「はい、ここだよ」
僕は海で出会った女性に連れられて街の通りを歩いていた。外は暗くなり、人通りも少なくなっている。
そうして僕達は一軒の家に到着した。結構大きい家だなぁ。
「さぁ、入って」
家の扉を開けた女性は、僕に手招きをする。
「い、いや、ちょっと待ってください。あの……状況がよく分からないんですけど」
僕はそこでようやく待ったをかけた。
さっき海からこっちに来る時は、何が何だかよく分からなかったので思わずついてきて来てしまった。
それにどうやら僕が腕を掴んだ事が理由みたいだし、それならちょっと罪悪感もあるし。
ただ家の中に入るなら話は別だ。いくらなんでも初対面の人間にそこまでするなんておかしい。
「あー………変なのは自覚してるの。でもとりあえず入らない?外冷えるし、中で話すわ」
頰をかきながら、女性は首を捻る。
そんなこと言われても、素直に入れるわけがない。
この人には悪いけど、ここは帰らせてもらおう。何だか嫌な予感がする。
「すみません、やっぱり僕帰りますね」
悪いけど、見ず知らずの女性の家に上がりこめるほど、僕は警戒心の無い人間ではない。
この人は明らかにおかしい。よく分からない人の家に入るのは、さすがに抵抗がある。
「そう、だよね………ごめんね、びっくりさせちゃって」
すると女性は割とあっさりと引き下がった。でもその表情は僅かに沈んでいる。
え?どうしたんだ?というかそもそも何で僕を中に入れようとしたんだ?
疑問は尽きないけど、とりあえず目の前のこと何とかしないと。って、僕はただ海を見に来ただけなのに、何でこんな事に。
でもここで帰ってしまえば、これからあるであろう面倒事には付き合わずに済む。何か悲しんではいるけど、人のことなんか構ってられないし。
けど、あの様子は何かあったのだろう。何でそれに赤の他人の僕が巻き込まれてるのかは知らないけど。
ほいほいついて行くのは危険だけど、あの様子の理由が気にならないでもない。
何かよく分からないけど、訳ありなのは間違いなさそうだしなぁ。僕が絡んでこうなっているなら、今後のためにも知っておくべきか。
「えっと………やっぱり、話を聞くくらいならいいですよ。一応この状況の理由も知りたいので」
「ッ⁉︎………いいの?」
「まぁ、正直信用するにしては軽率だと思ってはいますけどね」
僕がまだ女性に対して警戒している事ははっきりと伝えた。それで向こうがどう出るかだ。
「うん、それでいいよ。とにかくここじゃ体冷やしちゃうから入って」
家に入る女性の姿を警戒しながら、僕のその後ろについて行く。
この状況で一番怖いのは、向こうの目的が分からない事だ。何で僕に声をかけたんだ?
まぁ見た感じちゃんと話してはくれそうだけど、本当に謎すぎる。
というか僕が彼女の腕を掴んだ事も関係あるのかな?だとしたらすごい後悔なんだが。
家の中は割とオシャレだった。綺麗な花瓶があったり、大きな絵があったりしている。
僕はあんまりそういうものには興味がないので、詳しいことは分からない。
それでも飾られている品々が安物でない事は、何となく察せた。
「着替えてくるから、そこのソファーで座って待ってて」
そう言うと女性は、リビングに到着した僕を置いてどこかへ行ってしまった。
えっとソファー………はあれか。でもいきなり来た家のソファーに座るのは、ちょっと抵抗がある。
結果として僕は、その場に棒立ちとなった。早く戻ってきて欲しい。
「ごめん、お待たせ」
しばらくして後ろから声がした。ふぅ、やっと戻ってきてくれたか。
僕が振り返ると、そこにいたのはさっきのシャツとロングスカートといった姿だった。
さっきまでの姿とは違い、身体にピッタリとフィットしているようで、身体のラインがはっきりと分かる。
結構いい体型してるんだなぁ。出るところは出て、引っ込むところは引っ込む、みたいな?
家での私服とはいえ、ちょっと初対面の男の前でする格好にしては相応しくないと思う。
パッと見た感じは清楚なのに、どこか艶やかさがある。つい目を惹き寄せられる魅力を感じた。
でもここでジロジロ見るのは失礼だ。僕は何とか目を逸らして落ち着きを取り戻した。
ゆっくり息を吐いて本題に入る。
「それで、僕をここまで連れてきて何をするつもりなんですか?というかそもそもあなた誰なんですか?」
よくよく考えたらこの人僕に対して名乗ってない。つい流されて来ちゃったけど、そろそろ聞きたい。
「そうだったね。私は
「はぁ、どうも」
僕はここで敢えて名乗らなかった。いや、安全かどうかも分からない人間に名乗れるかって話だ。
「君はもう夕ご飯食べたの?」
「え?い、いえ………」
いきなり夕ご飯の事を聞かれて、僕は戸惑いながらも答えた。
「そう、それならちょっと待ってて」
そう言って女性、もとい俤さんはエプロンを着ると台所に行ってしまった。本当に何なんだよ。
「今何か作ってあげるからね」
「は?い、いや大丈夫ですよ」
どこの誰かは分からないけど、そんな急にご馳走になるわけにはいかない。
「いいからいいから」
俤さんはそう言って調理を始めてしまった。どういう意図なんだろうか?
でもその様子に悪意があるようには思えない。よく分からないけど、これはいた方がいいやつだな。
まぁ何かあったら逃げればいいし、とりあえず目は離さない方がいいのかな?
それから特に何も怪しい事もなく、俤さんはできた料理を運んでくると、僕と自分の前に並べた。お、肉じゃがか。
「はい、召し上がれ」
「………は、はぁ」
僕は顔を引き攣らせた。
何かここまでの流れがヤケに強引だったが、それ以外は特に不自然なところはなかった。
それなら食べて………いいんだよな?ちょっと予想外すぎる流れに頭がついてこない。
「あ、もしかしてあんまりお腹空いてなかった?」
僕が食べないのを見て、俤さんは表情を曇らせた。
「い、いえ………えっと、それじゃあ………いただきます」
もう下手に勘潜るのも面倒になってきた。とにかくご好意を無駄にするのはよくない………でいいんだよな?
僕は手を合わせると、置いてくれた箸を取った。とりあえずじゃがいもを食べてみる。
「あ………美味しい」
僕は思わず呟いた。ホクホクで本当に美味しい。味付けもいい感じだ。
「そう?よかったぁ。どんどん食べてね」
そう言って俤さんは嬉しそうに笑った。裏表のない笑顔だった。
俤さんに見られていて多少食べにくかったけど、それでも僕は料理をパクパクと食べた。誰かとご飯なんて久しぶりだ。
どれも美味しい。僕はあっという間に食べ終わってしまった。
「ごちそうさまでした」
「うん。食べてくれてありがとうね」
僕より遅れて食べ終わった俤さんは食器を片付けた。なんだかんだでご馳走になってしまった。でも美味しかったなぁ。
「えっと………それじゃあ僕そろそろ帰りますね」
外はもう真っ暗だ。これ以上いるのも迷惑だろう。
「あ………もうちょっと、いない?」
すると予想に反して、俤さんは僕を呼び止めた。
「え?………でもこれ以上はご迷惑に………」
「ううん、全然大丈夫だから、ね?」
俤さんはそう言ってジッと僕を見てくる。その目は試しているというより、何か縋るように見えた。
「でも、旦那さんにご迷惑になりませんか?」
この時間帯ならそろそろ帰ってきてもおかしくない。夫婦の時間を邪魔するのはちょっと。
「………いいのよ。どうせ帰ってこないから」
そう言う俤さんは沈んだ顔で吐き捨てるように言った。
「最近朝帰りだったり帰ってこない日が多いの。会社の付き合いがどうのって言ってるけど、それも本当なんだか………」
「あ、えっと………ごめんなさい」
まさかそんな事情があったとは。迂闊に失礼な事言っちゃったな。
「あ、そんな気にしないで。昔からそうなの。あの人女遊びが激しくてね。浮気だって一度や二度じゃないわ」
「………」
僕は何と言えばいいのか分からなかった。いや、子供の僕にとってはそれが一番なのかもしれない。
まともに彼女すらいなかったからな。そういう恋愛事について素人以下だ。
食器を洗い終えた俤さんは、エプロンを脱ぐと近くに飾ってあった写真を手に取った。そこには俤さんと男性が一人。旦那さんかな?
「夫が私のお父さんの取引先でね。お父さんの会社での立場のために結婚したんだけど、あの人にとってはただの女遊びの一つだけなのかもね………」
写真に映る旦那さんを撫でると、俤さんは深いため息を吐く。
それは学生の僕にはまだ早すぎる話だった。
「離婚出来れば一番だけど、父のこともあるし、あの人支配欲が強くて私を手元に置こうとするし。金銭的に考えたら稼いでるのはあの人だから。あの人もそれが分かってしてるんだろうけど」
「そう、ですか………」
僕は何か言ってあげるべきだったのかな?いや、何も知らない僕が下手なこと言うのはやめた方がいい。
「でもね。私だってそのままは嫌。あの人がそうやって遊び呆けてるなら、私だって………だから」
「え?」
僕はその言葉の意味が分からずポカンとしたが、次の瞬間これまでの人生で稀に見るほどの驚きを味わった。
俤さんが着ていた服を脱ぎ出したのだ。僕の目の前であっという間に下着姿となる。
「私と不倫、してくれない?」
頬を僅かに赤く染めた俤さんが僕のことをジッと見つめた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。