※この作品はR-18です。

夢の隙間   作:伊駒辰葉

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前の続きです。


校舎の屋上で月見 2

 そこでようやく気付く。智美はあっ、と声を上げて口許を押さえた。吉良研究所は実力のある研究機関だが、木村財閥には属していない。所属は吉良瀬財閥の筈だ。智美はつい調子に乗って要らぬことを口にしてしまったことに気付き、真っ青になった。

 

 自分のことがばれてしまった。智美は蒼白になったまま、小さく震え始めた。何というミスだろう。減俸どころでは済まない失態だ。絵美佳の様子を見ることも忘れ、智美は激しく混乱していた。主人にどう報告すればいいのだろう。いや、報告など到底、出来ない。もしも素直に報告すれば瞬時に首が飛ぶことは間違いなしだ。智美は順の意図も知らず、真剣に悩んだ。

 

 ふと肩が暖かくなる。見ると絵美佳が苦笑しながら智美の肩を叩いていた。

 

「まあ、そんなに気にしなくてもいいんじゃないの」

 

 だが先に考え込んでしまったのは絵美佳の方だ。智美は慰められても気が気ではなかった。だがふと気付く。確かに木村側の人間ということはばれたかも知れないが、諜報員だということは言っていない。智美はほっと息をついて肩に入っていた力を抜いた。

 

「そ、そうですよね。別に大したことじゃないですしね」

 

 言いながら智美は自分が何を言っているかを判っていなかった。とにかくこの場をごまかせればいい。そう思っていた。運良く、絵美佳はさほど木村の話に興味は覚えなかったようだ。それ以上、智美に訊くこともない。

 

 だからこの時、智美は考えなかった。絵美佳が様々な方法を駆使してコンピュータで情報を探ることが出来るという可能性を。このことは後に問題になるのだが、この時の智美には全くそのことに気付けなかった。

 

 ぼんやりと空を見上げる。智美の横で絵美佳もゆっくりと顔を上げた。二人してしばらく無言で月を眺める。少し欠けた月から送られてくる淡い光を浴びながら、二人はどちらからも口を開かなかった。ただ、静かに天を見上げる。時間の流れすらゆっくり変化した気分になってくる。

 

 ふと、何かが月を隠す。雲かな、と智美が呟いた瞬間、緩やかな風が背後から吹いてきた。思わず振り返る。いつの間にか見知らぬ青年が背後に立っていた。智美は思わず小さな悲鳴を上げた。だが対照的に絵美佳は訝るような眼差しになってため息をついている。

 

「いい晩ですね。お二人でお月見ですか?」

 

 微笑みながら青年がそう告げる。優しい面立ちの青年だ。智美は隣の絵美佳と青年を見比べた。絵美佳は自分ほどは驚いていないらしい。そのことを知り、智美は口許に当てていた手をゆっくりと下ろした。青年と絵美佳は知り合いなのだろうか。

 

「今日はなに? 言っておくけれど、今度はごまかされないわよ」

 

 挑戦的に青年を見上げ、絵美佳は鼻で笑った。青年はゆっくりと二人の許へ歩いてくる。月明かりに照らされた青年は何故か現実離れした存在に見える。智美は自然と自分の腕を抱きしめた。奇妙な圧迫感がある。そんな筈はないのに、と智美は心の中で呟いた。

 

 青年が足を止める。二人の真正面に立った青年はふわりと笑って首を傾げた。

 

「今日は失せ物を届けたことを報せに来ただけです。心配しなくてもすぐに去りますから」

 

 青年は二人を交互に見やりながらそう言った。そして踵を返して歩き出してしまう。智美は不安に満ちた眼差しで青年の背中を見つめていた。絵美佳が慌てたように声を上げて駆け出す。青年に追いついて何事かを喚いている。だが智美の耳には二人の会話は届かなかった。

 

 奇妙な違和感。圧力。得体の知れない感覚。感じている全てのことに覚えがある気がする。智美は眉間に皺を寄せて目を閉じた。自分の身体を強く抱きしめる。そうしなければ自分自身が消えてなくなってしまいそうだった。

 

 この世のものとは思えないほどに綺麗な微笑みだった。青年のことを思い出して智美は心の中でそう呟いた。整った面立ちに浮かんだ微笑みは、だが智美にとっては冷ややかに見えた。何よりも冷たい、感情のない表情。どうしてそう思うのかは自分でもわからない。不安や恐怖を感じるような表情ではないと思うのに、心の底には意志とは全く別の感情が生まれている。

 

 気付くと絵美佳がこちらに戻ってくる最中だった。何か文句を言っている。見ると青年の姿はもうなかった。

 

「あ、あの。あの人は」

「さあ。あたしもよく知らないわ」

 

 絵美佳は軽く肩を竦めて智美の隣に腰を下ろした。どうやら青年は絵美佳の喚き声を振り切って去ってしまったらしい。智美はそっと胸をなで下ろして息をついた。さっきまでの奇妙な感覚がゆっくりと消えていく。

 

 結局、二人はその後にさっさと引き上げることにした。興ざめしたこともあるが、何より智美が屋上にいることが急に怖くなったからだ。懸命に訴える智美に苦笑しつつ、絵美佳も月見をお開きにすることに同意してくれた。

 

 研究室の仮眠室は広い。二人分の布団を並べて敷き、智美たちは横になった。明日もまた授業がある。早々に寝息を立て始めた絵美佳の横で、智美はしばらく寝付けないままでいた。授業中に眠れば教師に注意される。そうなればクラスで注目されてしまう。それだけは駄目だ、と思うのに眠れない。だが布団の上で寝返りを繰り返しているうちに、智美にも睡魔が訪れた。




思わせぶりにふらっと登場する誰かですー(棒
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