※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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98、香港好日子 05

 場所は同じ香港なんじゃ。海の向こうに香港島が見えよるし、温暖な空気も変わらん。じゃが、儂は先程、オウリィに手を引かれ校舎に入った筈なんじゃ。校門や前庭はどうなったと? いかんせんこの学校の校舎は道路に面しておっての。日本の学校とは作りが全然違うのじゃ。言ってみれば結構な街中にある専門学校のような作りと言えばわかるかの? じゃから、これと言った校庭のようなものは裏にもありはせん。体育の授業などはどうしとるのじゃろうな?

 そこは措いて、取り敢えず世界が変わったと儂にわかったもう一つの理由を話そうかい。それはこの学校以外の周囲に建つであろう建物が一切合切消えておる事にあった。じゃから香港島がよう見えたのじゃよ。そして東の山手側を見れば、いつかの九龍城塞が、この何もない荒野に建っておるのが見えた。

 

「オウリィ、お主の心象風景か?」

「そうだよ、マキリ。この夢の世界を潜り抜けて、アオレアールのところに行くの」

「なるほど。精神だけの旅といったところじゃな?」

「うん」

 

 なるほど、繋がっとる精神を辿って接触を試みる訳じゃな。そうして相手の居場所を探ろうと。儂らは校舎を後にして東に向かって歩き始めたのじゃ。いつの間にやらルビーがヒト型になってオウリィの横を歩いておる。それもリュックザックを担がされて。服装もオウリィと同じ白い制服じゃ。

 

「どこに行くんじゃ?」

「夢の中でのイメージだから。アオレアールに強い思いを残した九龍城だよ」

「なるほど。何らかの精神攻撃でも受けとるのか?」

「どうだろうね……。だけど行ってあげないと」

「そうかえ……」

 

 おそらくじゃが、このオウリィが『アオレアール本人』の意思が具現化したものであろう。『夢』を何らかの通路にする魔術は昔からある。大抵は己自身か、対象と定めた誰かの『夢』を利用しての、呪詛、或いは治癒に使う魔術じゃ。儂もこれはよく使っておった。それは蟲に身を窶(やつ)したがゆえよ。

 恥を忍んで言うが、要は自分で自分の心に叱咤激励をするのじゃ。そうでもせんと、異物となった己の精神が保たんからの。今の段階ではまだ何とも言えんが、探索に出たアオレアールは精神攻撃を喰らって檻のようなところに居るのか、それとも出先で精神を分割し過ぎたツケが回って来おったのかのどちらかじゃろう。流れで言えば後者が濃厚よな。つまりエルヴァの読み通りという事じゃ。

 

 儂らが九龍城塞の真ん前に立ったのが、40分ほど歩いた後じゃった。直線とは言え、荒野を3kmも歩くとなればそんなものじゃろ。子供の足ならなおさらじゃ。不動産の広告で徒歩◯◯分とかあるじゃろ? あれは80mを1分で計算せよと定められとるんじゃよ(こう見えて賃貸マンションやアパートなどを経営しとったからな。儂はそういうのに詳しいんじゃ)。そこから計算すれば3kmは37分半となる。そう考えればオウリィもルビーもよう頑張った方じゃ。

 あ? 3kmはどこから出た数字じゃと? 儂にもルビーにも国土地理院以上に正確な、アインツベルン特製『世界地図』や『国別都市地図』、宝石翁特製『次元図』に『並行世界階層図』が『でぇた』として入っとるのじゃ。ちょっとどころではない自慢じゃぞ。とは言え、夢の中でそんなものが役に立たんのはわかっとるが、取り敢えずここまでは距離と時間が一致しとる。

 そこをどう捉えるかが重要なのじゃ。物理法則がある程度通用する場所なのか、そうではないのか、或いはこの法則はオウリィの持つ『常識』の影響なのか、それともアオレアールの影響下にあるのか……そういうのが見えて来よう? ここまで言えば、精神世界や夢の中に入る場合、そこが肝要なのが理解できよう。

 となればじゃ、居候しとるルヴィアの家の階段踊り場にある鏡……『エル』が魔術を掛けとるあれが、いかなる魔術なのかも見えては来ぬか? 『鏡の中の世界』そのものなのか、『鏡を入り口とした魔術倉庫』、つまり『表面に貼った結界の入り口』であるのかどうかとかじゃな。当然の礼儀として『エル』はルヴィアには真相を話し、構造もある程度は明かした上で内部も見せておるじゃろう。

 しかし、他人様の家の中にそういう術を使うとは、何とも大胆不敵よの。と同時にそれを受け入れ『良し』とするルヴィアの肝に驚かされる。さすがはエーデルフェルト次期当主じゃ。あの者も大物になろうぞ。

 

 さて、その威容と言おうか、異様と言うべきか、あまりにあまりな光景に息を飲まれた儂は一時的にじゃがたじろいておった。

 九龍城塞────九龍城砦とも言うそれは、宋の時代に成り立った漁港から端を発しておる。最初は漁村で細々と作っておった塩が数少ない特産品じゃったらしい。これは中国人が古来より海の魚介を好まなかった事にもあるようじゃ。

 ようじゃと言うのは、流石の儂も水滸伝の時代から生きとる訳ではないからの。伝え聞いた話なのじゃよ。その後の香港は塩でなく香木の輸出で賑わう港となった。香木など香料の集まる港じゃから『香港』と名付けられたんじゃよ。ま、これは元々この界隈に香木が天然で生えておったので、それが思ったよりも高く売れると理解した漁師達がそういう風に変えて行ったのじゃろうと思われる。

 やがて船を持つ者は、より大きな取り引きを営まんと目論む。その結果開けたのが、香港島の南部じゃった。意外じゃろうが、最初はそちらじゃったのじゃ。理由は当時での大型船が寄港できたからじゃ。つまり外国との貿易が本格的になったのじゃな。それが、時代が下り、更に大きな船が行き交うようになりおった。そこで今の九龍半島南端の九龍地区が本格的な貿易港として開発されたのじゃ。そうなって来ると、人々が恐れるのは海賊じゃ。それで港に集まる香木や人々を守るための軍事拠点として、最初の城塞が建てられた。それが九龍城塞の始まりだったのじゃ────。

 

 その後も貿易は盛んじゃったが、そこに目を付けたのが英国を始めとする東インド会社で甘い汁を貪り吸う、白い豚どもじゃった。それに豚どもは『奴ら』が操る人形であり、『奴ら』が化けとる『この世すべての悪』そのものじゃった。表には知られておらぬが当時以前から核兵器を持ち、一度はロシアや我が故郷と故国タルタリアを滅ぼした奴らじゃ。

 清国に後に阿片戦争と呼ばれる罠を見事に嵌めよった。それは中国が欲しかったからではない(英国人の一部は茶畑を欲しておったじゃろうが)、噂に聞く黄金の国『じぱんぐ』を欲したからじゃ。そうしてアメリカという自分達が作った経済国家と手を組み、開国を迫った。動ぜぬ幕府は、民衆が大洪水や大火災で窮地に追いやられる事で苦渋の決断をせざるを得んかった。新聞記者や代議士が洗脳され嘘を垂れ流そうとも、儂はすべてを見ておった。

 わかるじゃろ? 誰が幕末の志士を開国派へと転ばせた? 坂本龍馬達はどうやってその活動資金を得た? そしてそれより百五十数年。もはや真実は誰も憶えておらぬし知らぬままじゃ。そうやって歴史は嘘で塗り固められるんじゃ。実は幕末の日本には大勢のタルタリア人やその子孫が日本に逃げ延びておった。

 そんな同郷の仲間や、儂のようなどこの馬の骨とも知れん流れ者を迎え入れてくれた日本と冬木村の衆。儂は豚どもを『屠殺』しまくった。確かに儂は聖杯戦争という悪しき目的があった。じゃがな、悪にもな、仁義はあるし恩を返す心はあるのじゃ。何よりそれこそが『この世すべての悪の廃絶』であり、『人の悪性の切除』だからじゃ。

『奴ら』は人の善性を嘲笑し、馬鹿にし、人に悪性を奨励し、悪の道に誘いよる。西欧で言う『悪魔』そのものなんじゃ。儂は『彼奴ら』こそをこの世から消し去りたかった。しかし『彼奴ら』は社会というこの世に必要不可欠な『仕組み』のどこにでも潜り込んでおった。それらを根本から糺すには聖杯のチカラが必要だったのじゃ。今更、言い訳にもならんがの。

 そもそも『聖杯』に祈ろうという段階で儂も衛宮切嗣も小物でしかない。ヒトの善性が紡ぎ出したユメの存在……『英霊』を使役して世を糺そうという発想ができなんだ。

 

 儂はもう一度、目の前に聳える九龍城塞を睨(ね)めつけた。当然ながら本物の城塞は阿片戦争以降に程なく取り壊されとる。目の前のこれは、城塞の跡地に建ったあばら家などの部落が、アパートやマンションに変貌したものじゃ。城塞は当時の租借という名の割譲地域から微妙に外れ、チカラの衰えた清国の政治が届かぬ治外法権でもあった。

 それにより違法建築の上に違法建築を重ね、13~14階建てなのかの? ともかくビル同士がくっつき、お互いを支え合うという摩訶不思議なカタマリになっておった。当然そこは違法な商売の取り引き所となり、密談を交わす者、薬を売る者、女を買う者、ありとあらゆる悪徳が蔓延る魔窟と化しておった。

 ただ、意外じゃろうが、ここに住み着く魔術師や魔術使いはおらなんだ。それは人目が多過ぎるからじゃ。魔窟と呼ばれようと、人が多く住み着けば、自然とそれなりの秩序が生まれるものじゃ。じゃから取り壊しに近い時期で短期間じゃったとは言え、ここに住んでおったというアオレアール達は異端の中の異端じゃ。ま、そこも計算の裡(うち)なのであろうが……。

 

 

 ともかく、意を決した儂らは九龍城塞に一歩を踏み入れた。

 

 

 間桐臓硯という群体を解き、個別の蟲として屋敷に戻る場合はよう下水を利用したものじゃ。その下水路を流れとったような水がちょろちょろと、異臭を放ちながらが足元を流れとる。数メートルも進まぬ内に辺りの空気はここがただならぬ場所だという雰囲気を漂わせ始めた。10メートルも進めば、遂には背中を照らしていた陽の光すら失くなりおった。どこから引かれとるのか大量の電線が天井を這い、その分岐はどこに行くかすらわからぬ。

 道幅は2メートルもなかろう。雑居ビルの通路じゃから、すれ違う時に人がぎりぎり肩を触れ合わぬ程度じゃ。そんなどこに行くのかさっぱりわからぬ通路には、ところどころ明滅を繰り返す電灯があった。その中を恐れもせずオウリィは儂とルビーの道先案内として、前をずんずんと歩いておった。その足取りに迷いはない。やがて儂らは昇降機(エレベーター)の前に到着した。

 

 さすがの儂も九龍城塞は過去一度たりとも足を踏み入れた経験はない。それだけに興味は尽きなんだ。若い頃のようにわくわくしておったのじゃ。なので、このように広い城塞に昇降機がたった二基しか存在せぬ事に驚いたし、それぞれが隣接した別のビルである事にも驚かされた。

 なにせ目的地が仮にA棟の6階にあったとしても、九龍城塞が天井の高さが異なろう違法建築ビルの集合体じゃから、それが目的地のある棟の6階であるとは限らんし、その昇降機棟と目的地の棟が内部で繋がっとるのか、仮に繋がっとるにしてもそれが何階と何階であるのかは不明なのじゃ。

 オウリィは『日本に行った『エル』の知識』と前置きして、それを眉村卓という小説家の『通りすぎた奴』の世界であり、夢枕獏という小説家の『涅槃の王』の世界観でもあると言った。

 

「世紀末に日本で一部の人が描いた『ジュク(新宿/歌舞伎町)』の異世界観も本当の舞台はこの九龍城砦です」

 

 とも、言っておった。

 

「超高層ビルが独立したビルでなく、都市を構成する要素そのものの世界観の事ですよ」

 

 生憎儂はそういうものに疎いので何ともじゃったが、この不安を掻き立ておる雰囲気を指して言っとるのなら、『それはそうじゃろうな』と納得せざるを得んかった。この雑居ビル群は個々のビルという形態を逸脱し、街となった閉鎖世界なのじゃ。直径数kmはある超々高層ビルの世界ではないが、オウリィの話すそれはあたかも、かつての儂の身体に巣食う蟲どもと同じように聞こえた。

 

「なるほどのぅ。儂らは巨大な生物の臓腑の中を歩いとるようなものか?」

「そうですね」

 

 オウリィは7階で降り、通路を右に左に巡って、階段を昇り、再び通路を歩き、今度は階段を2階分降りた。そうしてある部屋の扉の前で、儂とルビーに向かって頷いた。いよいよじゃ。

 

 

 

 

 

 テスト3日目の本日5月25日、私とエルマは自転車で学園に向かった。それは近藤先輩のお父さんの手が空いていたのと、中間試験明けから出張の仕事が入ってしまったからだった。つまりお父さんに『Orville by Gibson』の『LPS-FM』を見て頂くチャンスが、近日だと今日しかなかったのだ。

 エルマが着いて来るのは自分の『Tokai LS-60』もついでに見せてあげれば、何かお話が聞けるかもと私が助言したからだ。なので昨夜の間に私は先輩に、エルマは桜に電話を入れていた。普段、自転車通学じゃないエルマはバス通学仲間である桜に連絡を入れて事情を説明しておかないと、要らない心配を掛けてしまう。私にしてもエルマが増える事を事前に伝える必要があった。

 まぁ、そこは上手く意思疎通ができたので良いのだけれど、一応運動部である弓道部の副部長が学園坂の途中で音を上げたのは驚いた。やっぱり慣れていないと厳しいようだ。励まし励まし何とか無事学園まで登りきった。ちなみにギターバッグは私が貸したものだ。ケースだと邪魔になるので、ギターをバスタオルで包んでバッグに押し込んである。

 ついでに言うと本日の私とエルマは半袖ブラウスの上に四つボタンの茶色い制ベストだ。理由は説明するまでもなく、ギターバッグでブラウスの肩を汚したくないからだ。それでもってこの制ベストが一番薄く、ニットより涼しいからだった。だから一応冬服の『正装』の一部として生徒手帳にも描かれているのに、真冬だと意外に女子から人気がなかった。

 その理由は生地がやたら薄地で寒いからだった。後ろに絞り込みのベルトがあるし、胸にはダーツがあるのでバストが強調される。なのでスタイリッシュに見えるからデザインは良いと思う。だけど裏地も付いているのにあの寒さはない。で、女子のブラウスには胸ポケットがない。これは夏も冬もだ。ところがこのベストは左右と胸だけじゃなく、内ポケットも2箇所あったりする。

 つまり生徒手帳にある『冬の正装の一部』ではなく、夏のポケットがないブラウスと合わせるべきベストなのだ。だから半袖ブラウスの上に着る女子がやたら多いのだ。ハンカチもポケット・ティッシュも、ちょっとした身嗜み用品が収まるベスト。誰が言い始めたのか、『釣りベスト(フィッシング・ベスト)』という男子も知らない呼び名があったりするのだ。

 どうもそれは『男の子を釣る』という意味と引っ掛けてあるらしいと、昨年のクラスメイトに聞いて驚いた。そしてそれを家に帰ってから報告したら、エルマも姉さんも、ルヴィアさんや凛さんも誰も知らなかった。どうも私達の学年のごく一部、それも私のクラスだった1年E組だけで広まった事らしかった。2年に上がりクラス替えで皆んな結構バラバラになったから、今年はもっとその話が広まるだろう。

 校門脇にある守衛室で、守衛さんに挨拶してエルマの駐輪場使用許可証を頂いた。エルマに自転車通学許可証がないので少し不思議に思うかも知れないけれど、手順さえ踏んでいれば学園はそんなに校則が厳しい訳でもないのだ。実は駐輪場には詰めれば300台以上自転車が止められるくらいスペースがある。けれど急坂で知られる学園坂があるので、自転車通学者は高等部の全学年合計で100人も居ないのだった。

 だから保護者・来客用という建前で、学園と関係あるなら駐輪場使用許可証は誰でも簡単に取れるのだ。また自転車は誰もが『乗る』訳ではない。何かを『載せ』て来るか帰るために押して来る人も居る訳だ。学園祭や体育祭の時期はそういう人が増える。また、各教科の先生方も誰が自転車通学をしているかは余り気にしていない。重要なのは事務局の生徒管理課と守衛さんを含んだ警備担当の人が知っているかどうかなのだった。これは万一の場合の盗難防止と、事故の保障にある。

 事務局の生徒管理課は自転車通学の生徒を完全に把握している。それは通学許可証を発行して貰う際に、大まかな車種や色、防犯登録番号などを登録するからだ。その理由は保険にある。要は通学途上の事故に際して保険金が下りるようになっているのだ。私学だから保護者にそこまで気を遣っているとも言えるし、生徒の事をきちんと考えているのだとも言えた。

 少し未来の話だけれど、私らが卒業した翌年から、自転車通学にはヘルメットと肘・膝パッドが必須になった。クロエちゃんがブーブー文句を言っていたらしいが、これで保険の掛け金が変わるらしいから仕方ない。本来なら自転車通学をする生徒の家が個別で保険を掛けるべきなのだが、そこは学園が持っている。そういう意味では良い学校なのだった。

 

 ちなみに私の自転車はママチャリとは言え、元々付いていた6段変速を姉さんが7段変速に改造し大きなギアに入れ替えてくれていた。なおかつハンドルが引きやすいように元の形状とは違うタイプに付け替えてくれてもいた。だから私でも何とか学園坂が登れるのだ。それでエルマの自転車は、ママチャリより遥かに軽量でハンドルも低い27段変速だった。

 ちなみに衛宮先輩(士郎さん)も近藤先輩も前3に後ろ8の24段変速のクロスバイクだ。衛宮先輩はイタリアのビアンキ、近藤先輩は台湾のメリダで、おそらくどちらも台湾の工場で制作されている。標準的な男子高校生であるお二人でもそんな24段変速でないと厳しいのが学園坂なのだった。そんな坂を雨の日も風の日も、変速のない普通のママチャリで通っていた吉川先輩は化け物だった。だからママチャリよりギアの重いピストバイクでこの坂を登る姉さんと気が合ったのだと思う。

 また、そんな急坂だから帰りの下りは皆さん慎重だ。飛ばして事故でも起こすと危ないからとゆっくり坂を下るのが衛宮先輩で、飛ばして指でも骨折したら好きな音楽ができなるからとゆっくり坂を下るのが近藤先輩、飛ばして止まらなくなったらヤバイと思っているのが吉川先輩で、ペダルを踏んで後輪をロックさせたり解除したりをしつつ、ブレーキも併用して下っていくのが姉さんだった。

 

 今朝は久し振りに親しい人との自転車登校だから、色んな事が頭に浮かんだ。

 それで私とエルマは男性より体力に劣るとされる女の子だ。姉妹それぞれが約5kgのお米を背負って登坂したようなものだから、校門に到着すればそれなりに汗をかいてしまった。なので守衛さんから許可を頂き自転車を止めたら、私達は女子トイレで制汗スプレーをしてから教室に向かった。でないとエルマからはライム、私からはグレープフルーツのような香りが自分達でもわかるくらいに漂うからだ。

 芳香体質、挙体芳香、言葉は色々あれど、これって万人が爽やかだと思ってくれる香りだから救われているのであって、本質的には辺りに妙な香りを撒き散らす『臭い奴』だ。もし香りのベクトルが違って、お魚や玉子が腐ったような臭いだったらと考えるとゾッとする。姉さんも汗をかくと酷かった。

 どこか甘さの感じられる柑橘系の香りだって? 本人は結構悩んでいたと思うよ。だって下着は疎か、着ていた衣服にまでその香りが移るのだから。そしてそれは『エル様』も姉さん以外のナンバーズの方々も同じだし、成長型・固定型に限らずアインツベルン製ホムンクルスは皆んな同じだった。

 これは本家アインツベルン製ホムンクルスが『元愛玩用』だったからだ。なので人から良い香りだと褒められても余り嬉しくないのが本音だったりする。ご結婚されているアメリカの姉さんは、旦那さまのフンボルトさんから何か言われたりしないのかな? それがとっても気になる。

 そんな事を気にしながら3階の教室に入れば、先に来ていたクラスメイトは『おはよ~トロンメル』と、鼻をスンスンさせながら笑顔で挨拶してくれる。だから私も顔でなく香りで私だと突き止めた彼女に笑顔で挨拶を返した。『どげんかせんといかん』と思うけれど、私達姉妹がそういう体質なのはもはや学年の全員が知っている事実なので後の祭りだった。

 

 

 

「おはよう、エルマ」

 

 教室のドアを開けると、いきなり私の耳に朝の挨拶が聞こえた。私に挨拶を言った相手は振り向きもせず、先程まで話していた人達だけを見ていた。そしてサイドの髪を撫で付けながらゆっくりと振り向いた。その仕草はクセなのだが、毎回どこか彼女の姉と似ていると思う私であった。

 

「おはよう、桜。匂いだけで私だって見破るのヤメて。めっちゃ恥ずかしいんだけど」

 

 柔らかく微笑む相手は親友の間桐桜だった。弓道部の部長になってから随分と自分に自信を持つようになった。良い事だ。

 

「ゴメン、ゴメン。だって……ね?」

「まぁね。誰だってわかるか」

 

 この私達姉妹に共通の芳香体質は、学園ではもう知らない人が居ないほど有名だった。しかも広まったのは弓道部からで、昨年のお姉様の香りからだった。

 

「フフ……それでどうしたの? その背中の。矢筒じゃなくてギターバッグでしょう? トロンメルの代わりに?」

 

 トロンメルに着いて、放課後近藤先輩のお宅に伺う事は昨夜の電話で話してあった。なのでこの桜からの質問は荷物持ちを頼まれているのかという意味だ。なのでそこは即座に否定した。

 

「じゃ、エルマもギターを始めたの?」

「違う、違う。桜に隠しても仕方ないから言うけれど、『お姉様ロス』の解消」

「あ~、そういう……」

 

 今やすっかり凛さんと仲良し姉妹に戻れた桜だけれど、最初は凛さんの存在すら思い出せない状態だった。だから記憶を取り戻してからは、これまで一人記憶のあった凛さんの寂しかっただろう生活や、苦しかった気持ちをとても気遣っていた。なので『お姉様ロス』で察してくれ、それ以上は何も詮索して来なかった。

 まぁ、話しても小型アンプと教則本とメンテナンス用品、ピックが揃っている程度と、私自身はドレミすら弾けないし『F』とかいうコードが押さえられないという『恥』を打ち明ける程度だ。それに桜はトロンメルがギターを何本か持っている事や、お姉様の分も預かっている事、運動も勉強も良いところに行く私が、楽器音痴な事なども当然知っている。また、トロンメルが一見愛想なしに見えても、実は結構深い事を考えていたりする事も、今の桜は知っていた。

 なので近藤先輩のお父様にお見せするために持って来た事だけを正直に打ち明けた。やがてアルトリアや他のクラスメイトも揃い、先生が入ってきた。試験3日目一限目の開始だ。サクッと答案用紙を埋めた私は、解答用紙を裏返し、トロンメルの事を考えていた。

 お姉様のように文武両道完璧にとまでは言わないけれど、せめて私くらいそこそこ成績が揃っていれば十分万々歳だと思う。

 けれど、人とはなかなかそうは行かないもので、トロンメルは文系と芸術系は良いけれど理数系が苦手だった。身内であるし、何より同い年の妹とでもあるから、トロンメルの成績が少々偏っていてもそれは芸術家肌だからと私は理解できているし、そっちの才能が抜群だと思っている。とは言え、トロンメルは日常生活での言動も時々オカシイ場合がある。だから私は常々あの子を心配していた。

 私だから許容できる部分が多いにある訳で……。だけどこれが大目に見てくれない人達にも通用するのか? 学園を卒業しても、トロンメルらしく生きて行く事ができるのか? そこが心配なのだった。

 だけどお姉様が認め、ルヴィアさんや凛さんが認め、今はこうして桜も認め、トロンメル自身の友人達も認めてくれている。それもこれもあの子が少しずつ変わって行けたからだ。それを促したのはお姉様なのか、近藤先輩なのか……。いや、それ以外の人々も含んだ全員が少しずつあの子に良い影響を与えたんだ。人はそういうものなんだものね……。

 

 

 

 

 

 オウリィは迷いもなく扉をガチャりと開いた。鍵は掛かっておらんかった。これはアオレアールがオウリィには心を開いておるという意味なのかのぅ? まぁ、ほぼ同一人物とゆうても良い存在じゃろうしな。入った部屋は襤褸(ぼろ)じゃが、掃除が行き届いており思ったより綺麗な居間じゃった。淡い色の遮光布(カーテン)から射し込む光に目を細める儂じゃ。

 こういう『人ならば和』んで当たり前の光をして、避けねばならんかった儂の後半生は正に『詰んで』おった。まともな精神を取り戻せば、『何とも不健康な』と溜め息しか出ん。ルビーも物珍しいのか、辺りをきょろきょろと見回しておる。まぁ、珍しかろうな。土間もなければ靴を脱ぐ場所もない。さりとて土足で良いはずもない。正解は扉を開きながら靴を脱ぎ、扉脇に読み古した雑誌や新聞などを敷いてそこに置くのじゃが、そんな家なぞまず日本にはないからの。

 日本の家屋しか知らなんだら違和感があろうが、西欧ではこういう家ばかりじゃ。天幕(テント)の文化と言えばわかるじゃろうか? 儂は真の農耕民族は日本人だけではないかと思っとる。武士の家の玄関は、具足を着け家人から刀を受け取る場所なのじゃ。それは農民の家の玄関の変形じゃ。雨や雪の日でも作業ができる土間があり、厠があり、その奥に竈がある。

 家に拠れば厠が家屋の外、比較的近い場所に建っとる場合もあるの。何れにせよ厠が土間に近いのは、そこが日常の中心じゃからよ。なので土間に一番近い部屋が囲炉裏のある部屋、即ち居間と決まっとる。来客の対応も大抵はそこで済ませる。儂も冬木村の衆の家に行けば、囲炉裏まで行かずとも上がりのところに腰掛け、白湯や豆茶を頂いたものよ。

 知っとるか? 豆茶とは茶葉が手に入らんかった農民が考え出したものでの。元々は河原などに生えとる『河原決明(カワラケツメイ)』などのマメ科の草や蔓を干して煎じておったのよ。そのような雑草と言ってもよい植物を、もっと栄養価の高い豆に代えて作り始めたものが今の豆茶なのじゃ。そしてそれが雑草であろうと大地からの養分を吸った豆茶は漢方薬にもなった。じゃから黒豆茶でも十分に贅沢じゃったのよ。

 永人の家は庄屋じゃったからこの黒豆茶がよう出た。他の小作農の家じゃと白湯ばかりじゃったよ。それでも皆んなしてよう働き、一年食っていけるだけの米を作っておった。そんな貴重な米を茶豆(お茶でなく茶色い毛の生えた枝豆)で炊き、塩を振って握り飯にしてくれよった。それと漬け物じゃな。それが村人達の精一杯の饗(もてな)しだったのじゃ。じゃから、黒豆も食えるなら全部頂いたし、漬け物も米の一粒も残さんかった。

 ユスティーツァなぞそこらに米粒をこぼしおって、永人によう叱られておったものよ。じゃが、世間知らずな筈のユスティーツァが一番村人と情を交しておった。馴染みの家の女房が病だと聞けば手ずから作った薬を持って走っておったよ。流行り病(ただの風邪じゃ)じゃと永人の知識だけでは足りなんだ。儂も村人に薬草などを集めさせ、薬を作ったものじゃ。

 そうして村人に馴染み親しみ、祭りにも汗を流し、一緒に笑いあった。懐かしいのぅ……。

 

 いつからじゃろう? そんな気の良い村の衆を犠牲にしても良いなどと、傲慢で我欲に満ちた醜悪さを身に着けたのは。

 何時からじゃろう? 儂自身が廃絶されるべき悪そのものに成り下がったのは。

 

 儂はこの苦さを忘れられんし、忘れてはならぬ事と定めた。否、この明晰な頭を取り戻した時点でこの命ある限り忘れんじゃろう。じゃからこそ、オウリィ然り、『エル』然り、エルヴァ然り……若者達に儂は願うばかりじゃ。『儂の轍を踏むな』と。他者より長命な魔術師は、長命であるが故にこの落とし穴に嵌りやすいように思う。これは時計塔の君主にも言えるじゃろう。

 魔術は秘匿すべきものじゃから大きな事は出来んが、あの時代……儂と永人とで幕府や朝廷に取り入る事くらいは出来たであろうにの……。さすれば明治政府のような金権に欲の絡んだ者達を蔓延らす事も無かったであろうに。

 

『人間とは一度家畜として飼い馴らされると、柵がなくとも逃げようとはしません。それはそこに居れば明日も食べられると知恵が回るからです。その意味では強欲な者の方が人としての矜持が強い。より美味しいものをより多く食べたいから柵を出て行くのですから。問題はその強欲を持ちながら、人としての優しさをも持ち合わせる者が少ない事ですね』

 

 エルヴァの言葉じゃが、これは『エル』の考えでもあろう。ユスティーツァよ、善き子孫に恵まれたのぅ。

 

「ゾウケン君?」

「何じゃな?」

 

 ルビーじゃった。

 

「あちらに部屋が」

 

 む。考え込んでおったらオウリィがその部屋に向かうところじゃった。儂も慌てて後を追った。それで何の躊躇いもなく扉を開いたオウリィの肩越しに部屋の中を覗いたのじゃ。すると中は光に包まれておった。目を凝らしてよく見るとそれらは縦横無尽に走る糸じゃった。蜘蛛か何かの糸。その一本一本が自ら光っておったのじゃ。

 そしてそれらの糸は真ん中の一際大きな光体に繋がっておった。さながら光の繭じゃな。その糸に触れてオウリィが言った。

 

「これで『現象』と繋がっていたんだ……」

 

『現象』とな?

 

「うん。ここまでチカラのある者に一体誰が手を出せる? そんな事をやれるのは『エル』か『現象』だけだよ」

 

 むむぅ、その通りじゃな。では?

 

「では、こういう接触を試みたその真意は?」

「う~ん……今はわからないけど、何か伝えたい事があったんだと思う。これってさ、糸と繭に見えるけど、アインツベルンの睡眠教育装置が夢でイメージ化されたものだよ、きっと」

「その装置とやらを通して見せたいものがあったと?」

「うん。私はそんな風に感じるなぁ」

 

 オウリィは何度も頷きながら、繭を観察しておった。

 

「夢じゃから繋がったのかえ?」

「そう、真犯人は『現象』だと思う。想像だけど、自分の世界がいかに滅んだかを私に伝えたかったんだと思う」

 

 ふぅむ。

 

「だってこの荒野になった香港とか、どう考えてもね?」

 

 なるほどじゃな。オウリィは『現象』の持つイメージを抽出して、このアオレアールの『夢』を構築しとったらしい。

 

「じゃが、引っ掛かったのはおヌシが自由意志を持たせた人形じゃったと……?」

「そういう事だね。きっとあっちの世界でも『エル』に接触しようとしたと思うんだよ。上手く行ったかどうかは知らないけれど」

 

 

 どうじゃろうなぁ……。軽く遭うくらいは出来たと思うが、話し合える程の猶予は与えられたかどうか……難しいのぅ。

 

「それがこちらじゃとおヌシであったと?」

「うん。先に軽くエルヴァ達に接触して、話を通すなら私だと切り替えたんだと思うな」

「なるほどの。ここに辿り着くまでに苦労したじゃろうなぁ」

 

 ここまでの人形遣いじゃ。遭うどころか、接触もままならんかったであろう。となると最初に接触したのはこの世界に一時来ておった『エル』かエルヴァかの二択になりおる。となれば選ぶなら……『エル』を様子見した上でこれは難しいと考え、エルヴァに切り替えたであろうな。じゃがエルヴァにしてみても接触があった事は誰にも言わんじゃろうし、『現象の思い』などを汲んだ上で行動しよるじゃろう。

 そしてそれはおそらく『現象』もじゃ。そこで儂はふと『現象』が一番最初に接触しよったのは、『エル』と『アメリカのエルヴァ』だったと気付いた。平和に暮らしとる『あ奴』には妹を託しとった筈じゃ。この世界の未来を託すなら……うむ、オウリィ(アオレアール)となるじゃろう。ふむ、そういう事かい。オウリィがここまで来たという事は、『逢おう』と考えたからじゃ。つまり歩み寄りじゃな。これでアオレアールの無事が確認できれば儂の仕事は終わりじゃ。

 儂は無数の糸に支えられ、空中に浮かぶ繭の前でどかりと座った。

 

「正体と本体の在り処を秘密にするのはわかるが、余り他人に手間を掛けさせるものではないぞい」

 

 誰がそれを言うんじゃという話ではあるが……。

 

「ゴメンナサイ」

 

 オウリィは儂の横に座り素直に謝りおった。

 

「まぁ、おヌシも色々大変なんじゃろ?」

 

 儂はオウリィを労った。

 

 アオレアールが目覚め、オウリィがアオレアールと交信できたのは体感的に翌朝の事じゃった。現実世界に戻れば、儂は寝台で鼾(いびき)を掻いて熟睡しておったようじゃ。その事について『煩くて眠れなかった』とイリヤスフィールに苦情を言われたんじゃ。寝室は別なんじゃぞ?(部屋の中に寝室や浴室が幾つかあるという構造) じゃが、『ご苦労さま』とも言っておったので、何らかの予感はあったのじゃろう。

 この後の数ヶ月の間に、アメリカの大統領が代わり、民主党が解党しおった。国家反逆罪で主要な者共が軒並み逮捕されたからじゃ。そこをヨイショしておった太鼓持ちの報道機関も次々と潰されよった。また日本の首相は政権途上で退陣し、息子共全員が行方知れずとなった。これは官僚やその家族に報道関係者やその家族、大学教授やその家族も同じじゃった。各国の有名な議員もこの1年以内に変わった。

 各国の新しい政権が減税路線に動いたのは2006年からじゃ。アオレアールやオウリィ達が、この世界の『彼奴等』を完膚なきまでに叩き潰した結果なのは、報道がなくとも明白じゃろう。儂が本当にしたかった、悪の完全なる廃絶じゃ。とは言え、連邦準備金、国際中央銀行、SWIFTなどの制度はアインツベルンが乗っ取ったようじゃ。

 またロシア連邦共和国から消えた国が幾つかある。ウクライナは現在、ロシアの一自治地方に堕ちよった。まぁ、ここは『彼奴等』が長年蔓延っとる国じゃったからの。アオレアールは自治政府が落ち着けば自治国に戻すと言うとったが……。少なからず儂は歴史から抹消された我が故国の無念は晴らせたと胸のすく思いじゃった。

 しかし、まさか原油価格の操作を撒き餌にして、アインツベルンが世界金融を手中にするとは儂でも予測が付かんかった。しかも『そこを洗脳』までして強固に護る事で、『彼奴等の残党』は手も足も出ん状態に落ちた。どうも『現象』はノイントの爺さんとも接触しておったのじゃな。となると儂はエルヴァやアオレアールを餌にして釣られたのやも知れん。じゃが、世界はこれで決した。後は良い方向にしか行かんじゃろう。

 

 

 

 私が先頭でエルマがその後ろ。二人で学園坂をす~っと下った。これでコケたらネック折れ確実だ。先輩は……『先に帰ってるな』と言っていた。女の子二人の強襲だから、きっとお茶でもいれておこうと考えたんだろうね。戻りしなにケーキでも買ってくれていたら、脳に糖分が足りないこの状態だと嬉しさ50%増し、先輩への尊敬度30%増しだ。

 私とエルマはいつもと違う道に入り、冬木港の方に向かった。冬木大橋でなくもっと海寄りにある未遠川隧道(ずいどう。トンネルの事)を通って新都に行くのだ。この隧道は今年2005年の新年早々に開通して結構地元新聞やTVで話題になったものだ。クルマは通れず、人と自転車限定の狭いトンネルだった。当然自転車通学の高校生や、新都に買い物へ行く主婦にも利用者が多い。

 とかくこの街は、街を東西に分ける未遠川の存在がネックだった。未遠川には大橋という名の橋が架かるくらいだから、河川幅がかなり広い。山間部の採石場から砂利船が下ってくる。そんな船の行き交う一級河川が未遠川だ。今でこそゆったりと流れる川だけれど、河川幅が狭かったもっと昔は、急流で知られていたらしい。そのせいで、この川を渡るのはもっと上流にある橋か、双子館に近い歩道橋(エルマのお気に入り)、それか市が運営するポンポン船(渡し船)しか無かったそうだ。

 そんな都市計画の遅れは地方都市の財政だけの問題じゃない。遠坂家と間桐家がそういう『聖杯戦争を行いやすい街』に仕立てあげて来たからだ。それだから安全な街になった途端、隧道がポンと出来てしまった。このタイミングは偶然だろうけど、倫敦に渡る前の姉さんも衛宮のお父さん(切嗣さん)も、開通初日にこのトンネルをホッとした顔で通っていた。それが1月の事だったのだ。

 先輩の家は新都は新都でも、旧港湾地区にあった商店街の外れにある。埋め立てで拡張された今の倉庫街やコンテナ街、旧工場地帯のもう少し先、新しく建った卸売市場の辺りだ。並行世界では焼け落ちたはずの市民ホールがここには残ってるけれど、そっちはもっと未遠川に近く、先輩の家とはかなり離れている。そして新都の再開発地区よりもっと海寄りの地域にあるのがこの商店街だった。ちなみに横田先輩の家である横田材木商店もこの商店街にある。近藤先輩は横田先輩の幼稚園前からの幼馴染みだったのだ。

 だから先輩とデートとなると、卸売市場の中や周囲に建つ料理店や回転寿司でお昼を頂くのが定番だった。というのもこっちの商店街で横田先輩と鉢合わせしたら何か気不味いからね。あれだけ面倒見が良く優しい軽音部前部長は、残念な事に穂群原高等部の3年間彼女が居なかった。そして大学生になった今も彼女なし記録を更新していた。友人も多いし良い人なんだけどなぁ……。

 あ、それと。その私らの二つ上の学年だと、横田先輩となんと何との吉川先輩が彼女の居ない男子として有名だったらしい。横田先輩はやや引っ込み思案なところがあるからわからないでもないけれど、剣道部のエースだった吉川先輩が……? だけど硬派で強面でもあったから、意外と女子に敬遠されていたのだとか。そんな人が姉さんを射止めたものだから、近藤先輩も驚いたそうだ。

 

 吉川先輩は隣街に家があるから、姉さんはデートとなるとバスかマイカーでお出掛けしていた。なのでこの商店街は利用していない。それにあっちの街にも回転寿司やラーメン屋さんはあるからね。だけどここの卸売市場内とその周囲にある飲食店は一度試して欲しかった。何せ『新鮮で美味しく、安い上に出て来るのが早い』から、めちゃくちゃ便利なのだ。

 広い駐車場のある回転寿司は平日でもお昼時は満員で数時間待ちという場合もあるという。再開発地区に建った新しいビルに勤める人達もここまで出て来て利用するからだ。そんなだから日曜祭日も混むので、私もその回転寿司には数回しか入った事がない。けれどエルマは自転車でのプチ探索が趣味だから、何度も来ていたようだ。というのは旧港湾地区に入った途端、どこそこのお店は良かった等、随分と楽しそうに話してくれたからだ。

 こういうのがエルマの趣味と言ってしまえばそれまでだけど、後年車での旅や車中泊にハマる芽はこの頃からあった訳だ。もっと言えば普段の料理だけでなく、インスタント食品や即席袋麺のアレンジも上手だし、キャンプ好きなのはこの頃から知っていた。ルーマニアだっけ? 満天の星空の下での味噌ラーメンが忘れられないと何度も話していたものね。そこでアメリカの姉さんと何かあったらしい。

 だからアメリカに行き、ボストンで暮らすようになった私は、二人を招いて東海岸を満喫して貰った。ハウス・メイドのリサさんやリンさんにお願いしてクルマ(RV)をレンタルして、お二人が薦めてくれたフロリダ州まで行ってキャンプや観光をした。ネズミ―ワールドにも行ったけれど、最高なのはやっぱりワニがノシノシ歩くエバーグレーズ国立公園でのキャンプだったな。エルマはアサシン達へのご褒美だったのか、全員を連れて来ていて、ワニから私や桜を守れと『自由にさせ』ていた。

 アメリカで5年10年と過ごすようになっても、全州は行けてないし、知らない国立公園がまだまだあった。人が一生懸っても知らない場所があるのがアメリカだった。西海岸は姉さんが居るから皆んな最低一回はアメリカに来ていた。だけど東海岸は珍しかったようで、エルマに随分とウケたから良かったよ。

 エルマの後ろを走っていると、背負ったギターバッグのネック部分から左右にポニーテールの尻尾がチラチラと揺れるのが見える。本格的に暑くなると私も髪を纏める事が多いけれど、エルマほどポニーテール率は高くない。弓道部だからとか関係ない。私がモノグサなだけだ。とは言え姉さんも桜も、部活外では髪を下ろしていた。特に桜は真夏でも項(うなじ)を見せない子で、姉さんや凛さんが髪を上げるような日でも、下ろしていた記憶が強い。

『良い子』であらなければならないと、どこか気負っているのが昨年までの桜だった。そんな気負いが2年生に上がってから、余り感じられなくなった。凛さんと姉妹に戻れたからだろうと思う。だけれどそれと同時に、エルマという親友を得た事も大いに作用していると私は思う。というのは、こうして後ろから見ているとエルマの背中が妙に大きいのだ。何を話しても動じず、一緒になって問題解決に当たってくれそうな、そういう懐の深さが滲み出た頼もしい背中。もしエルマが男の子だったらモテただろうなぁ。

 ただ、それも今のスペックをキープしての話だ。成績上位で弓道部のダブル・エースの片方、なおかつお料理上手で家事全般にソツがない……そんな人間、姉さん以外に居ない。そこに着いて行けたエルマが偉いのか、それがアインツベルン製ホムンクルスの特徴なのか判断が着きかねるのだけど。でも、セラさんがエルマを可愛がる気持ちもわかる。それくらいエルマは頑張っている。だからこそ、男の子だったらここまで気の回る子になったのだろうかとも思う訳だ。

『エル様』の説明だと、学生からスタートする成長型には、敢えて完成した知識や感性を与えておらず、自分で学ぼうとする『気持ち』が強く出るように設定してあるのだそうだ。姉さんはその意味で善きお手本であり、良き師でもあった訳だ。だから『敬愛』の度が過ぎてしまったのかも知れなかった。

 

 ほどなく私達は先輩の家に着いた。学園からは約40分だった。お店の右前に止めてあった先輩の自転車と並べて鍵を掛けた。左にはガレージがあって、そこには軽トラックと軽のバンが縦に並んで止まっている。同じ軽ならもう1台止められる奥行きがあるから、本当なら自転車はこっちに止めるべきなのだけど、工具の出し入れがあったりして、却って邪魔になるのだそうだ。

 そんな自宅兼事務所でもある先輩の家は、ガラスの引き違い戸が横に四間はあるだろうという呉服問屋さんのような造りだった。なのでガラス戸を開いて中に入るといきなり事務机や工具棚が並ぶ土間になる。土間と言っても今はコンクリだ。夜は外に出してあった自転車もこちらに入る。

 しかもその六脚ほどの事務机は、壁際の二脚=お父さんがエフェクターを作ったりピックアップを巻く作業台であり、本当の事務作業場で、アイランド型に向き合った四脚=伝票整理場兼従業員さん達の休憩場だった。だから壁際で作業台と化した二脚の前にも天井まで届く棚があり、すぐ手の届く範囲にニッパやラジオペンチ、ドライバーなどが愛用の半田ゴテとともに並んでいた。

 

「こんにちは~。トロンメルです」

「こんにちは。トロンメルの姉のエルマです」

 

 エルマは良いけれど、トロンメルという名は大概変だと我ながら思う。一度百科事典などで調べてみて欲しい。『大型分粒装置』とあるから。『エル様』に言いたい。それのどこが『太鼓連打』なのだ? 私達三姉妹の名はハイドンの交響曲101番から103番の、第二期ロンドン交響曲(ロンドン・セット)の副題から『エル様』が連想した、実にいい加減で出鱈目な名だった。

 エルマは元『目覚まし時計(reveil/レベイ/Die Uhrをもじったもの)』というフランス語の名だったのだけれど、姉さんに直訴して変えたのだ。『なんでドイツ系の私がレベイなのか。酷いと思いませんか?』と。まぁ、その『Elma』も『Elva』をもじったものだ。だけれどそれが逆にエルマのツボだったのは間違いない。何せこの命名からエルマの『お姉様ラヴ』のスイッチが入ったのは、私の見る限り確かだからだ。ちなみにヴンダーは『奇跡(Das Wunder)』という意味で、こちらは『エル様』もドイツ語から変に捻ったりしていなかったのでそのままだった。

 

 まぁ、それは良いとして。

 

「ようこそ、お待ちしていましたよ」

 

 という近藤先輩のお父さんの応答に、エルマは隙かさず『つまらないものですが』と返事を返しフルールの箱を渡していた。アサシンにショートケーキを買いに走らせたのはわかる。だけど、どこで受け取った? 宝具を通してだとしてもアサシンの誰もその宝具は持っていない。こんな奇術滲みた真似事は、同じ宝具を持ち、同じ魔術師である私にも理解できない事だった。

 ただアサシンがエルマとの『共用ボックス』のようなものを持っていれば話は別だ。つまりエルマはそういうボックスを既に開発済みで、運用もとっくにしていたという事になる。そうか……『ラインの黄金』を解析出来ていたんだ。ゾウケン君やルビーを交えてだろうか? そこは謎だけど、魔術に関しては『エル様』並に凄いな、この子……。

 

 私服に着替えた先輩が奥から現れた。お盆には紅茶の入ったソーサーが4つ載っていた。私達はお礼を言った。先輩もケーキにお礼を言い、皆んなでそれを分けた。天井付近から流れる音楽は作業台のところの棚の最上段に設置されたバスレフ型スピーカーから。元は白木だったろう自作のそれは、タバコのヤニなのかニスを塗ったように茶色い。

 もうお仕事から引退されたお爺さんの時代からあったそうで、使われている片側4発のフルレンジ・ユニットは『パイオニア PE-16』と言う。昔は20cmのもあったそうで、8Ωのタイプや16Ωのタイプもあったらしい。口径の違いは好みの問題だろうけど、このインピーダンスの違いは定格入力の弱さを補いつつ、アンプの出力インピーダンスを揃えるためで、ユニットの単体販売だとそういうのを揃えるメーカーが結構あったそうだ。

 抵抗を並列接続した場合の計算式は1/Ω+1/Ω=2/Ωで、16Ωなら最後に分母を分子で割った8Ωが正解となる。そんな並列接続と直列接続を組み合わせながらアンプの出力インピーダンスに揃える訳だ。2003年頃に『ダイヤトーン P-610』とともに『PE-16M』として限定復刻しているから、お爺さんはそれに入れ替えている。

 その昔はこんなユニットを箱に収めるのでなく、ただの板に丸い穴を開けて取り付けていたらしい(平面バッフル)。見窄らしいと言っちゃうと失礼だけど、そういうので十分音楽が楽しめた時代があったのだ。だけどシングルコーンのフルレンジだと幾ら数を増やしても、高域が全然足りない。音に芯というか迫力が出て来ない。だから棚の縁にはカーステレオ用のツイーターが、足元にはサブ・ウーファーが置かれてあった。こちらはお父さんがそういう風にしたらしい。

 口径16cmだから6inchちょい。なので16cmユニットの事をロクハンと言うのもここで憶えた。これとは別にもうひと回り大きなエンクロージャーが作業台の足元に転がっている。初めて見た時には驚いた。もう使っていないスピーカーらしいのだけど、こちらのユニットの真ん中に黒い電球みたいなのがニョキっと生えていたからだ。こちらは『ナショナル EAS-20PW09SA』という。テクニクスじゃないところに驚かされるが通称は『ゲンコツ』。20cm(8inch)クラスの名機だったらしい。

 

『『直したいんだけどねぇ』なんて親父も濁しながら俺には言ってるけどさ、奥の部屋にある『JBL』の『LE8T』が入ったサンスイのスピーカーとヤマハの『NS-1000』がオヤジの愛機だからなぁ。正直、どうでも良いんだろ。啓司、いるか? 俺もこんなの貰っても嬉しくないし。けど、棄てるに棄てられなくてね』

 

 なんて話が以前あったのだ。その時にお父さんから教えられれたのだが、『EAS-20PW09SA』や『P-610』、パイオニアの『PE-16』などの往年の名機は設計が古いし、そもそもお父さんの世代の『思い出の逸品』という訳でもないから、壊れても直そうという気持ちが一向に湧かないのだそうだ。

 ただ、職業柄から見るたびに何とか使い途はないかなと考えてはいても、仕事や好きな事が優先して手付かずのままなのだとか。そういうのあるよなぁって私も思う。何かの記念で戴いたから棄てるに棄てられない『ちびた鉛筆』のようなものだろうか。それとも机の引き出しの奥から出て来た、予備に買い置きしていたのに忘れてしまって固くなった消しゴムみたいなものだろうか。

 

 そんなお爺さんは今もお達者で、お婆さんとともに奥のご自分達のお部屋にいらっしゃる。お父さんの言葉だと、ただでさえ昔戴いた引き出物の皿とか、若い頃から集めていたオーディオ機器で溢れ返っていて、6畳の部屋が3つも潰れているのだとか。それも凄いね? で、そんなオーディオ機器の中にサンスイやヤマハのスピーカーがある訳だ。そのサンスイの『SP-LE8T』は前面が組子細工だったから見た目は良いけれど掃除が大変だったそうだ。子供の頃、お爺さんからお掃除をさせられていたのかな?

 

 流れる音楽はFM放送だ。スピーカーを駆動しているアンプは『6BQ5』という真空管を使ったこれまた自作のアンプだった。この『6BQ5』や『6BM8』などは五極管だから三極管接続やウルトラリニア(UL)接続など色々試せて楽しいらしく、初心者が最初に試すべき真空管なのだとか。ただ、『2A3』や『UZ-42』のような『いかにも』といったデザインの真空管の方がマニアに好まれるらしく、『6BQ5』や『6BM8』だと『ふ~ん』となっちゃうらしい。

 だけどアンプは回路設計ありきだから、どんな真空管であっても音質の差は出ないのだそうだ(出るという人も居るが、それはメーカー違いの品質の差程度らしい)。もっと言えばナス管もそうだけど、『2A3』や『UZ-42』、『300B』といった逆三角形の上にポコっと膨らみのある真空管(ダルマ管)が持て囃されるのも、見た目のデザインだけなのだそうだ。だからこそありふれた『6BQ5』や『6BM8』といった比較的安い真空管で『良い音』を求めた設計が楽しいのだと教えて下さった。

 ギターで例えるならギブソンでなくコピーのレスポールであっても、演奏が上手く曲が良いなら問題ないという事だ。そしてやはりこのアンプはお父さんがお爺さんの指導で小学生頃に初めて作ったアンプで、今は改造されて中身の回路は制作当時とまったく別物らしい。

 音楽ソースは、ジャンクで買って来てお爺さんが直した『TRIO(今のケンウッド)』の『KT-990』というチューナーと、『HITACHI/Lo-D』の『DA-009』というCDプレイヤーからで、ラジオとCD専用だった。どちらも80年代末期のものらしい。お店というか事務所のBGM用だから、それで十分なのだった。だけどそんな古いものが今も動いていると知ると本当に驚かされる。ギターも同じでしょう? なんて言われると返す言葉もないのだけれど。

 

 ともあれ私の感覚だと、お爺さんは身の丈にあった『本物のオーディオ好き』で、お父さんは『幅広い音楽好き』となって、同じ音楽好きでも少々違うなぁと思う。何て言えば良いのかなぁ……お父さんは身近に音楽がある生活が好きと言うか……。ほら、お料理好きでも食べる事が好きな人と、作る事も好きな人は違うでしょう? 道具に拘る人でも、包丁なのかお鍋なのかとかそれぞれ違うだろうし。あんな感じだ。

 特にお父さんみたいなロック好きだと、『わざと歪ませたアンプでギターやベースを演奏するのに、原音(※)に忠実も何もあったもんじゃない』となる。けれど『ウッドベースがブゥ~ンと唸る高級なスピーカーで聴くと良いなぁとは思うけどね』とも話していらした。私もこれには賛成だ。

 

※)勘違いしている人が多いが、この場合の原音とは、演奏家がスタジオで録音した音やライブ演奏でPAから出て来る音は指していない。商品として販売されるレコードやCDといった私達が手に入れられる、エンジニアが加工した後のものを指して言うのだ。何故ならそれらの加工も含めたトータルでアーチストは作品を世に問うからだ。

 

 それでオーディオで一番誰でも差がわかる部分がスピーカーの違いであり、アナログプレイヤー時代の針の違いだった。スピーカーは納得できると思う。そのリスニングルームの中に滞在する空気を直接揺らす、音波発生装置がスピーカー・ユニットだからね。では針の違いとは? これはカートリッジの方式の違いと言えばわかるかな? 代表的なMM型(ムービング・マグネット)とMC型(ムービング・コイル)の違いは説明を受けてからレコードを聞けば、どっちがMMでどっちがMCとか言えなくとも、音が変わった事は慣れない人でもわかってしまう。

 少々慣れてくると、ロックやポップスにはMMでジャズやクラシックにはMCが良いとか好みが出て来るようになる。これはレストランのテーブルに置いてある、塩や酢、胡椒などと同じだ。だけどその色付けは原音に忠実という原則とは異なった、アーチストやエンジニアの意図とは異なる行動となる。

『DENON』の『103』や『108』、『Ortofon』の『A』や『G』、高級イヤホンで知られる『Audio Technica』が出していた『VM型』などなどレコード全盛期には多種多様なカートリッジが市場を賑わせていた。実はアナログレコードは『RIAA』という規格で縛られ(圧縮)イコライザーを咬ませて再生(解凍)しなければならない、まるでアーカイバのような拙い規格だったのだ。ちゃんと計器で計測すればCDの方が低音も高音も出ているし、音も忠実なのだ。

 つまりレコード好きは『RIAA』を展開した音が好きなのと、気ままに塩や胡椒を振りたい人なのだ。だけど口外しないで。万一、オーディオマニアの人の耳に入ったら険悪になるのは目に見えているから。何より私達若い世代は『エル様』のような奇特な人を除くと、レコードなんて持っていないし、持ち運びに不便で音飛びがするCDも家で滅多に聞かない。私達は音声ファイルのデジタル化を受け入れ、メモリや小型のHDDに音声ファイルを入れて持ち運ぶ事にも、『MP3』などの圧縮ファイルの便利さにも慣れてしまった世代だ。

 中にはプレーヤーに入れる曲数を増やしたいがために、320kbps以下の192kbpsや128kbpsにまで落とす人も居るだろう。だけど雑踏の中で音楽を楽しむのなら意外とその程度の音質劣化は気にならない事も知っている。私は今、『Creative NOMAD MuVo2』と『iPod photo』を使っているが『iPod mini』も持っている。『iPod photo』の方は去年の秋に出た、40GB版の方だ。

『iPod』は正直『AAC』縛りがあるので不便な時がある。それでも私がこれらを選んだ理由は手持ちのデジタルカメラと連携したかったのと、軽音部に大容量の『iPod』持ちが多かった事、それと姉さんが『iPod mini』をずっと使っていたからだ。なので『iPod mini』はエルマも持っている。しかもしっかり姉さんのと同じグリーンだ。私はピンクだけど。

 ところで『軽音部に大容量の『iPod』持ちが多かった』と言ったが、音楽データのやり取りは意外にも皆んな、この2005年でもカセットテープが多かった。これは『このリフ、どう思う?』とか『こんなメロディーはどう?』とか、『この曲は皆んなで演って残そうよ』とか、そういうちょっと聴いて欲しい場合や残して置きたい場合にカセットが便利過ぎたからだ。

 まずPCを起ち上げて操作しないで済むから、PCが苦手な人でもそんなに悩まない。何より軽音部には使いやすいミキサー付きカセットMTR(マルチトラックレコーダー)が5~6台ある(歴代のどれも『Tascam(TEAC)』だ)。つまり環境が先にある。それに売っている種類も場所も限られてしまったけれど、カセットテープそのものは何とか手に入ったのだ。

 いずれHDD録音が高校生でも気軽に出来る時代が来るだろう。だけどそれは今高校生の私達じゃない。

 

 話を戻すけれど、スピーカーやカートリッジ以外の……アンプなんかの違いは、お料理で例えたら塩一摘み分も変わらないと私は思う。アンプの電源ケーブルを高級品に換えたからと言っても、私達はそんな神懸かった耳なんて持ち合わせていない。なので良くなったかどうかなんて判断できないのだ。ならそのお金分、未知のジャンルの音楽CDを買って新しい事を知る方が正しいと思うのだ。

 そんな私に『エル様』は────。

 

『電柱を立てようが、電源ケーブルを換えようが、アンプの電源部がノイズをストップしてくれるのですから意味ありませんよ。それよりも、きちんと勉強して正式に資格を取った技術者達が認め、使用する普通の規格を舐めてはいけません。彼らのほとんどは企業に務める戦士です。なので会社に迷惑を掛けたり、リスクを負わせる『はみ出した行動』は出来ません。そんな中でアイディアを絞って良いものを作ろうと頑張っているのです。自由業で自営の住宅ローンの審査も厳しいオーディオ評論家やクルマ評論家とは違いますよ? その部分をよく考えなさい。評論家の言葉は、小銭を稼ぐために何としても『隙間』の仕事を見付けたい政治家の言葉と同じくらい当てになりません。真実の答えは自分の耳にしかありません。その耳が信じられないなら各種の装置で測って数値で見るしかない訳です』

 

 そんな事を教えて下さった。

 

『ケーブル類で音が変わるのはほとんどの場合、スピーカーケーブルです。そこもダンピングファクターをきちんと知れば、端末処理だけだとわかります。重要なのは端末です。接触不良を起こさないように常日頃から心掛ける事です』

 

『エル様』のオーディオラックはサーバルームみたいに裏に回れた。接点磨きやケーブルの差し替え、掃除がしやすいようにだ。ギターのエフェクターラックみたいにキャスターをオーディオラックに付けるのは感心しないそうだ。それは回転系が多いからだ。それに振動も気になるようだった。私はコンセントノイズに付いて訊ねた。

 

『ん? コンセントに雑音が? それって交流の周波数を間違えているではないかと一瞬思いますね。ですが先程も話しましたように、ノイズはアンプの回路が遮断していますから余程の事がない限り問題ありません。ただしワット数の大きな電気を使うのですから、ブレーカーは分けておくべきでしょうね。トロンメル達の部屋もブレーカーを数系統に分けてあるでしょう? 表示をよく見て使い分けて下さい。え? ああ、集合住宅なら何かありそうな気はしますね? そのうちコンセントを使った『LAN』なども出て来るでしょうし……。まぁ、ノイズカットフィルターを咬ませたタップやコンセントを使えば良いのではないですか? そんなモノより私は落雷が怖いですよ。ビルそのものがサージ対策済みですけど、やはり気になりますね』

 

 そして────。

 

『トロンメル、音楽をどう楽しむかは個人の感覚です。料理の味と同じですよ。最高級の牛肉を最高の調理法で美味しく仕上げた料理を食べ慣れた人であっても、カウンターでインスタントのお味噌汁と牛丼を掻き込みたい日はあるでしょう。私でもコシのないつるつるしたうどんを食べたい日があります。特に冬木駅の構内で。それと同じで、人の感覚なんてその日次第です。なので日ごとにオーディオが替わっても不思議ではありません。では、リファレンスなオーディオ装置がある人はどうしてそうなるのかから考えなさい』

 

『エル様』は姉さんと同じで立ち食いのうどんが好きなのだった。

 

『毎日スキヤキばかり食べる人って気味が悪くないですか? 行き過ぎた偏食は病気です。トロンメルは偏耳ですか?』

 

 偏耳を『エル様』は『へんじ』と言い表していた。この答えは明確だ。どこの誰がそんなにたくさんのオーディオセットが持てるのかという話になってしまうからだ。金銭的にもスペース的にもだ。

 

『ですから、リファレンスは『ご飯』で良いのですよ。好きなアーティストの好きになれる曲が素直に聴ければそれで良いのです。その曲こそがおかずでしょう?』

 

『エル様』は摘み食いならぬ摘み聴きが好きだった。『あの曲の盛り上がるあそこが良い』なんてあるでしょう? そういう感じに次から次にレコードを換えるのだ。そういう聴き方こそCDでしょうに、高そうな針が痛みますよ?

 

 

『エル様』はご自分のお部屋の中……と言うか『エル様』個人の区画に、40畳くらいの防音・防振されたオーディオルーム兼運動室をお持ちで、そこにストレッチ台や自転車ローラー、ギターアンプなどと一緒に、前面が畳より遥かに大きなスピーカーを置いていた。ちなみに防振とは定在波を残さないための拡散板の事だ。

 そしてそんな大きなスピーカーとは、ウーファーがアルニコの『JBL 2220』2発で、ミッドローがアルニコの『D130』、スコーカーが『375』ドライバーとメーカー不明のウッドホーン、ツイーターが『075』という古いユニットばかりで組んだバーチカル4wayスピーカーだった。チャンネル・ディバイダーは『Accuphase F-25V』だ。そんな今となってはハイファイとは言い難い、古いユニットを掻き集めて使うのは、そのレンジの狭さが『エル様』が好む古い音源とマッチするからだった。

 その巨大なエンクロージャーには15inch、つまり38cmもあるユニットが片側に3発も入っている。上の『D130』と2発の『2220』がホーンとツイーターを挟むデザインだ(だからバーチカル)。キレが良いので、ウッドベースはブゥ~ンじゃなくてヴォン! と唸るし、ボーカルなんて耳元で歌っているのかと思うくらい音が前に飛び込んで来る。そんなのをマッキントッシュのモノラル・アンプを八台くらい使って鳴らしていた。アンプに近寄ると暑いくらいだったから、電気代は一体いくら掛かるのだろう?

 しかもプリアンプに繋いでいたのは、砲金製の重そうな糸ドライブと、『DENON』のダイレクトドライブというレコード・プレーヤーだけで、そこに『SME 3012R』などの往年の名トーンアームを2本ずつ付けていた。カートリッジもMC型のものばかりを何本もお持ちだ。つまりそちらはアナログ専用なのだ。

 一方CDやチューナーも含まれたもっと近代的なオーディオ装置の方は寝室のリビングスペースに置かれてあった。パッと想像できないだろうが、ビルのフロアを三等分した北側が屋内ホールで、残るスペースをエレベーターの昇降機で左右に分けた片方が『エル様』個人の居住スペース、残る片方がキッチン(アーチャーさんに『キッチンではない、厨房だこれは』と言わしめた)や、お二人で過ごされる和室の居間や書道や茶道を嗜まれるイリヤ様のための和室や茶室などがある。イリヤ様は寝室も和室でお風呂も檜風呂らしいが、そちらはセラさんか『エル様』しか入れないので私は知らない。

 それはともかく、音楽好きな『エル様』は部屋でオーディオを使い分けていらしたのだ。40畳の方にあんな凄い装置をお持ちなのに、寝室(に付属したリビング?)など別の部屋では別の装置を持つ……最高の贅沢ではないだろうか?

 

 この寝室のメインのセットはスピーカーが1999年頃の最終型、『EXCLUSIVE model2401twin』というこれまたド級のもので、何故かアンプがセパレートでなく『Accuphase E-530』というプリメインアンプだった。そしてCDプレイヤーが『TEAC VRDS-50』という発売当時25万円もしていたものと『DENON DCD-1650AR』という10万円くらいのCDプレイヤーだ。

 そのリビングの奥にあるベッドが置かれた部屋(本当の意味での寝室)にはまた別のオーディオセットが置かれていて、そちらのスピーカーは『ONKYO D-66RX』というトントさんがお持ちのスピーカーのひとつ下のランクだった。なんでも深山町の日本家屋にお住まいだった頃に手に入れたものらしく、初めて買った日本製のスピーカーだったらしい。

 だけどこれが、今でこそ元に戻されたが、以前はユニットが全部取り外され、ご自分で作ったエンクロージャーに入っていたという。これを『SANSUI AU-α607MR』で鳴らしていたらしいのだが、このビルでは『Marantz PM-16』で鳴らされている。この入れ替えた経緯は不明だが、エンクロージャーをあれこれ自作していた頃らしいから、ユニットの合う合わないなどが色々あったのだと思われる。

 そんな今の寝室には天蓋付きベッドが置かれ(以前はイリヤ様と二人同じ部屋で、そこが6畳しかない和室だったので相当不満だったらしい。まぁ、今の私らより待遇が悪く、しかも生活費はほとんど『エル様』持ちだったらしいからそれは不満も溜まるだろう)、枕元のボードにはカルチェに特注した、アインツベルン側から素材の宝石を提供したミステリー・クロックが置かれていた。ちなみにこの時計の名も『Elva』だ。

 嵌め込まれたダイヤはカラットで話すよりセンチで表す方がわかりやすいだろう。5cmとは行かないが、3cm以上は確実にある。この目覚ましだけで何十億なのか何百億なのか私には想像も着かない。だけどこのハッチャケ振りも『不満』の裏返しと思えば仕方ないかなと思う。

 そんな人が、大きい方の部屋のオーディオに『ジャズやロックには良いけれど、クラシックには全然合わない』とお嘆きだったのが印象深い。だから『サブ・スピーカーにタンノイのウエストミンスターを入れようと思う』なんて事を話していた。私はこちらに来たので、その後どうなったのかは知らないが、なんでもドイツにある『エル様』の会社の『CEO(ミト様?)』が、『B&W』のオリジナル・ノーチラスというバイアンプ式の高級なスピーカーを含むセットを会社の休憩室に入れたらしい。

 福利厚生でそんな最高級オーディオを導入するのかと、地元新聞でも話題だったそうだ。それはそうだろう。軽く調べてみると、4Wayなのにバイアンプだった。だからステレオで4台、モノラルなら8台のパワーアンプが必要なのだ。きっとこのスピーカーに見合ったプリアンプやプレイヤーも導入している事だろう。

 だけど驚くのはそこだけじゃない。私はそのアンモナイトみたいなデザインに参った。どうも『エル様』も同じらしく、それはそれは期待していたらしい。音質はクラシック向けで素晴らしく良かったそうだけど、音像は『どこで鳴っているのだ?』という見事なまでのバラバラ具合で耳に合わなかったそうだ(お使いの人形で視聴したらしい)。その体験を経ての『ウエストミンスターを入れようと思う』発言だった。

 なお、先代の御館様はそのタンノイのオートグラフというウエストミンスターの前の型をお持ちなのだそうだ。それで、それに搭載されるユニットにも、ギターのラベルみたいに赤がどうとかあるらしいから訳がわからない。だけどそんな聞いた事も見た事もないスピーカーをウエスタン・エレクトリックの『300B』という、一本10万円以上もする真空管で鳴らすのが最高なのだと先代は仰るそうだ。『P.A.F』なのか、その真空管は?

 

 だけど『エル様』曰く────、

 

『真空管で暖か味が出るのはギターやベースの歪みだけで、原音再生に注力した設計のオーディオ用アンプでは、そんな味や色味は出ないですよ。出たらそれは欠陥品です。そもそも数値だけで言えば真空管よりトランジスタの方が歪みが少なく、そのトランジスタ回路もアナログでなくデジタルで設計した方が歪みはより少ないのです。何より楽器演奏でなく再生時の歪みは元の音に混じるノイズ(雑音)でしかありません。そこがわからないお祖父様に、数万円どころか数千円しかしないデジタルアンプとハイエンドの真空管アンプの差がわかるかどうか……。ま、高級品は十分な税金対策にはなりますけれど』

 

 と、仰っていた。私にとっては母国と言い難いスイスだけれど、確かにあの国は税金がべらぼうに高い。だけれどそれは嗜好品や贅沢品に限られ、他国より高いと言われる消費税も、収入の40%以上も搾り取る程のものではない。それだけスイス人はお金持ちが多とも言えるけれど、生活が成り立たないほどの高い税金はどの国も設定できないのだ。

 だけどそれを日本は江戸時代からずっとしている。しかも現代人は一揆(デモ)も出来ないほど飼い馴らされてしまった。

 

『メーデーで赤い旗を持って叫ぶ人達も、街宣車に乗ってその気もないのに北方領土を返せと叫ぶ人達も、大衆を飼い殺すために据えられた、テレビやラジオと同じ思考停止を促す装置ですよ』

 

『エル様』が日本で暮らすようになった翌年からテレビの論調が変わり、大手新聞社の編集長や論説委員が毎年替わっている。『掌握』されて、本来の自分の思考や社の方針とは異なる記事に差し替えたり、論説を取り上げるので、次々と更迭されているからだ。あちらでは年金も自由市場になっており、各保険会社が色々なプランを提案していた。だけど最大手は『エル様』の会社が保有する別の会社だったりする。表に名前を出さないためだ。

 

 話を戻すけれど、安いデジタルアンプと高級な真空管アンプを比べた場合、厳密に言えば『差』は明確にあるそうだ。ただしそれは測定器レベルの話で、寸胴鍋に塩一摘みも行かない差なのだという。つまり普通の人にはまったくわからない、誤差とも言えない差でしかないのだった。

 回路が単純なエレクトリック・ギターだから配線材やコンデンサ、プリアンプありのアクティブか、なしのパッシブなのかで差は出るけれど、オーディオ機器のような複雑な回路だと中の配線材の価格差なんて耳では判断できないものらしい。もし差を感じたとしたら、それはスピーカーケーブルの接続端子の素材と普段からの手入れによるものなのだそうだ。

 だけどもそれもレコードプレーヤーのカートリッジの違いやスピーカーの違いほどの差は出ないという。このスピーカーの差は誰でもわかる。近藤先輩のお爺さんがスピーカーを自作したり、往年の名スピーカーのジャンクを修理して他の部屋や納戸を一杯にしちゃうのもそれが理由だ。

 なお、その納戸には『季刊ステレオサウンド』が創刊から揃っていて、『FMレコパル』に至っては創刊から最終号、コミックまで揃っている。『無線と実験』に至ってはお爺さんのお父さんやお爺さんの時代からのものが残っていたりするから凄まじい。だからこの家は増築や改築を数回行っていた。

 またお爺さんのメインのアンプは1979年に発売された『Marantz Model 7』のキットをご自分で組立てたプリアンプと、『McIntosh』の名器『MC275』をお手本に、真空管の『KT88』を4本使って自作されたパワーアンプだった。プッシュプルやらネガテティブフィードバックやらの言葉もお爺さんから教わった言葉だ。

 

『エル様』が言うには、応答性が良く小入力の信号でも十分にユニットが駆動できる高能率なスピーカーがあるなら、アンプの出力は10Wなくても良いし、メーカーにそこまで拘る必要もないのだそうだ。ズバリ、マッキントッシュは税金対策だと言い切ってらした。ただ、トランスのガシッとしたマッキントッシュとサンスイのアンプだけは他社と少し違うと感じるし、ラックスマンの回路設計も好みなのだという。それと近年のマランツのアンプデザインは往年のヤマハ並みに良いとも話されていた。

 これはおそらく『SC-5ver2/bb-5ver2』や『SM-5ver2』、『SC-7S1』、『MA-9S1』など最後のハイエンド製品を指しての言葉だと思う。

 

『トロンメル、1970年代の終わりから80年代に掛けてのアンプやスピーカーは、国産のコピーエレキと同じで日本の技術者の至宝ですよ』

 

 とも仰っていた。デザインはともかく、古いのより新しい方が性能は上だと思うのだけど、日本のオーディオはその80年代初頭で、既に性能が頭打ちになるくらい良かったのだそうだ。昨今のAVミニ・コンポなどお話にならないレベルだという。

 

 だからトントさんもそれに感化され、あの人はサンスイの黒いプリメインアンプを何台も修理して自分の部屋に積み上げていた。スピーカーも、もう手に入らないヤマハのユニットを運良く手に入れて、ウーファー2発のバーチカル3wayを組んでいた(※)。

 

※)ウーファーだけはフォステクス製でコーンの白い『FW300B』と黒い『FW300』との組み合わせだった。スコーカーは『JA-4271』というドライバーとメーカー不明の木製ホーンとの組み合わせ。そこに『A-0506II』というホーン型ツイーターが付く。クロスオーバー・ネットワークも自作だけれど、これは一般的なアマチュアが手に入れられる最高レベルだと十分に思える音を出すスピーカーだった。だけど、傾向としてはロックやポップス向きのカラッとしたサウンドで、やはりクラシックやエスニックな音楽には向かないのだそうだ。なのでトントさんはサブに『ONKYO D-77RX』という、1994年頃のブックシェルフ型3wayスピーカーを入れていた。

 これが耳の良い『エル様』をして『素直でしっとりとした良いスピーカーだ』と唸らせたシロモノだった。日本には日本の家屋に向いた適度な大きさの中堅機種があり、それは大抵ウーファーが30cm程度のブックシェルフ型3wayスピーカーだった。代表的なのは1974年から1990年代の半ばまで売られていたロングセラーの『YAMAHA NS-1000M』や『PIONEER』のリボン・ツイーター付きだろうか。ともあれ各社が8~12畳程度の容積を持つ部屋に必要十分なブックシェルフ型をフラグシップモデル以外に出していた。

『ONKYO D-77シリーズ』もそんな中の一つで、初出は1986年頃、それが『D-77X』『D-77XX』『D-77XD』『D-77XG』『D-77FX』『D-77FXII』『D-77RX』『D-77FRX』『D-77MRX』と1990年代の終り頃まで続いたのだ。まるでバイクか変身ヒーローのようだけど、当のトントさんはカワサキのゼファーという大きくて真っ黒なバイクを持っていて、それのローンがまだ残っていると聞いた憶えがある。色んな事を教わるから、価値観が変わるほど知識も増えて嬉しいけれど、トントさんは『エル様』にアテられ過ぎだと思うんだ。

 ともかくそんなブックシェルフ型3wayがあったのは1990年代の半ばから終わりにかけてで、もう少し小型の2wayが主流に替わって行ったのもこの90年代後半からだ。それはDVDの発売で世界的にAVブームが起きた事と、バブル経済が崩壊した事で、個人が確保できる部屋の大きさが一回りも二回りも狭くなったからだった。

 余談だけれど、トントさんのお部屋は12畳ある。場所は48階。『エル様』とイリヤ様が49階なのでその真下だ。この部屋がバス・トイレやミニキッチンを含めば16畳くらいになる。マアエモさんやルオンさんも同じだったし、私も同じだった。『エル様』は私達メイドのためにそれだけのスペースを確保して下さっていたのだ。

 それに深山町に家を建てる前の巫女のイリヤ様も、ここにお部屋をお持ちだった。それだけ快適なのだ。おまけにメイドだけの共有スペースには広いキッチンとダイニング、10人くらいが一度に入れる浴槽とサウナが浴室にあり、浴室外のドレッサー(脱衣場)には、共用ドライヤーや体重計に簡易的なジムまであった。更に休日には自由に森へ行け、あそこにあるロッジも自由に使わせて貰えた。

『エル様』はそんな主人だった。だから生い立ち云々をおいても、私はトントさんが心配だった。『巻き込まれて同じ事ばかりしていたら、その内破産するよ』と。

 

 

 

 ある日の────。ここに来る少し前の事だった。ミニコンサートホールで『エル様』はこんな事を話して下さった────。

 以前も少し話した憶えがあるが、この家族だけのミニコンサートホールは舞台中央に2台のピアノが向きあって並んでいる。1台はイリヤ様のベーゼンドルファー・インペリアルで、もう1台は『エル様』のプレイエルだ。どちらもグランドピアノだがインペリアルはコンサート用の大きなもので、特にこれは88鍵でなく97鍵もあるモデル290というものだった。だから低音部の9鍵が『ちょと違うぞ』と主張するかのように真っ黒だった。お値段は知らないしいつ頃のものかも知らない。だけどとんでもないものなのだろう。

 対する『エル様』のプレイエルは黒でなく茶色で、その足の優美な彫りや楽譜立ての透かし彫りの細工の精緻さ、醸し出す風格から、誰が見ても19世紀の骨董品だった。何千万なのか何億なのか知らないが、少なからず59年のレスポールなんて裸足で逃げるしかないようなピアノだ。もしかしたらだけど、これは先代がプレイエルに特注させたものを『エル様』が譲り受けたものかも知れない。

 そんな中央のピアノを門松のように飾るのが、舞台の左右に置かれたくすんだ灰色のアルテック・ランシング『A4』だった。アルテック・ランシング社(Altec Lansing)の『A4』とは、『The Voice of the Theater(ザ・ボイス・オブ・シアター)』というシリーズの中の一機種で、はっきり言ってこれは劇場用のPA装置だった。このシリーズは様々あって、街や地域のホールで時折見掛ける場合がある。だけどそれは『A5』や『A7』であってこの『A4』なんかではない。

 

 世の中には奇特な人が居て、オーディオ好きな人の中には、小ホール用の『A5』や『A7』、映画館のスクリーン裏に設置する、シーメンス・オイロダインなんて音響装置を家庭用のスピーカーにしようと考える人がいる。まぁ、大抵そんな事を考えるのは日本人だ。世界中を見渡してもそんな奇特なオーディオマニアは日本にしか居ない。それは平均的に家屋が狭いので、そんな巨大なスピーカーが家にあるというけでステータスになるからだった。

 以前、古いオーディオ雑誌をイリヤ様から借りた私は腰を抜かしたものだ。新築設計の段階からマイホームの前に専用の電柱を設置させ、オーディオルームの天井には、重低音欲しさにコンクリート・ホーンなんてものを造る人が載っていたからだ。

『エル様』のそれはコンクリート・ホーンとは違う意味でド級だった。まず、ザ・ボイス・オブ・シアター・シリーズはウーファーとマルチホーンがセットになった2wayが基本だ(オイロダインも2way)。そこからどう拡張するかで小の『A10』からお化けというか怪獣サイズの『A1』までがあった。『エル様』の『A4』は38cmのウーファーが2発対になったフロントロードホーンが前にあり、更に延長バッフルで前面投影面積を大きくしたものだった。(私の調べた限り『A3』は存在せず、『A4』を二つ並べたのが『A2』で、その『A2』を更にもう1セット並べたものが『A1』だ。つまり『A1』は『A4』の4倍ある。怪獣という意味がわかっただろうか?)

 

 そして『エル様』は私のためにお茶の用意をし(トントさんがいれてくれた)、おもむろにピアノを弾き始めた。それはショパンの幻想即興曲を元にしてコード進行を展開する、まったくオリジナルの即興曲だった。しかもタイトルだけの『即興曲』じゃない。今、この場で即興で弾いていらっしゃったのだ。

 私がそうだったのかと理解できたのは、トントさんが教えてくれたからだった。3人とも学園から戻ったばかりで制服のままだった。だけど『エル様』だけはまるでドレスで正装しているかのような優雅さがあった。演奏を終えた『エル様』はこんな事を話してくれた────。

 

『音楽は人の情念に直接訴え掛けて来るものです。ですから歌や歌詞がなくとも人は音符の羅列だけで感動し、心動かされ、涙する事があるのです』

 

 その時にそっとハンカチを差し出された。私は泣いていたのだ。

 

『なら、そこに歌や歌詞があればどうなるでしょう? また、そういう音楽や歌が……そうですね、エルマやヴンダーに何かあった緊急事態の場合なら?』

 

 つまりは、シチュエーション次第で入れ込んだり邪魔になってしまう場合があると言いたい訳だ。確かに景色に目を奪われるようなところでは音楽に集中できないし、それが緊急事態であるなら、何かに気を取られたどころじゃない。音楽が流れていても耳に入って来ないだろう。ロードインフォメーションに気を配らないとならない運転中も、本来はそういう音楽を聴くには適さない場所だ。

 この辺りは後日出逢った姉さんも同じ事を話していた。姉さんは自転車だとイヤホンをしないし、クルマだとカーステレオを絶対に掛けない人だった。商用車なら仕方ないけれど、オープンのスポーツカーでドライビングを楽しまないなんてあり得ないのだそうだ。そんなだからタイヤの減りが早いんじゃないの……?

 

 まぁ、それはおいて本当に『エル様』が私に伝えたかったのは電磁波と水分子の関係についてだった。水は水素が二つに酸素が一つで構成された分子だ。その中の水素は原子番号が1で、陽子一つに電子が一つという構造となっていて、一説に拠るとこの宇宙を構成する要素の、実に3/4を占めているそうだ。

 対する酸素は原子番号8。陽子は一つだけれど電子殻は二重構造で内周に2個、外周に6個の電子が回っている。やはりこの宇宙を構成する要素の大きな部分を占め、水素を除いた残り1/4をヘリウムと酸素がほぼ分け合っているらしい。それでもってこの酸素は、私達生物には切っても切れない必要不可欠な要素であって、食事や飲料もその大本は水と酸素なのだとトントさんから受け取ったジュースをゴクゴク飲みながら力説されていた。

 ご姉妹であるイリヤ様と同じで奥様(アイリスフィール様)譲りの美人だが、背の低さと大きな瞳、それとコロコロ変わる表情が愛嬌を感じさせる。そしてその話やすさからとても親しみがある。そんな人が私の顔を真面目な顔で見詰めながら話しを続けられた。

 

『魔術師とは自分達の肉体で、この水素と酸素の電子配列を自在に変えられる者の事を指します』

 

『魔力も極端言えば、水素と酸素が含む電子の配列転換の事で、取り込みやすい状態を『マナ』、取り込んだ状態を『オド』と言っているだけです。ただそこには科学者が否定するエーテルの介在が必要不可欠です』

 

『私達は電子配列を自在にできるのと同じように、そのエーテルも自在に操れる自然界の方程式を探求する者です』

 

 私は真剣になって聴いた。

 

『空から舞い散る雪の結晶はどうして六角形なのか?』

 

『素晴らしい音楽を聴くと感動するのは、音符の配列ですか? 音波の羅列ですか? それとも人体に含まれる分子が揺れるから?』

 

 などなど幾つもの謎めいた疑問文を並べられた。

 

『遠坂桜の奏でるピアノには『響』があります。私はそこまで行かない。トロンメル。あなたはその『響』を探求なさい。そういう風に私は貴女を鋳造しました』

 

 

 そう、『響』の探求。それが私の使命であり存在意義なのだった。

 その『響』が何なのかは、こちらに来た後に、学園祭に向けての練習中に姉さんが教えてくれた。それは私達魔術師が失った、もう一つの『世界の方程式』だったのだ。その式は言葉や文字で表せるものでなく音響全般……つまり音楽で表すものだった。

 水面のカエルが鳴くと、波紋が広がる。目に見えない音波が波紋として見えた訳だ。その波紋は分子だけでなく陽子と電子との隙間を満たすエーテルにも伝わっている。雪は舞い降りる際に、この空に広がるホシの波紋を受け取っているのだ。そして地上に生きる私達生物も皆んなホシの波紋を受け取りながら生きている。

 特に生態が自然と密着している昆虫などがそうだ。雪の結晶の六角形の角から生える枝をよく観察して欲しい。何かの昆虫みたいに見えないだろうか? 或いはイカやタコのような軟体生物に。海の中の生物は『水』の中だから波紋の影響もそれなりに大きいよう思う。

 わかるだろうか? 私達は水や酸素だけでなく、それらエーテルの波紋を受けながら生きているのだ。だから強い願いや祈りが時として叶う場合があるのだ。これは恨みや呪いも同じだ。その強い意思が、分子の中のエーテルを揺らし、そういう風に世界に作用する。だから人を呪えば穴二つと返って来る場合もある訳だ。

 

 

 

 どこか達観した感のある『エル様』の声がホールに響く。ホール正面の窓からは広い公園が見下ろせ、その左角に大きな市民ホールが見えた。他の世界では焼け落ちて存在しないホールだ。そんなホールの周囲は人々が憩う公園となり、季節ごとの草花が咲き誇っていた。あいにく私は、あの公園に植えられた満開の桜をまだ見ていない。いつか見たいなぁと思う。

 それはさておき、海外に拠点を置き、様々な業種や職種に手を出し成功している『エル様』にとってデフレは関係なかった。むしろデフレ不況で喘ぐ日本は、精緻でしっかりした作りの製品が、どんなものでも格安で手に入る『お買い得感』のある魅力的な国だった。だから間桐家が持っていた土地を全部買い上げ、このようなビルを造ったのだ。そこには防犯意識もあったと思うが、自分達家族が住まう冬木市だけは経済的に成功させようと意図したからでもあった。

 寂しいシャッター街も、廃れた漁港も冬木には存在しない。何もかもが『エル様』の介入で賑わい、商人は儲け、人々に活気のある街となっていた。昨今では『地方再生は冬木市を見習え』が地方行政の合言葉だ。だから氷室鐘先輩のお父さんである氷室現市長はあちこちから引っ張りだこだった。

 そしてその介入はとんでもないもので、ビルの前に消防署と警察署が移転して来ているし、未遠川の河口も近いので、旧工場地帯を利用した新しい汚水処理場や浄水場に換っていた。元採石場だった未遠川上流の跡地にゴミ焼却場を建て、同時にそれまで市が行っていたゴミ収集業を一手に奪った。そこをエルマが参考にしている訳だけど、彼女が目指している特殊清掃(孤独死などが増えつつある現代、これはこれで重要な仕事だけれど)とは、その規模が全然違っていた。

 焼却熱を利用した発電と温泉ランド運営、そんなお湯が常時出る老人介護施設の運営などはエルマに思いも付かないだろう。また、そういう気楽に行ける簡易な行楽地が市民の憩いに貢献し、行楽地慣れを促した。このミニマムな気分転換が『ムード』というものを醸造する。

 懐の暖かくなった冬木市民は、行楽好きな人が徐々に増えたのだ。だから冬木市は『ワクワクざぶ~ん』経営に踏み切ったのだ。『エル様』と冬木市の関係は一挙手一投足というレベルではない。このビルには冬木市役所の出張所も入っているし、スイス大使に準ずる名誉領事としてマアエモさんがアイリスフィール様と並んで任命を請けており、パスポートの切り替えもこのビル内で行えるようスイス大使館の出張事務所が入っていた。市長がどうとかセカンドオーナーがどうとかのレベルを越えているのだ。

 

 そんな人だから、自宅にミニコンサートホールなんてものを作れた。だからフロントホーンユニットの上に、ドカンとドーム球場の天井にぶら下がっているような巨大複合ホーンが乗っかっている、『A4』なんていうお化けスピーカーを自宅に置けたのだ。

 もはやそれはタンスの一棹や二棹どころではない。誰が見ても一般家屋の部屋に入れようなんて思わないどころか、どうやってあんなビルの最上階付近のホールに運んだのかが想像できないレベルの超巨大なシロモノだったのだ。おそらく前面投影面積は大型ダンプより大きい。搬入は宝具を通じてだったと思うのだけれど、そんな事をしようと考えるお金持ちが今の日本に居ないし、経済的に成功している魔術師にも居なかった。

 まぁ、先代御館様の援助をほとんど受けずに自分だけでここまで至ったのだから、立派だとも言えたが、あれ欲しいこれ欲しいと何でもすぐに買う『エル様』は、はっきり言って成り金だ。だけどそこにゲスさはない。何故なら当代に選出され、アインツベルン総裁となられて以降は背負う歴史がどの家よりも古く、それに見合った教育をこれまでに受けて来られたからだ。そんな桁外れな当代御館様が『エル様』なのだった。そして巨大スピーカーを指差しながら『エル様』は、『響』の話の締め括りとして私にこう仰った。

 

『アルテック・ランシング(Altec Lansing)、ジェームズ・バロウ・ランシング(James Bullough Lansing。JBLはこの人の名前から取られたものだ)……どちらの会社もランシング技師が関わり、一時的に席を置いたからこそ立ち上がった会社です。残念ながらアルテック・ランシング社はエレクトロ・ボイス社に買収されましたが。ですがランシング技師はジョン・ブローニング技師やニコラ・テスラ氏と並ぶ、時代を越えた鬼才です。トロンメル、このような鬼才と遭ったなら、その人との縁を大切になさい』

 

 仰る通りで、そういう人との繋がりの方が、良いスピーカーを持っているよりも有益だろう。そして先輩のお父さんもそれ等の人に近い人だと私は思う。良い音楽とは生活に潤いを齎(もたら)すものであり、日々の生活に於けるスパイスだ。その時私は、『音の良さ』に血道を上げるのでなく、『耳が喜び、心が躍る』音楽そのものを楽しみたいものだと強く思ったのだった。

 

 

 

 

 

 飲み干したお茶のソーサーと平らげたケーキのお皿を片したら、まず私から『LPS-FM』を先輩のお父さんに見て頂いた。なお、ケーキはベリー・ベリー・ベリーという青いような赤いようなどぎつい色だけど人気のタルトと、チョコ・チョコ・チョコというこれまた人気で売り切れ必須のチョコレートケーキだった。

 このチョコレートケーキはエルマが好きなのもあるが、タルトほど甘くなく、ビターなカカオの味が男性にも受け入れられるものなので結構好きな男性客が多いと聞く。なのでひとくち食べたお父さんの目が、一瞬大きくなったのを私は見逃していなかった。今度は私が買ってきますよ。

 なお持って来たレスポールは本当に重かった……。『どれどれ、では拝見』と受け取ったお父さんが『う』とか一瞬唸ったくらいだから、やっぱり5kg以上は確実にあるだろう。

 

「啓司、ラジオを止めてくれ」

 

 お父さんはそう言って喫煙しないのに机の上にある灰皿からピックを手に取った。使わない灰皿をピック入れにしておられるのだ。これはあるあるな話で、ギターを弾くようになってから私も柄の気に入った小鉢や丈の低い器にピックを入れるようになった。その理由もこれまたあるあるで、ピックは特定の場所に置くクセを付けないと、どこからでも出て来るようになってしまうからだ。

 掃除のために練習用アンプをどかせば下から2枚、勉強机の上に置いたパソコンモニターの下から2枚、デスクトップ・スピーカーの上に3枚置いてあって、そのスピーカーの後ろに2枚落ちていた。クリーニング前の点検で制服のスカートのポケットから3枚、普段履きのジーンズのコインポッケから1枚、掃除の時しか着ないメイド服のポケットから5枚(!)、予備のつもりだったのか、学生手帳の間から記憶にないピックが2枚、栞の代わりだったのか、以前読み終えた小説の間からも1枚……。

 出て来るわ出て来るわ……掃除のたびに私は何なのだと呆れていたが、これが軽音部で聞き取り調査しても姉さんに訊ねても、皆んな似たり寄ったりな答えだった。あんな几帳面な姉さんでも、大掃除の時にクローゼットから3枚発見し、やはりクリーニング前の制服やメイド服のポケットから出て来る事が度々あったらしい。

 軽音部の仲間には、アコギのサウンドホールから4枚出て来たという豪胆な人も居たし(カラカラとか音がしないのか?)、近藤先輩の話だと吉川先輩や横田先輩と仲が良かった大槻先輩は、ピックアップを交換しようとストラトのピックガードを外したら、ピックが出て来た事があったらしい。ピックガードとボディの隙間にピックを挿し込む男の人が居るのは気付いていたが、そんなピックガードの下から出て来る事もあるのだと、ただただ驚くばかりの私だった。

 ただ不思議な事にサムピックやネイルピック、少し大きな正三角形のものやもっとカタチが特殊なもの、学生には高価な本物のべっ甲のピックなどは誰も失くさないようだった。失くすのは決まって『Thin』や『Medium』といった薄いピックで、カタチも涙滴型(ティアドロップ)が多い気がする。

 これは涙滴型を使っている人が多いからと言うのも当然ある。けれど、それに準ずる人気のおむすび型だと途端紛失率が低くなるように感じた。その理由を私なりに考えると、おむすび型を使う人に初心者が多いからだと思う。つまり機材を大切に扱う『頃』だからだ。かくいう私も、1年の3学期から急にピックを失くすようになった。つまり楽器に慣れた頃だ。それから私は器に入れるようになったのだ。

 ちなみに今の私はジム・ダンロップのセルロイド製涙滴型を使っている。べっ甲柄なので色は様々。厚さはミディアムだ。それをいつも100枚単位で買い求めていた。これはエルマから姉さんが弓の弦をそういう纏め買いをして選別していたと聞いたからだ。それを真似して今のピックを買ってみれば、同じミディアムでも固さや厚みが微妙に異なる事に気付いた。

 マイクスタンドに貼り付けた予備のピックをファンサービスにバラ撒くギタリストと、最高の音楽を届けようと自分のコンディションを細かなところからベストに持って行くギタリスト……どちらが上とか言えないけれど、少なからず私はピックや弦にもとことん拘りたいタイプなのだとその時に気付いた。だから同じレスポールでも違うメーカーの違うゲージセットを張っていたりもする。

 これは、そのギターを握るのは『A曲』と『B曲』といった具合に私の中で決まっているからだ。リードを担当し、声はコーラスだけの曲なのか、メインのボーカルも取るから、ギターはリズムだけで良いのか……そういうのでゲージを決めている。まぁ、カッティングの時はテレカスが多かったのだけれど、今はサイクロンが多い。また、書く曲書く曲が、そんな風になって来ていた。

 

 

 先輩のお父さんはコードを出して、片方をギターに挿し、もう片方を作業台の横に置いてあるローランドの『JC-77』に挿した。『JC-120』の12インチ2発でなく、こちらは10インチ2発、80Wのミドルサイズ・アンプだ。スピーカーの口径から考えると、10インチ4発の『JC-160』の小型版が正解だろう。そしてやはりお父さんもアンプを歪ませず、クリーンで弾いてらした。中域がバリッと来るJCサウンドがお店を満たし、その手慣れた感のあるフレーズが耳に心地良い。

 そしてお上手だ。姉さんはある意味で『エル様』だったから、クラシックもフラメンコもきちんと学んでいた。なのでピックよりも指弾きが多く、巻弦での擦過音(スクラッチノイズ)を出さない人でもあった。お父さんもそういうノイズを出さないよう心掛けていらっしゃる、言わばオトナの弾き方なのだった。

 そういう気配りが出来るギタリストの奏でるフレーズは、情感を音に乗せるために緩急も強弱も自由自在だ。そこに戸惑いも迷いもない。つんのめったり途切れたりしないのだ。だけどタイム感覚は研ぎ澄まされているので、タメや休符はこちらが『あ』と参考にしたい入り方や止め方になっていた。速弾きとかじゃないんだよね。それは出来て当たり前のレベルで、それプラス、このタメとトメなんだよ。

 音楽を聴いて『良いなぁ』と思うのはそこでしょう? それでそういうのにはその人なりのクセというかパターンがある。それをして『名刺』と表現したのが『エル様』で、当然ながら姉さんもその言葉を知っていた。とあるフレーズを指すのでなく、そのフレーズを弾く上でのタメやトメ。そこがアマチュアにはない『プロの証』なのだ。

 そしてこの話は音楽家だけでなく専門職に就く人にも言えた。こう聞くと『ウンウン』と頷ける技術畑の人も居ると思う。だけれど、これが魔術師にとっては弱点にもなり得る話でもあるんだよね。私達魔術師はタネを絶対に証せない奇術師なんだよ。それは研究成果を明かさないためや、神秘の秘匿のためでもあるんだ。戦ったら負けるかもという不安じゃないんだよ。

 秘密を守り秘匿を貫き通すのが先決だから、決闘のような雰囲気になっても、頭を下げて済むなら笑顔で『ご免なさい』と先に言えてしまうものなんだ。そんなだから名のある魔術師や大家を率いる当主は腰が低く、人当たりの良い人が多い。偉そうにふんぞり返るのは時計塔の講師やレベルの低い教授で、『エル様』も先代御館様も、エーデルフェルトの御館様も皆んな常識的で、人当たりが柔らかく他人に別け隔てがない。一流の人は皆んなそうだ。

 

『そんな方々にお仕えする私達も一流の身であらねばなりません』というのが、マアエモさんがよく口にしていたお言葉だった。だから演奏家を目指したいと言った私にマアエモさんは『応援していますよ。ぜひ一流になってお嬢様をお慶び差し上げて下さいね』と言ってくれた。そんなに雑用がない時は、『もう今日は良いですからお部屋に戻って練習なさい』なんて事まで言ってくれたのだ。

 マアエモさんはルオンさんと並ぶ『エル様』専属の乳母でありメイドだった。冬木のアインツベルン家ではメイド長で、執事の居ないあの家では家宰を兼ねていた。だから『エル様』本人が忘れているような家の細かな事にも詳しいし、『エル様』のスケジュールもバッチリだった。なのでわからない事があれば、『エル様』に直接尋ねるよりも、マアエモさんやルオンさんに尋ねる方が答えが早かった。

 もっと言うと、日本で暮らしている『エル様』ご本人だけでなく、欧州で『エル様』がお使いの人形のスケジュールまで把握していた。そういう情報はあちらの家のメイド長とのやり取りでわかるのだそうだ。魔術師の家に仕える執事やメイドって、本当に大変だなとその時に強く思ったものだ。

 

 

 大人しく隣りに座るエルマが、お父さんがピックアップを切り替えた途端に『え?』という顔をした。エルマは楽器演奏が苦手なだけで、歌は上手い。決して音痴ではない。リズム感も良いし、耳も良い。だからこのギターのピックアップのフロントとリアのバランスが悪い事に気付いたのだ。

 

「これだねトロンちゃん。電話で言ってたの?」

「はい」

 

 先輩も『これは?』と不思議がっていた。フロントの推定『57 Classic』は、おそらくこのピックアップの個体の中でもかなりの低出力な部類だ。巻数が極端に少ないのだと思う。だけどその分、音はスッキリしていて、レスポールなのにカッティングにも向きそうな軽やかな音をさせていた。

 ところがリアの推定『498T』は、モダン・サウンドな『490』のハイパワー版だから元から巻数も多いし、音もロック向けの骨太なものだった。それはもうディストーションを咬まさないと意味がないというくらいに。それでこの音はほぼセラミック磁石で間違いないと言っても良いものだった。エレクトリック・ギターの界隈ではセラミックと言うが、オーディオ界隈ではフェライト磁石という、比較的手に入りやすい素材を粉末にして型にいれて焼き固めたものだ。

 アルニコの方は天然素材の合金で特に『コ(バルト)』が希少だった。だからオーディオの世界だともっと早い時期からアルニコが廃止されフェライト磁石に代っていた。だけどそんな頃から『アルニコの方が音が良かった』という人達が居た。だけどスピーカーの磁石が替わっても、ブラインドテストをすればどんなに高名なオーディオ評論家でもわからない。そんなものだ。

 そんなものなのに『エル様』はアルニコのJBLユニットに拘った。何故ならそのアルニコがボイスコイルと作用してコーンに乗せて出す音波が、『響』を発生するからだ。その波動が魔術師だけでなく人体をも癒やすのだ。ここで重要なのはコイルと電磁波だ。コイルは磁石と組み合わせれば電磁誘導が行なえ、原子の中の電子にも当然作用する。つまり大気を満たす酸素や窒素のみならず、私達の身体を構成する元素の中の電子にも作用するのだ。

 だからブラインドテストで言い当てられなくとも、音が良いかどうか判断できなくとも、身体にとある影響を与えているのは間違いないのだった。良い音楽を聞かせれば長持ちするのは花やサボテンだけではない。我々も生物だというのを忘れてはいけない。そしてその影響は当然エーテルにもある。だから『エル様』はアルニコに拘るのだ。

 

 そして『P.A.F』の音の秘密も教えて下さった────。

 

『当時の『AWG42』エナメル線が良かったとは言えません。なにせ製造方法が古いのですから。また磁力が年月で弱まったからでもありません。むしろ逆です。長い間弾かれたから、微弱な起電流がピックアップの中のコイルを馴染ませたのです。嘘だと思うのなら、新品のピックアップにあなたがよく使う家電の電源コードをぐるぐるに巻いてみなさい。1年くらい経てば『枯れた』音がしますから。オカルトではありませんよ? それがコイルであり磁石なのです』

 

 こんな実験をしていたのだ『エル様』は。そして別のある日には写真撮影用の大型ジェネレーター(プロ用の大きなストロボ装置)のコードを握らされた。十分充電されたところで『エル様』は発光ボタンを押した。ボンッという音とともに私の手の中にヘビか水道の水のように電流が流れるのが感じられた。

 この高電圧と高電流がコイルや磁石と作用すればどうなるのかを私達は意外と知らない。いや、知っている人は知っているだろう。だけど普通に生活しているなら、余りにも無縁で実感がない話しだ。電柱や鉄塔、変電所などは見掛けるのに、変電所のトランスも電柱の上のトランスも全部コイルで出来ていると私は知らなかった。そして『エル様』は変電所のトランスに自分のギターから外したピックアップを忍ばせたりしていたという。

 またゴミ焼却場で発電された電力は、未遠川の堤防に造成されたサイクリングロードの下を通って、新都のあのビルに引き込まれている。だからビルの地下にはこれまた別のトランスが設置されており、そこでも試していたそうだ。

 

『そんな何も知らない状態って……再睡眠教育しましょうか?』

 

 と、からかわれた。だけど『エル様』は私に職業として音楽家を目指し、魔術師としては『響』の探求をして欲しかっただけだから、電気技師になれるほどの知識は与えていなかったし、望んでも居ない。ただ私としてはアンプの設計を自分でできる程度の知識は欲しかったなと思う。

 

『人々は化石燃料の奴隷の後、電気の奴隷になるところでした』

 

『エル様』はそんな言葉を呟いていた。

 

 

 私はその事を思い出していた。で、問題はそのそれぞれの『音が良い』ところだった。

 セットだとバランスの悪さが際立つけれど、このフロントより少し巻数の多い『57 Classic』のリア用が手に入ったら、何ら問題はない。私はリアを同じ『57 Classic』に換えるか『Burstbucker』の『1』にするかで迷っていたのだ。と同時にリアから外した、『498T』に使い途があるのかを知りたかった訳だ。

 ちなみに『57 Classic』はアルニコⅡで、『498T』はセラミックでなくアルニコⅤだった。私の耳もそんな程度だ。そしてこれと対になるはずの『490R』もアルニコⅡである。またオリジナル『P.A.F』の型番が『P-490』だった事が先日の電話で判明した。私が気に入ったディマジオの『PAF』もアルニコⅤで、後年出た『PAF Master』はアルニコⅣだが、それ以外のディマジオの『PAF』系は全部アルニコⅤだった。これはオリジナル『P.A.F』が公式にはアルニコⅤだったと謳っていたかららしい。だけど後にアルニコⅤがコンスタントに手に入らないので、時々アルニコⅡやアルニコⅢを使っていたと、このピックアップを開発したセス・ラバー氏が証言していたそうだ。

 

「う~ん……やはり、電話で話した通りだね。トロンちゃん、リアに『57 Classic』の、こなれた中古を載せよう。それでこのギターは『使える』ものになるよ。それで外したリアの『498T』は、別のギターに載せた方が良いね」

 

 それが先輩のお父さんの考えだった。私もそれに同意した。だってこんなピックアップもある意味でトランスであり、タップはトランスでも使う言葉だからだ。規定の値に変圧した状態の電気を取り出す線がタップ線だ。そんなこんなを教えてくれたのが先輩のお父さんだった。テストでは平均以上の点をキープしているけれど、どうも私はこういうのに弱い。

 トントさんはアンプやエフェクターの改造や設計も出来ていた。これは楽器用だけでなくオーディオ用もだ。対する私はエフェクターの修理・改造までだ。それも初めたのは最近で、部のギター修理の頃からだ。そのギター修理も先輩にあれこれ電話で何度も教わって、やっとこさだ。

 まぁ、それでも文句はない。先輩やお父さんが用意して下さった回路図は見ただけで理解できるし、先輩のプリ・プリアンプも見ただけで頭に配線が残り、回路図が浮かんだからだ。そもそも私が半田ゴテを何の戸惑いもなく使える時点で睡眠教育は成功している。『エル様』に落ち度はなく、私の方の問題だった。

 

 だから私はお父さんにお礼を言い、ギターを受け取った。

 

 

 次はエルマの番だった。ケースから渋い色合いのバーストの『LS-60』を出して、お父さんに預けた。

 

「啓司、どう思う?」

「良い色だね。良いと思うよ。これは『LS-120』? 『LS-150』?」

 

 私と同じ事をいう近藤先輩。

 

「それがなぁ……」

 

 と、言葉を途中で切って、お父さんはレスポールを裏返した。ふんふんと頷いている。

 

「どうも『LS-60』らしいんだ」

「このトラ杢で?」

「そう」

 

 私もそこで頷いた。

 

「何かの本に載っていたんです。この82年頃の『LS-60』にラミネイトじゃないトラ杢が少量あったって」

「じゃ、元々『LS-60』に仕分けてあったメイプル材に、こういうのがあったんだ?」

「はい。偶に廉価なストラトコピーのネックにありますよね? 何故かバーズアイだったとか……」

「なるほど、あるよなぁ……。そうか、こんな事もあるんだなぁ」

 

 先輩は呆れ混じりの声で言った。そしてそこには『羨ましいなぁ』という心の声もあったように思う。




耳にキンキンするのが目に見えている天井コンクリートホーンという欠陥構造品が、どうしてマニア垂涎の的だった時代があったのかがわかるだろうか? その理由は日本のオーディオ雑誌記者や評論家のデタラメさが原因というだけでなく、人々の住宅事情と収入にあった。土地の狭い日本では音の悪いコンクリートホーンであっても、記者を含めた人々が憧れたのだ。それが70年代から80年代に掛けての話だった。
そして高い税制に文句も言えないほど飼い馴らされた庶民は、『どこかこの国はおかしい』『どうしてこんなに住める土地が狭いんだ』と不満はあれど声は出せなかった。だからその反動で狂気に満ちた土地バブルが起きた。土地バブルは競争原理から零れ落ちそうな人々の願いと祈りを恨みと呪詛に変換する、悪魔の錬金術が見せる一側面でしかない。
円安を促したさすがのアメリカも『なんだこいつら、ハマり過ぎだよ』と嗤った事だろう。そうしてバブルは崩壊し日本のオーディオ黄金期は終焉を迎えた。この終焉は何もオーディオ界だけの話しでなく、ありとあらゆる産業が被害を蒙り、成長速度が一気に鈍り経済が落ち込んだ。そんな疲弊した経済に大蔵省は立て直しや財政出動でなく、消費税を3%から5%に上げる判断をした。
最初の3%の、消費税導入はバブルの予感があった1989年で、5%の値上げはデフレ一直線で阪神淡路大震災やオウム事件の傷も癒えない1997年である。財政黒字化という幻想を国民にバラ撒いたのも旧大蔵省で、その狂った論調に乗ったバカ首相が細川・羽田・村山などの元野党だった経済オンチ政治家もどきだ。ちゃんとした政治家を選ばなかった30年前の人々のツケが今の政治である事は憶えておこう。
また、プライマリーバランスとはその財政黒字化の嘘がバレそうになり、やがて解体に至った旧大蔵省の官僚達が、竹中財政担当大臣と組んで垂れ流した新しい手法の国家詐欺である。アメリカに日本を売るグローバル売国犬小泉が首相になれたのは、同じ穴のムジナであるマスコミが小泉推しを通したからだ。それは『自民党をぶっ壊す』というスローガンに現れている。つまりそれは保守を壊して新保守(グローバリスト)が政治を握るという意味だ。
また、あの当時の野党にはまだ賢い人が残っており、どういう嫌われ役に徹すれば国民が誘導され日本が滅びの道を歩むかをちゃんと見ていた。新聞もそうだ。売上だけはキープするよう記事を書きながら、小泉人気を煽るように誘導していた。だからそういう政治体制に日本がハマって、一朝一夕には抜け出せない状態に陥った時に『アイツラ』は、どうせ馬鹿で貧乏な猿にはわからないだろうと、日本国民を見下して堂々と新聞にヒントを出して来た。それが『劇場型政治』という言葉だ。
つまり国民は郵政民営化などの甘言に乗って踊らされたのだ。そもそも『かんぽ』に幾つか問題があっただけで、郵政はJRと違い地域に密着した無くてはならない公共サービスだったのだ。それを民営化したのは民営化に拠る株式と『ゆうちょ』の貯蓄に掛かる諸々の利権をアメリカに流すためだった。
そう。そうなのだ。その頃から今のコロナ騒動に到るまで我々は終始一貫踊らされ続けているのだ。もっと言えば、戦後直ぐからとも言えたし、更に言えば江戸時代から明治に掛けてもそうだった。それを危惧した人も居たろうし、警告してくれた人も居たと思う。だけれど出鱈目な情報に翻弄され、大衆食堂のサンプルに目を輝かせ涎を垂らす子供のように庶民は欧米化に憧れ、やがて幕府は鎖国を止め開国した。第二次世界大戦はこの時に決定づけられたようなものだと言っても良い。
1970年代の人民服を着ていた中国人よりも惨めな今の日本は、世界経済大戦でも敗北した敗戦国だ。今はその頃のツケと、世界情報大戦でも負けたツケを払い続ける弱小国に成り下がった。近年では嘘っぱちのゴミ問題でビニール袋のサービスも失くなった。本当に海を汚しているのは中国だというのに、わかっていても言えない外交官や政治家しか居ない。
つまりグローバリストに牛耳られ、人材の居ない国になってしまったのだ。日本は世界一ゴミ処理場が洗練されれていて、高効率で大気をほとんど汚染しない優れた焼却場があちこちにある稀有な国なのにだ。
そういう諸々を考えて、『SDGs』も我々に何をさせるために建てた目標なのか、真の狙いはどこにあるのか、そしてどうしてこんな目標が建てられたのかを考えないといけない。それは温暖化詐欺や炭素詐欺が通用しなくなって来たからであり、気象兵器や地震兵器だけでは足りなくなって来たからでもあり、日本を筆頭とする欧米を除いた国家の基幹産業を疲弊させ滅ぼすためでもあるのだ。
英字新聞だけでなくロシア語やドイツ語の新聞をネットで照らし合わせれば、ウクライナ問題もどうして起きたのかがだいたい分かると思う。あれは色の革命や花の革命と同じ手法を取ったもので、ソロス達が起こした2014年のクリミア問題が失敗に終わったから取られた方法で、アゾフ大隊というネオナチを装った旧オリガルヒの残党やネオコンなど、いわゆるディープステート(グローバリスト達の事。即ちアイツラの事である)のプーチン潰しに他ならない。
プーチン大統領は愛国者でありロシア民族第一主義者だ。そこはまともな人なら当たり前の事だ。そんな人だから、自治国の体裁を持つウクライナであろうとロシア人が虐殺され、子供達が誘拐され玩具にされる現状を知れば怒って当然だった。そもそもウクライナは国際法上国家ではない。ロシアの一地方だ。
そして他国に干渉し自己利益のためのみに、そこに住まう人々の事を顧みず動く真の悪は、東インド会社の頃からいつもイギリスでありアメリカだった。今回のウクライナ問題の根源は、アメリカの一部グローバリスト(ネオコン)が旧オリガルヒの残党(ネオナチ)と手を組んで行った人権蹂躙の火消し作戦でもあったのだ。その中心にオバマがおり、ヒラリーがおり、実行犯のバイデンがいるのだ。
科学者は秘密にしているが、放射能の半減期は我々が知る以上に短い。チェルノブイリは悪事を行うのに良い隠し場所だった。報道の体制が整えば、ロシア側から歴史がひっくり返るほどの発表があるかも知れない。


では何故ロシアは一見自棄になったような軍事行動が取れるのか?
それはロシアにアメリカの息が掛かった中央銀行がないからだ。自給率レベルは100を越え、天然ガスも水も全部自給自足できる。経済で締め上げられても屁でもない。そんなとんでもない国だったのだ。
ソ連崩壊で疲弊したロシアを自給自足できる強国にしたのがプーチン大統領だ。それで何度も何度も法令を変えて大統領に居座るのは、ディープステートに対抗できる人が彼しか居なかったからだ。だからプーチン大統領もロシアも長年ディープステートの目の上のたんこぶだった。
事、ここに至っては、もうディープステートに残された手は長年金で飼って来たメディアを総動員しての出鱈目しか無かった。だがそんな出鱈目報道もバレつつある。
爆撃はアゾフ大隊の基地だったし、一般人の被害者なんて何年も前の災害時にマスコミが撮影した写真だった。日本の街頭インタビューであるだろう? マスコミにとって都合のいい受け答えをする人達。あれはマスコミが用意した売れない役者の演技だ。一般人を装う事でテレビを見ている人の意識を捻じ曲げさせている。今回のウクライナ報道もあれと同じ手法だ。
また以前ドイツが移民を受け入れた時の『釣り』と似た方法でもある。『子供が可哀想』。こういうパターン……嘘っぱちに、一見正しく見える論調を被せて人々の目を出し抜く方法はメディアが残す『名刺』であり『手クセ』なのだ。思考を拡げて、物事を関連付けて考えないと真実は見えて来ない。プーチンはしょせん他国の大統領だから、全部を信用しろとは言わない。だけどどういう立場で動いているかは知っておかないと見えて来ない。
そして今週、ポーランドにあるNATOの基地がミサイル攻撃を受けた。これでウクライナに巣食う悪党どもに支援は来なくなった。それにアメリカでは、かつてバイデン親子がウクライナで行った汚職問題などが再び報道に乗るようになり、別件でヒラリーや米民主党の選挙に絡む問題が浮上してきている。また、世界が大きく動くのだろう。
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