呪いの指輪じゃないのと思ったのは、夢の中で目覚めた後でした 作:木桜 春雨
この数日、必死になって男は女の行方を探していた、ようやく見つかったと今ほっとしていた。
パリの街で人捜しとなると大変だ、だが、外国人の女となると話は別だ、自分一人では限界があるので人を雇って金を出したが、その甲斐があった。
地下に潜るところを見たという報告を受けたとき、ほっとしたが、パリの事情を話していたので危険な場所には近寄らないようにしていたのだろうが、たとえ地下といえど、どんな人間がいるかわからない、外国人ともなると、どんな目に遭うかわからないからだ。
「迎えに来たんだ、クリスティーナ」
名前を呼びながら男は近づいた、それは昔、好きだった女の名前だ、以前は口にすると絶望、焦燥感、なんとも言えない気分になった。
だが、それが変わったのは彼女に会ってからだ、パリの街で偶然出会った外国人の女は腹を空かせて、ふらついていた、着ているものも異国風で変わっていた。
ムッシュウと声をかけられて、その声を聞いて驚いた、彼女の声に似ていると思ったのだ、実際のところ、本物のクリスティーナと直接、話をしたことは皆無といってもいい、なのに、心臓がどくんと脈打ち、緊張してしまったのだ。
困惑している女を見捨てておけず家につれて帰り、世話をしたのだ、それは純粋な好意からとはいいがたい、だが、相手は拒まなかった。
生活できるように欲しいものを与えて、優しく接すれば自分の事を好きになるかもしれない、大事なのは素顔を見られないこと、それに気をつけさえすれば大丈夫だと思っていた、ところが、数日、半月一ヶ月を過ぎる頃には気持ちが緩みがあったのか、素顔を見られてしまった。
朝から晩まで素顔を見られないように顔を隠しているので仮面の下は汗で濡れて、痒みを伴い、時には掻きむしってしまう事もある、だから傷ができる事もある、嫌になるのでなるべく鏡は見ないようにしていた。
寝る前には薬を塗って、自分の部屋から一歩も出ないようにして。
だが、あの日は違った、雨のせいか、彼女は趣味の物書きに夢中になっているだろうと思って、部屋から当分出てくる事はないだろうと油断していたのだ。
仕事に夢中になっていたので、ドアが開いたことにも気づかなかった、ムッシュウと呼ばれて驚いて振り返ったとき仮面をつけていなかった、素顔を見られたと思った瞬間、今まで自噴の素顔を見た人間の顔を思い出した、顔を歪めて、恐ろしいものを化け物を見たといわんばりに叫び声を上げて、逃げるように退いて。
やはり駄目だ、また、同じ事の繰り返しだと思いながら、罵りの言葉を吐いた。
化け物だ、醜くいだろう、こんな顔を見るのは初めてか、恐怖で声も出ないのかと叫び声を上げて近寄り、両手を伸ばし、肩に、首にかけた、どうあっても駄目なのだ、すべての人間、他人は拒絶するのだ、自分の母親でさえも否定したのだ。
素顔を、ただ、女は見ているだけだ、底に感情があるのだろう、だが、今回だけは何故か、自分から逃げてしまった。
床に膝をついてうずくまる、以前なら泣き喚いて、怒りをまき散らしたかもしれない、だが、それができなかった、女と過ごした時間が楽しかったせいだろうか。
「ムッシュウ」
声がした、部屋の中に女が入ってきたのだ、背後にいる気配に何故と思わずにはいられなかった。
「仮面をつけているし、顔の事は、なんとなく、そうなんだろうなって予想がついていたわ」
「なん、だと」
「お茶でも入れましょうか」
この女は何を言っているんだ、意味が分からず呆気にとられていると、女は部屋から出て行きしばらくして戻ってきた、どうやって火をつけて湯を沸かしたらいいのか分からないという。
紅茶の茶葉は古いせいか香りも良くない、だが、お互いカップに口をつけて飲む間、無言だった。
私の、自分の、この顔をどう思う、冷たくなったカップの底を見ながら男は尋ねた、今更、そんな事を聞いたところでどうしようもないのだと思っていても、聞かずにはいられなかった。
すぐには答えが返ってこなかった。
まあ、ハンサムとは言いがたいわねと、笑いを含んだような声だ。
そのときまで俯いて、まともに見ることができなかった相手の顔を、この時、男は初めて見た。
顔なんてと言いかけた女の言葉が途切れた、くしゃりと、歪んだように女は唇を目元を歪めた。
男は思わず問いかけた、何故、そんな顔をするんだと。
「あなたの顔なんて、それよりも、今、自分の足下が、先の事が見えなさすぎて、その方が怖いわ、貴方の顔なんて、ただ、少し人より変わっているというだけでしょう」
「なんだと」
この顔のせいでどんな目に遭ったか、いい事など一つもなかったと叫ぶ男は自分に呆れた、これは八つ当たりだと。
吐く息が熱い、いや、部屋の中が、まるで拷問部屋のように暑いと男は感じていた、勿論、それは錯覚だ、自分がそう思っているだけだ、何故なら、興奮しているからだ。
パリの下町、私娼なら路地の臼ぐらりでも平気で男と抱き合い、行為に溺れる、そんな姿を嫌悪しながらも何故か目を離す事ができず見入っていた、羨ましいと思ったことさえある。
金を払えば、貧しい私娼なら抱く事ができただろう、だが、そうしなかった。
もしかしたら、いつかは、そんな希望と望みを捨てきる事ができなかった、それが今、現実のものとなっていた。
女が苦しそうに荒い息で呼吸する、自分の体の下で、肌が重なる、触れる、それだけで興奮しているのがわかり、まるで自分は獣のようだと思ってしまった。
重みと苦しさに耐えきれなくなったのか、押しのけるように女が自分の胸を押し上げようとする、男はわずかに体を浮かせたが、それだけだ、離れたくない、ずっと触れていたいと思ってしまうのだ。
「エ、エリックだ、名前を呼んでくれ」
恋人同士なら愛の言葉を何度も繰り返し囁くのだろう、だが、今の自分達は、ただの肉欲に溺れているだけなのだろうか、いいや、そうではないと男は否定した。
「好きだ、君を愛している、本当だ」