それが何かは分からないけど、それは紙縒といる時より一層強く感じる。
僕はそれを払拭するように作業に取り組んだ。おかげで数日後、土曜日の夕方には全ての整理が終わった。
そして今、僕達は夕ご飯を食べている。
「長い間、本当にありがとうございました。おかげで遺品整理も終えることが出来ました」
「こっちこそ、泊めてくれてありがとうな」
僕は夕ご飯を食べながら紙縒と話していた。最近では作業以外でも話すことが多くなり、その時間が楽しく感じている。
いつもの何気ない会話に安心感がある。それにその時紙縒が見せてくれる笑顔が、僕は好きだった。
すると紙縒が急に深妙な面持ちになった。
「それで………明日には、帰られるのですか?」
「………あ、あぁ、そうだな」
ただそれだけの答えに、僕は躓いてしまった。
そうだ。遺品整理が終わった事で、僕の役目は終わりだ。これ以上ここにいる理由は無い。
明日には僕は帰らないといけない。ただそれだけだ。それだけ………
最後の夜だというのに、こうなると少し暗い雰囲気になってしまった。
僕はそれを振り払うように口調を明るくして言った。
「ま、まぁ、また機会があったらまた来るよ」
「そう、ですね」
それでも暗い雰囲気は無くならなかった。胸が締め付けられるような感覚になる。
別に何も不思議な事はない。仕事が終わったから帰る。それだけだ。僕はそれを望んでいたはずだ。
それに近くに住んでて、学校も同じ。会おうと思えばいつでも会える。だから……別に。
どんなに考えても心は晴れない。それどころかモヤモヤする一方だ。
どうしたんだよ。何なんだこの感覚。どうやったら晴れるのか。
「あ、あの………」
すると紙縒が声をかけてきた。僕のことをジッと見ている。
「な、何?」
「えっと………その、今日まで手伝っていただいて………何か、お礼がしたいです」
「………は?お礼?」
いきなりのお願いに僕はポカンとした。紙縒はコクコクと頷く。
「明日、どこか出かけませんか?………その、二人で」
出かける………僕と紙縒で?あまりに予想外すぎる提案だった。
「えらく急だね………どこか当てあるの?」
「え?そ、それは………まだです」
あ、そうなんだ。って、そりゃそうか。神社の事一筋のお嬢様がそういうのに疎いのは自然な事だ。まぁ僕もほとんど経験ないけど。
となると今のところ無計画。でも、それも悪くないかもしれない。のんびりするだけでも価値はありそうだ。
「いいよ。あんまり遠出は無理だけど、その辺歩くくらいなら」
「ッ!………はい!」
これでもう彼女と深く関わる事も無くなる。それなら最後くらいはこんな事もいいのかもしれない。
「どこか行きたい所とかあるの?」
「い、いえ…そういうのは………あなたのためですから、あなたの行きたい所でいいですよ」
僕の行きたい所ねぇ。今すぐは思いつかないな。
「分かった。明日までに考えてみるよ」
「はい」
こうして明日、僕と紙縒の最後の日の日程が決まった。
翌日。いつものように朝ご飯を食べた僕達は、出かける準備をした。
紙縒はお弁当を作ろうとしてたけど、その必要はない。
そして準備の済んだ僕は、玄関で紙縒を待っていた。
「あ、お待たせしました」
少しして紙縒がやってくる。
いつもの巫女服でも学生服でもない。外に出かける時のためのベージュのコートを着ていた。手には小さなバッグを持っている。
その下には紺色のセーターを着ていて、とても暖かそうだ。手袋とマフラーもしている。
長い黒髪は後ろで纏めていて、この髪型もとても似合っている。
「えっと………どうでしょう、か?その、人と出かけるという事があまり無いので………」
「うーん、巫女服で来たら面白かったな」
「さすがにそのくらいの常識は持ってますよ」
なんだ、ちょっと期待してたんだが。
「けど、いいんじゃない?僕は似合ってると思うよ」
「ッ!………ありがとうございます!」
「それじゃあ行くか」
「はい」
僕は紙縒を連れて神社を出た。そこまで寒くなくてよかったよ。
「それで、今日はどこに行くのですか?どこでもお供しますよ」
「お供って………まぁ、ただの散歩だよ」
「へ?」
昨日の夜に色々考えたが、いい所が思いつかなかった。
それならそもそも目的地を決めずに散歩にすればいい。簡単な事だ。
それに目的地を決めると、その目的に夢中になりそうだったし。今日は紙縒といれるだけを意識したかった。
「そ、それでは今どこに向かってるんですか?」
「さぁ?何となくで動いてるから」
それから僕達は気の向くままに歩いた。どこに行くわけでもない。
最初はオドオドしていた紙縒だったが、やがて慣れてきたのか会話が弾むようになった。
近くの本屋に寄って物色したり、たい焼き屋があったのでそこでおやつにした。
本当に目的地などなく、ただ目についた所に入っていく。まぁ街の中でだけどな。
紙縒は嫌がるかなとも思ったけど、それどころか明るく話しながら辺りをキョロキョロしている。
「落ち着かないなぁ。そんなに珍しいものでもあったの?」
「あ、すみません。でも、いつも生活している街なのに、こうやって見てみると知らないものばかりで………とても楽しいです!」
その時の紙縒は、出会った時のピシッとした感じではなく、まるで小さい子供のようにはしゃいでいた。
家の事で精一杯だった紙縒にとって、娯楽として街を見るのは初めての事だったのだろう。
お昼時になって見つけたレストランでお昼ごはんにして、それからはまた散歩の続きだ。
いつもなら街を歩いている時間なんて何ともない時間なのに、紙縒といるとちょっとした観光みたいだ。
でも、そんな時間も無限じゃない。あっという間に日が傾いてきた。
すると紙縒が僕のことを見て言った。
「あ、あの、最後に行ってみたい所があるのですが、よろしいですか?」
「ん?どこ?」
僕が尋ねると、紙縒は恥ずかしそうにモジモジしながら言った。それを聞いて、僕はポカンとした。
………え?何でそこ?
日も暮れてきて、人通りも少なくなった道を僕と紙縒は歩いている。
「ほら、着いたよ」
「わぁ………」
紙縒に言われて連れてきた所に着いた僕は、紙縒に言った。紙縒は嬉しそうに目を見開く。
そこは公園だった。遊具のあるただの公園。
まさか最後の最後にお願いされる事が公園に連れてってとは。別にいいんだけどさ。
「私、子供の頃こういう所来たことなくて、同い年の子達が遊んでるのを見て、羨ましかったんです」
そう言って嬉しそうに公園を見る紙縒を見て、僕は温かい気持ちになった。
こんな小さな事でも、彼女の願いを叶えられてよかったと思う。
「ん、遊ばないの?」
「え?で、でも………」
「いいんじゃない、誰もいないんだし。せっかく来たんだからさ」
「そ、そうですか………それなら………」
紙縒は公園に入ると、近くにあるブランコに乗った。そのままゆらゆらと揺れる。
たったそれだけなのに、紙縒はとても楽しそうだ。見ていて僕まで楽しくなる。
「僕も隣いい?」
「はい、もちろん」
僕は隣のブランコに座って軽く揺れる。あぁ、ブランコなんて何年振りだろうか。
「本当に、紙縒は今日ずっと楽しそうにしてるね」
僕が笑いながら言うと、紙縒はかぁっと顔を赤くした。
「あ……すみません。私一人ではしゃいじゃって」
「ううん、全然いいよ。そういう明るいの、嫌いじゃないし。いい笑顔するね」
「え?そ、それは………あなたのおかげ、です」
そう言って紙縒は揺れるブランコを止めた。
「私、昔から大人の人達に囲まれて、社交的な対応しかしたことなかったんです。だからこうやって同じ目線で人と話すという事が初めてで嬉しいんです」
そんなものかね。大袈裟な気もするけど、僕にはよくわからない。
「今日一日、とても楽しかったです。いつも当たり前に見ていた街並みが違って見えました。こうやってのんびりと街を歩くなんて、初めてでしたので」
「僕も、楽しかったよ」
紙縒と一緒にいて、なんというか落ち着くんだよな。それでいて笑顔の彼女にはとても惹かれる。
「あ、あの………一つ、お渡ししたいものが………」
「渡したいもの?」
紙縒は持っていたバッグの中に手を入れた。そして取り出したものを差し出してくる。
「これは………」
「チョコレートです。今日は、バレンタインですので」
あ、あぁ、そういえばそうね。すっかり忘れてたわ。
「って、僕に?」
「はい。その………私なりの気持ち、といいますか………受け取って、いただけますか?」
紙縒は恥ずかしそうに縮こまりながら言った。紙縒の手作りチョコか。僕の知らないところで作ってたんだな。
「もちろん。ありがとう」
僕は紙縒からチョコを受け取った。小さなビニールに包まれたハートのチョコだった。
「食べていい?」
「はい、どうぞ。あの、こういうの誰かのために作るの、初めてで………お口にあうといいのですが」
僕は袋の中からチョコを一つ取り出して、口の中に放り込む。少し苦くて、甘い味が口に広がる。
「どう、ですか?」
「うん。すごい美味しいよ」
「そうですか⁉︎よかったです!」
紙縒は嬉しそうに顔を綻ばせた。出会った時よりも表情の変化が分かりやすくなったな。
僕はあっという間にチョコを食べ終わった。あぁ、本当に美味しかった。
「ねぇ、もうちょっと遊んでかない?」
「………はい」
それから僕達はしばらく公園の遊具で遊んだ。
一緒にシーソーに乗ったり、滑り台を滑ったり。子供っぽいけど、それがいい。
そうしている間に空は暗くなっていった。そろそろ帰らないと、か。
「紙縒、そろそろ帰るか」
「え?………あ、はい………そうですね」
紙縒が少し微妙な表情になる。いや、それは僕もだろう。
今日が終われば、もう僕は紙縒と一緒にはいられない。でも今生の別れってわけじゃないし、いつでも会える。
無理矢理自分にそう言い聞かせて、僕は公園を出ようとした。
その時何かに服を引っ張られて、前に進めなかった。
後ろを振り向くと、紙縒が僕の服を掴んでいた。
「紙縒?どうしたの?」
「私………帰りたく、ないです」
顔を伏せたままの紙縒は小さな声で言った。それでもその言葉には力がこもっていた。
「な、何言ってんの。もう暗いんだし。他に行きたい所でもあるの?」
「違います………だって………帰って、明日になったらそれでお別れになってしまうのでしょう?そんなの………嫌です」
硬い声音の紙縒に僕は何と返せばいいのか分からなかった。紙縒もそんな風に思ってたのか。
「別に、明日学校でも会えるんだよ。別れってわけじゃない」
「でも、これまでのように一緒に暮らす事は出来ない。そうでしょう?」
「そんなの………当たり前だろ」
そもそも僕と紙縒では住む世界が違う。それが数週間一緒にいれた事が特殊なのだ。
「私は、あなたと一緒に暮らして、すごい楽しかったです。東海林家の者としての数年よりも、東海林 紙縒として過ごせた数週間の方が、ずっとずっと!」
紙縒の口から抑えが効かなくなったように言葉が溢れ出る。
「あなたにかけてもらった言葉が、ずっと心から離れないんです。あなたの近くにいると……すごい心が温かくなって、もっと傍にいたいと思えたんです!それなのに………」
紙縒の声は震えていて、泣いているようにも聞こえる。僕の服を掴む力が強くなる。
「僕だって………紙縒と一緒に暮らせて、とても楽しかったよ。けどもうこれ以上、一緒にいる理由が無いんだよ」
あの家にいていいのは、東海林家の者のみ。一般市民の僕はこれ以上あそこにいてはいけない。
「理由………それは………」
紙縒は僕との距離を縮めると、ギュッと抱きついてきた。暗い中でも顔が赤いのが分かった。
「それは………あなたの事が好きだから………では、ダメですか?」
その言葉が僕が自分に向けての言葉だと理解するまでに、どれほどの時間が過ぎただろうか。
僕は何も言えずにその場に立ち尽くした。紙縒から熱がじんわりと伝わってくる。
「私は、あなたの事が好きなんです!これまでだけじゃない、これからもずっと!………あなたと、一緒に暮らしたいです」
紙縒が………僕の事を?
これまで誰かに告白された事なんて無かった。だからこそ、紙縒の言葉は僕に深く刺さった。
「私と一緒にいる事がどういうことなのか。その意味はちゃんと分かっています!神社を継ぐ、それに見合った人でなければならない。でも!私は………あなた以外の人と、愛を育む事は出来ません!」
紙縒の言葉が、僕の中の想いを前へ前へと突き動かす。
「周りが認めないなら、私がちゃんと説得します!あなたのご家族にだって!あなたに迷惑はかけません!だから!………私の傍にいてください………あなたでなければ、嫌なんです」
紙縒は今まで神社を継いで、東海林家の者として恥のない人生を歩む事だけを考えてきた。そのために必死に努力していた。
そんな彼女が、僕と一緒にいたいと言ってくれた。僕は、どうするべきだ?
そんなの………決まってるか。
「ダメだよ。そんなの………いいわけない」
「ッ‼︎………そう、ですよね……すみま………ッ⁉︎」
紙縒が言い終わる前に、僕は紙縒を強く抱きしめた。
「周りに認めさせるなら二人でだ。紙縒一人にやらせたら………僕が紙縒の事が好きだって、みんなに伝わらないだろ?」
「ッ⁉︎………あなたが、私を?」
僕達はそのまま抱き合っていた。外は寒いけど、僕達の間だけは燃えるように熱い。
「僕、何の取り柄もないし、紙縒にすごい迷惑かけちゃうと思う。けど、それでいいなら………僕と、ずっと一緒にいて欲しい」
紙縒と付き合うのがどれほど難しいか。いや、紙縒の身分なら結婚の可能性の方が高い。
それでも………いや、それはそれでいいじゃないか。
紙縒はゆっくりと顔を上げた。その目の端には涙が浮かんでいる。でもそれは、悲しみの涙じゃない。
「はい!私は一生、あなたの妻として添い遂げたいです!」
顔を上げた紙縒は満面の笑みだった。僕の大好きな人の笑顔だ。
僕達の顔は自然と近くなっていく。意識しなくても、想いが引き寄せている。僕は紙縒の手を握った。
そして僕達は夜空の下、そっと唇を重ねた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。駆け足な上に長くなってしまいすみません!