「とまぁ、そんなこんなで一ヶ月経ったわけだけど………」
僕は外の景色を眺めてため息を吐いた。
俤さんと最後に連絡を取ってから一ヶ月の少し。僕は高校を卒業し、来週には大学の入学式だ。
入学の準備はほとんど終わり、唯一の気掛かりはやはり俤さんのこと。
不倫相手である僕に何も来ないって事は、今のところ離婚云々とかの話にはなってない。
それは分かっていても、どうしても気になってしまう。
何せ相手はプロだし、どんなやり方で調べてくるか素人には分からない。
家の中にいても嫌な想像をしてしまうため、僕は頻繁に外出するようにしていた。
今日も最近よく行くようになった喫茶店の『Cafe Red Poppy』で寛いでいる。
まぁグダグダしてるのは家にいる時と変わらないけど、色んな人の喧騒が聞こえると多少は気が紛れる。
注文したコーヒーを飲みつつ、窓の外で行き交う人達をぼんやりと眺める。中にはカップルらしい人達が手を繋いで歩いている。
僕もまた、俤さんとあんな風に………
「黄昏てますねぇ」
突然隣から声がした。
振り返ると、僕の席の真正面にデパートで出会ったパーカーの青年がいる。
「ッ⁉︎あ、あなたは………」
「お久しぶりです。僕もよく来るのですが、あなたもこの喫茶店好きなんですか?いやはやこんな所で会えるとは、奇遇ですねぇ」
「………本当に奇遇ですか?」
「おやおやぁ、人の縁に茶々入れるのは野暮ってものですよ。何事もポジティブに受け止めた方が、人生は華やかですしねぇ」
相変わらず胡散臭い言い回しでニヤニヤと笑う。
正直あまりお近づきにはなりたくないタイプだが、この人のおかげで探偵に不倫がバレてないのも事実。
もちろん信用出来ないけど、わざわざ邪険に扱うのは危険だ。僕と俤さんの関係を知ってる人なんだし。
今のところは敵じゃない、それだけだ。
「それで、何の用ですか?」
「あなたの卒業祝い兼入学祝いをお渡ししようかと思いましてね。本当ならあなたの妹さん………あぁ、実際は従兄妹でしたっけ?彼女にも渡そうかと思ったんですが、お住まいが遠かったのであなたにだけ、ね?」
「なるほど………」
何となく分かっていたが、やっぱり僕や
「で、何をくれるんですか」
尋ねると、青年は僕に向かって何かを放った。キャッチして見てみると、それは片方だけの無線イヤホンだ。
つけろってことか。
僕がイヤホンをつけると、青年は自分のスマホでビデオを流した。
そこはオフィスのような質素な部屋で、一人の中年男性が映し出されている。
『こちらが、今回の捜査報告書です』
映っている男性はそう言って、手に持っていた書類を前に突き出した。それを見て僕は声をあげる。
「ッ⁉︎これは………!」
その書類に書いてあった社名は、俤さんを調べていた探偵事務所のものだ。
すると画面の端からニュッと腕が伸びてきた。
肉付きからして男性だろうか。仕事のスーツを着てるみたいだが、彼の腕で光る腕時計には覚えがあった。
たしか、俤さんがクリスマスに旦那さんへ送ったとか言ってたものだ。
何より受け取った男性が報告書を開くと、そこには俤さんの写真が載せられていた。
ということは、まさか………旦那さんか?
調査報告の録画なんて探偵が許すとは思えない。というか、旦那さんがそんな事する理由がない。
となると………
「盗撮ですか?」
「趣味がカメラなんですよぉ。まぁ、一眼レフよりちょっと小さいですけどねぇ」
青年は口笛を吹くと、指先に乗るほどのサイズのカメラを見せた。こんな物ぶつかった拍子にでもつけられたら分からないだろう。
映像記録だと撮影されたのは今日の十時、リアルタイムではないのか。
『この一ヶ月奥さんのことを調べましたが、特に不審な様子は見当たりませんでした。外出する用も多くの場合が買い物で、後は郵便局とか散歩で近辺を歩く程度ですね。それ以外でどこか建物等に行く様子は見られませんでした』
探偵は淡々と調査内容を伝えていく。
やはり僕と俤さんが連絡を絶ったのが調査初日だったようで、不倫のことが話される事はなかった。
『追加の調査をご希望されますか?』
『いや、もういい。充分だ』
それだけ言うと、旦那さんは挨拶することもなく部屋出て行った。そこで青年が映像を止めた。
「以上です。あっ、それとこれもついでに」
頭を下げた青年はスマホを操作し、別の映像を見せた。今度は高級そうなレストランの映像だ。
撮影されたのは………一週間前だ。画角がさっきと変わってないし、これも盗撮か。
青年が映像を流すと、まず映されたのは僕より少し歳上っぽい女性だ。
この人、見たことあるな…………そうだ、ナイトプールで旦那さんといた不倫相手だ。
『今回はありがとうございます〜!色んな所連れて行ってもらって、こんな豪勢なご飯までご馳走してもらっちゃって!』
『いやぁ、いいんだよ。いっぱい食べてくれ』
それから今日の格好がどうのとか明日はどうするとか、楽しそうな会話が続いていく。
まぁ声から旦那さんとの不倫現場なのは間違いないとして、場所どこだ?
チラッと青年を見ると、彼は肩をすくめた。
「場所は京都です。観光地ですし、この手の店はそれなりにありますよ」
足元が映ると、彼の靴はローファーだった。さっき探偵事務所で見た物と同じ。
観光に仕事の靴は履かないだろう。となると………
「出張とでも嘘ついてますか」
「でしょうね。実際は有給を取ってるみたいですよ。いやはや、有給削ってまでお仕事とは、見上げた社会人根性ですねぇ」
青年は嫌味たっぷりの言葉を吐くとニヤニヤ嗤った。
もっとも、俤さんなら不審には思ってるんだろうけどさ。
すると画面の向こう側で、女性が不安そうな声を漏らす。
『でもいいんですか?ここ数日ずっと会ってくれますけど、奥さん怪しみません?』
『大丈夫だよ、今アイツには監視をつけさせてるんだ。何か怪しいマネしたら、すぐに俺に連絡が来るようになってる。安心してくれ』
『うわぁ、賢〜い!』
キャンキャン騒ぐ二人の会話をこれ以上聞きたくなくて、僕は動画を止めた。
「これが理由か………」
「えぇ。彼の会社の同僚が、数日前に不倫ですったもんだあったみたいですよ。それを知って警戒したのでは、と」
かつて旦那さんは、俤さんが自分の不倫を知っても何も出来ないと言っていた。結婚の経緯が経緯だし。
けどいくら社会的に優位な立場とはいえ、やりようによっては俤さんが旦那さんをどうこうすることも不可能じゃない。
やっとその可能性を考えて警戒したのか。
つまり旦那さんは俤さんの不倫を疑って調査させたんじゃない。逆に自分の不倫を詮索させないために監視させてたんだ。
余計な心配させやがってと思う一方で、やはり疑われてはいないという安心感で胸を撫で下ろす。
「とまぁ、これがプレゼントです。いかがでしたかぁ?」
「………ありがとうございます」
「いえいえ。この映像はあなたに差し上げます。どうするかは、あなた方で決めてください」
すぐに僕のスマホに通知が届き、動画が送られてきた。
「それで、どうしますか?」
「決まってます」
僕はイヤホンを取ると、青年に返して立ち上がる。
「あぁ、彼女でしたら今………」
「大丈夫です。どこにいるかは、何となく分かってますから」
「………そうですか」
「それでは」
僕は青年に頭を下げると、喫茶店を飛び出した。
ザザー………ッ
緩やかにうねった波が岸に覆い被さり、浅瀬にいた私の裸足を濡らす。
春になって僅かに暖かい風が吹くが、それに混じる潮の香りはあの時と変わらない。
初めて彼と出会った海は、私以外誰もいない。
あの時と同じ、私一人。
彼と会えなくなってから、私は不思議とここに来る。
来た所で彼に会えるわけもないのに、会ってはいけないのに。
探偵に尾行されてる以上下手な事はしない方がいいかもしれないけど、これくらいなら散歩と思われるだろう。
私はゆっくり前に進んだ。足が海水に浸かっても気にせず歩き続けた。
足首の辺りまで、打ち寄せてきた波が被る。
「冷たいな………」
絞り出したような小さな声は、波の音に溶けてしまう。
ダメだ、こんな所にいても悲しくなるだけ。もう帰ろうかな………
「それじゃあ、温めましょうか?」
その時、突然後ろから優しく抱き締められた。
「えっ………?」
「やっぱり、ここにいましたね」
耳元で囁く声は、私がずっと聞きたかった彼の優しい声。
私よりも少し背の高い彼に抱きしめられて、心地よい温もりが全身へと広がっていく。
「な、何で………」
「もう大丈夫ですよ。だから、会いに来ました」
それは………もう探偵に尾行されていないということだろうか。
けど、そんな事はもうどうでもよかった。
「会って、くれるの………?」
「当たり前じゃないですか。俤さんのこと、好きなんですから」
一瞬の躊躇いもなく、彼はそう言った。
ありふれた言葉が、私の奥底にあった硬い何かを溶かしていく。
何で、この子は………
「俤さんはどうなんですか?これからも、僕と会ってくれますか?」
不安そうな声からは、私を心配してくれる彼の気持ちが伝わってくる。
こんな事いいわけないし、自分の人生がめちゃくちゃになることだってあり得る。
けど………
「もちろん。私も、君のこと好きだから」
止められないほどの気持ちが、言葉となって溢れる。
彼は微笑むと、震える声を漏らした。
「………初めて、好きって言ってくれましたね」
そうだ………私は、どこかで怖かったのかもしれない。
一度言ってしまったら、もう戻れないような気がしていたから。
これまでの私なりの愛情や彼の未来も考えられなくなって、身も心も繋がってしまうと思ったから。
けど、どんなに壁を作ったところで私の内側が変わるわけじゃない。一度芽吹いた想いを消せるはずもなかった。
長続きしないことも、危険なこともよく分かってる。
それでも、この想いを無かったことにはしたくない。伝え続けられる限り伝えたい。
振り向いて彼と目が合うと、私達はどちらともなく唇を重ねた。
「んっ………」
じっくりと互いの唇の感触を味わい、名残惜しげに離す。
久しぶりで恥ずかしいのか、彼の顔がほんのり赤い。
それでも触れ合えたことで安心したのは私と同じみたいだ。頬が緩み、安堵の息を漏らす。
「もうちょっと、このままでいますか?せっかくの綺麗な景色ですし」
私を抱きしめたまま、彼は微笑み波打つ海を眺めた。
強張った心をじんわりと溶かしてくれる体温、触れ合うことで伝わってくる想い。
ずっと求めていたものが流れ込んできて、私の心をゆっくりと満たしていく。
離れてしまったせいで抜け落ちていた空白が、一つずつ埋まって彼の色へと染まっていく。
彼はいつもそうだ。私に手を伸ばして待ってくれる。
離れてしまった距離を縮めようとする一方で、私の心からじっくりと温めてくれる。私が自分の方へと辿り着くのを待つかのように。
それがきっと、彼が私に望んでいること。お互いの心が近づく道筋を噛み締めている。
私には勿体ないほどの温もりだ。
でも………
「私は………もっと激しく抱かれたいよ」
彼だけに聞こえる声で囁くと、彼の身体がピクッと跳ねた。そして抱きしめる力が強くなり、私はさらに身体を押し付ける。
少しずつお互いの欲求が剥き出しになっていく。
「ホテル、行こう」
「………はい」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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