異世界ヒロインが召喚される世界で好き勝手する話 作:もう万体
クロガネ大公国がノワールの国境を侵してから二十日が経過し、戦線は膠着状態に陥っていた。
ノワール側は防戦に徹し、砦と魔法を駆使してクロガネ大公国の侵攻を阻んでいるということもあるが、歴戦のクロガネ大公国軍にとっては、ノワールの防衛戦は際だって強力であるというものではない。
平野かなだらかな丘陵が覆い国土ということもあり、山岳地帯での戦の経験は少ないということもある。天然自然の要害であり、数百年にわたって他国の侵略を防いできたノワールの険しい山々を甘く見ていたことは認めざるを得ないだろう。
だが、それ以上に計算を狂わせたのは、やはり投入した主力ヒロインの脱落と魔法の大幅制限だ。
ヒロインと西洋魔法を大規模運用することで戦果を上げてきたクロガネ大公国にとって、この両者が機能しないというのは想定外であり致命傷であった。
突出した戦闘型ヒロインがいなければ、各軍の魔法の運用が戦の趨勢を決める。
そういう意味では、魔法を制限されるクロガネ大公国は極めて不利な状況に置かれていると言っても過言ではなく、事実、ノワールの固い防御陣地を突破することができずに山中で立ち往生している。
北方路でも南方路でも状況は変わらない。
前線に送り込んだヒロインたちの生死は不明となり、先行した魔法騎士団は壊乱した。特に北方路は難所が多く撤退も容易ではなかったこともあり、被害は甚大なものとなった。
魔法に軍の機能の多くを頼っていたため、それが喪失した今、騎士たちの戦意は地に落ちた。
一方で、ノワール側は少しずつ戦意を取り戻し始めている。
初めのうちこそ、クロガネ大公国との戦に怯えていた彼らだったが、戦いになるということが分かったことで一転して気力を持ち直した。
平和を長く享受してきたノワールの多くの騎士にとっては、これが初めての本格的な戦だ。それも圧倒的軍事力を持つ隣国が相手なのだから不安は大きかった。犠牲を払いながらぶつかり、撤退を繰り返し、ヒロインの助けも借りながら何とか拮抗状態に持ち込んだことで、ようやく自信を持ち始める段階に至った。
「怪我をした人は他にいませんかー?」
少し前まで、爆音が立て続けに響いた戦場は、ようやく静けさを取り戻した。
散発的な大公軍からの攻撃を防御魔法で受け止めて、反撃の魔法を放つという何度も繰り返された砲撃戦の中で、不幸にも負傷した兵の治療を終えたユイが、声を掛けて回る。
治癒魔法は一般的な魔法の一つだが、重傷者を後遺症のなく癒やすとなると相当の修練が必要だ。
それでも、そんな常識は強力なヒーラーであるユイの前には通用しない。
怪我の程度にもよるが、即死さえしなければ、どんな大けがであってもすぐに治療することができる。
「ユイさーん、こっちに三人いまーす」
「ユイちゃんこっちも頼みます」
「は、はい、順番に行きますから頑張ってください」
あちらこちらから声がかかる。
動ける者は後方の救護所に向かっている。
それくらいであれば、他の医術の心得のある魔法使いで対処できる。
ユイが探しているのは、動かすことも難しい重傷者だ。
大公軍の攻撃が砦の外で補修作業をしている工兵を襲ったのである。威力の下がった魔法であっても殺傷力がゼロになっているわけではない。砦の守りの外ならば、少なからず怪我をする。魔法使いでない者ならば、なおさらだ。
幸いなことに、重傷者はいても死者はいない。
ユイの回復魔法で十分、傷を癒やせる範囲だ。
戦争は長期化しているが、死傷者はほぼ出ていない。散発的な戦闘が時折発生するだけで、大きな衝突は起きていない。
「お疲れ様です、ユイさん」
砦の一室で休憩していると、医療チームの女魔法使いが声を掛けてきた。
十日前にそれまでいた魔法使いと交代で派遣されてきた者だ。戦場に来るのは、これが二度目だという。
ユイとは歳が近いこともあって、自然と親しくなった。
医療チームは半月交替で人員を入れ替えている。負担が大きいことが予想されたための措置だが、最近は治療する必要がない日が多く、派遣期間の大半を騎士たちの健康管理やメンタルケアに終始している状態だ。
「そっちの人たちは大丈夫だった?」
「はい。みんな大した怪我ではありませんから。重くて骨折程度です」
「骨折は重傷じゃないかな」
「魔法ならすぐに治る程度ですよ」
「そっか」
独特なひりつく戦場の空気は、どうしても気持ちを荒ませる。日々、怪我人が出ていた頃は、上から下まで医療チームも大わらわだった。ユイが派遣されるまではノワール自前の医療チームだけで対応していたのだから、救えない命もあった。
その時のことを知っているので、彼女からすればこの程度の掠り傷で騒ぐなと叱咤したいくらいだった。
「しかし、ずいぶんと落ち着きましたね、ここも」
「そう?」
「はい。前回、わたしが来たときは、それこそ開戦初期でしたから、雰囲気がこんな明るくなかったんですよ。騎士の皆さん、皆して目をギラギラさせてて、酷いところに来ちゃったなって思ったんですけどね」
「最近は、あっちも遠くから魔法を飛ばしてくるだけになっているからね」
「このまま諦めてくれるといいんですけどね」
クロガネ大公国という強国が攻めてくるというだけで、小国のノワールにとっては大事だ。前代未聞の大災害も同然で、戦わずして降服もやむなしという空気感があった。
それを、ここまで押しとどめたのは騎士達の努力の賜物だ。
マオの異能が国土全域に行き渡っていて、なおかつ防衛側に有利な地形の恩恵に寄るところが大きいとはいえ、大公軍を跳ね返し、五分以上に渡り合っているという状況は揺るがない。ノワール軍は、今まさに歴史的大健闘の真っ最中である。
「そろそろ、仕事に戻ります。医務室の交代時間がそろそろですので」
「うん、またね」
彼女が腰を上げたその時である。
不意に砦の中に爆音が響いた。地震かというほどの大きな揺れだ。ランプが揺れて、家具が軋み、積まれた本が音を立てて崩れた。
「な、何!?」
「ユイさんは、ここにいてください。様子を見てきますから!」
と、彼女は扉を開ける。その時、二度目の揺れが砦を襲う。雷のような轟音は、大規模な爆発の音だ。彼女はバランスを崩して、尻餅をついてしまった。
「だ、大丈夫!?」
ユイが慌てて駆け寄る。
「は、はい。すみません。いったいこれは……」
ユイたちがいるのは砦の三階だ。下の階から騎士たちの怒号が聞こえてくる。鉄と鉄をぶつける音や爆発音が絶え間なく耳に届く。
「攻撃されてる。というか、もう砦に入られてるんじゃ」
戦慄するユイ。
大公軍からの攻撃はこれまで魔法による遠距離攻撃ばかりだった。多少の振動はあっても、砦全体を揺るがすほどの攻撃は皆無だった。
恐らく、この砦での戦いが始まってから最大の攻撃が今行われている。
「魔法が使えないはずなのに」
魔法はマオの能力の影響下ではその力を失う。
大公軍が苦戦続きなのもそのためだ。
それがノワールの優位性に繋がっていたのだが、それをどのように覆したのか。
「ユイ様、ご無事ですか!?」
甲冑に身を固めた騎士が部屋の扉を開けた。
ノワールの騎士の一人だ。
「わたしたちは無事です。何があったんですか?」
「敵が砦内に侵入した模様です。現在、一階の守備隊で対応していますが、不意を突かれて指揮系統が混乱しています。いったん後方に退避してください。ここは巻き込まれる可能性があります」
「分かりました。救護所の皆さんは?」
「動ける者から退避しています。あなたたちも急いでください」
下の階から魔力の不規則な流れを感じる。様々な魔法が、ノワールの騎士から放たれて大公軍の騎士を迎撃しているのだ。
侵入してきた敵の騎士は魔法がほぼ使えない。
一方で、こちらの騎士は魔法が使える。
この差は大きい。
意表を突かれた形にはなったが、態勢を立て直せば大公軍を退けることは不可能ではない。
ユイも戦えるが、今は状況は不透明だ。迂闊に戦場に飛び込んで、現場を混乱させるわけにはいかない。
剣を抜いて周囲を警戒する騎士の後ろについて部屋から出た時、一際大きな喊声が上がった。悲鳴とも怒号とも違う、人外の雄叫びだ。
血に濡れた兜が足下に飛んでくる。砕けて拉げたくず鉄と化し、原形を留めていない。壮絶な力が加わったことが容易に想像できる。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ビリビリと空気が震える。
のそりと漆黒の影が立ち上がった。
天井ギリギリまで届く巨体は、筋肉が膨れ上がった人型の異形だ。二足歩行という点以外に人間との類似性を見ることはできない。強いて言えば、丸太のような棍棒を握っていることくらいか。原始的ではあるが武器を使う知性があるのだ。
もっとも、その原始的な武器であっても、棍棒だけで大の大人と同じくらいの大きさだ。それを軽々と振り回す筋力も相まって、単純かつ強力な暴力は、人間を蹂躙してあまりある威力となる。
ただ棍棒を振り回すだけで、中規模の魔法と同程度の威力になると言えば、その脅威の度合いが想像できるだろう。
「ト、トロルだって!?」
騎士の口から絶望の色を含んだ声を漏れる。
辺境に住む魔獣の一種だ。
かつては人里を襲い、多くの犠牲者を出したが、討伐が活発化し、今はほとんど姿を消している。少なくともノワール国内では過去五十年発見例がない。
トロルはヒロインが持ち込んだ生物ではない。この世界に元から存在する魔獣だ。それ故に、マオの能力の影響を受けず力を発揮できる。
魔法が封じられた大公軍は、飼い慣らしたトロルを前線に送り込むことで、ノワールの砦を強行突破しようと試みたのだ。
「ひ、いいいいいいい!」
「うわあああああああ!」
「ぐあ、ああああああ!」
まるで嵐のような棍棒の一撃。
人間が忘れて久しい原始的な暴力が、ノワールの騎士を薙ぎ払う。
甲冑に身を固めた騎士の身体が、軽々と宙を舞った。
甲冑に施された防御魔法すら、この腕力の前には心許ない。
また一人、剣を抜いた騎士を目がけて棍棒が振り下ろされる。
「フラワリングヒール!」
剣を構えたまま潰される瞬間を待ったその騎士は、信じられないものを見たというように目を見開いた。
衝撃で膝を突いたが、それだけだ。
全身が軋み、今にも倒れてしまいそうだが、そのダメージはすぐに抜けた。
身体中に力が漲り、傷が癒え、トロルの攻撃を正面から受け止めることができたのだ。
自分が強くなった――――わけではない。
桃色の魔力が彼の身体を包み、強力なバフを付与したのだ。
「皆さん、離れて!」
ユイの魔法は、ノワールの騎士たちの魔法とは文字通り規格が違う。
トロルに倒された騎士たちの傷を治癒し、戦闘能力の底上げをする。周辺にいるすべての騎士たち全員に一度の大量のバフをばらまいた。
ノワールの魔法で同じことをしようとすれば、どれだけの手間暇がかかることだろうか。
「フラワーショット!」
桃色の魔弾がトロルの胸の真ん中を直撃し、その巨体を跳ね飛ばした。
わっと騎士たちがどよめいた。
トロルはざっと五メートルばかり後ろに飛ばされて、尻餅をつく。身体に対して異常に発達して両腕が石壁に食いつき、転倒を防いだ。
まるで石壁が砂か泥でできているかのように、トロルの握力はあっさりと壁を削り取る。人間がまともに捕まれば、一秒も持たずに肉塊にされてしまうだろう。
(どうしよう。思ったより固い)
ユイは内心の焦りを隠しながら次の手を考える。
厄介なのは廊下の狭さだ。
ユイの攻撃魔法でトロルを倒すことはできる。だが、そのためには威力の高い魔法を使わなければならない。砦を内側から破壊することになりかねず、誰を巻き込むかも定かではない。かといって、トロルの防御力を考慮すると手加減しながら魔法を連打しても決定打にはならなそうだ。
どこか広い場所におびき寄せて、強い一撃を加えるのがよさそうだ。騎士達にバフをかけて、協力してもらえば、何とかなる。
「これから皆さんを強化しますから、その魔獣を外に追い出してください。そうしたら、わたしの魔法でやっつけますから、協力をお願いします!」
そういいながらユイは全体に強化魔法を掛ける。身体能力が向上し、一般騎士でもトロルに蹂躙されない程度には強くなった。分厚い皮膚に剣を突き立てることもできる。ユイのバフを受けた十人の騎士でかかれば、トロルを窓から追い落とすことは不可能ではない。
騎士達が剣を抜き、立ち上がったトロルと向き合った次の瞬間、トロルからどす黒い血が噴き上がった。まるで泥の噴水だ。人間の血とはまるで異なる魔獣の血は、酷い腐臭をまき散らしている。
「まったく、何を浮き足立っているんだ。各々、持ち場に戻れ。形勢が多少不利になった程度で、臆するな」
少女がどこからともなく現れて、トロルの首を剣で刎ねた。
ヒロインの一人、ヒッポリュテだ。
呆れたような視線で騎士達を見回す。
冷厳な視線に曝されて、騎士達は震えた。
外見こそ少女だが、そもそも生物としての規格が違う。ヒッポリュテの威圧感は、瞬時にこの場を呑み込んだ。
「ノワールの騎士ともあろう者が、臆病風に吹かれて逃げ惑うとは恥を知れ。魔獣の侵入を許したことだけでも厳罰を覚悟すべき事案だ。この砦から侵入者どもを駆逐するまで、許しはないと思え」
「は、はい!」
「申し訳ありませんでした!」
トロルよりも目の前のヒッポリュテのほうがずっと恐ろしい。
後方に下がっていた彼女がやって来たのは、この騒ぎを聞きつけてのことだろう。トロルを瞬殺し、浮き足だった騎士達を一喝して戦場に送り返した。
「ユイと医療班の魔法使いか。お前達は後方に下がれ。ユイはともかく、そこの魔法使いは乱戦になれば身を危うくするだろうからな」
「ヒッポリュテさん、ありがとうございます」
「礼は不要だ。ユイだけでも対処はできただろう。我々の支援におんぶに抱っこでは、成長はない。マスターが求める人材が、どれだけ発掘できるか期待していたんだが、この戦線は怪しいな」
「人材……?」
「敵が魔法を使えないからと油断して、見張りを甘くした結果がこの様だ。それで自分達で立て直せればまだ評価してもよかったが、どこも等しく及び腰。危機的状況にあって臨機に対応できない者が、今後、ノワールの拡大に貢献できるか甚だ疑問ではあるな」
クロガネ大公国だけではない。ノワールは今、敵に囲まれている。イステネブルもブリンクウォールも、ノワールとの関係は良好ではない。地政学的に孤立しているノワールがヒロインの力だけでこの状況を打開するのは難しい。
戦いに勝つだけでなく、その後の統治や政治面も考えなければならない。
ノワールが直面する課題は経験と人手の圧倒的不足だ。
ヒッポリュテの目から見て、今日の失態は見張りの騎士の完全な油断だ。クロガネ大公国と対等以上に渡り合えていることで、一部の騎士の中で敵を軽んじる空気が生まれた。その結果、気を抜いて砦の内部に侵入を許した。立て直せなければ、そのまま敗戦にも繋がる大失態である。かつて率いた戦闘集団の中であれば、死罪すら視野に入れるべき不抜けた展開だが、マオは恐怖支配は望まないだろうし、処罰を繰り返せばそれこそ人手不足に拍車がかかる。ならばと騎士達には活を入れて、挽回の機会を与えたのだ。
ヒッポリュテからすれば甘い対応だが、ノワールの「現在地」を考慮すれば仕方がない。他国に比べて、圧倒的に危機的状況に対する経験値が少ないのだ。
ヒッポリュテに一喝された騎士達が、死に物狂いで侵入してきた敵と切り結んでいる。こちらは魔法が問題なく使えるので、冷静に対処すれば何も問題ない。
血で血を洗う、命がけの戦い。
砦に引きこもるばかりで停滞していた軍の空気にギラついた熱が戻ってきた。
「ああ、いいな。戦場はこうでなくては」
軍神の血が滾る。
本来ならば、敵軍に自分が斬り込みこの戦争を早々に終わらせるべき所だが、その許可は出ていない。意図的に戦争を長引かせるのは、様々な政治的な思惑が絡んでのことだ。
あまり好ましい方針とは思わないが、ノワールとクロガネ大公国との国力差を考えるとやむを得ないのだろう。
国家として争ったとき、ノワールがクロガネ大公国と対等以上に戦えるのは、ノワール国内だけだ。ヒロインの質だけで押し切れる可能性はあるにしても、ただ戦争に勝つだけではその後の混乱を収拾することは難しい。
そのため、マオはクロガネ大公国にダメージを与えたいが、国家として破綻させたくもないという贅沢な悩みの中にあるし、そういう悩みを抱くことができるのも、ノワール国内での圧倒的優位性によるものだ。
「とはいえ、徒に長引かせてもこちらの不満が溜るばかりだ。あまり時間を掛けてもいられないぞ、マスター」
今日の戦いは気を引き締める上では良い薬になっただろう。だが、緊張感が砦の中に満ちれば、長期的にはこちらの精神的負担も大きくなる。
どうあっても、籠城にも限界がある。どこかで攻勢に出なければ、終わらない戦争に厭戦気分が広がるのは必定である。
そうなったときに、ヒロインを早く投入していれば戦争の早期決着ができたはずだと不満がマオに向かうリスクはあるのだから。
■
橙色の魔力弾が暗い森の中で明滅する。まるで蛍の群れがが光を放ち、乱舞しているかのような美しい軌跡を夜気に刻みながら、黒い影が断末魔の悲鳴を上げて絶命する。
これをすでに何十回と繰り返し、さすがのティアナも疲労の色が顔に滲み出てきた。
サバイバルの鍛錬は、嫌というほど積んできた。実戦経験もある。だが、だからといって慣れたものだと割り切れるわけではない。サバイバルをしなければならない状況というのは、後手に回っていることがほとんどだ。情報も準備も足りないまま、補給を断たれているのである。知識が無ければ、十中八九命を落とす。知識や経験があったとしても、生き抜くだけで精一杯ということもあるだろう。まして、今は、敵が繰り出した魔法カードで生成された森の中だ。完全に敵のフィールドに取り込まれたところからのサバイバルというのは、想像もしたくない。
「クロスミラージュ、現在地」
『スタート地点から北東に7キロ。前回の目印から南西に3キロです』
「大分、移動したわね。」
《森》のカードに敵を迷わせる効果はない。あくまでも森を出現させ、この環境に適応したカードモンスターを強化するのがこのカードの基本的な能力である。
問題は、そもそも《森》で作り出された空間に、道らしいものが存在しないということだ。
見渡す限りの原生林そのものであり、空を覆い尽くす枝葉によって日の光も地面に届かない。
魔法で作られた結界の内部と同じ構造であろう。物理的な出口はおそらく存在しない。試しにクロスミラージュに位置情報を記録させ、まっすぐに進んだが、いつの間にか逆方向に向かっていることがあった。これを何度も繰り返し、ティアナは《森》は無限に広がっているのではなく、フィールドの縁を越えると逆方向に戻されるという性質があることを把握した。案の定、どこまで進んでも脱出はできないというわけだ。
これで行動指針は定まった。
空間そのものを破壊するような攻撃手段がない以上、魔法カードを維持する何者かを叩くほうが早い。
これだけ広域に影響する魔法カードの効果をいつまでも維持できるとは思えないが、すでに取り込まれてから半日が経過していることを考えると、規格外の魔力の持ち主なのか、それとも魔力炉のようなものを持ち込んでいるのだろう。
「問題は、相手がどこにいるのかってことよね」
引き金を引く。
飛びかかってくる狼の額を撃ち抜いた。
《森》に閉じ込められてから、状況はまったく変わっていない。
アニスともステラとも連絡が付かず、安否は不明だ。
ただ、敵はティアナを狙っているわけではないだろうというのは感じている。
これまでティアナを狙ってきたのは低級のモンスターばかりだ。積極的にティアナを狩ろうとしているようにも見えず、ほぼ遭遇戦である。
カードモンスターとして因縁があるのはステラだ。
もしかしたら、敵の狙いはステラなのかもしれない。あるいは、単純な時間稼ぎ。ヒロイン生協とノワールの繋がりを断つための妨害というのであれば、戦闘を避けて、決着を先延ばしにするというやり方も分かる。
どちらにしても、ティアナに対しては積極的に攻勢を掛けてくる理由はないだろう。
アニスとステラのどちらかが戦えば、それ相応の音が聞こえてくるはずだ。しかし、今のところ彼女たちの存在を知らせるような音は聞こえてこない。
二人とも何が潜んでいるか分からない森の中で、物音を立てるのを控えているのだろうか。
大木の影に身を潜めて、少しだけ休憩する。
体力も魔力もこのままでは枯渇する。それ以前に水も食料も不足しているのが不味い。このままで戦う以前に餓死するというのが現実味を帯びてくる。
ティアナはただの人間なので疲れるし、常にエネルギーを消費している。一日に数時間は睡眠も必要だ。
ティアナは結界を張り、最低限の安全を確保した上で目を閉じる。その時、耳に不自然な葉擦れの音が届いた。
風ではなく、それなりの大きなものが枝葉を揺らした音である。敵対的なモンスターの可能性を考慮して、ティアナは一気に戦闘態勢に戻った。
クロスミラージュの引き金に指を掛けたまま、息を殺して周囲を伺う。
また、茂みから音。今度はもっと近い。ティアナは魔力弾を生成して、銃口を音源に向ける。
「きゃッ」
茂みから飛び出してきた人影は、可愛らしい声を出して地面に転げた。
木の枝が服に引っかかり、バランスを崩したようだ。
頭から地面に突っ込んだのは、年端もいかない少女だった。
「な、女の子!?」
モンスターを警戒していたティアナは、想像もしていなかった少女の出現に思わず声を上げた。
「あなた、大丈夫!?」
「た、助けてください!」
顔を上げた少女の目には涙が滲む。衣服はボロボロに破れ、靴も履いていない。裸足でここまで走ってきたのだろう。身体中が泥で汚れている。
少女が声を上げた時、彼女の背後でさらに大型の気配が蠢いた。
「伏せて!」
ティアナは迷わず魔力弾を放った。
茂みから飛び出てきたのは、豹の頭をした人型のモンスターだ。湾曲した刀を手に、背後から少女に斬りかかろうとしている。
そのモンスターの頭をティアナの魔力弾が正確に撃ち抜いた。
モンスターにとっては出会い頭の事故のようなものだ。回避はできず、大きく上半身を仰け反らせて転倒し、そのまま塵となって消えた。
緊張から解放され、ティアナは肩の力を抜いた。
追撃がないか警戒しながら、少女の元に駆け寄る。
「怪我はない?」
「……は、はい……大丈夫、です。ありがとうございました」
少女は震えながら起き上がる。それをティアナは制した。
「無理しないで。回りにモンスターはいないから。そうよね、クロスミラージュ」
『はい。探知可能な範囲に敵性モンスターの反応はありません。強襲される可能性は低いと思われます』
「ほらね」
実際にはどのようなモンスターがいるのかはっきりしていないので安心とは言いがたい。今襲いかかってきたモンスターにしても、身体能力が極めて高くクロスミラージュの知覚範囲外から一気に距離を詰めてくることも考えられる。
ティアナは塵となったモンスターがいたところに落ちているカードを拾い上げた。
パンサーウォリアーというらしい。
貴重なモンスターカードをこのように使い捨てるのは、それ相応の資金力のある組織でなければ困難だ。
ヒロイン生協と正面からぶつかっても構わないというスタンスなのも気になる。
「ところで、あなた名前は?」
「セラです」
「セラちゃんは、どうしてこんなところにいたの?」
セラは唇を噛み締めて首を振った。
「お母さんと一緒に……コールに来たの。それで、海を見ようって丘を登って、そしたら、う、うぅ、わああああああああああ」
「ちょ、し、静かに! 危ないから!」
ティアナは慌ててセラを抱き締める。子どもをあやしたことがないので、見様見真似でしかない。考えてみれば、ティアナの周囲には大人びた子どもばかりで、セラのような年相応の子どもはいなかった。
(エリオとキャロを基準に考えたらダメか。もー、なんでこんなところに子どもがいるのよ)
想像するセラが言う丘はティアナたちが訪れた公園予定地だろう。
敵が《森》を展開した際に、近くにいて巻き込まれたというところか。
そうだとすれば、この森の中にセラの母親もいる可能性が高い。
「セラちゃん、お母さんは……」
「おか、お母さん、は……あ、ふあ、あああああ!」
「ご、ごめんね、ごめん、ああ、泣き止んで……」
困り顔で慌てるティアナ。
まさか敵地のど真ん中で子どもの相手をするとは思わず、どう声をかけたものか。とりあえず、また抱き締めて背中を軽く叩きながら声をかけて落ち着かせる。
訓練を積んでいなければ、大人でも泣きわめきたくなるような環境だ。むしろ、この少女が無事にここまで逃げ延びたことを褒めるべきなのだ。
「セラちゃん、足はどう? 歩ける?」
「うん」
セラが泣き止んでから、ティアナはセラに話を合わせるように努力した。
そこまで踏み込んだ話をする必要もなかった。好きな食べ物とか好きな動物とかそういった他愛もない話だ。セラはもともと話が好きなのか、ティアナが自分を助けてくれた相手だからかすぐに信頼して、自分から話をしてくれるようになった。
おかげで、セラの母親のことも聞けるようになった。
セラの母親もこの森のどこかにいる。当初は一緒にいたのだが、モンスターの襲撃に遭い、母親は連れ去られてしまったというのだ。
カードモンスターがわざわざ民間人を拉致するとは考えにくい。
ティアナたちと間違ったのだろうか。
カードモンスターが人を拉致したとなれば、連れて行った先に彼らのアジトがある可能性もある。
民間人の救出は必須。時空管理局でもヒロイン生協でも、ティアナは人を守るために戦ってきたのだ。加えて、脱出の手がかりも掴めるかも知れない。セラの様子を見ながらにはなるが、じっとしても助けが来る見込みもない以上は動くしかない。セラの年齢を考えれば、母親とはぐれた地点はさほど遠くではないだろう。