甘露寺蜜璃はどれだけ飲もうが翌日に影響しない。記憶も飛ばない。さすがに起床は普段より遅くなるが、寝起きもすっきりばっちりである。
伊黒さんの家の寝室の天井を眺めて、見慣れ始めてきたことにときめきながら、甘露寺はリビングに顔を出す。
「おはよう、甘露寺」
フレンチトースト、サンドイッチ、サラダ、目玉焼き、ヨーグルトにコーンスープにスポーツドリンクにと、敷き詰めるようにテーブルに並んだ朝食に目を奪われていると、紅茶を片手に伊黒さんがキッチンから出てきた。
「ちょうど呼びに行こうとしたところだ。大したものも用意できずに申し訳ないが」
「そんなことないわ! 毎朝そうだけどすごいごちそうよ、本当に全部食べていいの?」
「好きなだけ食べてくれ。だがしかし失態だ。桜餅と緑茶の用意もあるが、朝食を洋風でまとめてしまったな。ケーキのほうがよければ買ってこよう」
「ケーキも好きだけど、伊黒さんとの朝ごはんの方が好きだから、一緒に食べましょう? ……ってごめんなさい作ってもらった立場で! ………伊黒さん? 頭痛いの?」
額を押さえて天井を仰ぐ伊黒に首を傾げて席に着く。
以前から見られた兆候だが、どうも伊黒さんは偏頭痛持ちらしい。何か力になれたら良いのだけど……。
「問題ない。昨夜ちょっと悪夢を見てな。脳裏に冨岡めの顔がへばりついて離れなかったのだが、今浄化されたところだ」
「冨岡さん綺麗な顔しているものね!」
「甘露寺より綺麗なものなんて存在しない」
なんて真顔で言うものだから勘違いしそうになる。
どこまでも優しい伊黒さんに引き寄せられて押しかけて、同棲が始まったかと思えば今度はお姫様みたいに扱われて、どんどん溶かされてしまっている。
でも、恋人にしてもらった時も、同棲が始まった時も、いつも伊黒さんは優しく受け入れてくれただけで、自分からの要望を一度も言わなかった。
―――ねえ、伊黒さんは私をどうしたいの?
「甘露寺?」
「な、んでもないわ!」
手が止まったのを不思議そうに見てくる伊黒さんに我に返る。朝からなんてはしたないことを。アルコールが抜けてないのかしら………。
朝食を終えたあと、どちらがお皿を洗うかで多少もめて、最終的に皿洗いは伊黒、洗濯物は甘露寺が担当することで収まった。伊黒は最後まで飲み会明けの甘露寺を働かせることに抵抗を感じていたようだが、分担した方が二人の時間が作れるという甘露寺の案に折れた。
二人分の洗濯物は、平日の分も溜まっていて結構な量だったが、もともと一人暮らしが長く、かつ力の強い甘露寺にかかればすぐに終わる。
今日は天気も良いしお布団も干そうかしらと、甘露寺は寝室に戻った。そしてベッドの横に、無頓着に投げ出されている伊黒の鞄に目がいった。
そういえば昨日は確か、炭治郎くんと飲んだのだっけ。居酒屋で寝てしまったようだけど………。いったいどうやって帰ってきたのだっけ?
思案しながら、ひょいと鞄を手に取る。いつもの通り鞄かけに収めようとして、半開きのそれから、ちらりと見えた中身に甘露寺は固まった。
甘露寺だってもう二十代半ばの女性である。経験はなくとも知識はあり、ドラッグストアで紙袋に包まれて渡される商品ジャンルも、一応知ってはいる。
でも、それが伊黒さんの鞄に入っているっていうことは、えーと、つまり………。
「………甘露寺」
びっくぅ、と甘露寺の体が跳ねる。いつの間にかキッチンの水音は止まっていて、音もなく伊黒が寝室にやってきていた。
「あ、ご、ごめんなさい! 勝手に中を見てしまって! 覗き見るつもりはなかったの、ただいつも通りにかけておこうって……」
伊黒さんはあくまでも冷静に、でも少しだけ低い声で甘露寺から鞄を受け取る。
「いや、こちらこそ済まない。置きっぱなしの鞄にその中身にと、二重に目を汚してしまったな。この詫びは必ずさせてくれ」
そして甘露寺から隠すように中のそれを取り出してそのまま持っていこうとする。
その手を掴んだ理由は最初、甘露寺にもよくわからなかった。
「甘露寺………?」
「あ、え⁉ え、えーと」
ただ先に感情が動いたのだと、理性が追い付いてきて漠然と思う。甘露寺には時々そういうことがあった。でも、だからラッキーだとも思っていた。もしかしたら伊黒さんの気持ちがわかるかもしれないから。
だから甘露寺は、自分の顔が真っ赤になっているのを自覚しながらも、心のままに言葉を紡いだ。
「そ、れ。使ってくれないの………?」
ぶちり、と。なにかが切れる幻聴が、確かに聞こえた。
聞こえた。確かに聞こえたはずだった。しのぶちゃん曰く「男が獣になる瞬間はすぐわかります。目が違いますもん、目が」とのことで。
目ではなかったけどさっきの幻聴はそれに類するものだとさっきは確信したのだけれど。
「はっ、はっ………あっ」
何度も何度も胸を弄られ、甘露寺は必死に漏れ出る声を抑えようとしていた。
「甘露寺、痛くないか。辛かったり嫌だったらいつでも言ってほしい」
あの言葉の後、伊黒さんに絡めとられてから、かれこれ二時間になる。
破かないように皺にならないようにとゆっくりと服を脱がされ、ベッドに寝かされ、寒くないようにと掛け布団を上から被せられ。一つ一つの工程の丁寧さが伊黒さんの優しさによるものだとはわかっていても、全体的に恥ずかしくて死にそうだった。
そして始まった前戯という名の甘い地獄。
最初の三〇分は慎重そのものといった手つきで全身を確かめられるように撫でられて。
次の三〇分でだいたいどのあたりがどれぐらいの感度なのかを一通り確かめられて。
何らかの基準で何かが決まったらしく、耳と胸ばかりいじめられるようになって、もうすぐ一時間になる。
耳にゆるゆると舌を這わされ、胸に手を当てられる。弾くように頂点を刺激されて、我慢できずに高い声が出てしまう。
「………少しずつ、わかってきたと思う。何度もすまないが、痛くはないな。至らぬところがあったらどうか言ってくれ」
「痛くは、ないけどぉ……っ。も、う。ちゃんと触って」
ちゃんと、の意味を正確に理解したうえで、伊黒さんは首を横に振る。
「まだ駄目だ。万が一にも甘露寺に苦痛を与えるわけにはいかない。このまましばらくは続けて、全身に触れてから最も感度の高いところを触っていく。そこまでやって、一周だ」
「ふ、ええぇ、もたない、もたないからぁ、」
「……綺麗で、可愛いな」
小さく笑う気配がして、伊黒さんの手が蛇のような動きで再び伸びてくる。
伊黒さんの理性ってどうなってるの……。
甘露寺はじくじくと疼く体を抱いて、ただ伊黒の一対の目を見つめていた。
始まった時に頂点にあった短針は、もう斜め下を向いていた。
「あっ、あっ、あぁぁああああぅ、うあっ、っはぁ、はぁ、うぅ」
かれこれ四時間。耳、胸、背中、首、太ももを経て、甘露寺の体の中に伊黒の指が入り込んでからはおおよそ一時間。
果てる寸前で止められ、を延々と繰り返され、無尽蔵とも言われた甘露寺の体力も底が見え始めていた。
「………そろそろ、大丈夫だろうか」
その言葉に、甘露寺はうっかり泣きそうになる。体は既に限界に近い。
不幸ではない、辛くもないし、痛くもなかった。だけど色々想定外だった初めてもようやく終わる。
そう思っていたが、ふと疑問がよぎった。
「あれ、伊黒さん。さっきの、その、あれは?」
はて? という顔で伊黒さんは首を傾げた。
そして何かに思い当たったのか、また少しだけ笑った。笑って、私の中にある指を強く動かしだした。
―――え、え、え⁉ なんでなんでというかちょっと待って。
「待って伊黒さん、そのままされたらぁ………あ、ぅぁあああっ、っあ!」
体の中心がぎゅうっと縮こまって、頭がちかちかする。荒く息を吐いて、甘露寺は急激に弛緩していく体の反応のまま、くたりと力を抜いた。
夕焼けを浴びて輝く伊黒の目は真っ直ぐに甘露寺を見ている。
「甘露寺、綺麗だ」
正直に言うと、しばらくは顔を起こすのもしんどい怠さだった。
でも、三時間以上焦らされた体は一回だけではまだまだ不服を訴えていて。
それをもっとも満たしてくれるものも、本能と感情がすでに知っていた。
震えだした体に鞭打って、甘露寺は首を起こす。
「ね、え。伊黒さん。その、最後まで、して?」
伊黒は小さく、喉の奥で響くような笑い声を漏らして、一言一言、誤解を生まないように丁寧に告げた。
「もちろんだとも。これで一周だからな。至らぬのは変わらずだろうが、微小ながらもやりかたはわかったと思う。次はもっとうまくやってみせよう」
………なんだか私は、とんでもない誤解をしていたような気がする。
これは良くない、危険信号だ。伊黒さんの落ち着いた声は大好きだけれど、今だけは耳を塞ぎたい。
恐れおののき獲物の気分を味わう甘露寺に、最初と同じく、耳と胸に手を添えた伊黒小芭内は、緩く笑ったままこう言った。
「何度でも言わせてくれ。俺は甘露寺に絶対に苦痛など与えたくない。その可能性を潰し切りたい。最低でもあと三周は付き合ってくれ」
―――短針って、どこを向いていたら何時なんだっけ………、あれ、え?
一周で底が見え始めていた体力はとっくのとうに限界値を割り込み。
途中、シーツ交換と水分補給を挟んだが、それ以外はずっと触られ、というか焦らされ続けて、甘露寺はもう何が何だか分からなくなっていた。
「いぐろさ、い、ま、なん、ふぁ、じぃー、っあ」
「三時だ」
「あ、そうなん、だぁ。まださんじかん、しか経って、ないのね、ぇ」
「いや、一五時間ほど経過している」
「わかってるわよぉそんなことぉ! 伊黒さんのばかぁ、ぁぁああああああああ!」
四度目の頂点に脳をやられる甘露寺蜜璃。
十五時間かけて、たったの四回。
やっぱりしのぶちゃんの言っていることはあっていた。あの時絶対、なにかが切り替わっていたのだ。
紳士的な仮面がぶら下がっているだけで、伊黒の寵愛は蛇のようにねちっこく、有無を言わせない強引さであった。
満足したのか、額から落ちる汗を拭って、伊黒はようやく鞄の中を漁り始める。
「まだまだ不足かもしれないが。これ以上は俺も保ちそうにない。だが痛かったら言ってくれ」
ぜったいに言わない、と心に決めたのは二周目も半ばの頃だったかなあと、もう遠い昔を思い出すように甘露寺は一瞬飛びかけた意識でそんなことを考える。
そして飛びかけていた意識は、急速に現世に引き戻された。
伊黒のものを受け入れて、さっきまでとは違う叩きつけるような快楽と、窮屈さと、鼻先まで近づいた色違いの瞳に、冗談抜きで呼吸が一瞬止まる。
「痛くないか」
「いたくない、いたくないぃ。き、もちいいで、す、ぅあっ」
「動くが、痛かったら言ってくれ」
「ぅあっ、あっ、ああぁぁっ! っはぁ、っは、ぁぁあっはあああ!」
痛くないけど、もう痛い方が楽だったかもしれない。延々と焦らされ続けた体にこの仕打ちは猛毒を打ち込まれているに等しい。
―――次から、伊黒さんを誘うときはもっとちゃんと覚悟を決めてからにしよう。
少しの後悔と、でも伊黒さんのしたいことを知れたこと、そして長い時間、自分だけを見てくれていた嬉しさと、ようやく結ばれた喜びと、でもたぶんこれって絶対普通じゃないんだろうなあ、しのぶちゃんとそういう話になったらどうしようという前途への不安と。
いろいろなものがぐるぐる回って。
頭も体も情報過多を起こし、甘露寺蜜璃はおおよそ十六時間の初体験の果てに意識を飛ばした。
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栗花落カナヲも基本的には、どれだけ飲んでもそれが翌日に影響することはない。ただし多量に飲んだ翌日はものすごく寝る。昼まで目が覚めないなどザラで、起きたら夜だったなんてことも一回あった。
目を覚まし、壁掛けの時計を見ると午後の三時。今日はマシな方かな。と一つ伸びをして考える。冬至も近いし、もう幾ばくもせずに夕方になるだろう。
リビングでは、炭治郎が年賀状の用意をしていた。
「炭治郎、おはよう」
「おはようカナヲ。といっても、もう三時だけど。お粥を作っておいたんだけど食べられそう?」
実家はパン屋なのに米派の炭治郎は、同棲時にカナヲが持ち込んだ炊飯器を無視して土鍋でお米を扱う。そして炊飯器のほうでパンを作ったりする。
有効活用なんだか無駄遣いなんだか判断が難しい所であったが、炭治郎が炊いたお米は確かに美味しいからカナヲは満足していた。
「うん、ありがとう」
が、それも昨日までの話だ。
カナヲも甘露寺同様、記憶が飛ばないタイプで。伊黒先生相手に言語化したところで、炭治郎への不満が少しだけわだかまっていた。
「炭治郎」
「ん?」
「その、………わ、私は。炭治郎に! 不満があります!」
「うん、聞かせてほしいな」
「こんな時間まで寝てて説得力もないけど、炭治郎にばっかり負担をかけたくないから。できる家事は分担させてほしいし、疲れていたら言ってほしい、です」
言ってて途中でいたたまれなくなる。午後まで寝続けて、結局年賀状の準備までさせてしまっている身で何を言っているのだろうか。
うつむくカナヲの眼前に、温かいお粥が置かれて。
優しい手つきで頭を撫でられて、顔を上げるとお日様のような炭治郎の笑顔があった。
「教えてくれてありがとう。実はいろいろと立て込んでいて、今日はまだ家事が追い付いていないんだ。それを食べ終わったら、手伝ってくれる?」
「………ん!」
ああ、幸せだなあ。
高度を落としていく陽光に照らされる炭治郎を見ながら、遅すぎる朝食を頂いた。
洗濯物を取り込むのは問題なかったけど、どうやっても炭治郎みたいに畳めない。
「…………」
「気にすることないよ! 俺が最初にやった時より全然綺麗だから、すぐに慣れるさ」
ばちこんとウインクをする炭治郎に救われる。手先の器用さは負けていないはずだから、単純に繰り返した回数の差なのだろう。
「年賀状すごい枚数だね。炭治郎一人なのに、うちと同じぐらいある」
「年々増えていって、気づいたらって感じかな」
「そっか、ふふ。炭治郎はいろんな人に好かれてるもんね」
「みんないい人だからなあ。いろいろ助けてもらって、感謝しかないよ」
「類は友を呼ぶんだよ。………炭治郎?」
「ん? ああいや、何でもない。そう言ってもらえるとうれしいな」
パソコンを食い入るように眺めていた炭治郎は、我に返ったようにカナヲに笑いかけて、ディスプレイを閉じる。
でも、本当にすごいことだ。
積みあがった年賀状は炭治郎の人徳の深さで。これだけの人が炭治郎に、種類はどうあれ好意を抱いているのだなあと思うと、誇らしいようなもやもやするような気持ちになる。
―――でも。
「カナヲ?」
「………一番好きなのは、私だよ」
ふいと目を背けて言う。炭治郎は一瞬固まったようで、その空気に耐えられなくなって、カナヲは立ち上がった。
「もう暗いね」
カーテンを引く。その腕を、後ろから掴まれる。耳を後ろから食まれて、足から崩れ落ちそうになる。
「本当だな」
もうすっかり、夜の帳は下りていて。
カナヲを捉えるその腕は、ただ触れる以上の意味を持った動きをしていて。
「もう、夜だ」
窓ガラスに反射する炭治郎の口元は、三日月のような弧を描いていた。
「五感のどこに頼っているかって、結構人によってばらつきがあるみたいでさ。善逸なんかは妙に耳が鋭いし、伊之助は今夜が雨になるか雪になるか感覚で当てられるんだ」
「た、んじろ、ぅあ!」
「玄弥はアオイさんに頼まれて新メニューの調味料の微調整に付き合ったりしているみたいだし、俺は窯からどのタイミングでパンを引き上げるのが良いか匂いで大体わかる。カナヲは確か目が良かったよね。高校のとき、全校集会で義勇さんのブレザーのボタンが掛け違っているのに気づいてたの、結局カナヲとしのぶさんだけだったから。すごいよ」
「あ、ぅあ、っあ、っは、ぁあ!」
「だから目隠しされると、そんなに敏感になるんだね」
「ぅぅぁぁああああっ!」
目を隠され何も見えなくされて、身構えることもできずに中心を激しく抉られて、カナヲはぎゅうと炭治郎の指を締め上げた。何回経験しても、カナヲはこのやられ方に弱い。
視認して対応するという流れが他人より強固に発達しているカナヲは、視覚を奪われると他の五感から上手く情報を拾えない。そしてそのことは、ずいぶん前に炭治郎にバレていた。
「っは、っは、っはあう、ぅあ」
また体中を不規則に動き始める炭治郎の指に、ぞくぞくぞくと体中が反応する。バレて以来、回を追うごとに巧みに、そして予測不能になっていく炭治郎の責めを、カナヲはもう一身に受けるしかない。
唇を合わされて、つなぎとめようと必死に舌を伸ばしても、軽く舐められるだけですぐに離され。
耳、首、鎖骨と撫でられて胸に達するかと思えばいきなり太ももをくすぐられ。
果てる直前まで中を蹂躙されたかと思えば、「可愛いね」なんて囁かれて一切の愛撫を止められる。
苛烈ではないけど、体力がものすごく削れるわけじゃないけど。
炭治郎は絶対にサディストだと、カナヲはもう疑っていなかった。
「まぶしい?」
「………たんじろうの、ばか」
何度も何度も果てさせられた末に、ようやく目隠しを外される。最後までするときは何箇所も触れないし、カナヲの目が見たいから、という理由だと、だいぶ前に炭治郎に聞いた。最近では、目隠しを取るという行為自体に体が反応するようになってしまっているのは、ぜったいに、誰にも言えない。
精一杯にらむと、炭治郎はちょっと昼間の顔に戻って苦笑した。
「そうだね、俺はばかだ。こんなに好き勝手やっていたら、いつかカナヲに嫌われるんじゃないかって、結構前から悩んでいたんだ。ついさっきまで」
「……さっき?」
「カナヲ、昨日伊黒先生と飲んだでしょう。その場で言っていたこと、伊黒先生に教えてもらったんだ」
カナヲは記憶が飛ぶタイプではない。だから覚えている。自分が言ったことを。
―――意地悪な炭治郎も………。
「ぅ、ぅぅぅううううっ!」
「でも、それでもちょっと思う所はあったんだ。不死川先生も、義勇さんも、ちゃんと自制ができているのに、長男の俺がこんなことで良いんだろうかって。でもさっき、メールが来たんだ」
カナヲが可愛いことを言って炭治郎を固める少し前のこと。
不死川実弥と、冨岡義勇から、図ったように連続していたメールには、曰く。
『竈門炭治郎殿
無理だ。
冨岡義勇』
『お人好し長男野郎
俺だって自制できたことなんざ一回もねェよクソッタレ。
不死川実弥』
「きっとどこでもそんな感じなんだろうなって思ったら、楽になったんだ。だからさ」
「ひっ、っあ」
一瞬見えた昼の顔はすぐに塗り替えられ、炭治郎はカナヲしか知らない、三日月のような笑顔を深くして囁いた。
「受け止めてくれると嬉しいよ」
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今回の件については懲らしめるという目的は存在しないため、甘露寺とカナヲを引き合わせての罰会が男性陣によって催されることはなかった。
ゆえに。
場末の居酒屋で甘露寺蜜璃と栗花落カナヲが膝を突き合わせて酒を次々傾けているのは、本人たちのセッティングによるものである。
「いぐろさんはぁ、いいのよ? とってもすてきだわ。やさしいし、たよりになるし、わらしのことを第一に考えてくれるしぃ……、でもちょっと加減を覚えてくれてもいいんじゃないかしらっておもうのよ、わらしのためを思ってくれていてもぉ!」
「たんじろー、ぅはもう止まってくれなぃ。前から意地悪だったけど、あんなの今からして思えば、ぅあ、締めた蛇口から落ちた水滴みたいなものだったんだってー、おもう。だってなんかもう今はもう、ぅぅぅうううううう!」
ばんばんとテーブルを叩き、おしぼりに噛みつき、と好き勝手やる美女二人は、これでもかというぐらい呼び鈴を連打し、若干引き気味の店員に叫び気味に注文を飛ばした。
「「度数の高いおさけ! ありったけ持ってきてください!」」
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そして伊黒の車で回収待機中の伊黒小芭内と竈門炭治郎は、お互いにお互いの恋人への仕打ちに引いていた。
「伊黒先生。初体験で短針一周回すって、ええ……」
「竈門炭治郎、貴様にだけはそんな目を向けられるいわれはない。学生同棲の上にド級のプレイに興じやがってこの助平めやっぱり貞操観念の乱れは危機的状況じゃないかなにやってるんだ風紀委員顧問、仕事しろ冨岡そして過労で死ね」
「いやあ、冷静に考えれば義勇さんが一番風紀違反みたいな付き合い方してましたから。あ、そうだ」
ポンと柏手を打って、炭治郎はごそごそと毒々しい配色のCDを取り出す。
いや待て、このチュッパチャプスが円形に並んでいるような絵柄、どこかで見覚えが……。
悪寒がした。
すでにちょっとめまいと吐き気がしている伊黒を無視して、炭治郎はどこまでも溌剌に続ける。
「高校の時のバンドなんですけど、実はまだ時間があるときに続けてまして! こないだ宇随先生が新曲を焼いてくれたんです。もうしばらく待ち時間が続くでしょうしぜひ聞いてください!」
「まて、まて竈門頼むから待ってくれお前らのバンドってつまりあれだろう当時即席の救護テントまで埋め尽くさせた音中毒必至の公害バンドだろうふざけるな入れるな再生するな車内に地獄は狭すぎる竈門ォォォ!」
最近叫びがちな伊黒小芭内の絶叫は、直後に轟いた美術教師の爆音ハーモニカにかき消された。