異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
燦々と輝く太陽の下を立香はマシュと一緒に歩いている。
マオの手練手管に誑かされて、彼の手に落ちた二人の首には、黒いチョーカーが装着されている。何でも、ノワール管理下にあるヒロインであることを証明する措置であるとのこと。男の所有欲を満たすための行為でもあるだろう。常ならばドン引きしたところだろうが、今の立香もマシュもマオに心身共に屈服している。むしろ首輪を付けられることに被虐的な喜びすら見いだしてしまうくらいだった。
とにかく、そのようにして身分を保証された二人は、この世界の基本を学んだ上で外出もできるようになった。
ずっと旅をしてきた立香にとっては、目的地がなく一カ所に留まるというのはあまりないことで落ち着かない。
そんな風に頑張らなくてもいいのだと理解しているのに、三つ子の魂百までというのか、何かしていないとそわそわする。
「あー、いい天気!」
ぐぐっと背伸びをする立香。
爽やかな日差しは、ずっと地下で過ごしてきた立香には驚くほど新鮮だった。さわさわと街中を流れる風には、潮の匂いが混じる。海に面し、全体的になだらかな丘陵に形成された区画は、大海原を望む一等地だ。
「やっぱりお日様の下を歩けるのはいいですね、先輩」
「うん、うん、そうだね。しかも、海がこんなに近い。やっぱり、西洋って感じの町並みだね」
「そうですね。あそこに見えるクロワッサン港が、ノワールの海運の中心地のようです」
「美味しそうな名前」
「もともとフランス語の三日月から取られた名前ですから。ほら、海岸線が弧を描いていて、三日月みたいじゃないですか」
「それで、クロワッサン港なんだね」
「昔、ここで戦ったヒロインさんの能力で開いた大穴に、海水が流れ込んでできた入り江らしいです」
「対城宝具でも使ったのかな?」
サーヴァントが振るう最高峰の宝具であれば、大地に大穴を穿つことも不可能ではないだろう。そうした場面を立香は何度も目にしてきた。核兵器もかくやとばかりの大破壊。それを個人規模で振るうことができるのが最上級のサーヴァントたちだ。
目の前に広がる入り江。今は、きちんと整備され、港として機能するそれを形成したのが、自分と同じようにこの世界に現れた誰かだということを知っても、立香は驚きこそすれどもすぐに納得できた。
「というか、なんでフランス語なんだろ。わたしたちが普通に会話できてるのも何でだろうね」
「わたしたちの言語も、この世界の言語に自動翻訳されているのでしょうか。不思議と読み書きもできますし……フランス語由来の地名は、昔、ノワールで暮らしたヒロインの出身地だったからと聞きました」
「わたしたちと同じ世界の人が、ここにいたってことか。サーヴァントかな。ジャンヌとかマリーとか」
「そうかもしれませんね」
立香はフランス出身のサーヴァントの顔を思い浮かべる。
この世界にもサーヴァントの認識はある。
かつて、そして今も、サーヴァントのヒロインがいるのである。様々な異世界からやってくる――――厳密にはやってくるわけではないが――――ヒロインたちの中には立香と同一の世界を背景に持つ者もいるということだ。
もしかしたら、今後、そういうヒロインに会うこともあるかもしれない。
「けっこう賑わってるね」
「この辺りは、所謂メインストリートというところになるんでしょうか」
坂道を下って海岸に出た。道路は石畳になっていて、港では多くの商船が積み荷を下ろしている。船の多くは帆船で、この世界の船の動力はもっぱら風か人力に頼っているようだ。
「この町って、天然の要害なんだよね。確か」
「そうですね」
「観光とかする時代じゃないっぽいのに、お店はけっこうあるみたいだね」
「確かに、海運業を中心にした商業都市なんですね」
通常、天然の要害と呼ばれるような地形は、その防御能力に見合うだけの不便さがある。敵軍の進行を阻む山々はそのまま商業の妨げとなる。人の行き来が阻害されれば、経済の発展は難しく、人口の増加も見込めない。
しかし、良港を有するノワールは、海運業を手広く行うことで富を得ている。陸路が整備されていない時代だ。一度に大量の荷物を輸送できる海運は、大きな収入源となる。
ノワールの首都にある三日月型にくりぬかれた海岸のおかげで、悪天候に強い。強大なエネルギーによって球形に海底が抉れているため、水深が深く、岩礁もない。大きな船も寄港できる良港なのだ。
ノワールは工芸品の町でもある。
国土の多くが山間部なので、農業には不向きだ。海運を利用した工芸品と石材の商取引で経済が成り立っている。
海沿いに、ずらっと工芸品の店が並んでいるのも、そうした地域柄によるものだろう。各国からやって来た商人たちが、活発に取引を行っているところを見ると、とても緊迫した情勢下にあるとは思えなかった。
山がちの国土だと、人は局所的に集中する。当然ながら首都は国内最大の人口密集地であり、その分だけ多様な店が建ち並ぶ。交易品だけでなく、日用品や食料品の店も海沿いの通りを中心に集まっているのだ。
「とりあえず、マシュ」
「はい」
「美味しそうなの、食べよう。海の町の料理に外れなし、だよ」
「経験上ですか?」
「うん」
「そうですね。どこからいきますか?」
「適当に、じゃあ、あそこ」
立香が指さすのは、新鮮な魚の串焼きを提供する浜焼き店だ。内陸では珍しい新鮮な魚料理も、ここでは一般の人たちでも安く買うことができる。
軍資金はある。
立香もマシュもマオ直属の家臣として、給金が支給されているからだ。ヒロインというだけで、様々な優遇の対象になるという。よほどのことがなければ、この国で生活に困ることはないだろう。
「どうしようマシュ。全然、見たことない魚ばっかり」
「わたしもです。世界の違いを実感しますね」
串に刺さった魚は大ぶりのものが多い。青や赤ならばありそうな色だが、中には黄色や緑、紫などカラフルな色彩の魚もいる。それが、串に刺さって美味しそうな匂いをまき散らしている。
「おじさん、ここのおすすめなんですか?」
と、立香は店主らしき男に尋ねた。
「おすすめかい? ……て、あんたたち、領主様んとこに来たっていう、新しいヒロインさんか?」
「え、はい。なんか、そんな風に言われてます」
「ああ、驚いた。いえ、来てもらえて光栄です」
恐縮したような受け答えの店主に、立香のほうが慌てる。
「あの、わたしたちこっちに来たばかりで、この街のこともよく分からないですし、そんな大層なものじゃないので」
「そうかい?」
「はい。本当に普通でいいので」
「そりゃ、助かる。畏まるのは苦手でな。ヒロインの皆さんはそう言うんだが、この町の連中は、ガキの頃からヒロインは特別なんだってすり込まれてるもんだから、ビビっちまうのさ」
がらりと話し方を変える店主。
明朗快活といった風の口調が素の彼なのだろう。
「でだ、ああ、おすすめはこのイソクジラ。ヴォワ・ラクテで水揚げされた今が旬の魚だ。栄養満点、脂が乗ってて美味いぞ」
イソクジラは、大ぶりなカサゴのような外見の魚だった。色合いはグレーに近い。これ一匹でお腹いっぱいになりそうだ。
「じゃあ、これ、二尾もらいます」
「毎度」
串に刺さったイソクジラを、もう一度網に乗せて暖める。
「そういえば、あっちにある焼き菓子屋にはもう行ったかい?」
「いいえ、まだです。何かあるんですか?」
「去年来たヒロインさんがやってる店なんだ。もう会ってるかもと思ったが、まだだったんだな」
「それって、ミコトさん? でも、お店って聞いたことないな……」
ミコトは、ハルカとともにマオを支える古参のヒロインだ。彼女は裏方で仕事をしていることが多く、立香たちはまだ顔を合わせたことがない。
「ミコト様とは違う。あの方はあまり外出されないようだしな。あそこの店をやってるのはあおいちゃんだよ。働き者のいい娘でな。もしも面識がまだないっていうのなら、話を聞いても損はないんじゃないか?」
「あおいさん?」
名前の響きからすると、日本人のようだ。ハルカもミコトも日本風の名前だ。ハルカに至っては、立香とは異なる世界の日本からやって来たのだという。
もしかしたら、あおいというヒロインも、日本と縁のあるヒロインなのかもしれない。
焼き上がったイソクジラを受け取って、立香とマシュは店を後にした。
購入したイソクジラは、ずっしりと重い。肉厚のサバくらいの大きさだ。肉質はしっかりとしていて、確かに魚というよりクジラに近い感じがする。泳ぐのではなく、浅い海の底や波打ち際を発達した胸びれで歩いて生活するという生態なので、筋肉質なのだ。あっさりとした塩焼きだが、これだけで十分過ぎるほどのうまみが凝縮されている。
「うん、美味い」
「まだまだお魚はたくさんありましたし、またお腹が空いたら行ってみますか?」
「そうだね。ただ、食べ過ぎると横に広がっちゃいそうで」
「わたしは先輩が横に大きくなっても大丈夫ですよ」
「全然、大丈夫じゃないからね?」
中世風の世界観の割に、公衆衛生には力を入れているらしいノワールには、ゴミ箱が道沿いに点在している。これは、ハルカが持ち込んだ「常識」による対応だそうだ。それ以前は、ゴミを路上に投げ捨てるのも珍しくなかったのだとか。
立香とマシュは食べ終えた後の串をゴミ箱に押し込んでから、先ほどの店主が教えてくれた焼き菓子の店に行ってみることにした。
「混んでるね」
「そうですね」
店は、海岸の通りから一本内側に入ったところにあった。客層は若い女性が多い。というか、ほとんどが女性客だ。
「いらっしゃいませー」
と、元気な声が聞こえる。
出てきたのはエプロンを着けた女だった。明るい髪を肩口で切りそろえていて、顔立ちは立香よりも少し年上に見える。そして、首にはマオのヒロインであることを示す黒いチョーカーがあった。女のほうも、立香とマシュの首に同じタイプのチョーカーがついていることに気づいたようだ。
「新しくマオさんが引き取ったって言う、ヒロインさんですか?」
と、女が声を潜めて尋ねてくる。
「はい。わたしは藤丸立香、そしてこっちが……」
「マシュ・キリエライトです」
「ここに、わたしたちと同じように異世界から来た人がいるって聞いて、ええと、あおいさんですか?」
「うん、そうです。宮森あおいって言います。よろしくね。あ、ちょっと、話していく?」
あおいの好意で、立香たちは店の裏に入れてもらった。そこは倉庫として使っている部屋で、菓子の材料が詰まった袋がいくつも保管してあった。
「はいこれ、よかったら食べて。うちのドーナツ」
「ドーナツ!? うわ、美味しそう」
「いいんですか、もらってしまって」
あおいが持ってきた皿に乗っていたのは、日本でも大人気のドーナツだった。チョコをコーティングしたものもあるし、黒蜜をかけたものもある。
「どうぞ食べて。せっかく、同郷出身者に会えたんだし」
「やっぱり、あおいさんは日本の人なんですね」
「うん。わたし、東京に住んでたんだ」
「東京、いいなぁ。わたしも、大学行くんなら、東京もアリだったんですよね。大都会。憧れます」
「立香さんは高校生なんだ」
「あー、まあ、元ですけど。たぶん、あおいさんとは違う世界の日本なんでしょうね」
「やっぱり、そうなんだね。ハルカさんも、そうだったみたいだし。立香さんは、魔法とか使える人?」
「ちょっとだけ。わたし、素人同然なんで」
「あ、でも、そういうのがある世界の人なんだね」
「あおいさんは、魔術とかそういうのは」
「わたしの世界は多分そういうのなかったんじゃないかな。わたしが知らなかっただけかもだけど」
「じゃあ、本当に一般の人ってことなんですね」
「そうなの。ここに来る前は、アニメ会社で制作進行っていうのをやってたんだけど。こっちだと全然、テレビもないからね」
お互い、世界は違うが日本出身ということで話が盛り上がった。あおいは立香の世界の窮状と立香の戦いの日々を聞いて絶句し、立香はあおいから東京での生活の実際を聞いて思いを巡らせた。
立香は地方都市の高校生だった。まだ受験生というわけでもなかったので、卒業後の進路は漠然としていて、東京への憧れがあった。もう二度と東京のことを聞くことはないだろうと思っていただけに、感極まるところがあった。
「じゃあ、あおいさんも寮で暮らしてるんですね」
「うん。まあ、ここ二、三日はこっちに寝泊まりしてるんだけどね。仕込みが立て込んでて」
寮というのは、立香たちが宛がわれた住居だ。マオの身の回りの世話をする仕事をするものが入居する集合住宅である。その中でもマオの邸宅とほぼ隣接する近親者向けの屋敷の一室を立香とマシュ、シオンにそれぞれ宛がっている。ハルカとミコトも、同じ寮で生活している。
「でも、どうしてお店なんですか?」
「いや、わたしドーナツが大好きで、こっちでも食べてみたいなって思ったんだよね。それで、試しに作ってみたら、マオさんが店を構えてみたらっていろいろと工面してくれて」
「へえ……じゃあ、お店のオーナーは実質マオさん?」
「そう。わたしはあくまでもマオさんがパトロン? になってくれないと、どうにもならないからね。魔法とか超能力とかないから、正直、余所だとどうなるか……」
あおいはため息をつく。
立香はたまたま魔術師の卵になったが、それ以前はあおいと同じく神秘の存在すら知らなかった。そんな状態で、この世界に投げ出されたら、どうなるか。
「よく、ご無事でしたね」
と、マシュが呟く。
「偶然だよ。わたしは、気づいたら森にいたんだけどね。もう訳分かんなくて、震えてたところをハルカさんに見つけてもらったんだ。それが、だいたい一年くらい前。よくここまでやってこれたなって、正直思ってるんだよね」
能力のない人間が、何の準備もないままにこの中世以前の魔物がひしめく大地に投げ出されると考えると、恐ろしい。
あおいはたまたま助けてもらえたが、そうでないヒロインも少なくないだろう。もしかしたら、人知れず命を落としているヒロインもかなりいるのではないだろうか。
「二人とも、可愛いんだし気をつけてね。まあ、二人ともわたしよりは全然、強いと思うけど、ヒロインってだけで、危ないこともあるらしいから」
「ヒロインは、各国で重宝されるって聞いたんですけど、そうじゃないんですか?」
立香が聞いたところだと、この世界にやってくるヒロインは、異世界の知識や戦闘能力を持ち込んでくれるので、ヒロインが所属する国は国力を高めることができるようになる。だから、今、各国はヒロインを迎え入れて、地力を付けようとしているのだと聞いた。
それに、先ほどの浜焼きの店で聞いたように、ヒロインの存在は建国神話にも関わっていて、この世界の住人は、幼少期からヒロインが如何にすごい存在なのかを聞かされて育つ。決して悪いようには扱われないのではないか。
そう尋ねると、あおいは首を振った。
「必ずしも、そうじゃないみたい」
「そうなんですか?」
「みんながみんな、わたしたちを尊重してくれるわけじゃない。この世界の人から見たら、突然やってきて大きな顔をしているように見えることもあるんだって。ヒロインは正義の味方じゃないの。悪いことをする人もいるし、内陸のほうは戦争もある。わたしみたいな、力のない人間は、むしろ邪魔だと思われることもあるみたい」
働かざる者食うべからず。戦う力のあるヒロインは戦争で有益だし、そうでなくとも超能力やこの世界でも応用可能な技術、知識を持ち込んでくれるヒロインは重宝される。しかし、そうではない者、例えばあおいのようにもともと一般人だったり、この世界では真価を発揮できないタイプのヒロインの扱いは地域によって異なる。
普通に生活できる地域もあれば、命を狙われる地域もある。
「でも、殺したりとか、そんなことまでしなくても」
「怖がられてるみたい」
「能力のない人でも?」
「能力がなくても、余計な知識はあるってことかな。例えば、この世界にある国のほとんどは、君主制なんだけど、そこにいきなり現代日本の価値観を投げ込んだら、衝突しちゃうじゃない? やっぱり、そういう「異世界の価値観」を怖がってる統治者は多いんだって」
「始皇帝みたいだ」
民を啓蒙することを極端に恐れる統治者というのは歴史上にも度々現れる。この世界は、想定外の場所にヒロインという建国神話にも登場する英雄と同じ立場の者がやってくる。そのヒロインが、国体に関わる余計なことをしないかどうかは、統治者の関心の的なのだ。
つまりヒロインというのは統治者にとって、権力を保障する有益な道具であると同時に劇薬にもなり得る存在だということだ。役に立たないヒロインは消すに限るという判断も頷けるというものだ。
あるいは、ヒロインという立場のみに価値を認め、商品としてしまうか。いずれにしても、この世界のヒロイン信仰はかなり変質していて、彼女たちの扱いは二極化しているようだ。
「まあ、こうなったら、こうなったで頑張っていくしかないんだなって」
「あおいさん、強いですね」
「立香ちゃんほどじゃないよ」
それから、あおいは仕事に戻った。店を従業員に任せても大丈夫と言いつつ、心配はしていたようだ。
あおいは寮暮らしだというので、会おうと思えば今夜にも会える。
この世界の事情をもう少し聞いてみたい。立香はまだまだ勉強不足だ。この世界のことも、自分たちを取り巻く情勢も何もかもが分からない。
もう戦わなくてもいいと実感しているが、何か自分にできることはないだろうかと思わずにはいられない。あおいの言うとおり、ただいるだけの役立たずでは、いずれは愛想を尽かされる。そうなったら、居場所はないのだから。
■
鎧の町は大陸西部に位置する内陸の国、クロガネ大公国の辺境の町である。
クロガネ大公国は、平原の国だ。西に連なる大山脈から発する河川が森を育て、広大な湿地と草原を形成する。国土の八割が湿地か草原であり、クロガネ等というお堅い名前に反して牧畜と畑作が盛んな豊かな国だ。
緩やかな丘陵の上からは、風が大草原を流れていくのどかな景色を堪能できるだろう。緑の海の中には、石造りの町が点在しており、その中心にひときわ大きな時計塔を要する首都が鎮座している。
帝国が分裂してからは、強い経済力から真っ先に独立を宣言し、以降外敵を寄せ付けず戦乱の中で安定した統治を続けてきた。
帝国が健在だった頃から、クロガネ大公はヒロインを囲うことを認められた有力貴族であり、帝国国内でも有数の実力者であった。歴代のクロガネ大公の中にはヒロインに後継者を孕ませたものも少なくない。そうやって、代を重ねる内に、自らも異能の力を血に宿し、さらに権力と権威をほしいままにしていた。
そんなクロガネ大公国における鎧の町の位置づけはというと、決して注目に値する町ではなかった。
歴史は国内でもかなり浅く、建造から百年も経っていない。
川から採取される良質な砂鉄を使い、武具を作る工場として作られたものの、この百年の間に川は流れを変え、砂鉄の産出量は大幅に低下した。軍事的にも経済的にも重要度が低く、交通の便も悪いので、貧困も多く、首都に出稼ぎに出るものも少なくないというのが、現状であった。
状況が一変したのは、二年前だ。
鎧の町の町長は、ウィリアム・オーガストという初老の男だ。
金髪碧眼で昔から太り気味の体型だ。
オーガスト家は三代前から鎧の町の行政権を一手に任される名家であった。古くから大公に使え、その側近として活躍してきた。鎧の町の最盛期を築き上げたのは、ウィリアムの曾祖父である。父の代で川が氾濫して流れを変え、そしてウィリアムの代で町は衰退の一途を辿っていた。
華々しいオーガスト家の歴史は過去のもの。
今となっては、オーガスト家は中央から見放され、鎧の町ともに朽ちていくだけのゴミに等しい。そんな卑屈な意識すら芽生えていたところに、ヒロインがやってきた。
領内の見回りのため町の外に出ていたウィリアムが、草原の中でぼうっと佇んでいた少女を見つけたのだ。
幼いながらも美しい少女だった。透き通るような金髪碧眼。ドレスのようなひらひらとした衣装を身につけて、たった一人で草原の中にいる。一目見て、現出したばかりのヒロインであると気づいた。
「いったいどうすればよいのか」
放っておくわけにもいかず、ウィリアムは彼女を連れ帰った。
ヒロインは扱い方次第では莫大な富を産む。その一方で、ヒロインを巡る争いから滅んだ国も多い。おまけに鎧の町は、クロガネ大公国の地方都市でしかない。法に従うのならば、ヒロインを保護した後、速やかに大公の元に送らなければならない。
クロガネ大公は、まず国内に現出したヒロインを品定めする。有用か無用か判断して、自分の手元に置くか家臣に払い下げるかを決定する。
ウィリアムにとって、彼女は生まれて初めて接するヒロインであり、同時に巨大な爆弾でもあった。扱いを間違えれば、命はない。彼女が凶悪な性格で、手に負えない能力を持っていたら、それだけでウィリアムの人生は終わるのだ。
大公の機嫌を損なうわけにもいかない。
ウィリアムは小心者だが、野心もある。せっかく保護したヒロインをどうにかして有効活用できないものか頭を悩ませた。
廃れていく鎧の町を復活させ、オーガスト家を再興する最後のチャンスに思えたのだ。
それでも、明確に大公に敵対する勇気はない。何とか上手い具合に大公に取り入ることはできないだろうか。今のままヒロインを手放しても損をするだけだ。そんな風に考えている内に、大公側が彼女の存在に気づいてしまった。
ヒロインのことを報告しなかったというのは重罪だ。
ウィリアムはこの後、様々な罪状を上乗せされた挙げ句、人生のすべてを失うことになるだろう。
「おじさまはどうしてそんな風に辛そうにしているのかしら?」
少女は不思議そうに問う。
ウィリアムは投げやりな気持ちで事情を説明した。
これから大公が派遣するヒロインが迎えに来ること。報告が遅くなってしまったことで、自分は処罰されることになること。
一頻り説明し尽くしてから、がっくりと項垂れたウィリアムの前で少女は微笑んでみせる。
「わたしが何とかしてあげるわ」
と、少女は言う。
「なんとかするだって?」
「ええ。ここに来るヒロインさんをどうにかすればいいんでしょう? それくらいなら、わたし、たぶんできると思うの。恩は返さないといけないものね」
「それは無理だ。あれは怪物なのだ。以前、三つの都市が大公に反乱を起こしたが、たった一人で鎮圧してしまった。鎧の町の総力を結集したとしても、とても勝ち目はない」
「うーん、でも、大丈夫だと思うわ。
まるで、これから相対する相手のことをすでに把握しているかのように少女は言った。
思えば、ウィリアムがこうして彼女と話をするのは初めてだった。いくつかの情報交換はしたが、彼女の応対にはどうにも掴み所がなく、コミュニケーションが取りにくかったということもある。こうして意思表示をすることも、珍しいことだったのだ。
結論を言えば、何とかなってしまった。
大公が派遣したヒロインは確かに強大な戦闘能力を有し、ヒロイン同士の戦いでも幾度も勝利を重ねた歴戦の猛者だった。
それを、彼女は単身で撃破してしまった。
何をしたのか、ウィリアムにはまったく分からない。
ただ、自分が拾ってきたヒロインが恐ろしいことをしたのは理解できた。
ウィリアムは戦う人ではない。小さな町の切り盛りするのもやっとの能力しかない。それでも、これが極めて危険な状況を生むことは容易に想像できた。
なにせ、彼女――――沙条愛歌の行動は、大公に対する明確な反抗も同然なのだから。