異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
豊かな草原が国土の大半を占めるクロガネ大公国の中で西部に広がる荒涼とした大地は異質に見える。上空から見れば突然緑が消えて、ぽっかりと赤黒い大地が現れる。周辺に比べて少し高く台地上の地形になっていて、ワタツミ台地と呼ばれている。台地の中央には青々とした湖があり、その周辺は白く染まっている。そして、湖から少し離れたところに大きな町があり、幅広な街道がクロガネ大公国の中心に向かって整備されている。
町の名はハカタという。
ワタツミ台地の中で最も大きく、草木も育たない荒れた土地の真ん中にありながら、四千人もの人口を抱える大都市であった。
この町もまた、クロガネ大公国の内憂外患に悩まされていた。
ハカタは地方の軍事拠点であり、イヨシュゴが直接管理し行政を担ってきた。
シュゴが任命した領主が駐在し、また騎士団が駐屯して、ハカタの周囲は二重の城壁で囲まれているということからも、この町を重視する姿勢は明らかだ。
生物にとっては不毛の地。
しかし、人間にとっては、必ずしもそうではない。時に黄金に匹敵する資源が、この地には眠っているのだ。
窪地に溜った湖に、白い岩が崩れ落ちる。度重なる地鳴りは、固い大地に亀裂を生じ、バランスを崩した岩が音を立てて転がっていく。
湖は遠浅で、あるところで急に深くなる。砂浜だけでも五十メートルはあり、さらに湖自体も大きい。対岸まで人間が泳いで渡るのは困難だろう。凪いだ状態でもよほどの体力自慢でなければ途中で力尽きる。
この湖は、かつて、ヒロイン同士の戦いで抉れた窪地に雨水が溜ったのが始まりだ。
千年前の帝国軍と魔王軍が激突した古戦場であり、湖の底には当時の武器や死体が沈んでいる。古のヒロインや魔法騎士が用いたマジックアイテムというお宝が、今でも発掘されるということで、クロガネ大公国はこの湖を徹底管理してサルベージを続けているのであった。
そして、古き戦場は、千年の時を経て新たな戦いの舞台として目を覚ました。
深紅の炎を纏った矢が弧を描いて降ってくる。
ただの火矢ではなく、膨大な魔力が込められたロケット弾の如き魔矢だ。地面に「突き刺さる」のではなく「着弾」し、爆発する。幾度も繰り返された矢の爆撃が、この日頻発する地鳴りの正体だ。
爆発の後、粉塵から飛び出した人影が湖の浅瀬に落下して水しぶきを上げた。
「ぷはッ、ゲホッ、しょっぱ」
口元を拭うのは若い人間の女だ。色素の薄い髪を後頭部で纏めたアジア系の顔立ちの少女であった。
ペッペッと口に入った塩水を吐き出す。
ここは塩水湖だ。
クロガネ大公国がわざわざこの地に軍事拠点を置いたのは、古のマジックアイテムを発掘するためだけでなく、ここから採取される塩が、内陸国であるクロガネ大公国にとって重要な物資だからだ。
少女――――物部雪希乃は、すぐに立ち上がると大刀を振り上げる。急降下してきた刃と大刀が激突して火花を上げる。
「く……!」
雪希乃の首を刎ねようと襲いかかってきたのは薙刀だ。数多の世界から数え切れない種類の武具が伝わるこの世界で奇跡的に出会った馴染みある故郷の武器の一つだ。
それは振るう白皙の女は額に角を生やし、血の涙を流して凶相を浮かべた鎧武者だ。
異世界を旅するのは慣れたものだが、故郷を忍ばせる武具を携える女武者とこのような形で出会いたくはなかった。
凄まじい怪力。
そして、噴き上がる炎が刃を押して雪希乃を大刀ごと両断しようとしている。
「ぐぅぅ!!」
そして巨大な水しぶきが上がった。
女武者の薙刀が水面をたたき切り、炎が湖水を蒸発させたのだ。大量の塩が舞い上がり、周囲に雪のように降り注いだ。
人間一人、一瞬で蒸発させかねない高温に焼かれた湖水は、女武者の周囲だけボコボコと沸騰している。
「ずいぶんと逃げ足の速いことで」
一瞬にして岸まで移動した雪希乃を視線で追って、女武者は呟く。
「しゃべれるんだ」
「もちろんです。ですが、戦場でおしゃべりは禁物でしょう。猛り狂う炎の如く、燃えて燃えて灰になればそれでよいのです」
「……なら、なんで今しゃべってるのよ」
「さて、何故でしょう。もしかしたら、この水で頭が冷えたのかもしれませぬが……ですが、それはそれ。戦に支障はありませぬ」
雪希乃は全身にヒリヒリとした危機感を覚えている。
普通の人間が刃物を向けられたときに感じる「ヤバい」という感情。本能的な危険察知能力の発露。普通の危険程度ではそよ風のようにやり過ごせる雪希乃が本気で危険だと感じるほどの状況は滅多にない。それこそ、「まつろわぬ神」か「神殺し」と対峙した時くらいであろう。
目の前の女武者は、そのどちらでもない。
だが、真っ当な人間でもない。
彼女の正体がまったく掴めない。
雪希乃はこの世界に来てから日が浅い。湖畔のハカタの商人に匿われて、基本的な事柄だけを教わった。
自分のような異世界からやってくる女をヒロインと呼び重視する文化があることや、「魔法」が一般に認知されていること、中世ヨーロッパ的な封建制の社会が多くあり、この地域もその中にあるということ、そして大きな戦が各地で起こっていること。
「そういえば、名前を聞いてなかったわね」
「名前? わたしの名前ですか?」
「ええ、そう。そんな大仰な鎧を着ているのだから、名乗ったらどう? やぁやぁ我こそはって」
「なるほど、確かに。言われて見れば、どうして忘れていたのでしょう。忘れっぽくていけません」
チリチリと女武者の裾が燃えている。鎧、袴と火が広がる。
「ふふ、ええ、いいでしょう。確かに、確かに名乗りを上げずに戦働きとは片手落ちにもほどがあるというもの! よく、思い出させてくれました!」
哄笑とと共に炎が噴き上がる。さながら活火山の噴火のようで、雪希乃は熱気とともに吹き付ける塩分を含んだ水蒸気を呪力を高めて何とか凌ぐ。
常人ならこの場にいるだけで蒸し焼きになるに違いない。
「わたしは、バーサーク・アーチャー、真名を巴。しかし、この身は巴御前にあらず、泥から生まれた悪鬼なれば、インフェルノと呼ぶのが望ましい! すなわち、アーチャー・インフェルノ! すべてを灰に、この世のすべてを火にくべて燃やし尽くしてみせましょう!」
湖底を踏み抜く勢いで、湖水が爆発する。
炎を纏った薙刀が大気を焼きながら振るわれる。
雪希乃は刃を滑らせるように斬り払いながら、後ろに下がる。
(巴御前って言った? 教科書のあの人? 訳分かんないけど、とにかく強いなこの人!)
雪希乃をして凌ぐので精一杯の薙刀術。
剣の申し子として類希な力を持って生まれた雪希乃でも、一歩間違えば死ぬことになる。
一瞬のうちに五合を打ち合い、一呼吸を置いてさらに三合刃を合わせる。
雪希乃の加速にインフェルノが合わせて対応している。
「あっつ」
踏み出そうとした足を雪希乃は下げる。
インフェルノが炎を身体がから噴いて、雪希乃の前進を妨げる。
(くそぅ、あともう少しだったのに)
半歩前に出られれば、必殺の間合いだった。
剣が届く間合いであり、薙刀の弱点であり超近接戦に持ち込めたところだった。
「あの炎、反則でしょ」
斬り付けようとしても、刃が届く前に炎を叩き付けられる。近づくことができず、一方的に長柄の武器で撃退されてしまう。さらに距離を取れば、本領とも言える弓矢が襲ってくる。雪希乃としては、戦闘は刀剣の範囲内に限定しないと不利だ。
「インフェルノさん。あなた、どうして町を襲うの?」
「燃やすためです」
「何のために?」
「さあ、わたしにも分かりません。ただ、そうせよと命じられた。ただそれだけです」
「そう。じゃあ、絶対に負けられないわね」
付き合いこそ短いものの、ハカタの町の人たちには世話になった。
それを殺して燃やすのだという。
そんなことを絶対に容認するわけにはいかない。
ハカタに駐留する騎士団も彼女には歯が立たない。ならば、戦える自分が戦わなくてどうするのか。
「天切る、地切る、八方切る、救世の神刀《建御雷》、ぶった切る! やああああああああ!」
言霊とともに大刀が白く輝き、紫電を放つ。
裂帛の気合いとともに雪希乃は大刀を一閃した。
「これは……!」
インフェルノは目を剥いた。
雪希乃の斬撃は、灼熱の白き斬撃となってインフェルノを襲ったのだ。対軍宝具に匹敵する膨大な魔力だ。
ただの魔法であれば対魔力とその身に宿る泥で耐えただろうが、この一撃は防ぎきれない。直撃を受ければ、間違いなく焼却されてしまうだろう。神性を帯びた雷撃は、人々の怨念を詰め込んだ泥を容赦なく焼き払い浄化してしまう。
対軍宝具での迎撃も間に合わない。
光の奔流は一瞬。
その僅かな時間で、地上に二百メートルあまりの長大な亀裂を発生させた。斬り裂かれた地面の断面は焼けて融解し、赤熱している。
大刀の一振りとは思えない、絶大な威力を放った雪希乃は荒く息を吐いて膝を突いた。
ごっそりと自分の中の力が持っていかれた。
未だ未熟の雪希乃が強引に《鋼》の剣神の力を引き出したことで、身体のほうが悲鳴を上げているのだ。
雷神にして剣神タケミカヅチの《神裔》である雪希乃は、常軌を逸した力が生まれつき備わっている。
「冗談やめてよね」
理不尽も積み重なると笑えてくる。
今の雪希乃が放てる渾身の一撃は、確かにインフェルノを焼き払うだけの力があった。タイミングも間違いなく、雪希乃に飛び道具はないと油断していたインフェルノを両断できたはずだった。
まさか、インフェルノに仲間がいるとは。さすがに、想定外だ。
「エリセさん、助かりました」
「まだハカタの町が残ってるみたいだから来てみたら、こっちにもヒロインがいたんですか」
「ええ、なかなか面白い娘です」
エリセが介入したことで、インフェルノは斬撃の軌道から外れることができた。直撃すれば必死だが、辛うじて掠めるだけで済んだ。
「もしかして、まだやる気? 無理だと思うけど」
エリセが巨大な矛を手の平で弄びながら、雪希乃に言う。
見た目年下の少女にそんなことを言われてむっとする雪希乃。
インフェルノと同等の力を感じるエリセに、果たして雪希乃がどこまで戦えるのか。二対一。どう考えても勝ち目はない。普通ならば逃げるところだが、雪希乃が逃げるということはハカタがこの二人に蹂躙されるということだ。
(詰んだかな、これは)
力が足りない。
守ろうという気概だけでは、とても戦い続けることはできない。
(この娘、目が正気じゃない)
インフェルノと同じだ。
精神状態に異常を来している。
武芸者の勘でしかないが、何となく雪希乃にはそれが分かる。
何か洗脳でもされているのだろうか。
インフェルノほどはっきりと狂っている感じはないが、ふつふつとしたマグマのような怨嗟がエリセを取り巻いているのが感じられる。
すると、エリセの身体から黒い瘴気がにじみ出した。
「何でもいいけど、仕事は手早くしないとね。ハカタは要衝なんでしょ。反乱に手を貸されたら厄介だから、とっとと潰してしまわないと」
「させない」
「あなたもこっちに来るか、さもないと殺すしかないかな」
エリセが手の平を雪希乃に向けた。
黒い瘴気が幾重にも伸びた枝となり、その先端が斧となる。
古戦場に漂う霊を喰らい、飛躍的に巨大化した枝斧を回避する力が雪希乃には残されていない。一か八か、残された呪力を神剣を通じて放出し活路を見出すほかないと柄を握りしめたとき、遥か彼方から飛来した矢が黒い斧を打ち砕き、盛大に爆発炎上した。
「え!?」
続く火矢が空中で散らばった邪霊を射貫いて焼き払い、さらにエリセとインフェルノに襲いかかる。
矢が続けざまに地面を掘り起こし、爆発を続ける。インフェルノが先の戦いでしたように、およそ弓矢とは思えない威力で固い地表に大穴が空く。
「ご無事ですか?」
と、背後から聞き覚えのある、しかし、馴染みのない声音で話しかけられる。
いつの間にか現れた鎧武者は、インフェルノその人だ。
「おっと、お待ちを。わたしはあのアーチャーとは違いますよ」
「なッ……ええ?」
同じ顔、同じ武具。双子と言うにも似すぎている。だが、確かに、今の爆撃を避けたインフェルノは、粉塵の向こうで薙刀を肩に担いでいる。
「ど、どういうこと?」
「ひろいんというのは、同一人物が現れることもあるそうですよ。ご存じでしたか?」
「え、とぉ」
「まあ、詳しいお話は後ほど。あちらのわたしはどうも経緯が違うようですしね」
アーチャー――――巴は、雪希乃と二騎のサーヴァントの間に立った。
同一人物だという巴とインフェルノ。容姿だけでなく感じる力も同じ雰囲気である。だが、やはり巴とインフェルノを同時に見ると違いが見える。
インフェルノの力は歪んでいる。何か得体の知れない物がインフェルノに溶け込んでいるようだ。それがおそらく狂気の源だろう。
「ふぅん、そう。サーヴァントだし、そんなこともあるか」
と、エリセは冷静に言う。
「どうしますか?」
「決まっています。相手が別のわたしであろうと変わりありません。サーヴァントだというのなら、よい贄になるでしょう」
「ですよね」
雪希乃はまだ戦えない。結局は数的不利は変わらないのだ。
インフェルノが弓に矢を番えて放つ。鬼の炎を纏わせた矢が同時に三本。対する巴も矢を放ち、過たずこれを射落とした。三つの轟音が大気を焼く。炎が消える前に、飛び出してきたのはエリセだ。巴の矢を弾きながら、突進する。その横っ面を、不意に現れた銀の閃光が弾き飛ばした。
「お見事、防ぎましたか」
颯爽と現れたのは景虎だ。
巴に向かうエリセを横から強襲したのである。ギリギリで気づいたエリセは、辛うじて景虎の槍を柄で受け止めたが、勢いまでは殺せず、蹴り飛ばされたゴム鞠のように地面を転がった。
「日本のサーヴァント」
「奇しくも同郷が勢揃いというわけです。……あなたのことはよく知りませんが」
「でしょうね」
「見たところ、ランサーですね」
「そっちもランサーっぽいね」
「ランサーですよ」
そう言うや、景虎は一直線にエリセに駆ける。閃光のように戦場を横切り、エリセに槍を突き出す。
エリセは刺突を柄で受け止めて、そのまま横薙ぎに矛を振るう。景虎は姿勢を低くしてくぐり抜けると、真下からエリセの腹部を蹴り上げた。
「ぐぅ……!」
呻いたエリセが視線を上げると、景虎が自分に向かって疾走してくるのが見える。
エリセを戦場から引き離した景虎は、そのままエリセを追って走り出したのだ。
「この、ぉお!」
邪霊を呼び覚まし、弾丸として加工する。
放つ弾丸は必中必殺。サーヴァント殺しの魔弾の射手。変則的な軌道を描いて、敵に食らいつき霊体を捕食する。
存在そのものが霊体のサーヴァントにとっては天敵だ。
景虎は迫る弾丸を前にして、何やら呟くとそのまま直進する。
驚愕に目を剥いたのはエリセだった。
景虎を喰らうはずの弾丸が、どういうわけか逸れてしまった。軌道が勝手に変わり、景虎の背後の地面を抉るに留まった。
「覚悟ッ」
「天……遡鉾ッ」
景虎が穂先をエリセの喉に突き出した時、エリセの矛が異様な魔力を生み出した。
景虎の突進の勢いが急激に低下していく。
景虎は咄嗟に踏み切って跳躍し、エリセの頭上を飛び越えた。逆さまの視界の中でエリセの矛先から放たれた魔力が空間を捻り、粉砕したのを目の当たりにした。
(宝具……しかも、天遡鉾とは)
日本神話に語られる最古の宝具。その中でも特上の逸品だ。イザナギとイザナミが最初の島を作り出した時に用いた国生みの宝具だ。本物であれば人間が真価を発揮することは不可能だ。
(宝具なのは間違いありませんが、本物でもない。逸話による再現か、何かしらの縁で紐付いたか。はてさて、この娘、真っ当なサーヴァントという風でもなし)
着地と同時に回転して槍を叩き込む。
エリセも矛を振るって景虎の槍に対応する。
(どうにも解せないことが多いのですが、まあ……)
邪霊を斬り裂き、矛を打ち払う。
「奇妙奇天烈。奇々怪々。あはははは、面白い。紛い物とはいえ、神代の伝説をこうも再現しようとは」
魔力が渦巻、火花が散って、巻き込まれた大地が破壊される。槍と矛が競い合う、個人レベルの戦いではあるが、人知を超越したサーヴァント同士の戦いともなれば、ただ武器を打ち合っているだけでも周囲への被害は甚大なものとなる。
「く……強い……重いし、
「手ぬるい!」
邪霊の枝斧を景虎は瞬く間に斬り刻んだ。
さらに、撓る槍の一撃がエリセの肩を打ち、怯んだところで胸を刃を刺し貫く。
「う゛……かはッ」
咳き込み血の塊を吐き出すエリセ。
激しい攻防も景虎は血を流すことなく涼やかにこなして見せた。サーヴァントとして、というよりも戦場を渡る者としての年季の違いだろうか。
「その黒い霊体。やはり、湖から遠ざかればその分だけ弱体化するようですね」
「気づいてここまで誘導したんだ。さすが」
エリセの邪霊は霊体を食って力に変える。
古戦場は格好の餌場で、エリセは邪霊の力を遺憾なく発揮できた。
だが、景虎の猛攻を凌ぐあまり、古戦場から距離を取ってしまった。邪霊の霊体収奪も今の位置からでは行えないし、周囲は命の気配のない荒涼とした塩と岩石の砂漠だ。
邪霊が最も力を発揮できない環境と言えるだろう。
「……ぐ……でも、まあ、
エリセは景虎が突き刺した槍を掴んで不敵に笑う。
流した血に黒が混ざっている。
「ッ……!」
膨れ上がる漆黒の闇。
邪霊の暴風が景虎とエリセを包み込んだ。
邪霊の活性化はほんの一瞬。
すぐに沈静化し、エリセの中に戻っていった。
エリセは膝を突いて、そして腹の傷から血を流しながら前のめりに倒れた。
体内の邪霊が騒ぐのか、四肢を痙攣させてから、霊体化して撤退した。
残されたのは、破壊の痕跡と傷ついた景虎だけである。
「まさか、最後に自分を食わせるとは。見誤っていたようですね」
辛うじて脱出することができたものの、エリセの執念には舌を巻く。霊体を喰らう邪霊に自分の霊器を削って喰わせることで一時的に攻撃性能を極限まで強化したのだ。サーヴァントの霊体は、そこらを漂う霊体とは比較にならないご馳走だ。
景虎は右手を握ったり開いたりして調子を確認する。
邪霊に触れたと同時に嫌な感じがした。
エリセの邪霊だけではない。もっと暗くおぞましい力だ。右腕の籠手が焼き切れて、二の腕まで素肌が見えている。白い肌は痛々しく裂けていて、血を流していた。
「これは、なかなかマズいかもしれませんね」
邪霊に触れた手の甲に黒い刺繍が刻まれている。じくじくと熱く痛んでいて、少しずつ広がろうとしているのが分かった。高濃度の呪詛だ。景虎の持つ法術では応急処置程度にしかならない。本来霊体への直接干渉に秀でた魔術体系だが、景虎は一流の法術師のようには使えない。
この呪詛が霊核に届いたとき、さて自分はどうなってしまうのか。
末路は明白。
つい今し方、目の前にいたサーヴァントが物語っている。
■
湖水が沸騰し、爆発する。
無数の火矢の応酬が繰り広げられ、灼熱地獄を形成していた。
全身から炎を噴いてさながら鬼のように荒れ狂うインフェルノに対して、怜悧な表情を崩さず戦いを進める巴。
二人の戦い方は、同一人物というには無理があると言うほど別物だ。
インフェルノの炎は火炎放射。
有り余る魔力を燃料に、視界に移るすべてを燃やし尽くそうという勢いだ。
対して巴は常に炎を出すことはない。ここぞという場面でのみ炎を出している。
手数も威力もインフェルノが上を行く。
歩く火葬場のようなインフェルノに、巴の攻撃はまるで届かない。
「逃げるだけならネズミでもできましょう?」
火矢を間断なく撃ち続けるインフェルノに巴は押され気味だ。同じく矢を放ち、向かってくる矢を射落としているのは、卓越した技術のなさえる技だが、威力はインフェルノが上だ。
巴がインフェルノを目がけて放つ矢も届く前に燃やし尽くされてしまう。
「同じ力、同じ霊器を持ちながら、こうも出力に違いが出るとは。情けなきことこの上ない。理性をかなぐり捨て、狂気に身を任せたほうが幾分かはマシになるのではありませぬか?」
インフェルノの言うとおりだ。
巴とインフェルノは同じサーヴァントだ。クラスも霊器も同じであり、その能力に差異はない。だが、ステータスは全く別物だ。
インフェルノのステータスは巴よりも全体的にワンランク上だ。
基本的な能力が同一である以上、その能力を回していくステータスが上回るインフェルノのほうが強い。
炎を噴射してインフェルノが巴に躍りかかる。
薙刀を呼び出して、上段に構える。刃には炎がまとわりついて、ジェット噴射のように薙刀を加速させる。巴も日常的に用いる近接戦闘術だ。薙刀を呼び出したのでは間に合わない。巴は弓に炎を纏わせて強化し、頭上に翳す。
「はあッ!」
がら空きになった巴の胴にインフェルノが膝蹴りを打ち込んだ。
骨を砕く強烈な一撃。
大鎧の真ん中がへこみ、ひび割れて砕けた。
さらに回し蹴りで巴を蹴り飛ばす。
「かッ……はッ」
「弱い弱い。その弱さで何を守るというのです。弱き者は奪われるのみ。あなたがわたしならば、骨身に染みて分かっているはず!」
薙刀を振りかざしてインフェルノが攻め立てる。
鬼の形相を浮かべて笑うインフェルノ。
それは、巴のあり得たかもしれない姿そのものだ。
鬼の血を継ぐ巴は、いつ何時こうなってもおかしくはなかった。アーチャーとして召喚されながら凶化スキルを有していることがその証だ。
人としての理性を失い、魔に堕ちる。
それは巴にとって他人事ではなく、常に彼女の生涯に纏わり付いていた。
その悲しみと怒りが彼女を魔性に貶めた要因だ。
インフェルノは自分自身であり、その悲しみも怒りも理解できる。
マスターのいないはぐれサーヴァントの巴に対し、インフェルノは膨大な魔力供給を受けている。正式なマスターがいるのかどうかは不明だが、疑似聖杯技術を利用するブリンクウォールに属するサーヴァントならば予想できることだ。
供給される魔力量が多ければ多いほどサーヴァントは強くなる。
魔力供給量次第では、ステータスががらりと変わるほどだ。
「少しだけ、あなたが羨ましいです」
と、巴は言う。
「そのように感情のままに振る舞えたらどれほどよいか。鬼のように周囲に当たり散らし、赤子のように気の向くままに貪り喰らう。例え、あなたを汚染する泥がなくとも、わたしはいつでもその境地に至ることができるのでしょうね」
刃と刃がぶつかり合う。
互いに薙刀を振るい、斬って突いて薙ぎ払う。噴き上がる炎を避けて、組み討ちし、また炎が邪魔をする。手の内を知り尽くしているが故に最後の一手が遠い。ステータスの有利不利も、手札が分かっていれば戦況を左右するほどのものにはなり得ない。
「ですが、そのような有様は、義仲様が信じたわたしではありませぬ」
巴から噴き上がった炎がインフェルノを押し返した。
「何……!」
「あなたがわたしよりも強いのは百も承知! なればこそ、強き力で弱きを踏みにじる行いは断じて見過ごせませぬ! あなたが力に溺れ、義仲様の夢すらも燃やそうというのなら、わたし自身の手であなたの暴虐を終わらせましょう!」
炎を推進力にして、巴は薙刀を振るう。
インフェルノは受け止めきれずに踏鞴を踏んだ。
「馬鹿な!? いったい何をしたのです!?」
「何もしていません。むしろ、あなたです!」
「ぐ――――ぅう!」
振り下ろされる薙刀を柄で受ける。
傲然と火を噴く巴の薙刀はジリジリとインフェルノを押し潰そうとする。魔力で強化した薙刀の柄がミシミシと音を立てて曲がり始める。
反転し、鬼の力を存分に震えるようになったインフェルノが、力で押される不条理。
「分かりませんか? おかしなものです。あなたがわたしであるのなら、知っているはずでしょう。あの日、わたしたちが何のために木曽谷から発ったのか!」
「ッ……!」
ぎり、と奥歯を噛み締めてインフェルノは雄叫びを上げる。
巴の胴を足蹴にして距離を取った。
一方的に攻め立てるだけだったインフェルノが、巴から逃れるために退いたのだ。
「いんふぇるのと言いましたか? わたしの名だけでなく、初心すら燃やしてしまったのですか!?」
「想いなど、初心など何の意味がある? 義仲様は逝ってしまわれた! 同じ源氏に裏切られ、貶められて殺された!」
「それでも、わたしたちは遍く人々のために立ち上がったのです!」
「黙れ黙れ黙れ! その口を閉じろ!」
激情が渦を巻く。
赤と黒の魔力がインフェルノから竜巻のように湧き上がり、灼熱が大気を焦がす。凄まじい負の念は、インフェルノの鬼の力を加速度的に引き出して周囲の空間を歪めていく。
「どこまで行っても、あなたはわたしですね」
ため息をつく巴。諦観でもなければ憐憫でもない。インフェルノの激情に共感できるのは、自分そのものだからだろう。だからこそ、堕ちた自分を許すわけには行かない。先ほど、叫んだ通りである。
インフェルノが弓を構えた。
極大の魔力が充填されているのが分かる。
巻き上がり渦を巻く炎の竜巻が番えた弓に集束する。
「所詮は火事場の馬鹿力。足りぬ魔力を霊核から絞り出しているに過ぎない。そのような矮小な霊器で、凌げると思うな!」
ひときわ強く輝く焔の矢。
「宝具――――
巴御前という英雄の最大宝具に他ならない。
放たれた矢は音速を突破し、大気を焼き払いながら猛進する。
巴まで一秒と掛からず、周囲一帯を根こそぎ吹き飛ばすであろう。
対する巴はインフェルノが弓を放つ寸前に、自身も同じく弓を引いた。
「
同一同質の宝具の激突は、地上に太陽の如き火球を生み出した。
空気が一瞬で膨張し、吹き荒れる熱波が湖面を蒸発させながら波立たせる。
宝具は神秘の激突だ。魔力が多い方が純粋に有利。例え、巴が霊核を燃やし尽くし、自身を構成する魔力のすべてを宝具につぎ込んだとしても、些細な違いにしかならない。インフェルノが敗北する道理はない――――はずであった。
インフェルノが瞠目する。
火球の形が瞬く間に崩れ、インフェルノ側に撓んでいく。
「馬鹿な、なぜ……!」
果たして、火球は崩壊し巴の矢が押し切った。
避ける暇はなかった。インフェルノの火球すら飲み込んで、巴の宝具がインフェルノを焼却する。
鎧も武具も猛る血潮も、黒い泥も纏めて燃えて、灰になる。
脳髄が焼け落ちる今際の際に、インフェルノの脳裏を熱い想いが駆け抜ける
(そうでした、この宝具は……恨み辛みで放つものではありませんでしたね)
熱に篭る巴の魔力。そして想い。彼女が語る初心のなんたるか。そのすべてが篭った一撃を受けて、忘却した過去を思い出した。
魔力も力も自分が上。それで、この惨憺たる結果になったのは、他でもない。心で負けていたからだ。何とも恥ずかしいことである。基本の基本ができていなかった。血に飢えて、心をなくした獣が、武と人生と想いの極みにも等しいこの宝具で勝敗を決しようなど、無粋に過ぎるというものだ。
目も眩むような閃光の後、宝具の激突で生じた破壊痕に湖水が雪崩を打って流れ込み、白波が立った。インフェルノの霊核は破壊され、その霊器は霧散した。もしも遺留物があったとしても、湖の底に沈んで分からなくなるだろう。
「大丈夫ですか!?」
勝負の行方を見届けて、雪希乃が駆けつけてきた。
「あ、ええと、おわったんですよね?」
「ええ、何とか。あなたもご無事で何よりです。後は景虎さんを……」
と、そこで巴は電池が切れたかのようにふらりと倒れる。
「あ、ちょ、ちょっと、危ない!」
雪希乃が巴を受け止める。
「やっぱり、怪我してるじゃないですか!」
「怪我はそうなんですが、少々魔力を使いすぎました。しばらく動けそうにありませぬ」
霊核にダメージを及ぼすほど魔力を消費している。まさに精根尽き果てたといった有様だ。インフェルノ相手だから強がったが、正直かなり厳しい状況であった。
「話は後でしましょう。申し訳ありませんが、少々休ませていただきます」
そう言うや、雪希乃の目の前で巴が消えた。
「は……?」
重さがなくなったので雪希乃は目を見張った。
目をこらすと巴が透けて漂っているのが分かる。幽霊と同じ状態だ。理屈は分からないが、彼女は実体と霊体を使い分けることができるのだ。
サーヴァントというヒロインを知らない雪希乃は驚いたものの、前の世界にいたときから、様々な平行世界を旅して回り、世界の危機という名のトラブルに巻き込まれてきた。こういった能力を持つ人がいたとしても、それで思考停止はしない。
まずは命拾いした。
ハカタの町も助かった。
それが確認できただけでおつりが来る。
後は、戦場を移したもう一人と合流し、この幽霊みたいになった巴と一緒にハカタに戻って、あれこれと話をしよう。
そう思った。