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薄闇の中を果穂は静かに歩いていた。久しぶりに外の世界を味わっている。そのことが果穂を必要以上に落ち着かなくさせていた。隣を進むなめくじのこともある。人気のない道を選んだつもりだが、もしかしたら誰かに見咎められるかも知れない。そのこともあり、果穂はいつもより気を張っていた。
明峰女学園からしばらくの間は家の車を使った。不本意ではあったが、何しろ目的の場所まではとても遠い。幼い子供ほどの身体しかない果穂にとって、その距離を歩くことは不可能だった。それになめくじも一緒なのだ。まさか一緒に新幹線や飛行機を利用することも出来ない。
だが果穂は目的の場所まで車で乗りつける気はなかった。両親に頼んで車はすぐに出してもらえたが、行き先を知られるのはごめんだ。結局、果穂は目的地から少し離れたところで車を降りたのだ。運転手は不服そうな顔をしていたが、引き止める声はなかった。両親もそれほど果穂に執着していないのだろう。判ればいい程度の命令しかしていなかったのだ。
いちおう、なめぞうにもへんそうさせてるし。果穂は小さく呟いてちらりと横を見た。大きな布を被ったなめくじはじわじわと前進している。それでも普通のなめくじよりはよほど早く移動しているのだ。果穂はなめくじの横をゆっくりと歩いていた。
夕日が沈んでしまい、やがて空に星が瞬き始める。果穂は出来るだけ急いで目的の場所へと向かった。もう少しでたどり着く。だがその前に果穂たちは人の目の中を通らなければならなかった。果穂は一度立ち止まり、なめくじを覆う布をきちんとかけ直した。一キロほど先に目指す清陵高校がある。
道行く人たちの奇異な目を受けていることを知りつつ、果穂は知らん顔で先を急いだ。なめくじもなめくじなりに必死でついてくる。もう少ししたら校門だ。その中に入ってしまえば何とでもなる。少なくとも近隣の人々の注目は集めなくてもいい。そう思いながら果穂はなだらかな坂道を上っていった。
校門は閉ざされている。果穂は周囲を見回して人がいないことを確認した。なめくじに断り足をかけ、門をよじ登る。果穂が校門に入ったところで今度はなめくじがのそりと動いた。果穂はなめくじを覆っていた布を門の間から手を伸ばして取り去った。なめくじはゆっくりと門の隙間に触手を運び、身体を伸縮させながら門をくぐる。明日の朝、門を開けた誰かが得体の知れない粘液に驚くかも知れない。果穂は何となくそう思いながらなめくじの動きを見守っていた。
校舎は静まり返っている。生徒や教師たちは帰宅した後だろう。僅かな人数は残っているかも知れないが、校舎の陰を歩けば見つかりにくい。果穂は慎重に歩を進めた。なめくじは果穂の命令に従い、校舎の壁を這っている。この方が校舎内にいる誰かの目にはつきにくい。
やがて果穂は校舎から離れた場所で足を止めた。なめくじも壁に張り付いたまま動きを止める。果穂は白衣のポケットに手を入れ、携帯電話を取り出した。通常の方法では地下施設に入れないことは調査済みだ。全くの部外者である果穂には、地下施設の正確な場所を把握するのが精一杯だった。入り方までは調査していないのだ。
だが果穂は既に優一郎の電話番号を入手している。迷うことなく果穂は優一郎のナンバーを表示させた。ボタンを押して電話機を耳に押し当てる。ほどなくコール音が聞こえてきた。
コールは三回で途切れた。静かな優一郎の声が返事する。果穂は小さな声で名乗った。
『こんにちは、果穂さん』
優一郎の声は前に聞いた時のものより少し沈んで聞こえる。果穂は訝りに眉を寄せつつ、挨拶を返した。
「ちょっとはなしがあるの。いれてもらえない?」
そう言ってから果穂は自分たちがどこにいるのかを説明した。電話の向こうで優一郎が微かに息を飲む。なめくじと一緒だというところに驚愕したらしい。だが果穂は優一郎の動揺を無視して話を続けた。
「わたしはまえにたきをてつだったわ。こんどはあなたがてをかしてくれるばんよね?」
『とりあえず。直接会って、詳しい話を伺いましょう』
穏やかに優一郎は告げ、通話は切れた。これで入り口に案内してくれるだろう。果穂は息をついて電話を納めた。なめくじに手招きをする。するとなめくじはのそりと動き、校舎の壁から降りてくる。果穂は息を潜めて迎えを待った。
しばらくして人影が現れた。果穂は苦笑してその人影に手を挙げた。見慣れた保美の姿が目に映る。
「ねえさま、げんきだった?」
「ええ。あなたも元気そうで何よりよ。さあ、いらっしゃい」
メイド服がよく似合う。果穂は保美と並んで歩きながらそう告げた。保美は穏やかに微笑んでいる。昔に比べれば随分と保美の印象は違う。前はもっと病弱そうだった。今はとても元気そうで、それに幸せそうだ。きっと機体を気に入っているのだろう。そのことが果穂にもよくわかった。
初めて入る地下施設は奇妙な造りをしていた。入り口がまずとても判りにくい。誰も講堂のそばにあるごみ箱が入り口になっているなどとは気付かないだろう。そして狭くなだらかなスロープを抜けると一気に空間が開ける。薄暗かった明かりが一気に光度を増し、まるで地上のような明るさになる。
「よっ。久しぶり」
二人を出迎えたのはカレンだった。果穂はぱっと顔を輝かせてカレンに一直線に走り寄った。勢いをつけたままカレンの胸に飛びつく。カレンも両腕を広げて果穂を抱きとめた。
「かれんっ。あいたかったようっ」
果穂は思う存分にカレンの胸に顔を埋めた。胸の柔らかな膨らみが心地いい。カレンは笑ってそんな果穂の頭を撫ぜた。抱き合う二人から少し離れたところでは保美が微笑みながら頷いている。心なしか、なめくじも頷いているように見えた。
果穂は施設の奥に案内された。カレンと保美となめくじに囲まれ、果穂は一時の幸せを味わった。久しぶりの平穏だ。けれど果穂は案内された部屋の前に立つと、急に笑みを消した。
施設の奥にあるこのドアの向こうは優一郎の部屋だという。そう告げてカレンも保美も果穂を残して去ってしまう。果穂は唇をきつく噛み、目の前にある大きなドアをノックした。
ほどなく中から返事がある。果穂は静かにドアを開いた。
当時、果穂がひらがなで喋るのが面倒だったような……(ぉぃ