『プリズムの瞳』 機動戦士ガンダムビルドダイバーズ 作:ビルダー林檎
エリックに睨まれたまま彰人は昔を思い出していた。蛇に睨まれた蛙の様に身体が強張り動かない。
“父親が亡くなった日”
当たり前だと思っていたあの日常が脆くも崩れ去ったあの日のことを。
その事件は彰人が中学生の頃に起きた。父の神取貴明が不正アクセス禁止法及び個人情報保護法違反の容疑より警察に逮捕されたのだ。
「父親が犯罪者なら、お前もその血が流れているんだろ!俺達を裏切ったのかよ!彰人!!」
彰人は仲間に胸倉を掴まれたまま壁に押し付けられる。穏やかだったチームメイトの表情からは裏切られた、という悲しみと怒りが入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
オルタナガンダムには”ブレイクデカール”と呼ばれる一種のチートツールによる強化が施されていた。それは彰人自身も気付かないうちにではあったが、説明しても誰も聞いてはくれなかった。
——遠野 未来《とおの みらい》
「未来を創る男」として時期メイジンとも噂される青年。
愛機のHi-S(ハイエス)ガンダムを駆るガンプラバトルの頂点に立つ男である。そのプロとの戦いによりにもよって違法ツールを使用したとの容疑により彰人のチームは失格処分が下った。
更に数年間は大会への参加資格を剥奪。これまでの練習が徒労に終わった上に周囲から、そして世間から白眼視される立場になったのだ。しかもその原因は彰人である。チームメイトからの怒りのはけ口が彰人に向かうのは自然の流れといえよう。かつて共に戦った仲間からの心無い言葉が口に出され、その言葉が槍となって彰人の胸に深々と突き刺さる。
「どうせお前の親父が細工していたんじゃないのか?だからあんなに強いんだろう。普通じゃないもんなお前の強さは。」
「俺の、いや父さんのガンプラは……オルタナガンダムは関係無いだろう!」
彰人は仲間に弁解するも、聞き入れられる事はない。仲間”だった”者達からの冷たい視線が彰人の心を抉り、癒えない傷を残した。
「申し訳ないが、次回以降の大会には不参加でお願い出来ないだろうか?無論、無期限でね。一度でも疑惑がかかった者を世間は信用しないんだよ。それは解ってくれるね?」
当初、彰人は言われていた事が理解できなかった。世界大会への参加剥奪。それはガンプラを愛すもの達の憧れであるプロへの道を閉ざされたに等しい。
その言葉を聞くや否や、彰人の表情はさっと青ざめた。
「チートツールなんて俺は使っていない!知らない!だからお願いします!俺はいいです!でもせめて仲間は信じてください。あいつらは関係ありません。参加資格を奪わないで下さい!お願いします!おねが……い……します。」
公式大会の廊下で涙ながらに頭を下げるも、その叫びは届かない。大会の公式関係者に冷たくあしらわれ、もはや彰人の心はぼろぼろに引き裂かれていた。
神取彰人は大会への無期限に及ぶ参加剥奪に加え仲間を失った。幸いだったのは、彰人のチームの仲間は彰人の巻き添えとして参加剥奪まではされなかった。彰人だけが一方的に悪者として扱われたまま、彼は公式のガンプラバトルから追放された。
更にその不幸はガンプラバトルだけにとどまらなかった。父親が違法ツールの製造と使用に携わっていて、警察に逮捕されて以来から彼の生活は大きく変わってしまった。後に冤罪だという事は立証されたが、世間の目は厳しいまま変わらない。
——神取 貴明《かんどり たかあき》彰人の父であり、彰人にガンプラやGBAでのバトルの基礎を教えたのも貴明だった。彼は現代にしては珍しく生真面目な男で、彰人が成人するまでは働くと伝えていた。しかし、仕事に向かう途中、駅のプラットホームから転落した少女を助けようとし、そのまま電車に轢かれ帰らぬ人となった。最後の最後まで人のために生きた男だった。
更に悪い事というのは重なるものである。彰人の憧れの男、そして父と同じく自分にバトルを教えてくれた遠野未来がバトルの後、意識不明の重体となったのだ。次期メイジン候補の一人が倒れた事により、ガンプラバトル界隈は大幅に求心力を失った。尚、彼は現在も都内の病院で植物状態との噂である。
未来はバトルの後に彰人に対しこう告げていた。この時、未来からすれば彰人が不正行為を働いたかどうかはまだわかりもしない段階だが、未来は彰人が不正をしただという事などは頭の片隅にも無く、ただ彼の潔白を信じていた様に彰人には映った。彼の目にはきらきらと輝いており、その瞳には嘲りや軽蔑の色が無かったからだ。
「彰人君!僕は君を信じるよ。だから、負けるな!いつか立ち直って僕とまた戦おう!」
爽やかな笑顔のまま、未来は疑うそぶりも見せず彰人に手を差し伸べる。彰人は申し訳なさのあまり、一瞬躊躇い、結局その手を取ることが出来なかった。彰人自身、今の自分にその手を取る資格は無いと思えたのだろう。
例え理不尽な理由とはいえ、自分が未来とのバトルを汚したことに変わりは無いのだ。こうして彰人は未来と共にプロとして肩を並べる。という未来は閉ざされ、失われてしまった。だから未来の浮かべるその笑顔があまりにも遠くて、裏切ってしまったその顔を見ていると切なくて。心が張り裂けそうで。
発したかったはずの言葉が虚しく宙に消えていく。
(未来さん……ごめんさい。)
そんな言葉だけが頭の中をよぎっていた。父が亡くなった後、そして未来が倒れた後、彰人と母は住み慣れた家を引っ越した後に母の実家がある新潟へ引っ越した。
彰人が世界大会で少額ではあるが手に入れた賞金があったのに加え、彼が必死で勉強したかいもあってか、奨学金制度のある総務院高校に通うことが出来たのは僥倖と言えよう。
最初の一年の頃は毎日が得意でもない勉強に当て、辛かったが、気晴らしに訪れたプラモ屋で幼馴染の桐谷総一郎とばったり再開したことにより彼の生活に転機が訪れる。高校生にもなってプラモデル遊びが心良く思われていなかった頃だったたため、彰人は驚いたと同時に嬉しかったのを覚えていた。
そんな過去を振り返り、再度エリックに向き合う。今の状況に付いて行けなくて、ふと物思いにふけってしまったのを反省し彰人は我に帰った。
「エリック、俺はもうガンプラバトルだけをやってる訳には行かないんだよ。……好きだけど。」
彰人の弁明めいたもの言いは逆効果だったのか、エリックは尚も厳しい表情を崩さないまま彼を睨みつける。許せないのだろう。
「君を覚えていなかったのも謝る。だけど俺は‥…状況が変わったんだ。」
言葉を一つ一つ探るようにでしか伝えられない。彰人自身もこんなことでは伝えきれると考えてはいなかった。だがそんな言葉ではエリックの失望をぬぐい切れるはずなど無い。
「関係ない。」
だからその弁明も一蹴された。あまりも呆気なく、彰人の言葉の揺らぎすら理解されないというのは、あまりにも悲しい。
「僕は……僕はアキトに会いたかった。あの強かったアキトに。君に憧れていたからだ!その強さに尊敬を覚えたからだ!だから日本に来た!……四季にも興味はあったけれど。」
(興味はあったんだ……。)
切羽詰まった状況にも関わらず悲しみの表情を浮かべ、本音を漏らすエリック。そんな彼に対して文香は心の中で突っ込みを入れた。
「それが何だ君は……! いや、ごめん。僕も少しクールになるべきだったね。」
これ以上話しても無駄だと感じたのか、エリックは彰人から視線を逸らす。もう話すことは無いのだと言わんばかりに。やはり失望されたのだと、エリックの様子から彰人は改めて理解せざるを得なかった。
「今日はありがとうアキト。君は覚えてなくても、久しぶりに君と戦えて僕は楽しかった。」
残念そうな表情を浮かべながらそう言い残した後、ドアを閉めてエリックは帰った。ぽつんと部室内に取り残される彰人たち。気まずい沈黙が部室内を漂う。
「え、えーとさ」
無言になる3人。何を話せば良いか、どう切り出すか迷っていた。まるで先の見えない霧の中を無理に歩く旅人のように。重苦しい空気か教室を包む中、先に沈黙を破ったのは意外にも文香だった。
「今日はしょうがないよ。彰人君も久しぶりに会ったんだろうし。エリック君もちょっと……理由が重いしね。」
「誰が悪い訳じゃないよ!」
「文香……。」
文香がフォローしてくれている。彼女は本当に純粋で優しい子なんだと彰人は改めて嬉しく思うと同時に彼女に対しての申し訳なさが勝る。自身の情けなさに嫌になり思わず視線を落とした。
「彰人君。」
その落とした視線を拾うかのように総一郎が真剣な眼差しで彰人を見つめると同時に2人に呼びかける。普段の彼からは想像がつかない。ある種の覚悟が固まった顔だった。
「突然だけど、今日は僕のうちに来て欲しい。文香さんも。」
否定を許さないと言わんばかりの強い眼差しに彰人達はただ頷く事しか出来なかった。
部活(最悪な雰囲気だったが)を終えた後、総一郎は市内にある彼の家に彰人と文香を招いた。理由は勿論ただ一つだ。あの留学生についてどうするのか話し合うためだ。
「入って、中にどうぞ。」
総一郎は2人を中に招き入れる。ちなみに総一郎の家に彰人と文香を中に招くのはこれが初めてでは無い。桐谷家と立派な表札が飾られた玄関を抜け、オートロックを開けて中に入る。長い坂道を上り、ようやく足を踏み入れる事が出来た。
何しろ高級住宅街の中でも一際目立つ家だ。最初の頃の2人は総一郎の実家の大きさにただただ驚いていた。脳外科の医者というのはやはり金を持っているらしい。総一郎は彰人と文香を廊下を渡り、突き当たりにある彼の自室へと案内する。
「ほら、今飲み物持ってくるから、そこのソファーに座って。」
部屋に入るなり、総一郎は2人をソファーに座らせた。高級な黒皮のソファーに一瞬躊躇うが、彼の言葉に甘えて2人は座った。
「ありがとう。総一郎君。」
「彰人、文香さん。僕は数分間いなくなるけど、変な事はしないでね?」
頰を赤く染める文香とワンテンポ遅れて苦笑いする彰人を尻目に総一郎はキッチンに向かう。総一郎は本来冗談を積極的に言う男では無い。しかし、今は状況が違っていた。不器用な彼なりの気遣い。それが出来るくらいには総一郎と2人は仲が良かった。普段、彼が他人には見せないもう一つの一面といえよう。
長い廊下を歩きながら彼は思案する。
(それにしても、だ。あのエリックという男。僕も見た覚えはある。彰人の話からなんとなく似ているなとは思っていたが、まさか本人だったとは。いや、それは良いか。まずは彰人と文香さんの心をほぐさないと。)
総一郎は台所で砂糖とココアとやや熱めのミルクを加えて配合したお手製のココアを作り部屋に戻る。 本来は彼の妹が幼い頃に作ってあげたものだ。暖かい飲み物というのは人をリラックスさせる効果があるらしい。ココアを入れたカップをトレーに入れ自室に運ぶ。
「エリック君のあの言い方は酷いよ。」
部屋に戻ると、文香が珍しく意見を言っていた。彼女の言葉には総一郎も概ね同意見だった。あの時を思い出したのか、一瞬顔が曇る。
「あれは流石に唐突すぎるね。……はい、ココア。身体あったまるよ。」
総一郎のお手製ココアが入ったカップを二人に渡す。熱いので、渡すときに少しだけ気を遣った。
「甘いものでも飲んで落ち着こう。」
「ありがとう。」
「総一郎は何でもできるな。」
彰人が父親譲りの優雅な動作をして、ココアを飲みながら総一郎を茶化した。教室にいる時の彼ではあり得ない光景である。彼の育ちの良さがこういった所で窺いしれた、そしてその所作は心を許した総一郎の前でしかやらなかった。
「で、本題なんだけどさ。」
冗句はさておき、総一郎は本題の話を切り出す。
「2人はどうしたい?というよりも彰人はどうしたい。それが肝心だと思うんだ。」
正直なところエリックの話もわからないでもない。総一郎の目から見ても彰人のバトルセンスはかなり高い。その気になればプロゲーマーにもなれるだろうというのは、誰が見ても明らかだった。常人ではなかなか得ることのない才能を持っていながら、それを使わないというのは、エリックの指摘の通り傲慢なのかも知れないと総一郎は考えている。
彼の行動自体は幼稚な八つ当たりでしかないが、その点においてはエリックの苛立ちは理解できた。ただその一方で、将来のことは彰人本人が決めることであり、部外者が口をはさむこともないだろうとも達観していた。
「もう一度聞く。彰人はどうしたい?聞かせてくれ。」
総一郎は真剣な眼差しで改めて尋ねた。彼の真意がどうしても知りたかった。
「俺か……俺はだな。」
対する彰人は頭をかきながら考えている。その迷い悩む様子はいつもの彰人の様子とは違っていた。恐らく、本気で悩んでいる。普段明るく面白い彼が、ここまで落ち込んだ表情を見せたのは久々だった。
「暫くは現状維持かな。」
沈黙の後、真剣な表情のまま彼はそう呟いた。
「は?現状維持だって?」
予想外の答えに思わず聞き返す。苛立ちが含まれていた。総一郎にとってその答えはあまりにも意外だったからだろう。普段の彰人にしてはあまりにも後ろ向きな発言に頭を抱えた。
「そう。現状維持。」
彰人はそうやって強引に言葉を繋ぐものの、彼の視線は迷ったままはっきりとしない。その泳いだままの視線は総一郎や文香に向けられていた。
(……ああ、この目は父親が亡くなった後の彰人の目だ。君は僕や彼女である文香さんと一緒にいる時間を大事にしたいのだろうね。……それも分かる。理解出来る。その優しさを嬉しく思うよ。)
(だけど彰人、それは”逃避”なんだよ。)
親友の後ろ向きな発言に対しても失望はしない。ただ、その意見は本当に彰人の本心なのか否か、判断出来なかった。総一郎は優しい性根の持ち主だったから、あえて何も言わない。だが、本心であって欲しくなかったのかも知れない。
(まずいな。言葉の選び方を間違えたか?)
一方で彰人は焦っていた。総一郎が腕を組み深妙な顔をしながら自分を見ていたからである。同時にどう答えるべきか迷っていた。確かにGBAでのガンプラバトルは楽しいし、父や未来との思い出でもある。その父が亡くなってから、自然と遠のいていたガンプラバトルに再び誘ってくれたのも総一郎だった。
文香もガンダムは知らないが、理解してくれようとしている。恵まれている環境と恵まれた友達。彰人にとってはいつのまにかそれが当たり前になっていた。
(これではエリックにも呆れられるのも当然だ。俺はガンプラバトルをこのまま続けていいのか?)
だが答えは誰にも解らない。当の彰人自身も今は答えが出せない気がしていた。
「ああ、だが今はバトルだけを続けるのは……。」
「好きにしていいんじゃないの。」
彰人のはっきりとしない態度に豪を煮やしたのか、文香が発言を遮る。普段のんびりした彼女には珍しい行動だった。その様子に彰人が驚いた表情で彼女の顔を見つめた。
「彰人君が後悔の無いように生きられれば、きっとそれでいいんだよ。正しいとか、正しく無いとか、そんなの関係無いよ。」
「彰人君は私のこと大事にしてくれているでしょ?だから、趣味をやめるなんて悲しい事を言わないで。そのままの彰人くんでいいから。」
真っ直ぐな瞳で彰人を見つめる。くりくりとした大きい瞳。吸い込まれそうな美しい輝きを放つ瞳に、彰人は鼓動の高鳴りを覚えた。
「文香……ありがとう。」
(決めた。難しいことを考えるのは後回しだ。くよくよ考えるのなんて、俺らしくないしな。)
彰人は深呼吸した後、2人の顔を眺めながらある種の決意を秘めて言葉を発した。それは彼なりのけじめのつけ方だった。
「俺、決めたよ。明日エリックと————-バトルする。」
口に出すことではっきりと分かる。改めて理解できる。
“ガンプラバトルで失ったものはガンプラバトルで取り戻すべきなのだ”
きっと今はそれしかないのだと、彰人は確信めいた何かを胸に秘めていた。
夜も21時頃を回り、総一郎の家から帰る途中。彰人と文香は帰り道を一緒に歩いていた。帰る際、総一郎は二人が寒くないようにとカイロを渡してくれた。ありがたいと受け取る二人。そのカイロを二人はポッケにしまい、温もりを感じながら歩いていた。じんわりとした熱がポッケ越しに伝わる。
新潟の冬は寒い。頰を斬りつけるように風が冷たい。しかしその一方で文香とつなぐ手は暖かい。カイロと文香の手、それらの温もりが彰人の冷えた心をゆっくりと暖かめてくれる。
「今日は特に風が冷たいね。」
無言のまま歩く彰人を気遣ってか、唐突に文香が口を開く。横目で彼女を眺めた。今日は気遣われてばかりだなと彰人は心の中で反省した。
「ああ。そうだな。寒くないか?」
彰人も声を掛ける。文香が寒そうに肩を震わせているのを見過ごさなかった。持っていたカイロを一つ渡す。
「ありがとう。でも平気。」
「さっきのことだけどさ」
「何?」
「文香も将来のこと考えているのか?」
彰人は尋ねた。
「私?私かぁ‥…。」
文香も唐突な問いに考え込んだ。何を言うか、迷っている様子だったが、ふと答えた。
「高校を卒業したら大学の医学部に進みたいな。」
「……医学部か。文香なら大丈夫だよ。」
「そう。私は小児科の医師になって、沢山の子供の命を救うの。」
「……”私の弟みたいな子”を減らしたい。それが私の目標。」
一瞬の沈黙。それは文香の恋人である彰人ですら、触れるのを躊躇う話だった。天音隼人。文香の弟。今もなお植物状態の少年。彰人は幼い頃の隼人の屈託のない笑顔を思い出し、切なさに胸が締め付けられる。
「君は立派だ。」
かろうじて言葉を絞り出す。彰人は隼人の話を出されると弱い。まるで、自分自身が責められている様に感じた。
「立派じゃないよ……でも。」
「そうありたい。とは思ってる。」
「ふふ。だから彰人君にはいつも優しいでしょ?」
悪戯っ子の様に上目遣いで彰人はをのぞき込む文香はかわいらしかった。くりくりとした大きい瞳は先ほどと変わらず宝石のようにきらきらと輝いている。背も彰人よりも一回り小さく、側から見て幼く見える彼女でも将来のことを考えられている。
(俺は、俺はどうなんだろう。)
彰人は改めて自分が将来何をしたいのか。これから自分がどうしたいのか。それを考えようと決意したのか、ある種の憑き物が落ちかのような表情を浮かべていた。
「俺も、君をもっと大事にできるように……。」
「抱え込みすぎ。」
最後まで言えないうちに、彰人の唇にそっと口づけられた。彼女の柔らかい感触。暖かさ。文香の甘い匂いが鼻をくすぐる。彰人がその唐突な行動に対して為すすべなく呆けていると、文香は照れ臭そうに笑いながら柔らかい口調で言った。まるで歳下の子供をあやすかのような優しさを感じる口調だ。
「エリック君とうまくいくといいね。」
「……ああ。」
その無邪気な笑顔に彰人は耳まで真っ赤になるのをこらえながら、彼女の後姿を見送る事しか出来ない。彼のコートの中にあるカイロの温もりは、まだ暖かかかった。じんわりと暖かいその温もりを感じながら帰路を急ぐ。その表情は明るく、柔らかい。
———冬の寒さなんて、少しも感じなかった。
第4話に続く。
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