どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた 作:布施鉱平
幸運な奴隷商
奴隷商であるドリスは、自らの不幸を
腕っ節の強さと持ち前の卑怯さで、奪われるだけの弱者から成り上がり、貧民街で奴隷商を営むこと十数年。
いつかは表通りに店を持ってやるという夢を抱きつつも、扱っているのが違法に仕入れた貧民の少年少女では高値で売りさばくこともできず、薄汚い路地の奥から抜け出すことができずにいたからだ。
自分は運が悪いだけだ。
ほんのきっかけさえ掴むことができれば、成功をその手にできるはず。
ドリスは、そう信じてやまなかった。
その自信もあった。
そしてある日、ドリスはついにその
いつものように商品となる貧民の子供を捕まえようと探し歩いている最中に、まるで天から舞い降りたのではないかと思うような可憐さを持つ少年が、汚ならしい浮浪者に襲われているのを見かけたのだ。
ドリスはすぐに浮浪者を蹴り飛ばして少年を手に入れると、店に連れ帰ってほかの奴隷と同じように鎖で外に繋いだ。
本来であれば、これほど可憐な少年を他の奴隷と同じ扱いにするなど考えられない。
それでもドリスがそのようにしたのは、自分のすぐ近くに少年を置いてしまえば、きっと手を出さずにはいられないだろうと思ったからだ。
もし一度でも手を出してしまえば、この少年を手放すことは出来なくなってしまうだろう。
金を稼ぐことと自らの成功に執念を燃やす、ドリスの
だからドリスは、なるべく少年には近寄らず、話しかけもしないまま、日々の食事だけを与える距離感を保ち続けた。
そうしている間に、案の定、美しい少年の噂は直ぐに広まっていった。
毎日のように、普段は顔を見せないような豪商の使いが大金を持って現れた。
中には金貨五千枚という大金を提示した者もいた。
だが、その誰にもドリスは少年を売らなかった。
ドリスが待っているのは、もっと別の者。
金だけではなく、権力も有している者。
そう────貴族だ。
ドリスは、貴族接触してくるのを、ひたすら待っていたのだ。
貴族なら、金貨五千枚以上に価値が有るものをドリスに与えてくれる。
それは、市民権だ。
貧民として生まれたドリスは、ティナーク王国の市民権を持たない。
出生届けなど出されていないのだから当然だ。
そして市民権を持たないということは、ティナーク王国の国民として認められていないということだった。
現時点で国民として認められていないドリスは、納税の義務がない代わりに国からもたらされる
国からの恩恵はいくつかあるが、その中でもドリスが喉から手が出るほどに欲していたのは『土地の所有権』だ。
ティナーク王国では、市民権を持たないものは土地を所有することができないのである。
いま現在店を開いている場所も、ドリスが勝手に住みついているだけで、実際にはドリスの所有物ではない。
なので、もし役人が現れれば、ドリスは無条件でこの場を引き払う以外に選択肢がないのだ。
だから、ドリスは自分の土地が欲しかった。
自分の土地さえあれば、いきなり取り上げられる心配がないため、もっとちゃんとした店を構えることができる。
そしてちゃんとした店さえあれば、いくらでも金を稼げる。
その自信があった。
今はまだ、噂が出回ったばかり。
貴族の一部にも噂は届いているだろうが、その噂に
だが、必ず来る。
ドリスはそう確信していた。
黒目黒髪の少年奴隷など、世界中のどこを探したって他にいるはずがないのだ。
もしいたとしても、それが堂々と売りに出されている訳がない。
だから、ドリスは待った。
貴族の使いが大金を持って現れるのを、今か今かと待ち続けた。
しかし、少年を手に入れてから十日後、ドリスはその決意をあっさりと変えることになる。
ドリスの前に、化け物みたいに醜い女が現れたのだ。
そして、その化物女は、
「これで売ってくれ。今すぐ」
そう言って、
お前のような化物に、一体どれだけの金が払えるのだと顔をしかめていたドリスだったが、袋の中を確認するなり腰を抜かしそうになった。
中には、
震える指先で枚数を数えてみると、なんとその数は実に百枚。
白金貨は、一枚あたりの価値が高すぎて、一般には流通していない貨幣だ。
通常は国と国との交易や、豪商が大きな取引の際に使うものである。
価値は、一枚で金貨千枚分にもなる。
つまり、今ドリスの手の上には、金貨十万枚が乗せられているに等しいということだった。
「い、い、今すぐ、お譲り致します! しょしょ、少々お待ちをっ!」
ドリスは化物女の気が変わらないうちにと、すぐさま少年を譲り渡す手続きをした。
白金貨百枚で所有権を譲り渡すという証書を作成し、互いに魔力を込めてその契約を成立させ、少年の鎖を外した。
化物女が少年の手を引き、去っていく後ろ姿を見ながら、ドリスは放心状態になっていた。
白金貨百枚。
これだけあれば、なんだってできる。
市民権だって、十枚も貴族に渡せば簡単に手に入るだろう。
しかも、それでもまだ九十枚もの白金貨が手元に残るのだ。
表通りの、それなりに立地のいい場所を手に入れるのに三十枚。
そこに、住居兼店舗を建てるのに二十枚。
家具を買ったり、従業員を雇ったり、役人に心付けを渡すのは、どれだけ多く見積もっても三枚もあればこと足りる。
つまり、やりたいことを、やりたいだけやっても、手元には三十七枚の白金貨が残る計算だ。
「は、ははは」
目の奥をギラギラと輝かせながら、ドリスは笑った。
「ははははははははははははっ!」
白金貨のぎっしりと詰まった袋を握り締め、狂ったように笑い続けた。
そして、ひとしきり笑った後、ドリスは店の外に繋いでいた貧民の奴隷たちを鎖から解き放つと、金の入った袋だけを手に持って長年住み続けた家を後にした。
もう、戻ってくるつもりはない。
薄汚い子供たちにも用はない。
それらは、すでに過去のものだった。
◇
その後、ドリスは少年を売り払ってから二日後には、もう市民権を手に入れていた。
そしてその三日後には、立地のいい場所に土地付きの店も手に入れていた。
かかった費用は、白金貨五十枚。
予定よりずいぶんと節約できている。
少年を手に入れてからというもの、ドリスの幸運は尽きることがないのではないか、というほどに続いていた。
貴族から要求された金が金貨五千枚だったこと。
人通りの多い場所にある土地付きの家が、たまたま売りに出されていたこと。
そしてその土地と家が、基本的な家具もついて金貨三万五千枚で買えたこと。
そればかりか、偶然にも商業都市セバルで奴隷商を営んでいた商人が、後継者がいないために廃業する予定であることをドリスは知り、交渉した結果、奴隷商が扱っていた
笑いが止まらないとは、まさにこのことだった。
ドリスは、あの少年が自分に成功をもたらすために遣わされた天使なのではないかと、半ば本気で思い始めていた。
そして、これから先もこの幸運は続き、自分は成功し続けるだろうと信じきっていた。
カランッ、とベルの音が鳴り、ドリスの懐を潤すために客が訪れる。
「いらっしゃいませ」
満面の笑みで挨拶をしながら、ドリスは客の風体をさっと確認した。
高級そうな黒い金属製の胸甲と具足を身につけ、腰に剣を帯びた精悍な顔つきの女だった。
セバルに常駐する王国騎士団の鎧ではないが、冒険者にしては装備が整いすぎているので、おそらくはどこかの貴族の私兵だろうと当たりを付け、ドリスはいつものように口を開く。
「本日はどのような商品をお探しで?」
貴族の遣いであれば、金払いはいいはずだ。
ドリスは頭の中で、労働用や性処理用の何人かの高級奴隷を思い浮かべながら、黒い鎧の女の注文を待った。
だが、黒い鎧の女は、一度も店内に目を向けることなく、感情の読めない声でこう言った。
「────我が
と。
────翌日。
商業都市セバルの貧民街で、一人の女が死体で発見された。
激しい拷問を受けたと思われるその女の身元は、あまりにも損壊が激しいことと、貧民たちによって衣服や持ち物の全てを剥ぎ取られていたために判明できず、遺体は身元不明のまま無縁墓地に放り込まれることになった。
女がどこの誰であるのか。
どんな人生を生き、どんな理由で死んだのか。
それを気にするものは、誰もいない。
商業都市セバルの闇が凝縮した貧民街では、それもまた、ありふれた日常の光景に過ぎないからだ。