※この作品はR-18です。

異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話   作:もう万体

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幕間4(アロセス)

 クロガネ大公国がノワールに攻め込んでから一ヶ月。両国の戦いは、下馬評を覆してノワールの優勢で進んでいた。

 国力差も戦力差も歴然だ。

 地の利を活かせる防衛側が有利なのだとしても、それでもクロガネ大公国の強大な魔法騎士団は地形の不利を踏破してノワールを陥落させるだろうというのが大方の見方であった。

 詳細不明ながらもノワールはクロガネ大公国の魔法を封じ、戦線を膠着状態に持ち込んだとの情報もある。

 ブリンクウォールのリドル・バージェスにとってクロガネ大公国はよき同盟国だ。人口が多く、ほどほどに敵がいて、政情不安も抱えている。おかげで争いの芽は絶えず、同盟を理由に軍事介入して命を回収することができる。

 ブリンクウォールの領地は決して広くはなく、国民の数も少ない。

 バージェス家の政策は、貧富の極端な差を生み、一部の国民が恩恵を受けて国家として繁栄してきたが、人口そのものは減少傾向である。相次ぐ実験と戦乱で、命を消費しているのだから当然だ。リドルにとって国民などただの消耗品、疑似聖杯の材料でしかないものの、リドルの疑似聖杯はメディアによると燃費が大変悪く、オリジナルの冬木の聖杯に比べると万能性は大幅に低いものでしかないという。

 それでも、リドルの目的である不死には手が届く。

 人間から進化して、より高次元の存在にシフトする。肉体の枷から解き放たれて、老いることも死ぬこともない存在となるというのは、彼女の個人の理想であり、先祖伝来の野望でもある。

 ブリンクウォールは、ただ不死の実現のために存在する国であり、そのためだけの研究機関だ。

 この国の行く末にすら、リドルは関心を持たない。

 疑似聖杯の完成と不死の実現ができればそれでよい。疑似聖杯が完成し、リドルが不死に至る段階では、ブリンクウォールは命という命が魔力に変換されているだろう。国としての体裁は失うだろうが、気にすることではない。 

 

「ずいぶんと険しい表情ですね、お疲れならお休みになりますか? わたしに身を任せていただければ、日々の疲れも、悩みもすべて解決して差し上げますよ」

 

 執務室に黒い影が現れる。

 腰まで届く長い金髪は黄金のように一点のくすみもない。美しい顔には暖かく柔和な表情を浮かべた少女には神聖さすら感じてしまう。

 ブリンクウォールの王都エルドラドの一角にある孤児院の経営者でもある。それだけでなく、貧困層への支援も積極的に行い、食糧や医療を支援している。

 

「聖女様の活躍ぶりには、頭が上がらんよ」

 

 と、リドルは言った。

 聖女というのは、彼女――――セシリィのことだ。

 様々な社会奉仕活動の中でセシリィは自然と聖女と呼ばれるようになった。

 背徳の都にあって弱者救済に動くセシリィは、人々の目には輝かしく見えるのだろう。

 

「働き者というのであれば、やはりあなたでしょう。疑似聖杯のプロジェクトと平行して王様をするのは大変でしょう? わたしも政務の経験がありますので、想像はできますよ」

 

 甘ったるい声でセシリィは話しかける。彼女の言葉には魔力が宿る。人の理性と蕩かせる魔的な声だ。

 

「隙あらば魅了しようとするのは関心しねえな。見た目ばかりの聖女さんよ」

「あら、残念」

 

 クスクス笑うセシリィの目は、どこか淫蕩な色が浮かんでいる。

 社会奉仕活動など表の顔に過ぎない。

 彼女こそ地下収容所で営倉を運営する快楽地獄の管理人だ。

 楽園の魔王、エルケーニッヒ・ルシフェル。

 この世のすべてを快楽で救済することを掲げた元エデンズリッターであった。

 この殺伐としたエルドラドで「社会奉仕活動」に活動に資金が集まるのも、有力者がセシリィの運営する営倉と繋がっているからだった。

 あわよくばリドルにも快楽を味わって欲しいと思っているセシリィではあったが、リドルには魔力の干渉は一切効果がない。

 肩を竦めた彼女に冷たい言葉をかけたのは、リドルではなく新たな人影だった。 

 

「つまらないことでリドルの手を煩わせないでもらえる?」

 

 陰鬱とした表情で、その少女はセシリィを見つめている。感情は読めない。深紅の瞳はセシリィを見ているようではあるが、関心そのものは欠片も抱いていなさそうだ。

 

「あら、久しぶりですね、カノンノ。最近、調子はどうですか?」

「……特に変わりない」

「相変わらず、つれませんね。ああ、それにしても、あなたがエルドラドに来るなんて珍しいじゃないですか。何かありましたか?」

「仕事が一段落したから報告に来たの。疑似聖杯の材料、頼まれた分は確保したんだ」

 

 カノンノと呼ばれた少女は、リドルに視線を向ける。

 

「魔力の結晶はメディアに渡したけど、疑似聖杯の起動の目処は立った?」

「もう少しだ。聖杯として機能させるための核が必要でな。魔力は命でどうにかなるが、核はそうもいかん」

「何でもいいってわけじゃないんだね」

「代用しようと思えばできないわけじゃないが、代用品で不完全な聖杯になっても困る」

「まあ、そうだね。じゃ、もうしばらくは燃料集めばかりってことだね」

「当面はな」

 

 リドルの返答にカノンノは特段の反応はせず、踵を返す。

 彼女はあくまでも仕事に来ただけだ。用事が終われば自分の持ち場に帰っていく。

 

「もう帰るの? よかったらうちに寄っていきませんか?」

 

 セシリィがカノンノを呼び止める。

 

「せっかくのお誘いだけど、遠慮しとく。お茶を飲んで終わりってわけじゃないでしょ?」

「あなたには最高の快楽を味わって欲しいという親切心なんですけど」

「快楽なんてくだらない」

「そんなことありませんよ。快楽は世界を救うのです。強大無比なエクスタシーは、年齢も性別も種族も越えて世界を一つにします。究極の平和がそこにはあるのです」

「平和? 快楽の次は平和なんてね。それがどれだけいいものでもいつかは消えてなくなるの。そんなのは無意味。救済なんて、結局、世界に必要ないんだよ」

 

 と、吐き捨てるようにカノンノは言う。

 

「ふぅん、そう。なら、試してみる? 一度、エクスタシーを味わったら、そんな悲しい考えは二度とできなくなりますよ」

「あなたと遊んでいるほど暇じゃない」

「本当につれませんねぇ」

 

 セシリィはカノンノの拒絶に気を悪くした様子もなく、艶然と微笑んでいる。

 カノンノもまたセシリィに大した関心はないようで、用事は終わったとばかりに去って行った。

 

「セシリィ、遊びは終わったか?」

 

 と、リドルは尋ねた。

 

「ごめんなさい。カノンノが可愛かったものだからつい」

「お前の性癖は否定しないがな、ここでいざこざを起こして聖杯に影響するようなら、相応の処分を覚悟しろよ」

「あら、怖い。ふふふ、わたしも営倉行きになってしまうのかしら?」

「さて、どうするかな。営倉にぶち込んだところで、お前は何とも思わんだろう。それよりも暇なら仕事をしろ。イステネブルに行け」

 

 突然の命令にも、セシリィは艶然と微笑んだままだ。

 

「ずいぶんと遠いんですね。国外だなんて」

「お前なら大した距離じゃないだろう。あっちの王様から、仕事の依頼だ。傭兵国家のくせに、うちに兵を強請るなんざ、情けないことこの上ないがな」

「あちらはクロガネ大公国とよろしくしていたんでしょう? ああ、それはわたしたちもでしたっけ?」

「どっちもノワールとは遺恨があるからな。つっても、今回はノワールは関係ない。あっちは有力なヒロインがいない上に国内に敵対的なヒロインがいるって状況だ」

「ああ、つまりそのヒロインを何とかして欲しいということなんですね」

「そういうことだ。ノワールとの戦いで兵力を削がれている上に王命を無視するヒロインがいては、国内も纏まらんということだ」

「そういうことでしたら、承知しました。ヒロインを倒せばよいと、そういうことですね」

「ああ、そうだ。手段は問わん。お前の好きにして構わない」

 

 それを聞いてセシリィは顔をほころばせた。

 強大な力を持つセシリィは、エルドラドでの生活に退屈を感じていた。

 楽園の魔王として、世界の救済を掲げる彼女にとって、自分の活動がエルドラドで完結するのはあまりにも窮屈だ。もちろん、営倉の経営は彼女の趣味に合致するし、愛らしいヒロインたちが快楽に堕ちていく様は、彼女の理想の世界の体現である。ゆくゆくはこれを拡大して世界を覆い尽くし、快楽に染まった天国を創造したい。

 そのために、疑似聖杯は使えると睨んでいる。

 リドルに協力しているのも、そのためだ。

 

「ふふ、楽しみですね。イステネブル。王様に逆らうなんて、どんなヒロインなんでしょうか」

 

 セシリィは頬を染めて舌舐めずりをして身体を震わせる。

 顔も知らぬヒロインを堕とすその時を想像しただけで、軽いオーガズムを味わった。

 

 

 ♪

 

 

 ノワール北方の国イステネブル。

 傭兵国家として周辺諸国の紛争に兵を貸して外貨を獲得することを生業とする新興国だ。

 強力なヒロインがいれば、容易に戦況がひっくり返るということも珍しくないこの国の戦争ではあるが、それはヒロインを戦力にすることができる一部の国のみに言えることであって、多くの国々は一騎当千のヒロインを保有していない。しかし、紛争は容易に発生する。そういった場合に戦の経験を積んだイステネブルの傭兵は重宝される。彼らは魔法が使えるし、戦いを生業にしているので純粋に強い。傭兵としては大変に優秀だ。

 元来、イステネブルは裕福な国ではない。

 国土の多くが湿地で人の居住にも農業にも不向きで、湿地に浮かぶ丘の上に居住地を作って生活しているという状況である。生産性の低い土地に暮らすためには、外に働きに出るしかないが、傭兵たちが独立して建国したイステネブルが持つ外に通じる産業は、自らの戦闘能力をレンタルすることくらいしかなかったのである。

 イステネブルの経済は戦争がなければ成立しない不安定なものだ。

 それゆえに戦場での彼らの振るまいは残酷なものとなる。相手から少しでも多くの富を奪わなければ、自分たちを養えない。生きるために、イステネブル軍は容易に獣の群れとなる。そういう性格の騎士団なので、ブリンクウォールとは相性がよかった。

 経済力を持つが小国ゆえに人口が少なく、人手が足りず、しかしより多くの戦を欲するブリンクウォールと是が非でも戦に関わり金を稼ぎたいイステネブルはよいビジネスパートナーだ。

 それが今回は逆転した。

 イステネブルの欠点は強力なヒロインがいないことだ。

 過去、ノワールに送り込んだ二人のヒロインがどちらも離反して帰ってこなかった。この影響は、非常に大きく、さらにノワールとの抗争で通常の騎士も減った。イステネブルの国力は低下の一途を辿っているというのに、ブリンクウォールと結んでその抗争に手を貸すくらいしか、今は経済を回す術がない。

 

「まさに、朽ちていく寸前。血を流すことでしか生きる術がないのに、流す血すら不足しているのですね」

 

 セシリィの前には空の玉座。

 ついさっきまでイステネブルの王が座っていたものだ。

 国王ルドルフはよい戦士だった。おそらくはイステネブルだけでなく他の国の騎士たちの中でもトップクラスの実力者だ。戦闘タイプのヒロインが相手でも、場合によっては互角以上に戦えたかもしれない。

 セシリィは艶然たる微笑みをそのままに玉座に腰掛ける。

 見渡す広間には誰もいない。

 磨き抜かれた床もカーペットも、その輝きを失い赤黒い泥で汚れている。

 

「ルドルフ陛下、如何ですか。人間では抗うことのできない至高の快楽。聖杯の泥の中で魂まで蕩けてしまいましょうね」

 

 手の平の上に乗せた黒い泥の塊を無造作に握りつぶす。肉も骨も魂も、何もかもをトロトロに蕩かして魔力に変換する命の収奪。

 ブリンクウォールで開発された疑似聖杯の魔力を収集するための術式だ。

 通常は霧散する魔力を泥の形で保存し、携帯できるようにするのだ。

 人の命で作られた泥は、強力な呪いそのものともなる。それゆえに、人々の負の感情が強いほど良質な魔力源になるのだ。

 セシリィは、その術式に多少の改変を加えた。恨みも憎しみもセシリィには不要なものだ。彼女が司るのは快楽であり、この世のすべてを快楽で満たして救済するのがセシリィの目的である。

 よって、彼女が人に与える最期に苦痛があってはならない。

 疑似聖杯のための贄になる最期の一時に、至高の快楽を与えるのは楽園の魔王の義務であろう。

 この場に集った騎士たちも使用人も全員、苦しみは感じなかったはずだ。

 人間では決して味わうことのできない空前絶後の快感で意識を喪失し、絶命した者もいただろうが、それはそれで幸運なことだ。

 

「うふふ、リドル様も太っ腹ですねぇ、好きにしていいだなんて。そんなことを言われたら、わたし、全部いただいてしまうに決まっているじゃないですか」

 

 広間に充満する淫気が黒い泥を吸い上げて巨大な一つ球体になる。

 リドルから実験的に与えられた疑似聖杯の泥で作り出された爆弾である。

 物は試しとルドルフと謁見している最中に小型の聖杯爆弾を起動させただけで、広間は阿鼻叫喚の快楽地獄と化した。誰も彼もが快感に狂い、救済されて泥に成り果てた。

 何もかもが溶け合って一つの泥になってしまう様は強烈なエクスタシーをセシリィに与えた。自分の望む救済の姿とは多少違っているが、それでも彼らは救われたに違いないのだ。

 

「乗りかかった船ですし、王都のみなさんもわたしが救済して差し上げます!」

 

 

 王都エハングウェンの空を漆黒の雲が覆う。

 太陽は消え去り、寒々しい風がどこからともなく吹き荒れる。

 道行く人々は何事かと空を見上げて足を止めた。

 黒い雲は海や山の向こうから流れてきたものではない。王城から俄に湧き上がり、空に向かって噴き上がったものが四方八方に広がっていったのである。そのあまりに非現実的な光景を、目撃した者はどれくらいいただろうか。

 風に流されることもなく、黒雲は王城を中心に上空でとぐろを巻くように回っている。

 そして、血のような雨が降り始めた。

 

「何だ、これ」

 

 表に出ていた青年は、頬についた雨粒を拭った指を見て呟いた。普通の水ではなく、墨汁のように黒く、そして粘ついていた。

 異常事態が発生しているのは明らかで、見るからに健康に悪そうである。黒い雨に濡れた身体は、全身に黒い絵の具を塗りたくったようになっていた。

 慌てて近く家の軒先に駆け込もうとして、

 

「か、ぺぁ」

 

 喉から空気が抜けるような間抜けな音を出して跪く。瞳が裏返り身体は痙攣を繰り返して、黒い泥の中に顔を突っ込んで動かなくなる。

 

「ひぃいいいい!」

「お、お、ふああ」

「あつい、あつい、身体、んおおおお!」

「くる、あついの、くるううあああ♡」

 

 街中から悲鳴と嬌声が上がり始める。

 個々人の耐性にも左右されるが、一流のヒロインでもこの泥に身体を付ければまず理性が保たない。ただの人間ならばなおさらだ。

 一滴でも肌に付着すれば、それだけで全身が性感帯になってしまい発情を抑えられなくなる。身体全体に浴びれば、快感で精神が崩壊するのは必定だ。

 不幸にも外を歩いていたエハングウェンの人々は、もれなく絶頂の連続に溺れて老若男女を問わずに狂い果てる。

 運良く屋内にいた人間は直ちに発狂することはなかったが、だからといって一安心というわけではない。

 むしろ、一瞬で狂えなかった分だけ恐怖は増したといえるだろう。

 泥から揮発した淫気はすぐに街中を覆っていく。窓を閉め切ろうと淫気の侵入を防ぐことはできない。一吸いで人間は発情し、情欲を満たしたくて堪らなくなる。

 黒い雨が降ってから十分もしないうちに、街中の生き残った人間たちはセックスとオナニーに耽るようになった。

 獣のように腰を振り、寝食を忘れて交わり続ける。命を使い果たすまで、彼ら、彼女らはセックスを止めることはない。

 肉体の限界を超えた情欲で精根尽き果てた人々は、やがて黒い泥に取り込まれて消えて行く。

 斯くしてイステネブルの王都は一日のうちに滅亡し、ただ一人の生存者も残すことはなかった。

 

 

 

 

 王都エハングウェンは千年前の魔王戦争時に当時は人跡未踏の地であった湿地帯に墜落した空飛ぶ船が起源とされている。

 空飛ぶ船に鳥たちが植物の種を運び、その種が芽吹いて草花を咲かせ、長い年月の末に人が暮らせるだけの丘陵になったのだという言い伝えだ。

 いずれにしても人が住むような土地ではなかったところも、千年経てば二万人の大都市に生まれ変わる。地下を掘り進めば、伝説の船にも出会えるかもしれない。実際、空を飛ぶ船というのは戦力として魅力的だ。その機能が残っていなくても、部品だけでも最高級のマジックアイテムになり得る。ヒロインという分かりやすい戦力を失ったイステネブルは、本気で地下深くに眠っているかもしれない船を探すプロジェクトを始めようとしていた。

 そんな歴史ロマンも、楽園の魔王の襲撃ですべて消えてなくなった。

 エハングウェンの歴史にセシリィは欠片も関心を示さないし、王都の住民も全員快楽に沈んだ。

 

「なんてすばらしいのでしょう。これが快楽。これが救済。疑似聖杯が完成した暁には、これが大陸中に展開できるのですね」

 

 快楽こそが真理。

 親愛なるセフィロトが教えてくれた、魂の救済法に他ならない。

 疑似聖杯の泥にセシリィが手を加えた史上最強の媚薬を雨のように降り注がせる。たったそれだけのことで、エハングウェンの人々の魂は法悦とともに溶けていった。

 その光景を見ていたセシリィは堪らず自分も胸を揉みしだいて涎を垂らしてエクスタシーを味わってしまった。

 

「まだ実験段階とはいえ、ここまで上手くいってしまうなんて。この世界の未来はなんて明るいのでしょう」

 

 疑似聖杯が世界の救済に使えると踏んではいたが、予想以上の結果にセシリィは大満足だ。

 リドルと協力したのは間違いではなかった。

 彼女の不老不死の願いは、それはそれで叶えればいい。リドルの不老不死とセシリィの世界救済は、反目するものではない。

 

「さぁて、そろそろお仕事しないと、リドル様に怒られてしまいます」

 

 セシリィは白と黒の翼をばさりと広げる。

 魔王とはよく言ったものだ。

 翼を広げたセシリィ――――エルケーニッヒ・ルシフェルの姿は、天使にも悪魔にも似ていた。 

 

 

 

 ♪

 

 

 

 王都エハングウェンから南に二百キロ離れたところにある寒村に、ヒロインが現れたのは半年ほど前のことだ。

 色白で眉目秀麗。理知的なヒロインで、しかも戦闘能力が非常に高い。その力は村を襲った魔物を討伐したことで明らかになり、二日もしないうちに王都に招待されることとなった。

 問題はここからだ。

 なんと、そのヒロインは王都に向かうことなく寒村に留まることを選択したのだ。

 ヒロインとこの国の騎士の力の差は歴然で、国王ルドルフも簡単に手出しはできなかった。

 政情が不安定なのはクロガネ大公国だけではない。

 ヒロインとトラブルになり、戦力をさらに消費したのでは、目も当てられない。

 その時のルドルフの顔はまさに苦虫を噛み潰したような表情という言葉そのものだっただろう。

 両者は緊張関係を維持しながらも明確な衝突は避け、魔物に脅かされていた寒村は少しだけ安心して生活することができるようになった。

 

 

 

 背の高い葦が茂る沼を小舟がゆるゆると進んでいる。

 乗っているのは、イステネブルに現れた新たなヒロイン、ノルニス。またの名をリッター・アロセス。異世界の修道服に身を包む美しい女だ。

 浮島を繋ぐ橋は至る所が破損し、使えなくなっている。

 最近出没するようになった魔獣が壊してしまったからだ。

 彼女が暮らす村にとっては橋が使えないというのは非常事態だ。

 国の騎士団が魔獣対峙をするのが通例だが、こんな辺境の村に騎士を派遣するのは時間が掛かる。ましてや今は戦時中で騎士たちが地方のトラブルに顔を出す余裕はない。

 徴兵されて若い男がいなくなった村はここに限らないが、このままでは魔獣によって交通が断たれて、飢え死にすることになる。

 そのような事態を見過ごすわけにはいかないので、ノルニスはこの村に残ることを決めた。

 どこの誰かも分からない王に仕える気はなかったし、この村の状況を差し置いて戦を続けるという政策にも疑念を抱かざるを得なかったのである。

 

「こっちはこっちで手が足りないというのに……」

 

 腹立たしいのはこんな状況で他国と戦を繰り返している国のあり方だ。

 村人たちは幼少期からこの環境で育ってきたこともあって、仕方がないと受け入れているところもあるし、そもそも外を知らないから何がおかしいのかも分からないのだろう。

 イステネブルは傭兵国家。

 兵力を貸し出し、時に戦争そのものを代行するのが主要産業だという。

 だが、自分のような力の使い手がいるわけでもないようだから、騎士の多くは消費されるだけで終わるのだろう。

 そんなその場しのぎの外貨獲得手段で、経済を維持できるわけがない。

 そのうち若い世代はいなくなり、やがては国そのものが傾いていくだろう。

 考え事をしていたら、いつの間にか目的地に到着していた。

 橋もかかっていない無人の浮島だ。周囲は水に浸かり、もはや湿地ではなく沼地となっている場所である。

 波打ち際に小舟の残骸が打ち上げられていて、島の中には僅かながら荒れ果てて朽ちた小屋の名残と思われるものがある。

 かつては有人島だったのだろうが、少なくとも十年以上前に住民はいなくなったのであろう。人がいなくなった島は瞬く間に自然の姿を取り戻し、今は魔獣の住処となっていた。

 薄く霧がかかる肌寒い早朝に島に上陸したノルニスは、一本の槍を携えて階段を上っていく。

 かつての島民が残した生活道路は、石で舗装されていたからかまだ使える。

 足場の善し悪しを考えると、これだけでもありがたい。

 そこかしこに剣の切っ先のようなものが落ちている。手に取ってみると、鉄でできているようだった。

 これは魔獣が落としていったもので間違いない。どうやら、この辺りを住処にしているという情報は正しかったらしい。

 しばらく丘を上がっていくと集落跡が見つかった。地面には巨大な生き物が這ったような痕跡があって、さらに丘の上に向かっている。

 その跡を追っていくと、見晴らしのいい広場に辿り着いた。標高は二十メートルほどのところで、船着き場からは丘の反対側にある。

 丘の斜面にくり貫かれたような洞窟があって、広場は洞窟の前に人工的に設けたもののようだった。

 

「いましたね」

 

 決して大きいとは言えない小島である。

 小動物を探すのならばいざ知らず、人間を優に丸呑みできるほどの巨体を持つ魔獣を見つけ出すのに時間はかからない。

 かつて、信仰の場であったらしい洞窟からのっそりと出てきた魔獣は、八本の足を持つ異形の蜥蜴だった。

 全長は十五メートル程度で、全身を覆う鱗は鋼鉄の剣のようだ。

 島中に散らばっていた鉄片は、この蜥蜴の鱗だったのだ。

 村の住民からは鉄鱗蜥蜴と呼ばれていた。

 人間の大人程度の大きさならば、丸飲みにできるだろう。実際に被害も出ている。大型の魔獣は人間の最大の天敵だ。戦うのであれば、魔法かマジックアイテムが必須になる。特殊能力のないただの武器では、鋼の鱗を傷付けるのも難しいだろう。

 本来、こういった魔獣の駆除は国を挙げて対応するものだ。

 魔法使いや魔法騎士を国が掌握するのが普通であり、治安維持も同じだ。それが、多くの被害が出ていながら騎士団が動かない時点で、この地域は国から見放されているも同然であろう。

 ノルニスは気づかれないように、気配を消して茂みの中に入る。あの魔獣が何で外部を認識しているのか分からないが嗅覚と視覚、聴覚あたりであれば場所を選べば対応できる。彼我の距離が十メートルにまで近づいた時点で、鉄鱗蜥蜴はまだノルニスに気づかない。魔力を感知するタイプであれば、すでに気づいていてもおかしくはないので、どうも鉄鱗蜥蜴の感覚器そのものは通常の生物の延長線上にあるのだろう。

 息を殺して茂みに潜むノルニスに気づかないまま、鉄鱗蜥蜴は顔をノルニスとは逆の方向に向けた。

 この時を待っていたノルニスは、リッター・アロセスに変身する。

 彼女は元の世界で、聖遺物「智慧の実」に選ばれたエデンズリッターである。

 変身後はリッター・アロセスとなって、多くの淫魔を打ち倒してきた。

 エデンズリッターとしての強力な力はこの世界に来てからも変わることなく使うことができるのだ。

 アロセスはエデンズエナジー(魔力)を槍先に収束する。

 さすがに魔獣だけあって、アロセスのエデンズエナジーの発露には気がついたらしい。

 素早く顔を振り向いて、乱杭歯が並ぶ口を開けて威嚇してくる。

 もちろん、アロセスにその程度の威嚇は通じないし、魔獣を相手に正々堂々などという余裕を見せることもない。

 そのため、アロセスは鉄鱗蜥蜴にピタリと切っ先を向けたまま努めて冷静に奥義を解放する。

 

「ルミナス・イレイザー!」

 

 槍先から放たれた閃光は一直線に鉄鱗蜥蜴の首を貫き、いとも容易く斬り飛ばした。

 舞い上がった鉄鱗蜥蜴の頭は、何が起こったのかも分からないままだっただろう。

 鮮やかな切り口からは真っ赤な血が流れ出て広場を染めていく。

 剣も槍も跳ね返す強靱な鉄鱗も、エデンズリッターの奥義を前にすれば薄絹も同然だったか。

 鉄鱗蜥蜴は、元の世界の雑魚淫魔と同程度の力しかなく、アロセスからすれば危険性は低いほうではあったが、普通の人間にしてみれば脅威以外の何物でもない。

 ここで討伐できたことで、壊れた橋の修理を邪魔するものはいなくなるし、魔獣の餌食になる人も減らせただろう。

 さらには、この鉄鱗蜥蜴の鉄鱗は高く売れるよい素材になる。

 幾ばくかの村の収入にはなるだろう。

 アロセスは討伐の証に頭を持ち帰ることにした。身体は小舟には乗らないので、後で村長に話をして、回収するようにしよう。

 鉄の塊も同然の重さの鉄鱗蜥蜴の首を小舟に乗せると、それだけで小舟が沈みそうになる。

 船着き場まで小一時間ほどで、そこから徒歩で村に帰ることになる。

 湿地帯は舟で通行できないので、どうしても足を使わなければならない。エデンズリッターの力がなければ、鉄鱗蜥蜴の頭を持ったまま、村まで歩くのはなかなかの苦行になるだろう。

 船着き場を使用するのは主に漁師と商人だ。そのどちらも、鉄鱗蜥蜴には頭を悩ませていたようで、アロセスが首を持ち帰ると、歓声を上げて喜んでいた。この鉄鱗蜥蜴に身内を殺されたという者もいて、荷車を使わせてくれると言うからありがたく借りることにした。

 ゆるゆると荷車に乗ること二時間余り、このペースならあと一時間ほどで村に着く。

 

「ずいぶんと遠いところにお住まいなのですね」

 

 と、御者は言う。

 二頭立ての荷車は、橋を軋ませながらも悠々と進んでいる。アロセスは荷台に腰掛け、御者の問いかけに返答した。

 

「辺境も辺境。かき集めても二十人ばかりの村ですよ」

「それは大変ですね。橋の管理もしないといけないのに」

「そうですね」

 

 イステネブルの多くの居住地は、湿地帯の中の浮島に点在している。橋はそれぞれの居住地を繋ぐ重要なライフラインで、この整備を住民たちは日常的に行わなければならない。

 橋が壊れて行き来ができなくなるということは、生活必需品の売買もままならないということになるからだ。

 人口が二十人程度しかいない小さな居住地は、どんどん数が減っている。ライフラインが維持できず、生活できなくなっていくからである。

 アロセスが身を置く村も、近い将来他の居住地に移転を余儀なくされることだろう。

 たわいもない話を御者としながら、代わり映えのない景色を眺めていると不意に背筋を悪寒が駆け抜けた。

 第六感が大きくざわめいている。

 良くないものがこの先にあると警告しているのだ。

 

「申し訳ありません、ここで止めてください」

「え、ここでですか?」

 

 御者の困惑ももっともだ。また目的地までは時間が掛かる。橋の途中で止めろと言われても、回りには集落もないのだ。

 

「この蜥蜴の首は差し上げます。それなりのお金にはなるようですから自由にしてください。その代わり、この先にはしばらく近づかないでください」

「な、何かあったんですか?」

「分かりませんが、悪いことが起こっているのは確かです。無事に解決したら、また船着き場に伺いますので、それまではここから先にはこないように、他の皆さんにも伝えてください」

「は、はい……分かりました。……お気を付けて」

「ありがとうございます。それでは」

 

 御者には何が起こっているのかまったく分からないが、鉄鱗蜥蜴を葬ったヒロインが突然血相を変えて忠告してくるのだからただ事ではない。

 困惑はすぐに恐怖と焦りに変わった。アロセスの人間離れした美貌も、説得力に拍車を掛ける。御者は顔を青くして、頷き、来た道を引き返していく。

 その様子を見送ることもせず、アロセスは橋を踏み抜く勢いで猛然と走り出した。

 漠然とした嫌な予感だったが、走れば走るほど――――村に近づけば近づくほどその悪寒は強くなっていく。いくつかの居住地を脇目も振らずに駆け抜けて、やがて他の居住地から隔絶された浮島が見えてくる。

 浮島同士の距離が近ければ人の往来は活発になる。逆にどの浮島とも距離があれば、自然と人の行き来は減っていく。

 アロセスがこの世界で初めて世話になった村は、交通アクセスの貧弱な場所にあった。

 風のように走り続けたアロセスが足を止めたのは、疲労からではない。

 村域に入った瞬間に景色ががらりと変わったからだ。

 

「結界……! う……!」

 

 思わず口と鼻を手で覆う。

 凄まじい淫気が満ちていて、とても呼吸ができない。エデンズエナジーを全身に漲らせて無毒かしつつ、浮島に上陸する。

 湿地の中にぽつんと浮かぶ小さな孤島は、橋の行き着く最果ての一つだ。この村より先にイステネブルの居住地はなく、ノワールへ向かう橋も架かっていない。

 村は浮島の北半分にあり、六世帯二十人。ほぼ全員が親戚という小ささである。貧困ながらも家族仲がよく、助け合って平穏な日々を送っていた。

 

「なんてこと」

 

 絶句するというのはまさにことのことだ。

 村は一目見て分かるほどに完膚なきまでに滅んでいた。

 島の中心には巨大な黒い大木が聳え立ち、その枝は島を覆い尽くすほどに広がっている。太い根は地表に張り出し、住家を押し潰している。

 これほどの災厄が結界で外部から見えないように隠されていたのがさらに輪を掛けて性質が悪い。

 結界は明らかに人為的なもので、魔獣の手によるものではない。

 

(この空気、巨木の気配。わたしは、これを知っている)

 

 槍を構えて警戒しながら、生き残りを探して視線を巡らせる。

 一人でも隠れていてくれたなら御の字だ。半ば諦めながらも、アロセスは恩人たちの姿を探した。

 腐臭にも似た淫気を放つ肉根がどくどくと脈打っている。

 まるで自分のいた世界の淫魔を彷彿させる。いや、これはむしろ淫魔そのものだ。自分がこの世界に来たように、淫魔も世界を渡ってきたのだろうか。

 そんなアロセスの前についに現れた人影は、しかし彼女が探し歩いていた村民ではなかった。

 白と黒の翼を広げた金色の美女は、一目見て人外と分かる濃密な魔力を有していた。アロセスの世界風に言うのならばエデンズエナジーである。

 

「まさか、あなたはルシフェル? しかし、その姿はどうしたというのですか?」

 

 瞠目するアロセスは眼前の女を知っている。

 同じ世界の出身であるはずだ。

 共に淫魔を討伐し、世界と国のために戦った同士としてアロセスはルシフェルを認めている。

 

「驚きました。あなたはわたしと会ったことがあるのですね? この世界でエデンズリッターにお会いできる機会があるとは思いませんでしたが、まさかわたしを知る方だなんて」

「……あなたはわたしのことをご存じないのですね」

「恐らくは違う世界のわたしでしょうね」

「でしょうね。正直に言いまして、よく似た別人としか思えません。わたしの知るルシフェルは、非道な行いは決してしない人でしたから」

 

 そう言いながら、アロセスは槍を構えた。

 かつての仲間と同じ顔をした何かは、アロセスの記憶にあるルシフェルとは比較にならない力を秘めているように感じる。

 ルシフェル自身、セフィロト神から力を授かったロード級のエデンズリッターであり最上級の力を振るう存在だったのだが、眼前のルシフェルは単純な力ならアロセスの世界のルシフェルの上を行く。

 おまけに背後の巨木。

 セフィロトを模したのだろうが、性質は正反対のおぞましい呪詛の塊だ。

 ルシフェルと接続して、絶えず力を供給しているのを感じる。

 

「非道なんて酷いことを言いますね。わたしは、非道な振る舞いなんて一切していませんよ?」

「この村をこんな風にして、何を言うのですか? ここにいた人たちをどうしたのですか?」

「どうしたもこうしたも、最期まで皆さん幸せそうでしたよ。ほら、ご覧になってください。このセフィロト様を」

 

 呪詛の大木を見上げてルシフェルは満足げに微笑んだ。

 

「まだ幼木ですが、もっともっと大きくなります。わたしだけのセフィロト様。世界を救済する第一歩がイステネブルから始まるのです」

「何を言っているのですか?」

「言いましたよ。世界の救済だと。淫魔との終わりなき戦いを繰り返すだけの人類に未来はありません。誰かが傷つき倒れ、また新たな騎士が現れる。そんな終わりなき循環を断つには、人も神も淫魔さえも救済する共通の真理が必要だと思いませんか?」

「それで、その真理とやらに目覚めたとでも言いたいようですが」

「その通りです。わたしは気づいてしまったのです。わたしたちを、世界を救済する至高の真理は、わたしたちの中にあると。それ即ち快楽。この世界を快楽で包み込み、人も魔も神も関係なく救済する。それ以外に道はありません。聖痕を持つエデンズリッターならば、お分かりでしょう?」

 

 聖痕はエデンズリッターになるのと引き換えに刻まれるものだ。

 肉体の一部が敏感になり性的な刺激に反応しやすくなる。端的に言えば、聖痕が刻まれた部位は強烈な性感帯になるのだ。力を使えば使うほど、聖痕の感度は高くなり日常生活にも支障が出るほどになる。多くのエデンズリッターは強大な力を引き換えに与えられる聖痕を乗り越えるべき試練と捉えていて、快楽に溺れた者はエデンズリッターとして満足な働きはできなくなる。

 

「理解しました。あなたは快楽に負けたのですね」

「快楽には勝つも負けるもありません。ありのままを受け入れればいいのです。それだけで人は幸せになれます」

「そんなもの、ここで慎ましく暮らしていた彼らの未来を奪う理由にはなりません」

  

 アロセスの槍が光を放つ。

 鉄鱗蜥蜴の首を落とした奥義の輝きはエデンズリッターであっても容易には防げない代物だ。

 アロセスの熱線は地表を焼き、肉根を貫いて大穴を開ける。

 

「不意打ちだなんて、そちらのほうこそ酷いのではないですか?」

「あなたを相手に正攻法で戦う理由はありませんからね!」

 

 ルミナス・イレイザーの威力には絶対の自信があるものの、アロセスは過信はしない。ロード級エデンズリッターが聖痕の快楽を受け入れた上でその全性能を引き出しているのであれば、アロセス以上の能力を駆使できると見るべきだ。

 当然、奥義が防がれることは前提に次の手を打つ。

 爆風で敵の視界を塞ぎ、その隙に一息に距離を詰めるのだ。

 加速度的に槍に光が収束していく。

 ルミナス・イレイザーは連続使用すると威力が上昇する特性を持つ奥義だ。味方の強化に力を使わなくていい分、自分の力を奥義の発動に限定することができる。

 

「はあああああああ! ルミナス・イレイザー!!」

 

 至近距離から放つルミナス・イレイザーは文字通り必殺の威力だ。二発目ともなれば、一発目を遥かに凌ぐ威力であり、如何にロード級エデンズリッターが転じた魔王だとしても、ただでは済まない。

 

「うふふ、すばらしい力ですね」

 

 だというのに、閃光の向こうからは恐ろしく余裕のある声がする。

 眩い光はルシフェルの持つ巨大な槍に阻まれて彼女自身に届いていなかったのだ。

 

「くぅ、なんて力」

 

 アロセスは歯がみして、しかしさらに力を込める。

 今のルシフェルの力はロード級を上回る。

 単純な戦力ではアロセスが不利なのは間違いない。だが、ルミナス・イレイザーを連発すれば、威力の上昇量はやがてルシフェルの力を超えるだろう。その時にはアロセス自身が自分の力の反動に耐えられないかもしれないが、限界を超えなければ、ルシフェルには勝てない。

 

「無駄ですよ。そんな貧弱な攻撃じゃあ、わたしには届きません」

 

 ルシフェルは槍を一閃する。

 ただそれだけでいとも簡単にルミナス・イレイザーの閃光が掻き消された。

 

「そんな……」

「なんという顔でしょう。そんな風に愕然として。辛さも不安も恐怖も、快楽の前には不要な感情。今、あなたの苦しみを消してあげますね」

「ッ……」

 

 アロセスは咄嗟にバックステップを踏んだ。一転してルシフェルから距離を取る。何が来るか分からないので、反応できるように距離を稼ぐ。ルミナス・イレイザーの三発目までのチャージはすでに開始している。

 

(なんですか、これは。身体が重い)

 

 急にずしんと身体が重く感じるようになった。

 それだけでなく、実際に運度能力が低下している。一息に二十メートルは距離を取ろうとしたのに、十メートル程度しか跳躍できていない。

 

「気づきましたか? こっそりあなたの能力を封じさせてもらいました。ざっくり半分程度になったんじゃないでしょうか」

「デバフ……魔王らしいと言えばらしい」

「ふふ、同郷? では多分ないでしょうけど、同じエデンズリッター。攻略は簡単です」

 

 ルシフェルの笑みは圧倒的強者の笑み。アロセスに対して優位性を持つ絶対の自信がある。悔しいがそれは事実だ。

 聖痕の制約もルシフェルには存在しない。彼女は聖痕が与える強烈な快楽すら受け入れて、自らの糧としている。

 セフィロト神への信仰心などまったくないアロセスに取ってみれば聖痕など呪いでしかない。それをあのような形ですべて受け入れるなど正気の沙汰ではない。

 能力まで大幅な制限されたのなら、勝ち目はさらに低くなる。

 いよいよ頼みの綱はルミナス・イレイザーの威力増加にかかっている。

 さすがに想定以上の連発は身体に掛かる負担が大きすぎるが、そうも言っていられない。

 ルシフェルはすでに奥義の発動段階に入っている。

 

「ラスト――――」

「ルミナス――――」

 

 僅かに、奥義の発動はルシフェルのほうが先んじた。

 だが、僅差だ。ルシフェルの奥義がどのような攻撃であろうとも、ルミナス・イレイザーでの迎撃は間に合う。

 

「――――ジャッジメントぉ」

「イレぃ……」

 

 かくんとアロセスの膝が折れた。

 発動直前だった奥義がキャンセルされて、光が霧散する。

 

(何が……)

 

 思考する間もなく、全身を猛烈な快感が駆け抜けた。

 それは、今まで感じたことのない猛烈な規模の性的快感だ。自分の肉体の想定外の反応に、アロセスの聡明な頭脳も真っ白になる。

 

「んおぉ、おほおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 不意打ちに等しい快感の奔流は、何も備えていなかったアロセスの口から無様な嬌声を迸らせる。

 このような声をアロセスは発したことがない。

 ぶっしゃあああ、と潮とも尿とも分からない液体がマンコから噴き出す。

 

「お♡ お♡ おおお♡」

 

 腰を跳ね上げながら、アロセスはブリッジして倒れてしまう。

 

「な、何、が、起こって、ふおおおお♡ か、身体が、おかひいい♡」

 

 愛槍すらも手から離れて、敵を前にしているとは思えない姿だ。壮絶なオナニーでもしているかのようである。誰も性感帯に触れていないのに、一人で勝手にイッている。

 

「こ、これはぁ、わたしの聖痕が、う、ずくぅう♡ まさか、こんなぁ、こと、ありえな、ぃ、ひい♡」

 

 身体中を駆け巡る快感の正体にアロセスはすぐに気がついた。この快感を知らないエデンズリッターはいない。

 これは聖痕に由来する快楽だ。

 すべてのエデンズリッターが持つ性的弱点。神から与えられた試練である。アロセスは、元の世界でもセフィロト神を信仰していないドライな性格ではあったし、この聖痕は祝福でも試練でもなく、ただの呪いとしか思わなかったくらいだが、その懸念が的中した形になる。

 聖痕を責められるとエデンズリッターは瞬く間に戦闘能力を失う。快感で思考が乱されて、満足に抵抗できなくなるのだ。

 この快感に打ち勝つ者だけが楽園の力を振るうに相応しいという触れ込みだが、エデンズリッターの中で、この快感に抗える者がどれだけいるだろうか。

 

「ふー♡ ふー♡ ふぅうう♡」

 

 アロセスは唇を噛んで、ルシフェルを睨み付ける。

 全細胞が震えるほどの快感にも必死に耐えているのはさすがの精神力だ。

 

「あらまあ、そんな風に睨まれると怖いです。最高の快感をプレゼントして差し上げたのに」

「他人の聖痕に干渉する、能力……う、うう……なんて」

「ふふ、セフィロト様の祝福、聖痕という至高の贈り物を最大限に活用するのです。この世のすべてに快楽を、世界を塗りつぶす快楽でわたしはすべてを救ってみせましょう」

「なんて大言壮語を……そこまで、堕ちたのですか」

「そんな風に言う人もいます。残念ですが。ですが、人も淫魔も神ですら快楽を追い求めるものです。ほら、あなたも」

 

 ルシフェルの指がアロセスを指し示す。

 その瞬間、全身が燃えるように熱くなる。

 

「くぅ……ああああああああ!」

 

 快楽という炎がアロセスを内から焼く。

 

「ひぃ、ぎいいいいい♡ おが、しい、こんな、目、人の目も、ないのに、おほ、ふおおおおおおお♡」

 

 アロセスの聖痕は視線だ。

 誰かに見られることで、彼女の身体は発情する。

 今、この場にはアロセスとルシフェルしかいない。アロセスの聖痕が疼くような視線はこの場にないというのに、今、アロセスの身体は規格外の快感に苛まれている。

 

「く、来る、イク、んへえあああ♡ せ、せいこん、せいこんが、身体があついいいい♡ あ♡ あ゛あ゛♡ んお、おおん♡」

 

 地面を転がりながら潮を吹き散らして、アロセスは絶頂する。

 抵抗はおろか立ち上がることすらできない。

 快楽を司る楽園の魔王に、聖痕を有するエデンズリッターは相性が最悪だ。まして、特定の部位ではなく視線に反応してしまうアロセスは、聖痕を活性化されるとたちまち全身が性感帯になってしまう。

 誰の視線もないのに、百万人の公衆の面前に曝されたかのような快楽の暴力に思考も追いつかない。

 

「ふふふ、ずいぶんと幸せそうにアヘってますね。どうですか。聖痕を最大級に活性化されるのは、この世のものとは思えない快感で、何もかもどうでもよくなるでしょう?」

「ふぐ、ぉ、おお……おおん♡ おほ♡ んおおお♡ お、お、止めて、止めて、おかひく、なりゅ♡」

「止める? なぜですか? そんなに幸せそうなのに……。まだ快楽が足りていないのですね。色々と難しくお考えになるタイプのようですし、では、たっぷりと時間をかけて、快楽の素晴らしさを堪能してもらうことにしましょう」

 

 ルシフェルの合図とともに肉根が鎌首を擡げた。

 太い触手は無防備なアロセスに巻き付いて、吊り上げる。

 

「くあ……な、何をするのですか」

「心配いりません。同じエデンズリッターのよしみです。簡単に意識をなくしてしまうようなことはしません。たぁっぷり、楽しんでくださいね」

 

 

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