裏路地をくねくね曲がり走り、大分離れたところで足を緩めた。
ヴィラの支部からだいぶ離れている。ここまでくればひと息つけるだろう。
「ふう」
「部下を置いて逃走とは見下げ果てた奴だな」
ヴァドネーレが背後から近寄ってくる。
まっ気配は感じていた。本当は振り切ってやりたかったのだが、思った以上に疲労していて出来なかった。
勇者への変身、今後はこの点も留意しておかないと足元を掬われるな。
「あの絶好の機会を逃すようなマヌケはいらないんだよ。それに俺の部下になった積りはないんだろ」
中性的なハンサムで如何にもヴィザナミの貴族らしく無駄にプライドが高そうだ。絶対に怪盗でありアルヴァディーレ人である俺に従うとは思えない。
「口だけは達者だな」
「口だけじゃ無いぜ。
腕も頭も切れ者よ」
「ヴィラのアジトに殴り込みを掛けるような奴が頭まもとだとは思えないがな」
こう返したか、牢屋での様子から初心なお坊ちゃんかと思ったが。
「小利口じゃ何も守れないさ」
「ああ、そうだな」
俺の言葉に反論するかと思っていたヴァドネーレは妙に納得したような顔をした。
「それよりも今は合流が優先だ、こっちだ」
ヴァドネーレはスタスタと歩いて行く。何か流れ的に付いていくのが当たり前になっているが、ここでターンして逃げてやっても面白いかもな。
「何をしている早くしろ」
「へいへい」
まっ今は素直に従っておくか。
向かった先は、建物に囲まれぽっかりと空いた空き地。地面は剥き出しで草が茂っている。まあこんな空白地、ラット地区にはよくある。
シーレが少し離れたところで寝ている見えた。
胸も上下して生きてるし、無事逃げられたことが確認できて少し刺さっていた心の棘が抜けた。気分スッキリ、帰って気持ちよく眠れるなと思っていると、ヴァドネーレ他3人がこっちに寄ってきた。
それにしても本当に俺の部下になる気なのか? まあチャンスはやった。なのに逃げなかったということはそういうことなのだろう。
復習のためなら悪魔とでも手を組む心情が理解できない俺ではない。
見ればヴァドネーレが引き連れる三人ともそれぞれタイプが違う魅力がある女性達だ。大貴族のお坊ちゃんで中性的ハンサムで隊長で美人を引き連れているとなれば、ヴァドネーレを罠にかけたとこの嫉妬も理解できなくはない。
シーレは加虐心をどことなくくすぐられるし、ヴァドネーレのような雌豹のような女は屈服させたくなる。特にあの引き締まった太股からくいっと上がった臀部に続くラインが素晴らしく。ほら今にも躍動しそうに引き締まっている。
美人に目が行っている俺の眼前を閃光が走った。
「躱したか」
剣を振り抜いたヴァドネーレは残心と取りつつ俺に構え直す。
「何のつもりだ?」
一歩引くのが遅かったら唐竹割りにされていた。
「情けだ。叶わない妄想を描いたまま安らかに眠らせてやろうとしたのだがな」
「契約は破棄か」
「当たり前だ。誰が怪盗、ましてアルヴァディーレ人などに従うか。
私は誇り高きヴィザナミの貴族だぞ」
言ってくれたな、俺なら兎も角アルヴァディーレ全てを貶すか。
一途なシーレが慕うので期待はしたが、所詮此奴も高いプライドと偏見に凝り固まったヴィザナミ人にすぎないということか。
「そうかい。ただ一点腑に落ちないんだが聞いてもいいか?」
「何だ?」
「だったら何でそのまま逃げなかった?」
風上はどっちだ。太陽は? 俺は会話しつつさり気なくこれらの位置を確認していく。
「借りは返しておくのが主義なんでな。
だがこれで借貸なし。薄汚いアルヴァディーレ人が一時とはいえ私を自由にできると思っただけで万死に値する」
助けてやったのに蛇蝎の如く嫌われてるな。
「命を助けてそこまで嫌われれば上等。お前等5人遠慮無く殺してやるよ」
「勘違いするな。お前を切るのは私だ。
お前達、此奴の退路を塞げ」
「「「はい」」」
流石元同じ隊、ヴァドネーレの声で一斉に包囲しようと動こうとした女達がその場に倒れ込んだ。
「なにが。くっ」
驚いたヴァドネーレも次の瞬間には膝を着いた、身をもって理由を知っただろ。
他の3人はとっくに地に伏して呼吸するのがやっとのご様子なのに、ヴァドネーレはまだ片膝着くだけで踏ん張っている。
「どういうことだ」
「所詮貴族のお坊ちゃんだな。よーいどんじゃ勝負は始まらないぜ」
長々とか言わしている間に巧みに風上に移動し、粉末状の毒を長々と話している間に風に紛れて流してやった。
「毒とは。卑怯な」
「恩を仇で返すよりましだろ」
一体多数の雑魚狩りこそ俺の本領よ。この毒に殺傷能力は無いからな、このまま弱り切るのを待って止めを刺す。
「くそっ」
ヴァドネーレは膝にナイフを刺した。
「俺は負けない。アレーナ流奥義・・・」
立ち上がったヴァドネーレが剣を構えるより早く俺は手裏剣を投げつけた。
「くっ」
数個は剣で弾き返し、弾きそびれたのは躱す。流石隊長を務めるだけのことはある剣技はマスタークラスには届かないようだが一流の域には達している。
だが所詮マスタークラスに届かない程度とも言える。
「がっ」
躱したはずの手裏剣が背中に当たってヴァドネーレの顔が歪んだ。これぞブーメラン手裏剣、躱された手裏剣は大きく弧を描いて帰ってくる。ヴァドネーレは背後からの思いも寄らない攻撃を食らって、痛みより背後に敵がいるのかと動揺が走り、意識が背後に分散する。その隙を逃す甘さは無い。
「今だ」
残りの手裏剣全てを一斉に放つ。小細工は無しスピードと威力重視、真っ直ぐ無数の手裏剣がヴァドネーレに迫っていく。
注意が分散したヴァドネーレだったが、腐っても一流剣士と言ったところか直撃だけは避けたようで、突き刺さった手裏剣だけは無かった。それでも服は切り裂かれ晒された素肌に朱線が走るまではまだいいが、乳房が片方晒される醜態を晒している。
乳房!?
えっ女だったの?
タブタブの服を着ていたし顔もハンサムなので分からなかった。
ヴァドネーレは顔が赤くなり晒された乳房を隠す。
俺はヴァドネーレが女であることに驚いて胸に見惚れて絶好の機会を逸した。しょうがないじゃん俺だって男なんだから。解脱した仙人じゃないだぜ。
だがまあ焦ることはない。勝敗は決した。
毒、出血、もう時間は俺に味方している。ぬらりくらりとしているだけで勝手に倒れてくれるだろう。これこそが俺の真骨頂。千の手を持ち相手を幻惑する、ファントムマスターの妙技は決して相手に噛み合わせない。
はずだったのだが、相手もそこまで甘くなかったようだ。
「姑息は手は終わりか? 次はこちらの番だ」
ヴァドネーレは覚悟を決め胸を隠していた腕を外して剣を両手で持つ。
「すう~はあーー、はっ」
呼吸法で毒を排除できるのか?
大きく呼吸をするとヴァドネーレは一気に俺に迫った。長期戦は不利と悟って今この一瞬に全てをぶつける気だ。
瞬き一つで目の前に迫ったヴァドネーレの大上段からの轟音の横殴りの剣が迫る。
ここさえ凌げば俺の勝ちだ。俺は落ち着いて左手を振り払い袖下に仕込んだ剣で受ける。
金属音と共に剣が砕けた。
だが剣の軌道は逸れた、凌いだ俺の勝ちだと思う俺の目の前でヴァドネーレが振り払った剣の勢いのままに回転する。
背筋が盛り上がったヴァドネーレの背中が見えたと思った次の瞬間には横殴りの剣が再度襲いかかってくる。
「ちいっ」
焦り気味の俺は右手を振り払い仕込み剣で再度迎撃する。
キンと鈴音のような音が響き剣が切り裂かれた。
剣が切り裂かれた!? 何てスピードと力が乗った剣なんだ。
背筋が凍る思いがしたが、今度こそ凌ぎきった。間合いを取ろうとする俺の目の前で最後ヴァドネーレの背中が見えた。
まだ続くのかっ!?
次の瞬間にはくるっと回って更に遠心力が乗って威力が増した斬撃が来る。喰らえば俺の胴など両断されるだろう。
どうする?
仕込み剣はもう無い。腕一本犠牲にするか?
駄目だ剣が切り裂かれたんだ、腕一本如きで止まる気がしない。
どうする?
どうする?
どうする?
人生七転八倒。大ボスを倒して助けた女に窮地に追い込まれる。
なら九起に賭けるしかあるまい。
覚悟を決めた俺は間合いを取るのではなく逆にヴァドネーレ目掛けて飛び込んだ。
自棄じゃ無い。基本に立ち返ったまで。無手で剣に勝つ秘訣、剣の間合いを潜り抜け拳の間合いに持ち込むこと。
何のことは無いいつも俺がやっていることよ。
間に合えば命を繋ぎ、間に合わなければ両断される。半丁博打の確率なら悪くないだろ。
くるっとヴァドネーレの体がこちらに向き剣がまだ身体の後ろに残っているこの僅かな隙、剣が繰り出されるのが先俺が間合いに踏み込むのが先か。
次の瞬間。
俺はヴァドネーレに抱き着いていた。
「なっ」
間一髪で剣の間合いの内側に飛び込めたが、如何せん窮地にて焦り過ぎた。そこで止まることが出来ず俺はより近い拳の間合いに滑り込み、そのままのいきおいでヴァドネーレの胸に飛び込んでいたのだ。
ヴァドネーレの晒された胸がむにゅっと俺の顔に押し潰される。
「なっなにをする」
顔を上げれば息が触れ合うほどに接近した顔と顔、仄かにヴァドネーレの顔が赤くなっているがここで見つめ合うような展開は無い。止まれない俺はヴァドネーレが体勢を戻すより早くヴァドネーレの両腕を挟み込みながら彼女の背中でロックした。
見ようによっては恋人同士の熱い抱擁にも見える。
まあ熱いか、互いに相手への殺意を滾らせているんだからな、下手な恋より熱いぜ。
「この程度」
相手がか弱い少女とかならこのまま骨を砕き抱き潰すことも可能かも知れないが、当然相手はどんなひ弱な存在じゃ無い。もう少し下の方腰でロックできていれば、鯖折りに持ち込めて技で相手の腰を折れたが、剣を持った腕を自由にしたくなかったので背中で拘束。剣は封じられたが、ベアハッグという技というか力押しの技になった。このままじゃ互いにただ時間が過ぎていくだけ。
だがその無為に過ぎる時間こそ俺の味方、これこそ俺の理想の型。毒に犯され、手裏剣での出血、ヴァドネーレは姑息と言ったが、こういったダメージの詰み重ねがヴァドネーレの技の切れを僅かに鈍らせ、結果俺を懐に飛び込ませた。万全の状態だったら俺は両断されていた可能性が高い。尤も試合じゃ無いんだ、万全な状態こそあり得ないがな。
ヴァドネーレも両腕に力を込めて俺の拘束を振り解こうとするが、単純な力では男の俺が有利振りほどかれはしない。
「すうはあーすうはあー」
いきなり、この状況下ヴァドネーレが呼吸を整え出す。何だと?と思ったが、毒に犯され青白かった顔に赤みが戻りだし出血は止まっていく。そしてみるみるその腕の力が増して俺の手のロックが振りほどかれそうになる。
まずい此奴特殊な呼吸法を心得ていやがる、さっきの爆発力もこれか。俺の持つ技の一つ息吹に似ている。静止した時間は俺だけに有利じゃ無かった。単純な力の有利が覆されそうになる。
どうするこのまま振りほどかれたら、振り出しに戻る。いや毒がなくなり剣が無くなった分俺が若干不利。
何とかヴァドネーレの呼吸を乱さないと。
呼吸で強くなる。なら呼吸を乱せばいい。呼吸は口でする。
俺はキスをした。