「本日はお忙しいところに時間を作っていただいてありがとうございます」
「いえいえ、いいんですよアオイ。誘っていただけて嬉しいです」
「正直もう私だけでは抱え込めないというかどうしていいかわからなくなっていたので、本当に助かります………」
「ええ、ええ。わかりますとも。さぞ悩んだでしょう。私にもそんなことがありました、獣の相手は大変ですよね。今日は少しでも気を軽くして帰ってください」
そんなことがあった、というか現在進行形であることは棚に上げ、サワーで乾杯の音頭を取る胡蝶しのぶと、最初からスクリュードライバーで飛ばしていく本日の主役、神崎アオイ。
ちなみに昼間にしのぶに送ったアオイのメールは至極事務的であった。
『胡蝶しのぶ様
お世話になっております。神崎アオイです。
最近、伊之助さんの相手を満足にできていないのではないかと悩んでおり、ご助言を賜りたく思っております。
お忙しいとは存じますが、何卒、よろしくお願い申し上げます。
神崎アオイ』
そして、別名レディキラーを三杯空け、ほろ酔いになったアオイの口からするすると言葉が紡がれていく。
「伊之助さんに不満があるわけじゃないんです。むしろ逆なんです。普段、猪突猛進って周りも後先も考えずに突っ走ってばかりだったから、夜になってからのギャップについていけないというか………」
「ギャップ、ですか?」
「はい………。初めては、ちょうど一年ぐらい前だったかと思うのですが………」
情事を離すには酔いが足りないとばかりにぐいーと濃いオレンジ色の液体を飲み切り、覚悟を決めたようにキッと前を向く。
「覚悟はしていたんです。伊之助さんの事だから、きっと荒々しいことになるだろうって。最低限の予防線は張らせてくれようとしたのか、する日は事前に教えてくれましたから、それに合わせて避妊具も頑張って自力で用意して、家じゅうくまなく掃除して、翌日と翌々日は予定を空けたうえで料理の作り置きもして、万が一に備えて応急キットも用意しました………」
そんな自然災害みたいな心持ちで初夜の準備をする女性がこの世に何人いるだろうか。
もうなんか色々と規格外だなぁ、そしてそれでも受け止めきれなかったってどういうことなのアオイに何してくれたのあの猪、と青筋が立つ胡蝶しのぶだったが、続く言葉はまったく予想外のそれだった。
がぁんとグラスをテーブルに叩き置き、アオイは両手で顔を覆う。
「だから、逆に受け止められなかったんです。まさか、まさか、閨での伊之助さんがあんなに、優しいなんて思ってなくって………っ!」
そして胡蝶しのぶは、うっかりサワーをちょっとこぼした。
………これは、うーん?
「惚気てます?」
「困ってます! お願いしますちゃんと聞いてください! わかってますよ、そういう響きになりそうなこと自分でも言ってるなって! でも違うんです、本当にもう受け止められないんですキャパオーバーなんです!」
そして神崎アオイはぐいぐい飲む。
スクリュードライバーにカルアミルクにアレクサンダーにと、男に勧められたらまず警戒するべき酒類だけを選び取るように自らの胃に流していく。
そして………。
「いのすけしゃんはですね、まずぜったいにわたしにむりはさせないんです、……ぅ」
「はい、そうなんですね」
「キスはわたしの顔を見ながらいろんなかくどでおとしてくれますしぃ、さわりかたもいちいち壊れ物を扱うみたいでぇ……。焦らすでもなくとにかくきもちよくさせてくれます……ぅ。最後までするときも、体に負担がかからないように注意してくれて、ぇ」
「良い事じゃないですか」
「でも絶対ぜったい我慢させてるんです! だって体力お化けなのに! わたし、翌日に腰が痛くなったことすらないんれすよぉ………?」
「気遣ってもらえて幸せ者ですね、アオイは」
―――この話、三周目なんですが。
サワーよりも甘ったるい話にそろそろ砂糖を吐きそうになる胡蝶しのぶ。
どうやら真剣に悩んでいるらしいアオイには悪いが、やっぱりただの惚気にしか聞こえない。
「でもかいかんも、たたきつけるような荒いあたえかたじゃなくて、無理ないというか、気づいたらもう果てる直前、みたい、なぁ………。なんでなんですか! 普段はチャリ走みたいな挙動しかできないくせになんでなんでぁぁぁあああ!」
「おっと」
酔っ払い特有の急な叫びに水滴が飛び、一瞬のけぞる。
もうほとんど潰れているな、としのぶは判断し、最後に一つだけ尋ねる。
「アオイは、そんな伊之助さんが不満ですか?」
「………ふまんじゃ、ないです。だいすきー、です。でも、不満させてるんじゃないかって、こわい、です……ぅ」
そして寝息を立て始めた神崎アオイを、胡蝶しのぶは優しくテーブルの端に寄せる。
それから、間近のカウンター席でちみちみと焼き鳥を噛んでいる男の肩を叩いた。
「ですって、よかったですね。伊之助さん」
「……ヨカッタ」
嘴伊之助にとって、胡蝶しのぶはどちらかというと畏怖の対象である。
そして胡蝶しのぶの側も伊之助に恐れられていることは自覚していて。
神崎アオイからのSOSメールを受けて飲み会を企画するのと並行して、事前にしのぶは伊之助を締め上げていた。
真っ黒な笑顔で詰めてくるしのぶにがたがたと震えながらも、伊之助は「乱暴はしてねぇ! 疑うならアオイに聞け!」の一点張りで。
それなら同席させたうえで言質をとってやろうと伊之助をカウンターに待機させておいたら、こうなった。
「まずはごめんなさい。伊之助さん。あなたの言っていたことが正しかったです。さっきまでの飲み食いの代金は私が出しましょう」
「はん! だから言ったじゃねぇか俺はアオイに無理はさせてねぇ! 嫌がることもしてねぇ! ちゃんと大切にしてらぁ」
とふんぞり返る伊之助だが、さっきの安堵しきったカタコトを聞くに、不安はあったのだろう。寝入るアオイの髪を梳くその手つきはどこまでも優しい。
「でもわかりませんね」
「あ?」
「いや、アオイが言った通り、あなたは直情的で強引だと私も思っていましたから。どういう心境の変化です?」
と尋ねるしのぶに、伊之助は心外そうな顔を浮かべた。
「しのぶのくせに馬鹿なこと聞きやがる。雄が雌を労わるのは当然の義務だろうが」
「………」
グラスを傾ける手を止める胡蝶に、何かまずいことを言ったのかと若干ビビりながら、伊之助は不貞腐れたように続ける。
「俺は山の王だ。獣の交尾なんざ見慣れてる。でだ、何回も見てるとわかるんだよ。どんだけ荒いように見えようが、一対多数の交尾だろうが、雌に無理させていたずらに消耗させる雄なんかいなかった」
「……伊之助くん」
「雌はすごいんだぜ。あの細っせぇ体で雄の全部を受け止めたうえで子育てまでやりやがる。だったらかけなくていい負担はかけないほうがいいに決まってる」
「……伊之助くんっ」
「大体、命を繋ぐ行為で命を削らせるなんて最低だぜ、違うのかよ」
「伊之助くんっ!」
感極まってしのぶは伊之助の手を取って強く握る。
うっかりすると涙が出そうだった。
「わたしはっ、わたしはあなたを誤解していました。正直アオイと付き合い始めたって聞いた時からちょっと不安だったんです。絶対無茶苦茶やって傷つけるだろうって。それがこんな、こんなっ………!」
「そうだぜ! 俺様はすごいんだぜ! どうだ思い知ったかしのぶ!」
「ええ思い知りましたとも! あなたは最強です。今日は好きなだけ食べて帰っていってください! カードの限度額いっぱいまでやってもらっても構いません!」
「まじかやったぜ! おい店員! ここにあるやつ上から全部よこせ! がっはっは!」
すやすやと伊之助の肩に寄りかかって眠る本日の主役をさておいて。
半ばバイキングみたいな様相を呈しつつある居酒屋の一席で、蝶と猪の宴は深まっていく。
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「ぜんいつさんはいつになったらわ、たしにっ! 手を出してくれるんですかおしえてくらさいカナヲ義姉さん!」
「落ち着いて禰豆子。あとまだ義姉さんじゃない」
ところ変わって、別の居酒屋。
栗花落カナヲには本日、夕方から外せない用事が入っていて。
少し遅れるから先に入っていて、と禰豆子に返信しつつ、超特急で駆けつけてみたら、すでに未来の義妹はしたたかに酔っていた。
伊黒先生といい善逸といい、私が関わるのはへたればっかりだなあと毒を含んだ感想を笑顔に隠し、栗花落カナヲはコートにしまっていたスマートフォンを取り出す。
いくつかの操作の後、パーカーのポケットにしまった。
「禰豆子、起きて」
「ぅう。ぜんいつさんに会いたいです……」
「善逸はいないけど、会ったら何か伝えたいことはある? よければ私が伝えてもいい」
「ぜんいつさんは! いつになったら私に手を出してくれるんですか! まだキスもできてないんですけどぉ!」
さっきとほぼ同じことを繰り返す竈門禰豆子。
善逸の事だし、そう遠くない未来に自制できなくなるんじゃないかと思うけれど、伊黒先生みたいに同棲しながら童貞を保つ猛者も存在する。
というかもう、二十歳を超えた男女の色恋でファーストキスがどうだのと言っている時点で、だいぶこじれているような気がする。
でも、とカナヲは首を傾げる。
「善逸、高校卒業と同時に一人暮らしをしていたよね? 家に呼ばれたりしなかったの?」
「行った……」
「それでなにもされなかったの?」
「そういう、雰囲気にはなったんです……だけど、だけど! ちょっと出来心でベッドの下を覗いてみたら………」
ああ、やっちゃったね禰豆子。とカナヲはゆるく首を振る。
ハードは悪くないがソフトが残念過ぎる男、我妻善逸。
己の想い人に尻軽極まりない歌詞を提供した男であり、夏からバレンタインに向けて暴走した結果、警察のご厄介になりかけた男。
それは家探しみたいなことをしたら絶対にダメだよ、と思うカナヲだったが、次の禰豆子の発言はさらにその斜め上にぶっ飛んでいた。
「なんか、いかがわしい写真集、みたいなのが出てきて……っ」
「だろうね」
「顔の部分だけ切り抜かれてて、私の写真が張り付けてあって………っ!」
………善逸。
栗花落カナヲの目がハイライトを失ったことに気付かず、竈門禰豆子はテーブルに額を思いっきり打ち付けた。
「そんなの冷静に対処できるわけないじゃないですか、おでこ弾いて逃げ出しちゃいましたし、それっきりそういう雰囲気になることなんてなくなっちゃいましたし! もうどうしたらいいんですかぁぁぁあああ!」
それでまだ善逸に惚れている禰豆子も正直、どうかしているとカナヲは思うが、そんなこと言ったらこの酔っぱらいはどうなるかわからないから口をつぐみ。
あっちはどうなっているのかな、と、サワーをちびちびと飲みながらそんなことを考えていた。
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そして、カナヲと禰豆子が飲んでいる居酒屋の真向かいにあるファミレスにて。
向かい合って座る竈門炭治郎と我妻善逸を取り巻く空気は、さながらお通夜のそれであった。
テーブルの中心に置いてある、カナヲの携帯と通話を繋いでいるスマートフォンを指さして、炭治郎はにこりと笑う。
「どういうことだ? 善逸」
「いやだもう目が笑ってない般若みたいな顔すんなよぉたぁんじろぉぉぉおおお!」
「禰豆子の顔を写真集に張り付けていたのか? どうしてそんなことするんだ。恥を知れ」
「違うんだよぉだって寂しいじゃない想像しちゃうじゃない、わかってるよ禰豆子ちゃんの方が百倍も千倍も魅力的だってことは! でもしょうがないでしょ不自然極まりなくてもなんとかイメージしたかったんだよォ! 偶像崇拝だってそうやって発達してきたんじゃない許してぇぇぇえええ!」
「いいかよく聞け善逸。お前のような、奴に、妹は、絶対に、渡さない」
「いやだもう刻むように言わないで怖いッ!」
ジムで禰豆子からのSOSメールを受け取ったカナヲは、自分の手に余ると思って事前に炭治郎に相談をしていた。
それならかくかくしかじかと炭治郎は並列面談をセッティングして。
半ば盗聴のように禰豆子の気持ちを善逸の前で一緒に聞いてみたら、この体たらくであった。
個室でも何でもない公衆の場で涙と鼻水まみれになっている善逸を見て、炭治郎は頭痛を覚える。
しかし、何が一番悲しいかって、何が一番やるせないかって、こんな男に妹は心底惚れてしまっているのである。
「善逸。俺は善逸のことを友達だと思っている」
「思っている、だよね! 思っていた、じゃないよね!」
「いらない恥を晒すことは多いけれど、なんだかんだ陸上で実績を残せるほどの努力家であることも、桑島さんの道場で一生懸命鍛えていることも知ってる。だからもう一度、チャンスを上げてもいいかなとは思う」
禰豆子のためにもそれがいい、と炭治郎は内心穏やかではなかったが決断を下す。
それで禰豆子の目が覚めればそれでもいいし、善逸がビシッと決めればそれでもいい。
「た、たぁぁんじろぉぉぉおおお!」
「近寄らないでくれ、汚い」
「対応が塩すぎる!」
たんぽぽ頭を振り乱して近寄ってくる善逸の顔を押し戻して、炭治郎は大きなため息をついた。
―――ときおりあるド級のやらかしさえなければ、俺はとっくに禰豆子を任せても良いと思っているんだけどな。
言うと調子に乗らせるから、絶対言わないけど。
『炭治郎? 聞こえる?』
スマートフォンの向こうからカナヲの声がした。
「もしもし、聞こえてるよ」
『禰豆子寝ちゃったから、介抱をお願いしてもいいかな? 遅いのにごめんね』
「気にしないでくれ! こちらこそ相談してくれて嬉しかったよ」
『ふふ、ありがと。待ってる』
「ああ、またすぐに」
電話を切って、さて帰るかと立ち上がると、怨念のこもった目で善逸がこちらを見ていた。
「………なんだ」
「なんだじゃないでしょうがよ見せつけやがって! このでこっぱちが!」
耳が良いくせに自分の叫び声は平気なのかと、ファミレス中に響き渡る声で善逸は叫ぶ。
「ふざっけんなよなんでお前に彼女がいて俺はまぁだ禰豆子ちゃんとキスもできないのさ! 理不尽だふざけんなよ! いやでも今がチャンスなのか、ねえねえたぁんじろう? こっからなら竈門ベーカリーよりうちの方が近いから、禰豆子ちゃんは俺が連れて帰るよ! さあさあ、だから俺に任せて!」
「そうか。禰豆子は俺が責任を持つが、そのあとお邪魔させてもらおうかな。善逸の私物は徹底的に改める必要がありそうだから」
「野郎は来んなよ炭治郎は来んなよ! だってそしたら禰豆子ちゃん集に禰豆子ちゃん抱き枕に二分の一スケール禰豆子ちゃんフィギュアとか全部没収されちゃうじゃない、そんなの嫌だ耐えられない!」
「善逸………」
竈門炭治郎は両手で善逸の肩をがしっと掴み、ぐしゃぐしゃになっている顔を正面から見据える。
「え、え、えっ、待って炭治郎なにこれ」
「お前は存在してはいけない生き物だ」
「待って待てよ振りかぶんなよお前の頭突きは死人が出るだろ、頭すっ飛ぶからちょっと待ってぇぇぇえええ!」
どこまでも残念な男、我妻善逸。
某ファミレスにて絶叫の果て、頭を押さえるだけのオブジェへとなり下がり。
結局今夜の帰り道は、カナヲに禰豆子をおぶってもらう運びとなった。