異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
マーリンが味方になって以来、情報収集が格段にしやすくなった。というのも、マーリンが持つ千里眼が現在を見通すことができるからだ。遥か遠方の様子もマーリンの目には、すぐそこの景色のように見通すことができるし、感覚を共有する魔術を使えば、その景色をマオも見ることができた。
これは戦略上、非常に有利だ。
正しい情報をどれだけ迅速に揃えられるかは、戦乱の世では特に重要だ。誤った情報に踊らされて、滅んでいった国は数多い。
現在を見通す千里眼は、およそあらゆる陣営が喉から手が出るほど欲しい能力の一つだろう。自らを大魔術師と豪語するだけあって、魔術の腕も確かだ。おまけにため息が出るほど美しい。マーリンを籠絡できたのは、本当に幸いだった。
マーリンの透き通るような肌がほんのりと桜色に染まっている。つい今し方まで、激しく交わっていたから、互いに汗だくだ。
「はあ、ふう、今日もいい汗をかいたねぇ」
「マーリンももう少し加減してくれないとこっちが枯れちまうぞ」
「何を言っているんだ、絶倫のくせに。どうせ、政務が落ち着けば誰か抱くつもりだろう。今日はハルカかミコト辺りには、もう声をかけているんじゃないかい?」
「何でもお見通しだな」
「見通すまでもないよ。もう君の女好きの絶倫具合には、驚きを通り越して呆れるくらいさ。ボクの相手をした後で別の女を抱くなんて、規格外もいいところだ」
拗ねたように唇を尖らせるマーリン。夢魔の血を引く彼女は、男から精と魔力を奪うが、マオはその能力からかマーリンに精を吸い尽くされるということがない。数多の男を籠絡し、食い物にしてきたマーリンとしては不本意なところもあるだろう。
「ああ、そうだ。君にちょっとした報告があるんだ」
「報告?」
「北のイステネブルに動きがあったよ。密使を鎧の町に送ったみたいだね」
「密使? イステネブルが? それも、鎧の町に?」
イステネブルはノワールの北方に位置する国である。国境を接している関係で、過去に幾度も軍事衝突を経験していた。
彼らが欲しているのは、ノワール領内の山々から採掘される天然資源と良港だ。ノワールは国土が狭く、山だらけで人が暮らすのに不便な環境であっても、今までやって来られたのは、良質な鉱石や宝石が採掘され、それを輸出できるからでもある。イステネブルは北方の国というだけあって年間の平均気温が低く作物の実りも悪い。その上、湿地が多く経済活動も低迷している。単純な軍事力ではイステネブルが一枚上手だが、それも山岳地帯を越えてノワールに侵攻できるほどの差があるわけではなかった。
かくして、長年小競り合いを仕掛けてくるイステネブルとそれを跳ね返すノワールという構図が固定化されていた。
「鎧の町っていうのが、また怪しい動きだな」
鎧の町には数年前から一人のヒロインが滞在している。そのヒロインは、並みのヒロインではないようで、クロガネ大公国が誇る最強のヒロインを討っただけでなく、周辺の諸侯を裏から抱き込み、北方の遊牧民を下し、さらに農業の生産力を向上させるなど多角的に活躍している。クロガネ大公国という強大無比な国家の屋台骨を土台から突き崩すかのような彼女に対し、未だクロガネ大公は有効な対応ができていない。
その鎧の町にイステネブルが接近したということは、当然、そのヒロインの力を当てにしてのものだろうし、クロガネ大公国の弱体化を白日の下に曝すことでもある。政治的にも大きな出来事だ。また密使という段階だが、これが大々的に動き始めるといよいよクロガネ大公国の内乱の可能性も高まる。
「クロガネ大公国とは、あまり交流がないからな。山のせいで。だから、そこで何かあっても、さほど気にしなかったが、イステネブルはよくないな」
「君にハルカを寄越したのが、イステネブルらしいね」
「そう。そういう意味では、いい仕事をしたと思うよ。ハウエル爺さんは」
ヒロインという強力な「超兵器」を有する国は、往々にしてヒロインの力を過信する。クロガネ大公国もイステネブルも一人のヒロインを失うだけで、大きな損失を被った。もちろん、マオの能力を知っていれば、ハルカを単騎突入させることはなかっただろうし、マオがヒロインを無力化する異能を持っていなければ、ハルカ一人でノワールは制圧されただろう。残念なことにそのころのノワールは平和ボケしていて、軍事力は歴代最低。戦闘に特化したヒロインを持つ国ならば、容易に制圧できた弱小国だった。
「イステネブルは、鎧の町に鞍替えか」
「それだけじゃあ、ないみたいだよ」
「つまり」
「単なる外交上の密議だけじゃない。イステネブルは、いよいよ君の首を狙っているということさ」
「……なるほどね。よくそこまで分かるもんだ」
「ボクの覗き見から逃げられるのは、鎧の町のポトニア・テローンくらいのものだよ」
「鎧の町のヒロインとは知り合いか?」
「一回、話をしたことがあるくらいだけどね。まあ、強い弱いで語る類のものじゃないよ。あの娘は、特別さ。他の世界のヒロインたちならどうか分からないけど、ボクや立香たちと根っこが同じ世界なら、彼女は間違いなく圧倒的にヤバいヤツだよ」
「マーリンがそこまで言うほどのヒロインか」
「ボクなら逃げの一手だけど、君なら大丈夫だろう。いくら根源の姫でも、この世界に取り込まれた以上は、この世界のルールが絶対だ」
「だといいけどな」
ポトニア・テローンや根源の姫などと渾名されるヒロイン。マーリンがこれほどまでに警戒する相手というのは興味が湧く。
鎧の町を独立勢力に育て上げた手腕といい、是非とも引き込みたい相手である。
「イステネブルのほうにもヒロインがいるのか?」
「いるよ。戦闘特化型。ハルカのことを知っているみたいだから、彼女と同郷なんじゃないかな」
「いつの間に」
イステネブルはヒロインの存在を相当用心深く隠していたようだ。マーリンが教えてくれるまで、マオはこのことを知らなかった。周辺諸国も同じだろう。大々的にヒロインの存在を喧伝して抑止力とすることもあれば、秘密裏に囲い込み、暗部で活動させることもある。イステネブルは、そのヒロインの扱いを後者としたらしい。マーリンの規格外の目がなければ、先手を取られたかもしれない。だが、マーリンのおかげで、こちらは相手の動きが逐一見えている。それは、戦をする上で大きなアドバンテージであると言えた。
♪
イステネブルは、大陸の中では比較的新興勢力の国の一つである。帝国崩壊後の混乱に乗じてこの地域の要塞に駐屯していた騎士団が武力蜂起の末に建国した国家だ。誕生から百年も経っていない新興勢力ながら、地勢を活かした戦略で戦乱の世を生き抜いている。平野が多いが、土地が低く水が溜まりやすい。国土の半分以上が湿地で、居住に向いた土地が少ないため、建国以前からこの地域では、人工的に丘を作り、そこに町を形成している。丘と丘には橋が渡してあり、移動に支障のある湿地帯を横断することなく隣の町に移動することができるのだ。
こういった光景は日本にはなかった。
スピカは、すっかり見慣れた異世界の光景を見ながら、かつて暮らした元の世界の町並みを思う。
青い髪をポニーテールにした小柄な少女だ。
すれ違う人もいない、木橋をたった一人で歩いている。
ここは街中ではない。仮想敵国ノワールに向かう最後の橋だ。交通量は皆無と言っても過言ではなく、国境を守る騎士や行商人くらいしか利用者はいない。
この橋を年若い乙女が一人で渡るなど、まずあり得ないことなのだが、スピカは所謂普通の乙女には当たらない。
スピカは異世界からやって来たヒロインの一人である。
それも戦闘型のヒロインであり、イステネブルの騎士よりもずっと強いのだ。
彼女はこの世界にやって来てから自分とまともに戦える相手に出会ったことがなかった。
辛うじて、現国王のルドルフがいい勝負になるという程度だろう。彼は、先代国王ハウエルの次男で、先年、クーデターで父と兄を討ち政権を奪取した。騎士団長だったことから、騎士階級を味方に付け軍事力で国内を纏めている。
イステネブルがノワールを相手に軍事面での圧力を掛けてきたのは、ノワールがもともと仮想敵国だったことに加え、騎士階級が政治に強い影響を持つようになったからでもあった。
内部統制の次は外征である。そこで第一目標となったのがノワールだ。ノワールにはハルカを奪われたという屈辱がある。戦闘型のヒロインは貴重だ。まして、話が通じて、味方になってくれるヒロインとなれば国の宝である。それが寝返ったとなれば、国内を揺るがす大惨事。王の名誉が失墜することにも繋がりかねないし、ハウエルの権威が失墜してルドルフが台頭できたのも、それがきっかけであった。
スピカに課せられた任務は、ハルカの奪還、あるいは抹殺だ。ハルカの戦闘能力は味方ならば頼もしく、敵ならば脅威だ。
よって、ハルカをノワールから排除するのが今後のためにも重要なのだった。
スピカが王都を出て二日。ようやく、国境が見えてきたところだ。
ルドルフは、この世界にやって来て右も左も分からないスピカを拾い、衣食住と立場を与えてくれた恩人である。その命令となれば、拒否するわけにはいかない。そして、何よりハルカに裏切りの真相を問い質すには、これが最後のチャンスとなる。
(ハルカさんほどの人が、裏切りなんてするはずがない。何か、ちゃんとした理由があるはず)
日本で共にアルダークと戦ったハルカの人柄を考えれば、裏切りなどあり得ない。
イステネブルがアルダークもかくやとばかりの邪悪な組織だったというのならまだしも、そこまで酷くはない。二十一世紀の日本に比べれば血なまぐさいこともあるが、アルダークの邪悪に比べれば、まだ許容範囲であった。
だからこそ、ハルカが恩を仇で返すようにこの地を去った理由が知りたかったのだ。
時を同じくして、動き出したのは沙条愛歌だった。
事前に申し合わせたとおりの日時で、愛歌はノワールに向かう。普通であれば、転移で手早く移動するところだが、ノワール国内は愛歌の千里眼でも見通せない暗闇だ。
愛歌にとっても全貌が掴めず未知であるというのは、興味深いことだ。愛歌は迂闊な転移を避けて、行商人に紛れてノワールに潜入することになった。
愛歌の役目は所謂陽動だ。今回は第一にハルカをイステネブルが奪還することであり、領主マオの首は第二目標としている。
ハルカと同郷のヒロインがハルカを連れ戻すので、愛歌の役目はほとんどない。言わば失敗したときの保険なのだが、ヒロイン同士の戦いに一般騎士は入れない。援護するにしても、別のアプローチにするにしても、ヒロインの協力は必要だとハウエルとウィリアムは判断したのだ。
ヒロインにはヒロインをぶつけるしかない。まして、ノワールは天然の要害で、多人数で攻め込むのは困難な地形なのだ。
一騎当千のヒロインが単独で乗り込むのは、理に適っているとも言えた。
「ノワール、どんなところなのかしら」
生まれて初めての未知。
愛歌にとって世界はおもちゃ箱のようなもので、知り得ないものは何もなかったし、身の回りで不便を感じるようなこともなかった。欲しいものもなく、やりたいこともなく、生の実感も意味も見いだせず、だからといって何れ訪れる死を自ら引き寄せようとも思わず、ただ漫然と今を生き、他者の何と言うことのない願いを叶えるだけの、願望器。それが愛歌の本質だ。
だからこそ、興味を持つという情動を感じていることに、愛歌はまず驚いていたし、自分に驚くという機能が備わっていることにも、今、気がついた。他人は当たり前に持っている感情を愛歌は今日この時まで持ち合わせていなかったのだ。
鎧の町からノワールの首都まで行くのに、転移を使わなければ自分の足で行かなければならない。それはさすがに酷なので、荷馬車が仕立てられた。行商人に扮した鎧の町の役人が愛歌とともに山を越えることになった。
左右に断崖絶壁がそそり立つ険しい峠道は、軍の動きを阻害する。荷馬車が辛うじてすれ違えるという程度の幅しかないので、この峠道を使って戦争を仕掛けるというのは無謀だろう。聞けば、これでも一番安全なルートだというから、陸路でノワールを攻め落とすのは簡単ではないのだろうと実感した。
(やっぱり、変ね)
違和感は最初からあった。
どうも身体の調子がよくない。両肩に重さを感じるのである。愛歌は肉体こそ人間だが、根源接続者であるためか、そもそも疲労とは無縁である。しかし、「黒い領域」に入ってからというもの、倦怠感のようなものが身体にのし掛かっている。
それが疲労であるということに、まだ愛歌は気づいていない。
魔術の効きも悪い。
荷馬車を引く馬に強化魔術を施しているが、少しずつ解れている。出発から丸一日経って、すでに愛歌の強化は最初の七割程度に落ち込んでいる。本来ならば、向こう一年は悠々に効力を維持できる術式のはずが、このままだと三日も持たない。
理由が分からないというのが、また何ともみっともない。
薄霧が漂い、気温が低くなる。
標高が高くなってきて、景観も違った様相を見せ始めた。
左右は木々が生い茂る森となり、しっとりとした湿度の高い空気が渦巻いている。年間を通して霧がよく発生するという霧の森は、標高が一千メートルを越えた証でもあるという。そして、魔獣が最も多く生息しているのも、この霧の森だというから、一行の緊張感はますます高くなる。
やがて、荷馬車が止まった。道の途中である。何事かと愛歌が顔を覗かせると、細い道を遮るように岩と倒木が転がっている。
「あら」
「申し訳ありません。愛歌様。すぐに何とかしますので」
と、青い顔で随行の役人が言う。
とはいえ、倒木はどうにかなるにしても、岩をどかすのは至難の業だろう。
「あなたたちで、これを片付けるのは大変よ。というか、たぶん、できないわ」
「しかし、引き返すにしても時間がかかります。何とか、通れるだけの幅を確保するくらいなら」
「いいえ、そうではないの。これ、幻でしょう? 変に触らない方がいいわ」
そう言った矢先、倒木を切ろうと鋸を幹に当てた役人の一人がひっくり返って昏倒した。
「ほら、ね。言ったでしょう。あれに触ると、眠っちゃうわ」
「ど、どういうことなのでしょうか。まさか、ノワールのヒロイン?」
「そう、なのかしら? どうなの?」
愛歌の問いかけは、動揺する役人ではなく、霧の向こうに投げかけられた。
「うーん、やっぱり君を相手にするとこの程度の魔術じゃあ、効果がないか。そこは、さすが根源接続者だということなのかな」
「久しぶりね、マーリン。ノワールに行った後、どこにも姿が見えないからどうしたのかと思っていたのだけど、もしかして、今はそっちにいるの?」
マーリンの涼やかな声は、霧の中で反響して彼女がどこにいるのか分からない。もとから掴み所のない幻術使いだ。彼女自身はこの場にいないということも考えられる。
「根無し草を標榜していたわたしも、今はノワールに根付いてしまってね。主義主張を変えたみたいで、気恥ずかしいけれど、何、居心地がいいものだからね」
「そうなの。意外だわ。あなた、そんな風に物を感じるタイプじゃないと思っていたわ」
「わたしもそうさ。それで、どうかな、根源の姫」
「どうって?」
「ここで引き返すというのも、選択肢の一つだということさ。君ならもう分かってると思うけど、ボクがこっちにいる以上、君たちとイステネブルの企みは全部丸見えだよ?」
「そうね。まさか、あなたがノワールに積極的に関わろうとするなんて想像していなかったわ。何があなたをそこまで変えたのかしら?」
「何だろうね。ふふ、君が大人しく投降してくれるのなら、教えてあげてもいいよ」
「それはできないわね。わたし、おじさまにお願いされている仕事があるの」
「じゃあ、しょうがない。君の性質は分かっているから、落胆はしないさ。だけど、他者の望みを叶えるだけの願望器のお仕事なんて、そろそろ卒業していいと思うけどね」
根源接続者である愛歌をして、マーリンとの魔術戦を勝利するのは至難だ。愛歌はおよそ万能と言える力を持つが、限度がないわけではない。例えば魔力量は平凡の域を出ないので、性質的に万能ではあるが燃料が足りないということは珍しくない。一方でマーリンは魔術の腕前もさることながら魔力量は極めて多い。肉体が人間ではないから、上限がそもそも違うのだろう。それでも、普段の愛歌ならばマーリンに負けるとは思わないだろうし、マーリンも愛歌との衝突を避けるだろう。
しかし、今回はマーリンは愛歌との対立を選んだ。彼女がそこまでしてノワールに入れ込むのは意外だったが、何よりも勝算があってのことだろう。やはり、愛歌の身体の不調は自然現象ではなく、ノワール側の恣意的な圧力ということで間違いなさそうだ。
「うわーーーー!」
と、悲鳴が上がる。
愛歌とマーリンの会話を固唾を呑んで見守っていた役人たちだ。倒木の幻が、いつの間にか消えていて、代わりに現れたのは身の丈二メートルを越える牛頭の魔物だった。こっちは幻ではない。幻の向こう側で、待機していたのだ。
「オオオオオオオオオオオ!!」
護衛の騎士が豪腕の一撃で跳ね飛ばされる。愛歌の強化魔術で身体能力を高めていたにも関わらず、彼の剣は魔物の表皮を傷付けることもできなかった。
「牛頭の怪物。ミノタウロス、いえ、牛頭天王がモチーフかしら」
怪物が身に纏っているのは古代中華風の鎧だ。ギリシャの怪物の名で呼ぶのは違和感がある。
ただの魔物ではなく、通常の生態系の外に位置する人工生物。使い魔の類だとすぐに分かった。
短い詠唱で構成した氷の礫で午頭天王を打つ。これでもライフル弾を上回る威力はあった。それが計二十発も叩き込まれたのだから、並みの使い魔は穴だらけになっているだろう。
「全然ダメね」
困ったことに、牛頭天王の鎧は愛歌の魔術をすべて弾き返してしまった。傷一つ付かないという異常な硬度。
「硬いというよりも何か……概念の守りのような、そもそもルールが違う?」
ならばと愛歌は午頭天王の足下を崩した。ひび割れた地面は即座に大穴となって、牛頭の怪物を飲み込んだ。愛歌の魔術が直接効果を上げないのなら、間接的に対応すればよいのだ。這い出てこないように、穴を土砂で埋め、さらに凍結処理を施す。
「さすがだね」
と、マーリンの声が響く。
「あなたの使い魔じゃなさそうね」
「もちろん。ボクはあんな筋骨隆々な使い魔は使わないよ。……でも、まあ、ノワールの入り口とはいえ、まだそこまで力を残しているのは驚きだよ」
「やっぱり、この結界みたいなのはノワールの技術なのね」
マーリンからの答えはない。
代わりに差し向けられたのは、小さな鬼のような姿をした使い魔だった。
左右の森からわらわらと湧いてきて、その数は十を超えた。荷馬車の馬がいよいよ恐怖して、立ち上がり、愛歌は溜まらず荷馬車から飛び降りた。
「鬼種」
「借り物ですまない。君を相手にするのに、ボクらの世界と同じルールで競える自信がなくてねえ」
「わたしたちとは違う世界の使い魔なのね」
「トークンというらしい。その中でも式鬼というタイプなんだそうだ。これは、その娘の式鬼にマスターの力を乗せた対ヒロイン用のトークンだよ」
式鬼は、悲鳴を上げる役人に躍りかかり、引きずり倒して森の中に引っ張っていく。それを阻止しようと、愛歌が放つのは風の刃だ。圧縮された風刃は、式鬼の首を直撃する。
「あら?」
大木は疎か、岩石すら両断する風刃だったのだが、式鬼の首を刎ねることはできなかった。直撃を食らった式鬼はバランスを崩したものの、踏みとどまり、愛歌を睨み付ける。
「さっきの牛頭天王と同じ守り」
咄嗟に愛歌は魔法陣を描いて守りを固めた。さらに、地面に魔力を流して精製した岩の槍で、式鬼を攻撃する。
「もう無駄さ。沙条愛歌。マスターの力が君にも通じる以上、勝ち目はない。大人しくしてくれれば、新しい世界を教えてあげるよ」
マーリンの毒のような声が耳に響く。
何かしらの魔術だ。
愛歌が他者の魔術に侵されるなど、あり得ないことだ。しかし、現実に愛歌の身体がマーリンの魔力に浸食されている。
魔術抵抗が軽々と突破される。魔法陣の輝きが失われ、膝を突いた愛歌に式鬼が襲いかかった。
「あッ……!」
引きずり倒された愛歌は、そのまま押さえつけられて縄を掛けられた。魔術が使えない愛歌は、人間の少女と変わらない。式鬼に力で勝てるはずがない。そして、そのまま式鬼たちは愛歌を抱えて霧深い森の中に去っていった。