「こちらです、どうぞ」
「お邪魔します」
玉響さんに案内されて、僕は彼女達が住むファミリー向けのアパートについた。
部屋の中は僕の住むアパートよりは広いものの、親子が住む最小限のスペースかある、という感じだ。
扉のすぐ目の前にリビングがあり、テーブルの周りに椅子が二つ。少し離れた所には赤ちゃん用の小さなベッドがある。
そしてリビングの奥に部屋が二つ見える。一つは子供部屋、もう一つは玉響さんの部屋だろうか。
「ほーら、皐月。長く外にいて暑かったでしょ?ごめんねー」
「うぅー」
玉響さんはベビーカーから皐月ちゃんを下ろすと、ベッドに寝かした。
ここまでの道中で聞いたことだが、玉響さんには子供が二人いる。
僕が手当てした長女の飛鳥ちゃんと、今ベッドで寝ている次女の皐月ちゃんだ。
「ねぇおにいちゃん、こっちきて!」
「こーら、飛鳥。遊ぶ前に手洗いなさい。それと絆創膏貼らないとでしょ?」
「あっ、そうだった!」
自室に行こうとした飛鳥ちゃんが、方向転換して洗面所へと駆けていく。
「慌ただしくてすみません。ハンカチはすぐに洗いますから。そこの椅子に座って待っていてください」
「あっ、はい………」
言われるがままに、僕はリビングの椅子に座る。
そっと洗面所を覗くと、玉響さんが飛鳥ちゃんの膝を消毒して絆創膏を貼っていた。
「ッ〜〜〜!おかあさんいたい!」
「我慢して。ほら、終わり。ハンカチはこっちで洗うからね。青ずんでるところは触っちゃダメよ。これで冷やして」
「おぉー、つめたーい!」
「お熱出たんじゃないんだから、おでこじゃなくてぶつけたところを冷やすの!」
賑やかな様子を遠巻きで眺めて、僕は思わず笑ってしまった。
小さな子供がいる家庭って、こんな感じなんだなぁ。
もちろん自分には子供はいないし、歳の離れた兄弟姉妹もいない。自分が小さい時の記憶なんてほとんど無い。
この歳頃になって初めて見る家庭の雰囲気に、どことなく心が安らぐ。
飛鳥ちゃんが自室に入ると、ハンカチを洗濯機にかけて、今度はキッチンに向かう。
「はい、こちら粗茶ですが」
「あぁ、ありがとうございます」
出されたお茶を受け取ると、玉響さんは買ってきたものを冷蔵庫にしまい始めた。
そしてようやく一息つくと、僕の向かいに座る。
「何かすみません、お忙しいのにここまでしていただいて」
「いいんですよ、こちらが招いたお客様ですから」
お茶で口を湿らせると、玉響さんが話を切り出した。
「改めて、飛鳥を助けていただいてありがとうございました」
頭を下げると、子供部屋で引き出しを漁っている飛鳥ちゃんに視線を向けた。
「あの子、気になることがあるとよく考えずに突っ走っちゃう性格で。さぞご迷惑をおかけしたんじゃ………」
「そんなことないですよ。好奇心旺盛って大事なことじゃないですか」
それに人に迷惑をかけて許されるのなんて、子供の時だけだからな。今の内からたくさん失敗して、たくさん学べばいい。
「ねぇねぇおにいちゃん!これみて!」
すると子供部屋から飛び出してきた飛鳥ちゃんが、手にした絵を僕に見せてくれた。
「これね、このまえほいくえんでかいたの!」
大きな画用紙にはたくさんの友達と花や虫がクレヨンで描かれている。
色んなものがあちこちに描かれているが、みんなが楽しそうに遊んでいるのは一瞬で分かる。
「へぇ、上手だね。これどこかの公園?」
「えんそくでいったこうえん!やまのちかくで、きれいなおはながたくさんさいてたの!」
「遠足ねぇ。色んな花が咲いてたんだね」
「うん!あっ、そのときつんだおはな、あとでおしばなにしたの!もってくるからちょっとまってて!」
そう言うと、また自室に走って戻り、引き出しを引っ搔き回し始めた。
「飛鳥、あんまり大声出さないの。もう………ごめんなさい。普段男の人と遊ぶことがないので、あの子ちょっとテンションが上がっちゃっているんだと思います」
「なるほど」
慌ただしそうに部屋の中を駆け回る飛鳥ちゃんは、とても楽しそうに笑っている。
一方で玉響さんは少しだけ俯くと、小さなため息をついた。
「ウチ数年前に旦那がいなくなってしまいまして。あの子、家で遊ぶ相手が私くらいしかいなかったので」
「あぁ、やっぱり………」
テーブルに椅子が三つ、何なら一つは赤ちゃん用な時点で気が付いてはいた。
いわゆる母子家庭ってヤツか。
珍しくないとは思いつつも、どこか『変わってる』と感じてしまうのは人間の悪いところだろうか。
「あった!おにいちゃん、これこれ!」
微妙な感傷に浸っていると、子供部屋から飛び出してきた飛鳥ちゃんが、手に持っていた押し花を見せてくれた。
「おぉ、ニリンソウか」
「しってるの?」
「まぁね。よくできてるじゃん」
先生にも手伝ってもらったのか、綺麗に綴じられた花は、まだ綺麗な形を保っている。
「でしょ!おかあさんにもあげたんだよ」
「そうなんですか?」
「えぇ。私たまに本を読むので、栞に使ってるんです」
お母さんにプレゼントねぇ、大したものだ。
僕叔父さんと叔母さんに何かあげた記憶なんて無いってのに。
「ほかにもたくさんあるんだよ。こっち来て!」
「あ、飛鳥!あまり連れ回したら迷惑になるでしょ?」
「いえ、構いませんよ」
何だかちょっと楽しくなってきたし。
僕は席から立ち、子供部屋に入る。
カレンダーとか保育園で描いたであろう絵が飾られており、同じ部屋でも僕なんかよりも一段と華やかに見える。
もっとも引き出しとかをひっくり返したためか、床は物が散乱しているが。片付け大変そう………
よく見たら、ひび割れたビー玉やら綺麗な色の石やら木の実やら、明らかにその辺に落ちてた物もある。
「色々拾ってくるんだね」
「うん!いえとかほいくえんのまわりに、きれいなものたくさんあるから!」
まぁ気持ちは分からなくもない。僕も昔はよく集めてたからなぁ。
特に子供なんて自分で欲しい物を買えるわけじゃないし、珍しい物があるとつい拾っちゃうよね。
「これわたしのおきにいりでね!あとこれも!おさんぽしてたときにみつけたものでね!」
そこからは飛鳥ちゃんが、自分のコレクションを見せてくれた。
大きな声による怒涛のマシンガントークだというのに、不思議と聞いていて負担にはならない。
普段周りにいる人の自慢話や下卑た話とは違う、純粋な楽しさしか感じないからだろうか。
多少騒がしいだと思っても、耳を塞ぎたくなるような嫌悪感は感じない。
それからどれほどの時間が経っただろうか。
集めたコレクションの話に花を咲かせている(割と一方的)と、部屋の扉が開いて玉響さんが顔を覗かせる。
「ねぇ飛鳥。お話止めて、そろそろ遅めのおやつの時間にしない?」
「おやつ?たべるたべる!」
「食べる前にちゃんと手洗ってね」
飛鳥ちゃんは立ち上がると、一目散部屋から駆け出した。
気がつけばもう4時前だ。結構時間経ってたんだな。
洗面台に走っていった飛鳥ちゃんを苦笑して眺めると、玉響さんは僕の方を振り返る。
「よろしければ、あなたもどうですか?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんです。椅子はもう一つありますので、みんなで食べましょう」
急に来たというのに、僕の分も用意してくれたみたいだ。何だか申し訳ないな。
「ほら、おにいちゃんもいっしょにたべよ!」
すると先にテーブルに着いていた飛鳥ちゃんが手招きしている。何だかすっかり懐かれちゃったなぁ。
「そういうことなら、ぜひ」
リビングのテーブルの上にはパウンドケーキが三つ置かれていた。三つということは………
「スー………スー………」
まぁ皐月ちゃんにはまだこういうのは早いか。というかいつの間にか着替えてぐっすり寝てるし。
「なんかすみませんね」
「いいんですよ、多く作り過ぎてしまったので。お口に合えばいいのですが」
「玉響さんが作ったんですか?」
「えぇ。飛鳥も喜んでくれるので、趣味でよく作るんです」
へぇ、趣味でこのレベルか。とっても美味しそうだ。
「「「いただきます」」」
三人揃って手を合わせると、早速フォークで一欠片切って食べてみる。
「おぉ、美味しい………」
思わず声が出た。
パウンドケーキなんて久しぶりに食べたけど、ふわふわでありながらしっとりとした食感で、しつこくない甘さが口に広がる。
「そうですか?それはよかったです」
「おいしい!」
「ありがとう。でもお行儀よく食べようね」
フォークを使うことなく手掴みで食べる飛鳥ちゃんの頬には、パウンドケーキの欠片がくっついている。
おやつの時も飛鳥ちゃんは色んなことを話してくれた。
保育園で友達と遊んだことや、運動の時間に鬼ごっこをやったこと、最近平仮名やカタカナの勉強をしてることなど。
賑やかで、とても今の自分とは縁遠くて、けど大して求めていなかった光景。
でも………たまにはこういう食事も、悪くない。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
「ありがとうございます」
あっという間にパウンドケーキを食べ終わり手を合わせると、玉響さんに礼を言った。
あぁ、久しぶりに腹満たされた感じがする。
「ごちそーさま!おさらみずにつけておくね、おにいちゃんのも!」
そう言って、僕の分のお皿もシンクの中に入れて水につけてくれた。
明らかに上機嫌な様子を見て、玉響さんは苦笑いした。
「私があまり目をかけてやれなかったから、あんなに自由奔放になってしまったんですかね………」
あんな、というのはさっきの迷子になった時のことを言ってるのだろうか。
子育てがどれだけ難しいか。体験したことはないが、ぼんやりとは分かってるつもりだ。
それも本来なら夫婦で分担するものを、一人でやってるわけだし。僕の思ってる以上の負担があるのだろう。
それでも二人の子供を幸せにしようと奮闘してる。本当に家族を大切に思ってないとできないことだ。
「だとしても、あんなに明るく育ったのなら、結果オーライだと思いますよ」
「えっ?」
「下向いて泣いてるよりはいいでしょう?」
家族が欠けてる、あの歳の子でも何となくは分かってるはずだ。周りと違うことも。
それでも元気に育ってる。今はそれで充分だろう。
そんなことを話していると、部屋の奥にある洗濯機からアラームが鳴った。
「あっ、洗濯が終わりましたね」
玉響さんは席から立つと、洗濯機からハンカチを取り出す。皺を伸ばすと畳んでくれた。
「はい。乾燥もかけたので、これで大丈夫だと思うのですが」
「そうですね。ありがとうございます」
ハンカチを受け取りポケットにしまうと、テレビの上にある時計を見た。
ここに来たのが14時半くらいだったが、そろそろ17時になる。小さな子もいるし、これ以上長居するのは良くないか。
「それじゃあ、僕はこれで。おやつごちそうさまでした」
「おにいちゃんかえっちゃうの?」
「うん。もうすぐ外暗くなっちゃうし」
「えぇー、やだやだ!もっとおにいちゃんとあそびたい!」
「わがまま言わないの。飛鳥だって、そろそろお風呂入らないといけない時間でしょ?」
「そうだけど………」
飛鳥ちゃんは分かりやすく唇を尖らせる。
とはいえ小さな子供にねだられると、どうしたものかと戸惑ってしまう。
そうだなぁ………
「あの、玉響さん。僕、また来てもいいですか?」
「えっ?」
「僕今のところ特に忙しいってわけでもないですし、住んでるのこの辺なので。玉響さんさえよろしければ、また遊びに来たいなって」
どうせ家にいたってゴロゴロしてるだけだ。
暇つぶしというわけではないが、せっかく遊びたいと言われてるんだし、断る理由は無い。
「いいですかね?」
「えぇ、もちろんです。飛鳥、よかったね。お兄ちゃんまた遊びに来てくれるって」
「ホントに⁉︎」
「あぁ。だから今度はもっとたくさん遊ぼうね」
「うん!やったぁ!」
目線を合わせて頭を撫でると、飛鳥ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「うぅ………?」
「あら、皐月起きてたの?」
寝ていたと思っていた皐月ちゃんも、いつの間にか起きていたようだ。特に泣くこともなく、僕達をジッと見つめている。
「よっと。ほら、皐月もお兄ちゃんにバイバイってして」
「あぅぁー」
玉響さんが抱き上げると、皐月ちゃんも僕の方へと手を伸ばして声をあげる。
「ありがとう」
伸ばした手を優しく撫でた。
強く握ったら折れてしまいそうなほど細い手だ。それでもちゃんと温かい。
「それじゃ、またね」
「またね〜!」
三人に見送られて、僕は彼女達の家を出た。
「あっ、そういえば………」
ニリンソウの花言葉は『ずっと離れない』だ。
そんなことを考え、僕は夕焼けの道を歩いていった。
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