どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた 作:布施鉱平
「フォワールだと!?」
「……フォワールっ」
「そんな……っ!」
ミゼルの口から出たその名に、リディアのみならずルナやマリアベルも声を上げずにはいられなかった。
それだけ、この世界に生きる者にとって『フォワール』という名は重要な意味を持っている。
フォワールとは、マイト公爵家、キシェール公爵家と並んで『
単純な権威で言えば、公爵家の上には当然ティナーク王家が存在しているのだが、絶対的なカリスマを持つファナカが没して以来、王家は自らの
その王家に足りない政治力、軍事力、経済力を
「……それじゃあ、彼の誘拐には公爵家が絡んでいるというのか?」
リディアは、震えそうになる声をなんとか抑えながら、ミゼルに尋ねた。
もし公爵家が敵に回ったとなれば、いくらリディアたちがA級冒険者であろうと勝ち目はないに等しい。
なぜなら公爵家の『力』というのは、他の貴族とは明らかに一線を
例えばの話だが、三公のうちいずれかの家と、他国との間に争いが起きたとする。
その場合、国からの支援や他の貴族の援軍がなかったとしても、勝つのは間違いなく公爵家の方なのだ。
一つの国家すら上回る経済力と軍事力。
それを独自に持ち合わせているのが『三公』という存在なのである。
もし三公に対抗しうる勢力があるとすれば、それは同じ三公のいずれかの家か、世界最大の信徒数を誇る天使教のみであろう。
「……いえ、そうじゃないわ。アイーシャとフォワールの関係は、ほとんど切れていると言っていいの。三女とはいえ、公爵家の息女がはるかに格下の子爵家なんかに嫁入りしたのには、それなりの理由があるのよ」
だが、ミゼルはリディアの懸念を否定してから、話を続けた。
「アイーシャという
見た目の美醜や血筋ではなく、能力の優劣によって官位を決めるべきだと、自らの母親である現公爵に提言したらしいわ」
「それは……」
それは、貴族体制どころか、社会の根幹を成しているものすら揺るがすような言葉である。
そんな思想の持ち主であれば、権力から遠ざけられ、地方の下級貴族への嫁入りを強制されるのも仕方のないことだろう。
「……しかし、そのアイーシャという女が、外見ではなく中身で人を判断するべきだと考えているなら、いったい何のために彼を攫う必要があるんだ?」
当然の疑問を、リディアが口にする。
それに対しミゼルは、過去を思い返すように遠い目をしながら口を開いた。
「……私ね、アイーシャに一度会ったことがあるの。私が家から追い出される、少し前のことよ。
そしてその時、彼女にこんなことを言われたわ────『
「……」
アイーシャとの過去を語るミゼルの表情には、複雑なものが浮かんでいるように見えた。
確かに、外見だけで社会的な地位がほぼ決定づけられてしまう世の中において、自分を能力で評価してくれる者が現れれば、その人間に心酔してもおかしくはない。
事実、アイーシャという女はミゼルの心に『尊敬すべき人間』として刻まれているのだろう。
「正直、心が動いたわ。私のことを認めてくれたのは、彼女が初めてだったから。
けど、アイーシャが王国と敵対しようとしているのが分かったから、私はその誘いを断ったの。当時の私は自分に自信がなかったし、リディアも知ってる通りの臆病な女だったからね。
……でも、もし家から追い出されてすぐにリディアと出会っていなければ、私は結局彼女のもとに行っていたと思う。
美しくて、カリスマがあって、行動力もあって────そして、何があっても目的を遂げようとする、強い意志のある
とミゼルは一度言葉を切り、
「だから、そんな彼女があの子の存在を知ったなら、自分の手元に置いておこうと考えても不思議はないわ。
あの子くらいの美貌があれば、様々なことに利用できるもの。
────例えば、あの子を王家の
「馬鹿な……っ!」
それまでは冷静にミゼルの話に耳を傾けていたリディアが、激昂したように声を荒げた。
「あの天使のような心を持つ彼を、多くの血を流す引き金にしようと言うのかっ!!」
「例えばの話よ、リディア。誘拐の黒幕がアイーシャだということすら、まだ推測に過ぎないわ」
体中から殺気を吹き出し、今にも子爵家の領地へ駆け出して行きそうなリディアを、ミゼルが冷静に諭した。
「仮定の話で心を乱してどうするの。少し落ち着きなさい、リディア」
「……っ、すまん」
すぐに殺気を押し込めたものの、常に冷静なリディアらしからぬ挙動に、ミゼルはその心が限界に近いことを悟った。
もちろんリディアだけでなく、ミゼルも、ルナも、マリアベルも…………今はその心を悲しみに囚われているアレックスも、何かきっかけがあればいつ爆発してもおかしくはない精神状態にある。
(どこにいるの……)
心の中で、ミゼルは少年に呼びかけた。
今すぐ、少年の顔が見たかった。
少年の声が聞きたかった。
その優しい笑顔で、暖かな声で、心を侵食していく暗く冷たい闇を取り払って欲しかった。
それが出来るのは、世界でただひとり────
彼女たちに愛と、喜びと、生きる意味を教えてくれた、小さな天使だけなのだから。