これは話の進め具合を間違ったやも知れん。そこで儂は『偽名』に付いて質問した。
「話を少し戻しますじゃ。『エル』の偽名とは何でしょうな」
『春鈴』からは当たり前の答えが返って来た。
「『エルヴァ』はアインツベルン宗家の跡取りです。総裁ともども命を狙われる事がやたら多い訳です。ですから総裁は『エルヴァ』を隠して育てていたのです」
それ故の偽名……か。魔術師の家であるなら多かれ少なかれ、本名を名乗れん場合がある。儂がマキリ・ゾォルケンから間桐臓硯に名を改めたのは、日本での永住を決めたからじゃ。その方が何かと都合が良かったのでの。じゃが、欧州に居った頃も偽名は使っておった。当局の目を盗むため……、同業の者に秘術を知られぬため……、教会や代行者といった追手を撒くため……。理由はいくらでもある。それが儂ら魔術師よ。
よってその場での思い付きでなく、ある種の『ぱた~ん』を決め、言い間違えたり使い間違えたりせぬよう、常に気を配っておった。特に名前は重要じゃ。呪詛避けの意味もあるからの。大抵の遠隔呪詛や遅効性呪詛はこれで避けられた。しかし、塒(ねぐら/一時的なアジトでなく工房のある家の事)を探り当てられるとこれではいかん。儂が蟲に身を窶(やつ)したのも、この呪詛のせいじゃ。
儂ら魔術師の中にも黒魔術や呪術を得意とする者は居よう。儂も得意な方じゃと自負さえあった。じゃが、餅は餅屋よ。とっくの昔に消え去ったとされとる、解呪の方法も伝わっておらぬ呪詛を使える者がたまに居るんじゃ。なので本名以外の通称のようなものを名乗っとる魔術師も結構居るものなんじゃよ。
身近な例では凛じゃ。時臣とすれば儂を恐れたんじゃろうなぁ。確か『凛』の名が本名でなかったと記憶しとる。ここでは凛本人が忘れとるのか時臣が伝えとらんのか、そこはわからんが、ともかくここでの凛の本名も『凛』ではないはずじゃ。桜は次女だったんで、隠された名はないようではあるがな。
そこは措いて、魔術師にとって工房のある『家』を知られるのは余り嬉しい事ではない。なので儂も欧州ではゾォルケンとしての個体を脱ぎ去り、群体に散っては塒(ねぐら)に帰る場合がままあったわ。口惜しいが、これも跡を付けられぬ用心であるし、寝首を掻かれんための用心でもあった。
そしてその『用心』を『エル』はきちんとしておったという事であろう。儂と同じで危機意識が高いと言うか……。じゃが、身代わりの筈の『人形』に必要以上の『情』を懐くのが『エル』なのであろうなぁ。昔の儂ならそこが欠点であり弱点であると嗤ったであろうが、そこまでの『器』を持つ者を嗤う段階で、己の狭さと脆弱さを理解しとらん阿呆よな。
「だいたい読めたわ。アオレアールは『エル』の身代わりとなって数回は死んどるのじゃろ?」
「……はい」
想像した人格を創造する……。並列思考? 分割思考? 甘いわ、エルヴァ。元の自分がやっとる事は、魔法の領域ぞ。
しかし、エルヴァがそこをきちんとわかっておらぬのは、『エル』が無自覚でしとる事だからか?
「そして『エル』=アオレアールとして狙っとる奴に誤認させる事に成功した。香港に渡ったのは、その仕上げだったのじゃろ? そしてそこで革命を起こしついでに、命を狙って来とる者どもを返り討ちにした。そうじゃな?」
「……はい」
認めたか……。そして、今は何番目のアオレアールなのであろうなぁ。『エル』の思い出の中に残るアオレアールと今のアオレアールは別人なのであろう。そこもあって、アオレアールの方から離れて行ったと考える事もできような。でなければ、この世界に残されたりはせんじゃろ。
じゃが、エルヴァは『ウマが合う』と電話で話しておった。つまりこれはそれだけアオレアールがエルヴァに気を許しておったという意味になる。また、アニムスフィアから密命を受けたらしいが、娘がよう懐いておったとも聞き及んどる。
以前エルヴァに『エル』は『不殺の誓い』を立てておると聞いた。じゃが春鈴は邪魔者や敵は『消した』と言っとる訳じゃ。これは『掌握』によって記憶どころか自分が何者であったかも憶えとらんくらいに掌握したか、改竄したが故の言葉であろう。
と同時に、エルマがエルヴァと違うように、アオレアール達も『エル』とは異なる存在じゃ。よって殺しを厭わんのじゃろう。『不殺の誓い』を立てたのはあくまでも『エル』であろうしな。遣る瀬無いと溜め息が出そうになるのは儂が耄碌したからじゃろうか?
然し乍ら、エルヴァの疑念と危惧はその先であり、今の失踪にある。日も暮れかかり、時刻も良い頃合いじゃ。儂は休憩を申し出、茶のお代わりを所望した。その時にそろそろ夕食にしないかと馬謖が春鈴を促し、次いで儂らに宿泊を薦めた。もとよりこちらは泊まっていくつもりじゃったから、その申し出を有り難く承けた。
厨房か台所か知らぬが、2人が席を立ち姿が見えぬようになったところで、イリヤスフィールが携帯電話を取り出そうとしおった。儂はそれを制した。
「イリヤスフィール。杖の機能で事のあらましなどは既にエルヴァの『ぱそこん』に『め~る』で投函済みじゃ。香港と倫敦の時差は8時間ほどじゃろうし、あちらは既に『夏時間』じゃろうから、多分今頃は正午じゃろう。家に居ればすぐさま返事が来ようぞ」
イリヤスフィールは儂の顔をまじまじと見ておった。見直したかい、『りにゅ~ある』された儂の凄さを。
「便利ねぇ……。見直したわ」
「じゃろう? 電話も可能じゃし、声に出さんで通話もできる。しかも、電電公社から請求も来ん」
「でんでん? へ?」
おぉ、今はNTTじゃったな。『えぬてぃ~てぃ~株』や『どこも株』でボロ儲けしたのを忘れておったわ。イリヤスフィールのような元が外国人の若い者なぞ、日本の三公社五現業なぞ知らんじゃろう。日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道……これら三公社の民営化は組織の澱みの清浄化でも、事業の活性化を狙ったのでもない。確かにその側面はあるが、真の狙いは株の売買じゃ。郵政民営化なぞ、アメリカの投資家を儲けさせるためのものでしかない。
しかしそれを進めておった首相も退陣、行方不明になった官僚も多い…………待て、そもあの世間を騒がせておった大規模誘拐事件は何じゃった? 報道陣のみならず政治家や官僚の家族も大勢おったろう? なのに年が明ければ一気に静まった。国家が転覆する程の大事件じゃのに、何故急に静まった? 何故、儂までこれを忘れておった?
……それが『現象』のチカラなのじゃろうなぁ。そうよ、確か誘拐された被害者の中に首相の息子どもも含まれておらなんだか……? そうじゃ、そうじゃ。アサシンの調べでは確かに含まれておった。そして動いとる者どもを『まるで我ら』と言っとったではないか。となればアレは『現象の仕業』だけでなくアオレアールらも加担しとったのではなかったか?
む~……どうやらその線じゃな。その結果の一端がこの豪邸じゃろう。更に言えば『エル』は『アレら』と戦っとる。じゃがそれはあちらの世界での話……。ここでは『現象』とアオレアールが……いつ頃からか、組んでおった。アオレアールがここに送られたのはそちらの線も濃厚よな。いや、むしろここで骨を埋めよという最後の命令がこの世界の救済だったのじゃろう。そりゃ少々儲けて懐に入れようとも文句は出まい。
となると、今後の上がり目は中国株やアジアの株じゃな。
ふむ、返事が来おった。ん……な、何じゃと!? 誰も住んでおらぬ『平行世界』の地球が六つもあり、その内四つをアオレアール達、一つをアインツベルン、残る一つを時計塔が……? 天然資源も、ホシが抱えおる手付かずのマナをもか……!
四つもという事は、『現象』はそれだけアオレアール達に期待しとるんじゃな……となると失踪の原因というか理由は、そこの調査ではないのか? ならば三国の英霊の誰かに尋ねれば判明するのではないか?
「ゾウケン、返事はあった?」
「おお、あったぞい。こんなジジイで申し訳ないが、念話で知らせるので手を繋いでくれ」
そうして儂はイリヤスフィールにエルヴァからの返信を念話で伝えた。念話と言っても会話ではないぞ? 儂に来た文面などをイメージとしてイリヤスフィールに送ったんじゃ。こうすると無駄な時間も取らんし、『言い忘れ』や『聞き逃し』も起きん。またこれらの『密談』を誰にも知られる事はない。
イリヤスフィールは手を離しても顔色一つ変えんかった。誰ぞ(ここのアサシン)に気取られぬよう用心しとるのじゃ。流石じゃな。しかし、イリヤスフィールや。儂の目の前で手巾(ハンカチ)で手を拭うな。傷付くぞい。
「あ、ゴメン。違うよ? 手の汗を拭ったの。バッチイなんて思ってないから」
おそらく本音であろう。だがどうしてじゃ、どうしてこうも悲しくなる。年は取りとうないのぉ。一応、今の儂は若かりし頃の姿の筈じゃのに。
その後、儂らに声が掛かり、食堂に移動したのじゃ。
5月24日火曜日。
中間試験二日目を終え、SHも早々終えたら教室の前の廊下に先輩が待っていた。一応、軽音部やお互いのクラスでは公認の仲ではあるけれど、余りベタベタしないようにしているのに。
「珍しい。どうされました、先輩?」
「いやぁ、これだよ。昨日さ……」
近藤先輩は自分の背後に隠すようにして、ギターバッグを壁に預けていた。え、ギター? 試験期間中だからどうこうの前に、違和感が大きい。妙に長い気が……?
「先輩もしかして、ベースを買ったんですか?」
「トロン、正解!」
先輩が我が意を得たりとニッコリ笑う。これは高価な新品を買った顔じゃない。お店で破格のお買い得品を買ったか、中古の掘り出し物を手に入れた顔だ。わかるわぁ……こういう顔をつい先日の私もしていたからなぁ。そんな私達の横をクラスメイトや隣のクラスの人達が、『お先~』とか『先輩、トロン、さようなら~』とか言って通り過ぎていった。そんな中に意味深な視線を私と先輩に送りながらお辞儀をしていくエルマも居た。
「姉ちゃんの気に触ったかな?」
「え? あぁ、エルマの事……。今のは『試験期間中だから周囲に気を配れ、話があるなら場所を変えて喫茶店にでも行って来い』って意味ですよ」
「そうなのか? さすが双子」
先輩にヴンダーの事は話していない。『実は三つ子でもう一人姉が居て、その子は並行世界です』なんて言える訳もない。私と先輩は並んで階段を降り、下足室に向かった。下足室では靴を履き替え終えた凛さんが、目聡く私達を発見し手を振ってくれた。なのでお辞儀を返したら、先輩は余裕で凛さんに手を振り返していた。先輩は今年、凛さんと同じクラスなのだ。
「トロン、俺の『姉ちゃん』発言をエルヴァ先輩と勘違いしていたろ?」
「はい、一瞬ですけど。姉さん、モラルとかマナーに厳しい人なので」
「だよな~。そこを見習うのは良い事だと思うよ。ちょっと調子に乗ってた。けど、オヤジとの電話の事を聞いてさ。良いレスポール、手に入れたんだろ? ちょうどその時分に、俺もこれを手に入れたからさ。似た者同士だなって嬉しかったんだよ」
ああ、そういう事か……。先輩らしいな。
ちなみにエリック・クラプトン好きな先輩のお父さんに、試験明けにギターをお見せする約束をしたのだけど、それ以外のご報告というかきっとご興味を持たれるであろう話があった。それは倫敦の姉さんが時計塔での上司となる人から何かのお礼として、とあるコンサートのチケットを戴いていた事にある。それでなんと姉さん、ロイヤルアルバートホールに5月2日と5月6日の二日間行って来たと近況報告を兼ねたメールで昨夜知らせてきたのだ。
それは何かというと、この5月2、4~6日の4日間ロイヤルアルバートホールで行われた伝説のバンド『クリーム』の再結成ライブだった。ギターは当然エリック・クラプトンだ。そして姉さんは初日、舞台から見て左翼の二階席だったらしく、クラプトンのセッテイングや機材がバッチリ観察できたのだそう。
何でも二段積みになったヴィンテージのフェンダー・ツイン・アンプの後ろに台車があって、その上にもう一台のツイン・アンプと、おそらくベースマンでなく、ヘッド一体型だった頃のバンドマスターが控えていたそうだ。全アンプがツイード期のもので、多分1955年か56年のものだそう。これら57年タイプ(正確には54年から57年の4年間のものを指す)は整流回路が見直された事で音が格段に良くなり、ストーンズのキース・リチャーズとクラプトンが買い漁った事で有名になったアンプだ。
予備のバンドマスターはツインの2発と違い、10インチのスピーカーが4発入った、ベースマンのギター版だ。後にヘッドとスピーカー・キャビネットが別体となって兄弟機であるベースマンと袂を分かった。よくマーシャルの出発点だったJTM45の回路が59年型ベースマンの『5F6A(回路にそんな名がある)』だったとされるが、この57年型バンドマスターの『5E7』回路も味があると姉さんのメールにあった。よく知ってるなそんなのと感心するよ。
そしてそんなアンプの向こう側(正面客席側から見てドラム寄りの左側)にはいつものレズリー・スピーカーだ。クラプトンはモジュレーション・エフェクトにペダルを使わず、本来オルガンやキーボード用の、この内部でスピーカーが回転する特殊な装置を使っている。その上には昔だったらビールなどのアルコールが置かれていたのだが、今回はどう見てもスポーツドリンクだったそうだ。
しかも曲の合間に野獣ジンジャー・ベイカーと、犬猿の仲だったジャック・ブルースが笑いあい、そこへドリンク片手に笑顔を向けるクラプトンという構図が面白かったらしい。そんな和気藹々(あいあい)だから、『丁々発止のインプロビゼーション』が無くて良かったとまで書いてあった。これは多分、往年のクリーム・ファンが見せるであろうものとは真逆の反応だ。
姉さん曰く、ブルースを根幹に据えてスケールを自分なりに見詰め直したレイドバック後のクラプトンは素晴らしいが、ジャズもクラシックも学んで来なかったギター小僧の即興なんて指グセの延長にしか聞こえずつまらない。『学ぶものが何一つない』のだそうだ。いや、ブルースはその頃からあったろと姉さんに言っても無駄だ。姉さんは『その頃は上辺だけで、本気でブルースを彼が自分のモノにできたのはレイドバック後だ』と言い切るのだ。
だから好々爺に変貌したジャック・ブルースを支えるようなボーカルも良かったし、クラプトンもクラプトンなりにブルースから少し外れたスケールも多用していたという。それにほとんどの曲をミドルピックアップのみで弾いていて、ハーフトーンを一切使っていなかったそうだ。これもレースセンサーの頃に導入された、ミッドブースト回路の恩恵で、ノイズレスになってもその回路だけ残ったのは本当に良かったとメールに書いてあった。
それの意味するところは、ミッドブースト回路との相性もあるだろうけど、とにかくストラトのリアは使い物にならない事と、クリームのサウンドにフロントのミッドブースト回路だと、ジャック・ブルースのソリッドなベース・サウンドの邪魔をすると考えていたらしい事が姉さんには読めたという事だ。
そして最終日はステージ正面の真ん中、少し後ろの段になった辺りに席があったらしい。これも今の上司の配慮だったそうだ。初日で機材を見て来いなんて、時計塔のお偉い人が口頭で言う筈なんてないから、ここは姉さんの希望的憶測が入っていると思う。だけれどエルマとは違う捉え方で、姉さんの倫敦生活が充実している事が知れた私は嬉しかった。
ところで改めて言うまでもなく、私は2年生で先輩は3年生だ。結構離れたロッカー越しでの会話だ。下足ホールの雑踏で誰も気に留めていないと思っていた。だというのに桜に『フフフ』と笑われた。あれは『お熱いわね』というニュアンスの笑いだ。
『あなた、そこは私のロッカーですわよ? 何かそこに居ますの?』
『あ、いや……ゴメン』
先輩、ルヴィアさんのロッカーのところに居たのか。そうか、隣のクラスだからロッカー同士が向き合うのか。これはちょっとマズイと私は慌ててロッカーの壁を回り込んで3年生の列を見た。
「ルヴィアさん。その人、私の先輩です」
「あら、トロンメル。あ~……この方……。あなたと話していましたのね。それは失礼致しましたわ」
そうしてルヴィアさんは下足室を優雅に出ていった。先輩、何を隠そうルヴィアさんが苦手なのだ。ウマが合わないとかでなく間が合わないと言うか。衛宮先輩(士郎さん)のラッキースケベと似た類(たぐい)で、決まってお互いに気不味くなる場面に出くわすと言うか……。
きっと今のも、三枝先輩みたいに幽霊でも見えたのかと不審に思ったのだろう。ちなみにその三枝先輩は陸上部のマネージャーで、人当たりの本当に良い人で私もお世話になった素敵な先輩なのだけど、『視える人』として知っている人は知っていた。ルヴィアさんと凛さんは、その三枝先輩と昨年度同じクラスで、魔術師だとバレそうになるヒヤヒヤものの出来事が数回あったらしい。
それで先輩とルヴィアさんだけれど、ほとんどの場合は先輩が掻かなくていい恥を掻いて終わるだけなのだが、ごく偶に先輩がルヴィアさんの恥ずかしい場面に偶然居合わす場合もあって……。そんな訳で嫌われてはいないけれど、先輩はルヴィアさんに避けられていたりする。顔や私との関係を憶えて貰えない程に。その意識の切り替えやシャットダウン具合が魔術師だなぁとつくづく思うよ。
まぁ、そのお陰で『トロンの家に行きたい』なんて先輩から言われず助かっているのだけど。でも姉さんが有名人だったので、学園の大抵の人は私とエルマがどこに住んでいるか、誰のところで居候しているのかは知っている。と同時にお向かいの衛宮先輩の家も皆んな知っていた。一時はストーカーまがいの人もウロウロしていたけれど、エルマのアサシンのお陰か今は見掛けなくなったのでクロエちゃん達もホッとしている。
それから二人して自転車で学園坂を下った。その途中にある喫茶店に入り、そこで先輩のベースを見せて頂いた。邪魔になるので全部は出さず、バッグのジッパーを半分ほど下げて貰っての覗き込みだ。窓際の端の席だから明かりは十分だった。
「フェンジャパのP-Jベース?」
中には『Fender Japan』の『P-J』という型のベースが入っていた。『P』は『Precision(プレシジョン/正確なという意味)Bass』を指し、『J』は『Jazz Bass』指す。どちらもレオ・フェンダーが残した名作で、エレクトリックベースの歴史はプレシジョンベースから始まり、世界一広まっているエレクトリックベースはジャズベースに他ならない。
他にもあるぞという意見も正しい。だけどベースの世界での34 1/4インチ(863.6mm)という、所謂ロングスケールを決めたのがプレベやジャズベで、後発のギブソンが『EB-3(SGベース)』などで出して来た30 1/2インチ(762mm)・ショートスケールはムスタングベース以外ほとんど流行っていない。あのサンダーバード・ベースもロングスケール(34 1/4インチ(870mm))だし、一応ミディアムスケールとされる32インチ(812mm)のベースにはこれという機種がなかったりする。
それに誰だって『ボ~ン』と間延びした音より、引き締まった『ボンッ』という音の方が好みに合うし、バンド演奏にも合う。だから余計にフェンダー系のベースばかりが主流になったという経緯がある。おまけにSGベースもサンダーバードもギターと同じで、ネック落ちという悪癖を持っていたのも致命的だった。これは個人の好みの話でなく、どちらが普及し、広く受け入れられているかの話だ。5弦、6弦と多弦ベースが今以上に増えて主流になれば、スケールもサウンドも変わって来るだろうけど。
この普及度合いという点から少し話をしよう。それはプレシジョンベースに対応するテレキャスターやストラトキャスターの普及具合と、ジャズベースに対応するジャズマスターの普及具合いだ。ジャズマスターは寂しい限りだけれど、ジャズベースは世界一使われているベースだったりする。一度も触った事がないベーシストは居ないだろうし、置いていない軽音楽部もないと思う。
そんなジャズベースに載る二対のピックアップの真ん中に、リバースさせたプレシジョンのピックアップを載せていたのがジャズマスター大好きなトントさんだった。
発想はキレのあるジャズベに、腰が太くズンと重いプレベの音をミックスしたいという欲求から出たものだ。スイッチ一つでジャズベのピックアップとプレベのピックアップを切り替えられ、ミックスもできる……それでもってボリュームやトーンは3つの二連ボリュームでコントロールしていた。なので意外と見た目の違和感がない、結構計算された改造なのだった。
勿論、ピックアップを三基も載せるのだから、磁界やら穴を空けた分の質量やらで、元のジャズベやプレベとは異なる音が出ている。だけどそんなの余程耳の良い人でも言われなければ気付かない。でも、あの音を聞けば誰もがトントさんが弾いているとわかる。そんなベースなのだった。
対する先輩のP-Jベースはプレシジョンにジャズベースのピックアップを1基追加したものだ。これは新しい音を求めた一部のミュージシャンが行い始め、メーカーが追随するカタチでカタログ・モデルとして出て来たものだったと思う。その走りは『Greco』の山内テツ(※)・モデルだったという。
※)ポール・ロジャースやポール・コゾフが在籍したフリーの元ベーススト。後にロッド・スチュアートやロン・ウッドの居たフェイセズにも参加し、『世界に打って出た』伝説のベーシストだ。これが70年代前半から半ばの話で、ツェッペリンがまだ解散していない頃の話だから凄まじい。個人的には国民栄誉賞ものだと思っている。
ちなみに、フリー解散後にポール・ロジャースが結成したのがバッド・カンパニーで、そこのギタリスト、ミック・ラルフスのために『Greco』が作ったのが『MR』モデルの試作品だったそうだ。当時の営業さんや企画さんの交友関係が透けて見える話だ。
『P-J』は『Fender Japan』だと80年代の初期からカタログに載っていて、ある種の定番になっているベース形態だ。先輩のこれは90年代のものだろうけど、黒く塗り潰されたヘッドのシリーズは中古コーナーでよく見掛けた記憶がある。また『YAMAHA』の『BB』もこの派生だし、ボディ形状を無視すれば70年代の『Greco』にあったスージー・クワトロ・モデル(サンダーバード・モデルにプレベのスプリット・ピックアップとジャズベのリアという組み合わせ)もこの派生と言えるかも知れない。
ただ、1-2弦と3-4弦でハムキャンセルになるプレベのスプリット・ピックアップに、本来二対でハムキャンセルになるジャズベのピックアップの片側だけが追加されるこの『P-J』は、正しい改造・進化と言えるのだろうか? 私はそこがどうも納得できなくて、中古コーナーでは素通りする存在でもあった。それを手に入れた先輩が上機嫌なのは、その先輩のベースに更なる改良が施してあったからだ。
それは『P-J』でなく、プレベにジャズベのピックップを上下に着けた改造品だったのだ。しかもネック側は思い切りネックに近く、ブリッジ側はブリッジにベタベタだった。これならハムキャンセル効果が望めるし、基本はプレベのような重厚な低音で行き、曲に応じて軽やかなサウンドも出したいという欲求が満たされる。しかもここまでピックアップ同士を離せば、磁界の影響も多少はマシかも知れない。
「前のオーナー、めっちゃ考えましたね?」
「だろ? 弱点を消そうとしていたのがわかるだろ? しかもピックアップはディマジオで、スプリット・ピックアップには『シリーズ⇔パラレル』切り替えスイッチが最初から付いている」
おお! やるなぁ~。プレベのピックアップは素がシリーズ接続なのだ。だからズンッと低音が響く音になる。だけれど『もあ~ん』とした埋もれる音でもあるので、ピック弾きでメリハリをつける人が多い。それはつまり指弾きやスラップ(チョッパー)に余り向かないという意味だ。勿論、ニュアンスの出し方やエフェクターの使い方で埋もれない音は出せる。
だけどそれプラス、シリーズをパラレルに切り替えるだけでポンと浮く音になる。それは埋もれるのが帯域の問題でもあるからだ。このスプリット・ピックアップのパラレルはストラトのピックアップ同士よりも近い。だからハーフトーン並みに高域成分が乗って、ベースラインが聞き取りやすくなるのだ。これも昔からある小技で、トントさんも当然この切り替えスイッチは増設していた。
また、あの人はジャズベのピックアップのリア側ボリュームに弱いハイパスを咬ましたりもしていた。これはベース本来の帯域より上の帯域も出るようにだ。こうして自前のイコライザー付き真空管プリ・プリアンプ(アンプヘッドも真空管で自作)を通すと、細かなニュアンスも聞き取りやすくなり、バンドに埋もれない音になるのだった。
ちなみにそんなトントさんが敬愛するベーシストがルイス・ジョンソン、スタンリー・クラーク、ジャコ・パストリアスだ。『エル様』もその3人のアーティストが好きらしいが、そこに加えてポール・チェンバース、チャールズ・ミンガス、ジョン・エントウィッスル、クリス・スクワイアなどの名も一緒に挙げている。あの人はクラシックもジャズも好きだから節操が無いのだ。(姉さんのクリームの即興演奏に対する評の根っこはここにある)
私はロック・バンド的に考えてジョン・エントウィッスルが凄いと思う。あの人が居なければ初期のフーは音楽的に崩壊していたろう。キース・ムーンがあんな調子なのだから、ピート・タウンゼントはジョン様々だったと思う。それとジョン・ポール・ジョーンズだな。キーボードも弾けるし、ドラムのジョン・ボーナムとがっちり噛み合っていた。あんなリズム隊が居たらギターは弾きやすいよ。
ただジミー・ペイジが頭の中で、[ギター1][ギター2][ギター3]とか[ギター6]くらいまでのオーケストレーションを考えて弾くので、ライブではとっ散らかっている印象が強い。だけどジミー・ペイジは素晴らしいコンポーザーだと思う。
まぁ、『エル様』の『小指が使えないギタリストは三流』というのは言い過ぎだけれど、姉さんも賛同したという『ピアノは指が10本あっても足りない時がある』という言葉は重い。これはバンドを組む上で、『そこまで練習したか?』という意味を暗に含んでいるからだ。
◯◯のオーケストラの第一ヴァイオリンが誰なのかを知らなくても、◯◯のバンドのギターが誰なのかは知っている。そういう人は多いだろう。だけどどちらが巧いか、どちらが血の滲むような練習をしてきたかは一目瞭然だ。『エル様』も御館様もオーケストラのパトロンをなさっている。『売れる』っていうのはやっぱり大きいんだよ。
それと姉さんは指の体操と言って、グワシ(※)と、Mr.スポックの『了解』の指を教えてくれた。私はグワシが姉さんみたいに完璧にできないでいる。どうしても薬指が中指につられて曲がるのだ。これじゃギタリストは遠いと落ち込みそうになる。
※)楳図かずお先生の『マコトちゃん』がよくやるポーズ。実はこの『マコトちゃん』はスピンオフ作品で、元の漫画は若返ったお爺ちゃんが主人公の『アゲイン』の方だ。先輩のお供で入った漫画喫茶で知った。デートでも黙々とギターを弾いたり、楽器屋巡りしかしない二人だ。漫画喫茶も良いなと思う。少なからず映画より安いし、耳が休まる。
「先輩はそれをお幾らで?」
「3万5千だよ」
「掘り出し物じゃないですか」
「だろ、だろ? もうこれで他のベースを買う必要もないしな」
「はい」
木材がどうとかネックがどうとかの前に、先輩も気付いた前オーナーのその発想が良い。ところで私、最初から大きいものだから自分に合わないと認識しているからか、ベースだとスケールを選ばない。というか、向いていないと思っていたから、自前でベースを持とうと考えた事すらない。けれど先輩のこの姿勢は良いなと思う。オリジナル・プレシジョン、買おうかな……?
確か、フェンダージャパンに92~94年頃、あったんだよね。以前『Squier'51』が気になったのも、オリジナル・プレシジョン・ベースに似ていたからだ。シングルコイル一発で鳴らすところも潔いって感じだし。何よりあのピックアップなら、ジャズベのリアと合う気がする。
「おい、ベースが欲しくなったって顔してるぞ」
「ウソぉ?」
「クク……。トロン、お前ってわかりやすすぎ」
なんて事を言われてしまった。感情をもっと出せとか、何を考えているかわかりにくいとか言われていた私の顔色が読めるのか、先輩は。
だけどそこはお互い様だ。先輩はミュージシャンになりたいなんて私に言うが、本当は近藤電気商会の四代目になるつもりで、そういう電気技師の学校を目指している。お父さんは先輩が1歳になる前に奥さんをご病気で失くされている。なので先輩はお父さんとお爺さんやお婆さんに育てられたようなものだ。だからとてもその3人に感謝していた。
近藤電気商会は街で家電を売る電気屋さんじゃない。新築一戸建てや新築マンションの配電盤の設置や保守管理を行っている有限会社なのだった。そしてお爺ちゃんにはお父さん以外にも弟子が居て、何人も何人もひとり立ちできるまで面倒を見ていたそうだ。そしてそれはひいお爺ちゃんも同じで……近藤電気商会とはそんなところだったのだ。
お父さんがロックに詳しいのもそういうお弟子さん達や仲間との交流があったからで、クラプトンやツェッペリンの初来日コンサートに行ったのもお弟子さんの中の誰かの思い出で、お父さんがお持ちの数々ある国産のコピー・エレキも、お弟子さんの誰かが置いていったものが混ざっているそうだ。だけど当時は誰しもがそうやって誰かの情報を耳にして見識を広めたのだ。今とは違う。口コミの文化であり、噂話に花を咲かせる時代だったのだ。
『これは絶対に士郎クンに言わないで下さい』
そんな前置きで始まった姉さんのお話。
『実は士郎クンの本当のお父様は、近藤クンのお爺様のお弟子様でした。士郎クンのお父様と近藤クンのお父様は、同じ釜のご飯を食べた親友同士だったのですよ。ですからトロンメル、近藤クンとのお付き合いは構いませんが、近藤クンのお父様を傷付けないよう言動には注意して下さい』
『エル様』のいらっしゃる、あちらの世界での遠坂電設会社がそうなのだと言う。そこの息子の遠坂司郎という人が、ここでの衛宮士郎先輩なのだった。だからあちらの近藤啓司先輩と遠坂司郎さんは父親を通じた親友同士なのだそうだ。だけどそんな事をこちらの近藤先輩や衛宮先輩は知らない。それがこの地に集った魔術師達が行った罪なのだった。
そしてその罪の中に、私が絶対に許せないものがある。それが『Tokai LS-200』と『Gibson Les Paul Standard』だった。そのギブソンのレスポールは70年代の頃のもので、近藤先輩のお父さんが預けていたものだった。バンドでも組んでいて、練習前に預けていたのだと推測される。
対する東海の『LS-200』はその遠坂先輩のお父さんのもので、70年代後半当時、本家のレスポールと2万円くらいしか価格が変わらない、20万円もするレスポール・コピーモデルの最高峰だったそうだ。それらが聖杯戦争のどさくさで失くなった。他の世界なら完全に燃え尽きたと諦めも着くが、だけどここではそこまでの災害は起きていない。だからどこかでそれらのギターが残っている可能性があるのだった。
勿論ボヤ程度の火事はあったそうだし、そこが衛宮先輩の家だったならアウトだけれど、どうも姉さんの話だと衛宮先輩の記憶喪失は火災を原因とするものでなく、何か嫌なものを見たとかそういう感じに聞こえた。だけど姉さんは両親(衛宮切嗣さんやアイリスフィールさん)のために、それらを明らかにしないつもりのようだった。だから私もそれ以上は聞けないでいる。
いつもの交差点で先輩と別れ、家に戻るとエルマが私を待っていた。
「トロンメル、これ張り替えて?」
はい? と見れば、それは1弦が切れてブリッジとペグの二方向に垂れ下がった『Orville by Gibson ES-175D』だった。
「なんで? なんでエルマがこれを? この前見せてくれた中になかったよね? まだ他にもあったの?」
エルマがバツの悪そうな顔をしたので、何か事情がありそうだと察した私はエルマを部屋に招き入れた。
そしてとっくに私服(と言ってもどこかの制服みたいな服装だ)に着替え終えているエルマを見て『少し待って』と言って、私も私服に着替えた。いつものように腰を振ってスカートを落としたら、笑いながらエルマがそれを拾って、ベッドに投げてあったハンガーに掛けてくれた。リボンもちゃんとハンガーに真っ直ぐ掛け、ブラウスも一度拡げてシワを伸ばし、パフを拡げてハンガーに掛けてくれる。こういう細かな女の子らしい仕草にいつも感心させられる。
着替え終えた私は、『旦那様のネクタイをキュッと上げていたら絵になるだろうになぁ。なんでこんな子に彼氏が居ないんだろう?』なんてわかりきった事を考えながら、エルマに椅子を薦めた。そしてお茶を入れに掛かった。ここの廊下に面した部屋は全部客間だから、どの部屋も室内にトイレやシャワールーム、洗面所が備わっている。
それだけに普段からの清掃が大変なのだけど、こうして電気ポットを置いておけば下に降りずにお茶が楽しめるのだった。姉さんから頂いた電気ポットを軽く洗(すす)いで水を入れ、スイッチを押した。5分くらいで沸くだろう。
「で、どうしたの?」
「う……ん……。前にね。お姉様が『このギターが好き』だと仰っていたのを憶えていて、それで今回……」
あ~。私がそれを知らないと思っていたのか。だから姉さんとの『二人だけの秘密』と考えた訳だ。エルマ、姉さんが居なくなって寂しいんだろうなぁ。実にエルマっぽい。それに姉さんが好きなのはカタチから来る内面反射の話であって、『ES-175D』そのものが好きというのとは少し違っていた。まぁ、そんなのをエルマに話してもわからないだろうから、『ふんふん、ふう~ん』と軽く流すに留めておいた。
弦を張り替えながら思った。『こいつ、このギターだけ楽器屋さんでリペアして貰っている』って。切れた弦のみならず、他の弦も綺麗なものだ。これはきっとポットなどもちゃんと見て貰っている。こうして私に持って来ないなら、ずっと気付かなかっただろうなぁ。弾きたい訳じゃなく、姉さんと同じのを持っていたい……それと、アーティストに憧れて同じ機種を買うのとどう違うのだろう? 原点は同じじゃないのかな?
私は思わずエルマを抱きしめそうになるのを堪えたのだった。だってこれはこれは『ES-175D』だ。姉さんは持っていない。という事は姉さん用に『Gibson』の割りと良いのを買っていて、戻るまで宝具に仕舞っている可能性があったからだ。張り替え終えてチューニングを合わせてから『はい』と渡したら、とても大切そうに抱きしめていた。益々怪しい。だけどそこは詮索しないでいてあげよう。
それとそんな風に抱き締めてもさ、姉さん、そんなにふくよかじゃないぞ? 抱き締めるならレスポールにしなよ。もしかしたら、横田先輩みたいに『エルヴァ』って名前を付けていたりするのかな? それはおいても、そんなエルマだからこそ、その『憧れ』の怖さも知っておいて欲しい。
その『憧れ』が70~80年代の日本をエレキのコピー大国にした。それの対抗策(アンチ)として『Fender Japan』や『Orville by Gibson』が産まれ、『Gibson Les Paul Heritage Series』などが産まれたのだ。その信仰にも似た『憧れ』でどれだけの樹々が伐採されただろう? それをしてメーカーの金儲け主義による被害だとでも?
違う。極端だが、戦争に参加するかしないかも個人の自由意志であり、自分達が選んだ国会議員が営む国家が決めた事でしかない。だけど本当の『悪』は自由意志に基づく経済活動という『正義』を唱えて後々の人々を苦しめるものなのだ。つまりそれは私達全員の罪だ。だから自然破壊も環境問題も私達全員の罪なのだ。
その『憧れ』という信仰を得てしまったから罪を犯したり重ねたりするのではない。憧れとは個人で完結できる間は幸福で平和なものでしかない。けれどそれが社会全体に広まれば不幸しか産まないものだ。アカマンボウの代替マグロも漁り尽くせば失くなるのは誰だってわかる事だ。なので植林したとしても手は打ったと言い難いものがあるのが、今の樹々や森林の実情だ。
だからこそ『程』を知る事と、すべてのものが人類のみならず、生きとし生けるもの達全体の『資産』であると認識しないといけないのだ。ギターだけの話だけじゃないし、回転寿司などの流行から来る乱獲や、クジラの話だけでもない。食わないと生きていけないという我々の生物的原罪だけの話でもなければ、お金を稼がないと家族が食べていけないという、社会構造のあり方だけの問題でもない。
『欲』には『程』が必要であり、その罪深さも知っておかないといけないという話だ。そういう事に『皆んなが気付けば良いな』というのが『エル様』の考えであり、姉さんの考えだ。世の中綺麗事だけじゃないし、だからと言って汚い事だらけという訳でもない。その違いに気付き、自分はどう生きて行くのかを識る事……大事なのはエルマ、そこだよ?
エルマ、音楽はほとんど元手を掛けずに、自分の才能だけで人を幸福にできる数少ない手段だと思うんだ。そうしてほんの少し、その日の食事と宿を得られるくらい稼げて、また明日は違う街の人々に幸福を届けたい……エルマ、私の『夢』はそういうのなんだよ。
決して戦争を止めたいとか思っていない。私の創る曲にそこまでのチカラは無いよ。だから『私の歌を聞け~』なんて事も思わない。ただちょっぴり、耳を傾けてくれるだけで良い。それで暖かな気持ちになって、少しで良いから自分の中にある優しさに気付いてくれれば……。音楽ってそういうものでしょう? だから姉さんは倫敦にフォークギターだけを持って行ったんだよ。
エルマは立ち上がると私の手を握り、『ちょっと来て』とヴィンテージサンバーストの『ES-175D』片手に私を自分の部屋に連れて行った。エルマと私、ここにヴンダーが居たら『かしまし娘』みたいだなと思った。ギターが大き過ぎるんだよ。それで久し振りにエルマの部屋に入ったら、思ったよりも綺麗だった。
礼装造りが得意なので、私より部屋を雑然とさせてしまう常習犯だったのに、ゾウケンくんの躾けとルビーの功績は大きいなと思った。それで部屋の一画にはギタースタンドが3つあって、そこに例の『LPJD-70』……チェリーのジュニアと、渋い色合いのサンバーストのレスポールがあった。空いているスタンドにエルマが『ES-175D』を掛けた。その3本がお気に入りなのかな?
だけど知らない間にスタンドまで手に入れて……。部活がないと手が空いて、エルマも余計な事を考えてしまうのかも。
「そのレスポールは?」
「うん、それと同じロゴのがいくつかあってね。それの感想が聞きたかったの」
そういう事か。やっぱり他にも色々手に入れていたんだ。『ES-175D』でバレたから、もう良いやとなったんだろうな。だから私を招いたと。ならばと近づいてよく見た。すると、えらく落ち着きのある『家具のように馴染む』トラ杢だった。言い方を変えるなら、見せようとしていない跡切れ跡切れの自然な杢なのだ。本などで調べるとわかると思うが、1958年の途中から1961年の初頭まで造られた、チェリー・サンバースト仕上げの本物のレスポールは、当のギブソンが杢目に付加価値を認めていなかった。
そういう杢のあるトップに当たったら『お気に召されましたか? ラッキーでしたね、お客様』という程度でしかなかったし、ウリはハードロックメイプルという硬く音が伸びる木材を、大きく取って(ブックマッチ)使っているという点だったからだ。それまでのゴールドトップ時代は、ブックマッチなんてなく、継ぎ目は3ピースや4ピースとバラバラだったそうだ。
これはギブソンがいい加減なのでなく、アメリカの木材の流通がそうなっていたからで、メイプルの単板丸ごとの流通なんて当時はなかったし、ギターの前面全部をカバーできる大きさなんて製材所から出荷されていなかったからだ。そんな面倒くさい木材がハードロックメイプルだったのだ。ハードロックメイプルは普通のメイプルではない。
ハードロックとは音楽のジャンルでなく、硬く重く、そして音が伸びるという性質を持つ、ある特定のメイプル材を指す言葉だ。しかも虫が食ったような跡が出る事が多く、工芸品でもある楽器には向かないものだったのだ。
塗り潰しのゴールドトップだから使えたそれを、今度はサンバーストに色を換えるから、ヴァイオリンみたいにブックマッチで行こうと企画会議で決まりでもしたんだろうね。それで3年やってみたら、思ったより売れないし、やたらコストは掛かるし、工程が増えた事で人件費は跳ね上がるし、工員から苦情は出るしで散々だった。で、マホガニーソリッドの『SG』に変えた訳だ。
そんな理由で、チェリー・サンバーストのレスポールは3年間で僅か1700本程しか出荷されていない。1958年/434本(この数字にはゴールドトップも入る)、59年/643本、60年/635本、61年/数本という内訳だ。それらレスポールが生産中止になって、お店に拠っては売れ残り品として、かなり格安になってしまった。だから若きクラプトンも、ベックやペイジも買えたのだ。理由は安いし誰も使っていなかったからだ。
それが60年代後半からあれよあれよと人気が出て、ギブソンは首を捻りながら50年代とは程遠いレスポールを68年頃に復活させた。だけど人々が望むのは三大ギタリストが使っていた50年代のアレだ。するとバースト期の中古価格がバカみたいに高騰した。そして色味の違いと『杢』の浮き方でプライスタグが大きく変わるようになってしまった。
茶系の濃い色は『虫食いのような跡』を隠すための苦肉の策でしかない。この虫食い跡をフレック(Fleck)というのだが、私達が良く目にする機会が多いのは奥田民生さんのレスポールだろうか。あのセレクター周りや後ろ半分の部分にある長く黒い筋の事だ。これはハードメイプルなら避けられない事で、そもそもそんな木材をトップ材に使っている点がオカシイのだ。(そこが恥ずかしいのか、ギブソンの奥田民生レプリカにこのフレックは再現されていない)
だけどギブソンだけでなく取引業者もアメリカらしくいい加減で、チェリーが退色して黄色味掛かって来るのは、塗料の納入業者の質が59年頃最悪だったからだ。なのでギブソンはその年の末頃に『さすがにこれは』と業者を変更している。ピックアップはパートのおばさん次第で数百回は巻数が変わるのは当たり前だったし、楽器は軍需産業とは無縁だったから、キャパシタやコンデンサの性能もそこまで規格通りの値が出ている訳ではなかった。(この辺がヴィンテージの『音』の謎に対する答えの一端だ)
だけどその工業製品や工芸製品ではあってはならない品質のバラツキが、後年マニアを一喜一憂させた。『このレモンドロップのバーストが最高だぜ!』=『僅か数年で退色する粗悪品』だからね。行き過ぎたヴィンテージ信仰に遣る瀬なかっただろうな、ギブソンの中の人は。
だって、ここまで退色するヴァイオリンなんてクソでしかない。ストラディバリウス筆頭にクレモナの銘機たちは何百年経とうと、どれもそこまで退色していない。300年、400年という長い年月が経とうともだ。欧州で一番出鱈目なイタ公よりアメ公の方が低レベルと言ったのは先代の御館様だ。
しかも日本というアジアの小国なんてそれまでのベニア・エレキから漸く脱却し、その新しいエレキ・ブーム(ハードロックの流行)に乗って木工の腕をグングン上げ、遂にはヴィンテージ・コピー合戦(猿真似合戦)に疾走って行ってしまった。中の人は『なんじゃこら~~!?』と、松田優作ばりに驚いたに違いない。だから本当の意味でレスポールがギブソンから復活したのは1980~90年代に入ってからだったと私は思う。
そういう意味で、エルマのこれはカスタムショップのバリトラより本物のヴィンテージっぽい。それでヘッドを見ると『Orville by Gibson』じゃなく『Tokai』だった! ヘッドの金文字は『Les Paul』でも『Les Paul Reborn』でも『Reborn OLD』でもなく『Love Rock』だ。『Love Rock』ならおそらく……81~2年頃のモデルだろうか?
「これが、トーカイのレスポール・モデルかぁ……本でしか見た事なかったよ。『LS-120』?『LS-150』?」
「ううん。60だって」
え? このトラ杢なのに? 信じられないな……確か『LS-50』が最廉価で、『LS-60』はそのちょい上だ。更に上の『LS-80』は当時ケースを付けて10万円以下で買えるギリギリのモデルだったから憧れた人が多かったと聞く。言わば二軍のトップみたいな? 『LS-100』から上は高嶺の花過ぎて楽器店でしか見た事がない人がほとんどだったとか。
東海の凄いところはレスポールにしろストラトにしろ、その本物のヴィンテージを持つ人をアドバイザーに据えたところだ。その方の所有するレスポールが60年のモデルで、クルーソンのペグがフタコブだったから初期モデルもフタコブだったし、細身のネックで知られるのが60年頃だったから、トーカイ=スリムネックという知識まで私にあった。そんなところまで忠実に再現されて出されて来たのだから、当時の他のメーカーは驚いた事と思う。
だけどこれが『LS-60』だって? これはないでしょう? いや……何かそういうのを読んだ記憶がある。そうだ、そうだ。82~3年頃に杢目の出たトップが下級モデルに少量混ざっていたって。確かアメリカから入った通常のメイプル材に、そういうフィギュアードが混ざっていた年があったんだっけ?
それがこれかぁ……6万円(ケースを付けて7万か8万)の『LS-60』を買ったらトラ杢でしたって、超ラッキー以外の何者でもない。そんな中古を見付けて来るなんて、やっぱりエルマは運が良いなぁ。ヘッド裏のシリアルは『2』から始まっていた。なのでこれは82年製だ。見え方は控え目なのに、近づくとちゃんと見えるこの杢がそれっぽくて本当に良い感じだ。サンバーストの色味も良い。ブラウン・サンバーストだっけ?
確かZZトップのビリー・ギボンズがエンドースメント契約に来たギブソンの中の人に『これくらい作れるようになってから来い』と追い返した時に見せたのが、東海の『LS』だったとか。ちなみにビリー・ギボンズは本物の59年製ヴィンテージ・レスポールを持っているのだけど(愛称がパーリーゲイツだったっけ?)、その『LS』の話はデマか本当かは知らない。だけどこれを見たら、本当だったかもと考えてしまう。
良いなぁ、これ。ちょっと触らせて貰ったら、やっぱりネックが細く、弾きやすそうだ。ただ少しチューニングがズレていた。私の買った教則本を見ながら自分で合わせたのだと思うけれど、やっぱり音叉とハーモニクスで合わせるのは難しかったか。今度はチューニング・メーターを買って来てあげよう。それよりネックが意外なまでに良いんですけど。私のカスタムやスタジオ・ライトより良いかも知れない。
60年のスリムがお手本だったからとかの話じゃなく、もしかしたら日本人向けに東海独自のアレンジがしてるのかも知れないと思った。というのは個体差に収まる範囲じゃないと思えたからだ。コカしたらボキリと折れそうだ。だけど本当に握りやすい。女の子の私だと嬉しい限りだ。良いなぁ……。部屋にも良いのがあるのにそう思うのは、私が未熟なホムンクルスだからだろうか?
そんなエルマが次に『で、これ』と言ってクローゼットを開けた。まだあるのか……。ちらりと見えた中に『TL314-55』がぶら下がっていた。私と同じアーチャーさん謹製のギター・フックだな。それといくつかのギターケースが立て掛けてあった。なるほど。『宝具に仕舞わない=自分のもの』という事か。それで取り出したのは、茶色い瓢箪型ケースだった。
来たぞ。今度は『LS-120』か『LS-150』だな。そう考えた私はまだ甘かった。エルマが蓋を開けて見せてくれたのは話で聞く『LS-200V』だった。それとわかったのは、ヘッド裏にシールが貼ってあるからだ。シリアルは『1』から。これは81年の意味だ。よもや……とも一瞬考えたが、それは無さそうだった。
そもそも知識だけの私だから、『LS-200V』なんてたった今初めて見た訳で、これが衛宮先輩の本当のお父さんのものだったかどうかもわからない。シリアルを控えているとか、その杢の入り方を明確に憶えてるかしないと鑑定は無理だろう。だけど、さっきの『LS-60』もそうなのだけど、思ったより綺麗だし貫禄がある。私は上等なものだから大事にねと言うのが精一杯だった。
クローゼットにあった他の茶色いケースは、瓢箪型が同じ『LS』か『LC』で、長方形が『ST』か『TE』だろうか。宝具に仕舞っていないのは迷っていたからだと思う。それはこの2本の『LS』だけでわかる事だ。余りにも綺麗過ぎるのだ。つまりちゃんとした楽器店で扱われていたものなのだ。それも『ジャパン・ヴィンテージ』として、それなりの値札が付いて。
もしかしたら、90年代の『Orville by Gibson』より仕入れ値が高くついたのかも知れない。それで何か変だと考えたのだと思う。
「ごめんね、エルマ。冬木では東海楽器の流通が少ないのかもね。だって私、楽器店の中古コーナーでその頃の『Tokai』を見た記憶が一切無いんだ。部でも流石にこんな80年代のものを持っている人なんて居ないしさ。もっとハッキリこうだよって言えたら良かったんだけれど。でも、騙されたりなんて無いと思うよ。幾らで買ったのかは知らないけれど、もしこれが15万から18万の間なら、妥当だったと思うな」
『LS-200V』を指差しながらそう言ってあげたら納得していた。やっぱり思ったよりも高いと感じていたのだ。だけど新古品同然だよ? そしてこの『LS-200V』は姉さんに贈るためのものなのがわかってしまった。まぁそれは良い。念の為にエルマのアンプ、マーシャルのリード12に繋いで弾かせて貰った。まず、持ってみて重いと思った。部屋にある『Orville by Gibson』の『LPS-FM』程ではないにせよ、4.5kg以上はあると思う。だけどその分、音にコシというか重厚感があった。ネックもトーカイらしく適度に薄く、指が何の抵抗もなく滑って行く。これも良い。掘り出し物だ。
次に『LS-60』を弾かせて貰った。こちらも4kg台だな。けれど『LS-200V』ほど重く感じない。音はピックアップのランク差は感じても、傾向としては『LS-200V』と似ているし、何よりレスポールらしい音がしている。『57 Classic』を乗せて、ブリッジを交換したら十分だと思う。
毎日気楽に弾けるレスポールという感じだ。私の『LPS-T』とどっちが良いだろう? そんな風に迷うほど、これも気に入った。何よりこの折れそうな細いネックが本当に握りやすく弾きやすい。
次に見せられたのが『Greco』の『Mint Collection』、82年製『EG60-180』と『EG60-150』だったのだけれど、『綺麗だね』『良いのを手に入れたね』としか言えなかった。
これは感触が悪かったからではない。この時の私は少々ノリが悪くなっていたのだ。別に突然女の子の日が来たからではない。はっきり言えば食傷気味になったからだ。勿論、態度に出さないよう気を付けてはいるけれど、先輩のベースを見て『帰ったら夕飯はお魚の煮付けを作ろう』と思っていたのに、エルマがトンカツを揚げて待っていた気分と言えばわかるだろうか? それに最高のトンカツは私の部屋の『神棚』に鎮座している訳だしね。
その最高のトンカツ、姉さんの『Gibson Custom Shop 2004 Historic Collection 1959 Les Paul Standard』はアメリカの姉さんが、姉さんの為にと何十本ものの中から選りすぐったもので、重量は何とたったの3.6kgしかない。表のキルト掛かったトラ杢メイプルよりも、バックのマホガニーの軽さこそがこのギターの凄さで、解析するとウェイト・リリーフがほとんどされていないのだ。
だからこのレスポールは姉さんの好きなテレキャスターみたいな音がする。軽いと音域が上に行くとそれで知ったのだ。そしてこのギターをアメリカの姉さんが姉さんに贈った理由は、音が良いと定評の、名のあるヴィンテージと並ぶ音がすると気付いたからだった。案の定姉さんもそこにすぐ気付いて、とても大切にしていた。
そんな訳で、『Orville by Gibson』祭りの後に『Tokai』と来て、更に『Greco』って……。
でも、エルマ。本当に良いのを手に入れたと思うよ。SGスペシャルの『SS63-50』とジュニアの『EJR54-50』『EJR59-50D』、335の『SA59-120』を見せられた時は呆れたけれど。本当にジュニアが好きなんだなぁ。
他は石ロゴ期のフェルナンデス『FST-60』やバーニーの『FLG-60』などがあった。どういう意図で買ったのだろう? そこは『FST-100』じゃないの?
この答えは単純だった。この石ロゴ期当初の『FST-60』と『FLG-60』を制作していた下請けが、何と東海楽器だったかららしい。幾らエルマが示唆して探させたにせよ、百貌の集める情報は一級品だと感嘆しつつ呆れた。姉さんが居なくても、もうエルマとアサシンだけで第四次の世界は行けるんじゃないかな?
だけどギターってつくづくクルマと同じ資産だなぁって思う。こうして大切に扱っていれば何十年後でも何らかの価値が必ずある。それは楽器店で手に入れた国産コピーであろうと、例え通販で手に入れた『安物』であってもだ。どこでどんな価値が付くかわからない。そんな価値観を私達がギターに持つ理由の根幹が、好きになったミュージシャンへの憧れと信仰な訳だ。本来は楽曲や歌に対するものなのに。そんな信仰を得て、もしジミ・ヘンドリックスが英霊になったら、その宝具には一体どんな効果があるのだろうか?
そんなバカな事を考えるくらい、音楽に対するワクワクする気持ち……。それを消していったのが著作権という当然の権利と、インターネットの普及なのだから世の中本当にわからない。だけど同時にコンピューター・テクノロジーによるデジタルの波は、シンセサイザーを一気に発展させた。2002年に『microKORG』が出た時に『エル様』は4台同時に買い、組み合わせてどこまでできるのかを模索してらしたらしい。
まぁ4台同時購入はやり過ぎだけれど、作曲の幅が広がるのは事実で、実際素晴らしく効率が上がったそうだ。何の効率だって? プロではないけれど、『エル様』は自分の会社のCM音楽を作曲していたからね。それに鍵盤楽器なら鍵盤楽器ならではの、弦鳴楽器や撥弦楽器ならそれら独自の配列があるから、異なる楽器を使う事で創造力が膨らむといった考えをお持ちの方でもあった。何より……。
『思考が凝り固まったら、音楽か料理をするに限る』
と言うような人だった。しかも作曲をトイレでする人でもあった。まるで『揺り籠から墓場まで』くらい良いキャッチ・フレーズだと言わんばかりに、ご自分のライフスタイルを『口から尻まで』とも話しておられた。食料品を扱う会社のオーナーであり、お料理も得意。そんな人がCM音楽はトイレで創るわけだ。
だから『エル様』の専用トイレは横が無駄に広かった。便座に座ってギターが弾けるようにだ。そしてアームの付いた可動式テーブルが設置されていた。そこに『microKORG』が置けるようにだ。かのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはトイレの紙に楽譜を認(したた)めていたそうだけど、死んでしまった彼はもういい。だけど今も生きている『エル様』に言いた事がある。
「女の子なのに痔になるぞ」
と。そもそもその個室のコンセントは掃除機兼温水洗浄便座用だ。二股ソケットを介してアンプを繋ぐものじゃない。『イリヤ様』がいつも怒っていたのを思い出す。するとあの人は『なら、姉さんもトイレで書を嗜まれては?』と平気な顔で返すのだ。
『イリヤ様』は、書道の研究のために一度中国に行かれていた。そこで出会ってしまった『ニーハオ・トイレ』にショックを受けていらっしゃって、それが結構トラウマになっていたのだ。だけど子供の頃からクルマの移動が多かった、野グソ・野ションが平気な『エル様』はそんなのを一向に介さない。それは古代ローマから現代まで共同トイレだったのは事実だし、間仕切りなんてここ30年ほどの浅い歴史しか西欧ではなかった事をご存知だからだ。
『江戸時代以前から個室があった日本が特別なのだ。西部劇でも扉は上下に板がないし、そういうトイレは今もアメリカにある。何が恥ずかしいのか。少々文化が遅れているからと忌避する理由はない。むしろ驕り高ぶった、その白人至上主義な差別意識こそが唾棄されるべき悪習だ』
とまで言って『イリヤ様』を泣かせ、謝らせる人だった。言い返し難い正論で責めて来るのは『エル様』の特徴だった。だけどそれは何事に対しても別け隔てがないからだ。土の中を這うミミズも、庭の樹に巣を張るクモも、家の壁をチョロチョロと動き回るヤモリも、窓から飛び込んで来るネコも、全部全部『仲間』なのだ。
『イリヤ様』と違って『エル様』はスイスの自然の中でお育ちだ。自然の触覚として何もかもがお好きなのだ。虫もだけれど、イヌやネコ、お隣の敷地で放牧されていたウシやブタなども『仲間』だった。だけど生きていくために、食べてしまわなきゃいけない『仲間』もいる。だから料理を疎かに出来ない。それは弔いでもあるからだ。だから太古の滅んでしまった生物にも思いを馳せたりする。
私がアノマロカリスなどのマスコットやぬいぐるみを集めているのは、間違いなく『エル様』の影響だ。最初のぬいぐるみは、私を送り出す時に『エル様』が餞別で持たせて下さったものだったのだ。
「マーさん、これは何じゃろうかな?」
儂は目の前の大皿に乗った鶏肉のテキを指して尋ねた。
「なんて言うのでしょうね? チキン・ステーキでしょうか?」
マーさんも知らんのかい。何というか、焼き目があるのに揚げてあるような……。そしてネギの風味と赤いピリ辛の粉が尾を引く旨さじゃ。何という料理なのじゃろう?
「これは油淋鶏の変形ですよ。熱した油でショウガやネギなどの香草を炒め、その香りが残った油で鶏ももを入れて重しを乗せて数分焼きます。その後に熱したネギ油を回し掛けて芯まで火を通します。最後の仕上げにこの家オリジナルの湖南省のスパイスを掛けて出来上がりです」
儂の疑問に春鈴が答えてくれた。
「ほぅ? それは広東料理なのかえ? それとも湖南料理かえ?」
「いいえ、一诺(イーヌオ)のオリジナル・レシピですが、どちらかと言えば広東料理ですね」
「その一诺さんとやらは居らんのかな?」
「はい。彼女と思涵(スーハン)、姉の春燕(チュンヤン)は自分達のお店です。ですので住まいもお店近くのアパートで。ここには2週間に1回程度しか戻りません」
「そうなのかえ」
粤菜に湘菜の調味料を少量加えておるのか。面白い料理じゃな。そこまで辛くないのは良いの。儂はこう見えて、結構この地の料理に詳しいんじゃぞ?
「しかし粤菜を基本とし、湘菜の味付けをホンの少し入れるなど若い者向けじゃな?」
その儂の言葉に春鈴は頷き、馬謖は目を大きくしおった。
「貴方の方がお詳しい」
「いや。昔な、八菜くらいは憶えておけと言われての」
取り引き相手に教わったんじゃ。
「なので今も、鲁菜・徽菜・浙菜・闽菜・苏菜・粤菜・川菜・湘菜(※)くらいは口頭で言えるくらい憶えとりますわい」
「お見事」
イリヤスフィールが驚くならまだわかるが、馬謖と春鈴が驚くとはどういう事じゃい。エルヴァなぞこの程度の事は軽々言いよるぞ?
※)中国八大菜系の事。鲁菜(山東菜)、徽菜(安徽菜)、浙菜(浙江菜)、 闽菜(福建菜)、苏菜(江蘇菜)、粤菜(広東菜)、川菜(四川菜)、湘菜(湖南菜)をゾウケンは現地風に言ったに過ぎない。しかし、そちらの国の最低限の事はわかっていますよとの意思表示は、迎える側にすれば嬉しいものだろう。
「そう仰られるなら嬉しい限りですが、お見事も何もありますまい」
「いえいえ。春鈴やアオレアールならともかく、私は全然でしてね。炒飯すらまともに作れません」
「そうなのかえ?」
「ええ。お恥ずかしい限りです」
まぁの……ランサーにダシを取れやら、ランスロットに刺し身を引けと言うのと同じじゃろうしな。そこは仕方ないじゃろ。
「『四川人不怕辣、貴州人辣不怕、湖南人怕不辣』と言いますじゃろ。マーさんも敵には不怕であれば良いのでは?」
「これは……お心遣い痛み入ります」
この意味は、『四川人は辛くても恐れない、貴州人は辛いものを恐れない、湖南人は辛くないものを恐れる』という諺(ことわざ)じゃ。敵を恐れなければそれで良いと言ったまでじゃよ。まぁ、その敵が何であるかはその者次第じゃろうがな。
しかしのぅ。こうして話せばわかる。馬謖は元来真面目な男なんじゃな。それが仲間とは全然違うところで召喚されよった。仲間の元に戻りたいじゃろう。いや、戻れんでも筋は通したいはずじゃ。それすら儘ならん状況にあるというのがようやっとわかって来た。これは『現象の意思』じゃろうなぁ。それを汲んでかどうかは知らぬが、春鈴やアオレアール達が馬謖を匿い、仲間との再会と和解を目論んどるようじゃ。
しかし子供達とルビーは黙々と食べておるの。良い事じゃ。これはイリヤスフィールの目が光っとるからなんじゃよ。こちらの子供達の行儀が良いだけに、ルビーのお喋りが目立つんじゃ。それで食事早々、イリヤスフィールに叱られよったんじゃな。まぁ、そこはルビーなのでブツブツ文句は言っとるが、エルマの顔を潰す訳にもいかんと何とか堪えとる。それが正解じゃ。イリヤスフィールの後ろにはエルヴァが居る。エルヴァが出ればエルマとてルビーを切り捨てざるを得ん。そこの力関係は見誤ってはいかんじゃろ。
とは言え、ルビーもさる者で子供達に軽い暗示が掛かっておる事を見破っておったし、今ひとつ見えぬアオレアールの実態を子供達経由で探る事に成功しておった。この魔術を最初に使いおった『アオレアール』という人物は確かに居る。じゃが『アオレアール』として行動しとるのが必ずしもアオレアールとは限らんところにこの魔術の妙味があるんじゃ。この手の事に慣れとる儂でも気付かなんだわ。
簡単に言えば、要はエルマがワルキューレのカードを使っとるのと同じなんじゃ。アオレアールという名の『エル』の分身が、7人からの分身を使っとるのが今の状態なのじゃ。その中に別のアオレアールが居るからややこしいんじゃな。
1、平行世界へ調査に出とるアオレアール……おそらく本人(本体)に見た目が近いと思われる。
2、目の前に居る『黄春鈴(コウ・シュンリン)』。アオレアールの親友となっとるようじゃ。
3、『王一诺(ワン・イーヌオ)』………高級料理店を数店舗開いとるそうじゃ。
4、『朱思涵(シュウ・スーハン)』……他の仲間の店の番頭のようじゃ。伊太利亜料理が得意らしい。
5、『黄春燕(コウ・チュンヤン)』……春鈴の姉という立場らしいが、こちらもどこぞで店を開いとるという。
つまり、この5人全員がアオレアールでもある訳じゃ。きっと人形なり素体なりを使って、交互にアオレアールという者を演じておるのよ。ここに足して、子供の2人となる。
6、『Aureole von Einzbern(アオレアール・フォン・アインツベルン)』
7、『黄春鈴(コウ・シュンリン)』
そして年上の5人にはあちらの香港で使っとった英語名がある。そこも順を変えずに記せばこうなる。
1、『Aureole von Einzbern(アオレアール・フォン・アインツベルン)』。英語名『オウリィオラ(aureola)』。愛称『オウリィ』。
2、『黄春鈴(コウ・シュンリン)』。英語名『ルイーズ(Louise)』。自称『ルドヴィカ(Ludowika)』。
3、『王一诺(ワン・イーヌオ)』。英語名『アンソニア(Anthonia)』愛称『アン』。
4、『黄春燕(コウ・チュンヤン)』。英語名『ルシール(Lucille)』。愛称『ルーシー』。
5、『朱思涵(シュウ・スーハン)』。英語名『ネイオミ(Naomi)』。愛称『ナオミ』。
滅多に聞かん名じゃから気付かんかったが、アオレアールとは光背という意味だそうじゃ。キリストや仏の像の後ろにある後光、あれの事じゃな。実体は光り輝く後光で見えん、そういう意味じゃろうか? ともあれそれをドイツ語で『Aureole』と書き、英語で『aureola』と書くんじゃな。要はアオレアールを英語読みすればオウリィオラとなると言う訳じゃ。じゃから愛称がオウリィなんじゃな。春鈴の自称はようわからん。自分だけが言い張っとるという事かのぅ。
ともかく、間違ってはならんのが、この7人を創造したアオレアールと、調査に出とるアオレアールは別人じゃし、目の前の子供のアオレアールもまた別人じゃという事じゃ。答えが見えて来たかの? つまり創造主たるアオレアールという魔術師は、5人の中で分散して存在しとるのじゃ。じゃから、誰が上とかは関係ないのじゃろう。
そして調査に出る前にアニムスフィアから依頼が来おった。それを承けたのが1/5のアオレアールだったんじゃな。そこで次の仕事……平行世界の調査に焦っておったのか気が逸ったのかは知らんが、エルヴァに『様子がおかしい』と気取られた訳じゃ。その割りに用心を兼ねて、自らのバックアップを置いて行きおった。それが子供の春鈴とアオレアールだった訳じゃ。
念話でルビーから説明を受けて驚いたわ。分散しとるくせに自らの分身たるアオレアールをその中に置くのかと。更に予備として別のアオレアール(子供の方)を置いて行くのかと。相手が子供じゃから考えや胸の内を読めたとも言えるが、この短時間でそこまで気を許させる仲になりおったルビーが偉いのぅ。
不思議じゃろう? 実はエルマが手を加えたルビーは簡単な読心ならできるんじゃよ。『ラインの黄金』の理論も入っとるしな。じゃからこの作戦を予め頭の隅に置いておった。妙な諍いは避けたいしの。儂らは春鈴達と戦いに来たのではない。エルヴァの疑念の元となった事を調べに来ただけじゃ。そこを忘れてはいかん。エルマからアサシンを借りなんだのもそこにあった。イリヤスフィールも良い援護をしてくれおったわ。
じゃが、じゃな……。ここで疑問が起きる。儂が思うに春鈴が、そのアオレアールが渡っとる平行世界への入り口を知らん筈はないと思うのじゃ。そも、アオレアールはエルマより数多くのアサシンを用いとるのじゃ。連絡の取りようはあるじゃろう。つまり失踪は何かを隠すための方便で、真実はやはり当初に懸念した通り、アオレアールは自らを分け過ぎたのかも知れん。
現象による事象に拠って世界は荒れた。一旦は落ち着いたように見えるが、細かな鳴動は続いとる。そのために動いとる者も、この国にはまだまだ大勢いる事じゃろう。こうなって来ると、話のわかる三国の英雄の誰かに会う必要があるのぅ。儂はそう考えながら充てがわれた部屋で眠りに就いたのじゃ。
思うにこの食傷は先輩の新しいベースに当てられ、私の『改造魂』に火が着いたからだ。こういう余り良くない気分の時はカタログを見て妄想を膨らますか、楽器店のジャンクコーナーを見て回るに限るんだけど、試験期間中という事もあって新都をうろつく訳にも行かない。なのでエルマの部屋から自室に戻った私は愛機のサイクロンを出して、ソロに使える新しいフレーズを考えていた。
私達のバンド『台風一家』は、私(2年)とホタルコ先輩(3年)の二枚看板に、ドラムの宮田先輩(3年/卒業された横田先輩達と1年時から活動していた巧い先輩)と、ベースの近藤先輩を加えての4人がメンバーだ。そうなのだ。お父さんから良い意味で英才教育を受けた近藤先輩はギターだけでなくベースも弾けるしドラムも叩ける。だから自分のバンド以外に、あちこちのバンドで助っ人をしていた。巧い人は重宝されるのだ。
そして私も幾つかのグループを助けたりしている。その最大の理由がギタリストとしてでなく、シンガー&翻訳家としてだ。悔しい事に。キーボードは弾けるが、姉さんみたいに弾けるとは誰にも話していなかった。ただ、成績だけは隠しようがないので、私とエルマと凛さんとルヴィアさんは、姉さんに続く英語巧者として知られていた。
だからといってどうなんだと普通はそうなるのだけど、軽音部に所属する私だけは『あれ訳して』『ここはどう発音するの』と1年生の頃から引っ張りだこだった。私がこうなった切っ掛けは、ひとつ上の先輩方がされているキーボード中心のポップスバンドでの選曲にあった。それが『ネーナ』の『ロックバルーンは99』だった。
1983年に全米第2位まで登った大ヒット曲だ。後に英語版も出たけれど、これは本来ドイツ語の歌なのだ(チャートに上った当時はドイツ語版だけだった)
独題『99 Luftballons(ルフトバルンズ)』、英題『99 Red Balloons(レッドバルーンズ)』、邦題『ロックバルーンは99』。英語の赤い風船は歌詞に出るからまだ良いけれど、日本語が酷くない?
この曲は────思いと夢を乗せてたくさんの風船を『君と僕』とで飛ばした────。たくさんの風船が国境を超えてやって来たので、それを風船爆弾だと勘違いした偉い人が、たくさんの兵隊とたくさんの戦闘機を飛ばしたら戦争が大きくなって皆んな居なくなった────という『皮肉』と『対比(子供達の思いと、政治家や戦争屋)』を『ネーナ』が童謡のように歌うから面白い訳で。歌の舞台はベルリンなんだよね。
『99』は『たくさん』という意味を持たせつつ、『烏合の衆』という意味も持たせている。『99人の議員』や『99の議題』というところだ。そしてベルリンの壁崩壊は1989年11月9日だ。この歌は1983年に西ドイツからヒットして世界に広まったもので、お隣のスイスやフランスで知られたのは、全米でヒットした後だった。だけどドイツの人々に限らず、世界の人は東西冷戦にうんざりしていたし、自国の元首都が今も国境で二分されている事にも嫌気が差していた。壁崩壊の機運を静かに浸透させた名曲なんだよ。
なぁ~んて事を話しながら歌詞を和訳したら皆んなにウケてしまった。そこからだ。ちなみに私とエルマはこんな顔をしているし、ドイツ語も英語もペラペラだけど、実は日本生まれの日本育ちだ。もっと言えばまだ3年も生きていない、日本の風習すらよくわかっていない。今月の8日(母の日)も、倫敦の姉さんからメールが来なければ、エルマですら憶えていなかったし、イリヤ姉さんなんて完全に忘れていた。やっぱり姉さんが居ないとダメだ、私達……。
おっと、いかん。エルマの『お姉様ロス』に流されるな。そこでハッとしてギターを見ればサイクロンから代わって、いつの間にか姉さんのテレキャスターを握っていた。知らない間に持ち替えていたのだ。だけどわかる。『姉さんロス』でなく、このテレは純粋に音が良い。
1994~5年頃の『エル様』や姉さんが日本に移住した頃に出た『TL62-75』。カスタムエディションのアコースティック・テレキャスターがあったり、ミディアムスケールやショートスケールのストラトキャスターが揃っていた、ある意味『Fender Japan』が一番充実していた頃のモデルだ。私のテレキャスター・カスタム『TC72-70』も1996~7年頃のものだから、フジゲン最後期モデルなので大切にしたいと思っている。
だけど『味』という点では姉さんのテレに軍配が上がるし、音も最高に良い。ポットや配線材がアメリカ製で、ピックアップは『Vanzandt』。それと回路のハイパス外し。中身の改造はたったそれだけ。外見はコントロールパネルが上下逆に取り付けてあるところと、独特な焼いたボディが目立つ。この上下逆のパネルはボリュームポットとトーンポットが入れ替えてあって、姉さんでも私でもボリューム奏法ができるようになっている。
USAでなくJapanだって焼きボディを見ただけでわかるのだけれど、出て来る音はアメリカのそれだ。ブロードキャスターやノーキャスターのように音が太い。そんな51年や52年のテレキャスターが素晴らしいのは、『枯れ』ているからではない。回路とピックアップの巻数や使われている線材が今と違うだけだ。だけどそこにこそ差が出る。姉さんのもそういうのを狙った改造が施してるのだった。
なので、こんなのを預かって、好きな時に弾けるのだから、私の中でのテレキャスターは『もう十分』となっている。それにストラトキャスターと違ってテレキャスターは、バンドだとコード弾きが多いし、カポを使う事もあるのでそこまでロングスケールが気にならないのだ。だけど『台風一家』ではソロもあるし、ホタルコ先輩と代わってメインでボーカルを取る場合もある。
だから『SS(ピックアップの配列)』のU.S.サイクロンになった訳だけれど、曲によっては『HH』や『3S』があっても良いなと思っている。だけどその『SS』はオリジナルのサイクロンで、私のこれはアメリカの姉さんの手で『SH』に改造されてあった。それもかなり凝った。
少し説明すると、フロントのヴィンテージ・ノイズレスはスタックでない普通のシングルに交換されていて、9000回巻きと4500回巻きでタップできるようになっている。そのスイッチ切り替えはマスターボリュームで行え、引くとタップになる。対するリアもヴィンテージ・ノイズレスでなく、メキシコ製サイクロンのようにハムバッカーになっているのが特徴だ。それも普通じゃない。
このハムバッカーは片方のネジがポールピースになっていて、マグネットはアルニコⅡだった。コイルの底に板のアルニコⅡマグネットがあるのはもう片方だけとなっている。おまけにハムの時は両方4000回転巻きだけど、タップ時はアルニコⅡ側だけ9000回転巻きになるという凝った作りだった。こちらのタップはマスター・トーンのノブで切り替えられる。
もうこれだけで十分な音作りができた。なので『HH』が欲しいなら、これだけレスポールがあるのだから持ち替えれば良いだけなので困る事はまず考えられなかった。この先、どうしても『3S』が必要となるなら、その時はストラトかサイクロンIIを手に入れようと思っている。だけどサイクロンIIはアメリカの姉さんに頼まないと手に入らないし、ライブで使うにはスイッチの改造が必要だった。
ところで私は自分に合わない事は承知の上で、ジャズマスターが結構気になっていた。それはあの『ジャギッ』っと来る音もあるが、トントさんがジャグマスターとともに使っていたからというのも大いにあった。シングルでもそこまで線が細くならない、ストップテイルピース仕様のジャズマスターに、前後ハムバッカーでシンクロアームもあるUSモデルのジャグマスター。どちらもロングスケールだけれど、背の高いトントさんが弾くと本当にカッコいいのだ。
そしてそのどちらも日本製だ。ジャズマスターは『Fender Japan』(フジゲン製、『E』シリアル。某楽器店が80年代に発注したカタログにないモデル)で、ジャグマスターは 『U.S.Squier』だけれど、『Squier Vista Series』があった頃の日本から輸出されたものだ(私のと同じ1996~1997年頃のもので、当然こちらもフジゲン製)。で、トントさんも『エル様』も口を揃えて『ジャガーはない』と仰る。ジャガー風の何かは認めても、『素』のジャガーはダメダメで、フェンダーの失敗作なのだそうだ。まず────。
1、キンキン煩く、すぐハウるピックアップが終わっている。(ギザ歯と言われるヨークが磁界を歪め、音が軽くコシがない)
2、ライブでセレクターが使い難い。うっかりローカットしてしまう。あのキッコーマン(セレクターの部分)が見ていて笑える。
3、こういうデザインなのにボリュームがやたら遠くボリューム奏法ができない。(ムスタングも同じ)
4、コードを掻き鳴らすと、弦がブリッジからビョンとかキョンとか音を立てて落ちる。(昔からの泣きどころ)
5、何をしてもチューニングが狂うトレモロがクソ。(これはジャズマスターも同じ。ムスタングも狂いやすいが少しだけマシ)
と、ボロカスだった。だけれどフロントのプリセット・トーンは貶(けな)さなかった。あそこにはセンターピックアップを繋ぐか、自作ファズを埋め込むかといった夢があるからだそうだ。現にトントさんの予備のジャズマスターは3ピックアップ仕様で、センター・ピックアップをセレクターでなく、ここに繋いでハーフトーンのミックス具合をコントロールしていた。つまりこれがサイクロンIIに私が求める姿なのだった。
なお、その3ピックアップ仕様は『Fender Japan』のジャンクを再生したもので、他にジャグマスターと同じような2ハムバッカーにしたものや、テレキャスターのピックアップとブリッジを搭載したもの(テレマスター?)、ボディを鬼栓から削り出してシンクロナイズド・トレモロを積んだ、シングルコイル3発(ストラトマスター?)なんてのも持っていた。いやトントさん、あなたどんだけジャズマスターが好きなの? ベースもジャズベースばかりだし。でもわかるなぁ、その気持ち。
ギターのアウトラインは同じなのに、出て来る音は持ち替えるたびに違うって、それはそれで良いなと思う。ボディやネックの形状で音が決まるから、ピックアップが同じのテレマスターであっても、っぽいだけでテレキャスターそのものの音は出て来ない。だけどそういうのを『通す』気概というのかな、『私はこれで行く』という信念が感じられて好きだ。
だからアメリカの姉さんみたいに『Epiphone』の廉価レスポールで行くと決めて、それをテレポールとかストラトポールに改造しても面白いかもとトントさんの姿勢を思い出してから思った。
逆に何でも節操なしに使うのが『エル様』だった。ストラトでもテレでもレスポールでも、本当に何でも使う。それにお金持ちだから『OD802』『OD808』『TS808』『OD-1』やら、涎で蕩けた沼に嵌りそうなエフェクターやキーボードなどの機材をたくさんお持ちだ。けれど誰もが知るヴィンテージ・ギターやベースには余り手を出さず、その時手に入るモノばかりを揃えられていた。
ギターの中ではレスポールがお好みらしく、こちらも色々お持ちだが1958~1961年のバーストは持っていない(ウソの可能性が高い)。先代のコレクションがその内手に入るからというお考えなのかも知れないけれど、ともかくお持ちなのは姉さんのような再生産モノか、少し毛色の変わったものばかりだった。私が譲って戴いたスタジオのM-Ⅲもそんな毛色の変わった部類の中の1本だ。
それで意外だけど『エル様』はご自分をキーボーディストであると考えていて、ギタリストとは考えていないらしい。だけどアコギとフルアコは大好きらしく、アコギはグラナダにある工房が御贔屓で、いつもそれを弾いているそうだ。対するフルアコはマニアの領域で、『Gibson L-5』『Gibson ES-5』『Gibson Super 400』『Epiphone Emperor』『Epiphone Broadway』『d'angelico new yorker』『D'Aquisto NewYorker』などなどをお持ちなのだそうだ。中には博物館もののヴィンテージもあると姉さんは言う。秘蔵されている50年代のディ・アンジェリコ/ニューヨーカーは、手に入れた当時59年のレスポールより高かったそうだ。それに『Emperor』も50年代、60年代、70年代のものと色々あって、75年だか76年の『Emperor-S』はマツモク製のブラーラベルだったそうだ。
『Epiphone』は他に『Casino』の『E230T』『E230TD』といったヴィンテージに、70年代と80年代のマツモク製、90年代の寺田楽器製といった歴代のモデルをコレクションされているそうで、『Riviera』と上位版の『Sheraton』も、ヴィンテージの『E360TD』や『New York pickup付き』、それと70年代のマツモク製とをお持ちだそうだ。
そう言えば、今も店頭で時折見掛ける『Zephyr Blues Deluxe(2001年製/ES-5のEpiphone版)』はお部屋で使っていらしたのを私も見ていたし、スタンドに90年代のフジゲン製『Zephyr』が、赤いミニハム付きの『Riviera Reissue』とともに立て掛けられていたのをお見掛けした憶えもある。本当にホロウやセミホロウ・モデルがお好きなのだ。姉さんも『ES-175D』と同じように『Epiphone Sorrento』が良いと話していた事があった。『エル様』は持っていなかったのかな?
また、姉さん曰く『Gretsch』の薄型も『エル様』はお好きらしく、そっちも色々集めているらしい。『Country Gentleman』や『Nashville』『White Falcon』の他に『White Penguin』もお持ちらしく、姉さんは58年か59年製の『White Penguin』を弾かせて貰った経験が一度あるそうだ。その時の体験が強烈だったらしく、再生産で良いから、あの『White Penguin』があるなら欲しいと話してくれた事があった。そんなに良いのかと驚いたが、グレッチはあのスケール込みでクセになる良さがあるそうだ。
ところで先程の『Riviera Reissue』は95年製で、なんと穂群原初等部に編入した年にお祝いで買ったそうだ。最近のものだし、今もカタログに載る息が長いモデルだから価値はそうでもない。だけれどとても大切にされているらしく、いつもお部屋の身近なところにあった。実際、『ES-335』より『Sheraton』や『Riviera』の方がお好きで、ミニハム付きなら最高なのだと仰っていた。
これらの事から姉さんは、『エル様』はバーストのレスポールも持っているのではないかと言っていた。ただし歴史と信仰が積み上げた出鱈目なギターだから、工芸品とは認めていないだろうとも。姉さんもダメージ・ジーンズに価値を見い出さない人だから、今どきのレリック加工やエイジド加工も、ミュージシャンのレプリカでない限り『オカシイ』と考える人だ。
だから『そもそも道具は自分が使い込んでナンボでしょうが? 元から剥げた商品を高く売るなんて、いよいよアメリカは狂ったな。いや……元からか』という『エル様』の言葉と、意外と『Fenderのギター嫌い』でもある事も添えて教えて下さった。
『作業員の誰が使うかも定まっていない建機ではないのですから、調律ありきのギターがボロボロなのは許せないのでしょうね』
との事らしい。姉さんの推測では『楽器がボロボロのオーケストラが有り得ないのと同じ感覚なのではないか』という話だった。また、冷静に考えればストラトやテレキャスターはある程度認めているが、その上にベースがあり、更にアンプがあるのが『Fender』だというお考えが根本にあるらしい事がわかったそうだ。
それにこの時姉さんは、逆に『製造途中でミスったような、ピックアップの位置がオカシなのや、ハムバッカーが1発しか載っていないレスポールがあれば面白いのに』と『エル様』に返したそうだ。すると『エル様』はそのアイディアが甚(いた)く気に入り、カスタムショップにリアしかない、まるでジュニアのようなレスポール・スタンダードを作って貰ったらしい。
するとネックに近い部分にしっかり木材が詰まったそれはとてもタイトで、2発のリアより良い音がしたそうだ。エスクワイヤーの古いモデルの音が良いのもフロントのザグリがないからだとそれでわかったそうだ。ならばと新都にあるセカンドハンド店のジャンク・コーナーにあった『Mav◯s』などのストラト・タイプやテレキャス・タイプを数本買って来て、色々試したそうだ。
何をかというと、最適なピックアップ位置を探ったのだ。ストラトのフロントやセンターのポールピースを、きっかり1/4や1/8のところに持って来くると音の解像度が上がり、リアを1/16より少し前に持って来るとキンキンした音が少しマシになるのだという。本当かと思うけれど、姉さんの話だとどうも本当らしい。
その後、その『Mav◯s』(※)のストラトはローズ指板とフレット、ナットやブリッジなどが『エル様』御自身の手で調整され、ボディのザグリをもっと大きく掘ってそこに楓の端材を埋め、ややセンター寄りになったリア・ピックアップ一発だけのギターになった。一見ビル・ローレンスのシャケ・モデルだが、搭載されているのは『SCHECTER MONSTER TONE ST』のタップドでかなり多彩な音が出たようだ。本当、色んな事を考える人だ。
だけどそういうお話を聞けば、『Fenderのギター嫌い』の真相が見えた気がした。自分が扱って出来たキズは名誉の負傷であり勲章だからわからなくもない。だけれど余分なお金を払ってまでして楽器を傷付ける行為はどうなのかという意味らしい。何故ならそのキズは見てくれだけで、音や演奏内容と何ら関係ないからだ。
だから『エル様』は、自分が手を入れた『Mav◯s』なども大切にされていて、姉さんも弾いた憶えがあるそうだ。
『ええ、あの黒いストラトでしょう? 憶えていますよ。それはあそこまで手を入れて調整すれば、誰だって気に入りますよ。弦高が12フレット辺りで2mmしかなく、指板のアールに沿ってブリッジも弧を描いているのですよ? ナットも何mmか(弦高を下げるために)切っているでしょう。それにネックポケットにシムを挟んであるのか、結構、ネックが手前に来ていました』
ギブソン並みとは行かないだろうけど、かなりネックが手前にあったらしい。また、それを含めた調整箇所が全部、高級品なら元からそうなっていて当然の、まさに高級品と廉価品の価格差となっている部分なのだった。
『それはトントさんが?』
『いえ、自分でしたそうですね。黒いテレキャスター・モデルもありましけれど、あれも良かったですよ』
そしてこういう大手楽器店オリジナルブランドの初心者向けには、何故かストラト・タイプやテレキャス・タイプが多い。そこもあっての『Fenderのギター嫌い』だったのだろう。それでその『エル様』のテレキャスは『CTL-30』という『Squier』のモデルで、型番末尾に『30』と付くのに89年の発売当時は定価39800円だったらしい。それが2002年頃、ジャンク・コーナーで発見した時は3400円と1/10の価格だったとか。しかもジャンクなのにセレクタースイッチに接点復活剤を噴霧したら、一発で直ったそうだ。
それでこの話の面白いところは、ジャンクのテレを手に入れた僅かひと月後に、『エル様』は姉さんを含めた数人のナンバーズにエーテルの身体を与え、目の前にズラッと『Fender Japan』の89年製ばかりを並べて見せてくれたのだそう。『JV』シリアルだ、『SQ』シリアルだとか、『E』シリアルだとかでなく、1989年という西暦にだけ拘ってエルマのように人海戦術で集めたらしい。
『その時は47番の私を含め、23番、31番、43番、53番、67番、73番、それと97番が出力されギターの山を『エル』に見せられました。テレキャスターだけで言うなら、U.S.ピックアップの載ったもの、国産ピックアップ、私と同じ焼きモデルなどもありましたが、後年消えるデラックスに、あなたと同じカスタム、シンラインの2ハムとは別にシングルのタイプもありました。これらが全部色違いも含めて各々数本づつあったのですよ』
ストラトならヴィンテージ・タイプの定番の中にブラッキーやキャンディアップル、フィエスタ・レッドもあり、レースセンサー付きのブラッキーまであったという。この他、最初期のイングヴェイ・モデルやリッチー・モデルもあったし、リバースヘッドのモデルもあり、ジャズベに至ってはフレットレスまで揃っていたそうだ。
この多彩なモデルの充実ぶりは、『Orville by Gibson』が出た翌年くらいだから神田商会もノっていたし、フジゲンも気合が入っていたからだと思われる。また、この89年頃は『H』と『I』シリアルなのだけど、この頃から仕様が安定したらしい。と言うのは前年や前々年の88年や87年頃まで、本来なら『F』『G』期なのに『E』シリアルも混ざっていたという話があるからだ。(私は見ていないが、『H』シリアル期にも『E』シリアルがあるそうだ)
これは店頭の在庫が余っていたからではなく、この85~87年頃の本国『Fender』製品も一部フジゲンが作っていたという噂があって、それを証拠付ける一端ではないかという濃い話があるからだ。その噂の内容はこうだ。85年頃の『Fender』には、老朽化した旧来のフラートン工場を閉めコロナ工場を新設・移転・稼働する計画があり、その移行期に日本製が『本家』の代わりとして『お手伝い』したというものだ。つまり85年頃は、生産が追いつかずフジゲン以外の工場も制作に関わっていたのではないかという話だ。そこでシリアルが乱れないよう、他工場の製品も『E』シリアルに組み込んでいた可能性があるのだった。
またこの説と平行して、廉価版の『Squier』でのシリアル統一計画がこの工場移転の85年に立ち上がり、そこも話をややこしくしている要因であるらしい。事実、この時期の製品はヘッドの厚みやボディの厚みが結構バラついている。そんなバタバタした諸問題が解決したのが88年頃であり、『Orville by Gibson』に対抗できる、安定した品質を提供できる体制を整え終えたのが89年であるという風に『エル様』は考えられた訳だ。
姉さんの推測が本当なら、『エル様』の百貌の活かし方はエルマの比じゃない。ひと月もあればここまで調べ上げた上で、同年モデルの中古を掻き集めて来る人なのだ。姉さんは口を濁しているけれど、僅か8歳で聖杯戦争に参加したという嘘みたいな話がある。だけど私は、参加したのは本当のような気がする。
何故そう思えるのか? それは私のクニフェ(銅、ニッケル、鉄の合金)好きが、どうも『エル様』のされたプログラムの気がしているからだ。案の定というか突如呼び出された姉さん達ナンバーズは、その時居たメンバーでセッション(演奏会)をしたそうだ。それで最後に『エル様』見せられたのが72~73年製のカスタム、デラックス、シンラインだったそうだ。私が鋳造され睡眠教育を受けたのは、2003年末から2004年の新年に掛けてだから、随分と最近だ。
※)大手楽器小売店が出している廉価ブランド。大手なら大抵どこでも独自ブランドで売り出していて、しかも70年代末期~80年代初頭のコピー合戦をくぐり抜けた後なので、その質は昭和の雑誌裏にあった通販レベルを大きく越えていた。国産という事はまずないが、80年代末期~90年代半ば頃までのものは、思ったよりも質が良いものが多い。例えば指板が本当にローズだったり、フレット端の処理などがそこそこ良かったりだ。ただしナットの溝やブリッジのサドルの高さ、オクターブなどは自分で合わさないといけない。
そんなある意味初心者向けとは言い難いこれらはかなりの数が出回っており、その頃に高校生だった世代の人々の部屋の隅でホコリを被っていた。そしてこれら使われなくなったギターやベース達は、楽器店のブランドだから中古店では引き取れない場合があった。なので持ち主の就職や引っ越しなどで流れ着く先が、粗大ゴミか家電専門の中古店、或いは大手古本店や中古レコード屋の片隅だった。この2005年の日本では、秋葉原や日本橋の裏通りに行くと、有料駐車場にはズラッとビッグスクーターが並び、店舗前ではゲーム機の筐体から抜かれた回路やCD/DVDの空メディアパックと並んで中古ギターが普通に売られていた。
冬木でも新都の裏通りに行くとそういうお店がある。『エル様』はそんなお店からそれらのギターを安く買って来たのだと思われる。まだハード◯フがそこまで巷になかった頃の話だ。プリクラのマザーボードが電気街の裏で並ぶのは2007年以降で、ロードバイクブームやピストバイクブームもその頃だ。なのでギターを背負いピストに跨って学園に通っていた『エル様』は、同じピストに乗る姉さんも呆れる異常な人でもあった。
そして『エル様』はベースもウマかった。好きなのはジャズベと言いつつ、愛用しているのは73~4年頃の『Gibson EB-3』だったりする。『EB-3』は30.5インチ、ショートスケールという2ハムバッカーの少々こもり気味で低域に偏った音のするベースだ。クリームのジャック・ブルースが使っていた事で有名なのだが、意外と人気のないベースである。
だけど『エル様』はこれが気に入っているらしく、『これでしか出ない音がする』と言って憚らないのだった。なので2002年から出ている『Epiphone』版の『Elitist EB-3』も手に入れていた。この『Elitist』シリーズは日本主導で立ち上がった企画で、往年の『Orville by Gibson』を彷彿とさせる出来だったからだと思う。私もお店に出回っている内に手に入れたいと思っていたりする。
何故なら『Gibson』のショートスケール版は1979年に生産中止になっていたからだ。それ以降は『EB-3L』というロングスケール版しか本国『Gibson』にも、『Epiphone』にもなかった。例外は日本の『Orville by Gibson』が存在していた頃のものだけど、そちらは『Orville』版しかなく、音がイマイチだったらしい。
『エル様』曰く、『EB-3』はダン・エレクトロのロングホーン・ベースと並んで『ブリブリ』鳴らないとダメなのだとか。ジャック・ブルースに影響を受け過ぎだ。それで『Orville』版を改造しまくってダメにしてしまったらしい。小学生がそんな事をするなよ(その後、直している)。そして曲によって持ち替えるセカンド・ベースが『Fender Japan』から98年に出た『Mustang Bass MB98-70SD』だった。こちらも弾きやすいベースで、私はこの二機種のお陰でショートスケールに嫌悪感を持っていない。
そんな『エル様』は、私があちらからこちらに来る頃、同じ『Fender Japan』から出ている『J-Craft Products』の『JGS-75』なんて珍しいギターとオリジナル・プレシジョン・ベース・モデルを手に入れていた。プレベのオリジナル・モデルは本当に珍しいから手に入れる気持ちはわかる。だけど『JGS-75』はどうなのかな? あれって散々ボロカスに言っていたジャガーのカスタムモデルだぞ?
それでやっぱりというか当然というか、買ってすぐにキッコーマン辺りを改造していた。お持ちのイエローだと定価7万5千円なのにサンバーストや紺だと7万8千円になるという良くわからない価格設定のモデルだ。それにトレモロでなくストップテイルピースなので弦落ちの心配はない。しかもピックアップは『HH』、つまりハムバッカー2発になっている。つまり弱点を消したジャガーなのだ。ショートスケールだから歌いながら弾くにはかなり良いそうだ。が、これを弾く人を『エル様』以外に私は見た憶えがない。
そんな変わったギターなのだけど、『エル様』が手を加えている箇所はさっきも言ったようにセレクターの部分だ。扁平した六角形のパネルを交換して、そこにストラトのようなレバースイッチを付けていた。ミソはそのレバーをセンターにした時に前後の両ハムバッカーが自動でタップされるところだった。つまり────。
ネック側 ←AB──CD→ ブリッジ側だとすると、ABとCDがそれぞれ対になったハムバッカーなのだが、セレクターをセンターにするとこれがネック側 ←B+C→ ブリッジ側となるのだ。つまり他のスイッチを使わない自動コイルタップなのだった。
これはスティーブ・ヴァイで有名になったオートマチック・コイルタップの変形で、やろうと思えば、AB、CD両ピックアップの個別タップも可能なのだそうだ。今のところ歌う時のバッキングはそのセンター・ポジションだけで良いらしい。5wayのレバースイッチだけでそういう改造ができるのだと、初めて聞いた時の私は驚いたものだ。
飽きたらセンターにシングルを載せて、オートマチック・コイルタップにするという。よくこんな配線が思い付くものだと感心するよ。ムスタングのセレクター改造もそうだし、このコイルタップもそうだけど、ライブでの使い勝手を最優先に考える姿勢は立派だと思う。実際私もレスポールを使っていて、ミックスにするならM-Ⅲのようにシングルコイルになる方が音がわかりやすくて良いと思っていた。
なので『エル様』の改造には頷けるものがある。それに『エル様』みたいな人には、確かに素のジャガーのようなピックアップごとに個別になったスライドスイッチは面倒くさいものだろう。
ちなみにその『JGS-75』を手に入れる前は、歌のバックでサーフグリーンの『Squier Venus VS-55』や『VS-12SD』をお使いだったらしい。何だそれと思うだろうが、これらはフジゲン末期の1997年に『Vista series』として出たもので、他には『Super Sonic SS-55&SS-63』や『Jagmaster JGM-55』『Musicmaster Bass MMB-35』などがあった。そうなのだ。最初の『Jagmaster』はこの時に出たのだ。それで『VS-55』はコートニー・ラブのモデルだけれど、そんなのを気にせず1ボリューム・1トーン、5wayレバースイッチに改造してお使いだったらしい。(オリジナルはボリュームのみでトーンがなく、セレクターもトグルスイッチだったらしいが、セレクターがどうなっているのかは謎だ)
そんな『エル様』の自作の歌付き曲は決まって『たこやき』やら『たまごやき』といった食べ物がタイトルだった。けれど歌詞の内容は全然違って、身近な出来事から急に宇宙空間やビッグバンとかに変化したりするのだ。だというのにメロディーはキャッチーで誰でもすぐに親しめ、一緒に歌える内容だったりする。それがまた面白くて楽しいのだ。こういう曲がサラッとトイレで書けるのは本当才能だろうなぁ。
どんなだって? そうだなぁ……『たまごやき』ならこう。
『急いで焼いたたまごやき~♪ 少しコゲ目があるけれど~♪ もう出なくちゃ君が、君が待ってる~♪ いつもの公園~見つけた笑顔に掴まって吸い込まれる~♪ 君の引力ブラックホール……~』
とか、そういう感じ。その子は初デートなのかな、初々しいなとか、色んな事が頭に浮かぶのだ。ちなみに歌っている人は、そんないじらしい人ではない。むしろ完璧にお弁当を作り上げてから出掛けるので、相手は場合によると1~2時間待ちもあり得る。しかも『遅いぞ』と携帯電話にしつこく掛けると、仕事の電話が受けられなくなるからと着信拒否される。慎二さん、マジ泣きしてたからなぁ……。
それはともかく、プログレをしない時はこういうポップスが多いのが『エル様』だった。その影響なのか、姉さんもこういうポップなメロディーを鼻歌で歌っている時があった。それも知らない曲ばかりだ。つまり即興で作った新作だ。どこから湧いてくるの?
なので私が書く曲もそういうメロディーや歌詞が多い。本当はそんなポップスでなく、もっとヘビィなリフやギターソロが入った曲を書きたいのだけれど、そっちはホタルコ先輩に任せる事が多い。いや、先輩にしてもオルタナ・ポップ系なので、ヘヴィな曲は書かない。
だけど『エル様』や姉さんならそういう曲が書けるだろう。対旋律を押さえ、きっちりとしたツインリードを書くと思う。更に言うなら、『エル様』は御館様(前総裁)の手解きでクラシックギターやフラメンコにジャズも弾ける。これは多分、姉さんもだ。私が音楽大学に行きたいのはそこもあったからだった。
なので部屋を見渡してドラムがないのは仕方ないけれど、『ベースがない』『鍵盤楽器がない』のは痛いなぁと思っている。それと絡んで自覚している事だけれど、私はもっとアコギにチカラを入れないとダメだ。そんな意味からエルマの持ち込んだ『Orville by Gibson』の中にアコギがなかったのが心底痛かった。
『エル様』みたいに、『Martin 000-28EC』や『Gibson The Firebird』までは要らない(※)。せめて『Orville by Gibson』で『DOVE』『Humming Bird』『J-45』……この辺りのどれかがあったら最高だったのに。
※)マーチンと来れば戦前のオリジナル『OM-45』や『D-45』だけれど、これらは生産本数の少なさから来た価値で戦後から70年代頃までの方が、木材の質が良いのではないかと思う。また『D』から始まるドレッドノートは、『D-28』や『D-18』といった『いつかは自分も』という憧れの対象だけれど、女の子には些か大きい。その意味で95年に限定で出た『OOO-42EC』や翌96年に出た『OOO-28EC』は丁度良いサイズ感だと思う。エリック・クラプトンがアンプラグドで『OOO』を選んだのも、椅子に座って語り弾くのに向いていたからだろう。
『Humming Bird(ハチドリ)』や『DOVE(ハト)』は知っていても、『Gibson The Firebird』は知らない人が居ると思う。1988年に起きた山火事にアメリカのヘソ『イエローストーン国定公園』が襲われた。その再生と復活を願っての記念モデルだ。時々販売されるそうだけれど、毎回細かな仕様が異なる。『エル様』の持つそれは2003年のモデルだ。ボディのサイドとバックはキルテッド・メイプル。インレイはアバロン(アワビ)だ。ドレッドノートなのでやはり大きく、椅子に座ると足の組み方やギターの寝かせ方で腕が前に回り辛くなり、弾きにくい場合があるギターなのだそうだ。それとサイドとバックがメイプルなのは『DOVE』と同じなので、音のアタックが強くとてもメリハリがあるという。
ただし『DOVE』や『OOO』はロングスケールで『Humming Bird』や『D-28』はミディアムスケールだ。という事で私に合うのは『Humming Bird』という事になる。う~ん……もっと『坂上真帆さん』のお話を姉さんから伺っておくべきだったなぁ。
それと『D-28』と『D-18』の違いは、深みと色温度だそうだ。ハカランダはマホガニーより音に深みが出て、音の色温度が少し高いと『エル様』は仰っていた。これがメイプルだともっと色温度が高いのだとか。なのでマホガニーの『D-18』や『Humming Bird』はかなり色温度が低いそうだ。けれどカラッとしたマホガニーならではの温かみは『D-18』や『Humming Bird』でないと味わえないそうで、これが日本製のギターだと同じ材でも少し湿り気を帯びて来るという。
音の色温度や湿り気って何だと考えてはいけない。もうそれは唐辛子の辛さと練辛子の辛さ、ワサビの辛さの違いを言葉で表現しようとしても無理があるのと同じだ。ちなみにこの話はビルの北側にあるミニホールでして下さったのだけど(観客席の階段下は楽器倉庫)、舞台の後ろは大きな窓で、その左端には未遠川が海に向かって流れているのが見える。
ビルの48階から50階までをぶち抜いた家の中のホール。50階にはご両親とクロちゃんやイリヤちゃん、美遊ちゃんがお住まいで、49階が『イリヤ様』と『エル様』、48階には私達メイドの部屋が並んでいた。私はトントさんの隣だったので48階だった。エルマは鋳造されて睡眠教育が終わるとすぐにこちらだったけれど、私とヴンダーには数ヶ月の猶予があった。その僅か数ヶ月の思い出が今も消えないでいる。
あの大きなビルが未遠川の堤防まで出ても、新都側に見えないのはここに送られた当初かなり違和感があった。だけどそれも今は慣れてしまった。私がこちらへ送られたと同時に、ヴンダーは遠坂家へレンタルで出されたそうだ。これは『エル様』が帰り際に仰っていた。魔法使いの凜様のためでなく、奥様と桜様の希望だったそうだ。あちらの遠坂の家も大きいから人手が足りないらしく、お掃除のお手伝いは私も数回参加していたのでさもありなんだと思えた。
そしてここに来て、早1年が過ぎた。特別仲が良い姉妹とは言い難いけれど、ヴンダーとはエルマも交えて一緒にアメリカに行ったミッションが最後だった。
────夢を見た。
いや、見せつけられたのじゃ。このマキリ・ゾォルケン、人より蟲に堕ち魔杖となってこの方、夢なぞついぞ見た憶えがない。これは思考のあり方がヒトとは掛け離れたせいじゃ。じゃからこれは夢でなく幻影だとわかっておるのに意識は目覚めず、ただただ紙芝居のような『あの日』を見せつけられておった────。
『私の願いは『この世すべての悪の廃絶』『人の悪性の切除』だ』
君は(貴方は)、『理想』を────。
応よ。永遠(とわ)という名を持つ友よ────。『justice』の名を持つ美しい人よ────。
夢はそんなあの日から始まりおった。主観的な時間にしてざっと120~140時間じゃと思うので、日で割れば5~6日分じゃろうか? そんなにも時間を掛け、儂は紙芝居を眺めさせられておった。儂に見せたかったであろう内容は、悍(おぞ)ましいまでの、忘れたい幾つもの物語────。
それは詐りの歴史の奥底に葬られた、真の歴史じゃった────。悪を弾劾する正しき声を上げるのは、人として当たり前の行動じゃった。じゃが、正しき声は虫けらのように踏み潰されていった。そういうものは何度も見た。何度も体験した。何度も何度も────。
まだヒトの身体じゃった頃────生まれ育った故郷が焼け、町が消え、国が滅んだ────。幼い儂を背負うは母親であったか、姉であったか……そこは思い出せん…………。
流れに流れて儂らはアラルの地に落ち延びた。父親と一番上の兄は漁や畑に出ておった。北の街から逃げて来おる難民が日増しに増えよる。幼心にこの村も、この土地も、この国も危ないと感じておった。
我が故郷、タルタリア。その北部、ウラルの山が途切れるところに儂の産まれ落ちた村があった。そこから命からがらアラルの海まで逃げたのは気候が温暖で漁ができ、作物が幾分育ったからじゃ。ようやく落ち着いたという頃に、新たな戦禍が村を襲った。親も姉も兄もそこで死んだ────。
生き延びた儂は奴等の撒いた呪いにも等しい『死の病』に冒されておった。近隣の村は全滅し、再び国が滅んだ。儂は憤慨した。何としても生き延びてやると誓ったのじゃ────。
そこでハッと気が付いた。
むぅ……。あの怒りを思い出しようやっと頭が覚めたというところじゃろうか。じゃが一向に身体が目覚めん。まぁ、この術を掛けたのはユスティーツァの末裔であろう。即ち『現象』か『光背』かのどちらかじゃ。ならば、そう慌てる事もなかろう。ところで今、何時じゃ?
すると少女の声がどこからかしおる。その声で儂はパチリと目が覚めたのじゃ。
「マキリ、目が覚めた?」
「誰じゃ、お主は?」
腰まで伸びた銀髪と言っても良い色素の薄い金髪を揺らして、少女はその紅い瞳で儂を覗き込んでおった。これで少女が金の冠、天の衣であるならば、ユスティーツァか器の末裔と考えたじゃろうが、ところが目の前の少女は昼間見たチビっ子なアオレアールや春鈴のような学校の制服姿じゃった。
「早く起きてくれないと、学校に遅刻しちゃう」
『オウリィさん、もう出ませんと。間に合いませんよ?』
「そうだね。じゃ、マキリ。私、行かなくちゃ」
オウリィと呼ばれた少女のカバンから突き出た杖はルビーじゃった。どうやら夢は二本立てのようじゃ。どうせ夢なのじゃ。ならばと儂は飛び起き、オウリィに着いて行った。きっとこの夢に参加する事で『光背』の伝えたい事がわかるような気がしたのじゃ。やはりの。起き上がった瞬間に儂は背広姿になりおった。急ぎ階段を降り、前を『たたた』と行くオウリィを追った。
オウリィとともに玄関を出ると、少女が一度振り向いて鍵を掛けておる。
「そこはきっちりするんじゃな?」
「ん? だってドロボウさんが来たら怖いじゃない」
家人が誰も居らぬ家から出、狭い庭を抜けて門をくぐると、そこは大平山(ヴィクトリア・ピーク)の斜面でも香港島でもなく、九龍半島のどこかじゃった。
「どこじゃい?」
「学校の近くだよ。寝ながら歩いていたの?」
何を言っとる。儂は眠っとるのじゃろう? 夢じゃから保護者でもない儂がこうして並んで歩けるのではないか?
5月の朝と言っても日差しは既に高く、ぽかぽかと陽気というより少々暑いくらいじゃった。背中に背負っとるリュックザックから覗いとるルビーも居眠りをしておる。ニコニコと笑顔で儂が着いて来とるか確認するオウリィ。少女らしい白く丸い襟に陽光が反射して、顔が輝いておった。
周囲にオウリィと同じ服を着た少女達が増えて来た。高校生くらいから幼稚園児くらいまで様々じゃ。しかし、皆同じ格好というのも凄いのぅ。とは言え、この辺りは学校が多いのか、似たような制服に身を包む少女達やワイシャツ姿の少年をよく見掛ける。そしてその子供らも年齢はばらばらじゃった。どこも私学の一貫校なのじゃろうな。して、オウリィの通うとる学校は女子校らしい。
そしてオウリィの学校と他の学校の制服とは見栄えが随分と違って見えた。それは前身頃や後ろ身頃の作りにあった。肩の部分に折り返しがあり、それが胸元まである前掛けのように見えるのじゃ。半袖も他校と違い折り返してある。なるほどのぅ。皆、同じ白いワンピースじゃから、そういう部分で差を出しとるのか。
「その服が、よぅ似合っとるな?」
儂がそう声を掛けると、オウリィはニコッと笑い嬉しそうにした。目的の学校が近いのか益々同じ服装の学生が周囲に増えた。
「あの褐色の者達はアラブ人かえ?」
制服に頭巾姿の者も居れば、スカートの下からズボンの裾が覗いておる者も居る。何ともはやじゃが、宗教上の理由かの。
「そうだねぇ。アラブの人も居るけれど、インドの人も居るよ」
「ほぅ、インド人もか。どういう学校なんじゃ?」
「う~ん……英語主体のインタースクール? でも、姉妹校は香港人がほとんどだね」
「なるほど。そういう具合に学生が分けられとるのか」
「そうそう」
オウリィと背丈の似た子が、次々とオウリィに手を振って声を掛けとる。差別は無さそうじゃが、服装が白いだけに家の経済格差は見えて来おるな。オウリィのように膝丈なら子供らしく可愛いものじゃが、もっと大きな子供がつんつるてんになっとるのもちらちら見掛けるの。
「香港人も通うという姉妹校かえ……、そちらは遠いのか?」
「うん。あっちは同じ九龍でも東の山手の方だから」
なろほど。西側のこちらに山はなく、海が近い。東西南北は違えど遠くに橋もあり、どことなく神戸に似ておるな。中高生は別の校舎のようじゃ。そんな事を漠然と考えながら子供達を見ておったら、オウリィが儂の手を取って校舎に連れ込んだ。
そして世界が変わりよったのじゃ。