エロシーンはないです。
襟首を引っつかまれたそれが急に目の前に現れたのは、夕方に程近くなってからだ。水輝は訝りの眼差しを部屋の隅に向けた。順も驚いたような顔をしている。
「言われた通りに持ってきたが」
多輝の機体を放り投げられる。水輝は飛んできた多輝を仕方なく両腕で受け止めた。多輝はまるで眠っているように力なく首を垂れている。
「あのな、持ってきたって……」
「水輝が言った通りにしたつもりだが?」
水輝は低く呻いて目を閉じた。何も茶の時間を選んでわざわざ姿を現すこともないだろうに。水輝は内心でそう呟いた。さっきまで水輝は順と向かい合って紅茶を味わっていたのだ。出された洋菓子を美味いと言いながら食っていた最中だった。
こいつはいつもこうだよなあ。水輝は呻いて多輝を抱き上げた。立ち上がってベッドに向かう。
「大体、何でおれがこんなくそがきをわざわざ運んでやらなきゃなんないんだ」
そう文句を言いながら水輝は多輝をベッドに横たえた。そして何気なく振り返る。順は椅子に座ったままで硬直している。どうやら現れた奴の姿に驚いたままらしい。どうしてこんなところに、とか何とか呟き、さらに目をむいている。水輝はそんな順に苦笑して息をついた。
「そいつ、立城じゃないぞ」
「は!?」
順は素っ頓狂な声を上げて椅子を蹴倒した。勢いよく立ち上がって水輝の元に大またで歩いてくる。
「だからスカートでその歩き方はやめた方が」
「そっ、そんな場合じゃない! じゃ、あれは誰なんだよ!」
順のいうあれはまだ部屋の隅に佇んでいる。水輝はため息をついて手招きをした。立城の姿を模した人物が近づいてくる。水輝はベッドの縁に腰を下ろし、その姿を見上げた。
紫を纏った人物に苦笑する。するとその人物は僅かだけ目を細めた。苦笑する水輝と驚愕に息を飲んでいる順を見比べている。彼はかつて、いついかなる時でも全てが当り前で、必然で、偶然などどこにもないのだと言っていた。そして多分、こうしてここにいることも彼にとっては必然に過ぎないのだ。
「いいかげん、元の姿に戻ってやれよ。順が心臓を止めたらどうするんだ」
水輝は言いながら顎をしゃくった。すると彼が小さく笑って目を閉じる。あっという間に立城の姿が溶け、変わりに別人の姿が現れる。そこで順は奇声を上げた。順は初めて目にするだろう。
「なんで……こんなところに」
順はそれだけを呟いた。水輝は笑って肩を竦めた。
かつて天空の王は地上に降りることが出来なかった。その制約をつけたのは誰だったのか。それは龍神の誰も知らない。もしかしたら当人は知っているかも知れないが、未だにその辺りの謎は解明されていないとされている。もちろん、当人が何も語らないところに謎が解明されていない要因があるのだ。
「翠だよ。ま、順も知ってるか。そのくらいは」
「知ってるも何も……」
順は動揺を隠さないまま、翠と水輝を見比べた。翠は相変わらずの冷ややかな双眸で順を見つめ返した。それだけで順は慌てて目を逸らす。
無言を通していた翠の口を初めて割らせたのが水輝だ。もっともそれは、翠が必要としたからだったのだろう。それは先の戦よりずっと前、順が生まれてすらいない頃の話だ。
そして翠はその性質を徐々に示し始める。天空の王、時を司る龍神、そして翠はその力を次第に見せ付け始める。
やがて翠は立城と対抗する力だと囁かれた。それは周囲の勝手な思い込みによるものだと誰かが言っていた。だが水輝は噂が全くの嘘だとは思っていなかった。
相反する力というものがある。光と影。陽と陰。表と裏。龍神のトップと言われる八人の全てが自分と相反する存在を持っている。例えば水輝と反する力を所有しているのが火藍だ。そして翠もまた立城とは表と裏、光と影のような関わりを持っていた。それはもちろん今でも続いている。
だがある時、そのバランスが崩れた。そして今でもバランスは崩れたままだ。それを修正する方法は水輝には判らない。自分にとってのバランスである火藍が潰えてしばらく経つ。だが未だに解決の策など見出せない。火藍が生き返ることもある筈がない。龍神は不老不死だと言われてはいるが、決してそんなことはないのだと龍神たちは知っている。一度死んだ者は蘇らない。たとえ似た輝きを持つ魂でもそれは別人だ。結局は今もまだ火藍と同等の力を所有する誰かは生まれていない。
そして翠も立城も崩れた世界のバランスをどこかで修正しようとしているのだ。水輝と火藍の力のバランスが崩れたことを、別の何かで埋め合わせしようとしているのだ。
だからこそ今でもこうして混乱は続いている。水輝は思い出して小さく笑った。素早く順が反応する。何で笑うのかと訊ねられ、水輝は肩を竦めた。
短めかもですが、三分割しました。
二分割だとちょっと多くて……