どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた 作:布施鉱平
シャーラは、裏の
朽ちかけた、廃屋の中だ。
埃とカビが目に見えるほど空気中に漂っているが、シャーラは咳き込むこともなく、戸板の隙間からじっと家の様子を窺う。
距離が離れすぎているために、中の動きや気配を探ることはできないが、それでも人の出入りくらいは観察することができた。
そしてシャーラは、二時間の監視と五分の仮眠を繰り返しながら、辛抱強く隙ができるのを待ち続けた。
何日でも、何週間でもこれを続けるつもりだったが────
────その機会は、意外と早く訪れた。
「…………なんだい、こりゃあ」
それは、監視を始めて二日目のことだった。
凄まじい勢いで接近してくる、強大な何かの気配を感じ取ったのだ。
「魔獣……? いや、まさか、セバルの防壁をそう簡単に越えられる訳が無いし……」
だが、そうとしか思えないほどに、強い気配だった。
少なくとも、人間のものだとは思えない。
シャーラが、困惑しながらもその気配を探っていると、急に監視している家の前に人影が現れた。
遠目から見ても分かるくらい、人並み外れて背が高く、そして頑強そうな体つきの持ち主だ。
身につけているものは、腰巻きと肩掛けのみ。
寒くはない季節であるとはいえ、冗談のような服装だった。
「あれは……獣人? ……そうか、あれがアレックスかい」
頭の上に立っている獣の耳と、腰のあたりから生えている尻尾を見て、シャーラはその人影が誰であるのかに気づいた。
それが、強い気配を放っている
離れていても圧倒されるような気配は、今でも人間が発しているものだとは信じ難いが、相手が魔獣を素手で引き裂くという噂のアレックスならば納得がいく。
生身で魔獣より強いのだから、魔獣と見紛う気配を発していても当然だ。
噂は、ただの噂ではなく事実だったということだ。
「ちっ、まいったねぇ……」
あんな
だが、舌打ちをし、どうするべきか思案をし始めたシャーラの目に、信じられない光景が写りこんだ。
理由は分からないが、アレックスが扉を力任せに吹き飛ばし、家の中に押し入ったのである。
それを見た瞬間、シャーラは手元に置いておいた小型の
侵入する機会は今しかない、そう思ったのだ。
気配と足音を限界まで抑え、風向きにも注意しながら、シャーラは素早く家の裏手に回った。
目指すのは、遠巻きに家の外観を確認した時に見つけた、小さな窓だ。
侵入するとすれば、そこから以外には考えられない。
目的の窓の下にたどり着くと、シャーラは鞄の中から紙のように薄い金属板と液体の入った
瓶の中に入っているのは、
魔獣の徘徊する森で狩人が使用している強力なもので、水で洗い流さない限り、ひと月は嗅覚による感知をすり抜けることが出来る。
自らのにおいを消したシャーラは、跳躍して窓枠に指をかけると、薄い金属板を窓の隙間に差し込んで鍵を外した。
窓を開けて中に入ると、そこはトイレだった。
水洗式で、自動洗浄機能付き。
こんなところにも、金が掛かっている。
未だに汲み取り式のトイレが備え付けられている、シャーラの養護施設とは大違いだ。
だが、そんなことは今はどうでもいい。
素早く視線を巡らせ、シャーラは天井近くの壁に通風孔を見つけた。
音を立てないよう慎重にカバーとフィルターを外し、狭い穴の中に下半身を滑り込ませる。
そして上半身を出した状態のまま、シャーラは鞄から赤と青のふた粒の錠剤を取り出した。
赤は、飲んだ者を仮死状態にする『仮死薬』。
青は、仮死状態から回復するための『蘇生薬』。
どちらも違法であり、下手をすれば命に関わる薬物だ。
だが、死ぬ寸前にまで魔力と生命力を低下させなければ、
シャーラは
そして、両肩の骨を外し、全身を通風孔の中に潜り込ませると、内側から器用にカバーとフィルターを付け直した。
あとはただ、じっと待つだけだ。
仮死薬の効果で意識は遠のいていくが、周囲の音や気配は無意識に感じ取っている。
条件がそろい、
そうなるよう、自分自身に暗示をかけたのだ。
タイムリミットは、一ヶ月。
もしそれまでに機会が訪れなければ────
シャーラが目覚めることは、二度とない。