「〜〜〜♪」
俤 茵は鼻歌混じりにクローゼットを漁っていた。
「うーん………今日はこれにしようかな」
中にあったコートを手に取り着替えると、バックを肩にかける。
「おっと、これも忘れずに」
部屋を出る前に思い出し、クローゼットの奥にある小さな紙袋を取り出した。
おしゃれな紙袋の中には小さな箱が入っており、誰かへのプレゼントであることは明白だ。
「喜んでくれるといいけどなぁ」
プレゼントをあげるのはもちろん旦那………ではなく、不倫相手だ。
「大学受験合格したんだし、いっぱいお祝いしてあげようっと!」
プレゼントもバッグにしまうと、やや弾み気味で家を出た。
すれ違った通行人の視線が、自分に向けられてるとも知らずに。
「『そろそろ着くよ』かぁ」
デパートの外にあるカフェテラスに座って、僕は来たばかりの連絡を確認した。
先週第一志望の大学に無事合格し、それを俤さんに伝えたら『それならお祝いしなきゃ!』と言ってくれた。
というわけでこれからデートだ。今回行く場所は僕に決めて欲しいと言われたので、水族館にするつもりだ。
俤さん、喜んでくれるといいな。
これからの楽しみを考えると、不倫であることも忘れて浮かれてしまう。
待ちきれずに辺りを見渡すと、遠くの方に白のロングコートを着た俤さんの姿が見えた。
「あっ、俤さ………」
「ちょっとよろしいですか?」
すると僕の視界を遮るように、一人の男性が現れた。
歳は僕と同じくらいで、だらしなく伸び切った紫色のパーカーと黒のジーンズを着ている。
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、猫背で髪は跳ねまくっててやや気怠げな印象を持つ。
しかし眠そうな瞳の奥には、どこか鋭い光が見えた。
いきなり話しかけられて、一瞬同級生かと思ったが違う。少なくとも、僕の知る限りこんな人を見たことはない。
「だ、誰です?」
「ここ失礼しますよ」
「はっ?ちょ、ちょっと!」
僕が止める前に青年は僕の向かいに座った。
悪びれる様子もなく薄気味悪い笑みを浮かべると、スマホを取り出して操作する。
「あの、私に何か用ですか?」
「用が無ければ声をかけてはダメですかぁ?」
「………人と会う約束をしてるので、帰ってくれませんか?」
「ほぉ、貴重な休日を削ってまで会う人、さぞ大切な方なのでしょうねぇ」
「そう思うのなら、早く用件を」
「あらぁ、勿体ない。ここで想像力を働かせて推察するのも一興ですよぉ」
ふざけてるのか?
この数分間で、ここまで嫌悪感を感じる人も珍しい。
ニヤニヤ笑ってのらりくらりとした受け答え。まともな会話をしようとする人とは思えない。
「そうですねぇ………あっ、ではその方に会うまでの前座に付き合ってくださいよ」
ダルそうに間延びした口調に、こっちが丁寧に対応するのが馬鹿らしくなってきた。
向こうが退かないなら、こっちからもう行ってしまった方がいい。
「もう来てるので。それでは………」
「俤 茵、29歳のB型。町工場を経営する父と、そこの取引先である大手工業機器メーカー常務部取締役の旦那を持つ、言うなれば既婚者」
「ッ⁉︎」
立ち上がろうとした脚がふと止まった。
青年に目を向けると、彼は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
「このご時世、歳上のオトモダチがいるというのは、素晴らしいことだと思いますよぉ」
彼の笑みに心臓が跳ね上がり、冷や汗が流れる。
この人、俤さんのことを………いやそれだけじゃない。僕達の関係まで知ってるのか。
大きく深呼吸をすると、冷静に尋ねた。
「………もう一度聞きます。用件はなんですか?」
「おっとぉ、怖い怖い。言ったでしょう、これは前座です。ショーを面白くするための余興ですよ」
彼の真意は分からないが、言いたいことは分かった。
彼が話しかけてきたのは、この後に起こることのため、ということだろう。
「ショーとは?」
「それを決めるのは僕ではなく、あなたですよ」
そう言って彼は自分のスマホを見せてきた。画面にはカメラのように周りの様子が映されている。
もっともその様子は本来の色とは異なり、赤や青、緑などのグラデーションのようになっているが。
これって、サーモグラフィーか?
彼はスマホを動かすと、遠くにいる一人の女性を映した。
ミニスカートとカーディガンを身につけている、二十代後半くらいの女性だ。手にはその辺で買ったであろう紙コップのコーヒーを握っており、特に不自然な様子もなくのんびりとしている。
やってることは盗撮だが、意図が分からないため一旦無視する。
「何だ、これ………?」
映し出された映像を見て、僕は眉を顰めた。
女性そのものに不自然な点はない。体温の影響で中心が赤く、周りは寒いからか比較的青くなっている。
問題は彼女の持ってるコーヒーだ。
時期的に本来ならホットコーヒーだろう、液体なら全体的に均一なグラデーションになるはず。それなのに色はバラバラ、何なら一部は青い。
何かを仕込んでるのか?
コーヒーに物を仕込むなんて普通しない。あり得るとしたら何だ?
わざわざ仕込むってことは、公にはしにくい物。こんな人の多い場所で、おまけに小型………
「まさか、隠しカメラ?」
「おっ、いいですねぇ。想像力高まってきたんじゃないですか?」
青年は笑うとスマホの画面を切り替えた。
今度はサーモグラフィーではなく、カメラで撮影したような今いる場所の光景だ。
でも目の前の光景じゃない。ってことは、別のカメラを経由した映像か?
「隠しカメラの映像、ですか?」
コーヒーを持つ女性の位置的にも納得がいく。でも、何で人様のカメラ映像、それも隠しカメラの映像を彼が映せるんだ?
「あなた、一体………」
「おっと、想像力を働かせるのは大切ですが、順序を間違えてはいけない。そうでしょう?」
僕の言葉を遮り、青年はまた画面を切り替えた。
そこには映像で映っていた女性の履歴書のような物が映っている。
女性の顔写真とこれまでの経歴が並んでおり、今の職業も分かるようになっていた。
もちろん偽物の可能性もあり得るが、今は信じないと話が前に進まない。
彼女は一体何者だ………?
「なッ⁉︎た、探偵………?」
そこには彼女が、この近辺にある探偵事務所に勤務していることが書かれていた。
ってことは、何かを調査してるからあんな隠しカメラを?
「ちなみにこんな方々も」
画面が切り替わり、今度は二つのデパートの監視カメラ映像と、二つの履歴書だ。
履歴書の写真と同じ女性二人が、それぞれの映像に映ってる。画角から肉眼でも確認できた。
二人とも同じ探偵事務所の職員だ。三人もいるなんて。
「さて、それを踏まえてもう一度」
青年が画面をさっきの隠しカメラ映像に戻した。
映像の画角は少しずつ変わっており、まるで誰かを追ってるみたいだ。
人の行き来が激しいこのデパートの中、ずっとカメラに収まってる人が調査対象ってことになる。
映像に映る人達を片っ端から眺めると………
「ッ⁉︎お、俤さん?」
カメラの右端に俤さんの姿が見えた。
遠くて見にくいと思った瞬間、一気にズームされて俤さんがはっきりと見えるようになった。
「何かしました?」
「いえ、僕は映像を映しただけです」
となると、あの女性がズームしたのか。
そうなれば間違いない、調査対象は俤さんだ。
依頼人は旦那さんか………?いや、決めつけるのはまだ早い。
俤さんの行動を知りたがる人間………旦那さんの不倫相手など色んな可能性もある。
もっとも、この青年が見せてくれたものが全て本物なら、の話ではあるが。
全部嘘の可能性もある。今の時代、映像なんか作ろうと思えばいくらでも作れる。
そもそも彼が何者なのかも分からない。もしかしたらあの女性の同僚で、僕に揺さぶりをかけてる可能性も………
いや、今可能性の話をしても仕方ない。少なくともサーモグラフィーの映像だけは本物と思っていい。
コーヒーに何かを仕込んだ人が近い距離にいる。その人の狙いが俤さんなら、今僕と接触するのはマズい。
考えられる依頼内容は浮気調査か素行調査か?少なくとも始めたばかりだろう。
僕達はこの数週間に何度か会っている。浮気にしろ素行にしろ、不倫なんて重要な情報だ。
ずっと前から調査してるなら、依頼人に報告して何かしらアクションがあるはずだ。
なら動くのは今しかない。
ここから逃げさせる?………いや、来てすぐに帰るなんてあまりにも不自然だ。向こうを警戒させるのはマズい。
あと、俤さんにも話すか。
正直俤さんを不安にさせたくはないが、このまま何も言わないとボロを出してしまう可能性もある。
見張られてるのは俤さんなんだし、ちゃんと言っておいた方がいいだろう。
電話の方が伝えやすいが、近くに他の調査員がいて盗聴してるかもしれない。メッセージにするか、それも見られないように。
すると僕のスマホが震えた。予想通り俤さんからのメッセージだ。
『デパート着いたけど、今どこにいるの?』
ちょうどいい、今全部話してしまおう。
『緊急事態です。一階のお手洗いに入った後に、送る連絡を見てください』
素早く文章を打って送信した。
受け取った俤さんは首を傾げたが、すぐに言うとおりにしてくれた。
すると探偵と思しき三人の内の二人が、後に続くようにお手洗いに向かう。これで俤さんを狙ってるのは確定した。
とはいえ個室なら、見られる可能性は格段に低くなる。
俤さんが向かってる間に今分かってることを手短にまとめて送信する。
『あなたが探偵三人に尾行されてる可能性があります。盗聴の可能性もあるので、電話はしないでください。あと、今日は会わない方がいいです』
しばらくしてから既読がつき、すぐにメッセージが返ってきた。
『本当なの?』
まぁそうなるな。普通なら探偵の尾行なんて気がつくわけないんだから。
どうしたら信じてくれるかな?
すると見たことのない番号からSMSでメッセージが飛んできた。
そこに添付されていたのは、さっき青年が見せてくれた履歴書とデパートの監視カメラ映像のスクリーンショットだ。
ってことは、まさか………
「ッ⁉︎」
顔を上げると、さっきまでいたはずの青年がいなくなっていた。周りを見ても見当たらない。
何だったんだ、あの人………いや、今それはどうでもいい。
送られた写真を保存して俤さんに送った。これで信じてもらえるはずだ。
今度はすぐに返信が来た。
『色々聞きたいことはあるけど、とりあえずどうするの?』
さすが俤さん、話が早くて助かる。
『今日は適当に買い物をして帰ってください。くれぐれも普段通りで、探偵を警戒させないように。しばらくは会わずに、僕の連絡先も消してください。それでもスマホは肌身離さず持って、誰かに見られないように』
多少探偵に警戒されるかもだが、依頼人が旦那さんの場合、スマホを盗まれでもしたら終わりだ。データなんていつでも復元できるし。
調査がいつまで続くか分からないが、わざわざ探偵を雇うってことは後ろめたいことをしてる前提で考えてるはず。
思うような結果が出なければ、依頼人の方から動くはずだ。
『分かったわ。ごめんね、せっかくのお祝いなのに』
『今度会う時の楽しみにしておきますよ。それじゃあ、気をつけて』
『うん。また今度、絶対会おうね』
それだけ言って、僕はスマホをしまった。
向こうがどれだけの情報を持ってるか分からない以上、僕がここに居続けるのは危険だ。
それにしても面倒な事になったなぁ。
僕も何か手助けが………いやいや、ここで変に動けば逆に怪しまれて調べられてしまう。
何もしない。それしか僕に出来ることはないか………
「俤さん………」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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