第1話
秋も近くなり日が暮れるのは早い。夏場ならまだ日が高く昇っている頃だ。
僕の周りには僕と同じ学校の生徒が、何人も通っている。部活のない生徒はもう下校時刻だからな。
みんな友達と楽しそうに帰っている。自転車通学の人は自転車から降りて、徒歩通学の生徒に合わせている。おそらく同級生なんだろう。
中には男女のペアもいる。割と見かけるよな。
並んでスマホをイジったり、購買やコンビニで買ったであろうものを美味しそうに食べている。
ちなみに僕の隣には誰もいない。いつもは一人で帰っている。
別に通学路が合う生徒がいないわけではない。何なら結構多いんじゃないだろうか。
僕は意識して一人でいる。学校でもいつも一人でいるし。友達と呼べる人もいない。
でも決していじめられるからとか、そんな理由じゃない。自分の意思で一人でいるからな。
僕はふと周りを見て、思わずため息が出た。
大したもんだよな。
嫌味とかではなく、僕は楽しそうに友達と歩いている生徒たちを見て、素直にそう思った。
彼らは隣にいる人達の事をどれくらい知っているんだろう。隣にいる人が友達同士だと本当に思っているのだろうか。
もしそうなら本当に大したものだ。少なくとも僕にはそんな事出来ない。人と馴れ合い仲良くするのは無理だ。
そんな容易く人を信頼出来ない。だからあそこまで近くなる事はまず無理だろう。
僕は常に人を警戒して、疑ってしまう。だから仲良くなれない事がほとんどだ。
どこかで騙されてないか、いつか裏切られたしないのか。そんな事ばかり考えてしまう。
人には表裏がある。僕はどうしてもその裏を知ろうとしてしまう。それがいつか自分への敵意になるのではと思ってしまうからだ。
我ながら面倒だとは思うけど、今更どうこうなる癖でもない。
いっそのこと、裏切る前提の関係なら気楽なんだけど。本質的にそれを実現させるのは難しいよね。
僕は学校を出て電車に乗って駅まで移動すると、そこから街の通りに出た。このまま真っ直ぐ行けば僕の住んでいるアパートに着く。
しかし僕はそこで立ち止まって右を向いた。そしてそのまま右に進んで行く。
周り道をしているわけじゃない。今日は少し寄り道をしたい気分だった。
僕はひたすら進んで行く。やがて駅前で賑わっていたところからも離れて、人気が少なくなってきた。それでも僕は進む。
やがて地面に砂地が多くなってきて、風の様子も変わってくる。見た目よりも急な坂を登っていく。外はもう夕焼けになっている。
そうして僕は目的地に着いた。
そこは海だった。波と風の音だけが心地よく響いてくる。
誰もいないただ自然の音だけが響く中に、僕は一人立っていた。
僕はその場に座る。砂がつくけど、まぁいいや。
一息ついた僕は、ゆっくりと辺りの景色を眺めた。夕日が海を照らして、茜色に染まっている。
ここは僕がたまに来る場所だ。休日とか、今みたいに学校帰りとか、時間はまばらだけど。
特に理由があるわけではない。いつの間にはこんな風に来る事が増えていったというだけだ。初めて来たのっていつだっけ?
何となくここに惹かれているものはあるのかもしれない。誰もいない静かな海は、とても落ち着く場所だった。
すごい失礼かもしれないけど、何の干渉も受けずにただ自分の音だけを奏でている海が、何となくなって自分の似ているように感じているからかも知れない。
だからだろうか。こうやってぼんやりと砂浜に腰掛けていると、まるで海と同化したように感じる。
さっきまで外から聞こえていた海のさざめきや波や風の音が、今では自分の中で響いているように感じた。
こうやって海と溶け合う事で、日々の疲れを浄化してリセットしている。そういう意味ではここに来る時は疲れてる時が多いかも。
僕はずっと海を眺めていた。今日はどれくらいいようかな。時間はそれなりにあるし。
いつも帰るのは暗くなって海が見えにくくなってからだ。だから夏とかは結構長くいる。
それでも冬の夜は寒い。あんまり長くいるのはやめておくか。
一応防寒具とかはしてるんだけどさ、ここまで寒いとあんまり意味をなさない。
そう思うと余計に寒くなってきた。そろそろ帰ろうかな。
僕は荷物を持って立ち上がった。砂浜から出ようとしたその瞬間。
どこからか鼻歌が聞こえた。
何だ?やけに綺麗な鼻歌だけど、どこからだろう?
僕はそう思って僕は辺りを見渡した。まさかこんな時間に僕以外に海に来てる人がいるのか?
すると僕の入ってきた砂浜の入り口の所に人影が見えた。本当にいるとは。
あんまり人の事を気にする性格ではないけど、こんな季節にわざわざ海に来る人がどんな人なのか、少しだけ興味が湧いた。
どの道ここを出ていく時に通るし、ちょろっと見るだけなら。
僕はその鼻歌に釣られるようにして砂浜の入り口に向かった。出来るだけバレないように気をつけてっと………。
そして近づくにつれて人影がはっきりとしていく。そしてその姿が見えた。
そこにいたのは、思わず見惚れてしまうほどに美しい女性だった。
年齢は見た感じ三十くらいだろうか。
身長は僕より少し低いくらい。長い黒髪をストレートにして、大人っぽい印象が目立つ。
優しそうな目元、歌っているためか僅かに動く口、全体的に整った顔立ちをしている彼女は、僕の視線を惹きつけていた。
ロングのスカートと灰色の薄手のシャツを着ていて、特に装飾品らしいものは身に付けていない。
でもその質素なところが、僕には好印象ととれた。無駄に飾らない美しさ。露出も少ないけど、それでも自然も惹かれる人だった。
そして僕は彼女の左手を見ると、少し目を見開いた。
彼女の左手の薬指には指輪が嵌められていた。どう見ても結婚指輪だろう。
どうやら既婚者のようだ。そんな人がこんな時間になんてこんな所に?
その人は僕に気がつく事は無く、ただ海を眺めて鼻歌を続けていた。僕はその横顔を眺める。
澄んだ綺麗な声だなぁ。歌詞も何もないけど、強く惹かれるものがある。
すぐさま帰るつもりだったのに、僕は女性の鼻歌を聴いていた。それほどまでに綺麗な声だった。
いやそれだけじゃない。彼女の歌声はどこか、寂しそうだ。少し暗い印象がある。
それはただの僕の思い違いだろうか。
そんなことを考えつつ見ていると、女性が僕に気がついたらしい。ビクッと震えて鼻歌をやめる。
「ッ⁉︎……あっ、こ、こんばんは」
「………ど、どうも」
いきなり挨拶されてどう返すのか迷ってしまった。結果として小さくしか答えられなかった。
「ごめんなさい、まさかこんな時間にここに人がいるだなんて思わなくて。うるさかったかしら?」
「いえ、大丈夫ですよ」
むしろ綺麗でしたよ、と言うのは控えておいた。初対面でそれはないだろ。
僕は砂浜を出るために女性の隣を通る。
「ねぇ、君はよくここに来るの?」
すると女性が小さな声で尋ねてきた。その声に僕は足を止める。
僕はチラッと女性の顔を見た。パッと見た感じ何か企んだり訝しんでいる様子はない。
しかしそれはあくまで表面的な話だ。今のところその奥を僕は知らない。その事実が僕の警戒心を高める。
僕は様々な可能性を考えた。この質問を答えただけで特に何か問題があるわけではなさそうだ。
一応何かあった時のために身構えてはいるが、答える事にする。
「まぁたまには、ですけど」
「そっかぁ………」
何なんだこの人?たったこれだけの会話の中で、僕は彼女に警戒心以外の何かを抱きつつあった。
この人は何だか………薄い。
存在が薄くて、今にも消えてしまいそうだ。はっきりと目の前にいて向かい合っているのに、全くそんな感じがしない。
まるで僕一人で話しているようだ。そう思ったせいか、僕の中で彼女への警戒心が少しずつ薄れていった。
それでも完全に消えたわけじゃない。僕は少し乱れた心を建て直して向き合う。
「君はこの辺の子?」
「………はい」
さっきよりもすんなりと答える事が出来た。しかも正直に答えてしまっている。
彼女は薄い。だからこそ、気が楽になっていった。
それから女性は再び海を眺めた。ぼんやりとどこを見ているのかは分からない。
すると女性はスッと前に進んで行った。もっと海に近づくように。
僕はその姿に危機感のようなものを感じた。
存在の薄い彼女がこのまま海に近づいてしまったら、波に飲まれてしまうように思ったからだ。
飲まれて、流されて、目の前から消えてしまう。そんなわけないのに、そう強く感じてしまう。
彼女は何故海に近づこうとするのだろうか。
いや、これは僕には関係のない事だ。そう思っても僕は女性から目を逸らせなかった。
彼女は海に近づこうとしている。でも、海は彼女を飲み込んでしまう。
どれだけ自分が信じて、肯定して近づこうとしても、それは相手にとっては魚が餌にかかったようなものかもしれない。
彼女もそんな餌になる一人なのかもしれない。
我ながらよくもまぁ想像だけで、ここまで考えられるものだと思う。
しかしそう思ってしまうと、焦りに似た感情が膨らんでいくばかりだ。自分のは無関係なのに、目が離せなくなる。
その瞬間、僕の体は無自覚に動いていた。
僕は手を伸ばして、女性の腕を掴んでいた。
「ッ⁉︎…………え?」
いきなり腕を掴まれた女性は、驚いて僕の方を振り返った。その目は微かに濡れているように見えた。
そこで僕はハッとした。
「ご、ごめんなさい‼︎」
僕は急いで手を離して謝った。
初対面の人に手を握られるなんて、普通は嫌に決まってる。
しかし女性は掴まれた自分の腕を見て、フッと笑った。初めて見る彼女の笑顔だった。
どうしたんだ?てっきり怒られると思ったのに。
「ねぇ、君この後時間ある?」
「えっ?」
彼女の口から紡がれたのは、非難ではなく質問だった。
予想外すぎる質問に僕はさっき以上に固まってしまう。
「…………まぁ、ありますけど」
それでも僕は何とか声を絞り出した。
相手の意図も分からずに若干後悔するが、言ってしまったものは仕方ない。
すると女性は僕の方に戻ってきた。
長い髪を耳にかけて、優しく微笑む。
「それならさ………今から私の家、来ない?」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この他にも小説を投稿していますので、そちらもよろしくお願いします。なお、その影響で更新ペースと投稿が続くかは不安定です。