「煉獄先生。お忙しいところ、お時間を作ってくださったのは大変ありがたいのですが」
「うむ! 卒業生とはいえ君は俺の教え子だったのだ。悩みがあるなら聞くのが当然だ!」
「その、なんでジムなんですか?」
最近オープンしたフィットネスジムにおいて。
およそ常人なら耐えられない速度設定のランニングマシン上で、煉獄杏寿郎と狛治は余裕な顔で言葉を交わしていた。
「最近、運動をしたいと思っていたからな! 狛治なら俺のペースについてこられると思った次第だ!」
キャンプファイヤーの横で居眠りこいてたらバケツの水をぶっかけられた、という伝説を持つ歴史教師は、どこまでも暑苦しく声を張る。
「まあ、これぐらいならなんとかなりますけど」
「そうだろう! さすがは素流の師範代だ。まさか素手で俺と渡り合うとは思っていなかったぞ」
「懐かしいですね」
とあるバンドがぶち壊した音楽祭の代替案として、決行された格闘祭において。
決勝戦で一時間近くの激闘を繰り広げたのが、何を隠そうこの二人である。
「あれは非常にいい試合だった。すんでのところで勝ちを拾ったが、今やったらおそらく負けるだろうな!」
「どうでしょうね。煉獄先生にはまだまだ敵わないような気がしますよ。格闘祭ってまだ続いてるんですか?」
「いや、あれも結局禁止に追い込まれた! というのも、翌年にゲスト出場した時透の叔父さん(弟)が強すぎてな! 他出場者全員の心を折ってイジメみたいになってしまったのだ! 凄惨な幕引きだったぞ!」
「はあ………、それはまた」
「ちなみにもっとも心を病んだのも時透の叔父さん(兄)だった!」
「そ、そうですか………」
他出場者全員って……と戦慄する狛治は、そろそろいいかなと思ってさっきから気になっていたことを聞く。
「もう一つ疑問がありまして」
「なんだ!」
「その、なんで宇随先生もいるんです?」
「なんだ狛治お前、俺のことは地味に除け者かよ。悲しいじゃねぇの」
煉獄とは逆の隣で、こちらも涼しい顔でランニングを続ける宇随天元。
「お前が地味に悩んでるって聞いて、祭りの神として助言を与えようと来てやったんじゃねぇか」
「そうだぞ! 宇随は三人の嫁を娶っている。恋愛相談なら百人力だ!」
「というわけでお前のメールはすでに読ませてもらった。なんなら読み上げてやろうか」
「頭部破壊しますよ?」
ちなみに狛治が煉獄に宛てたメールはこんな感じであった。
『煉獄杏寿郎先生
恋雪さんと結婚してしばらく経つので、そろそろ初夜を迎えたいと思うのですが、相手に負担をかけないようにするにはどうしたらいいですか?
狛治』
「というか、お前ド派手に学生結婚してたくせにまだ手ぇ出してなかったのかよ」
「恋雪さんはもともと体が弱いんです。最近ようやく落ち着いてきましたが、激しい運動なんてさせられませんよ」
「そんなんだから過保護マツゲなんて呼ばれんじゃねぇの?」
「謝花と同じこと言わないでくれませんか輩先生」
「こらこら喧嘩をするな! 相手を慮るその心根、素晴らしいことじゃないか!」
煉獄は走りつつ言葉を続ける。
「だがしかし俺はその手の相談ごとは不得手だからな! 後学のために共に教わる側になろうと宇随を頼ったのだ。さあ宇随、知恵を授けてくれ! どうしたら相手を労わりながら致せるのだ!」
「閨のこと話す声量じゃねぇんだよなぁ……」
パーカーのポケットに手を入れたまま高速で足を動かす宇随天元は、そもそもよ、と言って狛治の腕を軽くたたく。
「女に負担掛けずに抱くなんて、そんなこと本気でできると思ってんのか?」
「………」
「翌日に響かないように、とかならどうにかなるかもしれないが、最低限の体力と負担はかけるに決まってんだろうが。できもしない幻想にしがみつきやがって、この腰抜け」
「わかってますよそんなことは」
「だったらこういうことは、相手とサシで話すもんだ」
「おお! 宇随が珍しくまともなことを言っているな!」
「わかってますよそんなことは!」
さらに速度を上げ、ついでに傾斜もつけて、狛治は叫ぶ。
「本当に負担を避けるなら恋雪さんを抱くこと自体が間違っているって! 無理はさせずに初夜なんかさせずに! 子供は養子をもらって幸せになるべきなんだろうってのはわかってますよ!」
「いやそこまで言ってねぇよ」
「愛が重いな! 伊黒みたいだぞ!」
「でも我慢できそうにないんです!」
そのままオーバーペースで走ることさらに三十分。
さすがに疲れがたまってきて、ベンチに腰かけて肩で息をする狛治に、煉獄杏寿郎はスポーツドリンクを突き出した。
「お前のそれは良い悩みだ。どう転がっても良い勉強になり、次の世代の道しるべとなるだろう! 師範代としてさらに一皮むける良い機会ではないか!」
「素流道場は恋愛相談所じゃないんですけどね……」
「いや、だが真剣さは派手に伝わってきたぜ。そんなお前に祭りの神がやっぱり助言を与えよう」
「胡蝶さんがそれでひどい目にあったって恋雪さんから聞いたんですけど」
狛治のジト目を無視して、宇随天元は鼻先に人差し指を突き出す。
「いいか狛治。男には、後先考えずに度胸だけで突っ走らないといけない瞬間がある」
「はあ」
「とりあえず全力でやる。目の前のことに全力、全集中よ。それができないからお前は格闘祭でも煉獄に負けたんだ」
言われて狛治は思い出す。
煉獄家の剣術。九つある型の、その最奥。
狛治は準決勝で既にそれを見ていた。
居合剣術の黄色い下級生が袈裟切りを喰らって壁にめり込むのを、確かに見ていた。技の軌道も叩き込んだ。
にもかかわらず、決勝戦の最後の最後で、狛治はそれを避けられなかった。煉獄の目に射抜かれ、覚えているはずの技に反応できず、受け身を取るのが精いっぱいで。
あの鬼気迫る威圧感こそ。
「誰しも心に鬼を飼っている」
思っていたことを読んでいたように、宇随は続ける。
「それ自体は別に悪い事じゃねぇ。大事なのはそれを、煉獄みたいに自分で出し入れできるかだ。狛治よ。いつまでも隠してねぇで、お前は一回それを表に出すべきだと思うぜ」
「うむ! 難しいことはわからないが、宇随の言いたいことはなんとなくわかるぞ! 俺も狛治には覇気が足りないと思っていた!」
意見の一致をみる歴史教師と美術教師。
そして歴史教師、煉獄杏寿郎は、ベンチに座る狛治の前で膝をつき、両手でがしっと肩を掴んで、どこまでも溌溂とこう告げた。
「狛治! お前も鬼になるべきだ!」
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『狛治さん、今日は煉獄先生と一緒に体を動かしてくるみたいなんです』
『そうなんだー、じゃあ錆兎と会ってるかもね。錆兎も最近ジム行くって行ってたから』
『そういえば義勇さんもそんなこと言っていたような……。それにしても、ふふっ。恋雪さん、真菰さんとこうしてお話するのは久しぶりですね。なんだか嬉しいです』
ラインで多人数通話を繋いで、胡蝶しのぶ、真菰、恋雪はリモート女子会のようなノリで久々の会話に興じていた。
『しのぶさん。最近冨岡先生とはどうですか?』
『聞いてくださいよ! 義勇さんったら最近ますますぼっち飯が板についてきてしまったみたいで………』
『ああー、義勇はマイペースだもんね。優しいけどずれてるよね。苦労してない?』
『まあ、……ちょっとだけ、ちょっとだけですね』
『でもその、しのぶさんはその、冨岡先生と………し、たのですよね?』
『………ええ、まあ』
『へぇー、義勇がかあ。なんか想像できないなあ。すごい淡白じゃない?』
『そ、そんなことより! その口ぶりだと恋雪さんはまだなのですか? たしか学生のうちから籍を入れていらしたような』
『……きっとわたしが病弱だったから、気を遣わせてしまっているんだと思います。今はもう、十キロマラソンぐらいなら出ても良いって太鼓判を押されているんですが』
『ああ、恋雪ちゃんの恋人ってあの過保護マツゲさんか。謝花梅を何とか恋雪ちゃんから遠ざけようと妓夫太郎とバチバチやったって噂の』
『梅さんは、心根は優しいんですけど、中々誤解されやすくて……。真菰さんは確か、錆兎さんとお付き合いをされていましたよね?』
『そうだよー。あの漢バカとー。でも錆兎がさー、全然私をそういう目で見てくれなくてさ。冬なのに我慢して薄い部屋着を着てるのに完全無反応でさあ』
『……はあ』
『この前なんてバスタオル一枚で出ていったら、早く服を着ろ、ってそれだけだったんだよー。悲しくなっちゃうねー』
『真菰さん、たぶんそれ逆効果………』
『ん? なんか言った? っと、ごめん。炭治郎からメールだ。………んー?』
『どうしたんですか?』
『いや、なんか宇随先生からのメールを転送しますって』
『まっ、待ってください真菰さんそれは罠っ……!』
それきりうんともすんとも言わなくなってしまった携帯を耳から離すと電源が落ちていて。
真菰は充電を最近していなかったことを思い出す。
まあGメールだったしパソコンで見ればいいか、と気を取り直す真菰。
「でも、最後にしのぶちゃんなにか言っていたような? ………まあいいか」
その「まあいいか」でどこかの誰かが恥を見ることを露知らず、真菰は宇随からだというメールを開いた。
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「俺はっ! 真菰を! どうすればいいというんだ! あいつはいつまでも幼馴染のノリで部屋着は薄いわバスタオル一枚で出てくるわもう本当に自覚を持てと言ってやりたい!」
「………」
「だがその程度で理性を失うなど男ではない! というか事故のような致し方を想像することがすでに軟弱! 決めるときは決めるべくして決めなくてはならない! 男に生まれたならば!」
「………」
剣撃の合間に錆兎の声が響く。
ところかわって、ジム内の開放された剣道場。
攻守一体の流麗さが特徴の剣術を駆使しての、冨岡義勇と鱗滝錆兎の実戦稽古が延々と続いていた。
「錆兎」
「なんだ!」
「そもそも、どうして道場ではなくジムで稽古を始めたのだっただろうか」
「こんなこと! 真菰に聞かせられないからだ!」
「では今の状況はどうだろう。錆兎の剣技に観客が集まってきて遠巻きに見物されている状態なのだが、これは是なのか」
「その中に真菰がいなければな!」
正確には冨岡の剣技も人を呼ぶのに一役買っているのだが、肝心なところで自己評価の低い体育教師はそのことに気付かない。
錆兎はしのぶや狛治と同学年で、教師の冨岡とはかなりの年齢差があったが。
道場に通い始めたのが同時期だったことから、同級生のような交流が続いていた。
普段よりさらに攻めに偏重した竹刀捌きを続け、錆兎は少しだけ声を抑えて言う。
「義勇」
「なんだ」
「お前は胡蝶さんとの初夜にどう臨んだんだ」
その言葉に青い目を少しだけ見開き、義勇は言う。
「錆兎、お前。童貞だったのか」
「シィィィィッ!」
防具無し稽古にあるまじき突き技が首をかすめ、義勇は眉を顰める。
「危ない」
「発言に気を付けろ。公共の場だぞ」
「すまない」
仕切り直しとばかりに一定の距離を取り直して、ふたたび打ち合いを始める攻の錆兎、守の義勇。
「錆兎」
「なんだ」
「俺が誘った。しのぶが受け入れてくれた。最近はしのぶが誘うこともある。俺はちゃんと準備して臨む」
「準備とはなんだ」
「煮る」
「に、………は?」
思考の空隙をついての小手をすんでのところでかわす。
……さっきのはきっと聞き間違いだろう。だって『煮る』から何をどう繋いでもろくな文章にならない。
「じゃあ異様に距離感の近い天然を、勘違いをさせないように初夜に誘う方法はなにかないだろうか」
「それは、難しいな」
お前が言うなとしのぶがいれば突きが入りそうだが、義勇も真菰の性格が一筋縄ではいかないことを理解していた。
剣道の教えを乞う下級生に「死ぬほど鍛えて」と言ってドン引きさせたこともある真菰のこと。
クエスチョンに対するアンサーが予想と違う所に着地するなどよくあることで。
「………直球で言うしかないんじゃないか?」
というと、錆兎の切っ先がぴたりと止まった。
「やっぱり、そうなるか」
「ああ。手紙やメール、人づてなんて方法もあるようだが、直接伝えるのがなんというか、最も錆兎に合っている」
「そうだよな。やはりそういう考えになるよな。だがしかし義勇、想像してくれ」
「?」
「女の前に首を垂れ、やらせてくれと懇願する。それは果たして男だろうか」
「誰もそこまでしろとは」
「男とは!」
だぁん! と剣道場に響き渡る踏み込みで面を打ち込み、その勢いで鍔迫り合いから引き胴、さらに小手、面と再び猛攻を仕掛けて、錆兎は言う。
「俺の目指す男とは! 強く、強固で、成熟した存在だ!」
「………」
「ときには頭を下げることもあるだろう。理不尽に唇を噛むこともあるだろう! だがしかし! しかしだ! 己の欲のために奔走する時点で、それは男として未熟なのではないだろうか!」
「だが、それでは命が繋がらない」
「だから困っている! 俺はどうすればいいんだ! 何が正解なんだ! 男女の交流においての男らしさとはいったい何なんだ! 体外受精でもさせればいいのかどうなんだ!」
「錆兎、落ち着いてくれ。公共の場だ」
もう遠巻きどころか通常の試合よりも行動範囲が狭まってしまった剣道場において。
誰よりも苛烈な攻め手を持ちながら誰よりも精神的に追い込まれている男、鱗滝錆兎の打ち込み稽古は延々と続いていく。
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そして暗躍常習犯の宇随天元は観客に紛れ、スマートフォンの集音性能を引き上げるブースト機材を弄り回して、錆兎と義勇の会話を拾っていた。
「こっちもこっちでド派手なことになってきたじゃねぇの。真菰って奴と直の交流はねえが、まあ炭治郎経由でなんとかなんだろ」
そうして、えらいデッカいバイト数のメールは送信されていった。