夏休みになり、暑苦しい季節となった。
こんな日は家に引きこもり、クーラーガンガンの部屋でのんびりしたいところだが、そういうわけにもいかない。
この日、僕は学校へとやってきていた。
グラウンドでは、運動部の人達が汗だくになって練習に励んでいる。こんな暑い日に、よくもまぁあんなに動けるものだ。
素直に感心しながら、僕は事務室の人に声をかけて校舎に入る。教室に着くと、自分のロッカーを漁る。
「えっと………あっ、あった」
引っ張り出したのは化学の図録だ。課題に使いたかったのだが、うっかり持って帰るのを忘れてしまったのだ。
図録をスクールバッグに突っ込んで、これで任務完了。さっさと帰るか。
教室を出て階段を降りようとした時、ふと隣にある演習室が目に入った。
放課後は大体、ここで地血と一緒にゲームをしていた。
しかし夏休みになれば当然来ないし、わざわざプライベートで会うようなこともしない。そもそも連絡先持ってないし。
結果として夏休みになってからは、一度も会えていない。
張り合いがないという意味では寂しくはあるが、だからといってそれを口にすると面倒なことになりそうなので言えない。
これなら、ゲーム内でフレンド登録でもしておくべきだったな。
そんなことを考えながら階段を降りようとすると、演習室の窓から気になる人が見えた。
そこから見えたのは学校のプール。この時期は水泳部が使っているが、今日はいないようだ。プールの水は抜かれてるし。
代わりに一人の女子生徒、プールの中で何かしている。
普通ならどうでもいいので無視するが、どこか見覚えがある。
遠くてよく見えないので、スマホのカメラで写してズームで拡大した。
やっぱりだ、間違いない。
校舎を出ると、僕はプールへと向かった。そこにいた子に声をかける。
「おーい、地血」
「えっ?先輩?」
水のないプールの中にいたのは、さっきまで思い出していた地血だった。僕が声をかけると、こっちを振り返る。
スクール水着に着替えて、手にはデッキブラシを持っている。プールの中にはホースが落ちていた。
初めて見る水着姿にドキッとしたが、だらしない顔をしても引かれるので目を逸らす。
「あくせく頑張る運動部に感化されて運動中………には見えないね。何してるの?」
嫌そうな顔で掃除している地血を見て、僕は首を傾げた。いつもの気怠げな目が、より一層辛そうだ。
「見れば分かるでしょう?プール掃除です」
「何で地血が?それは水泳部の仕事でしょ?」
水泳部の恒例行事にプール掃除がある、ってのを聞いたことがある。それでその後に合宿に行くのが、毎年の流れだそうだ。
「顧問の用事で、合宿の日が繰り上がったそうです。それで掃除の時期にいないそうで」
なるほど。ほぼ毎日部活があるはずの水泳部がいないのは、それが理由ってわけか。
「だからって何で地血がやってるの?」
「その………水泳の授業で、補習を食らってしまって。それで、練習後に掃除をするようにと」
「なるほどね。でも一人で任されたわけじゃないでしょ?」
プールはそれなりに広い。いくら補習後の仕事とはいえ、一人にやらせるとは思えない。せめて二人は必要だ。
補習なら先生がいるはずだし、地血一人だけならその人が手伝ってもよさそうだけどな。
それを生徒だけに任せたなら、他に補習を受けた人がいたはずだ。
「はい。でもみんな、この後用事があるからと帰ってしまって」
「それで一人掃除を押し付けられた、と?」
「まぁ、そんなところです」
見下げたクズもいたものだ。普通一人に押し付けるかね。
僕は靴と靴下を脱いで袖を捲ると、プールのフェンスを開けて中に入る。
近くに道具の入っているロッカーがあり、中に何本かデッキブラシが残ってる。
一本取り出すと、プールの中へと入った。
「な、何してるんですか先輩?」
「暇だし、掃除手伝おうかなって」
「いいですよ、そんな。私一人でも………」
「ちょうど地血とゲームしたいと思っててさ。だから早く終わらせてやろうよ?」
「………そういう、ことなら」
というわけで僕達は協力して、掃除を進めていった。
ただ淡々とやるのもつまらないので、いつものように時々話しつつだが。
「そういえば、先輩は何故今日学校に?」
「課題に必要な物忘れちゃってね。取りに来た」
「忘れたんですか?ご苦労なことですね」
「こんな日にプール掃除してる人に言われたくないね。何で補習食らったの?カナヅチ?」
「違います。それなりに泳げますよ。ただ………得意ではないので、人前で泳ぐの苦手なんです」
「それでサボったのね」
「まぁ、よくある事です」
たしかにウチのクラスでもズル休みしてる人いたからな。最近サボる人多いよね。
人前で泳ぐの嫌な人とかは割といるものだ。
大体半分くらい掃除が終わり、大きく伸びをして汗を拭う。
「暑いなぁ………」
「そりゃ長袖にワイシャツじゃ暑いでしょうね」
「地血は涼しそうだね」
「いや、そうでもないですよ」
スク水を着てしなやかな四肢を剥き出しにしているが、それでも暑そうにぐったりしている。
「ちょっと水分補給するかな」
「私もです」
一応水筒を持ってきておいてよかった。地血と同じくプールサイドに置いてある。
しかし床にまだ汚れがあったのか、足を滑らせて前のめりに倒れた。
「きゃっ!」
「おっと」
僕は咄嗟に地血を受け止める。僕よりも背が低いおかげで、顔面衝突は避けられた。
「大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます」
汚れてるプールってやっぱり滑るよな。特に怪我はしてないみたいだしよかった。
僕が一安心していると、腕の中で地血が呟いた。
「あ、あの、先輩………そんなに抱きしめる必要は、無いと思うんですが………」
言われてようやく気がついた。
普段着に比べて露出の多い水着姿なので、抱き締めるとどうしても肌と肌が触れ合う。
さっきまで水を浴びていたからか、少しだけひんやりとしていて心地よい感触だ。滑らかな素肌に触れて、その柔らかさにドキッとする。
「あぁ、ご、ごめん!咄嗟だったから!」
「いえ、別にいいんですよ。助かりました」
柔らかい笑みを浮かべる地血に、僕はむず痒い感覚を覚えた。
そんな思考を振り払うと、軽く水分補給をして僕達は作業を再開した。
「ふぅ………水もこれくらい溜まればいいかな」
「やっと終わりましたね」
掃除を終わらせて水を張り、ようやくプール掃除が終わった。結構疲れたな。暑さは変わらないし。
どうせこの後すぐ使う人はいないんだ。ちょっとのんびりさせてもらおうかな。
裾をまくった足をプールにつけると、ひんやりとしていてとても気持ちいい。
「あぁ~~~、癒される………」
「先輩、年寄臭いですよ」
「疲れたんだし、仕方ないじゃん。ほら、地血もどう?」
「それじゃあ、失礼して」
地血も僕の隣に座ると、プールに足をつける。白い脚を動かしてパシャパシャと水面を跳ねさせる。
「先輩、ありがとうございました。おかげで早く終われました」
「いいよ。それより、この後予定は?」
「特にはありませんよ」
「それならどこかでお昼ご飯食べて、公園にでも行くか?」
「いいですね」
涼しさが心地よいのか、地血はリラックスして目を細める。
そういえば、泳ぐの得意じゃないからサボって補習食らったって言ってたよな。
水泳に限らずなんだけど、地血が運動するってあんまりイメージ無いな。
「ねぇ地血。せっかくならさ、ちょっと泳いでるところ見せてよ」
「えっ?な、何でですか?私の泳いでるところなんか見ても、仕方ないでしょう」
「地血が運動してるところ見たことないし、気になってさ」
学年が別だし、こうでもないと泳いでいるところなんて見れないだろう。
「ま、まぁ、いいですが」
渋々頷いた地血は、肩紐にかけていたキャップとゴーグルをつけてプールに入る。
「ストレッチとかしなくて大丈夫?」
「少しだけですし、問題無いかと」
普段運動しないのに?足攣らない?
ツッコむ前に地血は水に潜っていた。
壁を蹴ると、すいーっと前に進んでいく。クロールで水をかきながら端から端まで泳いでいく。
「綺麗だな………」
決して上手いというわけではないが、泳いでいる地血は不思議と美しいと思えた。
意外にもあっさりと終わると、プールの端にいた僕の前にやってきて水から顔を上げる。
「こんな感じですが、どうですか?」
「何か………思ったよりも、しっかり泳げるんだなぁ、と」
「先輩は私のことを何だと思ってるんですか?泳げるって言ったじゃないですか」
水に浸かったまま、地血はキャップとゴーグルを外す。湿って艶の増した髪が肩まで垂れた。
「今度近くの市民プールにでも行ってみる?」
「嫌ですよ。人多いですし、何で先輩と行かなきゃならないんですか」
相変わらずゲーム以外の誘いには基本的に辛辣だなぁ。
「もういいですか?さっさと出てゲームしましょうよ」
「は、はい」
プールから上がろうとした地血に手を差し伸べる。
「どうも………ッ‼」
僕の手を掴み上がろうとした地血が、突如ピシッと固まった。
「どうした?」
「ちょ、ちょっと動かないでください」
緊張のにじむ顔で自分の足元を見ると、ゆっくりと息を吐いた。
「足、攣りました………」
まぁそうなるわな。
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