エロシーンはありません。
その日の遅くに絵美佳は部室に現れた。一人で待っていた智美は顔を輝かせて絵美佳を出迎えた。
「お帰りなさい、部長!」
絵美佳は智美に微笑を浮かべ、黙って頷いた。智美はふと訝りに眉を寄せた。何だか絵美佳はとても疲れているように見える。何があったのだろう。そう言えば絵美佳が黙って部活動を休むことなどこれまで一度もなかったという。他の部員たちが言っていたことを思い出し、智美は内心で首を傾げた。それに絵美佳はいつもより喋らない。智美が話し掛けても生返事をしている。
疲れきった様子の絵美佳に智美は酷く戸惑った。もしかしたら自分が何か余計な真似でもしただろうか。そう考えると思い当たる節は山のようにある。報告書の件はもちろんだが、他にも様々などじを踏んでいるのだ。智美は数々の失敗を思い出すに従って落ち込んでいった。
だが絵美佳は一言も智美を責めなかった。落ち込んでいる智美を慰めてもくれた。智美が勝手にそう思い込んでいるだけだと優しい言葉もかけてくれる。それでも絵美佳からは疲れた気配が消えない。
「そうだ。部長、おなかがすきませんか?」
智美はぐったりと椅子に座り込んでいた絵美佳に明るく声をかけた。そういえば、と絵美佳が腹に手をあてがう。智美はにっこりと笑って絵美佳の手を取った。
今日の料理は頑張って作ったんですよ。智美はそう言いながら絵美佳を引き起こした。絵美佳が苦笑して智美の頭を撫でる。智美は嬉しさに顔をほころばせた。絵美佳は確かに疲れているようだが、それは智美が原因ではないのだ。だが早く元気になって欲しいと思うことには変わりない。智美はそう納得して絵美佳の手を引いて食堂に向かった。
今日のメニューはハンバーググラタンだ。ちゃんとブラウンソースから作ってある。智美はオーブンで焼く間、はらはらしながら硝子窓を何度も覗き込んだ。その度に絵美佳がくすくすと笑う。
向き合って食べた夕食はとても美味しかった。智美は我ながらいい出来だと思いますと真剣な顔で絵美佳に訴えた。絵美佳もその意見には同意してくれた。
誰かと食事をする。そんな簡単なことさえ今まで殆どなかったのだと、智美はこの時に気付いた。諜報活動中に下手に人と親しくなると大変なことになるから、と出来るだけ他人と関わらないようにしてきたのだ。なのに今はもう、絵美佳がいないと寂しいとまで思うようになっている。これがいいことなのか悪いことなのかは判らない。けれど今の智美にとって絵美佳のいない生活は考えられなかった。
ああ、だから。智美は食後の茶を飲みながら胸の内で呟いた。こうなることを何となく判っていたから、自分は誰とも親しくならなかったのか。そう納得する。でなければ病的なまでに他人を避けなかっただろう。そして一度、こうして人と触れ合えば離れ辛くなる。そのことを心のどこかで理解していたからこそ、智美は友達を一人も作らずに諜報活動に熱中していたのだ。
主人より大切なものを見つけないために。智美は小さく笑ってティカップを置いた。絵美佳は黙ってそんな智美を見つめている。
全部、話そう。科学部に入った理由も、部員の情報を外に流してしまったことも。絵美佳はきっとそんな自分を軽蔑するだろう。だが嘘を吐いたままで唐突に別れの日がくることの方が辛い。智美はそう決心して絵美佳に向き直った。
「あの、部長。実はお話があるんです」
決意して向き直った智美に絵美佳は僅かだけ笑った。そして目を閉じる。智美は口許まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。次に目を開いた絵美佳の顔からは笑みが綺麗に消え去っていた。
「奇遇ね。あたしも話があるのよ」
そう言って立ち上がる。智美は訳が判らないままで絵美佳に従って食堂を出た。向かったのは北側にある研究室だ。奥にあるその部屋は今は殆ど使っていないと言われている。別に深い理由がある訳ではない。研究室の数と部員の数、それに実際に研究されているものの数と比べた結果、使用しない部屋があるというだけのことだ。だが今日の智美は、廊下を進んで奥に向かっていくに従って奇妙な違和感を覚えていた。掃除に入る時はなんともないのに。智美は自然とそう呟いていた。だが先を行く絵美佳は振り返りもしない。智美は何となく寂しい気分を味わいながら廊下を進んだ。
研究室は真っ暗だった。廊下の明るさに目が慣れていたために、智美は思った以上の暗さに何度も瞬きを繰り返した。背後で扉が閉まる。すると僅かな間、完全な闇が視界を覆った。やがて仄かな明かりが見えてくる。青白い光が部屋の中央にある。智美は自然とその明かりに向かって歩き出した。
そして息を飲む。発光しているのは人だ。簡素なベッドに横たわるその人物を見止め、智美は慌てて顔を上げた。するといつの間にか近づいてきていた絵美佳と目が合う。絵美佳はベッドを挟んで智美の真正面に立っていた。
青白い光に包まれた多輝を見下ろす。智美は無意識の内に震えていた。多輝が人ではないことはもう聞いた。だが実際に目の当たりにして初めて判る恐怖もあるのだと、智美はこの時に知った。得体の知れない恐れが身体の底から湧いてくる。智美は震えながら絵美佳を見た。絵美佳は光に照らされながら静かに多輝を見つめている。
ちょっとまだブレてんなあ(独り言です