異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
地響きがする。
そこかしこで爆発が起き、山の斜面が崩れ、土石と木々がなだれ落ちていく。巻き込まれた騎士たちは、魔法の素養がない者はまず間違いなく命を落としただろう。
ノワールの激しい抵抗が予想され、ヒロイン同士の激闘が繰り広げられる南方路は、事実上の通行止めだ。クロメとヒッポリュテの戦いは、個のぶつかり合いの範疇を超えた規模であり、近づくだけで命の危険がある。彼女たちと同等の戦闘力を持っていなければ、邪魔になるか、路傍の石のように意識すらされず蹴飛ばされるのがオチであろう。
よって、クロガネ大公国軍は、それまでの快進撃が嘘のようにその場に足踏みすることになった。
ノワールの強固な守りの要であった関所の門は突破したのだ。
クロメがヒッポリュテを倒せば、それで進路は開ける。
しかし、事はそう上手く運ばない。
単純にヒッポリュテはクロメよりも強いのだ。
クロメが弱いというわけではないが、ヒッポリュテはそもそも人間以上の存在であるサーヴァントの中でも上澄みに入る。岩をも砕く力に並の人間では反応することもできない速度、武具もまた一級品となれば、クロメが苦戦を強いられるのは当然であった。
(めんどくさいなぁ)
クロメはじりじりと戦況が不利に傾いていることに歯がみする。
過去にサーヴァントを斬り捨てたことはあったが、これほどの強さはなかった。
彼我の実力差が分からないほど、クロメは耄碌していない。基本的には剣士なので身体能力で上を行く相手と正面から激突するというのは避けるべきだが、ヒッポリュテは弓矢もすらも一撃必殺だ。矢が当たれば特別な防御能力を持たないクロメの身体は粉々になりかねない。
薄暗い森の中でクロメは頬についた泥を手の甲で拭いながら、木々の間を縫うように走る。
近づけば筋力とスピードの差で不利となり、距離を取れば弓矢の絶好の的となる。遠近に関わらず力を発揮するヒッポリュテはおよそすべての戦場で力を発揮するタイプであり、クロメからすると相性が非常に悪い相手だ。
障害物の多い鬱蒼とした森の中に飛び込んで、弓矢の優位性を消しつつ八房の能力で召喚した骸人形を差し向けて数で勝負する。
ヒッポリュテは単騎だ。一方でクロメは数多くの「友だち」がいる。
物言わぬ骸と化した彼ら彼女らは、クロメの指示一つで如何なる死地にも突き進んでいく。
一体一体は決して強いとは言えないような雑兵でも数を揃えればそれなりの脅威にはなる。
事実、ヒッポリュテに骸人形を差し向けることで彼女の機先を制し、クロメへの攻撃の手を緩ませることに成功している。
確かに、ヒロインへの対処はヒロインが行うのが原則ではある。
だが、そもそもクロメの仕事はヴィペール関の突破であり、この戦争の目的はノワールの併合とノワール領主の討伐である。
クロメにとって、ヒッポリュテ個人は標的ではない。
はっきり言えば、戦う必要性もない相手である。
斬り殺してもサーヴァントは死体が残らないので骸人形にもできないからクロメ個人にはメリットもない。
その一方で、ヒッポリュテからすればクロガネ大公国軍のノワールへの侵攻を阻止するのが目的なのでクロメを通すわけには行かない。
となると、クロメの戦略は明白だ。
距離を取って正面衝突を避けつつ、骸人形をけしかけての面制圧。
ヒッポリュテを倒しきれるかどうかは不透明だが、ヒッポリュテの手を煩わせることは可能だ。
ヒッポリュテはクロメの骸人形すら後ろに通すわけにはいかないのだから、いちいち相手にしなければならない。
そうしている間に味方が防衛線を突破すれば、ヒッポリュテは救援のために下がらざるを得ないだろう。
「うわッ」
バネのように跳ねたクロメ。
ジャンプする直前までいた地面が大きく爆ぜる。
木々をくり貫いて飛来した矢が着弾と同時に魔力を爆発させたのである。
「さすがに強い」
そこらの騎士の骸人形だけでは、ヒッポリュテにとっては有象無象の雑兵に過ぎず、数の暴力たり得ない。
強いて言うと飛び回る羽虫程度。手で払うくらいの手間は取るが、脅威にはほど遠く鬱陶しいと感じるかどうかであろう。
骸人形は死んでいるので急所も何もないが、壊されれば動かなくなる。ヒッポリュテもその性質はすでに把握していて、手足をたたき切り、首を飛ばして行動不能にしている。
普通の骸人形だけでは、上級サーヴァントの足止めにもならないというのははっきりしている。
強大な魔獣やヒロイン級の骸人形を投入していく力攻めに切り替えるのは当然として、クロメから斬りかかるリスクを冒す必要性があるかどうか。
クロメはポケットからビスケットを取り出して口に運ぶ。
クロメ好みの甘さにはほど遠い携帯食だ。
前の世界にいたような薬漬けの身体ではない。この世界の魔法が、クロメの身体を癒やしてくれている。
だが、身体に染みついた癖は抜けない。すぐ口寂しくなるし、甘味を口にしないと不安になる。
(他のみんなはどうしてるかな)
戦争に参加した仲間たちを想う。そう簡単に敗れるようなことはない実力者ばかりだから心配はいらない。自分がヒッポリュテを引き付けている限り、味方のほうにサーヴァントの猛威が向かうことはない。
ビスケットを飲み込んだクロメは、大木の影から飛び出して十メートル先の岩陰に滑り込む。僅かに移動するだけで一苦労だ。判断を誤れば矢に射殺されることになる。ヒリヒリした戦場のスリルに、思わずクロメは口角を吊り上げたのだった。
■
南方路を脅威となっていたクロメをヒッポリュテが押さえたことで、ノワール軍は体勢を立て直す時間を得ることができた。
一時的に退き、後方の砦に逃げ込んだノワール軍は、そこで負傷者をさらに後方に下げた上で砦を強化した。
道中でも魔法でトラップを仕掛けたり、木々を倒し、山を崩して道を塞いだ。物理的、魔術的な封鎖を繰り返して、少しでも敵の進軍を妨げるように手を尽くしたのである。
クロガネ大公国側もクロメとヒッポリュテの戦いに巻き込まれることを恐れて進軍を一時停止したので、それも時間を稼ぐことに繋がった。
それでも、クロガネ大公国軍の進軍を完全に停止させることはできなかった。
進軍速度はノワール軍が仕掛けたトラップや道を封鎖する土砂を除きながらとなるので、大きく低下したものの、少しずつその戦列は前進を始めている。
ヒロインさえ出て来なければ、ノワール側の軍備でもクロガネ大公国と戦うことは不可能ではない。ヴィペール関ほどの防御機能を持たない砦ではあるが、それでも敵の攻撃を防ぐ機能はついている。
何より、戦が始まってから日数が経過し、この険しいノワールの山岳地帯での戦いを強いられているクロガネ大公国の騎士たちの疲労も蓄積している状況である。守る側が有利であるということは何ら変わっていないのだ。
ヒッポリュテが駆けつけて、敵の巨大な魔獣を粉砕したことがノワール側の士気を高めている。
クロガネ大公国軍の南方路の前線指揮官を任されている男はジャックといった。大公国の名門貴族、ナカノトライアンフ家の長男である。ナカノトライアンフ家は侯爵の地位にあり、キョウに近いオウミのシュゴを代々務める軍事貴族の家系である。
父は南方路の総指揮を執る大将軍として、山の麓の本陣に座している。
その長男であるジャックの将来はすでに確約されたも同然ではあるが、家と父の威光だけで成り上がるつもりはなく、戦場で華々しく武勲を立てて、煌びやかな将来を確固たる物としたいと常々考えていた。
ジャック自身も戦の経験はあるが、それは小競り合い程度の戦でしかない。ジャックが生まれる前からクロガネ大公国の覇権ははっきりしていて、大規模な戦というのはほぼなかった。対外的な戦でも、地方の領主たちに兵を出させるのがほとんどだったので、ナカノトライアンフに声がかかることもなかった。
それを考えれば、次にいつ機会が回ってくるか分からない。
不安定な情勢は、力を見せる好機である。
不穏当な考え方ではあるが、若く、力が漲る年齢のジャックはこの機会を逃すほど消極的な性格ではなかった。
「まだ土砂の撤去は進まないのか?」
南方路上の開けた場所に陣を張り、ジャックは作業の進捗状況を尋ねた。
クロメとヒッポリュテの戦いの音が響く中で足止めをされているのは心臓に悪い。
何よりも北方路に比べて悪路が少なく進みやすいとされている南方路の攻略に手間取るというのは、評価を落としかねない
父も本陣で苦々しく思っているに違いない。
「魔法やマジックアイテムの動きが悪く、作業に遅れが出ています。どうやら、敵方に魔法を阻害する魔法が使われている可能性があるようで」
と、撤去作業を任せた騎士が答える。
彼は魔法使いであり、工兵としてクロガネ大公国の戦を支えてきた。
彼の一派は土木系の魔法を専門として、陣地の構築や攻略に大きな力を発揮してきたのである。本来は北方路の攻略戦に参加する予定だったのを、北方路にベアトリクス率いる魔法大隊が参戦することを理由に南方路の攻略戦に引き抜いた。
それだけ、この一派の技術力は国内でも有名なのだ。
最初から、この戦は攻城戦が主体になるというのは予想できたことだ。それを見越して戦力を集めるのは当然であり、ジャックがただ勢いがあるだけの世間知らずではないということの証左でもあった。
「そんな魔法は聞いたことがない。西洋魔法だけでなく別の魔法も試してみたのか?」
「それは、もちろんです。ですが、どれも同じような状況です。幸い、完全に使えないというわけではありませんが……」
魔法が使えなければ土木作業は手作業で進めることになる。それでは、啓開に時間がかかる。
「先行部隊を徒歩で先に行かせる」
大型のマジックアイテムを運べなくなるのは痛いが、獣道であろうと徒歩ならば進める。
もともと足場のよい南方路とはいえ、細く険しい山道なのだから悪路を我慢すれば進めなくはない。人間には、他の動物にはない悪路の踏破能力がある。
進軍としては華がないが、今はとにかく前に進むのが重要だ。時間は敵を利するのみだからだ。
「隊列が乱れればリスクが大きくなります。わたしが前に出ようと思いますが、よろしいですね?」
そう言ったのは緑の髪の女騎士ディアナだ。
騎士団長の職に就く彼女は、ジャックの副官としてここにいる。
戦の経験が豊富で強力な力を持つヒロインであるディアナは、やはり頼りになる戦力だ。クロガネ大公国の騎士団の一つを束ねるまでになった統率力も、戦場では大いに役に立つ。
クロガネ大公国には複数の騎士団があり、各地に配置される。本来、騎士団長は上級貴族から選出されるものだが、ディアナは特例的に一つの騎士団を任された。それは、他の騎士団から騎士を出向させて育成することを目的に創設された新たな騎士団であった。
その成り立ちからディアナの騎士団は育成段階の騎士が多く、戦場に連れてくることができる人数は少ない。
騎士団長という立場にありながらも、ここでは自由に動ける。
力のあるヒロインは自由に動けるようにしておくほうが何かと都合がいいというのも間違ってはいない。
「ディアナ団長のご随意にお任せします」
「承知しました。それでは」
マントを翻してディアナは陣幕から出て行った。
「啓開を急げ。とっととここを抜けないと、クロメの戦闘に巻き込まれかねないからな」
いつ、クロメと敵ヒロインの戦闘が飛び火してくるか分からない。巻き添えを食らうのは御免だ。そういう意味でも、ここは早急に突破して、前線を進めるべきだった。危険な場所は、慎重かつ早々に通り抜けるのが吉である。
何より、このままでは結局ディアナやクロメの戦功と言われかねない。
ヒロインを戦に動員するのは当たり前のことだが、彼女たちはあまりにも強力なため、時には戦功を独占することがある。そうなると、それ功を上げる機会を逸した騎士たちの中には不満を抱く者も現れるし、何よりもジャック自身も戦功を必要としている立場だ。
ディアナの邪魔をするというつもりはないが、できればディアナとクロメには敵ヒロインの相手に限定して動いて欲しい。せっかくの大戦だ。南方路はジャックの手で攻略し、そのままノワールを制圧したい。
そうすれば、金では手に入らないものも恩賞として下賜されるだろう。
例えば、ディアナのような美しいヒロイン。
大公からヒロインを下賜されるというのは、最高の栄誉である。
地位と名誉も金も女にも困らない。
だが、そこにヒロインがいないのだ。
ディアナもベアトリクスも、元はナカノトライアンフ家が管理する土地に現れたヒロインで、彼女たちを最初に保護したのもジャックたちだ。
力あるヒロインは中央政府が管理することになっているのでやむなくキョウに送ったが、本来、彼女たちは自分のものであるという意識がどうしても燻っている。
ディアナは強い。ジャック自身も騎士としての修行を積んだことがあるが、彼女には歯が立たない。そんなジャックが彼女を手に入れるには、この戦場で誰にも文句を言わせないほどの武勲を立てなければ認められない。
弱い地震が山を揺らした。
木々の向こうから顔を覗かせる巨大なトカゲ。クロメの骸人形だ。そこに地上から矢が放たれて大爆発を起こした。
その衝撃が起こした突風が簡易的に設けた陣幕を倒し、机をひっくり返す。
(相手のヒロインは知らんが、クロメは一応は人間なんじゃなかったか。何だこの化物は)
内心で毒づく。今更ヒロインの特異性に文句を言ったところで仕方のないことだが、自分の能力との違いを見せつけられると嫉妬すら浮かばない。見た目が同じというだけの、別の生き物のようだ。もちろん、事実として人間ではないヒロインも少なくはないのだが。
ディアナはジャックの許可を得て陣を離れた。
広くない道が曲がりくねり、左右は見通しの悪い急斜面だ。
見るからに攻めるに固く守るに易い地形であり、長年ノワールが独立を維持してきたのも分かる。ヴィペール関がそうであったように、道幅が狭いので正面を塞ぐのは簡単にできるし、この左右の斜面に砦を築けば十字砲火を加えるのも容易だ。少数の兵で守るのに、これほど適した地形はない。クロガネ大公国の魔法騎士であっても、ヴィペール関を攻め落とすのは苦労するだろう。
ここで時間を取られるというのは、十分に予想できることだ。ジャックは焦っているようだが、功を急いでは判断を誤ることもある。
とはいえ、ここを早く抜けるというジャックの方針は悪くない。
狭い山道は迎え撃つ敵に有利なのだ。
そういう場所は早々に抜けて、安全を確保するのが最優先だ。
できればクロメの援護に行きたいところだが、こちらもヒロインの数が限られているし、敵のヒロインも一人だけではないだろう。
すでに撤退したノワール軍と合流しているかもしれないし、どこかからこちらを狙っているかもしれない。
いずれにしても、ここでグズグズしているとマイナス要素が大きくなるばかりだ。
ディアナの前に大きな岩が現れる。切り崩された土砂が道を塞いでいるのである。吹き飛ばされたヴィペール関の瓦礫も使い、幾重にも重なるバリケードが築かれている。
「こちらの魔法は出力が下がっているのに、あちらはそうではないのか?」
魔法騎士と魔法使いたちが悪戦苦闘しているのを見てディアナは呟いた。
ノワールがこれだけの瓦礫をバリケードにできたのは、間違いなく魔法が使えたからだ。一方で、こちらの魔法騎士たちはいつもなら問題なく運べる程度の瓦礫すらも動かすのに苦慮している。いっそ、大魔法で吹き飛ばしたほうが楽だろうが。
「迂闊に魔法で攻撃すると反射してくるんですよ」
と、作業員の一人が言う。
ヴィペール関の防御機構が、この瓦礫には残っているのだ。
クロメの骸人形で強引に破壊されたヴィペール関だが、それを構成する石材に刻まれた反射の魔法は砕かれても生きている。完全にはほど遠いが、弱体化した魔法騎士の攻撃魔法なら下手をするとこちらに怪我人が出るかもしれない。
「厄介な。だが、こちらの魔法に干渉できるだけの魔法がありながら、なぜ今まで使わなかった?」
頤に指を当て、ディアナは首を傾げる。
クロガネ大公国の魔法だけを一方的に封じることができるのなら、初めから使っていれば良かったのだ。
それとも、地形で濃淡があるのか。
ヴィペール関があったところからここまで五百メートルは離れている。その距離が、魔法を封じる魔法の出力に影響したのだろうか。
だとしても、そのような魔法が使えるのならヴィペール関に設置するのが普通だろう。
ちぐはぐなノワールの魔法の運用方法に違和感があるが、それを思案していても始まらない。
「こういう土木作業こそ、骸人形の出番だろうに」
ディアナは剣を抜いた。
柄頭から切っ先までの長さはディアナの身長を上回る長大な両刃の剣だ。刀身は深い青。どのような金属でできているのか皆目見当も付かない彼女だけの剣である。
ディアナが剣を構えたとき、両腕から力が抜けるような感覚があった。まさか、魔法だけでなく自分のスキルにも影響するのかと驚いたが、発動には支障がない。
振り抜いた剣閃が瓦礫を両断して、吹き飛ばす。さながら、間欠泉のように噴き上がる衝撃。それは反射の魔法ごと、バリケードを打ち砕いた。
クロガネ大公国軍は足早に進軍する。
進めば進むほど身体強化の魔法がの効力が低下していくのが分かるので、徐々に不安が強くなっていくが、先行するディアナの斬撃がその懸念を払拭する。
青く煌めく刃が瞬く度に障害物が文字通り両断される。
魔法に大きな制限がかかる中で、この圧倒的な力の奔流は騎士たちを勇気づけた。
一方のディアナは内心で歯がみしている。
進むごとに重圧が強くなっているのが分かるからだ。
すでに剣が重いと感じるまでになっている。
(このまま進むのは危険ですね)
少しずつこちらの魔法や異能に制限がかかっている。道を進むごとにそれが強くなるということは、ノワール本国に辿り着いたころには一切魔法や異能が使えなくなっているということも考えられる。
つまり、こちらの主戦力としてきた力が根こそぎ使えなくなるということだ。
魔法騎士がただの騎士になるという話ではない。
彼らが持つ剣も鎧も戦術も軍の人員構成も魔法ありきで構成されているのだ。
魔法が使えないということは、クロガネ大公国軍が「軍」としての体裁を維持できないということだ。
下手をするとディアナすら、剣を持つこともできないただの女に成り下がるリスクがある。
これほど大規模で強力な能力制限は他に類を見ない。
この地域特有のものなのか、それともノワールが開発したジャミング魔法なのか。それすらも今は分からない。
(どこかで進軍を停止して、状況を整理する時間が必要ですが……)
この異常事態を正しく認識しているのは最前線の魔法使いだけだ。
ジャックがいるところまで下がれば、まだ魔法への影響は少ない。ヴィペール関の前後で、魔法への制限が大きく変わっているのだ。これが、クロガネ大公国側の判断を狂わせている。ヴィペール関を突破したという情報は、すでに麓の大将軍の下にまで届いている。そうなれば、進軍することを前提に指示が飛び交うことになる。
ディアナは魔法や異能の行使に制限がかかる正体不明の結界が張られていると報告を上げている。その報告すら、通信できるところまで伝令兵を徒歩で走らせているという状況だ。
情報が本部に届き、指示が前線に届くまで大きなタイムラグがある。
魔法を介さない古い情報伝達にこの軍は対応していない。そのための訓練を積んでいないのだ。魔法が使えることは大前提であって、使えることを疑うこともなかった。そもそも封建制の国なので、各地から騎士を寄せ集めている。軍全体で訓練を積むということ自体が困難なので、魔法が使えない状況を疑ったからといって事前の対応が可能だったかというと無理だろう。
ディアナは足を止めた。
次のバリケードを突破して、歩を進めてきたが、そろそろ立ち止まるべきだ。
「ディアナ団長、如何しましたか?」
「一時、停止です。魔法の感触はどうですか?」
尋ねられた魔法騎士が、魔法の矢を唱える。
十一矢を放つはずが、七矢しか放てず、威力も弱々しい。
「ダメですね。ずいぶんと重い」
「そうですか。やはり、このまま進むのは危険ですね」
一流の魔法騎士の魔法が見習いレベルにまで低下している。
おそらくはこの地に踏み込んだ魔法騎士全員が同じ状況だ。
「自分はまだ戦えます」
と、その魔法騎士は言う。
「ダメです」
ディアナはきっぱりと言い切った。
「我々の魔法に制限がかかっていることは分かりましたが、敵のほうがどうかは分かりません。いえ、バリケードを見る限りは、問題なく魔法を使える可能性のほうが高い。となれば、圧倒的にこちらが不利です。まずは魔法を使わずに攻める手立てを考えるか、この結界の解除なり緩和なりの方法を見つけなければ全滅もあり得ます」
危険と判断すれば、足を止めて引き返す判断も必要だ。
特にここはすでに危険地帯である。
敵地のど真ん中で魔法が使えないというのは無防備と同義であって、いつ殺されてもおかしくない。
「……しかし、どうするのです?」
「今は分かりません。一先ずは戻ってヴィペール関付近で陣を整えます。あそこなら、魔法も使えるはずです」
魔法が使えない状況で長居をすれば、敵の反撃にあって犠牲を出すだけだ。進むのも留まるのも、危険が大きすぎる。
魔法が使える範囲を調べて、進軍ルートも見直さなければならないかもしれない。山を抜ける獣道でもあれば、そちらのほうが安全な可能性もあるのだから。
振り出しに戻ることにもなるが、徒に兵を損なうよりはマシであろう。
魔法騎士はまだ何か言いたげに兜の下で歯がみしたが、魔法の出力低下は自分自身がまさに実感していることであった。これを何とかしなければ、ノワールの魔法でも一方的に倒されてしまうというのは十分に想像できることだ。彼も命を無為にしたくはない。
一時撤退の号令も魔法がろくに使えないので伝令を走らせなければならない。細い道で渋滞しているから、混乱が起きれば自滅の危険もあるというのが厄介だ。
進軍できた二キロ程度の間に、五つのバリケード。
次の砦まで、何個のバリケードがあるか検討もつかない。
そういうことも含めて情報収集をしなければ、敗戦も見えてくる。
――――ディアナは傍にいた魔法騎士の一人を蹴り飛ばし、もう一人の引っ張って飛び退いた。
直後に降り注いだ青い光が爆発と粉塵を発生させる。
「うわあああああああ!」
衝撃で吹き飛んだ騎士たちの悲鳴が木霊する。
ディアナが反応できたのは、ただの偶然だ。戦場で培った第六感が危険を知らせてくれたのである。
森の中から飛び出したのは、凛とした顔立ちの少女だ。
強い魔力を持った鎧と槍を帯びている。ポニーテールを風に揺らして、鋭い視線をディアナに向けている。
「ノワールのヒロインか」
聞くまでもなく、これだけの力と存在感を持つのはヒロイン以外にはないだろう。
嫌なところで出てきたものだ。
剣を持つ手はまだ動く。
味方からの支援は、期待できそうもないが。
「あなたたちは早急に撤退しなさい。今、ここでわたしたちの戦いに巻き込まれたら、ただではすみませんよ」
「は、はい!」
今度は二の句なく魔法騎士たちは指示に従った。
魔法が使えないのにヒロイン同士の戦いの場に居合わせるのは自殺行為だ。
ディアナは現れたヒロインに青い剣を向けた。
「物陰から不意打ちとは卑怯だな。それがノワールの作法か?」
剣を構えながらディアナはゆっくりと足下を確認して移動する。
光線が抉った地面は足場が悪い。
戦いやすい場所を探りながら、敵が視界から外れないように注意する。
「スピカだ」
と、敵が口を開いた。
「何?」
「わたしの名です。不意打ちの非礼をお詫びします。正直、避けてくれてよかった」
「不本意な指示に従っているというのなら、こちらに来ますか? あなたなら生活に不自由することはありませんよ」
「ご冗談を。今のはあくまでもわたしのポリシーの問題であって、あなた方がわたしの大切な場所を侵す侵略者であることに変わりありません」
槍を構えるスピカがまっすぐにディアナを見る。
強い視線だ。
自分の為すべきことを明確にしていて、そこに迷いはない。
「まあ、不本意というのは誠にそうなのですが……マオ殿の周りがますます騒がしくなるので」