次からは、洛陽編をお送りします!
「ふざけやがって!!」
「俺たちが見張りしてる時に何やってんだ!」
雪蓮の兵士達は怒りに震えていた。ただでさえいつ死ぬか分からない撤退戦。唐突に起こった袁術軍の裏切りにより、兵糧すら満足に持ち出せなかった孫策軍は、薄い粥一杯で走らされて来た。
そんな時に、雪蓮と冥琳が木陰で情事に耽っていた等という話が出れば、兵士達の怒りも頷けるものだろう。
(ほんっと馬鹿ですねぇ…)
亞莎は悲し気に眉を下げつつ、しかし内心では笑いを堪えて兵士達を眺める。この状況で快楽に耽れば、それが兵士達にどう映るかなど分かりきっていただろうと、二人を嘲りながら。
「…皆さんのお怒りはもっともです。私も皆さんと同じ気持ちを抱きました。…雪蓮様と冥琳様には私から真意を問います。ですからここは抑えてください」
「呂蒙様…」
「子明様がそう仰るのであれば…」
兵士達は、亞莎の言葉に怒りを鎮める。この撤退戦で最も被害が軽微なのは、彼女が指揮する部隊なのだ。冥琳や雪蓮の指揮する部隊の半分以下の損害しか出していない彼女に対する兵達の信頼は、両者へのそれを凌駕するまでに高まっている。
「でもまずは、怪我の手当からですっ!」
大きな眼鏡の奥に見える、くりっとした目を輝かせ、怪我した兵士達に手ずから治療を施していく亞莎。将として偉ぶることなく、自分達と同じ目線に立ち、同じ苦難を味わう彼女のことを、兵士達は深く敬愛するようになっていた。
・
・
・
「どういうおつもりですか?」
「「…」」
ボロボロの天幕で、亞莎が雪蓮と冥琳を問い詰める。
普段はにこやかな笑顔を浮かべている亞莎が、怒りを露わにすることは珍しい。それも主君である雪蓮と、師匠ともいえる冥琳相手にである。
「被害は甚大、兵糧も残りわずか、呉への道のりは未だ遠い。この状況で、あんな事をすれば兵士の皆さんがどう思うか、分からない冥琳様じゃないでしょう!」
バツが悪そうに目を背ける二人に、亞莎は
「…返す言葉もない…浅はかだった…すまない」
「私もよ…ごめんね、亞莎。あなたが頑張ってくれてるのに…」
明らかに情事の後であることが伺えるほどに、天幕の中は熱気に満ちている。二人の額を伝う汗は、気まずさから来るものではないのだろう。
「…私の事なんて良いんです!ですが、ここまで私たちに着いてきてくれた兵士の皆さんが可哀想ですっ…」
「亞莎…」
雪蓮は自らを恥じ入る。辛いのは自分だけではない、亞莎は軍師として己にできることを精一杯やっている。兵の不満を宥め、的確な指揮で被害を最少に抑え、不甲斐ない主への諫言…。兵が自分を信用しないのも当然だ。ここまで一生懸命に働く少女に目を向けず、目先の快楽に逃げる主など、戦に強い弱い以前の話である。
「本当にごめんね、亞莎。目が覚めたわ」
ふわりと、俯く亞莎の髪を撫でる。びくりと震える彼女を見て、自分はこの少女に、どれだけの重荷を背負わせたのかと、唇を噛み締めて悔いる。
「冥琳、今の兵糧でどこまで行ける?」
「長江までも辿り着けん。どこかで兵糧を確保しなければ…」
「そう…」
冥琳の言葉に、俯いた亞莎がニヤリと笑みを浮かべる。そう、絶対に呉には辿り着けない。そこまでの兵糧など、もはや孫策軍にありはしないのだから。つまり選択肢は一つしかない、『略奪』である。近隣の村を襲い、食料を奪う。そして鬱憤の溜まった兵達は、食料や財貨、女を見て我慢できるだろうか。必ず兵達は強姦と虐殺に走る、否、
(雪蓮よりも、あの生真面目な蓮華の方が、こちらの思惑通りに事を進めやすくなります…。さぁ、雪蓮?命令しなさい…!)
「奪うわよ」
ギリっと亞莎は、策の成就を察した。あとは略奪に向かう兵の中に、奉身教徒を潜り込ませれば完遂される。
「…奪うとは、どこからだ?この辺りの村は…」
「袁術軍からよ」
「へ?」
思わず亞莎の口から間抜けな声が漏れる。この女は何を言っている?こちらは数百騎、袁術軍は一万以上の大軍である。
「あいつらは私たちが攻撃に転じるとは思っていないわ。夜襲を掛けて兵糧を奪うだけなら出来るはずよ」
「なるほど…確かにそれならば可能かもしれん」
(こっ、こいつら…!!私の策を、最後の最後で、台無しにしやがった!!)
汚名を着せ、宿老と第二の軍師を削ぎ落し、精鋭を失わせ、兵からの信頼を奪い取った、最後に名声を地に落とせば、雪蓮は死ぬ。肉体は主への供物であり、傷を付けることはできないが、その精神と名声は別である。
小覇王としての雪蓮を殺す。それこそが亞莎の目的だった。
「亞莎!兵を纏めておいてね!お詫び代わりに、私達が行ってくるわ」
南海覇王を佩いた雪蓮が、屈託のない笑顔を亞莎に向ける。この時点で、亞莎の目的は潰えた。
▼
「申し上げます!董卓軍が戦場へと乱入!黄巾賊を敗走させつつあります!!」
「なんですって!?」
「そんな…!」
「やられた…!」
馬上の華琳の下へ、伝令が馬を走らせ報告する。それは華琳にとって最悪の報せだった。連合軍26万が壊滅させられた黄巾賊50万を、董卓軍が独力で討伐すれば、世間は諸侯をどう見るか。
天下に英傑無し、董仲穎こそ漢の希望。
間違いなく、華琳や諸侯の声望は失われる。中でも、発起人である華琳と、盟主である麗羽の二人は、歴史に無能としてその名が刻まれかねない。
「天下の才ある者は、挙って董卓の下に集まるでしょうね…」
「華琳様…」
才ある人材を愛する華琳だが、それは人材こそが国家の要であることを知っているからこそである。どんな大国であろうと、優秀な人材がその才を発揮できない国は滅び、小国であろうと、才を遺憾なく発揮できる国は栄える。それが道理である。
つまりは、董卓はこれから有能な人材を得、さらに飛躍するであろうことは明白なのだ。それは覇道を唱える華琳にとって看過できない敵が現れたということ。
「…秋蘭は…」
「大きな怪我もなく、こちらへ向かっているとのことです!」
最悪の中の最高の報せ。それは腹心である従姉妹が無事であったということ。その報せに、胸に手を当て、深く安堵の溜息をつく華琳。
「華琳様、董卓は初めから…」
「そこまでよ、凛。それから先は、城に戻ってからにしましょう」
眼光を鋭くさせた凛が、華琳に耳打ちする。しかしそれを遮り、帰還を急がせる。その思考は、戦力と声望が低下した自身がこれからどう立ち回るべきか、それだけに割かれていた。
「秋蘭が見ている筈の董卓軍…それを聞いてからでも遅くはないわ」
辺境で戦ってきた董卓軍。その実力は未知数であったが故に、連合結成の際には優先しなかった事を、華琳は今更ながらに悔いていた。奇襲であったとはいえ、50万の黄巾賊を短時間で敗走させるなど、尋常な軍勢ではない。秋蘭が戻り次第、そのあたりを含めて聞かねばならない。
「桂花」
「はい、董卓軍への密偵を増やし、目的を探らせます」
打てば響くような返答に、満足げな表情を浮かべる華琳。そう、まずは知らねばならない。
董卓の目的は何か?なぜ連合に参加せず、独力で戦ったのか?単独で勝てる相手ならば、連合に参加すればもっと簡単に倒せたはずである。
「董仲穎…何を考えているの」
▼
「奉身教だと?」
屋敷の中で、足に包帯を巻いた張譲が、配下からの報告を受けていた。彼が命じたことは一つ。
『董卓を殺せる者』を見つけだせ。
そして彼の権勢を支える者達は、すぐさまその命令を達成することに成功した。
「はっ、最近民衆の間で流行している宗教らしく…なんでも、『神に奉仕することで、安寧を得る』という教義の下で活動しているようです」
「そやつらは董卓を殺せるのか?」
神なんてものを欠片も信じていない張譲にとっては、全く理解できない教義だが、必要なのは董卓を殺せるのかどうかである。それさえ果たせればどんな背景があろうと関係のない話である。しかし、たかが宗教団体ごときに何ができるのかと配下に問いかける。
「各地に信徒がいるらしく、それらを使い、董卓の下に潜り込み始末してみせると」
「ふん、まぁ良い。仮に失敗しても儂には関係のない事よ。それより大事なのは報酬だ。幾ら要求してきおった?」
宗教家とは、須らく守銭奴である。それを長い宮廷生活で、嫌と言うほどに思い知っている張譲。しかし、あの忌々しい小娘を排除するためならば屋敷の蔵を空にする覚悟さえ、彼は既に決めていた。
「それが…金銭は必要ない、ただ洛陽に大神殿を築く許可が欲しい、とのことです」
それは余りに小さい要求だった。これから権勢を奮うことが確定している董卓を殺す見返りとしては余りにささやかな願い。それが逆に張譲の不信感を買う。
「馬鹿な、有り得ん!なにを企んでいるのだ…?」
「奴ら随分と蓄えているようでして、おそらくですが、実より花を取るつもりではないかと」
だとすれば張譲にも理解できる。おそらくだが上手いことを言って信徒から大量の布施を巻き上げているのだろう。さらに信徒を増やすことが目的ならば、洛陽に神殿を構えたいという願いにも納得である。
「それと、失敗したら許可は撤回して構わないから、前払いで報酬が欲しいそうです」
「ふん、随分自信があるのだな。…まぁ良い、許可を出してやろう」
神殿の建築許可を出した所で、自分の懐が痛む訳でもない。董卓を殺した後でごねるようなら、許可を撤回し、邪教として迫害するように皇帝を動かせば片が付く。
どう転んでも自身に損がないならば、雇い主として懐の大きさを示してやろう。張譲は奉身教洛陽大神殿の建造許可を取るために、皇帝の下へと足を運んだ。
「主教様、御身に相応しい神殿をご用意いたしましょう…!」
配下であるはずの男が、床に跪き、奉身教の神へ祈りを捧げているなど、彼は知る由もなかった。
▼
「ははは!!これが董卓軍か!噂通りのバケモノだ!」
黄巾賊の本陣で、波才が叫ぶ。すでに風と凪、真桜は、狂信兵を連れて本陣を抜け出し、董卓軍と合流している。ここに残された波才の役目は、黄巾の賊徒と共にここで死ぬことである。
(なんて幸運なんだ俺は…!この薄汚い俺が、神が飛躍するための踏み台になれるとは!!)
ここで死ねと命じられた時、波才は静かに涙を流した。その胸に去来した感情は、絶望ではなく、悲しみでもない。それは歓喜であり、喜悦だった。神の為に死ぬ、それは奉身教徒にとって生涯最大にして唯一の奉仕なのだ。
「あぁ…!来てくれたのか、天上の使者!俺はここだ!黄巾賊の波才は、ここにいるぞ…!」
砂塵の中に、僅かに見えるは紺碧の張旗。波才の命を終わらせに来た、死神ともいえるその部隊を万感の思いで迎える。しかしただで殺されてはならない。抵抗してから死ねと厳命されている波才は、その豪声を張り上げた。
「テメェら!!ここから生きて逃げ延びたきゃ、俺に付いて来い!!あの連中を突破して、こっからずらかるぞ!!」
「波才様!」
「俺はアンタに付いて行くぞ!!」
黄巾賊が次々と波才の周囲に集まり、即席の軍勢を形成する。練度も質もイマイチな黄巾賊、しかしその数の暴力だけは危険極まりない軍勢である。
「波才…お迎えがきたでぇ」
部隊の先頭を走る霞が、槍を扱いて狂笑を浮かべる。確実に自らを殺してくれるであろう霞の笑みに、波才は万感の思いを込めて、剣を構える。せめてもの礼に、一秒でも長く彼女を楽しませてやろうと、波才は微笑みを浮かべた。
洛陽編に行く前に
星、風、亞莎が洗脳された過去話を投稿しようかな