異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
シオンの研究に付き合ったあと、立香はエプロンドレスに着替えて背筋を伸ばす。メイドの真似事も、長く続ければそれなりに板につく。もともと、働き者な性分で、世界を背負って戦い続ける過酷な世界にいたこともあって、下働きを苦もなくこなすことができるのだ。
魔術師と言えるほど魔術に熟達しているわけではない。いざとなればサーヴァントの擬似的な召喚を可能とするものの、それは平時に役に立つスキルというわけではない。働かざるもの食うべからずとまでは言わないが、働かないと落ち着かないので、メイドとして日々働けるのはむしろ好都合だった。
肉体労働もなんのその。
荷物運びから掃除まで積極的に引き受けるし人当たりもいいので、特段のトラブルもなく馴染んでいる。
小麦粉とジャガイモが入った麻袋を台車に乗せて倉庫に運び、それぞれの保存場所に置く。保存の魔術でコーティングされた保存庫の中には、日常的に消費される食材の他に、戦勝祝いとして贈られた高級な食材も保存されている。
ひんやりとした石造りの保管庫の中は足音がよく響く。火も電気も使わない魔力によって輝くランプの明かりは、太陽の下にいるかのように明瞭に保管庫内を照らしてくれる。
「はー、重」
立香は荷物運びを終えた立香は額の汗を拭った。
身体強化をきちんと使えていれば、これくらいの重量は大したことがないのだろう。しかし、生憎と礼装の補助がなければ立香は基礎の魔術もろくに使えない。時間を見つけて鍛錬しているが、彼女の世界の魔術は生まれで魔術の才能が決まってくる。一般家庭に生まれた立香では、どうしたところで魔術師を名乗るところまで鍛えるのは難しい。
立香が乗り越えてきた特異点は、多岐にわたり文明レベルは様々だった。このノワールの技術力は、決して彼女が生まれ育った平成の日本ほどではないものの、魔法を応用した技術もあり、生活が困難と言うほどにはならない。むしろ、この世界ではかなり恵まれているほうだろう。
「藤丸さん、もう終わった?」
愛らしい声が保存庫に響いた。
愛歌がいつの間にか傍に来ていた。メイド服を着た彼女の姿はどこか西洋人形のようにも見えて、完成しすぎて違和感を覚えるほどに可愛らしい。
「うん、こっちは終わったよ」
「あら、そう。ごめんなさい。もっと早く来ていればお手伝いすることできたのに」
「いいよいいよ、気にしないで。全然、大したことじゃなかったし」
体格的には立香のほうが恵まれている。
年が近く同じ国の出身だからこそ親近感と共に勝手にライバル意識を持ってしまう。魔術師としては天と地ほども実力差があるものの、立香は運動神経と根性では愛歌には負けないと自負している。
台車を押して立香と愛歌は保存庫を出た。
ノワール国内に、今のところ大きな波風は立っていない。
ヒロイン生協とノワール貴族の中にブリンクウォールと内通している者がいたという事案があったが、それもとりあえずは解決した。立香は直接問題に関わらなかったので、詳細を把握しているわけではないが、スパイ行為というのは、一般的には重罪に当たるのではないか。
「沙条さんのほうは、こっちの仕事してて大丈夫なの?」
「ええ、事務的なところはマーリンたちが対応しているし、わたしの出る幕じゃないの」
「マーリンかぁ、そういうのなんだかんだ得意そうだよね」
「最終的なつじつま合わせは得意そうよね。過程を面倒がって、他の人に押しつけたりはするでしょうけど」
散々なマーリン評だが、普段の彼女の行いが行いなので仕方がない。その仕事の結果には信頼が置けても、そこに至る過程については閉口せざるを得ないことも珍しくない。立香自身、余計な仕事をいつの間にか押しつけられていたことは一度や二度ではないのだ。
「やっぱり、藤丸さんって運動神経がよさそうね。力もあるし。今でも身体は鍛えているの?」
「ほどほどにね。昔取った杵柄っていうか。運動部だったし、特異点攻略もあったし、体力には自信があるよ」
「運動部? 学校の?」
「そうそう」
「ちなみに、何部?」
「わたしはバレー。沙条さんも日本なんだよね? 何か部活には入ってた?」
「わたしはそういうのはしてなかったわ。父が魔術に時間を費やすように言っていたのよ」
「あー、魔術師のお家だもんね。そういうの、わたしは分かんないなぁ」
立香の実家は誰に恥じることもない正真正銘の一般人家庭だ。魔術のまの字も知らない上にカルデアには拉致同然に連れてこられただけで本当に何も知らないまま人理焼却に巻き込まれてマスターになってしまったのである。
現代の魔術師との交流も多いわけではない。聞きかじった知識から考えるしかないのだが、魔術師の家庭の子女はとにかく英才教育を小さい頃から詰め込むらしい。
「バレーボールね。わたしは詳しくないのだけど、前回のオリンピックは残念だったみたいね」
「ああ、そうそう。もうちょっとだったんだけどね。女子バレーずっと低迷してたから、よくなっていくといいんだけどね」
「藤丸さんもそのメンバーに入ったり?」
「いやいや、わたしなんて全然だから。選抜に入るような力はありません」
もちろん、それは元の世界での話だ。ここにいる立香はその世界から大きく逸れてしまった。二度と、バレーボールをあの世界で楽しむことはないだろう。オリジナルの立香が無事に世界を取り戻すことを祈るばかりだ。
「うーん、でも体力に自信はあっても、やっぱり魔術の便利さには負けるんだよなー。身体強化とかあるし、礼装使っていると荷物運びが大分楽なんだよね」
「魔術師でも日常的に魔術を使うようなことはしないわよ」
「そうらしいね、便利なのに」
「わたしもそう思うわ。でも、大半の魔術師は便利だと思えるほど使いこなせているわけではないの。あなたの礼装だって、普通の魔術師では手に入らないくらい高度なものよ」
「やっぱり、そういうものなんだ」
「そもそも、神秘は秘匿するものだって言うし、便利な道具として使うのは魔術使いの考え方ね。学問と道具の違いかしら」
立香が使用する魔術礼装は、今はシオンが手入れをしており、開発はダ・ヴィンチやカルデアの技術スタッフが担った。関わっているメンバーも設備も、時計塔ですら舌を巻くトップクラスの代物なのだから、立香が思っている以上に費用対効果は悪いのだ。それが実現したのは、人理焼却という未曾有の災害に対処可能なマスターが立香しかおらず、全リソースを彼女のために費やすことができたからだろう。
そうでなくとも、魔術によって得られるメリットの大半は科学技術で代替可能となっているのが現代の魔術世界の実情だった。
「でもなぁ、やっぱり念話だっけ、テレパシーみたいなやつ。あれ使えるといいなって思うのよ。外で連絡取るだけならケータイもいらなくなるかもしれないじゃん」
もしも念話が誰もが使える時代になったら、スマホはネットがあるから連絡手段以外の点で優位だろうが、電話機としての機能は不要になる。
「ケータイ? それって携帯電話?」
「そう。なんか、こういう話するのも久しぶりな気がするなー。懐かしいなー」
「ずいぶんとマニアックなのね、携帯電話だなんて。そんなに実用性があるとは思えないけど……」
「あー、そっか携帯も古いんだ。今は大体スマホだもんね」
「スマホ……?」
「もしかして、知らない? 魔術師の家って、現代の技術を使いたがらないって話もあったし、そうなのかな?」
「どうかしら。わたし自身、詳しいとは言えないけれど」
「そっか。あれはあったら便利だよ。わたし、ガラケーから乗り換えた時に世界が変わったからね。もうガラケーには戻れないよ」
「……?」
小首を傾げる愛歌に立香は慄然とする。どうも愛歌はガラケーもスマホも知らないらしい。若者の必需品を超えて、日常生活でもこのどちらかを持たないで生活するのは不便な時代になりつつある。そうした中で存在も知らないというのはかなりの深窓の令嬢だ。俗世から切り離すのもここまでだとやり過ぎではないか。
スマホを知らないという愛歌にスマホの利便性を立香は語って聞かせた。
人理焼却後には何の役にも立たなくなったが、それ以前に日常生活では肌身離さず持ち歩いていたし、一日の大半はスマホを弄って過ごすようになっていた。
同年代の日本人という今となってはレアな仲間と共通の話題になると思ったのに、思いのほか魔術の世界は閉鎖的だった。
「ごめんさい、藤丸さん。やっぱり、わたしスマホというのはよく分からないわ」
「そっか」
「ええ、いろいろと便利なのだと思うけど、魔術回路で代替できそうだし」
「世の中の大半の人は魔術師じゃないんだって」
魔術師の中で科学技術が軽視される理由の一つが、魔術回路の万能性だ。魔術は理論的にはおよそあらゆる事象を実現できる。
魔術回路が優秀であればあるほど、その汎用性も多岐にわたる。人々が電話に求める機能など、魔術師は中世以前から自分の体内に有しているのだ。
もちろん、そういった機能を広く万民がいつでも使用できるということに価値を置くかというとそのようなこともない。魔術を極める上で必要不可欠な神秘は魔術を学ぶ者が増えれば増えるほどに減少するので、魔術師たちにとって学んだ英知を広めようという発想はありえないどころか禁止しているのである。
もっとも、愛歌にとっては魔術の理屈云々ではなく純粋に必要性を感じないというだけであろう。
生活する上での不便を感じるのは、この世界でマオと関係を持つまでなかったことだし、それすらも魔術でどうとでもなる。愛歌の考え方はどちらかというと魔術使いよりなので、魔術を便利に利用している。
「それにしてもスマホも知らないなんて、沙条さんの家ってよっぽどガチガチに科学技術を遠ざけてたんだね。パソコンもなかったりして」
「パソコンなんて、普通の家にもないんじゃないかしら? 日常的に使うようなものじゃないでしょう?」
「いやいや、スマホがなくてもパソコンは家でだらだら見てたよ。ネットにメールに必需品だったし」
「パソコンって娯楽性があったの? ごめんなさい。やっぱり機械はよく分からないわね。手持ちの連絡手段だと、ポケベルというのを学校の先生が使っているのを見たことがあるくらい」
「ポケベル? 聞いたことあるけど、見たことないんだよね。母さんが学生の頃に使ってたらしいけど……」
「お母さんが使っていたの? 学生の頃に?」
「うん。まあ、世代だったからね。めっちゃブームだったんだって」
「ポケベルなんて、最近出てきたばかりな気がするのだけど?」
「いや、ポケベルは90年代の象徴じゃん。それが最近って……」
はたと立香は気がついた。
愛歌が近い世界の同じ日本人だと知っていたものの、それぞれの世界の仔細を語り合うことは今でなかった。世界が違えば若干のずれはあるだろう。汎人類史と異聞帯ほどの違いではなくとも特異点程度の差異はあるのかもしれない。概ね辿った歴史は同じだというから、同じような話題が通じるだろうと勝手に思っていたのだが、それは立香と愛歌が同年代であることを前提にした話である。
年齢は近い。
だが、年代はどうかというと実は確認したことがなかった。
スマホも携帯電話も立香が当たり前に所持していたものを愛歌が知らないというのは、魔術師だからである程度は納得できるが、時代を象徴するポケベルへの認識の違いは大きな違和感に繋がった。
「沙条さんさ」
「なに?」
「沙条さんの元の世界って西暦あったよね?」
「ええ」
「覚えてる最後って何年だった?」
「1991年だったわね」
「あ、うん、なるほど」
立香は一人納得する。話が妙にかみ合わないわけだ。スマホはおろか携帯電話すら普及していない。パソコンも立香が生まれた頃ですら一般家庭には普及していなかったのだ。90年代前半ともなれば、役所にすらパソコンはほとんどなかっただろう。
「何かしら、なんだか妙に嫌な感じがするわ」
愛歌がいぶかしむように立香を見上げてくる。
「そう? いや、どう言ったらいいのかって、ちょっと考えてしまった感じで」
「ふぅん、だったら、立香は何年の人なの?」
「え、うーん、どう言ったらいいのかな。一応、2015年?」
「2015年?」
「うん、いや、91年って言ったら、確かポケベルの最初の頃だし、沙条さん、まさかの母さんと同年代だったんだなって……」
直後、立香の視界が暗転した。
「――――はッ」
立香の目の前には真っ白な天井があった。
消毒液の臭いが鼻につく。
医務室のベッドに立香はいた。
「え、あれ?」
「やっと起きたのね。ここまで運ぶのは、大変だったのよ」
「沙条さん?」
「おはよう、藤丸さん。といっても、もう夕方だけど」
「え、え?」
立香は視線を窓の外に向けると、確かに日が暮れている。オレンジ色の太陽の光が西の空から医務室に差し込んでいた。
「えー、何? わたし、また倒れた!?」
「危なかったのよ。魔術で固定しなかったら、頭を打っていたかも」
「う、ごめんね。ありがとう。なんか、前にもこんなことがあったよね」
「寝不足かしらね。レムレムするのは悪いとは言わないけど、お仕事中はよくないわ」
「ほんと、ごめんね。仕事は……」
「大丈夫。そこは心配しないで」
「ほんとすいません。この借りは必ず返します」
「気にしないでいいのよ。わたしも面白かったわ。ええ、そう、スマートフォン。わたしは手に取ったことがないけれど」
「あ、そんな話してたね」
「ええ、ノートパソコンとか、藤丸さん、わたしがそういうのに疎いって知ってて話を進めるものだからついていけなかったわ」
「ごめんね。つい、日本の話ができると思って舞い上がっちゃった。世界も近いし」
「いいのよ。わたしも面白い話が聞けてよかったわ。また教えてね、スマホのこととか色々と」
「え、うん」
立香は身体を起こした。
この世界に来てから急に倒れるのは二度目だ。愛歌には二度もその場を助けてもらったので頭が上がらない。以前のように夢の世界で特異点のように大立周りということはなく、夢を見ていたのかすら定かではない。もしかしたら、本当に疲れていて急に倒れているだけなのだろうか。
妙に喉が渇いている。まるでずっと話し続けていたかのように喉が枯れている。風邪でも引いたのだろうか。倒れたこともあるし、やはり体調が悪いようだ。
「調子が悪いのなら、今日はもう部屋に戻って休んだほうがいいわ。無理をしないといけないほど忙しいわけでもないのだから」
「そうだね。ありがとう」
立香は愛歌の提案に頷いた。
時間にも使命にも追われていない今の立香は、日常の仕事をきちんとこなしていれば休むことは簡単だ。そういう時間の使い方にまだ慣れていないのは過酷な生活を強制されていた名残であって、よくないことだとは思っている。意識して休まなければならないということも分かっているので、大事を取って、このまま部屋に戻ることにしたのだった。