異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
レイヨンから戻った静謐はマオに現地で見たことをすべて報告した。
盗賊団は壊滅し、人間ではないヒロインが神殿を住処としていたというのは、さほど報告に窮する内容ではない。
神殿をアジトにしていた盗賊たちの所業をどう認識していたのかは分からないが、彼らの命を奪うことに躊躇があった様子はなく、むしろ、その遺体から奪った首から髪を奪い、自らの武器にしていたことを考えると、人命を重んじる性質があるか疑わしい。
そのヒロインの素性は今は不明ながら、戦闘能力があることは確かだ。レイヨンは明確なノワールの領土とは言えないが、今となっては誰も領有権を主張しない見捨てられたサントルージュ地方の町だ。人を派遣できるのも、ノワールのみなので、どう扱っても問題にはならないし、する者もいない。
静謐が見たというヒロインについては情報は少なすぎるが、放置するのは危険だ。万が一、クロガネ大公国やブリンクウォールと繋がりがあれば、リスクに直結する。マオの力が絶対的に機能するヒロインだからといって油断する理由はないし、今はいいとしても将来の禍根になってもいけない。
白黒はっきりさせるというのは、とても重要だ。
件のヒロインが人間でないというのならばなおのこと。
人間に仇為す存在か、それともこちらのルールを理解し、従ってくれるのか。その違いは非常に大きい。ヒロインと言っても、人間と価値観を共有できない者も少なからずいる。そういう者は、魔獣も同然の脅威となって人間社会を脅かす。
マオが下したアテナはその類だったし、トラムとともに討伐したムートー・ゾンビは、生前から人間と言葉を交わすなどあり得ない獣だ。
ヒロインは文字通り千差万別だ。
種族からして一定ではないし、やってくる前の世界の常識もこの世界と共有されているわけではない。
結論としては、放っておく訳にはいかないとなった。
ヒロインという時点で、他の野生動物と同じ扱いは不可能だ。
誰かを派遣して、まずはその人となりを探るところから始める。
ノワールを害する可能性があれば、然るべき処置をすることも考慮し、派遣するヒロインの人選をすることにした。
実際のところ、マオはそこまでブラ・ダルジャン神殿のヒロインを警戒しているわけではない。今のノワールはヒロイン生協との太いパイプもあって、ヒロインの戦力は充実している。アテナを初めとするヒロインの中でも強大な力を持つものも手中に収めているので、早々、厳しい状況には陥らないだろう。
だが、それはマオだからこそであって、他の国民はそうではない。
今後、南方に居住地を広げていくに当たってレイヨンは重要な拠点だ。
そこに、正体不明のヒロインが居着くのは、決してよいことではない。
いずれにしても、対処しなければならない問題であったということだ。
「なるほど、あれがトラムさんを封印していたという神殿ですね。確かに、この辺りでは強い霊地のようですね」
高台からレイヨンを見下ろすのは、ジャンヌ・ダルク。ヒロイン生協から派遣されている特使であり、マオの夜のお相手の一人である。
ジャンヌの目には、ブラ・ダルジャン神殿の周囲に細く鋭利な髪が結界のように張り巡らされているのが見えていた。
髪に触れたコウモリが、両断されて地面に落ちる。
常人の目に映らない髪は、どうやらコウモリのエコロケーションでも認識できないようだ。一方で、狼にも似た姿の魔獣は、結界の中に入ろうとしていない。
「魔力」の有無が、髪の見える見えないを決めているのだと推測できる。
「いつまで、こんなところでぼけっとしてるのよ。いい加減、飽きたんですけど」
ジャンヌの背後でふてくされたように顔を歪ませているのはジャンヌ・オルタだ。銀色の髪を弄りながら、岩に腰掛けて足を組んでいる。
ここに到着してから、実に五時間が経とうとしている。
必要とあらば泥水を啜り、雌伏して待つこともやぶさかではないジャンヌ・オルタではあるが、よりにもよってジャンヌと合同任務というのは、彼女を苛立たせるには十分だった。
「あの神殿にいるヒロインの人となりがまだ掴めませんし、別に戦うのが前提の任務というわけではないのですから、もう少し身辺の情報が欲しいじゃないですか」
「そんなこと言って、眺めてるだけじゃないの。あんな髪の毛ばかりの結界なんて、わたしが行って、さっさと焼いてしまえば終わりよ」
「いきなり敵対行為と認定されかねないことは控えたほうがいいと思いますよ。友好的に解決できれば、それに越したことはないわけですからね」
好戦的なジャンヌ・オルタをジャンヌは諫めた。
現時点で分かっていることは少ない。
神殿にいるヒロインが必ずしもノワールに害意があるとは限らないのだ。放置するのは安全保障上問題があるが、争わずに友好関係を築けるのなら、それが最良だ。
とはいえ、まだ見ぬ神殿内のヒロインが、話し合いでよい関係性を築ける可能性は少ないとジャンヌは考えていた。
というのも、神殿の周囲に巡っている髪の毛の結界が、どう見ても人間の髪の毛で構成されているからだ。
ジャンヌはサーヴァントとしてのスキルに高ランクの「啓示」を持つ。目的達成のための最適解を選択する能力だが、このスキルが「神殿に乗り込んでいってヒロインを叩く」という選択肢を示しているのだ。
理屈は不明。
理性でもそれはどうかと思う。
その一方で、事実として、あのヒロインによる犠牲者が少なからず存在していることも無視できない。
その犠牲者たちが、盗賊団のような罪を犯した者だけとは言い切れない。
「ふぅん、何よ。あんたも結局戦う気満々じゃないの」
ジャンヌ・オルタがジャンヌの顔色を窺って言った。
「満々ではありません。繰り返しになりますが、戦わなくて済むならそれに越したことはありません」
「戦っても構わない状況ができたら、話は別ってことでしょ」
「そんなことありませんよ。必要に応じて柔軟に対応するんです」
髪の結界の内部に動きはない。
人ならざる者だから太陽光は苦手ということもあるのだろうか。人間ではない相手と対峙する際には、そういった性質も踏まえておく必要がある。
ジャンヌが慎重に偵察をしているのも、人外という要素を警戒しているからでもある。
「ところで、一つ聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「あんた、こんなところにいていいわけ?」
「どういうことです?」
「マスターの命令で動いていい立場なのかってことよ。一応、ヒロイン生協とかいうのから来てるんでしょ?」
ジャンヌはマオに堕とされて、そのサーヴァントとなったものの表向きの立場はヒロイン生協所属のままだ。彼女がノワールに来たのは、あくまでもブリンクウォールとの戦いに向けてノワールの協力を仰ぐためだ。ノワールの指揮下に入ることを是とするわけではない。密かにというのならばまだしも、こうも表だってマオの命を受けて首都を留守にするというのは、問題視されるのではないか。
そんな疑問を受けてジャンヌは「問題ありません」と答えた。
「ノワールに協力を要請する立場だからってこと?」
「それもあります。ですが、そもそも、これは無所属のヒロインへの対処です。ならば、ヒロイン生協が動くことに支障はありません。ヒロインがこの世界で生きていくために必要な啓発を行うことは、ヒロイン生協の仕事の一つですから」
「その啓発に戦うことも含まれてるってわけ?」
「含まれていませんが、必要な戦闘を行うことを妨げることもありません。ヒロイン生協というのは、ヒロインに関するあらゆる問題に顔を出す組織なのです」
ヒロイン生協の成り立ちは、その名の通りヒロイン同士の互助会だ。強大な力を持つヒロインがいる一方で、特別な能力を全く持たないヒロインも少なくない。そんな彼女たちが、着の身着のままでこの世界に放り出されれば、生きていくことも難しい。だからこそ、ヒロイン同士の助け合いが必要だった。この世界で生きていくための知識を共有し、時に権力者にヒロインの権利を認めさせる。そういう活動を千年以上も続けてきた。ヒロインの集団は、帝国の一組織として整理された後も力を有し、帝国崩壊後は独立した勢力として他の貴族たちから距離を取り、ヒロインの力を最大限に活かした活動を継続している。
その一つがヒロインとしての武力の行使だ。
ヒロインの力でなければ対処できない危険に対して、各地に赴いて対処する。それは、ヒロインの力の多くを管理するヒロイン生協ならではの活動と言えるだろうし、大なり小なり、そうしなければならないほどの問題を引き起こす者もまたヒロインなのだ。
野良ヒロインの中には法に従わない悪人もいれば、そもそも人間社会と相容れない魔物もいる。
ヒロインの権利を守るために、ヒロインが起こす問題に対処しなければならない。
つまり、ヒロイン生協の構成員は、その地の政権が許可をすれば「ヒロインが起こした問題に対処する」という名目で武力行使することが可能だと一般に認識されている。
今回の件も、マオがヒロイン生協に依頼したという形で処理されているため、対外的にも問題にはならない。
日が沈み、月が顔を出した。
地上に風はなく、雲はゆったりと流れて月光が疎らに朽ちた町並みに降り注ぐ。
髪の結界のせいか、それとも未だにトラムたちの戦いの影響が残っているのか、死んだように森は静かだ。
草木も眠るという言葉がしっくりくるというくらいには、物音のない夜だった。
「じゃあ、行きますか」
と、ジャンヌが言った。
「結局、何も得るものがなかったじゃないの」
「まあ、手続きみたいなものですよ。お待たせしたのは申し訳なかったですけど、相手の能力もまだ分かりませんし、気をつけていきましょう」
霊体化したジャンヌをジャンヌ・オルタが追う。
静謐からの情報で、この髪は霊体の侵入を妨げることがないと分かっていたからだ。
別の世界の聖杯大戦に参加したジャンヌであれば霊体化はできなかっただろうが、今は完全なサーヴァントである。よって、本来のサーヴァントの性能を正しく発揮できる。
髪の結界をすり抜けて、ジャンヌはブラ・ダルジャン神殿の正面で実体化した。
「ちょっと、なんでここで止まんのよ」
ジャンヌ・オルタも実体化して、ジャンヌに理由を問うた。
霊体化していれば、このまま扉もすり抜けて中に侵入できたし、敵に肉薄することもできたかもしれない。
問われたジャンヌは、旗を取り出した上で、
「もちろん、何はともあれ、話はしないといけませんから」
と答えた。
相手が明確に人命を貪る輩と断定できていれば不意打ちでジャンヌ・オルタの宝具を撃ち込むことも考えたが、一日粘っても特に情報を得ることができなかった。啓示スキルだけで、善悪を決めつけるのも、さすがに乱暴に過ぎる。マオの依頼で動くという体裁をとっている以上は、マオの評判を気にするべきでもあるのだ。
ましてや、相手はヒロインであり、端から殺害の意図はない相手なのだから。
ジャンヌは旗を掲げて、大きく息を吸い、
「たのもーう」
と、そう大声を上げた。
その声は、驚くほどよく通り、死んだように静かなレイヨンの町に木霊した。
「あんた、緊張感ないわね」
「そうですか?」
「大切なのは、わたしがここにいることを伝えることですよ。呼び鈴とかなさそうですし」
冗談ともつかない言葉を交わしているうちに、ジャンヌは空気の変化に顔を引き締める。
扉は開かなかった。
大地に映る人影が二つから三つに増える。
神殿の屋根の上に、黒髪の乙女が佇んでいた。
「なに、あんたら。どこから来たの?」
白く澄んだ肌を黒く露出の多い衣装が彩っている。
整った顔立ちは、美少女と言っても過言ではないだろう。衣服や顔立ちから、立香と同じ文化圏の出身のようにも見える。
「あの服、日本の忍者ってヤツみたいね」
「確かに、望月さんに通じるところがありますね」
ジャンヌたちは、共に共通の知人を思い浮かべる。アサシンのサーヴァント望月千代女の衣装に、目の前の彼女と似たような格好があった。
「ふぅん、あんたたち日ノ本のことを知ってるんだ」
「知識としては、ですが。わたしはジャンヌ・ダルク。そして、こちらは妹のジャンヌ・オルタです」
「似てると思ってたけど、姉妹なのね。あたしは逆髪の結羅」
「勝手に妹にするんじゃないわよ」というジャンヌ・オルタの抗議の声をジャンヌと結羅は無視する。会話の中で結羅の指が静かに動くのをジャンヌは見逃さず、旗を持つ手に力を込めた。
ジャンヌが旗を振り、ジャンヌ・オルタの周囲に黒炎が上がる。
焦げ臭い臭いが立ちこめて、地面に無数の亀裂が生じた。
「あたしの髪の檻に中にいきなり現れたから普通じゃないとは思ってたけど」
「サーヴァントに分類されるヒロインです。逢うのは初めてですか?」
「何それ。南蛮の妖怪かしら?」
「人ではないという観点ではその通りということですね。あなたも人ではないようですが」
「鬼と人間を一緒にするのはよくないわね。人間なんて、あたしに髪を捧げるだけの生き物なんだもの」
結羅の周囲に髑髏が浮上する。
彼女が首を跳ねて持ち帰ったものだ。
まだ生きているかのように美しい髪が残っている。
「人の首を刎ねて髪を集める。それが、あなたの異端としての形というわけですか」
「あたしは髪を司る妖怪だからね」
ジャンヌの目が鋭くなる。
結羅からは、濃厚な血の臭いがする。
人間を多く殺めてきたことの証左である。
人間の価値観で善悪を問うのであれば、間違いなく悪に分類されるものだ。
ジャンヌとは異なる世界からやって来たであろう彼女だが、人ではない鬼と自称し事実、その通りなのだろう。外見だけは人間だが、根本的に人間とは異なる出自を持つ存在だ。
「もういいんじゃない? 話し合いは無理でしょ」
しびれを切らしたのはジャンヌ・オルタだ。
明らかに人を殺めている上に、人間と同じルールに従う意識も感じない。前提として人間の枠組みに生きていないのだから、言葉を共有しているだけで価値観を共有できているわけではない。犬猫とは違う。人間以上の力を持つ、人間と同等の知性の持ち主が人間に従うことを良しとするかといえば否だろう。
「あら、あんたたち、話し合いに来たの?」
「ええ、だから、声をかけたのですよ。わたしはこの山の向こうにあるノワールという国の領主の命でここに来ました。あなたが、拠点とするその神殿は、彼にとっても大切な場所であり、あなた自身とも事を構えるつもりはありません」
「ここを明け渡して、あんたたちに従えば云々ってことかしらね」
「話が早くて助かります」
「答える必要ある?」
「言葉にしなくても結構ですよ。ここまで来れば、結果は見えていますから」
もはや問答は形式だけのものだ。
結羅は初めからジャンヌたちと話をするつもりはなかったし、ジャンヌもまた、結羅を交渉できる相手とは認識しなかった。
結論は単純で、お互いに力で押し通すしかない。
先に動いたのは、ジャンヌ・オルタだ。
卓越した瞬発力で、一瞬で結羅との距離を詰めた。剣を抜いて、横一文字に振り抜く。
ジャンヌ・オルタの剣閃は、結羅を捕らえることなく空を切った。するりと宙を舞った結羅に、ジャンヌ・オルタは炎を飛ばす。
人間が相手なら骨も残らず焼失する火炎放射を結羅は自在に中空で方向転換して躱す。縦横無尽に張り巡らせた髪の結界は、そのまま彼女の足場になるのだ。
「どこを狙っているのかしらね!」
さらに、足場は瞬時に攻撃手段に切り替わる。髪が束になってジャンヌ・オルタに襲いかかったのだ。無数の蛇のようにうねり、鎌首を擡げて飛びかかってくる髪束にジャンヌ・オルタは堪らず飛び退いた。
「逃がさないわよ!」
結羅の号令の下で、髪は瞬時に網となって広がった。ジャンヌ・オルタを絡め取る蜘蛛の巣のようであり、その刃物よりも鋭利な髪は、ギロチンにもなり得る。
「この蜘蛛女! うっとうしいのよ!」
ボン、と炎が噴き上がる。激しい高温が空気を膨張させて、四方に嵐のような突風を発生させ、結羅の蜘蛛の巣が焼き払われる。
ジャンヌ・オルタの火力は凄まじい。
噴き上がる炎は、結羅の髪を尽く燃やし尽くす。攻防一体の大火力攻撃は、結羅にとって相性最悪と言っても過言ではなかった。
ならばとジャンヌを結羅は狙う。
接近を意図して地面を蹴ったジャンヌの眼前に蜘蛛の巣状に髪の網を広げる。一本の髪が、魔獣すらも簡単に切り裂き、絶命に至らしめる必殺の刃だ。妖力を注ぎ、強化したことでその切断力は通常の三倍にも高めている。
「はあッ!」
そのまま突っ込めば自分の勢いで細切れになる。そういう攻撃であると理解した上で、ジャンヌは前進を選択した。
理屈など関係なく、そうするのが最善だと感じ取ったからだ。
網の中心に旗を突き刺し、勢いのままに引き裂く。
張り巡らされた髪が巻き込まれて、支点となっていた木々まで切り倒される。
さらに髪の結界を足場に跳躍したジャンヌは、目を見開く結羅に向けて旗を振り下ろす。
左の二の腕を強かに打たれた結羅は、軽々と跳ね飛ばされた。
結羅は髪の網をクッションにして地面に叩き付けられることなく、体勢を立て直す。
「やってくれたわね。人外っていうのなら、あんたたちも相当じゃない」
「初めに人ではないと言いましたよ?」
「それだけの力がありながら、人間に与する理由が分からないわ」
「あなたもノワールに来ればきっと分かりますよ。人間に与する必要はありませんが、ノワールの領主は違いますよ」
「ふん、あり得ないわねッ」
結羅の左腕は、二の腕の骨がジャンヌの一撃で折れていて、機能していない。だが右手は問題なく使用できる。
結羅は櫛を手に取り、髪糸を梳る。櫛を基点に、灼熱の炎が発生する。炎は髪糸を伝って燃え広がり、ジャンヌとジャンヌ・オルタに襲いかかった。
「鬼火髪の炎は、ただの炎じゃないわよ。骨も残さず、燃え尽きな!」
深紅の炎は蛇のようにうねりながらジャンヌとジャンヌ・オルタに牙を剥く。
炎に触れた瓦礫の山が真っ赤になったかと思えば、融けて形を失っていく。これほど短時間に岩石を融解させる炎だ。骨も残さずと結羅が叫んだとおりに、その熱量は実に三千度には達しているだろう。
その炎が手前のジャンヌを飲み込もうとした瞬間、不意に煌めいた金色の輝きに掻き消された。
残されたのは赤く融解した地面と焼けた土の臭い、そして旗を掲げるジャンヌだ。
「な……ッ」
ジャンヌ・オルタの黒炎で迎撃するというのなら、まだ理解できる。そうなると想定して攻撃手段を準備していた。だが、自分の持ちうる手段で最大の殺傷力を持つ鬼火髪が、ただ掻き消されるだけに終わるというのは想像の埒外だ。
僅かな思考の空白にジャンヌ・オルタが踏み込んだ。
結羅が腰に差した刀を抜くより早く、漆黒の刃が結羅の胸を刺し貫く。
「がッ……!」
「やっと掴まえたわよ、蜘蛛女!」
「この、離しなさいよ!」
「ええ、いいわよ」
ジャンヌ・オルタが拳を握る。
黒炎と共に、思い切り結羅を殴り飛ばした。
容赦のない一撃は、華奢な結羅の身体をピンボールのように弾き飛ばした。黒い炎に包まれた結羅は、そのまま廃屋の屋根を突き破って中に落ち、黒い炎が噴き上がる。
「あらら、さすがにやり過ぎちゃったかしら」
ジャンヌ・オルタは剣を鞘に戻して、その惨状を見る。
濛々と粉塵が上がり、黒い火の粉が舞い上がっている。千年もの年月を経ても辛うじて原形を留めていた廃屋は、ここに倒壊した。
「オルタ」
ジャンヌがジャンヌ・オルタに駆け寄る。
「何よ。別に、いいでしょ。不確定要素の排除が最優先なんだから」
「そうではなくて、気を緩めすぎです。ここは、まだ彼女のテリトリーなんですから」
ジャンヌが警告した直後、不意に浮かび上がる無数の髑髏が不気味に笑い、襲いかかってきた。
ジャンヌとジャンヌ・オルタは、旗と剣でそれぞれ打ち払う。火花が散り、二人は押し戻される。
髑髏を操る髪の強度は依然として高く維持されており、笑ったかに見えた髑髏は口から刀を生やしていた。
「やってくれたわね、南蛮妖怪。さすがに、こんなに痛めつけられたのは初めてよ」
粉塵の中から現れた結羅は、着の身着のままの美しい裸体を月明りの下に曝していた。白磁のような白い肌には傷一つなく、ジャンヌが折った腕も、ジャンヌ・オルタが刺し貫いた胸にも傷がない。
黒い装束は燃えてなくなっても、彼女の身体は炎に犯されることもなく純白のままだ。
「しぶといわね、あの女」
「もとより人ならざる魔性の女性ですから、不思議というほどでもないでしょう」
結羅の操る髪と髑髏の攻撃を捌きながら、二人は少しずつ後退する。
攻撃能力はこちらが上でも結羅の生命力の高さから決定打を与えられないのだ。
「今度はその旗のほうであたし刺してみる? もしかしたら、そっちは上手くいくかもしれないわよ?」
「そうですね。機会をいただけるのなら、試してみましょうか」
「当然、機会なんかあげないわ。女同士とはいえ、あたしの身体は初対面の相手に何度も触らせるほど安くないのよ」
結羅の攻撃密度が上がってくる。
並みのサーヴァントならば、既に首を刎ねられていてもおかしくはない。目に見える髪の後ろに不可視の髪を忍ばせるなど、罠を張っているのも、対処を難しくしている。
戦い慣れていると感じる。
おそらくは元の世界でも、相当の修羅場を経験しているに違いない。
「じゃあ、そろそろ死んで。あんたたちの髪は綺麗だから、あたしがしっかり手入れしてあげるからさ」
結羅の糸の結界がさらに高密度になる。それはまさしく檻であり、ジャンヌとジャンヌ・オルタの退路を完全に断っている。
妖力を込めた髪はサーヴァントの身体を傷付けるには十分な神秘がある上に、霊体対策もされている。
「逃げられないよ。あんたたちが幽霊の類だってことは分かってるんだ。あたしが特別に力を込めたこの髪は、霊体すらも絡め取り、切り裂くからね」
ジャンヌ・オルタの炎にも負けない強固な髪の檻。
結羅が二人の侵入者を始末するために、持ちうるリソースを振り絞って作り出した必殺の処刑場だ。
簡単に脱出することはできない。
「だったらこっちだって奥の手があるんだっての」
ジャンヌ・オルタの周囲が熱を持つ。黒々とした魔力が、大気を震わせる。
呪いを帯びた旗が、これまでにない強大な魔力を収斂していく。
宝具を知らない結羅ですら、背筋に怖気が走るほどの力の集束だ。
結羅の全力を賭して築き上げた髪の檻すらも焼却しかねない、暴力の嵐の予兆を感じて、結羅は処刑を早める。
ジャンヌ・オルタが宝具を解き放つ前に、二人の首を刎ねなければならない。
結羅が髪を操ろうとしたその時、突然、視界が大きく揺れた。
「は……?」
かと思えば、結羅は急に身体の力が抜けてへたり込んでしまった。
「な、に」
(身体が痺れる。何をされたの?)
視界がぼやける中で髪の檻が崩れていくのが見えた。それだけでなく、神殿内部の巣の本体も支えられない。球形の巣が解れて、音を立てて大量の髪が神殿の床に雪崩れ落ちた。
檻が力を失ったのを確認して、ジャンヌは肩の力を抜いた。
「これで、形勢逆転ですね」
「何をしたの?」
「わたしたちは何も。ただ、少し調べさせていただきました。あなたの不死身の理由」
「……まさか」
ジャンヌの傍らで空気が揺らいだ。
空間に投射されたかのような影が形を帯びて、滲み出るように出現したのは褐色の乙女だ。仮面を着けた表情の窺えない少女は、真っ赤に染められた髑髏を持っていた。
「これが、あなたの本体。より正確には、この髑髏の中にある櫛があなたの力の源なのでしょう。ギリシャのメレアグロスのように、この櫛がある限りあなたは不死身。逆に、この櫛を失えば、あなたは命も失ってしまう。それがあなたの不死身の正体ですね」
ジャンヌは直接髑髏を見て確信した。
彼女の肉体は仮初めのもので、本体は櫛だ。古い櫛から強力な念を感じる。鬼と言っていたが、彼女の本性は櫛が化けたもののようだ。
密かに同行していた静謐のハサンが、ジャンヌたちが結羅の気を引いている間に調査し、髑髏の奪取に成功したのだった。
「本体に与えた影響が、あなたの肉体にも作用する。試してみて正解でした」
静謐が髑髏を抱えながら囁いた。
「沙条愛歌の手を借りて、毒のバリエーションを増やしました。麻痺毒を使うのは初めてですが、櫛に使っても本体に影響するようでよかったです」
静謐は結羅の本体となる櫛にキスをする。
結羅にとっては魂に直接毒を注がれるに等しい行為だ。
「う、かはッ、あ、返し、な、さい、あ、は、ぁ……!」
瞬く間に全身が静謐の毒に浸される。
小さな櫛を毒まみれにするのは難しくない。結羅はあっという間に全身が麻痺して舌も動かせなくなった。視界がぼやけて意識すらも落ちていく。誰かが自分の手足を掴んだのを感じたものの、それがジャンヌなのかジャンヌ・オルタなのか、はたまた髑髏を奪った静謐のハサンなのか、それすらも分からなくなって、意識が暗い闇の中に落ちていった。