第四城壁内には主に中間層が住んでいる。そのロザート地区にある歓楽街はラット地区にあるような危なさな大分薄れていて、よほどの運の悪さで店を選ばなければ人生が終わることはない。金をそこそこ持ち貴族より自由な鼻の下を伸ばした男達が集い帝国でも一二を争うほどの賑やかさを誇っていた。
ガス燈で照らされ幻想的に浮かび上がる石造りの店の前に目元を隠す銀色に輝く狐の仮面を被りタキシードに身を包んだ男がいた。
ガス灯で照らされる看板には「ン・パニカ」と記されている。第四城壁にあっては中~高級店に位置づけされる店で、第三城壁内の上級市民が時々お忍びでやってきたりしているとも噂される。それだけにスキャンダルを嫌う客が仮面をしてくることが多く、店側も了承している。
よって、この男が特別奇異の目で見られることはなく、どこかのお忍び貴族かと陰口される程度である。
狐面の男が店内の扉を開けて中に入る。
「いらっしゃいませ」
細長い廊下で待ち構えていた黒服の男がさっと駆け寄ってくる。
「本日のご用命は?」
「VIPルームを頼む。それと特別な子を指名したいので店長を呼んでくれ」
狐面の男は黒服に注文しながら、チップに銅貨を六枚渡す。
「かしこまりました」
「こちらへどうぞ」
黒服に案内され廊下を進み、突き当たりの扉が開かれた瞬間色と酒と狂態が入り交じった甘い匂いがぶわっと噴き出してきた。
扉を潜れば広い一二階吹き抜けのフロアはお祭りのような賑わいだった。
フロアには多数のボックス席が設置され、仮面の男が若い女を侍らせ酒を飲んでいるかと思えば、その横のボックスでは仮面の女が男に酒を一気飲みさせている。ン・パニカはホストやホステスがキャストとして控えており老若男女誰でも楽しめるようになっている珍しいタイプの店である。更に一階の奥にはステージが設置されていて今日は楽団が演奏をしている。
若い男でも渋い男でも少女から熟女まで煌びやかに着飾ったキャストに、上質の酒に極上のつまみ、ここは金さえあれば楽しめる桃源郷なのだ。
狐面の男は男女の欲望渦巻く一階を通り過ぎ二階へと上がっていく。二階にもテラス型のボックス席がいくつもあるが、それらも通り過ぎ欲望の香りと喧噪から隔離された個室になっているVIPルームに案内された。
黒服がドアを開け中に入ると、高級の部類に入る店らしく内装はこういった店にありがちなケバケバでなくモノトーンにまとめられている。部屋の壁も厚い上に内部に綿などを仕込ませ防音もされており、外の喧噪も響いてこない。
狐面の男は慣れてるのか黒服が案内するまでもなく、奥まったソファーにどかっと座り込む。
「なるべく早く頼む」
「分かりました。それまではこの娘でお楽しみください。
当店期待の新人です」
「ども~よろしくお願いします~」
黒服の影から、赤毛よりは金髪寄りのオレンジ色の髪をパーマにまとめた少女が現れた。
「ファルファちゃんです、よろ~どんどんぱふぱふ~」
馬鹿っぱい挨拶をしながら自分でタンバリンを叩いて盛り上げつつ、ストンと仮面の男の隣に座った。
「どうぞ~お客さんは良く来るんですか~」
手慣れた手つきで狐面の男におしぼりを渡してくる動作で、抜け目なくドレスの開いた胸元を狐面の男に見せつける。
「ああ、お得様の一歩手前ぐらいだ。最近入ったのか」
「はい~ほんの一週間前に入りました」
「どのくらい指名貰ったんだ?」
「いや~それがお茶引いちゃって、まだなんす~。
どうですお客さんファルファちゃんの初めてになりませんか、初初しいっすよ。
それともいっそパトロンになっちゃわない」
ファルファは舌をテヘッと出して上目遣いに見つめる。
「悪いなそこまで甲斐性は無い。その場その場の関係が好きなんだ」
「ありゃま、じゃあその場の関係今夜結びませんか~」
ファルファは逃がすかとばかりに狐面の男の腕に絡み、ぎゅっとその胸の谷間に腕を挟み込む。
「こらこら、営業熱心なのは関心ですが、君はまだ研修期間なのです。店の指示のない営業は慎むように」
いつの間にか初老の老人が来ていた。老人の傍にはウェイターとウェイトレスが控えている。
老人は銀髪をオールバックにまとめ、丸々出た腹をサスペンダーのズボンで支え、清潔な柄シャツにベストを羽織り、ワンポイントに蝶ネクタイを施している。この格好と愛嬌のある笑顔で好々爺といった感じで、この店の店長である。
男の方はブラウンの髪をオールバックにまとめ、仕立てのいいクラシックスーツを身に纏い人懐っこい笑顔を浮かべている。如何にも出来る青年実業家といったオーラが漂う感じのこの店のオーナーである。
「ごめんちゃい。お客さんがいい男だったので、ついついね」
「本日はどうもコロウ様。それでどういった子をお求めでしょうか?」
狐面の男ことコロウはちらっと横にいるファルファを見る。
「新人でもその娘は大丈夫です。心配なら退席させましょうか?」
「まあいい、そこは信じよう。
クラーレを指名したい」
「ほう、気に入りましたか。自信を持って推薦した甲斐がありました。そうですね、彼女の予約状況から・・・」
「今すぐだ。こっちは滾っているんだ我慢できない」
「ご要望を叶えたいのは山々なのですが、彼女は今別のお客様に付いていまして。そうですね、早くても一週間は待って貰わないと」
店長はコロウの無茶に申し訳なさそうに言う。
「長期の拘束はしない。2~3時間だけなのだが抜けられないのか?」
コロウはよほど滾っているのか予約をすっ飛ばしてでも自分を優先しろと言う。我が儘だがこの程度は我が儘のうちに入らないのか店主の表情はぴくりとも動かなかった。
「残念ながら、連絡を付けるだけで今日が終わってしまいます」
「く~まあある意味予想通りだ。幸運に期待したが、まあこんなもんだな。なら、彼女クラスのキャストは空いているか?」
コロウは指名はしたが拘りはしないようで早速代わりは無いかと催促する。いや寧ろ最初の無茶はこれからの交渉の下拵えなのかも知れない。
「残念ながら、彼女クラスのキャストは誰も予約が入っています」
店主はニコニコ営業スマイルを浮かべながらも淡々と事実を告げ、客に無駄な時間と無駄な期待をさせない。
「う~ん」
コロウはソファーに凭れ天を見上げ黙考する。最初に無茶をして引いて見せたので、多少は考慮してくれると思ったがそうは甘く無いようであり、甘くしてくれるほどの客とみられてないとも言える。
「急に動けるとなると、やはりランクは落ちると覚悟してください。
どうします、当店としても心苦しいですが本日はお帰りになりますか? 勿論料金は頂きません」
今ならVIPルームでファルファと遊んだ分が只になってお得な気分で帰れる。だが、コロウはそんなのでは満足しないようで、がばっと起き上がる。
「なら彼女並の心遣いが出来る者。彼女並みの体を持つ者。二人で彼女一人分になるようなキャストは残っているか」
「そうですな~」
店主は目を瞑り額をとんとん叩く。
「ねえ、だったら僕はどうだい」
思案する店主の後ろに控えていたウェイターが話しかけてきた。
コロウは話しかけられて初めて後ろに控えるウェイターに意識を向けた。
ブラウンの髪を清潔にまとめた髪型に、綺麗に剃られた髭、体格もマッチョではないがそれでも程よく筋肉が付いた体つき。少し幼げに見えるそこそこの顔立ちで垂れ目が唯一の特徴の青年だった。
「んっ誰?」
「レストと言います。お見知りおきを」
レストは優雅に一礼した。
「ふ~ん。自ら売り込むとは嫌いじゃないが。お前どっちのタイプ?」
「心遣いなら任せて欲しいな、盛り上げますよ」
「ほう~どうなの彼?」
コロウは男も行けるのか店主に前向きに尋ねた。
「最近南部より流れてきた者でして、まだ何の実績もありません」
「なんで? 能力に問題でも」
「何回か斡旋はいたのですが、うまくまとまりませんで」
店長はトホホっといった感じで恥じ入るように言う。
「だから言っているでしょ僕は頭脳派。口と頭以外は使わないのさ」
レストは悪びれること無く堂々と言い切った。
「使いにくいな。よく雇ったな」
「知人の紹介でして」
「コネか。で、そんなお坊ちゃんがなんで急に労働意欲に目覚めた?」
「いや~お客さんの話だと頭脳労働だけでいいんでしょ。このチャンス物にしとかないと、僕もいい加減クビになりそうで」
口調とは逆にクビになることを全く気にした様子の無い態度だった。
「口はうまい、そして全く悪びれない態度、いい詐欺師だ」
「いやいや、僕詐欺師じゃないって、軍師、軍師」
レストは心外とばかりに先程よりは真剣味を帯びて否定する。
「どっちも人を騙す。似たようなもんだろ。取り敢えず保留だ。
でっ肉体派の方はどうだ?」
「そちらもなかなかめぼしいのは。もう少し要求を絞って貰いませんと」
「あのさ、あんたさっきから要求ばかりだけど、肝心なこと言ってないよ」
自己アピールなのかレストはぐいぐいと二人の会話に入って来る。
「肝心なこと?」
「わざと惚けているのかな。だとすると聞けば逃げ出したくなるような依頼内容なのかな」
「言う前にお前が勝手に名乗り出たんだろが」
「それ言われると辛いな」
「そうですなレストじゃありませんが、急ぎでもここは手順通り依頼内容を聞きましょうか。依頼内容に合った人材なら紹介できるかもしれません」
「クラーレがいれば話が早かったんだがな」
「クラーレさんは依頼内容を聞かないほど親しいの? ならパトロンになれば良かったのに」
「んな金は無いよ。それにクラーレは依頼内容で無く別の条件で仕事を引き受けることになっているんだよ。って益々話が逸れたな。まあいい、端的に言えば、ヴィラの支部に乗り込む」
コロウももう面倒臭いとばかりに気取った隠語遊びは辞めてストレートに言う。
「ひゅう~、じゃあこの店の腕っ節端から雇って殴り込み。うちは商売繁盛だ」
レストがおどける横で、ここで初めて一瞬だが店主の営業スマイルが崩れたのをコロウは見逃さなかった。
「全面対決する気は無い」
コロウは店主の懸念を取り除くように言う。
「なんで~力は見せ付けた方がいいじゃん、圧倒的なほど宣伝効果高いよ」
「一支部が潰れたぐらいで引く相手か。一つ潰せば、仕返しに倍が来る。それを返り討ちにしたら更に倍。そんな不毛な争いをしているほど暇じゃ無いんだよ」
「潰せることを否定しないとこが痺れるね。
まっつまり乗り込みはするが、スケープゴートはちゃんと用意すると。
それってもしかして僕ら?」
店主の圧力が高まったのをコロウは感じた。
「共存共栄。俺とお前達ならウィンウィンの関係でやっていけるだろ。ちゃんとスケープゴートは別に用意している」
「ふ~ん、どんな絵図を書く気なのか知らないけど面白そうだ」
「成功するかどうかは、お前達が如何にいいキャストを回してくれるかに掛かっている」
「へいへい肝に銘じます」
「ストレートに行くぞ。肉体派の方はラット地区にあるヴィラの支部に乗り込む際のサポートをメインで頼みたい」
もう予想は付いていると思うが、ここはクラブに偽装した闇ギルドである。表のギルドでは受けられない全うでない仕事の依頼を引き受け、それに見合った人材を派遣する人材派遣会社である。
個人的な復讐から商売敵との抗争、店主さえ了解すればマフィアへの殴り込みにだって人材を派遣する。また雇用関係はその仕事限りで終わるが、店に移籍金さえ払えば気に入ったキャストを自分の専属部下にすることも出来る。
「っとなると単純な戦闘力を求めているわけではないのですね。まあクラーレを指名して時点でだいたい察してましたが」
「そうだ。ファイターでなくセグレートがいい」
ファイターは何より戦闘力が求められるクラスであるのに対し、セグレートは戦闘力こそファイターに劣るものの護衛・鍵開け・隠密・尾行などの能力を備えているクラスである。もっともクラス分けなんて所詮便宜上のもので、ファイターが尾行してはいけないことはないし、セグレートがファイターに戦闘で勝てないというわけではない。
「でも、あそこのトップのガイフは怪力から繰り出すモーニングスターの使い手で、噂ではマスタークラスの腕前を持っているらしいけど。ファイターで無くて大丈夫?」
一流のセグレートなら分からないが、一般的なセグレートではマスタークラスの戦闘力には勝てない。
「そんな奴がマフィアをやっているのか」
「何でも軍で問題起こして脱走したらしい」
ここは情報の信憑性強いては自分の価値を高めるため惜しみなくネタ晴らししていく。
「ちっ脱走者は死刑だろうに、軍もキッチリ仕事しろよな」
コロウは苛立つように言う。
「どうもう一人ファイター雇うのを勧めるけど?」
レストは早くも軍師気取りなのか進言する。
「まあいい。何も正面切って戦うわけじゃない、遣りようは幾らでもあるだろ」
更に雇う金が無いのかコロウはレスト進言をやんわりと却下した。
だが、この台詞からコロウにはマスタークラスに勝てないまでもかなりの実力があると窺うことが出来る。そうでなければマスタークラスから逃げることすらできない。
それが覗えただけで満足なのかレストはそれ以上は言わなかった。
「なら、私の後ろに控えるセミューはどうですか?」
店長が後ろに我関せずで彫像のように突っ立っていたウェイトレスに突然話を振った。
セミューはグレーの柔らかそうな髪をショートカットをした少女で、少し垂れ目な目と対照的に体の方は出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるグラマーな体型をしている。
「ちょっと、私はキャストじゃなくてスタッフなんですけど」
キャストはこの店に登録しているが店とは直接雇用関係にはない派遣用人材。スタッフはこの店自体を守る為、一癖も二癖もあるキャストをまとめるため店が直接雇った人材で普通は派遣されない。
そのルールからすればセミューの抗議も尤もである。
「キャストに問題があったときにサポートするのがスタッフの役目ですよ」
「そこまでサービスする必要ある?」
セミューはコロウが生理的に嫌いなのか露骨に嫌悪感を丸出しにして言う。
「ヴィラに関しては私も関心があるのですよ。いい機会ですヴィラの内情を探ってきてください。
それにうっかり信用してスケープゴートにされても困りますしね」
「監視って訳~。人使いが荒いこと」
「監視でも何でもいいが、その女役に立つのか?」
コロウはいきなりコップをセミューに投げつけた。
躱すセミュー、その隙を縫ってコロウは矢のように放たれる飛び蹴りを放つ。無駄のない実戦で鍛えられた綺麗な蹴り。真っ直ぐ伸びた足の先はセミューの鳩尾に真っ直ぐ伸びていく。このまま喰らっても失神間違いなしだが、いやらしいことに靴の先からは刃物が飛び出している。喰らえば直死。
「こんな子供騙し」
セミューは背を反らし続けて躱し、ブリッジをすると同時に足をコロウに向かって跳ね上げる。
「軽い」
コロウは肘で蹴りを受ける。
「あらそう」
セミューは受けられた足を直ぐさま折り畳み倒立から体を回転させて追撃の蹴りを放つ。
「だから軽いんだよ」
コロウは追撃の蹴りを受けるに任せそのままセミューに突進していく。捕まえれば両腕で立っている状態のセミューなど如何様にも料理できると力に頼った戦略。
「汚い男に抱きつかれるなんて冗談じゃない」
セミューは今度は両足を素早く畳むと同時に転がって間合いを取る。
「なるほど使えるな」
コロウはここであっさり自分に捕まるようなら身の程を教えてやるつもりだったが、多少は使えると判断して構えを解いて服装の乱れを直しだした。
「試したつもり? 初撃避けなかったら死んでたわよ」
「先に客に向かって殺気を放ったのはお前の方だ」
「減らず口を本当にここで殺してあげましょうか」
立ち上がったセミューの両手にはいつの間にかダガーが握られていた。
「辞めろセミュー。コロウ様、合格と言うことでいいのですな」
「ああ、悪いが時間が無い、このまま直接連れて行きたいのだが」
「それはご勘弁を。直ぐ向かわせますので外で待ち合わせてください」
「分かったが、外でこの格好は恥ずかしいぞ」
「仮面外せばいいじゃん」
「ちっ今回はこっちが無理を言っているしな。店主が進める人材を信用しよう。本当はいまいち信用できないんだが、コネとスタッフだしな」
コロウは仮面を外し、仮面の下からシチハの顔が表れた。
コロウとはシチハがフォックスの活動をサポートする為に作り上げた青年実業家であり、貿易商ということになっている。商売はフォックスとして稼いだ資金を廻しているのでそこそこ上手くいっているように見えている。
「ここから2ブロック離れた噴水の前で待っている」
「ご利用ありがとうございました」
店主は深々とシチハに頭を下げるのであった。