異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
ゴンドワナ大陸の中西部には、大陸最大の砂漠が広がっている。巨大大陸にあっては、砂漠や荒野というのは珍しい物ではないが、最大級の砂漠というのは他の追随を許さない過酷な環境であるのは言うまでもなく、当然、農耕には向かないので居住地としての需要は皆無であり、古くから人跡未踏の地は多い。
海上交通が発達してからは、行商人がこの砂漠を命がけ踏破することもめっきり減った。今となっては、海を持たない地域の行商人が西部地域と交流するのに使用するくらいだろう。旅行など安易にできる時代ではない。わざわざ砂漠と行く者は、それ相応の理由があるものだけということだ。
どこまでも続いているかと思える荒涼たる景色を東側から西側へ進んでいくと、遠く地平線を遮る山々が見えてくる。
目立つのは標高二千メートルに達する巨大な山であり、砂漠の終わりを示すランドマークだ。古代から行商人達は、この山を頼りに旅をし、そのおかげで過酷な自然を行く旅ではあっても、道に迷って命を落とすという確率は極めて低かったという。
それ故に旅人からは多くの信仰を集めたという霊峰ミラビリス。その麓に形成された都市ミラビリシルヴァは、西と東を繋ぐ内陸の玄関口として長く栄えてきた。
ミラビリシルヴァは、商業上の重要な立地から、帝国においては第一皇子の直轄領だった。そして、現在はミラビリシルヴァ連合国の首都にして宗主国として自立している。
経済力は侮れないが、軍事的にも国土的にも大国ではない。東に砂漠、西に山岳が広がり、その間の平野に人が集まった結果生まれた集落がミラビリシルヴァの出発点だ。
そんなミラビリシルヴァ連合国を構成する都市国家シルヴァニアは、ミラビリシルヴァから西に五十キロの地点にある小国家である。山岳地帯に形成された都市国家であり、その領主フェドラ・メラーニはミラビリシルヴァの王女であり、ミラビリシルヴァ連合国の後継者だ。
通常、自身の領国とは言え、王女という立場の者が五十キロも離れた国に下向するということはない。代理を送り統治させるのがこれまでの慣習である。ところがフェドラは自ら進んでシルヴァニアを直接治めることを望み、周囲を驚かせた。
世間知らずの王女の無謀とも自らの責任を果たそうとする勇気ある行動とも評されたフェドラの統治は、大きな問題が起きることもなく、十年の月日が経とうとしていた。
■
エクソシスター・エリス。
元の世界では悪魔を祓い人々を救済するエクソシスターの一員として戦い、この世界ではヒロイン生協に属して、世のため人のために力を使ってきたヒロイン。そして現在は、シルヴァニアで秘密裏に活動するテンバイヤの構成員であった。
エリスはヒロイン生協の活動妨害とかつての同胞であるステラの捕縛を命じられ、シルヴァニアを留守にしていた。
ステラだけでなく、他のヒロイン達の活躍もあり、残念ながら目的は達成できなかった。
実に三ヶ月に亘る長期任務は、実質的に失敗に終わったのである。
城に戻ったエリスはメイド服に着替えた。ここでの彼女の役割は下働きである。掃除や洗濯の他、騎士と同じように侵入者を撃退することも求められる。
捕らえられ、支配されてからというもの過酷な労働環境の中でエリスは働いてきた。ヒロイン生協にいたころの待遇と比較すれば下の下であり、奴隷も同然の扱いである。
「ふぅん……それで、逃げ帰ってきたってわけ?」
「申し訳ありません」
エリスはフェドラの前で謝罪する。
城の地下にあるフェドラのコレクションルームだ。ショウケースの中にはフェドラが集めたカードがこれ見よがしに飾られている。
大陸各地に存在するテンバイヤの中でもフェドラは多くのカードを所有する有力者だ。
フェドラは、見た目は小柄な少女である。
エリスのよりも背が低く、童顔であり、赤い髪の毛は肩口で切りそろえている。機嫌の悪そうな顔をしているのは、エリスの失敗に失望したからであろう。エリスからすれば、ステラはそもそも自分と同等の力を持つヒロインであり、他にもヒロイン生協のヒロインがいるという中で単独での作戦遂行は困難だった。残念ながらフェドラにそんな言い訳が通じることはなく、呆れか失望を湛えた冷笑でエリスを見下ろしている。
金細工と赤いビロードの椅子に腰掛けたフェドラは足を組み直した。エリスはフェドラの足下にひれ伏してひたすら任務の失敗を詫び続けていた。
床に額を擦りつけ、可能な限りの低姿勢。土下座と呼ばれる地方の謝罪方法だ。昔、各地の文化を記した書物を読んだフェドラが気に入り、この城で取り入れたものである。何がいいかと言えば、背の低い自分が堂々と相手を見下ろせるのがよい。それに相手の頭を足置きにもできる。フェドラは靴を脱いで、エリスの後頭部に足を乗せている。靴を脱いでいるのはエリスを慮ってのことではなく、リラックスするためだ。
ワイングラスに赤ワインを注いで、悠々と口に運ぶ。
「ねえ、エリス。わたし、楽しみにしてたんだけど。あなたがステラちゃんを連れてきてくれると思って、ずぅっと待ってたんだけどなぁ」
「も、申し訳ありません。力及ばず……」
「まさか、昔馴染だからってわざと逃がしたんじゃないでしょうね?」
「滅相もありません。マスターからのご命令に背くようなことは一切……!」
「じゃあなんで連れてこないの。三ヶ月も待ったのよ。エリス。わたしの時間とお金、どうしてくれるのよ」
「申し訳ありませんでした。ご期待に応えられず、マスターの貴重なお時間と資金を無駄にしてしまいました」
「そうねぇ。……ほんと、どんくさいメイドだわ。ソフィアの方がよっぽど使えるわ」
「…………ッ」
ぎゅっとエリスは唇を噛む。
同じ世界からやって来たエクソシスターを引き合いに出されると悔しさと情けなさが襲いかかってくる。
フェドラに心を折られ、彼女に仕えることになったエリスの精神は半ば破綻している。刻み込まれたフェドラへの忠誠心は、本物なのか偽物なのかもはやエリスにも分からない。フェドラに仕えることを正当化している以上、フェドラから評価されないというのは「苦痛」だし、自分と同じエクソシスターが自分以上の評価を得ていると思うと嫉妬すらしてしまう。以前はこのような感情を抱くことはなかったが、今のエリスの精神性は、極めて不安定だ。黒い感情がすぐにわき上がってくるほどに、変質してしまっている。
それをフェドラはよく理解している。
フェドラは人を虐めるのが好きだ。自分よりも強いヒロインが苦悩と苦痛に顔を歪ませるところなど堪らない。
こういうことがしたくて、わざわざ自分からこんな僻地に出向いたのだ。
自分だけの城と領地を持って、テンバイヤとしてカードを蒐集する。そして、カードモンスターのヒロインを配下にして弄ぶ。今まさにフェドラにとってはこの世の春が到来していた。
なぜカードなのか。
それは、魔法の才能のない自分でも、ヒロインを降せるからだ。カードモンスター出身であれば、よりカードの効果は信頼できる。だから、エリスのようなカードモンスターのヒロインを狙うのだ。
フェドラはワイングラスに入っていたワインを自らの右足に零した。足を伝ってその下のエリスの頭までワインが濡らす。
「あ、零しちゃった。エリス。綺麗にしなさい」
そう言って、フェドラは足を退ける。そして、エリスの顎を爪先で持ち上げる。
「承知しました、マスター」
エリスは、言われるがままにフェドラの足についたワインの雫を舐め始める。
心身に教え込まれた奉仕技術を駆使して、フェドラの足に舌を這わせる。
「れろ……れろ……ちゅ……れろれろ……れろ」
「エリス、美味しい?」
「はい……とても美味しいです」
ワインの苦みと甘さと被虐的な快感がエリスの舌を痺れさせた。爪先から足の甲を舐めて、脛から膝までしっかりと舐め上げた。
「ふふ、よくできました。ほら、後はここも」
「ぅ……あ……」
フェドラは自分のスカートを捲って見せる。割れ目にワインボトルから直接、フェドラは自分の股にワインを掛ける。
エリスは膝立ちになり、フェドラの股の間に顔を入れた。
「マスターにご奉仕させていただきます……ちゅ」
クリトリスにキスをしてから、エリスはフェドラの膣口周りを舐め始める。アルコールとワインの芳醇な香りにくらくらしながらムダ毛一つない綺麗なマンコを舐める。皺を伸ばし、クリトリスを弾き、膣口から舌を挿入してその奥まで舌だけで愛撫する。
「いいわ、エリス。その調子」
「ありがとうございます。ちゅ……れろ……れろ……んちゅ……れろれろ」
「上手じゃない。ステラにもしてたのかしら? あなたたち、そういう仲なんじゃないの?」
「こんな卑猥なこと、あの娘とはしてません」
「あらそうなんだ。ん……ッ、エリスが実はクンニ上手だなんて知ったら、あん、ステラはどう思うのかしらね」
「……言わないでください、そんなこと」
「それとも自分のを舐めさせたりとか?」
「ありません……れろ……ちゅ……ちゅ……れろれろじゅるる」
「急に強く吸うんじゃないわよ、びっくりしちゃうじゃないの。ん、ん、あ、ん……頑張って口動かして、そうそのまま」
エリスの舌がマンコを舐める度に卑猥に膣肉が動いている。
「イクわ。そのまま口開けときなさい……ん……んあ、んんんん!」
「あ……ふあ……ああぁ」
オーガズムに達したフェドラは愛液をエリスの顔に吹きかける。
エリスは主の蛮行を拒否することなくすべて受け止めた。
「ふー、すっきり。あ、そうだエリス。あんた、明日ブリンクウォールに行け」
「ブリンクウォールですか?」
「ヒロイン生協を妨害しろってのは、リドルばあさんからの依頼なの。金までもらって失敗しましたなんてことになったら、まあ後々面倒じゃない。だから、お前を無償でレンタルすることにしたの。失礼のないようにしてよね。ばあさんは怖いんだから」
ブリンクウォールのリドルとフェドラは親戚だ。ブリンクウォールを訪れる行商人達は、大半がミラビリシルヴァを経由する。経済的な繋がりがあることから、曾祖父の代でブリンクウォールと姻戚関係を結んだ。
テンバイヤとして悪事を働く傍らで、ヒロイン生協とも繋がるフェドラは、生協内から吸い上げた情報をリドルに流している。
リドルの怖さをフェドラはよく知っている。ブリンクウォールのヒロインの呵責なき戦いは、尋常の物ではない。エリスを始め複数のヒロインを堕としたフェドラの手並みも、カードに支えられた限定的な成果でしかない。ブリンクウォールに攻め込まれれば、手も足も出ないだろう。
「今度失敗は許されないわよ、エリス」
そう舌舐めずりをしてフェドラは一枚のカードを取り出す。カードが光り、魔力が解き放たれるとエリスの頭にずっしりと重たい金属がのし掛かった。
「ひッ……」
引き攣り拉げた声が唇から溢れ出す。
こめかみに触れる金属の冷たい感触が、身体と心を震え上がらせた。
『万力魔神バイサー・デス』。
かつてエリスの心をへし折った拷問カードの一枚だ。エリスにとっては、まさにトラウマとなっているカードである。
「し、承知しました。か、かか、かならず、ご期待に応えてみせます」
震える声でエリスは承諾する。
それ以外の選択は最初から存在しない。あったとしても選べない。もはやエリスは、フェドラの言うことを聞くしかないのだ。
エリスの返事を聞いて満足したのか、フェドラは『バイサー・デス』をカードに戻した。
エリスは脱力し、項垂れる。
強烈な緊張と恐怖から解放された安堵感は、エリスの理性を狂わせる。
今となっては、カードを見せるだけでエリスの心を震え上がらせるまでになった。洗脳系の魔法カードを使うまでもない。エリスの心身は徹底的に踏みにじられて、挫かれた。エクソシスターを放棄して、悪魔族に転身した時点でそれまでのすべての拠り所を失っている。もはや、エリスはフェドラの下で生きる意外に選択肢はないのだ。
■
エリスの部屋は城の中に設けられている。相部屋ではなく、一室が個人に与えられるのはさすがにヒロイン待遇である。
ベッドと机と暖炉だけの小さな部屋だが、下働きの新入りメイドの暮らしと考えればこれほどの待遇は他にない。
部屋には先客がいる。鍵を掛けていたが、彼女には鍵を渡していたので驚きはない。
「……お疲れ様です。ソフィアさん」
同じエクソシスターのソフィアである。少々つり目がちのスレンダーな少女の姿をしたカードモンスターである。カートから召喚されたのではなく、エリスと同じヒロインだ。
「…………」
ソフィアはエリスを見ても何も言わない。表情がなく、目は虚だ。この城で出会ってから、ソフィアと会話が成立したことは一度もない。
ソフィアは部屋の主が戻ってきたことを確認すると、もう用はないとばかりに踵を返し、エリスに応じることなく部屋を出て行った。
ソフィアが去った後、残されたのはエリスともう一人、
「ただいま戻りました。イレーヌさん」
かつての同僚であるエクソシスター・イレーヌだ。
ゆったりとした椅子の背もたれに体重を預けて座っている。
「わたしが不在の間はソフィアさんにお願いしていたのですが、不都合は……あるはずがありませんね。あなたたちの間で、そんなことは」
美しく整った顔立ちのイレーヌは、こちらもソフィアと同じく一切の反応がない。年の頃はエリスと同じくらいだろう。ソフィアの「姉」として、数多くの戦場を戦い抜いた歴戦のエクソシスターだ。ヒロイン生協には属していなかったが、この城でこうして再会することとなった。決して、望んだ形での再会ではなかったが。
「少し髪が伸びました? 今度ソフィアさんにお願いするときには、髪のお手入れをもっと細かく指示しておかないといけませんね」
イレーヌの灰色の髪を手に取って毛先を見た。
ソフィアは確かに手入れを欠かさなかったが、髪の長さを整えることはしなかったようだ。
ソフィアは与えられた命令を忠実に実行するロボットのような状態だ。仕事を頼むときは、事細かに指示を出す必要がある。
そのため、普段はイレーヌの世話はエリスが引き受けている。
これは贖罪だ。あるいは自己弁護に過ぎないのかもしれない。フェドラに味方し、ついには悪魔族にまでなった自分を癒やすための言い訳と言われても仕方がない。
「わたし、今度はブリンクウォールに行くことになりました。きっとまた、罪を犯します。あそこの女王様は、マスター以上にヒロインに厳しい方のようですし、もう戻ってくることもできないかもしれません。でも、ソフィアさんに後のことはお願いしておきますから心配しないでください」
イレーヌの髪を梳る。
ソフィアが身体のメンテナンスをしていたので、成長分以外の変化はない。潤いある若々しい肌艶も、この城を出た日から変わらない。
対してエリスはずいぶんと痩せてしまった。
窓ガラスに映る自分の顔を見て気がついた。自分はこんな顔だっただろうか。近くで見れば肌荒れもあるだろう。生気のない顔。目元は落ちくぼみ隈になっている。食が細くなり、少し痩けてしまっている。見るからに不健康そうな顔である。
当然のことだ。むしろ、そうあるべきですらある。エクソシスターから悪魔に転身したのだ。ソフィアとイレーヌを陥れ、ステラをこちらに引きずり込もうとすらした。自らの弱さが招いたことだ。裏切り者の悪魔に相応しい顔だ。
取り返しの付かないことをした。イレーヌもソフィアも自分がフェドラに屈したことで囚われた。言い訳をするのなら、イレーヌとソフィアがこの世界にいるとは思っていなかった。知らなかったのだ。だから、自分が吐き出せる情報の一つとしてエクソシスターのことを話した。必死だったのだ。フェドラはヒロイン生協の上層部と繋がりがあるらしい。内部情報を知っていた。エリスの捜索が縮小され、ステラも前線を外れたと聞いた時、エリスの希望は失われた。《バイサー・デス》だけではない。《悪夢の拷問部屋》や《プラズマイール》といった拷問系のカードをフェドラは複数所持していて、エリスに何度も繰り返し使用した。気絶と苦痛を繰り返し、精神をすり減らし、我慢すれば救われるという希望もなければ、いつまでも耐えられるはずがない。
楽になりたい一心で、フェドラの要求を受け入れた結果が目の前にいるイレーヌの姿だ。
まさか、イレーヌとソフィアがフェドラの領内に入ってくるとは思わなかった。フェドラはエリスを捕らえる前から、彼女たちの所在を把握していたのかもしれない。もしかしたら、彼女たちが所属するグループとも何らかの取引があった可能性もあるが、エリスにはどうでもいいことだ。
エリスが話した情報だけで、イレーヌとソフィアが倒されたわけではないだろう。そんなに柔な二人ではないが、時系列的にもエリスの情報が活用された可能性は否定できない。いずれにしても、彼女たちもそれぞれがフェドラの趣味嗜好の餌食となり、ソフィアは深い洗脳状態となり、イレーヌは《マインドクラッシュ》の重ねがけにより心が破壊されて物言わぬ人形に成り果てた。
罪悪感で頭がキリキリと痛む。
罪を直視すると過呼吸になりそうだ。
この感情にも慣れてしまったら、いよいよ心身共に悪魔族に堕ちたと言っても過言ではないだろう。
そして、性懲りも無く、この苦しみからの解放を望んでいる自分がいる。
■
浅葱はずいぶんと図太い感性の持ち主らしい。
千年前の大戦時に鍛えられたこともあるのだろうが、サバイバルでも眠るべき時には眠れるくらいには肝が据わっている。それでも、真っ当な建物の中で、結界に守られて、干し草でできたそれなりに寝心地のよいベッドで眠るのはやはり最高だ。朝日を浴びて目が覚めると、驚くほどに身体の疲れが取れている。
(身体が痛くない。柔らかいベッドサイコーってだけじゃないわね)
疲労回復がずいぶんと早い。
魔術的な干渉があるに違いない。この建物を囲む結界に回復効果が付与されているのだろうと推測する。浅葱は魔術には疎い。魔術や魔法や超能力というのは、浅葱にとってはジャンル外だ。それでも似たような力を経験的に知っていて、ある程度の予測を立てることはできる。
部屋の外に出ると、ちょうど雪菜がいた。浅葱の知る元の世界の雪菜に比べて、やや成長した姿。少し大人びた雪菜はますます美しくなった。中等部の頃は可愛さが目立っていたが、今は大人の雰囲気を感じる。浅葱よりも少しだけ年上になるのだろうか。この世界にやってくるタイミング次第では、元の世界と顔見知りであっても年齢まで揃わないのは珍しくないことだが、いざ、自分が体験するとこれはこれで貴重な体験だ。
「藍羽先輩、おはようございます。お身体は、大丈夫ですか?」
「問題なし。滅茶苦茶疲れが取れてるんだけど、やっぱりこの家に何かある?」
「さすがですね。ここは建物全体がフィオレさんの工房になっているんです。ですので、味方は様々な魔術的な恩恵を受けることができるんですよ」
「工房って言うのね」
「あちらの世界の魔術師の拠点をそのように呼ぶそうです。魔術で守りを固めた城といったところでしょうか」
フィオレは浅葱や雪菜とは異なる世界の住人だ。彼女の使う魔術もまた、浅葱にとっては未知の技術体系なのだが、見た感じエルケーニッヒ・ルシフェルのどうしようもない暴力的な魔力に比べればずっと理解の範囲内にありそうだ。
恐らくは術式がしっかりした技術体系。便利な西洋魔法よりもずっと浅葱の感覚と親和性が高いような気がする。だからと言って使えるかどうかは別だが、何となく言っている意味は分かる気がするという程度には話が合いそうだ。
「藍羽先輩がお目覚めならちょうどよかったです。二時間後に下の広間にきてください。今後についてうちあわせをするそうです」
「あたしも行っていいの?」
「是非。藍羽先輩も現状把握は必要でしょうし、フィオレさんもいいと言っていますから」
浅葱は完全に新参者だ。組織の意思決定の場にいきなり昨日来たばかりの他人が居座るのは居心地が悪そうだ。
しかし、雪菜の言うとおり浅葱は新参者だからこそ、情報をより多く手に入れる必要がある。千年も寝ていたのだ。雪菜とフロリスから現代のことを聞いたが情報源はそれだけである。得意のインターネットはこの世界には存在しない。自由に検索して知りたいことを知るという当たり前にあった手段を失っている。人に話を聞くというのが、ここでは一番手っ取り早い。
二時間後、浅葱は階段を下って広間に下りた。空間を拡張している二階に対して、一階はそういった魔術を使用していないのかこじんまりとしている。広間といってもやや大きめのテーブル一つでほぼ広間の面積の大半が占められるという程度だ。そのテーブルをヒロイン達が取り囲んでいる。髪の色も魔力の気配も様々ながら、総じて驚くほどに顔がいい。本当に人間かというレベルの美形もいる。飾り気のない広間が、まるで輝いているかのようだ。浅葱もまた彼女たちに負けず劣らずの美形なのだが、それはそれとして圧倒されるのも無理からぬ話だ。
「こんにちは」
どうしようかと佇んでいると、明るく声をかけてくれた少女がいる。肩に掛かるくらいの黒髪の美人だ。
「藍羽浅葱さんですね。初めまして。黒川あかねです。フィオレさんの秘書をさせていただいています」
「初めまして。もしかして、同郷ですか?」
「浅葱さんが姫柊さんと同じ世界だと聞いてますので、違う世界ですね。日本人ではありますが、わたしの世界には魔法も魔獣も存在しなかったので」
「何もなかったんですか?」
「はい。魔力とか、ファンタジーの世界でしたね。あ、年も近そうなので、わたしとはタメ口でいいですよ」
魔力が当たり前のように存在する世界で生まれ育った浅葱には想像もできないことだ。浅葱の世界では当たり前に存在するエネルギーがまるごと使用できないのだ。魔力だけでない。人間は世界に存在する様々なエネルギーを学問の発展と共に生活に利用し発展してきた。浅葱のいた世界では魔力は重要な資源であり、当然にそれを生活の至る所で利用していた。魔力が存在しない世界は、生活を支えるエネルギーの考え方がまったく違うということであり、当然ながら、人類の歴史も大きく異なるものとなっているだろう。
あかねは魔力のない世界の住人。となると見た目通りの年齢の人間であろう。浅葱と年齢はほとんど変わらない。
「なら、あかねもタメ口にしてもらっていい?」
「うん、じゃあこれからよろしく」
新しい環境で年の近い同性の友人ができるメリットは大きい。あかねはフィオレの秘書だというから、ヒロイン達の事情にも詳しいのだろう。浅葱に真っ先の声を掛けてきたのも、彼女の仕事の一つに違いない。
その後、浅葱は開いた席に案内された。正面には雪菜とフロリスがいて、隣に銀髪をポニーテールに纏めた少女が座っている。
「よろしく。あたしは藍羽浅葱。あなたは……」
「リリアナ・クラニチャールだ。こちらが、万里谷裕理」
淑やかな栗色の髪の少女が会釈をする。大人しげな印象だ。名前の感じからして、彼女も日本人かその系統の世界の人間だろう。
「わたしと万里谷祐理は、同郷でこのキャンプには一ヶ月前に来たばかりだ」
「じゃあ、あたしと同じほぼ新入り?」
「このメンツとしてはそうなる。もともとはレジスタンスとして、難民の護衛に当たっていたから、完全に新参者というわけではないが」
「ヒロイン生協のメンバーってことね」
レジスタンスはヒロイン生協が支援するブリンクウォールに敵対する反政府組織だ。実態としてはその運営のほとんどをヒロイン生協が送り込んだヒロインや関係者が賄っている。表だって反政府組織を支援することができない中立という立場から、そうした形式を取っているとのことだ。
リリアナと話している間に、フィオレが車椅子に乗ってやってきた。車椅子を押すのは金髪の女性だ。素人目に見ても分かる実力者。人間の外見をしているが、より上位の存在だと見て分かる。
「フィオレのサーヴァントのポルクス。この拠点の最高戦力の一人だ」
リリアナが浅葱に小声で教えてくれる。
千年前の戦場でも活躍していたので、サーヴァントのことは知っている。
ポルクスもまた、伝説に彩られた偉人なのだろう。何よりもフィオレと契約しているというのが大きい。サーヴァントの力量は、マスターの有無でも大きく変わる。大抵がマスターを持たない中で、マスターとなり得る人物と出逢い、契約したサーヴァントはマスターのいないサーヴァントに比しても隔絶した力を誇るという。
「皆さんおそろいですね。今日はお忙しいところお集まりいただき申し訳ありません」
フィオレがテーブルを見回して口を開いた。
「この場には、次の任務に当たっていただく方をお呼びしました。特に雪菜とフロリスには、連戦となってすみませんが、状況を打破するためにご協力ください」
静かなトーンのフィオレの言葉には、有無を言わせない圧がある。厳しいことを言っているのは自覚している。その上で、毅然とした態度で言葉を選んでいるというのが伝わってくる。
「任務はいいよ。それで、わたしたちは何をすればいいの?」
と、フロリスが尋ねた。
フィオレが目配せしたのは、あかねだった。
あかねは立ち上がり、足下から大きな一枚の紙を取り出してテーブルに広げた。
「ここからはわたしが説明します」
そう言ったあかねが広げた紙は、大陸西部の地図だった。
「姫柊さん、フロリスさん、リリアナさん、万里谷さんの四名には、ノワールに向かっていただきます」
あかねは地図の上にいくつかの白い石を置いた。
「ここが今わたしたちがいる集落。そこから、ノワールはここ。ノワールの国境までは南西におよそ1,500キロです」
「直線で?」
「はい」
フロリスの問いにあかねは頷いた。
げえ、とフロリスは嫌そうな顔をする。
徒歩で向かう距離ではないし、魔術で飛んでいくのもかなり辛い。本来ならば文明の利器に頼りたいところだ。
「ノワールって、確か今戦争中なんじゃなかったっけ?」
浅葱が首を傾げて言った。
世界情勢に疎い浅葱が雪菜とフロリスから教えてもらったこの周辺の現状は、どこもかしこも戦争だらけだ。ノワールもその例に漏れず、クロガネ大公国に侵攻されている真っ最中だ。
「そうです。ですから、特に注意が必要になります。ノワールは険しい山に囲まれた国で、陸上から向かう道はイステネブルかクロガネ大公国を経由するしかありません。クロガネ大公国側のルートはすべて軍路として使われていますし、イステネブル側も同様です」
「それじゃ、そのまま向かうの厳しいじゃないですか。何か考えはあるんですか?」
雪菜が尋ねる。自分達がこれからノワールに向かうにしても、道がすべて敵に塞がれているのなら極めて危険な仕事となる。ダメ元で突撃するというのは、考え無しにもほどがある。
「先日、ノワールにヒロイン生協から特使が到着したとの連絡がありました。指定したポイントまで近づいたら首都のパラディクレールまで、案内をしてくださることになっています」
「秘密の抜け道ということですか?」
「そうですね。恐らく……すみません、どういった道で行くのかまでは非公開でこちらにも伝えられていません」
「分かりました」
雪菜はそれ以上を追及しなかった。移動方法は気になるところではあるが、あかねを問い質したところで何の意味もない。
「あの、よろしいでしょうか」
おずおずと手を上げたのは祐理だ。
「ノワールに行くことは分かりました。それで、その目的を伺っていませんでした。わたしたちは、ノワールで何をするのでしょうか?」
「すみません。説明が前後してしまいました。お願いしたいのは、こことノワールとの間に物資の輸送路を構築することです。ここはイステネブルとブリンクウォール、クロガネ大公国に挟まれていて物資輸送に難があるというのはご存じの通りです。そこで、海に面したノワールとの間に輸送路を構築して、物資の安定供給に繋げたいと考えています」
「それは、なかなか大役ですね……」
祐理は生唾を飲んで、緊張感に顔を引き締める。
物資輸送の問題は、常にこの集落を悩ませている。機動力のあるヒロイン達が、内陸側から敵の目を盗んで国境沿いを通って搬入しているのが現状だ。一度の輸送で大量の物資を供給することはできないし、どうしても内陸側を経由すると物資の配給順は最後になる。
ノワールを味方に付けて物資供給を手伝ってもらえれば、その問題は大きく改善される。ノワールは海に面していて、大量の物資を陸揚げできる。内陸を経由するよりも早くこの集落まで物資を送り届けることができるようになるはずだ。
もちろん、課題は多い。道中にクロガネ大公国を通るし、イステネブルの国境も近い。どちらもブリンクウォール側の国だ。だが、結局のところ、そのリスクは今までもずっと存在していたリスクでしかない。危険は覚悟の上で、ノワールとこの集落を繋がなければ、何れは深刻な物資不足で瓦解する。
「リリアナさんとフロリスさんは高い機動力がありますし、万里谷さんと姫柊さんには霊視があります。一緒に移動しつつ、危険を予測して対応できるという点から選抜させていただきました」
雪菜も祐理も強力な霊視を持つ。できることは若干異なるが、それでも危機察知能力は優れていて未来予知とも言うべき力を持つ。リリアナも祐理ほどではないが、同種の力がある。危険な旅にこれほど頼れる力はない。
どれだけ強力なヒロインを味方にしても補給がままならなければジリ貧だ。
難民キャンプ場としてのキャパシティにも限界がある。
一刻も早い補給路の確立が急務なのは火を見るよりも明らかだ。
長期任務を終えて戻ってきたばかりの雪菜やフロリスをすぐに駆り出さなければならない程度には、ここは人手不足だ。
「ノワールに向かうのは分かりましたけど、ここの防衛はどうするのですか? 四人も抜けると、大変じゃないですか?」
と尋ねたのは雪菜だ。
直接的な戦闘は雪菜とリリアナが担当できるし、裕理の霊視は高い危険察知能力として活用できるので陣地防衛の観点からも重要だ。フロリスの機動力も馬鹿にできない。キャンプ地の隅から隅まで素早く移動できるので、避難誘導に情報伝達にと使い道は数多ある。
ノワールと連携するための人員を現地に派遣する必要性は理解できるがヒロイン一人一人が貴重な戦力であるということも紛れもない事実だ。
「その点については確かに不安材料ではありますが、陣地防衛に長けたサーヴァントを増援してもらう都合がつきましたので、対応可能だと見ています」
答えたのはフィオレだ。
「幸い、皆さんの協力のおかげで各地のキャンプの統廃合も進んで、人員調整ができるようになりました。もちろん、厳しいことに変わりはありませんが、こちらの防衛は何とかなります。それよりも今は、ノワールとの物資の道を作ることが何よりも大切です」
サーヴァントは魔力があれば生存できるが、人間はそうではない。ヒロインであっても食事は必須だ。難民が増えて、キャパシティが限界に達しつつある今、これまでのような細々とした物資供給では遠からず干上がってしまう。
他国に亡命することもできない西の辺境ではノワールから物資輸送をしなければ全滅不可避である。
防衛のための人員を割いてでも、ノワールから物資を運び込めるようにしなければならないというのは、誰の目から見ても明らかだった。
能登地震のあとバタバタしてたので趣味に時間を割くこともできんかった
我が家は準半壊だそうですが、ドアが閉まりにくくなった程度で生活には支障なくてよかったです。