第1話
3ヶ月前
大学入学と同時に引っ越して、一人暮らしを始めて一年と数ヶ月。
身の回りの景色もすっかり見慣れてしまったこの頃、暦的には夏は終わったというのに、まだまだじっとりとする暑さは終わらない。
地球温暖化の影響を噛み締めながら、僕は近くの公園のベンチで寛いでいた。
年齢を重ねるごとに運動量が減り、せめてもの運動(と言えるほどのものでもない)として近くの散歩が日課となっていた。
気分転換も兼ねてるため、イヤホンをして曲を流しながら、のんびりと歩いている。
「──────ッ!」
その時、イヤホンから流れる音楽に混じって、微弱だが誰かの声が聞こえてきた。トーンからして子供の叫び声だ。
イヤホンを外して周りを見渡す。
「うわあぁぁぁ〜〜〜〜〜ッ‼︎」
あぁ、間違いないな。子供の泣き声だ。
住宅街だし、どこかで子供が泣いていてもおかしくはない。
とはいえ、やけに声がクリアだ。家の外で泣いてるんだろうな。
キョロキョロと周りを見渡すと、すぐに見つけることができた。
近くの公園で蹲っている女の子がいる。幼稚園児くらいか。
近くを通る人は忙しいのか面倒なのか、遠巻きに見るだけで何とかしようとする人の姿は見えない。
はぁ、放っておくわけにはいかないか。
「ねぇ、君大丈夫?」
小さな子が突発的に泣き出すとすれば、要因は割と限られる。
予想通り、膝と腕に擦り傷と軽い打撲傷があった。近くに遊具があるし、打撲傷はこれが原因か。
しかし………
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「ううっ、うぅ〜〜〜!」
「おーい………」
「うわあぁあぁぁ〜〜〜〜ッ‼︎」
どうしよう、泣きまくって話聞いてくれない。
あんまりこの状況続けてると、僕が不審者って思われそうだ。
うーん………仕方ない。
「にゃあぁぁ〜〜〜〜〜〜」
「ッ⁉︎」
「お話したいにゃあ〜」
「………」
よし、泣き止んだ。
小さな子供の接し方とか知らないし、手っ取り早く泣き止ませるなら笑わせるよりも驚かせた方が効果的でしょ。
我ながら下手くそな猫の鳴き真似だが、驚かせて泣き止ませるにはちょうどいい。二度とやりたくないが。
とりあえずこれで話ができるな。
「怪我したの?」
「う、うん………」
「ちょっと見せて」
また泣く前に本題に入り、傷の様子を見せてもらう。
見たところ傷の面積はそれなりにあるが、割と浅い。これなら素人の応急処置でも問題ないだろう。
「手当てしてあげようか?」
「てあて………?」
「立てる?まずは傷口洗わないと」
「うん………」
手を貸して立たせてあげると、近くの水道まで連れて行く。
「滲みるかもしれないけど、我慢してね」
「うん」
水を出して、傷口を洗っていく。幸いにもそこまで汚れてなく、時間はかからなそうだ。
「痛む?」
「ちょっと………」
「もう少しで終わるからね」
傷口を洗って絆創膏、と言いたいところだが生憎持ち合わせがないので、清潔なハンカチ(持っててよかった)で代用。
あまり傷を押さえすぎないようにしつつ縛って………
「これでよし。どう、よくなった?」
「うん、ありがとう!」
ある程度痛みが引いたのか、女の子は笑顔で笑った。釣られて僕も笑みが溢れる。
「そっか、気をつけなよ。というか君一人?お父さんかお母さんは一緒じゃないの?」
「おかあさんはね、さっきまでおかいものしてて、わたしもおてつだいしてたの」
「買い物?あぁ、あそこのスーパーか」
ちょっと視線を東に向ければ、大きなスーパーのロゴがここからでも見える。
「そしたらねこさんみつけてね、なでようとしたらにげちゃったから、おいかけてきたらここまできちゃって………」
どうやら公園で遊んでいたわけではなさそうだ。夢中になると周りが見えなくなるタイプみたい。
「ん?ちょっと待った。ってことは、お母さんは君がここにいるって言った?」
「えっ?………あっ、いってない!」
おい………
ある程度予想はしてたが、それでも頭を抱えざるを得ない。
「お母さんに何も言われなかったの?」
「あぁ………うん」
ということは、この子のお母さんが目を離した瞬間にいなくなっちゃったわけだ。こりゃマズいな。
「あの………お母さん、今頃必死で探してると思うよ」
「え、えっと………もどる!」
「戻るってどこに?」
「おうち!」
「待った待った、たぶん家にはいないし、一人じゃ危ないって」
僕は慌てて女の子の手を掴んだ。
ようやく事の重大性に気がついたのはいいが、怪我した子供がフラフラ歩き回るのは危険だ。
「僕もついて行くから。君、車の多い所通ってきた?」
「う、ううん。スーパーのほそいみち」
バックヤードか、ってことは駐車場とは反対側だ。まぁ野良猫通る場所ならそうだと思った。
となるとこの子がスーパーから出たのを見てる人は少ない。
加えて、お母さんが目を離した瞬間いなくなったってことは、この子のお母さんは、まだスーパーのどこかにいると思ってる可能性が高い。
急いでいけばすれ違いにならずに済むかな。
それに最悪いなくても、この子を探しているなら、周りの人に話を聞いてるはずだ。警備員にも話してると思うし、保護してもらえれば楽だな。
「スーパーに戻ろう」
「うん、いく!」
「おーい、走るとまた転ぶよ」
そんなこんなでスーパーに戻ってきて、辺りを見渡す。
猫を見かけてすぐに追いかけたってことは、元は外にいたはず。って事は外を探してる可能性の方が高い。
「とはいえ、全部可能性だからな。どこから探すか………」
「飛鳥‼︎」
するとスーパーの入り口くらいから、女性の大声が聞こえた。
思わず振り向くと、そこにいたのは三十代ほどの女性だ。
長い髪をふんわりと結っているが、どこか走り回ったように所々乱れていた。
水色のシャツにジーンズ、カーディガンとシンプルな格好で、女性らしい身体の激しい起伏がはっきりと分かる。
そして腕にはたくさんの物が入っている買い物袋がぶら下がっている。
さっき女の子が買い物してたと言っていたことから、彼女が母親なのは明白だ。
というか正直彼女の容姿よりも先に目に入ったのは、女性が押している物。それはベビーカーだ。
遠目でよく分からなかったが、よく目を凝らすと中に赤ん坊がいるのが見えた。二児の母なのか。
そんな観察をしていると、女性は慌ててこちらに走ってきた。
そして周りの目を気にすることもなく、僕の隣にいた女の子を抱きしめる。
「おかあさ〜ん!」
「もう、どこ行ってたの⁉︎心配したんだから!」
「ご、ごめんなさい………ちょっとこうえんに………」
「勝手に出歩いたら危ないでしょ。でも無事でよかった、もう勝手にどこか行っちゃダメよ」
「うん」
随分とあっさり見つかって拍子抜けだが、まぁ何とかなってよかったな。
僕がホッと一息つくと、女の子の母親は僕の存在に気がつき顔を上げた。
「えっと、あなたは………?」
「あぁ、こんにちは。この子とたまたま会って、困ってるようでしたので………」
「わたしのこと、てあてしてくれたんだよ!」
「手当て?あっ、この怪我どうしたの?」
「ころんじゃったんだけど、おにいちゃんがなおしてくれたの!」
「そうなの?」
女性は女の子の頭を撫でて立ち上がると、僕に深々と頭を下げた。
「あの、娘が大変お世話になりました」
母親らしく滲み出る母性に、改めて歳上の女性と話していると自覚してしまい少し緊張する。
「あ、あぁ、いえいえ。僕が勝手にやったことですから、お気にならず」
別に無視することだって出来たんだ。自主的にやったことで頭を下げてもらう必要はない。
さてと、問題解決したならさっさと帰るか。
「それでは、僕はこれで」
「あっ、ちょっと待ってください」
家に戻ろうとしたところで母親に呼び止められた。
「どうかされましたか?」
「あの、手当てに使ってくれたハンカチなんですけど、洗って返さないと」
「えっ?あぁ………」
そういえばよく考えずに使っちゃってたな。
こういう時、学校の友達とかだったら『洗って明日返すね』となるところだろうが、友達どころか赤の他人だからな。
向こうも用事とかあるだろうし、下手に後日ってわけにもいかない。どうしたものか。
「それでなんですが、よろしければウチに来ませんか?洗うのにそこまで時間はかかりませんし、すぐにお返し出来るんですが」
「あぁ、なるほど………」
たしかなそれならすぐに受け取れるか。僕も特に用事があるわけでもないし、帰りが遅くなっても構わない。
「でも、いいんですか?いきなり家にお邪魔してしまっても」
「大丈夫ですよ。買い物はもう終わりましたし、改めてきちんとお礼したいですから」
正直会って間もない人の家に上がるってのはちょっと抵抗あるけど、悪い人じゃなさそうだしな。
暇な今日の内にすぐ返してもらえるなら、それに越した事はないか。
「そういうことでしたら、今からお邪魔させていただきます」
「分かりました。それでは………って、私名前も言ってませんでしたね」
スーパーから出ようとした女性は、振り返って頭を下げた。
「玉響《たまゆら》 御幸《みゆき》です。よろしくお願いします」
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