どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた 作:布施鉱平
────リディアがリビングで苦悩し、アレックスが奮起し始めるよりも、
「…………」
マリアベルは自室の床に膝をつき、両手を胸の前で組み合わせ、壁にかけられた少年の絵姿(作・ルナ)に向かって祈りを捧げていた。
しかし、普段であれば彼女が祈りの際に浮かべている穏やかな表情は、今は見る影もない。
ただでさえ血の気が薄く白い肌はさらに青ざめ、眉尻は不安げに垂れ下がり、唇はキツく引き結ばれている。
組んだ手は力が入りすぎているのか、それとも彼女の心情を表しているのか、微かに震えていた。
その姿は、祈りを捧げる神官というよりも、むしろ自らの罪を告白する罪人のようですらある。
事実、マリアベルの心情はそれに近いものかもしれない。
(天使様……貴方をお護りすることのできなかった、無力な私をお許し下さい。
一生お側に仕えると、片時も離れないと誓いながらも、それを守ることのできなかった私をお許し下さい……)
彼女の心には、少年を守りきることができなかった悔恨と、謝罪の言葉が溢れていた。
そして、それだけではなく、
(……そして、願わくば、私をお導きください。
これが身勝手な願いであることは、重々承知しております。
もし罰が下されるのであれば、どのようなものであろうと全て私がお受けいたします。ですからどうか、どうか私にお導きを……っ)
自らの『天使』である少年に対しての
彼女が心の底から乞い願うもの────それはもちろん、少年の無事と、彼が自分たちのもとへと戻ってくることだろう。
だが、そのような奇跡が起きないことなど分かり切っているし、そもそもそれは、自分たちの力が及ばずに攫われてしまった少年に対して願っていいことではない。
いま、マリアベルが願っているのは、あくまでも『導き』であった。
マリアベルは少年が攫われてからずっと、
それをなんとしても解決させたいがために、身勝手なことだと分かっていながらも、心の中の少年に
(あの魔力……私は確かに……確かに、どこかで感じたことがあるのです……)
それは、少年を攫った人物の魔力痕跡のことだった。
余りにも
しかし、後になってから思い返してみれば、マリアベルはその魔力に覚えがあるような気がしてならなかったのだ。
普通は、指紋のように一人一人違っている魔力の特徴など、よほど特殊なものでない限りいちいち覚えていられるはずがない。
だが、自ら目を閉じ、魔力を感じ取ることで周囲を知ることを日常としていたマリアベルの脳裏には、顔を覚えるのと同じような感覚でそれらが記憶されていったのだ。
彼女は大金と引き換えに治療した(その全ては天使教によって吸い上げられている)貴族や豪商のことも、名前と顔を隠してボランティア治療を施した貧民街の住人たちのことも、仲間との旅の途中で出会った怪我人や病人のことも、全て覚えている。
だから、犯人の魔力痕跡に覚えがあると感じたとき、初めは自分が治療を施した中の誰かが犯人なのかもしれない、と思ったのだ。
しかし、どれだけ記憶を探っても、少年を攫った犯人と合致する魔力の持ち主はいなかった。
犯人の魔力痕跡があまりにも薄かったから、という理由だけではない。
自分が直接に治療を施した人物であれば、その名前や声が即座に思い浮かぶまではいかなくても、時間をかければ魔力痕跡とそれらを一致させることのできる自信が、マリアベルにはあった。
だが、どれだけ頭を悩ませ、死ぬような思いで記憶を
それはつまり、犯人は治療した人物の中にはいない、ということだった。
どこかですれ違っただけの存在なのか、それとも治療をする際に怪我人や病人に付き添っていただけの人物なのか……
それらを記憶の中から探り当てるのは、さすがのマリアベルといえども困難を極めた。
藁山の中から針を見つけるよりも、はるかに高い難易度だろう。
彼女が出会ったエルフ族は人間と比べれば多くはないが、それでも
しかもその中から個人を特定するとなれば、まさに奇跡でも起きない限り不可能と言ってよかった。
だから、マリアベルは、祈るしかなかったのだ。
彼女と犯人が過去にどこかで接点があったのは確実で、それを思い出すことさえできれば、この絶望的な状況を抜け出すきっかけとなり得るかも知れないから。
「…………っ」
────しかし、分からない。
犯人が誰なのか、いつ、どこで会ったのか。
眉根を寄せ、唇を噛み締めながら祈っても、犯人に繋がるものは何一つ浮かび上がってこない。
分からないままに、時間だけが刻々と過ぎていく。
(……どうか、お願いします……っ、どうか……っ)
閉じた両目から涙を流しながら、マリアベルはまた、心の中の天使に縋った。
そんな自分の情けなさ、不甲斐なさに、唇を噛み締める強さが増し、血が滲み始める。
少年と出会い、少年を愛し、少年からも愛を返され、マリアベルの世界は変わった。
マリアベル自身も変われたと思っていた。
だが、その少年が目の前から消えてしまった今、マリアベルは以前の自分と同じように、自らの無力さを噛み締めながら祈ることしか出来ていない。
少年が攫われてから、すでに二日。
誰よりも愛しい存在が傍にいないというだけでも地獄の苦しみだというのに、その彼が攫われた先でどのような環境に置かれているのかすら分からない。
彼が悲しんでいないか、彼がお腹を空かせてはいないか、彼が泣いてはいないか、彼が────ひどい目にあってはいないか。
その不安は、寂しさや悲しさや自責の念よりもなお深く、彼女を苦しめていた。