どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた 作:布施鉱平
────仮死薬の効果で、意識の大半を闇の中に沈めているシャーラは、夢を見ていた。
150年を生きるシャーラにとっては、遠い、遠い過去の夢だ。
その夢の中で、シャーラはまだ少女だった。
黒い肌、ガリガリに痩せた体、紫色の髪、そして、全てを諦めたような顔。
醜く、不気味で、陰気な少女だ。
物心がついた時にはすでにシャーラは一人で、シャーラという名前すらまだなく、頼れるものなど誰もいなかった。
それでも生きていたのは、虫でもネズミでも生ゴミでも、食べられるものはなんでも食べたからだ。
死にたいとは、思わなかった。
かと言って、生きたいと強く思っているわけでもなかった。
ただ『なぜ』という疑問が、ずっと頭にあった。
なぜ、自分は捨てられたのか。
なぜ、自分は誰からも嫌われるのか。
なぜ、歩いているだけで石を投げられるのか。
なぜ、血を流している自分を見て、人は笑うのか。
なぜ、シャーラ自身も、自分のことを好きになれないのか。
なぜ、なぜ、なぜ…………
その疑問が、幼いシャーラの心をきつく締めつけ、死にたいという気持ちが入る隙間を与えなかったのだ。
だから、シャーラは生きた。
生きたいとも、死にたいとも思わず、ただ生きた。
人の目を恐れ、暴力を恐れ、明るい場所を恐れながらも、蛇のように息を潜め、暗く狭い場所に身を隠して生き続けた。
そしてその経験が、シャーラに人の気配を感じ取る
少し成長してからは、それを活かして盗みに手を染めるようになった。
どれも、息をするように簡単にこなすことができた。
なにせ気配を消せば、誰もシャーラのことに気付かないのだ。
人は、シャーラのことを見なくなった。
視線も、言葉も、暴力も、石も、シャーラのことを傷つけなくなった。
…………だがその代わり、シャーラの心には、少しずつ隙間のようなものが生まれるようになっていった。
その隙間を意識するとき、シャーラはどうしようもない寂しさに襲われた。
死にたくなるような、叫びたくなるような、そんな耐え難い寂しさだ。
シャーラは自分の意識がその隙間に向かないよう、難しい盗みに手を出すようになった。
商人や裕福な市民ではなく、冒険者を盗みの相手に選ぶようになったのだ。
冒険者はピンからキリまでいるが、そのほとんどは一般人よりも身体能力が高く、勘も鋭い。
当然、盗みがバレる可能性も、バレた後の危険度も跳ね上がる。
その緊張感とスリルで、シャーラは寂しさを紛らわせていた。
…………だが当然、そんな綱渡りが長く続くはずもない。
「────アタシの
シャーラは財布を掏り取ろうと伸ばした手を『
◇
「────ほら、もっと食いな。だいたいあんたは痩せすぎなんだよ。だから素早く動けないし、掴まれた手を振り払う力も、逃げ切るだけの体力もない。
それに、風呂にも入らないとダメだねぇ。気配を消すのはうまいのに、においでバレちゃあ意味ないだろう?」
それどころか、飯を食わせ、風呂に入らせ、服や靴までも買い与え、さらには自分の泊まっている宿に連れ帰ったのである。
「あんたは見所があるよ。独学にしちゃあいい動きをする。でも、まだまだ磨けるね。原石ってところだ。まだ宝石にはなっちゃいない。
だから、アタシが磨いてやるよ。あんた名前は? そうかい、無いのかい。じゃあ、今日からシャーラって名乗りな。
なんでかって? アタシがシェーラだから、あんたはシャーラ。分かりやすくていだろう?」
シェーラは、よく喋る女だった。
そして、そのよく喋る口で、勝手に話を進めていった。
気づけばシャーラという名まで与えられ、いつのまにか
呆れるほどに強引だったが、抵抗する気は起きなかった。
シェーラのその自分勝手とも言えるような強引さが、人から
その日からシャーラは、様々なことをシェーラに教え込まれた。
正式に冒険者として登録してもらい、足運びや気の配り方、視線の置き方、注意の逸らし方といった『盗み』にも応用できる斥候の技術だけではなく、一般常識や文字といった普段の生活で必要なことも、シェーラは教えてくれた。
そして
裏ギルドの存在、通すべき筋、手を出してはいけない相手…………
自分の生きた証を刻み付けるかのように、シェーラはシャーラにありとあらゆることを教え込んだ。
一度シャーラは、なぜ自分を弟子にしたのか、なぜこんなに面倒を見てくれるのかと、シェーラに尋ねたことがあった。
だがシェーラは、
「さあねぇ」
とはぐらかすばかりで、それに答えてはくれなかった。
それだけではなく、シェーラはお喋りな割に、自分のことは何一つ話そうとしないのだ。
シャーラも、あえて聞こうとはしなかった。
時折、シェーラが自分のことを悲しげな目で見つめていることは知っていたが、それもどうでもよかった。
シャーラは、シェーラのことが大好きになっていた。
だから、一緒にいられれば、それだけでよかったのだ。
…………そして、人にとっては長い時を、ダークエルフにとっては短い時を、ふたりはともに過ごした。
シャーラの姿は人間であれば十代といってもいいくらいに若々しかったが、シェーラはすっかり髪も白くなり、目も脚も衰え、朝食べた食事の内容も思い出せないような記憶障害が出るようになった。
そんなシェーラを、シャーラは献身的に介護した。
シェーラがベッドに寝たきりになってからは、食事だけではなく下の世話までおこなった。
シェーラはときおり、シャーラのことを、セーナと呼んだ。
それが誰なのか。
シャーラは尋ねることなく、またセーナと呼ばれても訂正しなかった。
そして、それから一年もしないうちに、シェーラは寿命を迎えた。
最後の数日は、ほとんど眠っているか
「もし……もし、あんたに子供が出来たら……いいかい、シャーラ。絶対に、その子を離しちゃいけない。命に代えても、絶対にその子を幸せにしてやらなきゃいけない。絶対にだ。
それが大人の…………親の、生きる意味なんだ。
約束しておくれ、シャーラ。アタシみたいには、ならないと。
約束しておくれ…………」
シェーラの目には、強い後悔とともに、涙が浮かんでいた。
「…………あぁ、約束するよ。……………………母さん」
言い終えて、ぐったりと目をつぶるシェーラの手を握りながら、シャーラは答えた。
最期に口にしたその言葉が、二度と目を覚ますことのなかったシェーラに伝わったのかどうか、それは分からない。
だがシェーラは、心の中でずっと『母』と慕っていた女との最後の約束を、今でも守っている。
命懸けで、守っている。
◇
不意に、目が覚めた。
ひどく体がだるい。
しかも、口の中には強烈な苦味と酸味が広がっている。
自分の身に何が起こっているのか、シャーラはしばらく理解できずにいたが、しだいに覚醒していく意識の中で、自分の置かれている状況を思い出していった。
(…………目が覚めたってことは、その時が来たってことだね)
蘇生薬を噛んで目覚めたということは、あらかじめ自分にかけてあった『少年の近くに強い気配を持つ存在がいない場合に奥歯を噛み締める』という暗示の条件が揃った、ということだ。
シャーラは、死体のように硬くなった自分の体にゆっくりと血を巡らせながら、周囲の気配を探った。
(膨大な魔力……なるほど、結界を張ったのかい。こりゃ、かえって好都合だ)
おそらく、少年を奪いに来る者を警戒して、
侵入する前に張られたのであれば打つ手はなかったが、侵入した後に張られたのは、シャーラにとってまたとない幸運だった。
膨大な魔力が、自分の気配を完全に消してくれている。
もしこの結界が張られていなければ、仮死状態になってすら、シャーラは見つかっていたかもしれない。
また、誘拐が発覚するまでの時間もかなり短くなってしまっただろう。
シャーラはようやく動くようになってきた両手で慎重に通風孔のカバーを外し、ゆっくりと音を立てないように這い出した。
見下ろすと、少年の後ろ姿が見えた。
ちょうど、小用を足している最中のようだった。
(…………っと、すまないねぇ。覗くつもりはなかったんだが、勘弁しておくれよ)
少年が用を足し終えたタイミングを見計らって、シャーラは素早く降り立つと、少年の首筋に手刀を打ち込み、当て落とした。
そして、崩れ落ちる少年の体を、優しく抱きとめる。
(…………っ)
腕の中で気を失う少年の顔を見た瞬間、シャーラは息を呑み、束の間思考が停止した。
少年の顔が、天使と見紛うほどに美しかったからだ。
かつて感じたことがないほどに、シャーラの心臓は高鳴った。
顔に熱が集まり、胸の奥に切ないほどの愛おしさが湧き上がる。
だがそれを強引に押し込めて、シャーラは一度、長く細い息を吐いた。
息を吐き終えた時には、もう心は静まっていた。
母から、常に平常心でいられるよう、徹底的に仕込まれた精神安定法だった。
(…………この子は、親元に帰って、幸せに暮らす。アタシとは、関わりのない子だ。関わっちゃいけない子だ)
そう自分に言い聞かせ、シャーラはトイレの窓を開けると、そこから少年とともに外に脱出した。
そして鞄の中から袋状になっている
袋の口を縛り、上からまんべんなく臭い消しを振りかける。
あとは、別々の方向に向かう何人かの一般人に袖の切れ端を結わえつつ、逃げるだけだ。
シャーラは少年の入った背嚢を背負うと、音を立てないようにゆっくりとその場を後にした。