異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
クロガネ大公国から東に進んだところにガラニア半島がある。半島というが、その正体は巨大な死火山だ。何億年も昔に大噴火し、巨大な独立峰となったのである。現在は、山塊の中腹が崩れて盆地となっていたり、人工的に削られて台地のようになっていたりと、長い歴史の中でその姿を変えてきた。
ガラニア半島を治めているのが、女王パトリシア・アマノヴィオラである。アマノヴィオラ家は、かつてはクロガネ大公国の将軍を代々務めた軍事貴族であった。
パトリシアの曾祖父がガラニア半島に軍を進めて、これを制圧し、そのまま領地として賜ったのがガラニア半島におけるアマノヴィオラ家の始まりだ。
帝国崩壊後、社会秩序は大きく混乱し、多くの貴族が領地を失い、同時に多くの貴族が新たな領地を実力で勝ち取っていった戦乱の流れに乗じて独立を画策。当時は強力なヒロインがいたこともあり、そのヒロインと謀ってクロガネ大公国から独立した。
父の代でクロガネ大公国に屈し、再びその傘下に治まったものの、長年のクロガネ大公の懐刀として君臨していたヒロインがこの世を去ったことで、状況が大きく変わった。
父の名跡を継いだのがまだ二十歳の王女と侮ったクロガネ大公国は、この動きに驚愕し激怒したものの、鎧の町の存在や南洋連合や周辺諸国の不穏な動きに国内の権力闘争が加わって、まったく対応することができなかった。
たったの半年で、クロガネ大公国に与する貴族や軍属を半島の外に駆逐してみせたのは、驚くべき手腕であったと言うべきだろう。
まさか、箱入りお嬢様であったパトリシアにそこまでの政治的センスがあるとは本国の人間はまったく想像もしていなかった。
金色の髪を潮風に靡かせて、パトリシアは、白亜のテラスで紅茶を嗜む。
独立運動に忙殺されて、一ヶ月もの間落ち着いて紅茶を味わうこともできていなかったが、最後の抵抗勢力が篭る砦を攻め落としたことで、ガラニア半島の覇権は確立された。
「予定よりも、ずいぶんと早く事が成りましたね」
パトリシアとともにお茶会を楽しんでいる銀髪の女が微笑みを投げかける。
「はい、先生のおかげです。父の無念、やっと晴らすことができました」
「まだ気を抜くには早いですよ。クロガネ大公国の軍事力は強大です。中核となるヒロインはいなくなりましたが、まだ一人欠けただけ。今後どうなるかは、不透明です。ですから、今のうちに国内を固めなければなりません」
「分かっています。ラ・フォリア先生は、心配性なんですから。こんな時だからこその治安維持。前々から挙がっていたデルタ砦の魔物については、すでに動いています」
「よいことです。わたくしたちの動きを快く思わない者は大勢います。つけいる隙は少ないに越したことはありませんからね」
内憂外患に苛まれ、瓦解していく国家は珍しくない。国内の多くがパトリシアの新体制を受け入れているのは、祖父の統治の実績と父の代のクロガネ大公国の干渉への不満によるもので、パトリシアの実績はまだまだ未知数だ。
実質的な独立を果たしたが、今後は独立国としての立場を維持しなければならない。
父がクロガネ大公国に平伏する裏で密かに祖父の時代の伝手を頼って引き入れたのが、ラ・フォリアだった。
ラ・フォリアはヒロイン生協の一員であり、元の世界では王女という立場。それも自ら軍を率い、政治工作を行うという政治家にして将軍であった。そんな彼女をパトリシアは二年間師事して帝王学を学んだ。敵と味方の見分け方や利用方法、民を味方に付ける言動、軍を味方に付ける言動、時に美しさすら武器として人を動かす技術を身につけた。
そうしてクロガネ大公国の予期せぬ混乱。まさに、自らが身につけた技術と知識を発揮する最大の好機であった。
どれだけ準備を重ねても、実行する勇気がなければ結果は出ない。
パトリシアは自らの判断で、この茨の道を進むと決めた。その判断をラ・フォリアは尊重し、ここにガラニア王国の誕生が正式に宣言された。
これがクロガネ大公国の混乱に乗じて独立した最初の国であった。
■
アデッサはガラニア王国の第三の都市だ。
ガラニア半島の中では内陸部に位置し、平均標高は二千七百メートルで、一年を通して気候の変化が少ないことから、貴族階級の避暑地としても人気である。
アデッサは今、二つの脅威に曝されている。
一つ目は、この地に所領を持っていたクロガネ大公派の貴族が軒並み失脚したこと。権力どころか土地の所有者すら空白となり、貴族向けの産業形態から今後の先行きに暗雲が立ちこめていたということ。
二つ目は、郊外の高台に位置するデルタ砦を占領した魔物の脅威である。
人食いの魔物は、前傾姿勢の二足歩行で、老若男女を問わずその豪腕で打ち殺し、頭から食べてしまうのだと恐れられていた。
デルタ砦を守っていたクロガネ大公国の騎士を魔物が皆殺しにしたのが半年程前だ。
パトリシアの独立運動にとっては、追い風であった。デルタ砦はクロガネ大公国に通じる道の一つを監視する要衝であり、そこを魔物が奪ったことで、事実上この道は封鎖されたも同然となった。クロガネ大公国側との流れが遮断されたことで、ガラニア王国内に残った残存勢力はさらに支援を求めることができずに衰退していった。
国内の反対勢力を駆逐した後は、もはやデルタ砦を放置する理由はなくなった。むしろ早々に処理しなければ、アデッサの民から不満が噴出し国内問題に発展しかねない。ここに来て、デルタ砦の優先順位は急上昇したのである。
とはいえ、強力な魔物を退治するためには多数の騎士を動員しなければならない。未だ独立宣言をしたばかりのガラニア王国の一地方にそこまでの兵力を割くのは難しかった。
そこで、ラ・フォリアの伝手を頼った。
ヒロイン生協は国家間の抗争には関わらないが、魔物退治ならば請け負ってくれる。
かくして、魔物を討伐するために派遣されたのは刀を差したヒロインであった。
「うーん、やはり不思議な感じですね」
と、馬車に揺られながら言うのは長い黒髪の美しい少女であった。年の頃は十代の後半から二十代の前半といったところだろうか。
一見して穏やかで、争いとは無縁そうな乙女である。
傍らに置いた刀というこの上ない凶器すらも彼女の手にあると、その血濡れた刃が家事の道具であるかのように見えてしまう。
顔立ちの違いや着物というこの地域では見られない衣装を身に纏っていることからも、彼女が異世界からやってくるヒロインであることは明白であった。
「不思議、とは? 何か気になることでもありましたか?」
馬車の反対側に座るもう一人のヒロインが首を傾げた。
こちらは全体的に色白であった。短めの髪も肌も瞳すらも色素が薄い。
桜色の着物にブーツという出で立ちは、実にハイカラな格好だ。黒髪の乙女、胡蝶カナエの目から見てもお洒落でいいところの女学生だと言われても納得できる。もっとも彼女の立ち振る舞いは歴戦の猛者そのもので、剣士としての卓越した力量は、剣を抜かずとも感じ取れた。
問いに対し、カナエは小さく微笑みを浮かべる。
「いえ、すみません。今日お会いしたばかりなのに、ぶしつけに見つめてしまいました」
「いいえ、気にしないでください。わたしも同郷の方に会うのは久しぶりで、嬉しかったですし。それで、不思議とは?」
再度、少女は尋ねる。
「ええと、そうですね。音に聞こえた新選組の一番隊組長が、女性だったというのが、意外というか」
カナエとともに魔物の討伐に当たる少女は、見た目こそカナエと同世代だが、その名前は超がつくほどの有名であった。
新選組一番隊組長沖田総司と言えば、剣の天才として名を馳せた人物だ。剣の道に生きたカナエがその名を知らないはずがなかった。
「え、ああ、そういうことですか。まあ、元の世界でも新選組の沖田総司は男として伝わっていましたから、その驚きは無理ありませんね。というか、あなたの世界の沖田総司も男だったんですね」
当の本人はカナエの視線も性別の話題も特に気にしていなかった。
ヒロインは様々な世界から現れる。その中には自分から見れば過去の偉人というべき者もいることがある。
ここにいるのはセイバーのサーヴァントとして召喚された沖田総司であった。
とはいえ、カナエと総司はそもそも世界が違う。カナエの世界にサーヴァントという概念はなく、総司の世界にもカナエの言う鬼はいなかった。同じ日本で、同じ歴史を歩んでいたはずなのに、まったく違う世界というのは面白い。
別世界出身のヒロインと話をするとき、それぞれの世界のことを話すのはヒロイン同士の交流の基本であった。
「それもありますけど、やはりわたしからすると幕末は五十年も前の話ですから。その時代に活躍した方をお話できるのは、世界は違いますけど、不思議な気分です」
「まー、そういうこともありますよ。わたしはサーヴァントなんで、時代の違いとかあまり気にならなくなりましたけどね。それにしても、幕末ですか」
あっけらかんとしていた総司の表情が僅かに曇る。
「あ、すみません。そんなつもりは……」
「いいんです。気にしないでください。時代も世界も違うんですから」
カナエにとっては、総司は歴史上の人物だ。江戸時代が終わり、明治すら過去のものとなった大正時代がカナエの暮らした時代の年号だ。総司が亡くなったのが、慶応四年というのだから、総司とカナエには半世紀もの隔たりがある。
総司からすれば昨日の出来事である幕末の動乱も、カナエからすれば教科書の中の出来事なのだ。
そして、カナエは総司が命を賭して守ろうとした江戸幕府を滅ぼした新政府が築いた時代を生きていた。同じ日本国民ではあっても、両者の間には歴史という残酷な大河が横たわっている。
「カナエさんの日本のことを教えてください。幕府が滅んだ後、日本がどうなったのか」
サーヴァントは通常、召喚される際に召喚先に馴染めるよう知識を追加で与えられる。現地の言葉であたり常識であったりと、その地で不便のないように世界が働きかける。ところが、この世界には日本もなければ、歴史からして別物だ。サーヴァントの召喚に世界が関わっているのかどうかも分からない。すべてのヒロインが会話に不自由がない程度に言語能力を付与されるという現象は確認されるものの、それ以外はまちまちだ。
総司には、サーヴァントの自覚がある一方で、日本の歴史までは総司には与えられていないのだった。
教えてくれと言われたカナエは少し戸惑った。
明治時代と江戸時代は単なる歴史上の区分以上の大きな違いがある。技術も考え方も政治体制もすべてががらりと変わった。その反映は江戸幕府の滅びを契機にしたものだ。総司にそれを語ってよいのだろうか。
「あくまでもわたしの世界の話ですけど」
と、予防線を張って、大まかな歴史の流れを総司に語った。
日清戦争や日露戦争での日本の華々しい勝利や第一次世界大戦という想像を絶する規模での大戦争の勃発。
華々しい中流階層の活躍の裏側で貧富の差が顕著になり、社会矛盾が肥大化していく混沌の時代であった。
そして、平安時代から日本の闇に生き、人を食らう鬼とその鬼を狩る鬼狩りの存在。おそらくはここが、総司の世界と異なる点の代表例であろう。
「ほうほう、鬼狩りですか。わたしの世界では、鬼は関ヶ原の頃にはほとんど姿を見なくなったと聞きますが」
「わたしの世界でも、鬼と出会う人はそう多くなかったでしょう。しかし、鬼が千年の長きにわたり、人々の安寧を脅かし続けていたのも事実ですし、鬼によって幸せを奪われた人がいるのも事実です」
鬼といっても総司の知る幻想種の一つである鬼種とはまた別物だろう。
総司のいた世界にも鬼はいた。生まれながらの真性の鬼もいたし、人間から鬼に変じた者もいた。そういった者たちは、多くは平安時代から室町時代にかけて人間と対立し、討伐され、生き残った者も戦国時代の終わりには姿を消したとされている。総司は生きていた頃に鬼を見たことはなかった。
「世界が違うと、同じ日本でも別物なんですね」
「そうみたいですね。そもそも、地形からして違う世界もあるようですし。このゴンドワナ大陸もそうですけれど」
カナエがこの地に来て、一年が経とうとしている。初めは戸惑ったものの、元の世界に帰る手立ても意味もないとなれば、この地でできることをするだけだ。そういう柔軟性はカナエの長所と言えるだろう。幸いなことに同じような立場のヒロインたちと合流もでき、仕事も得た。剣が役立つ世界でよかった。
太陽が傾き、空が橙色になってきたころ、馬車が止まった。
「お二人さん。この辺りで勘弁してください」
と、御者が言う。
この先は魔物が巣くうデルタ砦への一本道だ。魔物は夜に出る。近頃は人間が出歩かなくなったものだから、無防備な家畜が被害を受けているのだが、いつまでもこの場にいれば、当然、魔物の襲撃を受けるリスクが高まる。御者は金で雇われただけの地元民だ。総司とカナエを送り届けるというだけの仕事に、いつまでも命を賭けるわけにはいかない。
「大丈夫です。ありがとうございました」
「わたしたちのことは心配しないでください。ここまでで結構ですから」
カナエと総司は刀を差して馬車を降りた。
年頃の少女を危険と分かっている夜闇の中に置いていくことに一抹の罪悪感を覚えながら、御者は馬に鞭を入れる。
逃げ去っていく馬車を見送って、二人の剣士は目的地を見定める。
地形図は頭に叩き込んでいる。クライアントにとっては軍事機密だが、デルタ砦の奪還が最優先事項だ。
デルタ砦があるのは、小高い丘の上である。アデッサの市街地から西に十キロばかりの森の中で、クロガネ大公国に通じる道を見下ろす位置にある。
魔物が住み着いてから放置されているので、森に行き着く前から背の高い雑草が生い茂って見通しが悪くなっている。
「視界が悪いですね」
と、総司は言う。
雑草の丈は自分たちの胸の辺りで、それが密生している。
ざんざん、と総司が刀を振るって草を刈り道を作っているが、動きにくいことに変わりはない。それに、この藪の中に魔物が潜んでいるという可能性も否定できない。
恐怖はない。
暗闇だろうが、草藪の中だろうが関係なく、敵は斬り伏せるだけだ。
一瞬、総司の身体が前に傾く。
直後、月光を反射する刃の一閃が、雑草と飛びかかってきた何かを同時に斬り捨てた。
「一体ではないようです。気をつけてください」
「そのようですね」
斬り伏せられた魔物は、大型の狼だ。首を落とされているのに、身体が藻掻いているあたり、やはり生命力が通常の生物とは違う。
「狼退治を請け負った記憶はありませんが」
「仕方ありません。目的達成のための、必要経費みたいなものと考えましょう」
総司とカナエが踊るように刀を振るい、飛びかかってくる狼を斬り捨てる。牙も爪も、人間を容易く引きちぎり、血肉に変える凶悪な代物ではあるが、サーヴァントと鬼退治の専門家が相手では、とても役に立つものではなかった。
十分と掛からず二人は狼の群れを惨殺した。返り血すらも浴びることなく、周囲は斬り捨てられた狼の死体が積み上がった。
「準備運動にはなりましたかね」
「ふう、さすがは新選組の天才剣士ですね。すばらしい剣の腕前です」
噂に聞こえた天才剣士の卓越した剣術を間近で見る機会があろうとは。この大陸に召喚されてから、一番の収穫だったかもしれない。
「胡蝶さんは大丈夫ですか。息、辛そうですが」
「いえ、大丈夫ですよ。もう慣れました。さすがに標高が高いと花の呼吸も使いにくいのですが、これもいい修練になります」
鬼殺の剣士が体得する呼吸法は、大量の酸素を取り込んで身体能力を底上げする技術だ。当然、標高が高ければ高いほど大気中の酸素濃度は減る。呼吸法の効率は下がっていく一方だ。それでも、そういった極限環境にもすぐに適応できるのが「柱」だ。カナエの身体はあっという間にこの地に適した呼吸を見つけていた。
「では、いきますか」
一陣の風に身を包まれた総司は、一瞬で見るも鮮やかなだんだら羽織に袖を通した。
デルタ砦には魔術的な守りはまったく存在しない。規模も大きくはなく、城砦と聞いてイメージするような堅固な作りにはなっていない。
木板の壁と空堀で周囲を囲んだ屋敷という見た目である。小高い丘の上にあり、標高も高いところにあるので、それで十分だったのだろう。
ただ、それは普通の人間が相手であれば、ということでありサーヴァントにとっては、無防備もいいところだ。
霊体化をして内部を探った後、カナエを引き入れた総司は一息に魔物を二体、斬り捨てた。二メートルばかりの巨大な人型の怪物であった。筋肉の無骨さは、さながら熊のようであった。砦の中には血の臭いが充満しており、腐敗臭に吐き気がする。
倒れた魔物の血の臭いを嗅ぎつけたのか、わらわらと同じ姿をした魔物が姿を現した。
その数、実に七体。棍棒や鉈に近い形状の鉄塊、騎士から奪った剣で武装している。
「ここはわたしが」
と、カナエが呟く。
「花の呼吸弐ノ型・御影梅!」
魔物たちは、斬り捨てられる瞬間に舞い踊る花びらを幻視したことだろう。
刃が夜陰を斬り裂いて、魔物の首を断つ。
カナエの剣はすべてが首を狙った必殺。速度も重さも、この世界の騎士とは次元が違う。
七体の魔物を斬り伏せるのに、さほど時間は必要なかった。
「フウゥ……」
強烈な殺気を感じてカナエは身を翻す。屋敷から飛び出してきたのは、さらに図体の大きな魔物であった。間違いなく、噂の魔物は彼だろう。身の丈は五メートルはありそうだ。特殊能力を駆使する魔物であれば、身体の大きさだけで強さは測れないが、それでも大きいというのはそれだけ危険ということでもある。
武器は右手の金棒――――というには、あまりにも無骨に過ぎる。それはもはやただの鉄の塊で、魔物の握力で持ち手が握りつぶされて、柄のようになっているだけであった。魔物は、それを無造作に振り回す。
さすがに肉体面は人間であるカナエには、この力の猛威は見た目通りの脅威になる。仲間を殺されて怒るだけの知性はあると見えて、魔物はカナエに憎悪を向けて鉄塊を振り下ろす。
巨体の割に動きは俊敏。
それだけの筋力があるということだ。
それでも、カナエが戦ってきた鬼に比べればどうということはない。
筋力だけならば鬼に匹敵する。しかし、比較対象とする鬼は下弦にすら入れない程度の鬼である。当然、花柱を務めたカナエの目には、魔物の動きは酷く緩慢に見える。
力任せの金棒など、掠めることすらありえない。
まるで風に踊る花びらのように、軽々と魔物の金棒を掻い潜ってみせるカナエに魔物はさらに渾身の一撃を放とうと振りかぶる。
「隙あり」
魔物の金棒が、カナエを襲うことはなかった。
金棒は魔物の手から抜け落ちて、地面に音を立てて転がった。
動きを止めた魔物の喉から刃が生えていた。
霊体化で姿を消していた総司が、魔物の背後から喉を突いたのである。
カナエに集中していた魔物は、総司が姿を消したことにも、背中で実体化したことにも気づかなかった。
頑強な首の筋肉もサーヴァントの刃を防ぐことは不可能であった。総司の切っ先は過たず頸椎を貫き、気管を裂いて、魔物の喉笛を掻き切っていた。
無言のままに総司は魔物の首を刎ねる。
噴き上がった黒い噴水が、月光を汚した。
「卑怯だと思いますか?」
と、総司はカナエに尋ねた。
「いいえ。勝たなければならない戦いに卑怯も何もありません」
負ければ悲劇が続くだけというのなら、あらゆる手を尽くして勝利しなければならない。新選組も鬼殺隊も目的は違えど、敗北の許されない戦いに身を投じていた剣士である。一対一の決闘などに酔い痴れる余裕はないのである。
「でも、あなたは悲しそうですね」
「……人間と関わらなければ、命を落とすこともなかったでしょう。そう思うと少し」
魔物とはいえ、鬼とは違い生態系の内に含まれている生き物である。熊と同じだ。人里に下りてくれば、人を守るために討たなければならないが、そうでなければ積極的に命を奪う必要はない。
「優しいですね、胡蝶さんは」
刀についた血を拭い、総司は微笑んだ。
周囲に命の気配はない。
デルタ砦に巣くう魔という魔は、すべて斬り伏せられたのである。
■
「むむ、クリームパンとライチパイ、今日はどちらにするべきか」
難しい顔をして、総司がショーウィンドウを睨み付ける。
デルタ砦を攻め落としてから三日後の正午である。あの戦いの翌日には、デルタ砦に騎士たちが入り、清掃が行われた。
凄まじい死臭が漂うデルタ砦は、そのまま使うのは難しいとして一から建て直されることになったらしい。
成功報酬を受け取った総司は、自分へのご褒美に美味しいものを食べようとパン屋に足を運んだのである。
「沖田さん、ここにいたんですね」
「胡蝶さんですか。次の任務があると聞いていましたけど、まだ出発しなくて大丈夫なんですか?」
「これから出立です。その前にお礼を言わなければと思いまして」
「お礼」
「はい、一緒に戦っていただきましたから。ありがとうございました」
「やだなぁ、それだったらわたしのほうこそです。呼吸法とは、珍しいものを見せてもらいました」
生身でサーヴァントに肉薄する超人的身体能力。そこに至るまでにどれほどの血の滲む鍛錬を必要としただろうか。
同じ剣の道を生きた者として、カナエが身につけた技術には関心があった。
もしも、生前にこの技術と出会っていたのなら、間違いなく自分の戦術に取り入れていただろう。サーヴァントとなった今は、残念ながら新しい技術で我が身を高めるということは難しい。それに、沖田総司は肺を病んで死んだ。どの道、呼吸法を身につけるのは、不可能であろう。
「わたし、新選組の方がこんなに優しくて可愛らしい方だとは思いませんでした」
「まあ、基本むさ苦しい人ばかりでしたからね」
「それだけじゃないですよ」
カナエが生きた大正時代はまさに江戸時代の否定の上に成り立っている。
江戸幕府が結んだ不平等条約を撤廃にどれほどの歳月を要したのか。明治新政府になっていなければ、帝国主義に変遷した世界で独立を維持できたのか。
カナエの時代に新選組を好意的に描く娯楽作品は少ない。明治時代ほどではないものの、賊軍であった新選組の評価は芳しくない。そういった時代の教育を受けていたカナエは、新選組にあまりいい印象がなかったのだが、別の世界の出身とは言え、沖田総司本人と言葉を交わし、その人となりを知って、それまでの新選組への見方が変わった。
「今度はゆっくりお茶でもしましょう。それと、剣の稽古もつけていただきたいですし」
「いいですね。楽しみにしてます。任務、お気を付けて」
「はい。それでは、失礼します」
カナエは艶然とした仕草で頭を下げて、総司に別れを告げた。
同じ国に生まれた者同士がこの世界で巡り会うのは、珍しいことだ。だからこそ、少し寂しさも感じるが、それは再会したときの楽しみにとっておくものであろう。
総司は軽く手を振って、カナエと見送った。
幕間では本編にあまり関係ないヒロインの活躍を書く。
もちろん、酷い目に遭うパターンも書く。