするらしいのだけど、トントさんはそれを外して、『Seymour Duncan SH-2 Jazz model』に載せ替えていた。そうすると微妙なピッキング・ニュアンスが際立ち、クランチにも合うのだそうだ。それで外したハムバッカーは、HSHのザグリがあるストラトボディに載せて色々な実験に使っているらしい。

 

 ただ、このエフェクターの試奏の時だけは『Fender Japan』の『ST67-95』という95年頃のとても珍しい、ジミヘン・モデルを弾いていた。そして演目は『Foxy lady』だったのだ。それもCDで出ていないLP盤ワイト島ライブの完コピだった。ドラムを担当した『エル様』が混線して来たラジオをまんま真似ながら叩くからとっても面白かった。私は『エル様』から渡されたベースを担当したのだけど、ず~っと同じ調子で弾いていた。ボンボン、ボボボボ、ボボボ、ボンボン。ずっとこれの繰り返し。あの頃は未熟だったなぁ……。

 だけれど、その時は自分の未熟さが気にならなかった。背の高いトントさんが持つ白いストラトのカッコよさにシビレきっていたのだ。例えトントさんのような褐色の肌を持つ姉さんでも、あのラージヘッドの白いストラトはそこまで似合わないだろうし、音を外そうがノイズが乗ろうが『今、いい音楽をヤッている』という気分にはならなかったと思う。そういうのを感じせる前に、ビートとリズムが黒くノッていたのだ。アフリカの血なのかな? そこにノッて縦横無尽にドラムを叩ける『エル様』も大概だったけれど。

 その後に『エル様』がカウベルを叩いて音頭を取り、『Stone Free』が始まった。テンポがえらく早いので私は途中で弾けなくなった。だけど2人はニヤニヤしながらテンポを早め、ツインボーカルを取っていた。そしてギターソロでは好き勝手に弾き倒し、ピーピーガーガーとフィードバックを起こし、ワウもキンキンに踏み倒していた。ドラムもオカズだらけになった。だけどキッチリ合わせているから、『何を見せられているのだろう』と、体を揺らしながら不思議に思っていた。

 途中凄まじいビートのドラムソロが入り、またまた早い原曲に戻って曲が終わったのが開始してから20分くらい経った後だった。トントさんも『エル様』も汗だくで、『ロイヤルアルバート・ホールを越えた』と手を叩きあっていた。その夜、トントさんは夢遊病を発症しなかったそうだ。

 

 そんな事を思い返しながらベストのボタンを外し、脱ぐや否やベッドに放り投げた。次にリボンをシュッと解きながら、ハンガーをベッドに投げた。スカートの脇にあるファスナーを一番下まで下げてホックを外せば、少し腰を揺らしながらブラウスのボタンを順に外しに掛かる。こうするとスカートが一気に床に落ちるのだ。

 私服に着替え終わったら、今度は床に散らばった制服を拾って、ベッドに投げたハンガーに掛けた。ベストを先に投げたのは最後に掛けたいからだった。そこでふと『明日から半袖で行こうかな』と思った。ここの備え付けのクローゼットは、私程度の者なら冬物も夏物も全部掛けられる広さがある。だから隣の扉を開ければ、クリーニングしたまま仕舞ってあった学園の夏服が見えた。

 

(スカートとベストはこのままで、明日からブラウスだけ半袖にしよう)

 

 そう思ってハンガーの制服を組み替えた。こういう時に気を付けないといけないのがリボンだ。解いたリボンをベストや上着のポケットに入れたままクリーニングに出してしまって、登校時にリボンが無いと探し回った挙げ句、購買で買う羽目になった人は多いと思う。それも情けないが、もっと情けないのはリボンのないブラウスで登校するその姿だ。画竜点睛を欠くとでも言うのかな?

 制服だからとか、決まり事だからというそんな高尚な意識からではない。襟付きのシャツやブラウスで、付属のネクタイやリボンがあるなら絞めたいタイプなのだ、私は。胸元がキッチリしていないと、どうも気分が乗らず嫌になる。スッキリ感が損なわれるというか……。こういう部分は姉さんに似ていると思う。なので今の私はブラウスの枚数だけリボンを持っていた。

 自分から購買で買ったものもあるけれど、姉さんに譲られたのもある。姉さんはお弁当タイムに少し汚れただけで、新たにリボンを買い求める人だった。勿論、汚れたのはその場で洗い、持って帰ってからもきちんと手洗いするのだけど。けれど買い直す人はかなり珍しい。ただ、これにはちゃんとした理由があって、少しの汚れだからとティッシュで拭くくらいで済ませるとシミになる場合があるからだった。また、午後の授業で胸元からおかずの匂いが漂うと授業に集中できないからというのもある。

 休み時間にお手洗いの鏡を見ながらリボンを結び直す人は時々いると思う。それを見て真面目な人だなと思うのが普通なのか、自分も結び直そうと思う人が普通なのかは、その人の受け取り方次第だと思う。けれど、集会となれば予備に持っていった、アイロンしてある綺麗なリボンに付け替える人はまず居ないだろう。まして卒業式当日に新品のリボンを絞めていく人は超珍しいと思う。

 だけどそれが姉さんの気持ちだった。『最後の学園生活だから』と。ありふれた日常が、親しい人と中庭でした他愛ない会話が、クラスメイトと机を寄せ合って花を咲かせた無駄話が、好きになった人へのお弁当作りが……それら思い出の1ページ1ページは、全部姉さんが手作りで彩ったものだったのだ。

 思い出が輝くのはそういう飾り付けに、生来の真面目さと本気の真剣さで向き合って来たからだ。何気ない事を真剣に積み重ねる────。そうして人は意味のある時を過ごせるのだと思う。そしてそれが輝く思い出となり、振り返った時に『幸せだった』と言える誇らしい自分になれるのだ。私とエルマはそれを姉さんの姿から学んだ。いや、凛さんもルヴィアさんも。

 

 

 着替え終えた私はそれから1時間ほど勉強して、その後戻ったエルマや皆さんと夕飯を頂き、お風呂に入ってから自室に戻った。中間試験一週間前だとしても、肉体改造に励む男子学生のように私のルーチンは変わらない。それは良い大学に入って良い就職先を見付けようと考えていないからだ。

 エルマがそうだったように、私も姉さんの声掛けでエーデルフェルトやお祖父様の事業に一枚噛み、株式投資なども行っていた。それらの見返りが2年に上がってから少し大きくなって来ていて、今のところ金銭的に何ら困っていないのだ。だから夢は一点。学園を卒業したらアメリカに渡り、ボストンのバークリー音楽大学に行って基礎から叩き直し、音楽で食べていく事のみだった。

 この事はまだ姉さんとアメリカの姉さん、それとエルマや、ルヴィアさんと凛さんにしか話していない。だけど2年生の間にも進路相談は数回あるだろうから、その前に顧問である若地先生には近い内に相談しておこうと思う。というのは進路相談が始まるとお向かいのアインツベルン家が騒がしくなる予感がするからだ。チビちゃんやクロエちゃんは喜ぶだろうけど、こんな私を一応『娘』として扱って下さる義理の両親はどう思うかだ。反対はないと思うのだけれど。

 問題はイリヤ姉さんだなぁ。賛成するか反対するか、あの人のリアクションだけは読めない。私の視線はそんなイリヤ姉さんが、うっかり蹴飛ばして壊してしまった『Whammy Xp-100』に向けられていた。『エル様』が『こんなに遅延してプロ用と言えるか! キヤノンやニコンのカメラでこんなにレリーズ・タイムラグがあったら総スカンだぞ!』とぷりぷり怒ってトントさんに譲ったものだ。それが今、流れ流れて私のところにある。

 確かになぁ。自分の音感やリズム感に合わないエフェクターはエフェクターとは言えないだろう。だから私も直そうという気が全然起きない。とは言えデジタル機器は日進月歩だ。倒産さえしなければ、今後はもっと良くなると思う。多分2~3世代後からかな? アイデアが抜群に良いのは間違いないよ。

 

 あ、私、アナログの小型エフェクターばかりに拘っているわけじゃないよ? ちゃんとデジタルやマルチエフェクターも持っているから。サラッと書くと、マルチは『BOSS GT-5』、『ZOOM 707II GUITAR』、『LINE6 POD XT』、『ZOOM GFX-1』の4台だ。『ZOOM GFX-1』は自分で買った。『707II GUITAR』があるから、ちょっと失敗したと思っている。部活にはちょうど良いけれど。

 それ以外の3台は『エル様』のお下がりで、アンプやギターを送って来られた中に一緒に入っていたものだ。『LINE6 POD XT』はラック型を買ったからとトントさんに差し上げたものらしいけれど、『Whammy Xp-100』と同じでイラネとなったらしい。あの人は改造できないデジタル・メカを嫌っているからなぁ。

 だけど、ワケのワカらない人が『エル様』だ。何万円もする機材をポンポン買って、ホイホイ人にあげるってどうなのって思う。けれど、姉さんはこれも経済活動だから貰っておきなさいと言うだけだった。でもあの人、私にくれた後『BOSS GT-5』を買い直していたんですよ?

 こんなマルチのラインナップに改造『Jim Dunlop CRYBABY』、改造『BOSS DS-2』、改造『BOSS OS-2』が、私の持つエフェクターのすべてという事になる。個人的感想だけれどやっぱり『歪み』と『ワウ』はアナログに限ると思うな。けれど『空間系(ディレイ/エコー)』はデジタルの方がお手軽だし、音がこもりにくい(遅れる音が崩れにくい)から良いと思う。『うねり系(モジュレーション/フランジャー/フェイザー)』はどうだろう? コーラスや軽いフランジャーは好きだけれど、フェイザーはあまり好きじゃないなぁ。

 ちなみに姉さんは『BOSS BD-2 Blues Driver』と『BOSS OD-3 Over Drive』、ワウの『VOX V847』などのエフェクターをお持ちだ。『BOSS BD-2 Blues Driver』と『BOSS OD-3 Over Drive』はどちらもブースターやエンハンサーのようにして使っている。それと中古で手に入れた『Maxon PUE5 tube』があるが、私の『ZOOM 707II GUITAR』を借りていったりしてあまり使っていなかった。

 それと『BOSS SD-1 Super OverDrive』があったと思うのだが、失くされたのか誰かに貸したままなのかどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 そして今、机の上に置いた眼の前にある筐体は『Fender Japan SL-22SC』という、私がいつも軽音部で使わせて貰っているアンプと同じものの中身だった。1990年頃のアンプらしいけれど、当時は流行っていたのかな? 倉庫に壊れたのがもう2台あったのだ。ギターやベースの修復やメンテが一通り終わったので、次はアンプだとなり先日持ち帰ったものだ。

 ノルマではないけれど、だいたい1ヶ月で1台直せばこの2年生の間に10~12台は直せる。そうすると倉庫のガラクタ・アンプがほぼ全部直せる事になる。私以外に半田ゴテを握れる人は居るから、実際はもっと早く直せるだろう。3年生になったホタルコ先輩(井上螢子先輩。愛称はケーコ)は『トロン(メル)、あなた女の子なのにこういうのもできるんだ?』と、呆れと畏敬がないまぜになった不思議な調子の感想を漏らされたものだ。

 アメリカ産の『Fender Toronado』を颯爽と弾きながら歌える憧れの先輩であり、HGBこと『穂群原ガールズ・バンド』の現リーダー兼、今学年から私が所属したもう一つのバンドのメンバーでもあった。ホタルコ先輩も、近藤部長も、部長と同じ男子だけのバンドに入っている高橋先輩も(例の黒い『Squier '51』持っている先輩)、私を『トロン』と略して呼ぶものだから、いつの間にか皆んなから『トロン』と呼ばれるようになってしまっていた。

 新1年生からも『トロン先輩』と呼ばれた時は一瞬何を言っているのか理解できなかった。けれどそれが何だか嬉しくて、後輩が使える機材を少しでも増やしてあげようと、こうして有志で頑張って修理しているのだった。

 それでこの『SL-22SC』というアンプだけれど、店頭に並んでいたのはさっきも言ったように1990年頃で、当時の定価が29800円、7W+7Wのコーラス入りステレオアンプという珍しい仕様のアンプだった。型番の『SC』はステレオコーラスという意味で、こんなに小さいのにジャズコ(roland JC-××)並の機能が入っていた。使える音かどうかは別としてディストーションまで入っているし(韓国製オペアンプ『4558』での歪み。ブランドは『Fender Japan』だけれど、このアンプの設計は『ELK楽器』という古参の会社が行ったそうだ)、20cmのスピーカーが2発で(ステレオ)、フットスイッチジャック(コーラス用)、センドリターン・ジャック(リターンはステレオ)にヘッドフォン・ジャック、ミニジャックのステレオインまである。

 だから昔の先輩はこのミニジャックにラジオやウォークマン、CDプレイヤーを繋いで、学園祭で教室のBGM用スピーカーにしていたそうだ。この壊れ方は貸し出ししていた可能性ありだなぁ。今ならMP3が繋げるから、まだまだ活躍しそうだ。そういう事で故障の原因は、ほぼ可変抵抗(ポット)の接点不良とジャックの断線か接点不良だ。ポット交換かポットを分解しての清掃で直りそうだ。外したアンプ部をみて、私はそう診断を下した。

 

 ところで私がここまで部に貢献するのは、軽音部が大好きになったからというのもあるけれど、とある小さな『心遣いと優しさ』を知ったからだ。

 姉さんが部室で凄まじいギターソロを弾いたのを憶えているだろうか? 吉川先輩がそこらの先輩から借りてきただけの事になっているが、あれは横田先輩が『彼女が弾くならこれにしろ』と渡したものなのだ。そのギターが『Fernandes FR-50』なのだけど、これが調べてみると1990年で製造が終わっていて、『FRT-8B』というロッキングアームが付いた、とっても珍しい『ショートスケール(24")』モデルだったのだ。

『FR』とは『Fernandes Revolver』の略でこのシリーズの初出は1985年の『FR-55』からだった。当時の盛り上がりつつあった『バンド・ブーム』と『ニュー・エイジ・サウンド』を志向する若者に向けた、比較的安価な『武器』だったのだ。と同時に『Fender』推し『フジゲン』と『Gibson』推しの『マツモク』などといった、日本のエレキ黎明期から成長期を支えた二大巨頭とその周辺の過度なコピーモデル合戦(我が道を行く『YAMAHA』までが巻き込まれていた)が漸く終わりを遂げ、新たなギターを各社が模索の中で試行錯誤していた時代でもあった。

 そんな日本エレキ・ギター史があるのだが、中でも『マツモク』は自社工場を持たない『荒井貿易(aria)』や『Fernandes』の製造なども行っていて、両社を含む様々なブランドを下支えしていた。その最初に出た『Fernandes FR-55』を手掛けたのも『マツモク』だとされている。そんな『マツモク』は、残念な事にプラザ合意の煽りを受けて1987年に解散してしまった。長野県松本市の工場跡地である南部公園には、今も『マツモク』を偲ぶ石碑が立っている。

『ギター好きなら、一度は詣でなさい』と言ったのは『エル様』だ。あの人は松本も静岡の浜松にも詣でている。なお、私の部屋の『神棚』はキッチリ長野県の方向に向いている。だから御神体は『'59 Reissue』であり『Headway』なのだ。(『Headway』を製造しているディバイザーは松本市にある工房だ)

 

 件(くだん)の横田先輩は材木商の息子さんでもあるが、こういう『歴史』を識り思いを馳せる事ができる人でもあった。そして間違いなく姉さんが無意識に放出している『魔力』にアテられていた。姉さんも今の会長さん(柳洞一成。2年連続生徒会長)には注意していたが、横田先輩までもがそういう感受性を持つ人だとは気付かなかったようだ。

 アテられた先輩は、まるで『使い魔』か私達『ホムンクルス』のように姉さんを慕った。怪異に敏感な柳洞先輩とは真逆の反応を示したのだ。きっと一目惚れ状態で、姉さんが編入した昨年春からずっと好きだったに違いない。2年掛かりで完成させたあのギターも、最初は名前がなかったのだと思う。だけど姉さんと出逢い、『エルヴァ』という名前になった。

 そんな人だから、吉川先輩にショートスケールの『FR-50』を手渡したのだ(横田→吉川といった直接でなく、横田→大槻→吉川という大槻先輩経由だったかも。あまり憶えていないのだ)。身長153cmの憧れの人が少しでも恥をかかないように……と。なお、『FR-50』は1987年に『FR-55』の廉価版として出たもので(その頃は『FR-55』もショートスケールだったようだ。これらがマツモク製かどうかは不明)、部のあれは1990年頃の改良版だと思う。ついでに言うと今触っているものでなく、私が部で使わせて貰っている『SL-22SC』と、姉さんの弾いた『FR-50』は元の持ち主が同じはずだ。魔術師だからそれがわかる。

 そして当然ながらその『SL-22SC』も『FR-50』も忘れ物でなく部に寄贈されたもので、元の持ち主は女性だったに違いない。更に言うならアンプもギターも倉庫から発掘してメンテしたのは横田先輩だ。

 卒業前の横田先輩は部で『Fernandes FR-55』を使っていた。これはかつての『FR-50』の上位機種ではなく、パースペクティブコンタードという身体にフィットさせるだけでなく、ボディトップの中央が丘のように盛り上がった、80年代終わりから90年代初めの流行りを残した2000年製のモデルだった。本人から聞いているので間違いない。旧ロゴで『FRT-11』が載った『FR-55』をわざわざ探したって。だって先輩が軽音部に入ったのは2002年だ。新ロゴの『FR-55S』やトップがフラットな『FR-55XS』が出回っていた頃なのだ。

『そっちでも良かったんじゃないの?』と考えてはダメだ。こういう感受性の高い人は人並み外れた思い入れがあるものなのだ。芸術家肌の人だとも言えるが、回路のない普通人だけど魔術師肌でもあるんだよね。だから姉さんにアテられてしまうのだけれど。

 だけど社交的ではないにせよ、親しみやすく後輩から男女問わずウケの良い先輩でもあった。私の第一印象も『静かで大人しい人だな』だったから。けれどいざ部に入ってみれば、懇切丁寧に指導して下さる優しい先輩だった。

 

 ところで今、女子には『Squier Jagmaster』を使っている人が多い。このギターは1997年に発売されていて、学園では数年前から流行っているそうだ。軽音部という意味ではない。軽音部に入っていなくともギターを趣味で弾く人はいる。そういう人達にも流行っているという意味だ。

 確かに世間一般でもこういうシェイプのギターが流行っているようで、店頭でよく見掛ける。多いのは『Fernandes JG-55』や『JG-40』だろうか。『JG-55』のリップスティックは少し気になるけれど、残念な事にこの二つはロングスケールでトレモロがなかった。

 それでその穂群原での局所的流行の起爆剤となった張本人を横田先輩が知っていた。同学年の女の子だったらしいが、1年時の学園祭で演奏をやったそうだ。一応ステージには有志枠もあるのだが、軽音部に遠慮して普通は名乗り出たりなんかしないそうだ。

 だけどその人は学園祭の数日前にエントリーして出て来た。そしてその歌声で体育館に集まった聴衆を一発で魅了したのだ。全曲オリジナルで、しかもベースもドラムも居ない。ギター独りだけでの演奏だ。曲によってはアコースティックに持ち替えたりもしていたという。

『こんな人が居たなんて』と横田先輩達が学園祭が終わった後、軽音部に誘ったそうだけれど、残念な事にその人は転校してしまったそうだ。どうも学園祭に出たのも思い出作りのためだったらしい。

 そんな気になる人は、名前を『坂上真帆さん』と言うのだけど、何と姉さんが知っていた。しかもしかもだ……。

 

『アコーステックギターの方は、きっと『Orville by Gibson』の『Hummingbird』ですよ』

 

 とまで言い切ったのだ。当然どういう事だと私は訊ねた。

 

『あっちの世界での『エル』の同級生ですよ。親の都合……確かお父様がかなり特殊な公務員でらっしゃるそうで、子供の頃から引っ越しが多いらしく日本各地を転々となさってらしたそうですね。あちらでは『エル』が引き止め穂群原のままです。卒業まで一人暮らししているそうで、『エル』がよく食事に誘っていました。JR冬木駅前で路上ライブをやるような人ですから腕前は確かですし、度胸もあります。青田買いではありませんが、海外の音楽大学も支援するつもりではないですか?』

 

 そんなに?

 

『ええ、その歌声は……私、彼女のファンでした』

 

 なんて事を倫敦に行く少し前に教えて下さったのだ。こういう並行世界の『妙』は他にもあって、エルマ達と仲が良く美人で有名な弓道部の白石先輩は、あちらだと穂群原でなく別の女子校に通っているという。『そんな事があるんだ……?』と私は絶句した。けれど人の未来は、そういう人と人との係わりで変化するものなのだ。となると『運命』って何だ?

 

『そんなもの、選択ミスに対する言い訳に過ぎん。運命なんてものはない。存在しない。それは、そうでもせんと『狂いそうになる』者が作り出した、自分を納得させるための都合のいい言葉だよ。理不尽であろうと不可解であろうと、選択ミスは自分だけがするものでもないからな。どこかの誰かがしてしまった単独ミス、或いは累積ミスの余波がこちらに来ただけ……そういうものさ、世の中は。堪らないがな』

 

 この人がそれを言うのかと驚いたし、『え?』っとなって2~3回顔を見返したくらいだ。だけど、感情抜きで話すならそういう事なのかも知れない。随分と達観しているなぁ。

 まぁ、それはさておき『Jagmaster』だ。こいつは日本だけでなくアメリカでも『Squier』ブランドで売られていて、大雑把に言うとアメリカンマーケットはロングスケールで、対する日本マーケットはショートスケールなのだった。そして姉さんが言うには……、

 

『歌いながら弾くと肘の動きが甘くなる場合があります。また、手の小さな女の人なら無理せず弾けるショートスケールは都合が良いですよ。しかもシンクロナイズド・トレモロでしょう? 『Mustang』のダイナミック・トレモロのようにチューニングが狂う事は少ないですし、『Jaguar』のフローティング・トレモロほどサスティーンが失くなる事もないでしょう。ミディアムスケールが厳しいなら、或いは自分の声と『Gibson』系のハムバッカーが出す音が合わないと感じたなら、『Jagmaster』を手に入れるのも十分アリですよ。強いて言うならピックアップの穴を埋めてザグり直し、『Telecaster』のピックアップを付けたいですね』

 

 と、なる。強いて言った方は何ていうの? 『Jagtelemaster』? どれだけ『Telecaster』が好きなのだと呆れるが、ギターってそういうものだしなぁ……。しかもアメリカの姉さんにその旦那様まで『Telecaster』を持っている。

(メールに添付された画像で見た。姉さんのは、もの凄いバーズアイメイプルのネックに木材がモザイクになったボディを持つお洒落なテレだ。コンター加工もしてあった。旦那さんのは、こちらの姉さんのと似たバーナーで焼いたボディだった。それを見て私は本場の国のDIY精神と品揃えの豊富さを思い知ったのだ)

 

 だけどなるほどだ。だから、その『坂上先輩』は『Jagmaster』だったのか。あれもハムバッカーではあるけれど、そこまで太い音じゃないから、確かに女の子の声に合うと思えるものなぁ……(アメリカのはダンカンだけれど、日本のは違うので音が少々軽い)。だけど私は指板の感じられるミディアムが良い。そう思えたから『Cyclone』に決めたのだ。

 

 なお、この新しいバンドのプランは、姉さんが『YAMAHA PACIFICA 112』に興味を示した頃からあって(『'51』に興味を示したのはアメリカの姉さんの方で、こちらの姉さんは演奏しにくそうと言っただけだ)、ホタルコ先輩とよく話し合っていたのだ。そして何を隠そう、ホタルコ先輩の『Toronado』がミディアムスケールでハムバッカーなのだった。だからバンド名は『台風一家』となっている。『過』でなく『家』なのはバンドという意味を込めた洒落で、台風は当然サイクロンとトルネードに引っ掛けてだ。

 ちなみに私とホタルコ先輩のどちらも、『技』でなければ『チカラ』でもないし、キュア何とかでもない。何を言っているのだアーチャーさんは? サイクロンはともかくトルネードは竜巻の事で、大型低気圧とは何ら関係ないぞ。敢えて言うならベースとドラムが男子のバンドなので、そちらは『技』と『チカラ』だと言えなくもない。

 なおこのバンドを結成した理由は、HGB(穂群原ガールズバンド)でのフラストレーションを晴らすためだ。姉さんの言う通りHGBは伝統と歴史の重みがあるから、学生らしい……要は今となっては少々古臭いイメージのオリジナル曲の演奏か、それに沿って作られた新曲の演奏に限られていまう。だけどそれが嫌だと言って、とっくに確立しているイメージに沿わない曲を作って演っても、聴衆である他の学生が受け付けない。だから新たな楽曲発表と演奏の場として、方向性の異なるバンドを結成したのだ。

 

 ちなみに姉さんが言うには並行世界の穂群原にもそういうバンドがあるそうだ。メンバーは『エル様』にトントさん、そして『坂上真帆さん』なのだとか。坂上さんはあちらでのHGBメンバーだそうで、それを知らなかった私は鋳造後からこちらに来るまで何を考えていたのだろう。造られた存在として何もかもを諦めていたからなぁ。太陽が明るいなとか、子供が騒いでいるなとか自分の周囲に関心を持ったのも、こちらに来てからだ。それまでは本当にどうでもよかったし、音楽以外に興味がなかった。

 それはともかく、その3人は……先の順でキーボード兼ボーカル、ドラム兼ボーカル、ギター兼ボーカルで、3人がボーカルを取れた。なお、ベースは『エル様』が兼ねているのだそう。キーボードで下も弾くんだろうね。姉さんはこちらに来たので『エル様』が3年生に上がってからの演奏は知らないでいた。学園祭で何をしたか知りたいそうだ。

 

(この答えを数年後に知ったのだけど、やはりというか何というか、予測通り『エル様』が左手でシンセを弾いたり、足でのシンセでベース・ラインを弾いていたらしい。なお学園祭では坂上さんがベースを覚え『展覧会の絵』を演ったそうだ。EL&P版のアルバムを下敷きにアレンジしまくりで、途中同じムソグルスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』や『禿山の聖ヨハネ祭の夜(リムスキー・コルサコフの『禿山の一夜』の原曲)』などのメロディーも入っていたのだとか。おまけにグレッグ・レイクが弾き語る部分は、『エル様』のギターも入ったツインギターだったそうだ。また『ブルース・バリエーション』のところは、敢えてオルガンを減らして、シンセ4台をガンガンに使ったという。そしてこれらの編曲・アレンジを『エル様』がたった一人で行ったのだ。どうしてこんな人が音楽家にならず起業家になったのか。家と魔術のせいと言うには余りに寂しい)

 

 

 

 そんな事を思い返しながらポットの清掃をしていた。一段落して綿棒を置いて息を吐き、電気ポットの沸かし直しスイッチを入れたタイミングでエルマが私の部屋の前にやって来た。

 

「トロンメル~、ドアを開けて~」

 

 はい? どうしたと思ってドアを開けると、幾つかのギターバッグ(ソフトバッグ)を両肩に掛け、腕にボールの箱を抱えたエルマが、今にも落としそうな顔をして立っていた。慌てて幾つか受け取って部屋に誘うと、後ろでニコニコとイリヤ姉さんが立っていた。

 

「アサシンに探させていたんだって」

 

 イリヤ姉さんはそう言って、自分が肩に掛けたギターバッグから1台のギターを見せてくれた。中身は『Orville』の『Les Paul Junior』だった。ダブルカッタウェイのタイプで、PUは『P-90』のドッグイヤー1発。型番は『LPJD-70』というらしい。キズもあるけど焼けたTVイエローが良い味を出している。私はこういうシンプルなギターが好きだから、素直にカッコイイと思った。

 

「分けるのを手伝ったらくれたの。少し傷んでいるみたいだから直してくれない?」

 

 私はエルマから受け取っていたギター達を壁に立て掛けたり床に置いたりしながら話を聞き、その後に頷きながらイリヤ姉さんからジュニアを受け取った。シールドをアンプに繋げば音が出ない。こういう場合、慌てず真っ先にジャックを見る。ネジを外せば、ハンダが取れて断線していた。そこのハンダ付け直せばオーケーのようだった。

 だからコテを温めている間に、姉さんが残していった電気ポットのお湯がちょうど沸いたので2人にお茶を振る舞った。

 なお、姉さんが置いていった家電からエルマが電気ポットを取らなかったのは、ホットカーラーなどを取ったから。包丁などの調理器具はマルガリータさんや凛さん、ルヴィアさんとで分けていた。クロエちゃんが姉さんの通学用自転車を取ったのはこれがあったからだ。一方、イリヤちゃんは姉さんが残したTシャツやホットパンツ、文房具などを欲しがった。こうも見事に分かれるとは……。

 

「分けるって仕分けたって意味?」

「そう」

 

 エルマも返事をしながら、自分が抱えるギターを私と同じように置いていた。これ以上のギターは要らないぞと思いつつも、興味を惹かれる自分を抑えられない。

 

「イリヤ姉さんが、このジュニアを探せってエルマに?」

「ううん、私じゃないよ。エルヴァがメールで。これはお手伝いしたから貰えたものよ。だよね、エルマ?」

 

 倫敦の姉さんが?

 

「はい。お姉様とのデートが懸かっていますので」

 

 あ~~~……大体わかった……。きっと『Orville by Gibson』の当時最高のモデルを『もしエルマが手に入れてくれたなら』とでも冗談めかしてメールに書いたのだろう。それをエルマは真剣に受取り、アサシンを使って達成したと……。この顔は絶対そうに違いない。

 

「日本全国の中古楽器店やリサイクルショップなんかにアサシンを走らせた?」

「全国とまでは行かないけどね。近隣の県はだいたい全部」

 

 どういう英霊の使い方だ。だけど手直しして、もう少し時間が経過してから売れば結構いい値がつきそうだ。これもお酒の転売と同じか……。エルマは意外とアサシンにも現世を楽しんで欲しいと、お金の回る仕事を探して来るし、彼らの会社を興す計画も持っている。そういう流れの中の一つなんだろうね。

 それと……エルマは私と同じで背は低い。今で155cmくらいのはずだ。姉さんや『エル様』を越えてしまったが、これ以上は伸びないだろうし、伸びても157くらいで止まると思う。そして見た目の年齢も20数歳で止まるだろう。成長型ホムンクルス……とんでもない技術だ。

 そんな鋳造の仕方だから、無理矢理なパワーは持たされていない。なのにエルマは左右の肩に2本ずつの4本、背中に1本のギターバッグを担いでいた。この底力と言うか馬鹿力が弓道で培われたのかどうかは知らないけれど、エルマの面白いところだ。宝具に入れるか重力軽減の魔術を使えば良いのに、私を喜ばせたいのだ。だからバッグや箱から全部のギターを取り出してみた。

 全般的に経年変化はあるし細かなキズはある。つまりそれなりのヤレはあるという事だ。けれどパット見、致命的な欠損やキズは無いように思えた。次にそれぞれを細かく見た。

 

 

 1、『Orville』のレスポール・カスタム。『by Gibson』がないから型番はおそらく『LPC-75』。姉さんにはこの上の110000万だった『LPC』だろう。個人的には黒い3PUの『LPC』が欲しかった。この色はアルペンホワイトだろうけど、経年変化で少し黄ばんでいる。裏には何だかわからないステッカーが貼られているし、打痕や塗装剥がれもある。でも全体的な作りは良く、問題はない。

 2、『Orville by Gibson』のレスポール・スタンダード。アメリカ製PU『TM490』が付く。型番は『LPS Standard』で色はヴィンテージサンバースト。他のメーカーならタバコ・サンバーストとでも言ったろう、周辺が濃いサンバーストだ。トラ杢とまでは行かないけれど少し杢目がある。大切にされてきたのだろう。擦り傷やバックル痕といった演奏痕はあるけれど、塗装剥がれはないし打痕もない。幾らで仕入れたのか知らないけれど、これは楽器としてかなりのアタリ品だ。

 3、『Orville by Gibson』のレスポール・スタンダード。こちらはトラ杢がしっかり出ているが、これはラミネートだ。先程のタイプの上級版で、確かキルテッドメイプル版もあったと思う。レモンドロップの浅いサンバーストが綺麗だ。ああ、わかった。姉さんにはもっとキズのないトラ杢とキルトの2つを用意したんだ。とは言えこれもキズは少ない。これはこれでアタリだと思う。

 4、今度は『Orville』のSG。いわゆる『'62 Reissue』だ。型番は確か『SG-65』だったっけ? 色は珍しい真っ黒。キズに塗装剥がれ、打痕も多い。ピックアップ・カバーのキズも凄い。けれど、これはしっかり弾き込まれたギターだ。フレットは弦の真下がすっかり抉(えぐ)れている。特に3フレット、5フレット、7フレットの辺り。打ち替えだなぁ。でもこういうギターは好きだ。

 5、再びのカスタム。『Orville by Gibson』で色は黒。『Orville』とはPUが違うだけだと思う。トップもメイプルだ。3PUが欲しいのは、あちらがオールマホガニーだと聞いていたからだ。だけどこれはこれでアリだ。細かいキズに風格があってカッコイイ。

 

 しかし、SG以外はレスポールだって? 1本4kgとして20kgはあるぞ? それを1人で抱えて来たって……重力軽減はしていないみたいだったし……。だけどポットやサーキットに問題がないなら、これらは弦高などを調整すれば直ぐに使える。どれも10年くらい前のだろう。良くも集めたりだ。

 

「こういうのは他に無かったの?」

 

 私はイリヤ姉さんのジュニアを指差した。それに仕分けと言っていた。エルマはこんなものじゃない筈だ。まだ何か持っている。

 

「やっぱりわかるかぁ……流石トロンメル」

 

 今度は宝具から出して来た。とても大きな箱が二つとギターバッグが二つ。

 箱に入っていたのは、『Orville by Gibson』のフライングVだった。ピックアップにエスカッションのない74年型フライングVで型番は『FV-74』だったかな? 色は真っ白。これは……。確かこの型で同じ色の、80年代か90年代のモデルを『エル様』のお姉様である『イリヤ様』がお持ちじゃなかったか……?

 

「これってイリヤ様の?」

 

 イリヤ姉さんがキョトンとする。けれど直ぐに『ああ、『エル』の……』と呟いていたから、エルマも私もコクリと頷いた。

 

「それをトロンメルに?」

 

 イリヤ姉さんがエルマに訊ねた。

 

「言い難いですが、トロンメルはイリヤ様にもお世話になっていたので……」

「気にしないで。私と彼女は違うから。でも、一度逢っているけど、良い子よね。コンフリクトするらしいからって、前はちゃんと話せなかったの。また逢いたいな」

「はい。逢えますよ」

 

 この世界の隔離は2~3年で終わると『エル様』はここを去る前に仰っていたという。トントさんの夢遊病は私だけじゃ抑えきれない場合があった。そんな時にイリヤ様はそっと手伝ってくれ、次の日、睡眠不足で寝坊した私を起こしに来てくれたりしていた。エルマはその事を指して話していたのだと思う。それにイリヤ様を慕っていたのはエルマも同じだ。このフライングVは私達二人のために手に入れたのだと思う。

 

 次の箱も『Orville by Gibson』だった。邪魔になるからエクスプローラーなら嫌だなと思ったら、中身はSGのダブルネックだった。型番は本家『Gibson』と同じ『EDS-1275』だろう。『EDS』は多分だけれど『エレクトリック・デュアル・ストリングス』の意味で、上段の12弦ギターを指しているのだと思われる。と言うのは4弦ベースと6弦ギターを組み合わせたタイプが『EBS-1275』で、8弦マンドリンと6弦ギターを組み合わせたタイプが『EMS-1275』となっているからだ。

 なお、こういうダブルネックはエレクトリックになる前のホロウ・ボディ時代から存在していたらしく、型番にアルファベットが付いたのはエレクトリックになって以降で、それ以前は単なる『1275』だったようだ。そしてSGのような見た目になる少し前は、ダブルカッタウェイのレスポールっぽいデザインだったという。それがホロウ構造だったのかソリッドだったのかは知らないが、もしソリッドだったら怪力自慢な人でないと扱えないぞ。

 ちなみにザ・バンドのロビー・ロバートソンがそのSGになる前の『EMS-1275』を持っていたそうで、過渡期だったからか出荷台帳によると僅か44本しか制作されていなかったそうだ。さて、この『Orville by Gibson』のダブルネックは何台作られたのだろう?

 また、こういう特殊なギターだったので、本家『Gibson』でも基本のデザインはそのままに、半ばセミオーダーだったのだと思う。だから有名なジミー・ペイジのダブルネックのように同型のダブルネックと違った、ブリッジとテールピースが随分と離れたモデルがあったのだと思う。これもおそらくという想像含みだけれど、60年代にスタジオ・ミュージシャンだったジミー・ペイジが、当時主流だった弦のゲージと、それに伴うテンションを考慮した上でそういう仕様にオーダーしたのだと私は考えている。

(ブリッジとテールピースが離れると、角度というか落差が緩やかになり弦のテンションが下がる。そうなると.010や.011のゲージでもチョーキングが楽になる。この落差は結構効くので、レスポールやSGでブリッジを上げたり、ブリッジの上を通るように弦を回す方法は結構前からあった。軽音部でもこういう弦の回し方をレスポールにしている人がいる。少し弾かせて貰えば、やはりチョーキングしやすかった。それで自分の『Studio Lite』にもと考えたのだが、その前に相談した姉さんに止められた。理由は今どきの.009や.008のゲージでそういう事をすると、指のチカラが衰えて他のギターが弾けなくなる恐れがあるからだった)

 

 そしてこの『Orville by Gibson』のダブルネックは、そのジミー・ペイジ仕様だった。当然ミディアム・スケールだし、こうして見るとやっぱりカッコイイ。だけれどこれを私や姉さんが持つとどうなる? 背が高く手足も長いジミー・ペイジだったから似合っていたのだ。ドン・フェルダーもそうだし、スティーブ・ミラーもそう。ジョン・マクラフリンもそうだ。皆んな背が高く、手足が長いのだ。

 私らも欧米人らしく、身長の割には手足が長いとよく言われる。クラスメイトにも『あんたの内臓はどこにあるんだ?』とからかわれる事もあるくらいだ。

 だけどこうも絶対的な大きさがあると、チビなのは誤魔化しようがない。姉さんがエクスプローラーを譲られたは良いけれど、ほとんど弾かなかったのは、右肘が当たるようなデザインだからと言うのもあるけれど、最大の理由は似合わないと自覚していたからだろう。アメリカの姉さんが送ってきたのも、旦那さんや周囲の人に『似合わない』と言われたからではなかったか? そんな気がするけどなぁ。

 

「これ、宝具に仕舞いっぱだったのは、姉さんに贈るのを躊躇ったからでしょう?」

 

 ズバリ言ってやった。エルマはお姉様の手前声には出せないとばかり、やや涙目で小さく頷いた。イリヤ姉さんはヤレヤレという顔だった。だけど私はエルマに感動していた。だってこの『EDS-1275』、本当にレギュラー・モデルだったのかな? 絶対に違うと思う。見栄えが良いから、当時のカタログには堂々と載っていたのだと思う。けれど実際は楽器店を通しての注文制作で、手元に届くまで数ヶ月待たされるモデルだった気がするのだ。つまりこのギターはかなりの希少品だった可能性が高い。そんなのを『お姉様に』と見つけ出して来たのだ、エルマは。

 

 そして次のソフトケースに入った2台を見て、私はエルマが恐ろしくなった。ここでは後で判明した事柄も含めて書き出そう。メーカーはどちらも『YAMAHA』で機種のシリーズは『RGX』だ。

 まず、真っ赤なボディのSSHは『RGX-1212J』だ。ローズ指板を飾るインレイが、斜めにぶった切られたシャーク・タイプ・デザインになっている。けれど、お尻側が凹んだデザインなのでナイキのロゴっぽくも見えた。そしてその24Fのネックはメイプルとマホガニーの5ピース・スルーネック構造だという。ボディはアルダー。カッタウェイは高音が弾きやすいようにと、角がかなり抉られている。オリジナルの2点支持ロッキング・トレモロが搭載され、アームも紛失もされず付属していた。

 コントロール類は1ボリューム2トーンだろうか。そこにセレクター・スイッチはわかるが、縦に並んだ3つのミニ・スイッチが謎だった。

 

(後日調べてみるとボリュームはマスターで、2つのトーンはフロント+ミドルとリア単独だった事がわかった。セレクター・スイッチは予想通りの5ポジション。ミニスイッチはファンクション・スイッチといい、上からダイレクト・スイッチ、クリアネス・スイッチ、バイサウンド・スイッチだった。ダイレクトはボリュームやトーンといった可変抵抗やコンデンサをバイパスして出力するものだ。アルダー・ボディだとカンカンに硬い音になって使えないと思う。こういうところが昔のギターだ。次のクリアネスは絞っても抜けるとあるからハイパスだろう。テレキャスの高音が煩く感じるのはこれがあるからだ。合わないと思う人はボリューム・ポットのコンデンサを外すと音が太くなる。よく昔のテレキャスはレスポールのような音が出たと言われるのは、このハイパスが無かったからだ。最後のバイサウンドはヤマハ独自の言い方で、要はリアハム用の単なるタップ・スイッチだ。このサーキットのミソは2つ目のトーンの方で、リア単独となっている点が素晴らしい。何故ならブリッジ寄りで硬くなる高音をこれで抑えられるからだ。エリック・ジョンソンも自分のストラトのセンター・トーンをリア用に繋ぎ換えている。時代が変われば耳に心地よいサウンドも変わって来る。やはり今の時代、キンキンと耳に煩い音は合わないのだ)

 

 この『RGX-1212J』はこのシリーズの最上位モデルで、なんとスケールがミディアムだった。ハイアマチュアからプロに向け80年代後期に送り出された『YAMAHA』からの『ウェポン』なのだった。スティーヴ・ヴァイやジョー・サトリアーニなどのハイテク・アイバニーズ・ギタリストが台頭して来て、ジェフ・ベックまでがシャーベルを手に取った時代のものと言えばわかるだろうか?

 次の白いSHもそんな『ウェポン』の血が流れたモデルで、型番は『RGX-611J』。メイプル指板だから『RGX-611J/M』の方だ。24Fのドット・ポジション・インレイで、定価としたら『RGX-1212J』の半値という下位モデルだ。けれど『EMG』のようなアクティヴでなく(中間機種には、その『EMG』が採用されているモデルもあったようだ)、ノイズもロックだと言わんばかりのこういうモデルも好きだ。

『RGX-1212J』と元の持ち主が同じ人なら友人になれそう。と言うのは、どちらも経年変化こそあれそこまでヤレていないのだ。ただ、『RGX-611J/M』のネック裏や指板は黒くなっている。元のオーナーは、きちんと手入れしながら弾き込んでいたのだと思われる。フレットも打ち替えた跡があるから、とても愛されたギターなのだろう。これは胸がキュッと来る。いいギターだ。

 

 

 

「わかった。これとこれ、それとこの3本でいいよ」

 

 私が指差したのは『RGX-1212J』と『RGX-611J/M』、それと『SG-65』だった。欲を言えば『Orville by Gibson』のトラ杢じゃない方の『LPS Standard』も捨てがたい。

 

「交渉成立。何本集めたのか知らいけれど」

「やった! 私としてはこれ全部での交渉だったんだけれど」

 

 ならと、ヴィンテージサンバーストの『LPS Standard』もこちらに引き寄せた。エルマはもしかしたら、4~50本は集めたのかも知れない。それらを私が全部手直しして、姉さんの分以外は、もっと値が上がってから再度売りたいのだとやっと白状してくれた。そうしてちょっと張り詰めていた空気が緩んだところで、姉さんとの賭けの対象となった本命のキルトとタイガーの『LPS Standard』と、自分用にと取り置いていた2本、それと気になったという2本とアンプを見せてくれた。

 

 取り置いた1本は『Orville』のレスポール・ジュニアだった。さっきのイリヤ姉さんとお揃いのダブルカッタウェイ・モデルで、こちらはチェリーだった。キズは多いけれどそれはそれで味があるし、何よりこれは回路がシンプルな分、簡単に直せる。ロックンロール向きな使えるギターだ。やるなぁエルマ。私が褒めたらイリヤ姉さんも嬉しそうだった。

 2本目は意外にも『Fender Japan』の製品だった。型番は『TL314-55』。つまりテレキャスターだ。色は黒。当時もこの色しか無かったのかな? フレットは22Fあり、型番の『314』が語るように、80年代にあったという別シリーズの『STM』や『TLM』と同様のミディアム・スケールのモデルだ。これとストラトの『ST314-60』『ST314-55』『ST-336』『ST-335』『ST-331』、ジャズベースの『JB406-60』などもミディアム・スケールで、これらを探している人も居ると思う。いや、違う意味でもこの時代の『Fender Japan』製品を探している人は多いだろう。

 というのは、これらのモデルというかこの時代の『Fender Japan』は、あの『フジゲン』が『Fender』と手を組み、『Fender Japan』を興して運営していた、一番脂が乗っていた時期の製品群でもあったからだ。

(それらがフェンダージャパン株式会社設立当初の1982年から1984年までに作られた『JVシリアル』と、それ以降の『SQシリアル』『Eシリアル』までとされている。部の『TL52-95』はこの『JVシリアル』だ。まさに『MADE IN JAPAN』。なお『フジゲン』は消えた『マツモク』と違って、今も良い製品を作り続けている)

 

 そんな『フジゲン』の置き土産が『Fender Mexico』だったから、オリジナルのメキシコ製『Cyclone』には『フジゲン』の遺伝子が入っていると言えるかも知れない。

(『フジゲン』がフェンダーと切れたのは1997年。以降は『Greco』の神田商会が新たに興した『Fender Japan』というブランドだ。こちらは神田商会の子会社であるダイナ楽器が製造、若しくは東海楽器、寺田楽器、アトランシアなどが作った部品を組み込んでいる。だから『MADE IN JAPAN』でなく『Crafted in Japan』と表記してある。これは最盛期の『フジゲン』のキャパがそれだけ大きかったという意味でもある。なおその頃出た一連の『Squier Vista Series』がこの『Crafted in Japan』表記で、東海楽器などが作っていたようだ。『Jagmaster』『Venus』に『Super-Sonic』などがあった)

 

 取り置きとは違う『気になった』というギターの1本目はきちんとツイードのハードケースに入っていた。それだけでフェンダーだってわかる。蓋を開けるとローズ指板の赤いストラトだった。さすがに本物のヴィンテージではない。間違いなく『Fender Japan』のギターだ。なのだけれどえらくシャンとしている。しかもやたら綺麗で、経年変化で軽くくすんだフレットも全然減っていない。ケースの中に保証書のようなものが入っていた。それを見て私は驚いた。

『ST62-EX Custom Made CAR』。このギター、セミオーダーの『EXTRAD』シリーズの製品だった。このセミオーダーは1986年から1995年頃まであったシステムで、当時の『マツモク』のベテラン・クラフトマンが、組み込みから塗装のフィニッシュまで目を光らせていた逸品なのだった。

 思わずギターを手にとってしげしげと眺めると、薄いラッカー塗装のヘッド裏には『Fender CUSTOM MADE』とあった。ネック下の『MADE IN JAPAN』が誇らしい。こんなキャンディ・アップルレッドなんて、このオーダーシステムにあったの? サンバーストだけじゃなかったの? お金のある好事家がオーダーして寝かせてあったのだろうか?

 ああ、ネックが手に吸い付く。これならロングスケールでも弾ける気がする。思わずエルマを見たら首を横に振られた。こいつ、このギターの価値を私の反応で測ったのだ。本当に強運だ。こんなのを見付けてくるなんて。

 次のギターもツイードのハードケースに入っていた。蓋を開けるとエルマがこんな事を言った。

 

「これ、変じゃない? 騙されたのかな、私?」

 

 思わず笑った。それは『ST57-140YM』だった。『Yngwie Malmsteen Signature Model』。このメイプル指板の57とローズ指板の62、それとヘッドの大きなメイプル指板の72があったんだっけか? 1994年頃に発売され、ラージヘッド・モデルは『フジゲン』から神田商会に変わっても(『ST68-185YM』や『ST71-140YM』)2001~2002年頃までカタログに載っていたと思う。それとこのシグネチャーは人気があってアメリカのフェンダーにも存在していた筈だ。イングヴェイはそのアメリカ産シグネチャーが出てから、ステージでヴィンテージを使わなくなったというような事を耳に挟んだ憶えがある。

 フィンガリング・ボードは当然スキャロップ加工されている。エルマはそれを見て『変』と言ったのだ。スキャロップ加工は単音の速弾きなら効果が高いが、指圧の高い人や、各指で指圧がバラつくコード弾きには向かない。弦が押されて音がシャープするのだ。だけれどその欠点を裏返せば、弱い指圧でも音が出る訳だから、やはり速弾きに向いているし、タッピングにも向いていたりする。

 余談だけれど『エル様』は、ご自分の『Mustang』に小学生時代からスキャロップ加工を施してらした。これも速弾きよりタッピングの効果を上げるためだったと聞いている。当然速弾きの練習もしていたと思うけれど。という事で、姉さんもスキャロップが問題なく弾けると思う。いや、アメリカの姉さんならもっと凄いかも。と言うのは、あの姉さんがアメリカの姉さんには負けると言い切ったからだ。

 

『スイープした方が早くて楽なのに、彼女、事もなげに全部ピッキングしているのですね。これは真似できませんよ』

 

 というような神懸かった事をしている映像を送って来られたのだ。だけどアメリカの姉さんに言わせると、もっと上手なのはスイスの『エルさん』だと言う。

 姉さんもアメリカの姉さんも、元は『エル様』でそこから分かれた存在だ。もっと言うなら姉さんは『エル様』の『良い面』の精神や意識を分け、その精神と意識に肉体を与えた存在だ。また、アメリカの姉さんは姉さんの精神や意識を『複製』し『素体』に押し込んだ存在だろうと思う。

『エル様』にとっては、この『良い面』が重要だったのだ。それで『エルさん』はそんな2人の精神と意識をアレンジして、私達100番代の後に鋳造した素体に押し込んだ存在だった。アメリカの姉さんの言葉によると、

 

『『エル』ほど無茶はしないし、考えもそこまでぶっ飛んでいません。周囲をきちんと見ていますし、行動にも慎重なところがあります。ただ、エルヴァちゃんの善きお手本たろうと、時々他人が真似できない事をサラッとしますね』

 

 だそうだから、このピッキングもそういう部分が出たのだと思う。スイスでの結婚式で逢ったきりだけど、『エル様』とも2人の姉さんとも違っていて、私は面白い人だと思った。エルマは少々複雑そうだったけれど。(ルーマニアで何かあったらしい)

 

 

 だけど本当にエルマは面白い。この『ST57-140YM』でなく、同じ94年に限定販売された『ST54-150AS』、ストラトキャスター40thアニバーサリーモデルを引っ張って来れないところがエルマだと思う。斜め上に行くところに彼女の運勢というか運気が見えた気がするなぁ。結局『ST57-140YM』はあなたが持っていても良いが、これを弾けるのは姉さんしかいないから、いっそのこと差し上げろと話した。

 

「あ。これはこれで良いの? 妙な改造を失敗したとかじゃないんだ?」

「いやいや、これはこういうものなんだよ。姉さん、喜ぶよ」

 

 そう言ってあげた。エルマもイリヤ姉さんも半信半疑な顔だった。そういうものかな。大昔のリュートなんてフレット代わりにスキャロップだったじゃない。ああ、そういやエルマの選択科目は美術だった。もしかしたらエルマ、リコーダーどころか鍵盤ハーモニカも吹けないんじゃ……?

 

「あのさ。エルマってリコーダーや鍵盤ハーモニカも無理?」

「何言ってんの? 私ら鋳造されて2年経ってないんだよ? 幼稚園や小学校に通った経験もないし、どうしてそういう楽器が扱えると思うの? あなたがギターを弾けるのは私のお料理と同じで、『エル様』やお姉様が親身になって教えてくれたからでしょう?」

 

 え~~っ? エルマって本当に? ああ……その分、魔術師としての能力と魔術機能が高いのか……。だからホイホイと並行世界の聖杯戦争に赴けたのか……。等価交換の対価で機能が削られているのは音楽だけだろうか? 途端に心配になった。だけどイリヤ姉さんの手前、おかしな事は言えない。だから私はエルマにお断りして、『RGX-611J/M』と『SG-65』、それから『TL314-55』を自分のアンプに繋がせて貰った。先に調子を見ておこう。

 

『TL314-55』はポットにガリが少しある。フレットも減っているし、打痕も塗装剥がれもあった。けれどこれらは全部直せる。何より今日見たエルマの持ち込み分は、どれもネックが反っていないのだ。アサシンがそういうのばかり選んで探していたのか、それともバブル期だったから良い製品が作られていたからなのか、或いはよく乾燥して枯れた木材がストックされていたからなのか。きっとその条件のどれもが少しずつミックスされた結果なのだろう。

 ギターのボリュームを上げ下げしたり、セレクタースイッチをカチャカチャ切り替えたりして色んな音を試してみた。悪くない。ネックは手に馴染むし、音もテレらしい良い音だ。だけど、姉さんの『TL62-75』には到底敵わないと思う。

 その差がどこから来るのかと言えば、ミディアムかロングかのスケールの違いや、ボディやネックの材の違いもほとんど関係なく、大きく異なるのはポットとスイッチ、配線材、それとサーキットの簡単な改造にあった。実はこれらのトータルで、『これは違う』とわかるものになるのがエレクトリック・ギターやエレクトリック・ベースなのだった。

 

 まずエレクトリック・ギターを使ったロックという音楽が生まれた当初、そのギターを提供したブランドはほぼ全部がアメリカだった点に注目だ。だからポットもスイッチも配線材もキャパシターも全部アメリカ製だ。そしてこれらのパーツがロックを作った一部なのは厳然たる事実であって、電気パーツとしての特性が優れているかどうかは全然関係ない。合理的か非合理的かもあまり関係ない。音楽という耳で味わう料理のレシピに、CTSのポットやベンデルの線材は欠かせないという事だ。

 ここを勘違いしてしまう要因は、ロックが芽吹き花咲く頃、世界的に有名になった料理人(ミュージシャン)にやたら英国人が多かった点にある。それで彼ら料理人が目指したのは、ロックの基礎・基本・根幹にあったアメリカのブルースなのだった。姉さんはズバッと『ロックは南部料理だと考えなさい』と私に言っていた。『Marshall』や『Hiwatt』などのアンプも、『Fender』という名のアメリカン・ソースを倫敦仕立てにした、アレンジ・ソースなのだそうだ。

 そして姉さんの『TL62-75』は、行きつけの楽器店の中古コーナーを担当していた店員さんが手放したもので、そういったアメリカのパーツがふんだんに使われた(交換されていた)ものだったのだ。確かにボディ材はアッシュやアルダーでなくバスウッドだけれど、ネックがメイプルでローズ指板なのは同じだ。

 そして店員さんはギターだけでなく姉さんが求めたアンプ……モデファイされた中古の『Hot Rod Deluxe』の前オーナーでもあったのだ。手放したのはその店員さんが60年代のヴィンテージ・テレキャスターと、ブラウンフェイス期の『Twin-Amp(Twin Reverbになる前のもの)』を手に入れたからだった。

 それと手放すのにもう少し手間取っていたら、ピックアップを『Van Zandt』に換えていたというアドヴァイスも頂き、姉さんは自分のものとなった『TL62-75』の前後ピックアップを、年明け早々『Van Zandt VINTAGE』に換えていた。前後という事は2個セットだ。それだけで4万円以上だ。思わず『う~ん……』と唸る人は正常だ。

 この話を軽音部の人達に話すと『嘘だろ?』『マジで?』となるのは間違いない。それが一般人の金銭感覚だ。ましてその頃は姉さんも高校生だ。当然、姉さんもそこはわかっている。むしろ羽目を外しそうなエルマや私を諌める立場なのだから。それにアメリカの姉さんに頼めば、もっと安く手に入れる事も可能だったろうし、あちらの姉さんなりに考えたピックアップを巻いてくれたかも知れないのにだ。

 けれど駅前のあの楽器店で、あの店員さんを呼んで『Van Zandt』を手に入れる事に意味があるのだった。この時も私が着いて行ったのだけれど、お店の人達にすっかり顔馴染みになってしまった。今じゃ私が穂群原学園の軽音部だと、制服を着ていなくとも店員の皆さんに知って貰えている。

 それから、他の部員達も私や姉さんの影響であのお店を利用する人が増えた。楽器購入だけじゃなく、弦のメーカーやピックの相談にまで親身に乗って貰えるから、足繁く通う部員も中には居る。あのお店は、もうほとんど軽音部指定楽器店になっていた。しかも馴染みの店員さんは姉さんが倫敦へ音楽留学していると信じていた。『倫敦に行った』としか話していないのにだ。エルマの自転車話が少々羨ましかった私は、こうして溜飲を下げた気分だった。

 それと、私がポンとレスポール・カスタムを買った事は内緒にして貰っている。流石にそれはねぇ? この部屋に入れば腰を抜かす人もいると思う。それが普通だ。スタジオ・ライトM-Ⅲにサイクロン。これだけでも十分に贅沢だ。だから部に持っていけるギターはこれで打ち止めと思っている。

 

 

 

「これは良いよ。しばらく預かって調子を戻してあげるね」

 

 私はそう言ってギターを返した。次に彼女のアンプを見せて貰った。

 何もない空間から出て来たのは、『Marshall Lead 12 Model 5005』だった。思わず後ろを覗いてシリアルナンバーを確認した。これ、軽音部にも同じのが備品として2台ある。小さな練習用コンボアンプなのだけれど、当時は定価で5万はしていたそうだから高校生にはちょっと予算的に厳しいアンプでもあった。だから15年か20年前の先輩が部費で購入したのだと思う。

 このアンプの最大の魅力は、トランジスタとは思えない、いかにも『Marshall』って音がするところで、気に入っている部員は多い。だから個人でこのアンプを持っている先輩も居て、去年は横田先輩も大槻先輩もホタルコ先輩もこのアンプだから3台並ぶと圧巻だった。近藤先輩だけ『JC-120』を自前で持っているのは、お父さんという強い味方が居るから例外中の例外だ。

 おいおい、私学だろう? ドカンとしたアンプは備品にないのかよ、と思ったあなたの学校は『羨ましい』とだけ言おう。確かに当部にも、やたら使い込まれたジャズコ(JC-120)が2台あるし、化石のようなヤマハ F100-112がある。だけれど『Marshall』や『Fender』のアンプはレンタルスタジオで弾いて、学園祭ではレンタルするものだった。真空管のメンテまで考えたら普通はそうならない?

 だから私は『JTM310』も『Mode Four MF350』も部でお披露目していないし、持っている事も話していない。

 そもそも、30Wコンボの『JTM310』でも10インチスピーカー2発だから(25cm×2)縦横50cmを越えているのだ。奥行きも20数cmはあるだろう。フル真空管だからとか、パワーのわりに音圧があるとかの前に、重さが16kgだったかな? 到底女の子が、自転車であの学園坂を運ぼうと思える大きさや重さではなかったのだ。エルマは『お姉様の弓の方が重い』と意味不明な事を話していたけれど、一体型のコンボであっても、アンプというのは重く取り回しの悪いものなのだった。

 ウチの学校には100Wのヘッドと4発のキャビネットがあるぞと言ってもさ、体育館まで運ぶのはしんどくない? 台車でガタガタさせたら回路とかソケットとか気にならない? 万一演奏途中で断線したり真空管が飛んだらどうするの? 私なら泣くよ。だから本番用はレンタルが一番なんだって。

 

 とは言え姉さん、『エル様』の代役で北欧メタルを演った時、マーシャルの壁を背負って演奏したそうだ。

 この時の姉さんが『エル様』に用意させたのは『1960』のBキャビばかり8台と、『JCM900』の『2100 SL-X』が2台と『4100』が1台、それと『JCM2000DSL』と『JCM2000TSL』が1台ずつの計5つのヘッドだったという。それを体育館に持ち込んで、キャビネットの上でなく、横に積み上げていたのだという。

 キャビネットは12インチ×4発だから上下にスタックして4セットになる。つまりアンプは1台が予備で、それ以外の4組をフットスイッチで切り替えていたのだそうだ。アンプそのものがオーバードライブでありディストーションというプロでもしない使い方。昔の姉さんもぶっ飛んだ人だったんだなぁ。

 だけど注目は2台ある『2100 SL-X』で、『エル様』はこの1chしか無い歪みオンリーのアンプに、1台はエンハンサー代わりの初期型『klon centaur』を繋ぎ、もう1台には『BOSS BD-2』を繋いでいたそうだ。またクリーンやクランチにモジュレーション系エフェクトを掛ける場合は、横に置いた『Hughes&Kettner Tri Amp MARK2』と古い『Hiwatt DR103』を使っていたらしい。

 そしてメインアンプの『2100 SL-X』は、パワー管の供給不足から『EL34』が『5811』に変更されていた頃のものだという。この『5881』は『EL34』の互換管ではない。『EL34』の互換は『6CA7』であり『KT77』だ。では『5811』とは何だ? 実はこれ、フェンダーのアンプに多い『6L6』であり『KT66』なのだ。そして『エル様』も姉さんも中域が張って、肌目(きめ)の細かいサラッとしたディストーションが得られる、この管のファンなのだった。マーシャルらしくない音がすると不評だったアンプがお気に入りなのは何とも捻くれている。

 ちなみに『エル様』も姉さんも同じ『6L6』管が入った『Fender Hot Rod』を持っていて、『エル様』のはスピーカーが4つの『Hot Rod Deville 410』で姉さんのは1発の『Hot Rod Deluxe』だ。お手伝いが北欧メタルだったから仕方ないのだけれど、本当はそこまでゲインを上げず、ほんの少し抑えて使いたかったのだと思う。ピックアップも『Les Paul Deluxe』のようなミニハムか『P-90』が好きだという人達だから。

 

『25cmや30cmのユニットが4発も入ったキャビネットで掻き鳴らすのがロックギターですのに高音や重低音が出るはずがありません。それは木材や弾き方で奏でられる倍音です。しかもミニコンポやPCのスピーカーで評価するギターの音って。味覚音痴の料理評論並に笑えますね?』

 

 似たような事を姉さんも言うが、ここまで辛辣ではない。これが『エル様』だ。

 

 

 

 それでエルマのアンプのシリアルは、案の定『R』からだった。このアンプが日本で正規販売されたのは1985年からで、輸入販売は『ヤマハ』だった。それから1991年頃まで売られていたのだったかな? それでこのアンプが今も人気があり語り草となっているのは、音のカッコ良さもあるけれど、年々改良されて年式によって音がガラッと変わるからだった。それも『良い』『悪い』でなく、『そう来る』のか、『そう解釈する』のかという感じなのだ。つまり『Marshall』の考える練習用コンボアンプの『歪み』、そのバリエーションを見せつけられている感じ……わかるだろうか?

 それでエルマが持ち込んだ『R』のこれは1983年頃のもので、正規販売されていない84年の『S』と並ぶ幻のシリアルなのだった。次の85年『T』の途中から正規販売されているから、だれかが日本国外から持ち込んだものだ。『だからどうした?』、わかる。正しい反応だ。だけど毎年回路や使われるパーツが異なるから、『出て来る音』も変わって来る。そこに自分好みの音はあるかどうか。練習のモチベーションを上げてくれるアンプはあるかどうか。それが重要なのだった。だから皆んな、何年製でシリアルはどうなのかが気になるのだ。

 最早これは『目玉焼きに何を掛けて食べるのか?』に近いものがある。『R』なら『塩』、『S』なら『醤油』、『T』なら『ウスターソース』……そんな風に考えて貰っていいと思う。そして音楽好きは自称グルメの気難しい人と同列に見て貰って構わない。

 

『ヴィンテージがどうこうの前に、良いフレーズや良いメロディーを書いて弾けるようにならないと。それを積み重ねて良い曲を書く……耳に美味しい料理とはそういうものです。ここ一発のこの音がイカしてる……なんて局所的なものは二の次三の次です』

 

 姉さんは、HGBの曲の練習の時、フレーズを調味料と言い、フレーズとフレーズが繋がったメロディをダシでありソースだと言った。それで、曲の書かれた楽譜をレシピと言ったのだ。当然レシピだけでは手順が見えない。調味料を幾ら揃えても、手順を知ろうしなければ料理はできない。曲を知ろうと思えば、作曲家がどういう思いで書いたかも重要だけれど、そういう手順がどうなっていたかも考えないと駄目だと言っていた。

 このお料理の例え話を聞いてから、私はHGBの曲だけでなく、自分の作曲もうまくいくようになった気がする。結局、どこで『気づき』を得るのかなんだろうね。だからコピーバンドで徹頭徹尾するなら、調味料の銘柄に拘るのもアリなのだと思う。だけれど、新しい料理そのものを作りたい(作曲したい)となると、もっと幅広くものを知らないといけないし、銘柄より先に手順が重要になると思うのだ。

 顆粒ダシや麺ツユを卒業する前に、料理そのものを覚え、完成させなさいという意味だと言えばわかると思う。岩塩がどうとか、どこそこの◯◯という香辛料がどうこうは良いからサッと料理を作れ、薀蓄を述べられても知らない。食べればわかる……という事だ。

 この姉さんという人は弓道部時代も料理の事しか考えなかったという人だ。そこを芯にして、他の事へ考えを広げていったのだという。色々考えさせて下さった……いや、考え方の基本的な部分というか、方向性の見付け方みたいなのを教えて頂いた。

 そしてアメリカの姉さんもそういう人だ。『Epiphone』を愛用するのも、『包丁としてちゃんと切れるし、問題なく料理できる』からだ。

 

『あ、それとエレクトリック・ギターの音は8割がアンプで決まります。ギターの値段の差は弾きやすいかどうかがほとんどで、それ以上のレベルを求めるとなると、どの海のどの辺で、どんな風に作った塩を使っているのかを問うているようなものです。プロのようにCDやレコードに曲を残して繰り返し聞かれない限り、その差はわかるものではありません。発表の場がライブしかないアマチュアですと、聴衆はその場で聞いて帰るしかありません。細かな音の違いなんて判別できるものではありませんよ』

 

 これはキチンと定期的に研がれ、手入れさている包丁を使っているのなら、切断面などで包丁の差は出て来ないという意味だ。それと同時に、決め手となるのは料理そのものの味であるという意味でもある。包丁が長切れするとか、持ちやすく疲れにくいとかは味とは関係ない訳だ。だから『音に拘るより先に良い曲を書け』となる。

 

 私はチラリとデタッチャブルネックの『Epiphone Goth Les Paul Special II』を見た。

 

 

 

「エルマ、ギター始めるの?」

 

 ゾウケンなんていう礼装人間を造るくらいだから、アンプの修理もエルマなら出来そうに思うのだけれど。そうは行かないのだろう。結局アンプにこれといった問題は無かった。外装もパネルも固く絞った布で拭けば十分だろう。だからエルマにそう報告し、このような質問をした。ギターを習いたいのか……と。

 

「ううん、持っていたいだけ。これバーナーで焼こうかな?」

 

 全力で止めた。幾ら姉さんに合わせたいと言っても、20年近く生き残った奇跡のギターを焼くのは許されない。どうしてもと言うなら姉さんと同じ『TL62-75』を探してあげるし、パーツも全部アメリカ製に換えてあげる。弾きたいならミディアム・スケールでもショート・スケールでも見繕ってあげるよ。だけど私が散々悩んだスケールの問題を、ギターを弾かないエルマがあっさりと……。こういうものかも知れないなぁ。

 だから最初に見せてくれた、私が選ばなかったトラ杢の『LPS Standard』を手元に寄せ……、

 

「この子もきちんと直そう? それでそれもエルマが使いなよ」

 

 そう言ってあげた。こうして私のギターラックはパンパンになったのだった。それからイリヤ姉さんもエルマも、しょっちゅう私の部屋に来ては弾けもしないギターを取り出してニヤニヤしている事が多くなった。勉強できないっつうの。

 

 

 

 そんなギターのお披露目が終わった翌日の事だ。昨夜挙げたミディアムの『ST314-55』にはメタリックピンクという色があって、それを軽音部OBが持っている可能性があるとの情報を得た。この情報は軽音部顧問の若地先生が齎(もたら)したもので、先生も元軽音部だった。そこで当時の同級生が使っていた記憶があると思い出されたのだ。

 

『ええ、ローズ指板だったのを憶えているわ』

 

 とのことだった。学生に親身な先生は友人に電話を掛け調べてくれたようだ。やがて新たな情報が入った。それは、そのギターの持ち主がとっくの前に『ヒトに譲って』いたという実に残念な情報だった。

 だけど捨てる神あれば拾う神ありだ。そのギターを背中に背負って、新1年生の女子が軽音部のドアを叩いたのだ。それは中間試験が終わって部活解禁になった日だった。おいおい。こういうのを『運命』と言うんじゃないのかね、アーチャー君。君は諦観が強すぎるのか陰気でいかんなぁ。

 

 

 

 

 

 儂とイリヤスフィールとルビーは香港国際空港からタクシーで一路香港島を目指しておった。今は杖となった我が身じゃから、機内はルビーと大人しゅう『ぶろうち』の振りをしておったのよ。窓際に座っとるイリヤスフィールも『視野』を貸してくれての。久し振りの飛行機旅もそう退屈せなんで済んだ。

 

 

 しかし、着陸の時は驚いた。儂らの旅客機が香港を通り過ぎて海に行きよるんじゃ。

 

『ど、どこに行くんじゃ』

「シッ。もっと声を抑えるか念話で。それにどこって……空港でしょう?」

 

 儂は念話に切り替えた。

 

(九龍を越えたんじゃ。啓徳空港は海ではないぞ?)

「香港国際空港っていうのが新しくできたみたい」

(そうじゃったのかい)

 

 1998年からそうなっとったらしい。香港返還と九龍城塞が失くなった事は知っとったが、驚いたわ。

 

(しかし、懐かしいの)

「え? ああ……香港、初めてじゃないんだ?」

(うむ。そう多くはないが、何度か来とるよ。それに香港は元英国じゃったろう? アジアから出る礼装や呪体、英国から入る魔導書や聖遺物……重要な取引場所だったんじゃ)

「聖遺物って……そういう事だったの?」

(そうじゃよ。今は知らんが、名を上げたい東洋の魔術師も西欧で落ちぶれた魔術師も、皆して香港に来ておったなぁ)

「へぇ~」

 

 若いイリヤスフィールは知らんじゃろうが、時計塔もこの地を利用しておったからの。時臣のように倫敦まで行かんでも、裏情報は結構入って来おったのよ。インドに東インド会社があった頃はボンベイ(ムンバイ)やカルカッタにも網を広げておったが、その後はずっと香港とイスタンブールじゃったな。

 時計塔の中で聖杯戦争を知っとる者達が俄(にわか)に騒がしくなったのは、衛宮切嗣の名が俎上に載ったからじゃった。『魔術師殺し』の異名の前に、儂は『バルカンの死神』として奴さんの名と、封印指定を喰らった奴の父親の名を知っておった。魔術師としては二流どころか三流じゃろう。じゃが『戦争屋』『傭兵』としては一流じゃった。

 この情報もイスタンブールから得たものじゃ。じゃから奴の切り札、『起源弾』を避けるために代役を必要としたんじゃ。我が身を削って育てた蟲じゃぞ? 儂と霊的に繋がっとる。これは不味い、一発で終わると考えたんじゃよ。そこでホイホイやって来おったのが雁夜じゃった。まぁ、今となると誰にも言えんが。クカカカカ……。

 

 空港に到着するとイリヤスフィールは荷物を受け取りに行った。その後厠に向かいおった。これ、儂はこう見えても男じゃぞ。どこに連れて行くんじゃい。

 

「先にルビーを出してあげようと。エーテルを出して自分で街を歩きたいでしょう?」

『さすが、イリヤさん。やはり小学生とは違いますねぇ~』

「あっちのルビーと同じ調子で言うな。おチビちゃんが聞いたら泣くよ?」

『まぁまぁ、それだけ退屈だったんですよ~。許して下さい』

 

 すると、ルビーがエーテルの肉を纏って、エルマの部屋で寛いどる時と同じ少女姿になった。今回は見た目、パッと13~14歳といったところかの。久々の『妹ば~じょん』じゃ。エルマの姉と思っとるのか普段は18~19歳くらいの見た目にする場合が多いんじゃが。

 

『なんで、子供なんじゃ?』

「こうするとどこにでも潜り込めますし、乗り物に子供料金で行けませんか?」

 

 アホかい。エルマが泣きよるぞ。

 

「ゾウケン。香港にも子供料金なんてあるの?」

『さぁ、あるのかのぅ?』

 

 個室を出たところで誰も驚かんかった。それはイリヤスフィールの入った個室が乳児や幼児と連れ立って入れる個室だったからじゃ。しかしルビーは『要介護』な少女と思われたかも知れん。ま、儂でなければそれはどうでも良い。問題はここがオナゴの厠であるところじゃった。

 

『儂は歩けんのか?』

「そこも考えてあるから」

 

 そうしてイリヤスフィールは自分の考えを念話で教えてくれよった。うむ、『たいみんぐ』が難しいが、これなら行けるじゃろう。

 オナゴの厠を出たイリヤスフィールは、おもむろに儂を引っ掴んで、近くにあったオノコの厠に儂を投げ込んだ。そこで儂は空中回転。着地するまでにエーテルを出し、同時にエーテルで作った衣服を身に纏った。

 

「うむ。見事、着地成功じゃ」

 

 鏡の前に立つ色男は若かりし頃の儂、マキリ・ゾォルケンじゃ。決まったのぅ。見ろ、あの男。儂の色男ぶりに恐れをなしたか、小便が止まりおったぞ。

 

「な、なんだ! 急に人が……」

「黙らんかい」

 

 儂は男の意識を操作した。なんじゃ、儂の格好良さに痺れたんではなかったのか。つまらん奴じゃ。というかこの男、どこに放尿しとる……そこは壁じゃ。儂は急いで厠を出た。

 

「ゾウケン、手を洗った?」

「しまった。洗っとらんぞ!」

「ゾウケン君ゥ~~ん、洗う必要があるんですかぁ~?」

 

 そうじゃった。軽くイリヤスフィールを睨むと笑っておった。やられたわい……。それから儂らは空港を出、タクシーを拾い、今に至るわけじゃ。

 

 窓の外の景色は大嶼山(ランタオ島)、馬湾、青衣を抜け、摩天楼聳える九龍地区に入っ行った。

 

「どこに行くんですかぁ~?」

「聞いとらんかったんか? 香港島じゃよ。エルヴァが宿を手配しとる」

 

 脳天気なルビーと違って、イリヤスフィールは九龍に入ると顔が引き締まって来おった。エルヴァの策は実に大胆じゃ。なんと探る本人と連絡を取り、そこで泊まって探れというのじゃ。当然どういう事じゃとイリヤスフィールは国際電話を掛けたそうじゃ。

 

『3人なら、アオレアールという『魔術師』が見えて来ると思います。その3人の目で調べて欲しいのです』

 

 という事じゃった。何をかではない。現状の状態……容態とでも言おうかの。どうもアオレアールに何らかの不具合が起きておるのではないかと危惧しておるらしいのじゃ。エルヴァの言葉じゃが、何でもエルヴァの元である『エル』がそういう状態に陥っておった過去があるという。

 じゃが、どういう不具合があるというのじゃ?

 

『原因はわかっています。きっと彼女はスペック以上に自分を分裂させているのだと思われます。そしてそれを修復する方法も『エル』の事ですから、仕込んであるに違いありません。そんな今の状態をアオレアールは自覚しているのか、その修復方法を知っているのか、そこを調べて欲しいのです』

 

 そういう事らしかった。その後もエルヴァは説明してくれたのじゃが、イリヤスフィールを挟んで聞く儂は、どういう魔術じゃと呆れるばかりじゃった。じゃが儂を頼る意味もわかって来おった。蟲の使い方と似とるんじゃ。言葉は分裂でも分散でもよいわ。要は元々が『エル』から分かたれた存在であろうに、数百から数千に意識や思考を分けて使っとるらしい。

 そうなると最悪は自分自身を見失い自壊する可能性があるという。あの『エル』が己を見失わんのは、あちらの冬木に姉であるイリヤスフィールが居り、ドイツの地元にミトやパミという仲間がおるからじゃとエルヴァは言う。これは儂にもわかる。要は自分が薄まっとるんじゃ。もしかしたら点滅する信号のように、意識を細かな振幅で飛ばしておるのかも知れん。

『個』と『全体』は異なる。一人の人間の意識は蟲のそれとは違うものじゃ。無茶をしよる……。そうせずにはおれん程の状況にあるという事かのぅ……。ともあれ儂なら、其奴(そやつ)の通常を知らんでも、会えばわかるじゃろう。

 

 やがてタクシーは九龍を抜け、地下に潜った。どうやらこのトンネルは西區海底隧道と言うて、1997年にできたらしい。區は区の旧字じゃ。香港も便利になったのぅ。トンネルを抜けるとタクシーはごちゃごちゃした街を抜け、太平山を登り始めおった。

 

「行き先をなんと説明したんじゃ?」

「そんなの無理よ。エルヴァが送ってくれたメールの住所を渡しただけだって」

 

 じゃろうなぁ。ん? もしやと思うが、魔眼蒐集列車でアオレアールはエルヴァに緊急信号を出しとったという事なのか? う~む、どうもそういう気がするのぅ。坂をぐんぐん登っておったタクシーは、やがてとある豪邸の門の前で停まりおった。イリヤスフィールが運転手に料金とチップを支払った。タクシーが去った後、儂らはその門の向こうに見える邸宅を見て呆れておった。

 

「儂の建てた間桐の家……いや、今住んどるエーデルフェルトの家より大きいのではないか?」

 

 儂の呟きにイリヤスフィールとルビーが頷いた。敷地はともかく家そのものが大きい。一体何部屋あるんじゃ?

 

 

 

 

 試験初日が終わった私は、何となくいつもの楽器屋さんに来ていた。

 本当は真っ直ぐ家に帰って勉強しなければならないのだけど、エルマに託されたギターの修理・調整にどうしても必要なものがあって……まぁ、現実逃避なのだけど。そして楽器店に行く途中の新都では、あちこちで制服姿の学生がたむろしていた。他の学校の学生の方が圧倒的に多いのだが、学園生もちらほら居る。とある喫茶店ではルヴィアさんと凛さん、それと桜が仲良く談笑してる姿がウィンドウ越しにあったし、スイーツのお店に並ぶ列には弓道部の人達やエルマが居た。皆んな、現実逃避しているのかな。

 声を掛けても良かったのだけれど、『早く家に帰ろう』なんて、逃亡中の犯人のような焦りもある。試験期間中の寄り道はいつもそうだ。悪い事ができないタイプなんだろうね、私は。

 目的のお店の前で自転車を止めて中に入り、顔馴染みの店員さんと挨拶を交わしてから、店内をウロウロしつつ必要な部品を備え付けの買い物カゴに入れていった。それで気付けば、用もないのに足が中古コーナーで勝手に止まるのは『性(サガ)』なのか『曲(クセ)』なのか。チラチラと横目で気になるギターを流し見ながら足を早めたら、青いジャグマスターがあった。

 ラメの入ったスパークルブルーだ。サンバーストとブラック以外にキャンディアップルレッドとレイクプラシッドブルーがあるのは知っていたけれど、こんな色があったんだ? 一応『Squier』だけれど国産じゃない気がする。『Crafted in Japan』が『Crafted in China』にでも変わったかな? こういう廉価なギターってある日突然そうなったりするからなぁ。

 私がそのギターから離れたら入れ代わって女の子の2人組みが、その青いジャグマスターをしげしげと見ていた。白いブラウスに黒いスカート……胸には臙脂のリボン? んっと振り向いたら、穂群原の人だった。

 

「これだよ、これ」

「本当。良い色だね」

「ね?」

 

 そしてそのギターを引っ掴むやいなや、店員さんを呼んでいた。私が買うかもと焦ったのかも知れない。店員さんが来ると2人は私に会釈して、店員さんとレジに向かった。覚えのない顔だったから1年生かも。少しだけ『やったぞ』って顔をしていたのが可愛いと思った。

 

「トロ~ン」

 

 え? っと振り向いたらホタルコ先輩と黒い学ランの男性だった。男性はハードケースを手に持っている。彼氏?

 

「え? ホタルコ先輩、彼氏ですか?」

「違う、違う。従兄弟だよ」

 

 先輩は慌てて否定した。イトコさんは工業高の人らしく、本日新しくギターを買ったのだそうだ。そこにホタルコ先輩が着いて来ていたみたい。

 

「こんちは。この子が言ってた後輩?」

「こんにちは」

 

 私は彼と挨拶を交した。その人は私をジッと見ていたが、私は彼の持つケースを見ていた。

 

「残念。この子、彼氏持ちだよ。同じ軽音楽部の部長と1年の時から付き合ってるから」

「そ、そうなのかぁ~~。けど、お前の学校ってこんな美人の外人さんが居るんだなぁ」

 

 美人か、私?

 

「こいつの姉妹、全員こういう顔だぞ? 去年は姉ちゃんが学校にいて、凄い人気者だった」

「へぇ~」

 

 それから誘われるままに、会計を済ませて喫茶店に入った。イトコさんはホタルコ先輩と似てサバサバした人らしく、話しやすい人だった。高等部には同い年の姉妹が居て、小学部にも妹が居ると話すと、『なんで俺は穂群原を受けなかったんだ~』と盛大に嘆いていた。

 

「そういや、エルマって彼氏居なかったよな?」

「居ませんね。募集中って訳じゃないですが」

 

 イトコさんは本気なのか冗談なのか、エルマを紹介してくれと言って来た。『あの子、姉ラヴだから男の人なんて眼中にない』とでも言えば良いのかな? だけどどうやら『あわよくば』の段階で、単に切っ掛けが欲しいだけのようだった。こういう釣り糸をあちこちに垂らす男性は結構いるし、脈がないと思えばスッと釣り糸を上げてしまう。

『臆病なのか恋愛ごとに淡白なのか、どうも押しの弱い男性がここいらには多い』というような事を以前姉さんが話していた憶えがある。吉川先輩は今どき珍しく、押し切って土俵から姉さんを押し出ししてしまうような人だ。だから寂しい遠距離恋愛に耐える羽目になったのだろう。けれど吉川先輩もだけど、押し出された姉さんの方がぞっこんだったりする。そういうものなんだろうねぇ。

 私と近藤先輩はそういうのでなく、ベッタリもしないし離れもしない。こんな風に外で逢っても、淡々とお互いの考え方や感じ方を話し合うだけだ。

 人なんて男女の関係でなくとも、色んな意味で知らない者同士なのだから、話し合うのが一番だと思う。サカリのついた犬や猫ではないのだから、知らないのにイキナリ好きになる筈もない。私が今、こうして近藤先輩が『好き』と言えるのも、それだけ話し合って、彼の人となりを知ったからだ。

 ギターとピックアップに興味を惹かれたのは事実だけれど、それは偶然であり、無意識の釣り針でしかない。先輩の垂らした餌に食い付いたのは、私が彼をもっと知りたいと思ったからだ。恋愛もビジネスの営業も宇宙人との出会いも、接近遭遇はそうやって段階を追うものだと思う。姉さんだって告白されたから好きになったのじゃない。長いお弁当タイムを2人で過ごし、徐々に徐々にだ。

 小脇に抱えられたのは、言ってみればサプライズ・プレゼントだ。

 

 人当たりの良いイトコさんのお陰か、和むのでそのまま3人でお昼を頂く事になった。入ったのは座敷のあるお蕎麦屋さんだ。まだお昼前なのでかなり空いていた。ホタルコ先輩は『天麩羅せいろ』、イトコさんは『鬼おろしざる』、私は『山かけざる』だった。

 正直言って学生のお昼と思えば、ここまで香りが立つお蕎麦は贅沢だ。だけれど偶にはこういうのを食べないと。『小さな幸せを重ねる先に本当の幸せがある』とは凛さんの言葉だ。

 食後、食器を少し端に片したところで、イトコさんは買ったギターを見せてくれた。ケースの中身はスリートーン・サンバーストの『Fender Japan ST58-70TX』だった。『フジゲン』でなく、今の『ダイナ楽器』のものだ。ピックアップは『USA Texas Special』。作りは丁寧だし、アンプを通さなくても音が良さそうに思えた。

 

「これ、作りは良いし音も良いって評判ですよね?」

「そうなんだよ。以前、ウチの学校の先輩が使っていて、それに憧れたんだ」

 

 念願叶ってってところだろうか。聞けばイトコさんも工高でバンドをやっていた。そちらはこちらより文化祭が早いから、それに備えて新調したのだそうだ。ん~眼福。こういう『ザ・普通のストラト』って良いよねぇ。スケールが合うなら、ホント欲しい。

 やがてお店が混んで来たので、私達はお会計を済ませ、ご挨拶後にそれぞれの家に帰ったのだった。

 

(だけどアメリカの姉さん、本物の1957年製ブラッキーを持っているんだよなぁ)

 

 そんな事を考えながら赤い大橋の歩道でペダルを回す私だった。

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