※この作品はR-18です。

交わる物好きたち   作:沖 一

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誕生日炎年の続きです



九月十日

九月九日 10:27

 

 鉢の中にあったリシアンサスは花束にするには十分だったろうかと考えを巡らしていたエンカクの耳に、運転席でハンドルを握るオペレーターの声が聞こえた。

 

「南東から接近する車両を二台確認。外見の特徴はどっちも報告と一致してますね」

『よし、クルースは射程圏内に入ったら射ってくれ。反撃の危険を感じないうちは出来るだけタイヤ狙いで頼む。誤認攻撃だった場合は龍門が全部責任とってくれる話がおりてるから警告抜きでいい』

「打ち合わせでも聞いてたけど、よっぽどお冠なんだね〜」

『距離がある程度詰まったらラヴァだな。頼むぞ、アーツマスター』

「なぁその呼び方はするなって言ったろ!?」

『エンカクは、まぁお望みの戦闘にはならないかもね』

「だったら俺じゃあなくて良かったろう」

 

 エンカクたちを乗せた車両が走っていたのは、ロドスが停泊する龍門からそう遠くない場所だった。

 指揮官(ドクター)を伴わない遠隔操作システムの試運転に相応しい、大した危険度のない戦場だった。

 任務は龍門と他の都市を繋ぐトランスポーターや輸送隊を狙って強盗行為を行う連中の掃討。きちんと護衛を伴う貨物輸送隊等は狙わず、護衛をケチった民間輸送会社の車両や危険に疎いトランスポーターのみを狙うシケた連中が目標だった。

 

 やがて車の二台ともが射程距離に入って、クルースが狙撃した。間断なく放たれた二矢が一台の両前輪を貫いてスリップさせる。

 残る一台。こちらはラヴァの放ったアーツが車の真下に爆炎を発生させ、数メートル叩き飛ばした。描く放物線は一瞬の静寂の後、大地に激突し、クラッシュ。爆炎で既に罅の入っていたフロントガラスは粉々に砕けた。

 

「二人とも流石ね」

 

 作戦通りの攻撃はものの数秒も経たずに敵性車両を破壊。手慣れた攻撃に同乗していたパフューマーが賞賛した。

 だが。

 

「まだだ」

「う〜ん、止まってないねぇ」

「来るぞ」

 

 傭兵の直感、弓兵の洞察力、アーツ使いの感覚。

 そのどれもが、未だ戦意を失っていない暴力を認識した。

 

 先にスリップした筈の車。

 底の抜けた花瓶から水がこぼれるように、車の中から真っ黒な砂が溢れた。

 

 報告には無かった強力なアーツ使いの存在。それはここ数日のうちに野盗へと参加した、どこかの貴族の私兵崩れであった。ロドスはおろか龍門さえも把握していなかった、予想外の戦力である。

 

『全速撤退!』

「方向転換して突っ込め!」

「ハァ!?」

 

 インカムから聞こえるドクターの指示と正反対の指示が車内のエンカクから為され、運転手とパフューマーがエンカクの方を振り向いた。

 

『何を考えているエンカク!』

「奴のアーツの展開速度が分からないのか。弓兵一人と中射程アーツ一人の射撃戦なら確実に撃ち負ける。至近戦闘にしか活路は無い、今すぐ反転して突っ込め」

「ドクター、エンカクは正しい。今から逃げようとすれば奴の射程外に出るまで五回は串刺しだ。突っ込むなら、一回で済む」

 

 エンカクに同調したラヴァの言葉。

 それはただ死に方を選ぶだけではないか、と。運転を任されていたオペレーターが悲鳴を上げようとした時にはドクターは答えを出していた。

 

『分かった、突撃だ』

 

 例えラヴァの言葉が無くとも、それがエンカクの死に急ぎでは無いと分かっていた。

 むしろ現地にいる彼らが吶喊に勝機を見出したのならば。

 任せる他はあるまい。

 

 運転手が半ば泣き声を上げながらハンドルを切った。車両が反転し、今も蠢いて形を成そうとしている黒砂へアクセル全開で突撃する。

 

 傭兵の経験と術師の知識が予想した通り、溢れる黒砂の一部が鋭利な槍となって車両へ切先を向けて放たれた。

 

 質量と速度。圧倒的な破壊エネルギーを孕んだ大槍は車一つを貫くに余りある。

 並大抵の装甲ならば貫いてみせるだろうそれは、車両の板金など容易く破り捨てるだろう。

 

 運転手の脳裏に浮かぶ圧倒的な破壊と死のビジョン。

 それを覆すべく、ラヴァはアーツを行使した。

 

「プルガトリオ!」

 

 車両を護るように、炎の華が二重に咲く。

 それこそはラヴァのアーツが到達した奥義、プルガトリオ。あらゆる罪を焼く煉獄の名を冠した焔である。

 

 渦を巻く豪炎と黒槍の激突。

 

 果たして邂逅一番の勝負の軍配は炎に上がった。

 大気を唸らせた燃ゆる彼岸花は黒砂のアーツを打ち破り、大槍を彼方へ吹き飛ばした。

 

 しかして宙に番られる第二、第三の槍。

 黒砂の術師は今やスリップした車両から姿を見せ、今度こそ貫いてやろうと獰猛な瞳を向けていた。

 

 だがそれは、彼らが潜り抜けてきた数多の窮地と死地に比べれば何だと言うのか。

 怖気付くどころか戦意の炎を滾らせた刀術師が紅蓮を纏って飛び出した。

 プルガトリオの炎を纏いしエンカクである。

 

 鬼気迫る武威と殺意をただ一人に受けた術師の男は、宙に浮かべた黒槍達の標的をエンカクへと変えた。

 空に跳んだエンカクは無防備な格好の的にも見えたが、否。腰と背の二刀を抜刀し、すかさず炎が唸りを上げる。

 噴出する炎と刀の嵐。

 独楽のように回転する炎鬼はその最中も決して視線を外さず、撃たれた幾本の槍を叩き落とした。

 だがエンカクはそれだけで満足する戦士ではない。

 なおも止まらぬ勢いそのままに刀を振り下ろせば、術師の片腕を切り落とした。

 

 真っ赤な血液が噴き出る術師の腕をエンカクとプルガトリオの炎が焼き潰し、瞬刻睨み合う二人のすぐ隣をスピードを維持したままの車両が過ぎ去る。

 

 過ぎ去る車両からは字の如く矢継ぎ早にクルースがボウガンで射撃するが、しかし男が操る黒砂は柔剛自在。纏う漆黒が硬化し、盾となってボウガンから放たれた矢の全てを防ぎ切った。

 ラヴァが乗る車両は未だにプルガトリオの炎を纏っているが、それもそう長くは持つまい。

 

「下がっていろッ、一重では盾にはならないぞ!」

 

 一瞬自分から晒された視線を縫うように、エンカクもまた刀を振るった。

 術師も二度はあるものかと黒砂を固めて至近戦闘に対応する。片腕の欠損をものともしない気迫の下、剣士と術師は打ち合った。

 

 エンカクの振るう刀は一撃一撃が肉を裂き骨を断つ斬撃であるが、男はなお互角に斬り結ぶ。

 エンカクとの剣戟に応え、ボウガンを弾く防御力さえ備えるアーツの出力は自身への原石侵食を顧みないアーツ行使である事は明白だった。

 片腕を失い、エンカクを包むプルガトリオの炎に焼かれ、原石侵食に蝕まれる男。彼を責める激痛は寿命を一秒ずつにも激しく削っているだろうに、何故ここまで戦うのか。

 

 術師の来歴などエンカクは知る由も無かったが、刀を打ち合わせる内に大凡は理解していた。

 戦場で幾度も見た、死と戦いに溺れた戦士のなれ果てだと。

 

 故に。

 打ち合いの果てに男が見せた細糸ほどの隙の正体さえもエンカクは看破した。

 

 罠だ。

 自らの頸を餌にして、釣られて一歩踏み込んだ所にアーツで逆襲を叩き込む腹積もりだ。

 

 だが、その反撃の目論見さえ既に見切っていた。

 迷わず一歩踏み込む。

 エンカクは己の刀が先に彼の頸を断ち、決死の一撃であろう黒槍は致命傷にならず右腕を奪って終わりだろうと理解した。

 

 腕を、奪って、それで終わりだろうと。

 

 気がついた時には、エンカクは致命の刀を振るう為にもう一歩踏み込むのではなく、相手の一撃を躱すべく一歩退いていた。

 刀はもちろん届かず。代わりに、エンカクの腕を吹き飛ばしていただろう一撃は右手の大剣を砕くに留まった。

 無銘の愛剣が有象無象の破片に成り下がる中、二人の視線が交錯した。

 

 土壇場で退くことを選んでしまった刀術師が、その代償を支払わされる。

 

 武器の一振りを失い、敵の目の前で体勢を崩したエンカクに更に黒槍が放たれた。

 術師の渾身の一撃がエンカクの腹を破って肉を削り飛ばし、ヤスリのように荒い表面が臓物を撫でる。

 噴き出た血が乾いた大地を赤く濡らした。

 

 

 

 

九月十日 08:14

 

 庭園に一人のミノスがいた。ミノスの女は朝早くからいつものように庭園の花々に水をやり、何も異常が無い事を見てから庭園の一角を見た。

 水滴の付いた瑞々しいピンクの花々は、本来ならばその育て主により花束として渡されるはずだった。しかし花は未だに鉢の中におり、主を待つように花弁を広げていた。

 

 朝の日差しの中、エンカクが育てていたリシアンサスを眺めるパフューマーに温室へ入ってきたペッローの少女が声を掛けた。

 

「おはようございます、ラナお姉さん」

「あら、ポデンコ。おはよう」

「今日はお早いんですね」

「えぇ、この後向かう予定があって。少し、午前中だけここを任せてもいいかしら」

「もちろん、任せてください!……あの、お姉さん」

「なぁに?」

「予定って、エンカクさんの所ですか?」

「……えぇ」

 

 パフューマーは短い返答の後に視線を落とし、二人に沈黙が訪れた。

 瑞々しい花々達が咲く庭園に見合わぬ重い空気。

 長く続くかに思えた沈黙を破ったのはポデンコだった。

 

「一緒に、花束を作りませんか?」

 

 徐(おもむろ)に視線を上げたパフューマーに、ポデンコは努めて明るく言葉を続ける。

 

「エンカクさんは……まぁ、あんな事言ってお花を育てる人ですけど、嫌って事は無いと思うんです。私が育てている中にもお見舞いに向いてるお花がありますし、どうでしょう?」

「エンカクくんは、喜ぶかしら」

「喜ぶに決まってますよ! 私とラナお姉さんで選ぶんですよ、喜ばない人なんていないです!」

 

「……そうね、手伝ってもらおうかしら」

「えぇ、任せてください!」

 

 庭園の中から、どれを選ぼうかと動き出した二人。

 そんな中、ポデンコが再び声を上げた。

 

「そうだ、いきなり私のじゃないんですけど、エンカクさんのリシアンサスはどうですか? あれもお見舞いにはうってつけですし——」

「あぁ、だめよ、あれは先約があるから」

「せ、先約ですか、エンカクさんの花に。……あ、もしエンカクさん自身のことを言ってるならダメですよ! エンカクさんってば、すっかり枯れちゃうまで——」

「ふふ、違うの。あれは、エンカクくんがね——」

 

「パフューマー、いるか?」

「いた~」

 

 二人の会話を遮る声は、温室の入り口からした。二人が声の方を見やれば、そこにはサルカズとコータスの少女らが立っていた。

 

 

九月十日 10:06

 

 ロドスでは病室訪問の時間帯は10時から18時と決められている。そんな朝一番に、それも鉱石病治療用ではなくいわゆる一般的な傷病を治療する区画ともなれば、尚の事人は少ないのだった。

 足早に廊下を歩くドクターは、目当ての病室に向かう三人の後ろ姿を見た。それぞれパフューマー、ラヴァ、クルースである。

 

「おはよう、やっぱり三人だった」

「あ、ドクタ~」

「……おはよう」

「おはようドクターくん。や(・)っ(・)ぱ(・)り(・)っていうのは?」

「受け付けで私より先に同じ病室に向かう三人組がいるっていうから、きっとそうだろうと思って」

「ドクターくんもエンカクくんのお見舞いに来たの?」

「あぁ、仕事がさっさと片付いたからね」

 

 ドクターは昨日の晩に頑張ったと言ったつもりだったが、パフューマーは目ざとく彼の疲労を見抜いたらしい。小さくため息をつきながら、眉を顰めて忠告する。

 

「徹夜は身体に毒よ。後で庭園の方まで来て……気が落ち着くアロマを渡すわ」

「……あぁ、ありがとう」

 

 ドクターはパフューマーに返事をし、病室の前に着いた彼がドアを開けた。

 

 個室。

 白いベッドの上にはエンカクが寝ていた。戦場から重態で帰ってきた彼はまだ目を覚まさないものの、側の機械が示すバイタルは安定したものだった。

 

 改めて安定した容態のエンカクを見て、安堵の声を漏らそうとしたドクターだったが。

 

 エンカクが眠るベッドより手前。

 そこには簡素な丸椅子の上に胡座をかく、白いコートを羽織った女の後ろ姿があった。

 扉が開いたのに気がついて、尾を揺らしながら振り返る。

 

「おう、お前らか」

 

 ニェンだった。

 

「……どうやって入ったんですか」

「普通にだよ」

「受け付けを通ってきたのは私たちだけって聞きましたけどね」

「ドクター、コイツのする事を気にしすぎるな」

 

 ラヴァがニェンに目を向けず、持っていた花束を花瓶に生け始めた。

 

「コイツが理解できる返事をする事なんて十回に一回もないんだ」

「なんだよ、私は全部の質問にちゃんと真剣に答えてやってんだぞ?」

「だったら尚のこと悪い」

 

 パフューマーはラヴァの手つきとその背中を見ていたが、彼女は心配無用と言わんばかりに迷いなく花を生けた。

 ただその間ラヴァは背中を皆に見せたっきりで、決してニェンとエンカクの方を向こうとはしなかった。

 

「なぁラヴァ、こっち見ろ」

 

 冷たい言い方ではなかった。むしろ慰めるようにニェンは言う。

 

「私じゃねぇ。小僧に会いに来たんだろ? だったら顔ぐらい見てやったらどうだ」

 

 しばしの沈黙が流れた。

 誰も、何も言わずにラヴァを見ていた。

 やがてラヴァがエンカクの方を向いた時には、彼女の目には溢れんばかりに蓄えられた涙があった。

 流れ落ちようとする雫を必死に堪えようとして、彼女は口を開ける。

 

「強く、なったんだ、アタシは。力をちゃんと扱えるように。なのに、このザマだ。アタシが、あの時——」

「指揮を取っていたのは私だよ、ラヴァ」

 

 ラヴァの言葉を掻き消すように声を張ったのはドクターだった。あくまで静かに、けれどはっきりと告げられたラヴァはドクターを睨んだ。その目にはまだ涙が浮かんでいる。

 

「でも、あの時、突撃を選んだのは——」

「エンカクも言っていた。それに決定したのは私だよ。その話は昨日で終わったろう」

「……っ」

 

 二の句は続かず、ラヴァは足早に病室を出て行った。

 

「ごめんね、ニェンさん。また来るから」

 

 クルースもそう言い残し、ラヴァを追って行った。

 

 束の間の喧騒が過ぎ去って、エンカクの病室にはニェンとパフューマーとドクターが残された。

 

「ニェンちゃん、ラヴァちゃんは——」

「分かってるよ」

 

 ニェンは再びエンカクの方を向き直り、二人に背を見せたまま言葉を続ける。

 

「あいつが頑張ってんのも、戦場で最善を尽くしたのも分かってるよ。責めるつもりなんてねぇ」

「……そうね」

 

 二人の会話が途切れた時、ドクターがポケットから何かを取り出して、花瓶の横に置いた。

 

「ドクターくん、それは?」

「私からの入院見舞い。とっておきの理性回復剤——」

「ねぇちょっと、流石に悪趣味よ」

「——味のラムネ。私が味を監修したんだ、本物さながらだよ」

 

 小さな瓶を見てパフューマーは冷たい目をドクターに向けていたが、ニェンは思いもよらなかった物を見る目をしていた。

 

「ニェンさん、興味あります?よかったら一粒どう?理性が回復する味がするよ」

「……見舞い品か」

「あぁそっち」

「この花も、言うなら見舞い品ね。ラヴァちゃん達も選んでくれたのよ」

「なぁ見舞い品って、何を選べばいいんだ?」

 

 ニェンの問いに、パフューマーとドクターが互いに見合った。言うまでもなく、ニェンからそのような言葉が出てくるとは思っていなかったからだ。

 だが驚愕もほどほどに、パフューマーは口元に手を当てて考える。

 

「そうね……その人の快復を祈ってのものだったり、快復のためのものだったり——」

「ようは供物だな、そう考えて選べばいいんですよ」

 

「そうか」

 

 ニェンは短く呟いて、二人に目もくれずに部屋を出て行った。やがてパフューマーがドクターを小突いて言った。

 

「あなた、やっぱり今すぐ寝るべきよ」

 

 

九月十日 16:28

 

 ロドス艦の訓練区画にある、術師用訓練所。

 そこに一人、酷く憔悴した様子の少女がいた。額から流れる数え切れない大粒の脂汗に土気色の顔。荒く短い呼吸を繰り返し、膝に手をついてやっとの事で立っている。

 ラヴァだ。

 

 黒焦げの燃えカスになったダミー人形に囲まれているが、その全ては彼女のアーツによるものだった。

 

 エンカクの病室を抜けてから真っすぐにここに向かい、ずっと訓練を続けていた。

 より強く、より長く、より多彩に。より優れたアーツを扱えるように。

 才能が幅を利かせる世界だが、それは努力しない理由にならないとずっと前から決めていた。

 ここで立ち止まっていては、いつかまた——

 

「ラヴァちゃん、それぐらいにしておきなよ」

 

 独りで使わせてもらうようにしていた訓練所の入り口に、一人いる。

 

「……オマエがここに来るなんてな」

「止めても止まらなそうだったけど、いい加減止めない訳にもいかないからぁ」

 

 クルースは隅に置かれていたラヴァの水筒を持ち、ラヴァの隣に座った。

 ぺたんと座り込む彼女に離れろと言おうと思ったラヴァだったが、一度座り込んだクルースは梃子でも動くまい。

 

「ハァ」

 

 ラヴァも、ずるずると力なく座った。

 どのみち、これ以上は本当に無理が祟る所だった。頃合いと言えば、頃合いか。

 

 座り込む二人に会話は無かった。クルースは本当に止めたいだけだったのだろう。ラヴァも誰かと話したい気分ではなかった。

 なのに、彼女の口はどうしようもなく勝手に言葉を紡いだ。

 

「ニェンの顔を見れなかった」

 

 座り込んで、水も飲んで、なぜだか眩暈がする。焦点が合わない視界の端でクルースがこちらを見ているのが次の言葉を待っているようで、やはり勝手に口が動いた。

 

「突っ込むしかないって言った時。もう、アタシ一人の力じゃどうしようもないって分かってた。癪だけど、エンカクも分かってた」

 

 二人の周囲に広がる大火災の跡のような惨状は、全てラヴァが一人で為したもの。それは間断無いアーツの連続行使か、あるいは複数箇所への爆炎の同時発動か、またあるいはプルガトリオの長時間の発動によるもの。

 いずれも、卓越した技量なくては叶わないものだった。

 

「アタシは、強くなったんだ。あの時より、今までよりずっと、ずっと!ずっと強くなったんだ!……なのに、仲間と一緒に生きて帰るって事さえも、そんな事さえできやしないのかよ……」

「エンカクさんは生きてるよぉ」

 

「死ぬとこだったんだ!」

 

「……」

「エンカクが攻撃を受けた後、即座に術師の首を落とせてなかったら……それに、アタシたちの車がエンカクの下に戻った時にエンカクが意識を失ってたら、もう助かってなかった! 意識を失った人には医療アーツなんてほとんど効かないんだ、オマエだって知ってるだろ!? もし何かが違ったら、アタシたちは、エンカクを見捨ててロドスに帰ってきてたんだ……」

 

 うつむいて、ラヴァはそれっきりだった。

 

 けれども、クルースはいつもと変わらぬように細めた目でラヴァを見ては、口を開けた。

 

「ラヴァちゃん、エンカクさんは生きてるんだよ」

 

 ラヴァは顔を上げないままだったが、クルースは気にしないで続けた。ラヴァが聞いていなくとも、良いのだ。二人きりのこの場だが、救いになる言葉にすがりたいのはラヴァだけではなかったから。

 

「最初の攻撃がうまくいってなかったら、援護のついたあの術師を相手にしなきゃいけなかった。ラヴァちゃんのプルガトリオがなかったら、車を狙われた最初の一発をしのぐこともできなかった。エンカクさんが生きてるのは、私達が頑張ったからだよ」

 

 ニェンの顔を見るのが怖かったのはクルースも同じだった。

 誰よりも早くエンカクの病室にいたニェンが何を考えているのかを彼女の顔から読み取るのが怖くて仕方が無かった。

 だけど去り際に見たニェンの面持ち。

 同じものを見た事があった。

 

 かつて鏡の中に見た自分と同じ、大きな別れに怯えるちっぽけな一人の人間の顔だった。

 

 

九月十日 22:35

 

 訪問時間などとっくに過ぎた夜。

 鉄の焼ける匂いを携えたニェンが病室に入って来た。

 ニェンは後ろ手に扉を閉じて、身の丈ほどもある大きな箱を片隅に置いた。

 縦に長い大きな箱は病室に不釣り合いだったが、そんな事も気にせずにニェンはエンカクが眠るベッドに寄った。

 

 明かりを点けない病室に光はなく、ただニェンの尾に灯る炎が朧気に揺らめく影を暗い部屋の中に作り出していた。

 

 ニェンが覗き込んだ先ではエンカクが相も変わらず眠り続けていた。まるで何十年も前からそうしているように、こんこんと眠っている。

 ここまで無防備なエンカクの寝顔をニェンは初めて見た。表情はいつもと変わらない。しかしどれだけ顔を近づけても眉の一つも動かさない。

 

「よぉ、小僧」

 

 いつものように声をかけてみても、やはり身じろぎ一つ無かった。

 人形のよう、という訳では無い。呼吸で身体は上下しているし、顔を近づけた時には確かに体温を感じた。

 なのに、なまじ生気があるばかりに全く反応を見せないのは、どこか不気味だった。

 

 昨日の晩と同じだ。

 声をかけても、顔を近づけても、頬をぺちぺちと手で叩いてみても、やはり反応はなかった。

 

「ラヴァのやつ、お前を守れなかったってツラしてた。坊主(ドクター)も気にすんなっつってんのに背負いこんじまってよ」

 

 どれだけ話しかけても、やはり変わらない。昨日とは違うかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 

 いつ目覚めるのだろうか。

 

 ニェンには検討がつかなかった。それなりに人の世の営みを観察してきたつもりではあったが、ニェンに現代のテラの医療技術とロドスが保有する治療設備がどれほどのものなのかを推し量ることは全くできなかった。

 山場は越えたと言っていた。越えたのならさっさと起きればいいのにと思ったが、ドクターたちの反応からすぐ起きるものではないらしい。

 

 このままいつまでも眠っていたりするのだろうか。

 

 人一人が目覚めなかったとて、この大地はつつがなく回っていく。ニェンとエンカクを乗せたロドスもまた、鉱石病が生む不幸に立ち向かうために変わらず進んでいく。

 長い旅路を征くロドス。今はカーテンが閉まっている病室の窓からは、きっとさまざまな景色が見えることだろう。

 きっと幾つもの移動都市を眺め、幾つもの季節を過ごし、幾つもの土地へ赴くだろう。

 南の空に浮かぶ月に照らされる夜もあれば、東から昇る太陽を望む朝もあるだろう。

 ここに誰かが訪れる雨の日もあれば、誰も訪れない静かな晴れの日もあるだろう。

 

 どれほどの時が経っても、きっと自分は待つのだろうとニェンは思った。

 鍛治をしたり、麻雀をしたり、ロドスの面々と様々な事をしては、きっと何度もこの病室に訪れて待つのだろう。

 そしてエンカクが目覚めた時には「遅かったじゃねぇか」と笑ってやるのだ。

 

 そんな事を考えていてもやはりエンカクは起きないので、ニェンは椅子に座って目をつぶり、少し寝た。

 

 

九月十日 23:52

 

 閉ざされたカーテンからは全く光が漏れておらず、病室の中は相変わらず暗いものだった。

 だけど彼が寝ているベッドの左手の壁にはゆらゆらと揺らめく朧げな影ができていて、影をみる彼は右手側にその光源があるのだと理解した。

 彼はちらりと右を見た。背もたれの無い椅子に膝を抱えて座って器用に寝ているニェンがいた。

 

 俺は戻って来たのか。

 

 自分の生還は五分五分だと思っていたエンカクだったが、どうやら一命をとりとめたらしい事を知った。抉られた腹は麻酔がかかったような鈍い感覚だが、既に肉は戻っているようだった。

 右手もある。あの時に一歩退いたのは徒に致命傷を許すだけの愚行だと思っていたが、どうやらこの手を守る結果にはつながったらしい。

 自分の命と右手を天秤にかけるなど、馬鹿で自分らしくもない。

 

 横になったまま顔の近くまで上げていた手を見ていたエンカクは、その向こうにある僅かな光を見た。

 いつの間にか両目を開けてこちらを見ている。その目が仄暗い部屋の中でキラキラとしていた。

 

「ニェン」

「小僧」

 

 ニェンはするりと椅子を降りてはエンカクのベッドの傍に立った。

 ベッドに手をつくニェンの顔は、もう少し手を伸ばせば届く。

 

 エンカクを見下ろしていたニェンは、待ちわびたように口を開いた。

 

「お前の為に打ってやったぞ」

 

 病室の片隅に置かれた、ニェンが持って来た身に余る大きさの箱。

 その中にはニェンが打った二振りの剣が納められている。

 大剣と刀。

 どちらも、ニェンが彼の為に打ったものだった。

 決して毀れぬよう、決して曲がらぬよう、決して折れぬように作られた剣たちだった。

 

 ニェンの顔を見つめ返すエンカクは、彼女の口が再び動くのを捉えた。

 

「エンカク……」

 

 聞き違いかと思った。呼び名も、そして言葉に込められた嘆願の色合いも。

 けれど何も違えていない。

 エンカクが聞いた言葉も、そして、見ているものも。

 ニェンの双眸から大粒の涙が落ちていた。堪える事を知らぬようにボロボロと溢れてエンカクの手に落ちたそれは、確かにほんのりとした暖かさを帯びた涙だった。

 

 ただの、女の涙だった。

 

「お前の為に剣を打ってやる……なくなっても、また何度でも打ってやる…………だから、死なないでくれ……」

 

 エンカクは静かに腕を持ち上げて、親指でニェンの涙を拭った。

 手を伝う熱に、そのままエンカクはニェンの頬を撫でた。

 

「お前に、今咲いているリシアンサスを渡したかった」

 

 話し始めたエンカクに、ニェンは黙って耳を傾けていた。

 エンカクは、ニェンの眦で光る涙を見ながら続ける。

 

「来年こそは、お前に渡す」

「……待ってやるよ」

 

 ニェンはエンカクに笑ってみせた。

 

 なにせ、たった一年なのだ。

 きっとあっという間に過ぎるだろう。

 

 だから、共に生きていこうではないか。

 

 

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