夏休みも半分近くが過ぎてお盆に差し掛かる時期。
「それで、ここに補助線引くと………ほら、こことここの角が等しくなるでしょ?」
「あぁ、たしかに。だからそれから円周角を利用して………」
ここは僕の部屋。
「これで、こう?」
「そうそう。それが出来れば後は何とかなるよ」
受験生なこともあってか、鶏児草はこれまで以上に勉強に熱心に取り組んでいた。まぁ僕も受験生なんだが。
「ごめんねお兄ちゃん。お兄ちゃんも受験勉強あるのに」
「構わんよ。それよりもちゃんとこまめに休みなよ?鶏児草最近ほとんど机に向かってるか家の事やってるかでしょ」
真面目なのは結構なのだが、それ故に自分を追い込んで息抜きが出来てないからな。ちゃんと休まないと身体が保たないだろ。
まぁお盆の時期は叔母さんが家にいるから、ある程度は楽になるかもだけど。
「ありがとう。でも、もっと頑張らないとだし」
「そうか?どこの高校行くつもりかは知らないけどさ。この辺の高校なら、これだけ出来れば十分だよ?」
別に鶏児草だって成績が悪いわけじゃない。むしろいい方だろう。
勉強のやり方も悪くはない。だから少しは休めばいいのに、その時間を家の事に費やすもんでね。僕も手伝ってはいるんだけど。
それにどんなに余裕が生まれても、それを休む事に使わないからさ。
下手に追い込んだって集中力が落ちるだけだしなぁ。まぁ努力するのは偉いと思うけど。
「この前三者面談あったんでしょ?先生に進路厳しいとか言われた?」
「え?ううん」
じゃあ問題無いよ。努力するのは大切だけど、ちょっと心配になるぞ。
「それじゃあ、私勉強戻るね。教えてくれてありがとう」
そう言って鶏児草は僕の部屋を出て行った。まったく、感心すべきか呆れるべきか。
その日の夕方。早めにお風呂入って上がると、リビングで鶏児草が何かを見ていた。何かの広告だ。
「鶏児草、何見てるの?」
「あ、お兄ちゃん」
隣から覗き込むと、それは新聞と一緒に送られる広告の内の一つだった。
「あぁ、花火大会か」
「うん。この辺りでやるらしいの」
毎年やってるよな。いきなり空が明るくなって音が鳴るからから、ハタから見ると何事だと思うけど。
「ふ〜ん。行きたいの?」
「え?あ、いや………私、受験生だし」
えぇ………さすがにちょっと気にしすぎじゃない?僕高校受験の時、そんなに禁欲的になった覚えがない。
趣味でやりたい事は何があってもちゃんとやってた。それでも難なく受かったし。何せ趣味中心の生き方してるもんで。
「たまにはいいんじゃないの?息抜きしないとその内倒れるよ?」
「私そんなに追い詰めてる?」
いや、受験生だからって言えばそれまでなんだけどさ。朝から晩まで机に向かってるのはねぇ。
するとキッチンから叔母さんがやって来た。
「何なに、花火大会?行きたいの?」
「え、あ、うーん………」
叔母さんに言われて鶏児草は俯いた。行きたいなら素直に言えばいいのに。
「せっかくなんだし行ってこればいいじゃない。たまには息抜きしてきたら?」
「まぁそうすれば、夕ご飯作る時間を仕事に費やせますしね」
「敢えて黙ってた事言わないでよ」
嫌だよ。子供がいると親はどうしてもご飯に手が抜けないからな。
他所で食べてくるなら、適当なものをさっさと食べて多忙な仕事をこなせるってわけだ。
それだけ言うと叔母さんはキッチンへと戻っていった。まぁ鶏児草を心配してるのは伝わったけどさ。
鶏児草はまだ迷っているようで、形の整った眉をよせて悩んでいる。本当に真面目だなぁ。
「あのさ。たしかに努力の量と実力は比例するけど、ついでに疲労と若い時間の消費とも比例してるの忘れないでよ」
そう言って僕は部屋に戻ろうとした。少しお節介だったかな。
「あ、あの、お兄ちゃん」
しかし鶏児草に呼び止められて僕は立ち止まった。鶏児草の方を振り返る。
「どうした?」
鶏児草は立ち上がると、背伸びをして僕の耳元に口を寄せた。小さな声でコソッと囁く。
「あの………お兄ちゃんと一緒に、花火大会行きたいって言ったら、嫌?その………花火デート、みたいな」
思いがけない言葉に、僕は目を見開いた。
それから数日が経ち、花火大会当日。
結局僕も行くことになった。まぁ夜遅くまで女子が外にいるってのもなぁって事で。
適当にパーカーとジーパンを着て、外で鶏児草を待っていた。この時間は家より外の方が涼しい。
ちょっと準備があるからと、鶏児草はまだ家の中だ。何やってるんだ?
すると後ろから扉が開く音がした。
「お兄ちゃん、お待たせ」
「あぁ、でも何にそんな時間かけて………」
そう言いながら僕は後ろを振り返ってそのまま固まった。
現れた鶏児草は鮮やかな浴衣姿だったからだ。
てっきりいつも通りの服装で来ると思っていたので、その衝撃は強かった。後は単純に目に飛び込んできた浴衣姿が綺麗だと思った。
クリーム色の浴衣には紫陽花が描かれている。華美で無いが力強い美しさが、鶏児草の雰囲気と程よく合っていた。
髪はまとめて結っていた。艶やかな黒髪が浴衣の魅力をより引き立てている。
いつもとは違う髪型だったが、これもこれでよく似合っている。
可愛らしく清涼感のある佇まいで、僕の視線を気にするようにチラチラと見ている。
絵から飛び出してきたような惹きつけられる美しさに、僕は目を奪われた。
「鶏児草………その格好………」
「うん。お母さんが浴衣持ってたから貸してくれたの。ちょっと着るのに時間かかっちゃったけど」
叔母さん浴衣なんて持ってたんだ。まったく知らなかった。
ちなみにそんな叔母さんと叔父さんは、仕事云々という事で現在不在である。『一緒に行けたらねぇ』とか何とか言ってたけど、来られちゃ困る。
いや、そんな事より、これは………
「その………どう、かな。私の浴衣」
鶏児草は恥ずかしそうにしながらも、浴衣を僕に見せるように袖を持って腕を広げてみせた。
「すごい………似合ってる」
驚きやら鶏児草の美しさやらで、僕はそれしか言葉が搾り出せなかった。
鶏児草の顔がみるみる内に赤く染まっていく。目線を泳がせてゴニョゴニョと呟いた。
「あ、ありがとう………」
いや、そんな反応されてもなぁ。何となく気まずい雰囲気になってしまった。
「そ、それじゃあ、行くか」
「う、うん」
僕と鶏児草は家を出た。すると鶏児草が僕の服の袖を掴む。
「? どうした?」
「えっと、その………」
鶏児草は目線を泳がせたが、袖を掴んでいた手で僕の手を握った。
「いい、かな………」
鶏児草は顔を赤くして僕を見つめた。握られた手は柔らかく温かい。
そうだよな。一応デートって事で行くわけだし、そういうのは当たり前、かな。
「いいよ。けど周りの目は気をつけてよ」
「うん、分かった」
あんまり気にするのも馬鹿らしいけど、この辺の人達は僕達が兄妹(建前上)である事を知っている。
下手に感潜られる、というか察せられるのも面倒なんで、そこは気をつけないとね。
僕達は家を出て歩き出した。会場はここから近くでもないけど、わざわざ公共交通機関を使うほどでも無いので歩きで行く。
「ねぇ、お兄ちゃん………その、迷惑じゃなかった?いきなり誘って」
「へ?いや、別に………」
そもそも行ってみたらと言ったのは僕なんだし、デート云々関係なくても鶏児草を夜中に一人で外に出すのはな。
「あのね。本当は私、花火大会に行く事自体はどうでもよかったんだ」
鶏児草は歩きながらポツリポツリと話し出した。
「それよりもね………私、お兄ちゃんとデートしたかったの。お兄ちゃんと、二人きりでお出かけしたかったんだ」
「………そんなの、言えば時間くらいいつでも空いてたよ?夏休みなら尚更」
「お兄ちゃんだって受験勉強あるでしょ?それに………お母さん達がいると、どうしても気になっちゃって………」
「あぁ………それはなぁ」
前者は………まぁ納得しつつも傍に置いておいて、後者は僕も色々気にしちゃうな。
夏休みに入って叔母さん達がいる時間が増えた。そうなると、前みたいに二人きりで恋人としての時間を過ごすのは難しくなる。
一緒に寝ることはもちろん無いし、ちょっと手を繋いだり身を寄せ合うのも躊躇われる。
個人的には気にしたくないことだが、それで鶏児草に迷惑がかかっても困るしな。
というか元々僕がこの家との距離を取ってしまったせいで、今になって縮めるのが不自然になってるんだけど。
「だから、こうやってお兄ちゃんと一緒にいるのも大丈夫かな、って思っちゃって」
「まぁ本来は何ら問題無いんだけどね。まったく………」
一応僕ら従兄妹だし。どうなろうが問題無いはず。
ただ叔父さんや叔母さんは、昔から僕を本当の息子のように扱おうとしている。それこそ鶏児草の兄として。
それがあるから、下手な事はできないんだよなぁ。僕からしたらいい迷惑なんだけどね。
ただまぁ………気になるところはあるけど………
「だから今日は、お兄ちゃんの………恋人として、一緒にいてくれる?」
鶏児草はどこか不安そうな目を僕に向けた。
「………あのなぁ、デートだなんて言われなきゃ、わざわざ夜中にこんな遠出するわけないでしょ」
「お兄ちゃん………」
すると道の奥から騒がしい音が聞こえてくる。音のする方に行くと、そこは神社だった。
いつもは閑静なところだが今日は違う。たくさんの屋台が立ち並び、多くの人が行き来している。
「それじゃあ、行くか」
「うん!」
僕達は頷き合うと、神社へと足を踏み入れた。
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