1
生活感の無い殺風景な部屋。空白の多い棚には、種の入った小袋がいくつかチョコンと置いてある。
部屋の隅には武具を手入れするためのスペースがあったが、そこに持ち主の剣は置いておらずやはりガランとしていた。
エンカクの部屋だ。
部屋の主はいないようだが、ベッドには膨らみが一つ。膨らみと言ってもその姿は毛布にくるまっておらず、毛布は胴を覆うように掛けられているだけで女の剝き出しの手足をのぞむことができた。
むにゃむにゃ、うーん。と寝言を言いながら、腰から生えた白い尻尾が何かを探すようにシーツの上を這い始めた。あっちこっちを探りまわっていたようだが、お目当ての物は見当たらなかったようで女はむくりと起き上がった。
「こぞぉ……?」
眠そうに瞼をしばたたせ、部屋を見渡すも部屋に他の人間の気配はない。
ニェンはベッドの側に散らばる服が自分一人のものだけと見て、部屋には自分一人だという事を理解した。
書置きなどはもちろん無かった。まぁそんな気遣いが期待できる男ではあるまいと考えながらニェンに服を手に取った。
おもむろに服を着るニェンの顔はどこかつまらなそうで、それは楽しみにしていた天体観測が悪天候で見れなかった子どものような、期待していた一大イベントをお預けにされたような顔だった。
今日は九月九日。ニェンの誕生日であった。
2
今日も今日とて忙しい。まだ太陽も高くないというのに、私は早々にデスクワークに励んでいた。もとよりドクターたるこの身、忙しいのは常日頃だったが今日は輪をかけて多忙な一日になる。
現在ロドスは龍門に停泊しており、それに関する仕事が字の如く山のように積みあがっていた。
停泊している龍門のお偉いさん達との会議の準備はあるし、新システムの調整はあるし、急遽勃発した戦闘の指揮も取らなければいけない。その戦闘は龍門との協定さえなければ、ロドスが手出しするようなものではなかった。
ロドスが龍門と結んだ協定は、確かに理があるものだけれど戦闘という代価は決して安くない。どれほど安全に見える戦闘であろうと、どれだけ屈強な戦士であろうと、オペレーター達は皆等しくその命を賭けて戦場に立ってくれているのだ。
特に今日は遠隔指揮システムの試運転である。龍門で実用が検討されているというこのシステムは複数の戦場を戦地の危険に晒されずに指揮を取れるという利便性があったが、いざという時に自分が戦場に立っていない事が不安になる。安全な所から指揮ができると言えば聞こえはいいが、彼らの命に無責任になっているんじゃないだろうかと、少し、不安になる。
そんな事を考えつつ独りで作業を進めていると、部屋の扉が開いて一人入って来た。ニェンである。
「おはよう、ニェンさん」
「おう」
ニェンはぶっきらぼうに挨拶をしてはドカリとソファに座り、何を言うでもなく尻尾をゆらゆらと揺らし始めた。作業を止めて彼女を観察していた私の視線に気づいたのか、こちらを見て「なんだよ」と呟いた。
「ふふ、今年はちゃんと知ってたからね。誕生日おめでとう、プレゼントありますよ」
「おぉ!そうでなくっちゃな!」
引き出しから取り出した小さな包みを取り出して渡すと、ニェンは訝しげにそれを眺めていた。
「なんだ?コレ」
「サルゴンで使われるスパイスの原料、マカニカネの種っていうらしい。生だと酸っぱくて、火にかけると甘くなる。でも水にさらしてからすり潰して煮詰めると、人を失神させるくらい辛くなるらしい」
「へぇ!おもしれぇじゃねぇか。……まったく、今日はせっかく私の誕生日だってのに、どいつもこいつも『おめでとう』の一つも言いに来ねぇ」
「あぁー……」
ニェンの愚痴からは、艦内を歩き回っては暇そうな知り合いを探す姿がありありと浮かんだ。龍門に停泊する間、最初の数日間は手続きやら何やらで忙しなくなる。私のように朝早くから仕事に駆り出されている人も少なくない。
まぁ、ニェンは誕生日なんて無いだろうなんて考えている人の方が多いんじゃないか、という考察は己の内に秘めておくことにした。
「まぁ龍門停泊で忙しいですから。特に戦闘オペレーターは急遽複数の戦闘に派遣されることになって、ロドスに残ってる人の方が少ないからね」
「そうか……ん?私は呼ばれてねぇぞ?」
それは勿論、今日の戦闘データは新システムの考察の為に龍門に提出する必要があり、アーツに属さない術を使うニェンなど見せる訳にはいかないからである。
が、ここでそんな色気のない返事をしても面白くあるまい。私は己の茶目っ気をかき集め、ウインクをしながら(マスクで見えない)、ニェンにこう言った。
「そりゃあ、せっかくの誕生日だもの。私からのもう一つの誕生日プレゼントですよ」
なので今日はゆっくり過ごしてください、と気遣いを見せたつもりだったが。
ニェンはどこか遠くを見ては荒く鼻息を吐いて立ち上がり、つかつかと私に歩み寄って、その尻尾で私の脛をどついた。
「ッァ!?」
「余計なことしてんじゃねぇよ」
どさりと倒れこんだ私に踵を返し、ニェンは火の灯った尻尾をぶんぶんと不機嫌そうに振り回しながら部屋を出て行った。
私はか弱くうめき声を上げながら、あのサルカズの剣士ぐらいは戦闘から外しておけばよかったと遅きに失する気づきを得たのだった。
3
ここ数日はとびきり筆の乗りがよかった。風景ではなく、もっと小さいものを描いて見ようと思ったのだ。普段書く山水画のような迫力はなく、納得するような出来はいまだ一つとして無いものの、食べ物という小さいスケールに絞って描いてみるのはなかなかに興が乗った。
そんな上々とした気分は無遠慮の権化である姉の突入によって遮られていたのだが。
扉を蹴破って入ってきたニェンは、機嫌がいいのか悪いのか、手に持った小さな包みを弄びながらあっちへ行ったりこっちへ行ったり。終いには私の隣に胡坐をかいて大声で話しかけて来ていた。
「なぁ、お姉ちゃんだぞ?ちょっとは構ったらどうなんだよ」
「あんたが勝手に入ってきたんでしょ。要件ぐらい言ったらどうなの。無ければこんな所まで来ないで」
「いいのか?そんなに邪見にするようなら次のお前の誕生日は爆竹から始まることになるぞ?」
「なにを急に……誕生日?」
暦を見てみれば、確か今は九月である。日までは定かではないが、なるほど、今日は九月九日だったか。
「なるほどね……言っておくけれど、綺麗な贈り物の用意なんて無いから」
「あぁん?そりゃあお前に今の私の誕生日なんて言ってなかったし、そこまで求めちゃいねぇよ」
じゃあどうやってもてなしてもらうつもりだったのよ、と言いかけた所でニェンの口ぶりに違和感を抱いた。
「
「あん?そうなのか?」
「なによ、あなたは九月九日で、私は十一月十一日。
「あぁ~、そうだったっけ?」
「……どうせあんたの事だから、誰かに『お前と出会った日を私の誕生日ってことにしたんだぜ?』とか言って、それを自分でも真に受けて忘れてたんでしょう」
「あぁ!言った言った!確かに言ったぜそんな言葉。なんだ、お前もお姉ちゃんをよくわかってるじゃねぇの」
「また閉じ込めるわよ。それで?折角の誕生日を祝ってもらいたいんなら、私なんかより小僧くんの所にでも行ってくれば?」
てっきり嚙みついてくるかと思ったが、ニェンは何やらムッスとして壁に並ぶ私の絵を見ていた。
やがて呟いた。
「いるなら、行ってるよ」
胡坐をかいた膝で頬杖をつく様子は、私にちょっかいを入れてくる時とはまた違った意味で子どものようであった。
「まさかあんたがそんな可愛い顔をするだなんてね」
途端にニェンはこちらを向いて眼を飛ばしてきたが、いつものように姉ぶった態度は微塵もなく、寧ろ必死に虚勢を張っているようであった。
面白い物を見せてくれた礼だ。手慰みに何かくれてやってもいいだろう。
「いいわ、誕生日だったわね。何か一つぐらい絵を描いてあげるわ」
兄弟姉妹へ贈り物など、いつぶりだろうかと考えながら私は筆を手に取った。
4
「なぁ、エンカク。今日ってニェンの誕生日だったよな」
戦場へと向かう車両の中、俺に話しかけてきたのは術師のラヴァだった。同じサルカズではあるものの、カズデル育ちではないこの少女と喋った事はほとんど無かった。
「そうだな」
「そうだよな。あぁー……それでだな、エンカクは、その、プレゼントとか、用意したか?」
あの女の誕生日は、ドクターから教えられていた。こちらから聞いたわけでもないのにペラペラと喋っていた。あいつは『プレゼントでも用意してみたらどうかな』などと言っていたが、あの女が物を贈られて喜ぶ様が思い浮かばずに結局、何も用意せずにこの日を迎えたのだった。
「いや、していない」
「そ、そうか!」
なぜかラヴァの表情が華やいだ。まるで味方を見つけたように頬を緩めた彼女は、贈り物を用意していない仲間を見つけて喜んだのかと思ったが、まだ要件がるのか彼女は再び佇まいを直して俺に話しかけてきた。
「そう、それでだな。私は用意したんだが——」
なんだ、用意していたのか。
「——ちょっと、作戦の後では渡せそうな時間が無くてだな。エンカクはよくニェンといるだろう?私とエンカクの二人からと、渡してくれないかと頼みたくて」
ラヴァはポケットからカギを取り出すとそれを俺に差し出した。ロドスの共用ロッカーのカギだ。
なんとも奇妙な頼みだった。自分で用意したのだから自分で渡せばいいだろうに。
「ロドスに帰還する時間は、俺とお前でそう変わらないと思うが」
「いや、だからその、そこをなんとか頼みたくてな」
何か裏があるのだろうかと考えていると、ラヴァの隣で俺たちのやり取りをニコニコと眺めていたクルースがその裏をバラしはじめた。
「ラヴァちゃんって、プレゼント渡す時っていっつも誰かのふりするの~ニェンさんはそれをからかってくるだろうから、渡すのごと誰かに任しちゃいたいんだよ~」
「おいクルース!そんな事まで言わなくてもいい!」
「ほんとかわいいよね~」
黄色い声で問答を続ける二人。俺はため息を一つ吐いて、ラヴァの頼みを請け負ってやることにした。
「いいだろう、渡しておいてやる」
「ほ、本当か!」
カギを渡したラヴァはほっとして車両の椅子に腰かけた。
まったくそれでいいのだろうかと思いつつ、一方で俺はこのまま何も用意しなくていいのだろうかとも思った。
だが、今ここから何を用意できるというのだろうか。今からできるのはせいぜい、戦場で適当な武器を拾うぐらいだが、そんな物で喜ぶような奴はいるまい。
やはりラヴァの贈り物を代わりに渡すだけでいいだろうかと思った時、俺の肩を優しくつつく手があった。
パフューマーだった。
「エンカクくん、やっぱり何か用意したほうがいいかなって考えてたでしょう」
「……そんな事はない」
心無しか突き放すようになった俺の声色から心を察したか、優しく微笑んで彼女はある提案を上げた。
「ちょうどエンカクくんが咲かせているリシアンサスがあるじゃない?あれなんか、花束にしたらきっと綺麗だろうなって思うの」
黙って睨みつける俺の視線もどこ吹く風に、彼女は朗らかだった。
「ふふ、おせっかいかしら」
「……いや、参考にしよう」
「ニェンちゃん、香りの強い花は苦手みたいだから、今エンカクくんが育てている花は気に入ってくれると思うわ」
まったく、一体どこまで考えているのか。思えばリシアンサスを育てるように勧めてきたのは他ならぬパフューマーだったのだ。それも、開花時期を調整するように種やりの時期まで指定して。
全く敵わないと思いながら、俺はあのピンクの花弁の花束がニェンの手に収まった時に似合うだろうかと、自分でも気づかぬうちにその様を想像していた。