第1話
戦国の世が終わり、平和泰平が訪れた江戸の時代。とは言ったものの実際に平和になったかどうか、なんて人それぞれだ。
争いを生業としてた者は平和とは縁遠く、落ちぶれ者だっているだろうし。
そうでなくても、信用のおける身内しか都付近に置かない時点で、信用という面では穏やかな時代じゃないけどね。
大名の子として育てられた僕は、何となくそれが分かっていた。まぁ僕としては今の方がありがたいけどさ。
「………い、おい!聞いているか?」
「あ、失礼父上。で、何の話でしたっけ」
「お前は、まったく………」
目の前で座布団に座っている父上は、大きくため息をついて頭を抱えた。
僕はお昼頃に父上に呼び出された。内密な話だとかで、父上の部屋に二人きりで向かい合って座っている。
父上は既に結構な歳で、いつ僕に当主の座を明け渡してもおかしくない状態だ。まぁそれはそれで面倒なので、極力差し伸ばししたいものだが。
「幕府から新たな命が下ったと言ったんだ」
「あぁ、そうですか。しかし、幕府からの命をわざわざこの様な形で話すとは、また珍しいですね」
いつもなら大勢の家臣の前で話し、今後の方針を決めるのに。重鎮すらいないとなるとよっぽどだ。外は人払いされてるし。
「そうだ。この国の未来に関する重大な件、とも言える」
「重大、ですか?」
「簡潔に言うと、この地に幕府転覆を狙う者達がいる。その対処だ」
「は、はぁ………そうですか」
変に身構えていた僕は体勢を崩れそうになった。何だ、そんな事かよ。
「いや、確かにこの国の未来には関わりますが、そんな事今さらでしょう?徳川様が天下を統一させてから幾年が経ちました。転覆の一つや二つ、無い方が変でしょう」
別に今でなくても、この地で何やら不穏な事件はそれなりに起きている。今さらだと思うが。
「しかし災いの芽は摘まねばなるまい。我が領地でそれが行われるなら尚更だ」
「そうですね。しかし、それなら何故それを私だけに話すのですか?」
「幕府転覆を狙う者は多い、してその中には妖しい術を使う者も多くいると聞く。敵が姿を変え、身内に潜んでいるとも限らないからだ。それに徒らにそれを広めても、それはそれで不和をもたらす。故に内密に、との命だ」
「その言い方だと、私もその反逆者の捜索に手を貸す、という事ですか?」
「手を貸すというより、お前が指揮をするのだ。私は昔のように動けるわけでもないし、お前も時期当主。領地の問題の一つや二つ解決出来るようにしなくてはな」
普通はもうちょっと軽い案件からじゃないか?
そう思ったが下手に言っても面倒なだけだ。
「しかしどの様にすれば良いのですか?私一人でやるには限界がありますし、かと言って密命ならば気安く人を使うわけにもいきません」
「その辺を含めて自分で考えろ、と言いたいところだが、お前の言い分も最もだ。それに調べ始めれば我々の命を狙う者も現れる。特例としてお前の護衛も含めて、お前に一人部下をつける」
「反逆者の捜索と私の護衛を兼任する者、ということですか?まさか………忍び、ですか?」
「そうだ。徳川様より遣わされた伊賀の忍びを一名、お前につける。上手く使って対処しろ」
なるほどね。たしかにそれはありがたいな。
諜報、暗殺、護衛、その辺りを一括して専門的に出来る者がいれば、こちらとしても心強い。
徳川様にはお抱えの伊賀忍郡がいたはずだ。もっともその詳細を知ってるのは僕達も含めてごく僅かだけど。
「けど、その忍びは信頼していいんですか?いや、これ言い始めると何も出来ませんが」
「たしかに身内も怪しいとは言ったが、それに関しては問題無い」
「根拠は?」
「ふっ、その忍びに会えば分かるだろう。おい、出て来い」
面白そうに笑うと、父上は手を叩いた。すると天井から人影が真っ直ぐに飛び降りてきた。立ち膝で着地する。
おぉ、上にいたのか、気がつかなかった。さすが忍び。
降りてきた忍びは黒い装束に身を包んでいるが、機動力重視の衣類故か身体の露出が大きく体格も浮き彫りになっている。長い黒髪を後ろで束ねて肩まで流している。
ふっくらとした肉付きでありながら、締まるところはキュッと引き締まっている。
顔は黒い布で隠しているものの、鎖帷子の奥に見える胸の膨らみから性別が分かる。
この忍び、女じゃないか?
僕の推測の答えを示すかの様に忍びは顔を隠している布を外した。その素顔が露わになる。
歳は僕と近そうで、整った顔立ちではあったが、特に彼女を見て信頼を得られる要素は無かった。
しかし改めて彼女を見て、僕は目を見開いた。僕の視線は彼女の首元、鷹の羽の首飾りに向いていた。
「なッ⁉︎………君、は………」
「お久しぶりでございます」
忍びが口を開いた。穏やかではあるが、どこか凛とした雰囲気の漂う芯の強い声だ。
それは過去に聞いた声だ。ほんの少しの間しか聴いていなかったが、今でもちゃんと覚えている。
「し、
「はい。伊賀忍者が一人、倭文でございます」
かつて僕の元からいなくなってしまった謎の少女、倭文は僕に頭を下げた。
僕が倭文とであったのは今から九年ほど前、僕が十になったばかりの時だ。その日の夜の街は穏やかを体現したような景色だった。
何人かの人が提灯を持って薄暗い中を出歩き、少し遠くの花街では逆に煌びやかに輝いている。
景色は平和だけど、これがこの時代ならでは、平和ならではの景色かと言われると、それはまた別問題なわけで。
僕は、読みかけの書物から目を離すと、ぼんやりと夜の空を眺めた。
暗い夜空に星が煌めいている。高い城からだとその輝きもより鮮明に分かると言うものだ。いや、大差ないか。
こんな風に星空を眺める余裕があるなら、僕にとってこの世界は平和なのだろう。
さてと………そろそろ寝た方がいいな。
そう思って布団に向かい、行灯の火を消そうとしたその時、天井からガタガタッと音がした。
「ん?何だ?」
鼠か何かだろうか?にしてはやけに大きな音だったが。
僕は近くに置いてあった硯を掴むと、音のした方へと投げつけた。
硯が天井に当たるとまたガタガタッと鳴り、梁の上に何かいるのが見えた。
ん?何か大きくないか?
その影はフラッと傾くと、そのまま一直線にこちらへと落ちてきて………って、おいおいおい‼︎
僕は反射的に敷いてあった布団を引っ張って手元で広げた。
予測通りその影は布団の中に落ちてくれたが、予想以上に大きくそれなりに重さがあり、僕は支えきれなかった。
「ぐはっ!」
落ちてきた影と共に床に背中を打った僕はゴロゴロと悶えた。これなら直に支えて布団の方に落ちればよかったな。
「ってて………何だ?」
僕は抱き止めた影を見るべく布団を捲った。そこにいるものを見て目を見張った。
そこにいたのは小さな
艶のある黒髪を肩の辺りまで伸ばしていて、どこか凛とした雰囲気がある。
状況を考えるとこれだけでもだいぶ問題だけど、もっと問題なのはそこからだった。
全身に傷だらけになっていて、服には紅い血が滲んでいる。
「くっ!………うぅっ………!」
「え⁉︎ちょ、大丈夫⁉︎」
まさか天井から怪我人の子供が降ってくるとは思わず、僕は声を上げた。
「若!大丈夫ですか⁉︎、って、どうされましたか⁉︎」
さすがに騒ぎすぎたのか、廊下から守衛が駆けてきた。ガラッと扉を開けて目の前の光景に驚いた。
「誰か医者を呼んできてくれ!怪我人が降ってきた!」
「は?それはどういう………」
「詳しくは分からない。けど急いで!」
「は、はっ!」
僕の指示で守衛が医者のところへと走っていった。とりあえず自分の布団に女子を寝かせて、部屋にあった手拭いや衣類で可能な限り止血した。
「うぅ、ッ!………だ、誰………?」
「こっちの台詞だよ。君、大丈夫?もうちょっと頑張ってね」
その後色々騒ぎとなり、医師が駆けつけてきて処置を施してくれた。僕は夜遅くだった事もあり寝ることになった。
翌日、早めに目を覚ました僕はすぐに医師の元へと向かった。非常事態だからか多くなっている守衛を素通りし、医務室に飛び込むと、そこにいた初老の医師が驚いた。
「こ、これは若!昨日は遅くにご就寝されたのですから、もう少し休んでないと………」
「そんな事より昨日の子だよ!大丈夫なの⁉︎」
「え、えぇ。一通りの手当ては済ませましたから、そろそろ起きるはずです」
医師は仕切りを捲り布団の方へと案内してくれた。そこには全身に手当てが施されて眠っている少女がいた。
息も整っているし、顔色も悪くは無さそうだ。
「父上にこの事は?」
「伝えてあります。この子が目覚め次第、こちらに向かうそうですが………なにぶん状況が状況ですので………かなり動揺されてるご様子でした。若から詳細を聞く様に、と仰せ使っております」
「とは言っても、昨日話した事が全てだし、この子に聞くしか無いと………」
僕が医師と話していると、眠っている少女の瞼がピクッと動いた。それからゆっくりと目が開く。
「あ!起きた!ち、父上に連絡を!」
「わ、私がですか?」
「子供なんだ、大人に囲まれたら怖がるって」
「それもそうですな、分かりました」
父上の元へ走って行った医師(歳も歳だから無理させたな)を見送り、僕は少女を見た。
僕達が話していた声が聞こえたのか、少女がこちらを向いた。僕と目が合い、ビクッと体を震わせる。
「あ、えっ⁉︎や、あぁ、あぅ………」
「あぁ、ちょっと落ち着いて。大丈夫、何もしないから」
まぁ事情がどうであれ、目を開けてそこに知らない人がいたら怖がるのも無理ない。
「ここ、どこ………?」
「江戸から少しだけ南に離れた城、とだけ言っておくよ」
「あ、あなたは、昨日………私のこと、助けてくれた………」
「その辺りは覚えてるんだ。身体の調子はどう?昨日は傷だらけだったんだけど」
「え?き、傷………あぁ」
少女は自分の身体を見下ろして息を漏らした。
「混乱しているかもしれないけどさ、色々と教えて欲しいんだけど。いいかな?君の名前は?」
「私の、名前………」
戸惑った様に俯いた少女の答えは………
「何?記憶が無い、だと?」
「はい、左様です」
少女の目が覚めて謁見の間に通された僕は、多くの大人に囲まれながら事情を話した。
ちなみに少女は完全に大人を怖がって、僕の後ろに隠れながら震えている。
父上は一段高い場所に座布団を敷いて、その上に座り僕達を見ている。いつも以上に不機嫌そうだ。
周りにいる守衛の数もいつもより多い。何か神経質な雰囲気だし。
非常事態なのは分かるけど、女子は完全に怖がっている。
「昨日あそこにいた理由どころか、自分の名前や出身地。昨日僕が保護する前の記憶が無いとの事です」
「そんな馬鹿な事があるか‼︎嘘に決まっておる‼︎」
「ひぃッ!」
父上の怒号に少女の身が跳ねてすくみ上がった。
「こんな子供が嘘を言って、一体何の得があるのですか?」
「間者が任務に失敗し、身を隠すために逃げ込んだに違いない。子供の間者など、珍しくもない。今すぐ捕縛しろ!」
ここまで神経質になる理由は分からなくもない。江戸に近い大名の城に子供が侵入してたんだ。怪しむのは当たり前。でも相手は子供だ。
「あ、ちょ、落ち着いてください。この子は頭の怪我がありました。ごく稀にですが、頭の怪我によって記憶を無くす症状はあります。おそらくそれかと」
「ではお前の部屋に侵入していたのはどう説明する!庭にいるならまだしも、屋敷内にいるなど、意図して侵入する以外にあり得ん!」
「こんな怪我を負ってたんですよ?自ら意図して侵入出来るわけがありません。その他にも不自然な点がいくつか………」
「黙れぇッ‼︎お前に何が分かる!えぇい!すぐに捕らえろ!」
あぁあぁ、これは少し頭冷やしてもらわないと話にならないな。
僕は懐から煙玉(武器庫から無断拝借)を取り出すと素早く火をつけ投げつけた。一瞬にして煙が広がる。
「くっ!お前、何を………!」
「みんな、父上の説得を頼む。さぁ、来て!」
「へ?ひゃあッ⁉︎」
僕は少女の腕を掴むと、城の外へと駆け出した。とは言っても馬鹿正直に正門から出たわけではない。僕だけが知ってる隠し通路があるのだ。
慌てている家臣達をすり抜けて影に姿を消すと、少女を連れて城の外に出た。近くの家の影に隠れる。
「え、あ、あの………」
「あぁ、ごめんね。病み上がりだというのに、無茶させてしまって」
「い、いえ………こちら、こそ」
「今時代は大きく変わりつつある。みんなその影響で神経質になっていてね。こんな事も一度二度じゃないんだ」
「は、はぁ………」
戦国の世から江戸に変わり、この国は大きく変化した。みんなそれに慣れない分、どうしても神経質になる。生き物とは刺激に弱いものだ。
そんな中でずっと過ごすなんて心が病んでしまう。そんな理由で城からの脱走も手慣れたものだ。
「父上が頭を冷やしてくれれば、早ければ夕方には帰れるから。ちょっとだけ我慢してて」
「あ、その………すみません」
「え?」
僕が謝っているのに、逆に謝られてしまった。
「あなたにこんな事までさせてしまって。私が怪しいのがいけないんですよね。それなのに………」
「いやいや、いくら何でも怪我人の記憶のない子供を捕らえようとしたら、捕まえる側に問題あるって」
「しかし………うぅ………!」
少女は蹲って泣き出してしまった。しまった、人と接するのは得意じゃないんだが。
記憶が無くて、よく分からない所に一人傷だらけでいて、その上こんな事になってしまった。泣くのも無理ないか。
それにしても、この子が自力で侵入したわけではないとなると、誰かが手引きしたか、もしくは城の中に置き去りにしたかだ。
とんでもない事をしてくれたものだ。どうしたものか………
冷静に振る舞うようにはしているが、展開が早すぎて頭が追いつかない。
ぐうぅ〜
「「あ………」
すると僕と少女のお腹から同時に小さな音が鳴った。そういえば、まだ朝ご飯食べてなかったな。
こうなる事も考えて、ある程度はお金を持ってきている。どこかでご飯でも食べるか。
「とりあえずご飯でも食べようよ。お腹が満たされれば、少しは気が楽になるからさ」
「え?し、しかし………」
「大丈夫。何かあっても、君に害はないようにするから。今が嫌なら、とにかく動かないと」
僕は少女に手を伸ばした。彼女の手を取ると腕を引いて立たせる。
「ずっとここにいても何も変わらないし、今は何も考えずに動いてみようよ」
「………は、はい」
こうして僕と少女は城から離れていった。
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