ーーーが劇場を訪れると、何故か違和感を覚えた。
いや、違和感どころではないか。
明らかに以前とは違う。
特に内装が変化した訳じゃないのだが、新築のように綺麗で、
そう、単純に綺麗なんだ。
隅の隅まで掃除が行き届き、金属や木材はもちろん、布すら光沢を纏っている。
「ようこそお越しくださいました。
このポール、最後までお付き合いくださるお客様方のために、いつもより念入りに掃除させていただきました」
と、言うことは、今回が最後なのだろうか。
だが、確かに全体的に綺麗になっているが、観客席に挟まれた中央の通路が特に綺麗だ。
これも観客のためか?
「今思い返しましても、たった数回とは言え、このようなつまらない話に最後までお付き合いくださる皆様は大変奇特……いえ、奇人変人の
そんな皆様と、今日でお別れと思うとこのポール、ほんの少しだけ寂しく感じます」
最後の最後で奇人変人呼ばわりか。
しかも、少ししか寂しいと感じないとはなんて薄情な。
「半分、冗談でございます」
もう半分は?
「それでは、さっそく語るといたしましょう。
本日お聴かせいたしますのは、彼女が人生の幕を下ろした日の一幕。
病が進行し、肌は
ポールが言い終わると、いつもなら登場人物が出るはずなのに、ーーーの意識が薄れ始めた。
これは彼女の中に入る時の兆候だ。
そんな折にふとポールを見たら、何処からともなく姿見を持ってきて、
まるで、想い人と会う前の若者のように、ーーーの意識が完全に彼女の中に入るまで、彼は几帳面かつ慎重に服装を整え、髭と髪をセットしていた。
----------------------------
因果応報。
って言葉がいつから
うろ覚えだから自信はないけど、たしかそんな感じだったと思う。
「その言葉通りなら、今の私の状態も過去の行いのせい……って、ことになるのかな」
もう二週間くらい前になるかしら。
女将さんが呼んだ医者の診断結果を聴いてから、徐々に私の身体に変化が現れ始めた。
「心底後悔したような女将さんの顔は、初めて見たな……」
現在進行形で私の身体を
この病気の厄介なところは、罹患者が病気を意識すればするほど、進行が速くなるってところ。
初期症状で出る痣を気にしなければ、知らない内に治っちゃうらしいわ。
でも、私の場合は職業がまずかった。
ただでさえ、常日頃から病気を気にしなきゃいけない上に、うちの娼館は他の店に比べて異常なほど厳しい。
それに加えて、女将さんが連れて来た医者が最悪だった。
女将さんが連れて来たくらいだから、確かに名医と呼ばれるくらいの腕はあったんでしょうよ?
でも、それが却って良くなかったみたい。
あのヤブ医者は名医であるが故に、呪いみたいな病気を病気として認めてなかったのよ。
だからあの日、診察を終えるなりあのヤブ医者はあっさりと病名を告げた。
ただの痣だとか言っとけば良いものを、馬鹿正直に魔王の断末魔だと私に告げたの。
とっさに女将さんがヤブ医者を殴り飛ばしたけど、少しばかり遅かったわね。
「だからって気に病んじゃう私も私……かな」
この病気は、先に言ったように気にしなければ悪化しない。
でも、病名を告げられてしまったらそうはいかないのが人の
私は気にしなければ良いのに、忘れてしまえば良かったのに、身体を蝕む病魔に腹を立ててしまった。
私の身体を好き勝手に
その結果が、今のこの状態。
自分が連れて来た医者のせいで私の病状が悪化確定しちゃったのに責任を感じたのか、部屋代も食事代も取らずに置いてくれてるけど、私はベッドから動けないでいる。
ここ4~5日は、食事をするのも
今だって……。
「お姉さま、少しは食べないとお身体が……」
「あなたが食べて。私は……いらないから」
「ですが……」
禿がお粥を食べさせようとしてくれてるけど、身体が受け付けない。
たぶん、口に含んだ途端に吐いちゃうんじゃないかな。
「それと、早く部屋から出なさい。病気がうつっちゃったらどうするの?」
「かまいません! お姉さまにうつされるのなら、私は……!」
まぁ~た、馬鹿なことを言ってるわねこの子。
この病気はうつったりしない。
完全にランダムで、運が悪い奴だけが罹る病気よ。だから空気感染も、粘膜接触による感染もしない。
私は暗に一人にしてくれって言ったんだけど、この子じゃ察っせなかったか。
「なんだ、また残したのかい? クラリス。ずいぶんと贅沢をするようになったじゃないか」
「残したんじゃなくて食べれないの。見りゃあわかんでしょうが」
「そういうことにしといてやるよ。ほら、アンタはそれ片付けて、廊下の掃除でもしてな」
どうやって禿を追い出そうかと考えてたら、タイミングを見計らったように来た女将さんが代わりに追い出してくれた。
もっとも、今度は女将さんが居座っちゃったけど。
「体調は……悪そうだね」
「ええ、完全無欠の絶不調よ。今日なんて、ちょっと
「見ないよ。それよりアンタ、出てく準備をしてるってのは本当かい?」
「誰から聞いた……って、問うまでもないか」
「ああ、あの子から聞いた。アンタがそうなったのは私の責任なんだから、死ぬまでここに居て良いって言ったはずだよ。なのに、どうして……」
「死人が出た部屋なんて、人聞きが悪いだろう? だからさ」
女将さんの目を真っ直ぐ見つめてそう答えたら、唇から血が出るほど強く結んで黙り込んでしまった。
この様子だと、察してくれたかな?
でも、一応言葉にもしておこうかな。
「女将さんに、迷惑をかけたくないんだ。私が曲がりなりにもこの歳まで死なずにすんだのは、女将さんのおかげだからさ」
私がそう言うと、感極まったのか「くっ……」とか言いながら目頭を押さえてそっぽ向いちゃった。
涙腺が弱くなったわね。
ほんの数年前の女将さんなら、「当然だろ?」とか言いながら鼻で笑ってたでしょうに。
「いつ、出ていくつもりなんだい?」
「明日にでも出ていくよ。そろそろ、本当に身動き一つできなくなりそうだから、そうなる前に……ね」
「馬鹿な子だよアンタは。自由になろうと思えばなれたのに、どうしてそうしなかったかねぇ」
そう言い残して、女将さんは部屋から出ていった。
ふむ、たしかに娼館から出ていくことを自由だと言うのなら、私はいつでもそうできた。
でも、女将さんは勘違いしてるわ。
私は好きでここにいたの。
自由にしてきた結果が今なの。
ろくな結果にはならなかったけど、私は不思議と満足してるわ。
痛くて苦しくて、いっそ今すぐ殺せと叫びたいくらい辛いけど、そうしないのも私の自由。
私は今も昔も、自由を謳歌してる。
娼館で飼われてるからって、病に冒されて満足に動けないからって、不自由だと決めつけるのは了見が狭いわ。
そして、次の日の早朝……。
「本当に、行くのかい?」
「昨日、言ったでしょ? それに、私がこうと決めたら譲らない性分だって、女将さんは誰よりも知ってるでしょう?」
「わかっちゃあいるが……」
「あ、そうだ。私が貯めこんでた金はほとんど置いてるから、その子の借金にでも当ててちょうだい」
「そんな! お姉さまが稼いだお金を貰うなんて……!」
「今まで世話をしてくれた礼だと思って、素直に受け取りなさい。いらないなら、女将さんにあげるなり欲しがる奴にばら蒔くなりすれば良い」
そう言っても納得しきれないのか、禿は「嫌だ」と首を横に振った。
さて、困ったわね。
私には二、三日食えれば良いだけの金しか必要ないから、残りは本当にいらないのよねぇ……。
「どうせくれるのなら、お姉さまの名前をください」
「あら、あなたまだ、名前がなかったの?」
禿はコクリと頷いて、物欲しそうな瞳で私を見上げた。
いや、今の今まで気にしなかった私も私だけど、女将さんも名前くらいつけてあげなさいよ。
そんな如何にも「そう言えばつけてなかった」って、考えてそうな顔しなくていいから。
「わかった。あなたは今からクラリスと名乗って良い。ただし、金を受け取るのが条件」
「だから、お金は……」
「あら? あなたは今からクラリスなんでしょう? あの金は、さっきまでクラリスだった私が稼いだ金。クラリスが稼いだ金なんだから、クラリスであるあなたが受け取るのが筋でしょう?」
「それは屁理屈じゃ……」
ええ、屁理屈よ。それが何か?
でも、それで渋々ながらも納得してくれたのか、禿改め新クラリスは「わかりました」と、言ってくれた。
そして私は、女将さんと新しいクラリス。そして、割と仲が良かった娼婦数人に見送られて、娼館を後にした。
「あ、この匂い……。もう焼いてるんだ」
私が趣味のために使うパンを注文してたパン屋から、食欲をそそる香ばしい匂いが漂って来てる。
確か、女将さんに拾われる前もこうだったっけ。
今みたいに痛みはなかったけど、垢まみれの
その時はたしか……。
「なんだ? お前は。ここはお前みたいな汚い奴が来る場所じゃねぇ。とっとと失せろ」
って、一服しに出て来た店主に箒で追いやられたっけ。
ん? いや待って。
これは思い出じゃなくて、現在進行形か。
だって、箒でつつかれたり叩かれたりしてるもの。
「まったく、見た目だけでこうも対応に差が出るかねぇ」
確かに、私の格好はいつもと違う。
黒ずんだ顔と髪がまばらに抜け落ちた頭を隠すために、フード付きのマントを羽織ってる。
でも、汚ないと言われるほどじゃない。
なのにそう言われたってことは、顔を見られちゃったんだろうね。
なら、仕方ないか。
今の私は本当に醜い。
それは自覚があるし、すれ違う人たちの反応からもわかる。
酷い奴なんか「臭い」とか「病気持ちかよ」なんて、聞こえるように言いやがるし。
「結局、私にはここしか行き場はない……か」
人の目から逃れるように私が辿り着いたのは、とある路地裏、その袋小路。
路地裏なんかは、どこもかしこも似たような景色だけど、この袋小路だけは覚えてる。
ここは、私が女将さんに拾われた場所。
飲まず食わずで死にかけてた私が、人生を手に入れた場所。
私が、始まった場所。
そんな場所に、死にかけた私が辿り着くなんて皮肉な話じゃないか。正に、ふりだしに戻るって奴だ。
「って、感慨に浸りながら死のうとしてたってのに、どうしてアンタがいるんだい?」
「女将さんに聞いて来ました。あなたが最後に立ち寄るとしたら、きっとここだろうって」
余計なことを。
このまま、懐かしい壁に背中を預けて寝てしまおうと思ってたのに、もうしばらくは無理になっちゃったじゃないか。
しかも、女将さんが寄越したのはよりにもよって妄想男。
私の最期を看取るのが、異世界から転生してきたとか言った妄想男だなんて、何の嫌がらせだい?
「これを、飲んでください」
「これ……は?」
「これはエリクサー。魔王を倒した際に手に入れた、死者をも
万能の霊薬……ねぇ。
そんな手の平に収まりそうなサイズの小瓶に入った緑色の液体で、私の身体が本当に治るのかい?
それに……。
「苦そう……」
「良薬口に苦し。です。それに、これを飲めばあなたの身体は確実に治る。あなたは、助かるんです」
「それも、アンタが前に言ってた……」
「はい。ナビに、『エリクサーを飲ませて彼女を助けろ』って書いてありました。いつもと違って、命令口調でしたが」
「今、何て言った? 私を助けろって、命令口調で書いてあった?」
「え、ええ、珍しいことですけど、確かに……」
コイツは以前、神様に会って力を貰ったって妄想を垂れ流してたわね。
その話を信じるなら、能力越しでコイツに命じたのは神様なんじゃない?
だとするなら、私は助かる運命にある。
コイツが差し出してるエリクサーとやらを飲んで助かる運命を、神様とやらが定めたって訳だ。
その考えに思い至ったら……。
「くっ……くくく……。あーっはっはっは! こいつは傑作だ!」
「な、何がそんなにおかしいんですか? と言うか、そんなに大声で笑うと身体に障ります」
「これが笑わずにいられるかい。いやぁ、さすがは私の初めての男。最後の最後に、アンタは最高の贈り物をしてくれたよ」
その薬のことじゃないけどね。
だから「じゃ、じゃあさっそく」とか言って飲まそうとするんじゃない。
「あっ! 何を……!」
「悪いけど、こんな物はいらない」
口に近付けられた薬瓶を、私は残った力をほとんど使って、男の右手ごと払いのけた。
薬瓶はバウンドすることもなく、地面に落ちて砕けちゃった。
でも、それで良い。
これで私が死ぬのは確定しちゃったけど、それで良いのよ。
「何を湿気た面してんのさ。アンタは世界を救った勇者様なんだろう? だったら、高が娼婦一人が死ぬからって、そんな泣きそうな面してないで笑いなよ」
「笑えませんよ。確かにボクは世界を救ったけど、あなたを救うことだけは出来なかったんですから」
私を救う?
相変わらず、おかしな事を言う奴ね。
私はアンタに救われなきゃいけないような状況に陥ってないし、救われたいと思ってもいない。
でも、そう言ってやる体力は、もう私には残ってないみたい。
閉じた目蓋を開く力さえ無いわ。
でも、問題ない。
今は、死ぬのが待ち遠しい。
この暗闇の先にいるであろう糞野郎に、一言言ってやれるその時が来るのが、待ち遠しくて仕方ないんだから。
-----------------------------
彼女の意識が、電源が落ちるように途切れると劇場に戻っていた。
と、言うことは、あの瞬間に彼女は……。
「ええ、その短い人生に幕を下ろしました。
その後の事を、少し話しておきましょうか。
彼女が事切れてから、一人、また一人と、勇者に見守られながら壁にもたれて眠る彼女のもとに、彼女の客だった者たちが集まり始めました。
一人がこう言いました。
「この場所を買い取って、彼女の墓にしよう」と。
それを聞いたもう一人が、「なら、墓石がいるな」と言いました。
そして、別の一人が「墓石じゃあ、彼女に相応しくない。私が、魂を込めて在りし日の姿を彫ろう」と。
そうして、彼女が最も美しかった頃を型どったように見事な彫刻が完成しました。
その彫刻のタイトルは『路地裏の聖女』。
これから先何十年、何百年と人々に愛されることとなる、慈愛に満ちた表情で眠る聖女が、完成したのでございます」
彼女の内面を知っている身からすれば、正に見た目だけの聖女だな。
彼女自身も、自分を型どった彫刻がそんな呼ばれ方をしていると知ったら、ハンマーを持って砕きに行きそうだ。
「ええ、そうでしょうとも。
あの彫刻は所詮、彼女の外見のみを形にしただけ。内面なぞ、欠片も再現されていない出来損ない駄作でございます。
彼女は聖女などではない。
見た目が美しいだけの娼婦。
ポールが、それまで見たこともないほど激昂して叫んだ声が、劇場に響き渡った。
ポールは何を怒っている?
彼女に思惑を潰されたからか?
それとも、彼女が聖女と罵られたからか?
「第三者からすれば、彼女は運命に抗うことを諦めたように見えたでしょう。
死を、受け入れたように見えたでしょう。
ですがそれは間違い。
まったくの的外れ。
彼女は運命に抗った。
ポールの激情は、治まるどころか加熱しているようだ。
大仰に手を振り回し、頭を抱え、地団駄すら踏んで、抑え込んでいた感情を解き放っているように見える。
「私は用意した。
彼女が幸せになれる運命を、相手を用意した。
そう!
彼女は幸せになる運命だった!
なのにあの女は、私が用意した全てをはね除けた! 蹴りつけた! 唾すら吐きかけた!
世界を平和に導く運命を背負わせた男を、初めての相手にあてがったのに。
平凡ながらも、温かい家庭を築ける男をあてがったのに。
性格に難はあったが、彼女と相性が良い男をあてがったのに。
性癖以外は、問題ない男をあてがったのに。
全て駄目だった!
勇者とともに行けば、数多の男どもの慰み物にならず、胸踊る冒険の日々が待っていたのに、あの女は拒んだ!
平凡だが温かく幸せな生活を、喧嘩ばかりでも充実した生活を、なに不自由ない生活を、あの女は全て拒んだ!
極めつけはアレだ。
あの女は死を選んだ。
助かる道はいくつも用意した。
彼の世界で最高の名医と出会わせた。
薬に調合しなくとも、食べるだけであの病の予防となる花を与えた。
勇者に万能の霊薬も持たせた。
なのに、何故だ?
何故、あの女は死を選んだ?
人間とは、醜く無様に生にしがみつく哀れな存在ではなかったのか?」
ポールが最後に口にした疑問に答えるように、劇場の扉が荒々しく開かれた。
そこにいたのは、在りし日の彼女。
扉から差し込む光に照らされた彼女は、劇場内を不思議そうに見渡したあと、ポールに視線を固定した。
どうやら、彼が相手だと雰囲気で察したようだ。
そしてコツ……コツ……と、歩を進め始めた彼女の靴音だけが響き始めた。
すると、誰とはなしに、拍手をし始めた。
最初は一人か二人だったのが、彼女がポールに近づくにつれて増えていき、観客席の中程を過ぎた頃には、ポールと彼女以外の全員が手を打ち鳴らして、拍手の花畑が出来上がっていた。
その花畑を悠然と進み、ポールの目の前に彼女が至ると、波が引くように拍手も収まった。
ポールはと言うと、何を言うでもなく、愛おしそうに彼女を見つめていた。
そして、目の前に来た彼女の前に
そんな彼に……。
「ざまぁみろ!」
と、神をひれ伏させ運命に抗った娼婦は、脳の奥まで染み込むような涼やかな声で、高らかに
一応は書き上げることができましたが……書きたかったことの半分も書けてない気がする( ̄▽ ̄;)