異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
大陸全土を統一し、二千年近くも続いた帝国が崩壊してから、各地で戦乱が続いている。長く生きる一部のヒロインを除いて、もう帝国時代を知る人間はいなくなった。数多の勢力が勃興しては消えていく戦乱の大陸において、西部地域は比較的平和な時代が長く続いていた。それはクロガネ大公国という強国の政治が安定し、周辺地域にも影響力を発揮して、戦乱の芽を摘んでいたからである。大国の力を抑止力として、西部地域は文化的にも成長し、多くの民が戦を知らずに生きることができた。
だが、その平和ももうすぐ終わりを迎えるかもしれない。
クロガネ大公国の力が急速に低下している。主力となるヒロインを失い、非常に評判の悪い新興勢力と結びついて、反乱の鎮圧に当たっているというのは、盟主の振る舞いとは言えない。
軍事力や資金力では、未だに他を圧倒するのは事実だが、かつてのような安心感は失われた。
国境近くの地方は治安が大きく乱れ、反乱に加担したとされれば容赦なく虐殺される。今まではあり得なかったことが起こるようになったことで、地方を中心に中央への不満を増加させることとなり、より大公国の求心力を低下させることとなっている。
クロガネ大公国は、絶対君主制に近い思想の国ではあり、軍事力で反体制派を黙らせるということも、珍しい対応ではないのだが、これまでは中央政府への信頼があったので反体制派が悪いと、周囲を納得させることができていた。だが、人心が離れていくと、むしろ反体制派への同情が勝るようになり、中央政府の強権的対応への反発が強まっていく。こうなると、国としては末期状態だ。特に封建制は諸侯が一定の軍事力を有する。一度、反乱の流れができあがれば、よほど強固な忠誠心を持つ諸侯でなければ、流れに乗って一気に反体制派に鞍替えするだろう。
ガラニア王国を初めとする独立派の元諸侯たちは、それを企図していた。
確かにクロガネ大公国は強い。
だが、脅威であったヒロインは沙条愛歌に敗北し、ホープ市を巡るノワールとの抗争で、後継者も多くの騎士も失ったことで、クロガネ大公国内部でも、それまで押さえ込まれていた多くの不平不満が噴出するようになった。
火を点ければ大火となる状況は揃っていた。ガラニア王国の独立宣言は、まさに、そうした燃料に火を点けるものだったはずだ。
想定外だったのは、思いのほか火の手が広がらなかったことだ。
独立を目指した勢力は多々あった。
ガラニア王国に続けと反体制派に身を投じた者たち。その中には、クロガネ大公国の重鎮が治める地域もあったのだが、そうした独立運動のムーブメントはブリンクウォールのヒロインを投入してでも鎮圧するという大公の果断な措置に水を差され、沈静化の方向に向かっている。
これまでのクロガネ大公国の政策とは一線を画す、徹底的な恐怖政治によって地方の反体制派は次々と息を潜めてしまった。
ブリンクウォールのヒロインを国内に引き入れてでも反体制派は叩き潰すという強いメッセージは、ヒロインという対抗戦力に乏しい勢力には猛毒だ。
初めから勝ち目がないので、臣従する以外に道がないのだ。
一度反抗的な態度を示しただけに、生き残るためには、今まで以上にクロガネ大公国に貢献するしかない。
都合のいいことに、戦は目の前にある。
忠節をアピールする上で、これほど分かりやすい舞台は他にない。
忠誠心からではなく保身から、元反体制派の諸侯は率先してノワールとの戦に参加を表明した。
右へ左へ流されるのは、小勢力の処世術であり、それを大公は熟知していたのであった。
■
クロガネ大公国とノワールの国境の村には、未だかつてない光景が広がっていた。
五十世帯に満たない小規模な村で、特筆する産業もない。行商以外で村を出入りする人間もほとんどなく、時間が止まったような日常が繰り返すだけだったところに、千を超える騎士たちが押し寄せたのだ。
これからノワールを攻撃せんとするクロガネ大公国の先鋒部隊である。
漆黒の騎士甲冑が、道を練り歩き、村民はその対応に追われて家畜の世話すらままならないほどに慌ただしい。
村役場を指揮所とした大公軍は、近隣の村々に同じように陣取った別の部隊と連絡を取りながら進軍の最終調整を行っている。
宿舎として使えるのは、村役場くらいのもので、その役場も大きめの一軒家といった程度だ。指揮官級が寝泊まりできるだけで、それ以外の者たちは野営を余儀なくされる――――ということもなく、村の外に広がる草原に、無数のテントが整然と立ち並び、さながら新たな集落とも思える景色を作り上げていた。
これもまたクロガネ大公国の力を示すものである。
兵の士気を保ち、大国としての力を誇示するために、末端の兵にすら屋根が与えられる。
テントは空間を操作するマジックアイテムの内部に収納され、普段はポケットに収まるサイズで携帯される。
魔法が文化と生活に馴染んだこの世界の一流の軍は、こうしたマジックアイテムを兵站にまで活用して軍の質を高めているのであった。
「こんなファンタジーな光景はさすがに見たことなかったわね……」
まるで遊牧民の大移動のような光景を少し離れたところから俯瞰しているのは、背の高い女だ。深い茶髪をサイドテールにした美女で、口元の黒子がトレードマークだ。
ノエル。それが彼女の名だ。以前の世界では吸血鬼を相手に戦ってきた「代行者」であり、それなりの修羅場を経験しているが、さすがに眼前に広がる光景は、彼女の世界では過去の遺物も同然のものだ。
戦争の形態が違いすぎて、ここまで来てもファンタジー映画の撮影でもしているのではないかとしか思えないほどだった。
「千年以上もタイムスリップした気分だわ。今更だけど……」
根本的に歴史も技術も違うので比較できないが、ノエルの感覚ではこの世界の文化水準は、自分の元の世界に比べると格段に低い。魔法が一般化している部分もあるので、そこはこちらが秀でているかもしれないが、社会制度も技術の汎用性も前時代的だ。中世ヨーロッパのような生活様式がベースの時点で、ノエルからすればため息ものだ。
だが、同時に世界そのものが違うというのは幸運だ。
訳あって元の世界では自由に生きられない立場にいたが、この世界にそういった縛りはない。映画もカフェもないので楽しみは万分の一以下だが、この世界には命の危険がない。代行者としての責務も聖堂教会もなく、元の世界で彼女を縛っていたあらゆるしがらみがないという点では、気楽に過ごせる。一方で、やはり彼女は普通の人間なので、衣食住がなければ満足に生きていくことはできない。結局、この世界に合わせた新たなしがらみの中で生きていくしかなく、これから戦に駆り出されるというのも、その流れから逃げられないからだった。
(わたしってば、どこまでも流されてばかりねえ)
ため息をつくと幸せが逃げると言うが、ため息の一つもつきたくなるのも仕方がない。
ノエルが所属するのは、クロガネ大公国の地方領主の軍だ。
ノエル自身、トップクラスのヒロインとガチンコ勝負ができるほどの戦闘能力はない。騎士以上ではあるが、一騎当千の猛者との戦闘についていくことはできない。この世界のヒロインには、それこそ彼女が愛し憎む上司と同等かそれ以上の力を持つものも少なくない。そんな化け物との戦闘になれば、一方的に蹂躙されるのがオチ、という程度の実力だったので、中央政府も彼女を優先的に確保することはせず、地方に任されるままになっていた。
運がなかったのは、彼女の所属した領主が一時反体制派に身を投じ、粛清を恐れて再び体制側に戻った小心者だったということだろう。
ノワール討伐で軍功を上げ、失点を取り戻そうと形振り構わず騎士とヒロインを戦場に送り出した。
ノエルは契約があるので、逃げ出すことができずにここまで来てしまった。衣食住を確保するために結んだ契約に拡大解釈の余地があったのが最悪だった。
異世界から伝わった魔法の技術を応用した契約は、ノエルの意思に関係なく履行を強要する。戦に参加しなければ、強烈な罰則が彼女を責め苛むだろう。
自由な生活はできるが、そんな契約があるのだから奴隷も同然だ。
日常生活に魔法を使った契約が普通に存在するのも、元の世界との違いと言えるだろうか。必要に迫られていたということもあるが、契約してしまったのは不用心だった、と今から後悔している。
「ノエルさん、こんなところで何をしているのですか?」
不意に声を掛けられたノエルは背後を振り返る。
箒に跨がり、ローブを着た、如何にも魔法使いという風貌である。
ショートカットの黒髪だが、顔立ちは西洋人に近いか。
ノエルとは異なる世界から来たヒロインの一人で、彼女は中央政府直属だ。
ベアトリクス・モンローという魔法使いで、クロガネ大公国最大の魔法学院の教師であり、魔法騎士団の教官を任されている。
クロガネ大公国は、西洋魔法を公式に採用している。
魔力があれば誰でも使用可能であり、マジックアイテムの作成難易度も低い。非常に汎用性の高い魔法体系だ。
ベアトリクスは、その西洋魔法の源流となる世界の出身だ。重宝されるのは当然であり、今の彼女の地位は上級貴族と同等の扱いだ。
地方領主の元で治安維持と称してパトロールをするだけの生活を送っていたノエルとは天地ほども差があるのだが、正直、羨ましいとはまったく思わなかった。
「珍しい眺めだと思って見てただけ。そういう教官さんはどうしたの?」
「部隊長との打ち合わせが終わったところです。天幕に戻ろうとしたら、あなたがいたので声を掛けましたが、ご迷惑でしたか?」
「いいえ、全然。どうせ、暇してるし」
「そうですか。それはよかったです。あと、わたしのことはビーでいいですよ。元の世界で、親しい人はそう呼んでくれていたのです」
「そう? じゃあ、ビーで。わたしも呼び捨てでいいわよ」
「では、ノエルと呼ばせていただきます」
「……言葉もそんな丁寧じゃなくても、立場はわたしのほうが下だし」
「性分です。たまたま今の地位にいますが、元の世界では代々とある家にお仕えする使用人の家系です。ですので、あまり、畏まられるのには慣れていないので、そのままでお願いします」
「へえ、意外。使用人の家系だったの。でも、元の世界のことは嫌そうじゃないのね」
「そうですね。使用人といいますが、お仕えしたお嬢様はとても大切な友人でもありました。想像されるような強制性のある関係でもなかったですよ」
ベアトリクスとかつての主人の関係は良好だったようだ。
主人と奴隷という関係ではなく、よき友人という関係性。
彼女の自己主張をあまりしない、大人しめの性格は、そうした環境で育まれたものだろう。
「いよいよ、明日、国境を越えますね」
ベアトリクスは、視線を西に向ける。
大地に横たわる山脈が、視界を遮っている。ノワールはこの向こうにある。
「偵察はどうなってるの?」
ノエルが尋ねるとベアトリクスは首を振った。
「使い魔は一体も戻ってきませんし、透視の類もやはり効果がありません。すぐにダメになるというわけではないのですが、ノワールの様子を窺うのは困難ですね」
「かなり強力な結界か何かがあるってわけね」
「正体不明です。少なくとも西洋魔法ではありません。ノエルに心当たりは?」
「ないわね」
「そうですか」
ベアトリクスに落胆の色はない。
もともと、ノワールの謎の結界は魔法学校でも議論されてきたもので、未だに解決の糸口すら見つからない謎の力場だ。
遠距離からの情報収集を許さない特別な結界が国家規模で張り巡らされていると推察はされているが、その秘密は明らかでない。
ノエルに心当たりがなかったとしても、それは仕方がないことだ。
「ビーは、戦争の経験はある?」
「戦争という定義に該当するかは微妙ですが、大規模な戦闘を経験したことはあります」
「あなたの世界も大変だったのね」
ベアトリクスの年齢は十代後半から二十代前半程度に見える。
彼女は種族としては人間だというから見た目の年齢と予想は大差ないだろう。となると、未成年で戦場を経験したということになる。
「そういうノエルは、戦争の経験は?」
「戦争はないけど、対人レベルでなら多少ね」
人間以上の化け物を相手にするための訓練を積み、実戦経験を重ねた。才能はなく、努力も苦手だが、生き残ることにかけてはそれなりのものだろう。実際、ノエルは代行者としての平均寿命を大きく超えて活動できていた。戦闘能力に秀でているというだけで、生き残れるほど甘い世界ではなかった。弱いが立ち回りが上手いノエルが、結果的に生き残るということは何度もあったのである。
「開戦が目の前だったいうのに、少しやつれてるんじゃない? 大丈夫?」
「……少し忙しくて、睡眠時間が取れていません。今日は、さすがに休ませてもらいますよ」
「ほどほどにね」
「ありがとうございます」
ノエルはベアトリクスと特別親しいわけではない。ここに来て初めて言葉を交わしたくらいだ。おそらくは自分よりも年下で、魔法の才能も軍事経験もある。だが、戦争を肯定するタイプではない。彼女もノエルと同じなのだろう。この世界に飛ばされて、右も左も分からないうちに立ち位置が決まってしまった類だ。
自分の意思で、自分の立場を堅守できるヒロインは多くない。よほど強大な力を持っているか、そもそも人間社会に馴染まない者以外は、大きな政治の流れに逆らえない。
例え魔法使いであっても、人間である以上社会から孤立して生きていくのは難しい。
この世界の人間はヒロインを強大な力を持つ者として尊崇し、恐れ、利用し、時に迫害する。
ノエルもベアトリクスも、個人で見れば強力な力があるが、それは社会を変革するほど超越的なものではなく、生きていくためには、その地域のしがらみを受忍しなければならない場面は多々あるのだった。
ベアトリクスは戦を肯定しない。
だが、戦場に送られる仲間や教え子を放置して、不戦を唱えることもできない。彼女にできるのは、できるかぎり犠牲を少なく、早期に戦を終わらせるよう尽力することだけだ。
望んで得た立場ではないだろうが、彼女のその責任を受け入れている。
すでにノワールとの戦は目前で、個々人がどのような葛藤を胸に秘めていようが関係なく事態は進む。ノエルもベアトリクスも抗うほどの力はなく、この時勢の身を任せる以外に道はないのだった。
☆
クロガネ大公国がノワールへ侵攻する準備を進めているとの情報は早期にマオに伝わった。あれだけの大国なので、その動きを完全に隠しきるのは不可能だ。まして、こちらにはマーリンも愛歌もいるし、ワルキューレたち高速飛行を可能とするヒロインもいる。ミコトを始めとする宮廷魔術師とマオの能力の重ね掛けで、外国からのヒロインの力をベースにした透視や使い魔による偵察は無効化されているとはいえ、人の交流を遮断してはいないので、物理的な情報漏洩までは防げない。もっとも、ノワールとクロガネ大公国を日常的に行き来するような酔狂な人間は多くない。スパイ活動をしようにも、かつて愛歌がそうしたように行商人に紛れて移動するくらいが関の山だろう。それでありながら、クロガネ大公国がいよいよ本気でノワールに攻め込んでくるようだといった噂は、民間に広く行き渡り、不安感を醸成していた。
腐っても大国。
基本的な国力は、圧倒的にクロガネ大公国が上だ。
異能が絡まない戦であれば、資金力が軍事力に直結し、それが勝敗を左右する。ノワールに勝ち目があるとすれば、地の利を活かした防衛戦に徹する籠城策だろう。
こちらにはアテナや愛歌といった超級のヒロインがいるので、本気でぶつかればノワールの勝率も低くはない。むしろ、高いと言えるのではないか。あえて戦い、泥沼化する理由がないのでノワールからクロガネ大公国に仕掛けなかったが、あちらが来るのならば迎え撃たなければならない。
マオは、クロガネ大公国に繋がる道の関所を固く閉ざして、出入りを禁止するとともに、各地の貴族たちに動員をかけて戦時体制を構築した。
総兵力は、クロガネ大公国には遠く及ばないが、地の利とヒロインの能力という絶大なアドバンテージがある。
クロガネ大公国がどれほど強大であっても、ノワールの領内では敵対ヒロインは力を失う。それだけで、敵の思惑は根底から崩壊することになるだろう。
悲観的になる必要はまったくない。
「いやー、いよいよ戦争ですか。まあ、そんな気はしてましたケドね」
珍しく工房から顔を出したシオンは、言葉の内容とは裏腹に何の懸念もなさそうな表情であっけらかんと言う。
状況を理解しているのか、単に楽観的なのか。
「それで、敵の動きとしてはどうなんです?」
「二方向から攻めてくるようだな。あっち側と繋がる陸路は多くない。軍道として使える道となるとさらに限られる」
そもそも行軍の様子を隠すことは不可能なので、迎え撃つのは難しくない。
古来、ノワールが小国ながら独立国としての立場を堅持できたのも、この地理的特性によるものが大きい。
クロガネ大公国の軍事力でも容易に攻め落とせず、犠牲を払って征服するに値するほどの価値もない。それが国際的なノワールの立ち位置だった。
「結界の強化もしているし、静謐が山に入って様子を窺っている。今のところは支障なしだ」
「それならよかった。アトラスの兵器の廉価版? の起動実験も兼ねて動かそうかとも思っていましたが、どうも調子が今一なもので」
「調子が今一の新兵器の実戦投入なんて認めないからな」
「ですよね。それくらいに切羽詰まっていれば最悪起動することも考えましたが、現状ではまだ余裕がありそうです」
「つまらなそうな顔だな」
「そんなことナイですよ」
シオンはそう嘯いてみせるが、どこまで本気なのか。
彼女は変わったところもあるが、基本的には善人の部類だ。命を弄ぶことはしない。が、同時に極端な技術者で、新しい技術を試したい、調べたいという欲求を抱いているのも事実だ。
クロガネ大公国との戦は差し迫った脅威ではあるが、まだ対処可能な段階である。シオンが開発しているという兵器を、調整不足のまま世に送り出すほど切迫していない。
すでに迎撃のための部隊を配置し、使い魔たちも山中に潜伏させている。
ノワールに攻め込まんとする不埒な輩を撃滅する準備をするだけの時間は確保できていた。
■
肌寒さに二の腕を擦る。
思わず身震いしてしまったのも、無理はない。
ノワールに向かう険しい山道は、谷間を通る道であっても標高一千メートルから二千メートルに達し、不慣れな者は場合によっては高山病を発症することもある。
道そのものも急傾斜が多く入り組んでいる。
大公軍が進む道は幅が狭く大軍を動員するには不適切なのだが、ノワールに向かう道は少なく、どうしたところで山越えを強いられる。これでは大軍の催す利がなく、すでに厳しい戦いが予想される。数で圧倒するにしても、簡単にはいかないだろう。
ノエルは、大公軍のローブを着込んで軍とは離れて道なき道を進んでいる。
ローブには防寒の他、簡易魔法障壁なる西洋魔法に由来する防御魔法が施されていて、剣で斬り付けられてもびくともしない防御能力があるらしい。ノエルの知識や技術で詳細を分析することはできないが、確かにローブに何らかの術式が織り込まれているのが分かる。ノエル風に言えば概念武装か魔術礼装といったところか。
「教会の秘蹟よりも簡単で強力……魔術――――魔法が普遍化した世界ってのはヤバいわね」
剣と魔法の世界はファンタジーの基本であり、そういう世界は得てして中世ヨーロッパ風に描かれるものだが、魔法が普及しているベアトリクスの出身世界はもっと先進的で、発展しているらしい。魔力を燃料にした航空戦艦すらあるというから、近未来的な世界とすら表現できる。
そんな世界の技術が基になっているので、ローブ一つでも軍用品としては画期的だ。
特にローブの袖は空間拡張魔法で収納能力が向上していて、武器も糧食も運ぶことができる。戦の要である兵站をローブだけである程度支えることができるというのだから驚きだ。
曲がりなりにも代行者としての訓練を積んだノエルは、千メートルや二千メートルの山道くらいは苦ではない。
眼下の山道を埋め尽くす大公軍の黒い甲冑は、さながら甲虫の群れのようだ。空にも「箒」を駆使する航空戦力が隊列を組んで飛んでいる。陸上部隊が甲虫の群れならば、こちらは雁の群れであろうか。いよいよ、ファンタジー映画じみてきて、これから戦が始まるという実感が湧かない。
ノエルはフードを被り、森の中に身を投じる。見通しの悪い鬱蒼とした木々が生い茂る山に分け入り、峠を目指す。
これだけ大規模な行軍をしている以上、ノワールも迎撃の準備を整えているのは間違いないし、ノワールにとっては険しい山道を抜けられるわけには行かないので、何としてでもここで食い止めようとするはずだ。
単純な兵力を計算すれば、正面から殴り合おうとは思うまい。
地の利を活かせる山岳部が主戦場となるのは、誰の目から見ても明らかだ。
だからこそ、ノエルは騎士団に同行せずに単独行動をしている。
代行者同士のチーム戦ならばまだしも、性質の違う魔法体系をベースにした軍隊の中にいても使い潰されるだけだろうし、何よりもノエルには主人から命じられた特命がある。
(ほんと、このままじゃいい捨て駒だわ。最悪しかない。せっかく教会からも自由になったっていうのに)
衣食住を得るために結んだ契約の行動制限が憎らしい。ノエルに不利なことしか記載のない契約で、反すれば全身を激痛が責め苛むという悪魔のような契約。
戦に巻き込まれて死ぬのはまっぴらだが、契約に違反しても死ぬ確率が高い。であれば、何とかほどほどに立ち回って、やり過ごす。
「ようやく七合目ってところかしら」
気温はかなり低下している。うっすらと靄が出ているが、これだけ高い山なのだから、珍しいことではない。
警戒すべきはこれが魔術の類による防御結界の効果だった場合だ。そうなると普通に歩いているだけで突破することはできず、下手をすれば延々と同じ場所を歩かされることになる。気をつけて進んでいるが、厄介なのはノエルの知らない異能がこの世界には溢れているということだ。
場合によっては、未知の術にかかっているということもあり得なくはない。
今のところ、敵影はなく、別に動いている大公軍の喊声も聞こえない。まだ、ノワール軍は出てきていないということなのだろうか。
ノエルは一旦足を止めて、岩陰に身を潜めた。
頑丈そうな岩に背中を預け、三方を警戒しながらローブから取り出したパンを口にする。
ローブの機能のおかげで、不味いが保存性のよい戦闘糧食の類はあまり発展していない。拡張性の高い空間圧縮技術で、いつも口にする食料がそのまま持ち運べるからだ。
パンを食べきると、ノエルは一枚の紙を広げる。
それは写真かと思うくらい精巧な似顔絵だった。
他者の記憶から引き出した情報を絵に落とし込む魔法による作品で、金髪碧眼の少女の顔が描かれている。
「沙条愛歌ね。日本人的な響きだけど、見た目は西洋系? 別の世界の子なら、何でもありか」
今、大公バーナードが最も危険視しているヒロインである。
クロガネ大公国凋落の原因ともされるヒロインで、ノワールに送り込まれた後で行方不明となっている。
詳細不明だが、ノワールにいるのではないかとされており、ノエルはその調査と暗殺を命じられているのだった。
「人間相手に暗殺って、代行者の仕事じゃないわ。はあ、どうしたもんかな」
契約があるが、気乗りはしない。吸血鬼が相手ならばまだしも、どう見繕っても年下の少女だ。ただ、実力は相当のものがあるらしい。ノエルの力が届く相手ならいいが、大公の懐刀だったヒロインが彼女に殺されたことで軍事力が低下したと見られ、反体制派が勢い付いたと言われるくらいなので、戦闘能力はかなりのものと推測できる。
ノエルの主は、この名の知れたヒロインの情報を集め、上手くいけば討ち取ることで、何とか大公の機嫌を取りたいと考えているようだ。
理屈は分かるが、ノエルに割り振る仕事ではない。
だが、残念なことに地方には強力なヒロインというのがいない。
ノエルくらいの実力でも、地方の騎士よりは十分に強いのだ。そのため、ヒロイン同士の戦闘に対する認識の基準がノエルの実力になってしまう。世の中には規格外の想像を絶する力を持つ化け物がいるのに、それを知らないから、ノエルに厄介なお鉢が回ってくるのだ。世間知らずもいい加減にしろと言いたい。
ぬかるむ山肌を踏みしめて、ノエルは進む。標高が上がって植生が変わってきた。樹木の感覚が開いて、歩きやすくなってくる。
森林限界も近いと思うが、そんな感じはしない。標高に反して巨木が多い。この辺りに生えている木の神秘は濃密で、半ば神秘よりになっているのではないか。霊地に生える木々なので、普通の木とは違う性質を持っているのかもしれない。
ノエルが直感的に身をかがめたのは、代行者として切り抜けた修羅場の数々から得た経験が光ったからだろうか。
風の流れで何かが頭上を通り抜けていくのを感じながら、確認する間もなく前方に転がり、体勢を立て直す。
「なん……」
そこにいたのは身の丈三メートルはあろうかという山羊頭の怪物だった。
バフォメットという単語が頭に過ぎる。
テンプル騎士団が崇拝したと伝わる山羊の頭を持つ異教の神。
目の前の怪物は、まさしくバフォメットというべき外見をしていた。
吼える魔物の手には、いつの間にか棒状の鉄塊が握られていた。
この豪腕と武器で殴られれば、普通の人間は一発で死ぬ。
「冗談じゃないわ、よッ」
明らかにノエルを敵視する魔物が横薙ぎに鉄塊を振るう。ノエルはすれすれでこれを避けると、巨木の枝に飛び乗った。
何の気配もなく急に現れた魔物は奇妙だ。今も音がしない。あるいは幻術かと思ったが、鉄塊は確かに地面を穿ち、岩を砕き、巨木を削り飛ばしている。
(さては、結界)
音を遮断する効果のある魔術に囚われてしまった可能性が高い。ノエル自身が発する音がそのままだが、魔物からは息づかいも足音も聞こえないし、魔物が破壊した物も、一切を音を立てていない。あの魔物に触れたものは、音を失うのだ。そのため、ノエルは僅かな空気の流れでしか魔物を察知できなかった。
巨体に似合わない速さで魔物はノエルを追ってくる。木々の上を行こうが、間を縫おうが関係ない。敏捷性もさることながら、追跡能力は人間離れしている。臭いなのか音なのか、それとも単に目がいいのか。魔物は、ノエルを補足して、逃がさない。
(ああ、しつこい!)
このままではノエルの体力が尽きるのも時間の問題だ。
このまま殴り殺されるのを待って逃げ回るというのも、ただ自分の首を絞めているだけだ。
相手は巨体で身体能力も高いが、吸血鬼に比べれば分かりやすい。ただ力が強いだけで技術があるようにも見えない。
彼我の距離は二メートルにまで迫ったとき、ノエルは巨木の幹を蹴って跳んだ。身体を捻って鉄塊を躱した上で、ローブの裾から愛用の斧槍を引き抜く。
手に馴染んだ一トンの凶器は、この世界の魔法技術を取り込んでさらに強力なマジックアイテムに昇華している。
勢い任せに首に刃を叩き込む。筋肉を抉り、骨を砕く音がする。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
咆哮を上げる魔物。
抉れた器官から空気が漏れる音がするのだが、気にした様子もない。赤黒い血が噴き出し、魔力の霧となって消えて行くというのに、まだ動こうとする。驚嘆すべき生命力だが、ノエルはここで驚いて動きを止めるほど柔な訓練を受けていない。
「とっととくたばれ!」
全力で刃の裏側に蹴りを入れる。
刃に仕込まれた風の魔法が起動して、爆発的に加速。屈強な魔物の首を、一気に斬り飛ばした。
さすがに首を失って生きているということはなく、魔物は崩れ落ちた。
ハルバードを慎重に構えつつ、様子を窺うと魔物は四肢の先から塵になっていく。
「この森の魔物というか、使い魔の類かしらね」
魔物でも死ねば急速に死体が劣化して塵になる種は存在する。彼女が毛嫌いする死徒も、そういった性質がある。
だが、こうして近く魔物の死体を観察すると、どうにも生き物として必要な器官が詰まっていないように見える。流れた血も魔力そのものだ。生き物として定着している魔獣の一種ではなく、ノワールが配置した防衛用の使い魔と考えるべきだろうか。
「ま、わたしも捨てたもんじゃないわね」
なかなか強力な使い魔だったわけだが、ノエルは見事にこれを撃破してみせた。
これは手柄といってもいい。
一般騎士では複数人でかかってようやく相手になるかといった怪物だ。
このような魔物が山の中に潜んでいるというのは、確かに危険だ。大公軍の騎士たちはノワールの騎士を警戒しているようだが、それだけを見ていると痛い目を見てしまうかもしれないが、それを伝える術は今のノエルにはない。
今回は乗り切ったが、いつまた襲撃があるか分からない。
ノエルはハルバードを手にしたまま、再び山道と格闘し始めたのだった。
ノエル先生の活躍はおしまい!
ベアトリクスはネギま原作よりも少し成長しているイメージ。マイナーキャラだけど、ネギま世界の魔法を勉強していて伝導できそうなちょうどいい立ち位置だったので採用した。