「紙縒、境内の前の掃除終わったよ」
「お疲れ様です。後は見回りだけですね」
「だね。後で行くとするかな」
僕は竹箒を片付けると、事務所の奥の縁側に腰を下ろした。事務所で仕事をしていた巫女服姿の紙縒が顔を覗かせる。
「ふぅ………周りが冷えてきた以外は、今日も特に何事も無し。いつもと何も変わらないなぁ」
「いい事ではありませんか。それに、こうして旦那さまと共に過ごせるのであれば、どんな時でも私には宝物ですから」
「まぁ、それもそうだね」
隣に座った紙縒と見つめ合って笑った。
羹との紙縒を巡った騒動が終わり数週間。
マッチポンプと脅迫を得て、僕は正式に紙縒の婚約者として認められた。
一時はどうなるかと思ったが、僕達はこうして二人との幸せな時間を噛み締めている。
「そういえば、あれから羹さまから何かされたりはしなかったんですか?」
「今のところは無いよ。大丈夫、もう羹が僕達にちょっかいかけてくることはないから」
結局羹は紙縒と結婚することでしか、目的であるこの土地を手に入れることが出来なかったわけだ。
でもあの文化祭の一件で、彼の不貞の証拠は僕が掴んでいる。
もしもまた僕達の婚約を破棄しようとするなら、この証拠をばら撒いて彼ごと道連れにするつもりだ。
つまり彼はどうあっても紙縒の婚約者にはなれず、この土地も手に入らない。それどころか不貞の証拠をばら撒かれば、慰謝料云々が発生してマイナスだ。
彼もそれが分からない馬鹿では無い…………だろうし、自分で自分の首を絞めることもしないだろう。たぶん。
証拠もコピーして信頼できる大人に分散させてある、消される可能性はまず無い。
「そうですか。また旦那さまが苦しめられないか不安でしたが、上手くいって良かったです」
「あれだけリスク冒したんだ。上手くいってくれなきゃ困るって」
こちとら人生ぶち壊しになること覚悟で挑んだんだし、これ以上の面倒事はゴメンだ。
もっとも、あの一件で一番嫌な思いをしたのは、マッチポンプのための囮になってくれた鶏児草だけどな。
変なトラウマ植え付けられて、男性恐怖症とかになってなければいいけど。
先週電話で諸々の報告をした時はすごい喜んでくれた。
本当にいい妹だよ。今度帰省した時に何かお土産でも買っていってあげよう。
婚約者候補だった連中の中で最も有力だった羹が認めた事で、他の婚約者達も僕達の婚約を認めざるを得なくなった。
これで僕達を邪魔するものは何も無くなり、後は僕達次第、ってわけだ。
「あっ、そういえば、その件でずっと気になってたことがあったんだけど」
「何ですか?」
「羹がこの神社の裏山に宿泊施設建てるとか言ってたでしょ?」
そう、羹が僕達に勝負をふっかけてきた時、嫌がらせで神社に来た彼がそんなことを言っていたのだ。
「あぁ、言ってましたね。それがどうかしましたか?」
「いや、裏山が広いから宿泊施設を建てること自体は出来ると思うんだけどさ。建てて何かメリットあったのかな、って」
ここは決して都会というわけでも無いし、特に観光名所があるわけでもない。強いて言うなら自然豊かな山や川くらいだ。
花火大会とかで遠くから人が来ることはあるけど、普段から観光客が来ることはない。
そんな所に宿泊施設なんか作って何がしたかったんだ、とずっと疑問だった。
「あぁ、そうですね………おそらく、裏山近辺にある温泉が目的だったのではないでしょうか?」
「温泉?ここそんなのあるの?」
「はい、ここから北に行った所に神社の管理している温泉があるんですよ。簡易的ではありますが泊まれる建物もあって、たまに客人の方々が泊まることもあるんですよ」
「へぇ、旅館みたいな感じ?」
「いえ、そこまでしっかりとしたものではありませんよ。温泉が一つあって、その近くに小屋を建てた、山荘みたいな感じです」
それは知らなかった。本当に色々あるんだなぁ。
たしかに温泉があるなら、それそのものを観光名所にすればいいわけだし、建てるメリットはあったわけか。
「よろしければこの後の見回りと一緒に行ってみますか?そのまま泊まるのもいいですし」
「えっ?それ勝手にやっちゃっていいの?」
「まぁ、そこまで厳密に管理しているものではありませんから。鍵は事務所にありますし、行こうと思えばすぐに行けますよ」
紙縒の思いがけない提案に、僕は目を丸くした。
「でも、いいの?紙縒もこの後やりたいこととかあったんじゃ………」
「今日の仕事は見回りで終わりですし、特にやることもありませんから。それに………」
少し言いにくそうにしてから、紙縒は照れながら呟いた。
「前から旦那さまとまたお出かけが出来たらな、と思ってまして………その、デートといいますか………」
「紙縒………」
紙縒の羞恥が僕にも伝わってきて、自然と顔が熱くなる。
そうだよなぁ。婚約してそれなりに経つけど、いつも仕事と学校があるから、二人でデートというものをあまりしたことがない。
仕事とはいえ、たまには二人で出かける時間を作るのもいいものだ。
それに僕もせっかく行くなら紙縒と一緒に楽しみたい。きっと二人の方が楽しいし。
「それじゃあ、一緒行くか」
「はい!」
満面の笑みを浮かべる紙縒を見て、僕は改めて彼女と共にいられる幸せを噛み締めた。
そんなわけでいつもは一人で行っている見回りを二人で行くことになり、日が暮れ始めた頃に僕と紙縒は山の中へと入っていった。
「っと、栗落ちてるじゃん」
「本当ですね。今度拾って栗ご飯でも作りましょうか」
「おっ、いいね。楽しみにしてるよ」
山の中もすっかり秋らしくなり、地面には落ち葉が広がっている。こういうのを感じられるのも、山の魅力の一つだよね。
「そろそろ着く頃ですけど、ひゃっ⁉︎」
「おっと!」
落ち葉で紙縒が足を滑らせてしまった。僕はすかさず抱き止める。
「紙縒、大丈夫?」
「は、はい。すみません、ありがとうございます」
「いいよ、気をつけてね」
この辺滑りやすくなってるんだな。気をつけておかないと。
「また滑ったら危ないし、手繋いでおく?」
「そう、ですね」
僕達はしっかりと指を絡めて手を繋ぐと、顔を見合わせて笑った。二人並んで再び山の中を進んでいく。
それからしばらくして、僕達は大きめの民家のような建物の前に着いた。
「これが、その泊まる場所?」
「はい、温泉はこの奥にあるんです」
紙縒が持ってきた鍵で中に入ると、奥へと進んでいった。
しっかりと行き届いていて、日頃からしっかり管理していることが窺える。一晩快適に泊まるには充分だ。
「いい雰囲気の建物だね」
「えぇ。私もこの建物が好きなんです。昔よく遊びに来たりもしたんですよ。羹さまが土地を手に入れられたら間違いなく壊されていましたし、残ってよかったです」
たしかに、こういう古風で雰囲気のある建物が壊されるなんて勿体無いよな。
僕達は二人で泊まるための準備をしていった。
「布団はこちらですね。部屋はここの廊下の突き当たりになります」
部屋に入ると、中は一面畳となっていた。今は暗くてはっきりとは見えないけど、外の景色もよく見えそうだ。
「さてと、お腹も減ったし、夕飯にしようか」
「はい」
紙縒は予め持ってきてくれていたお弁当を机に広げた。おぉ、美味しそう。
「「いただきます」」
手を合わせてお弁当を食べ始める。
基本的に夕飯は二人で食べているため、やってる事自体はいつもと変わらないが、場所が違うからか新鮮味がある。
二人でお弁当を食べると、温泉に入るまでに少しゆっくりすることにした。
夜の森の景色を眺めながらのんびりしていると、お弁当箱を洗っていた紙縒が戻ってきた。
「旦那さま、居心地はどうですか?」
「すごくいいよ。程よくて涼しくて静かだし」
「それはよかったです」
街中だと周りの騒音がひどくて、どうしてもこうはいかないからな。やっぱり羽を伸ばすなら静かに楽しみたい。
「紙縒もゆっくりしたら?」
「そうですね」
紙縒は僕の隣に座るが、落ち着かずソワソワしている。
「あ、あの、旦那さま」
「ん?どうかした?」
僕が振り向くと、紙縒は少しだけ僕との距離を縮めた。
「そ、その………せっかく二人きりですし………少しだけ、甘えてもよろしいでしょうか?」
ぎこちなく近寄りながら、紙縒は顔を赤らめて僕をチラチラと見る。恥ずかしがっている彼女に、僕はつい頰が緩んでしまう。
「もちろん、いいよ」
「は、はい」
頷いて手を差し出すと、紙縒は僕と手を繋ぎ身を預けてきた。僕は彼女を優しく抱きしめて身体を密着させる。
「あの、私がこのようにベタベタして、嫌ではないでしょうか?」
「全然。むしろ紙縒と触れ合えるんだし、すごい嬉しい」
「そうですか、よかったです」
そこまで頻繁ではないものの、最近は紙縒からこうして触れ合おうとすることが多くなっていた。二人の距離が縮まった証拠だ。
「旦那さま、温かいですね」
「紙縒だって」
触れ合った箇所から、紙縒の温もりと感触がじんわりと伝わってくる。
僕達は抱き合いながら外の景色を眺めて他愛ない会話を楽しんだ。
「そろそろ、温泉に入られますか?」
「おっ、そうだね」
二人でいる時間が楽しすぎてすっかり忘れそうになっていたが、僕達の本来の目的はここにある温泉だったな。
「紙縒、先に入る、後にする?」
温泉は一つなわけだし、どっちかしか入れないだろう。
「えっと………その………」
すると紙縒は、恥ずかしがるようにもじもじと身を縮めた。
「あの、もし旦那さまがよろしければ、なんですが………一緒に入るのは、どうでしょうか?」
「えっ?」
予想外の提案が紙縒から出て、僕は思わず聞き返した。
いや、正直期待していなかったといえば嘘になるが、まさか紙縒の方から言ってくるなんて。
「いいの?」
「その………旦那さまと、一緒にいたいので」
紙縒は赤くなっている顔を隠すように俯いている。そんな顔されたら、出てくる答えなんて一つしかない。
「僕も紙縒と一緒にいたいな」
見つめ合って笑うと、僕達は一緒に温泉へと向かった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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