五分割? くらいかもです。
遠いあの日の約束はずっと果たせないまま。
絵美佳はぼんやりと多輝の身体を見つめた。ほんのりと広がっている光には見覚えがある。絵美佳は一人、研究室で座っていた。巴は今はいない。絵美佳の命令で部屋を出ているのだ。
遠いあの日、守ると約束した筈なのに、それは果たせないまま時だけが過ぎた。かつて生きていた魂の記憶の名残が絵美佳を今でも責めている。早く約束を果たさなければという切迫感が心の底から湧いてくるのだ。
あたしはあなたじゃないもの。絵美佳はそう呟いた。自分は自分、かつての魂の持ち主など知らない誰かに過ぎない。自分は今、自分の道を歩いている。それを外れてまで心の声に応える気などない。そう思うたびに胸が痛くなる。
でもこのままでは約束を果たせないどころか、自分の思いすらも引き裂かれてしまうだろう。だからどうしても覆さなければならないのだ。そうしなければ多分、多輝は戻らない。翠の言が全て正しいとは思えないが、彼の言ったことはある意味あたっている。多輝の戻し方は多分、自分にしか判らない。こうしてしまった優一郎ですら、戻す方法など知らない筈だ。
戻す必要性もないと思っているでしょうしね。絵美佳はそう呟いて小さく笑った。優一郎は最初から多輝を本来の肉体に戻す気はない。機械仕掛けの身体に閉じ込めて、そうしてずっとそのまま多輝を傍に置くつもりなのだ。そうでなければこんなに手の込んだ真似をする気にはならなかっただろう。
でも多輝はどうする気なんだろう。絵美佳はふとそんな思いに駆られて多輝を見つめた。多輝はこのまま優一郎の傍を選ぶのだろうか。それともあの時と同じように別の誰かの元へ行くのだろうか。
下らない感傷よね。絵美佳は笑って立ち上がった。ベッドの傍らに歩み寄る。滲んだ光が絵美佳を下から照らした。
「多輝もあたしも立城に囚われているだけなのかも知れないわね」
そしてまた同じ道を選ぶのだろうか。自分はまた命を散らすのか。そこまで考えて絵美佳は小さく首を振った。考えるだけ暗い想いが蘇る。所詮、自分は前に生きていた魂の持ち主とは別の存在だ。同じである筈がない。そう思うのにどうしても拭い切れない想いもある。
巡り会わなければ良かったのかも知れない。ふと、絵美佳はそんな風に思った。多輝と自分が巡り会わず、そして優一郎と斎姫が会わなければこんなことにはならなかった。平穏な生き方を選ぶことも出来ただろう。研究のためだけに生き、そして研究に死ぬ。そんなささやかな人生を送ることも出来た。そして総一郎と共に時を過ごすことも可能だったのだ。
今ならパパに惹かれた理由も判る。絵美佳は心の中でそう呟いて苦笑した。総一郎はどことなく雰囲気が立城に似ているのだ。そして優一郎もそうだ。だからこそ、自分は二人に惹かれたのだろう。
そして多輝が現れる。輝きに導かれるようにして絵美佳は多輝に引き寄せられていった。だが優一郎は斎姫を手に入れ、今度は多輝に手を伸ばした。そして自分たちは引き離された。
肉の器がここにあっても魂はここにないもの。絵美佳はぼんやりとそう思った。多輝の肉体はどこにも異常はない。調べられる限り調べたが、目を開けないのが不思議なほどに多輝は健全なのだ。脳波にももちろん異常はない。本当に静かに眠り続けているだけだ。
誰が望んだのかを考えるより、どうすれば戻るかを考えよう。翠に衝撃的なことを言われた絵美佳が次に思ったのはそのことだった。多輝がこうなってしまったことをどれだけ悔いても始まらない。ならばどうすれば戻るかを考えた方がよほど建設的だ。そう考えた時、自分にはまだ力が足りないことに気付いた。どうすれば力を得られるか。今からの自分の選ぶ道が正しいかどうか。そんなことはやってみなければ判らない。試すこともしないで全てを放棄するのだけはごめんだ。
それでたとえ優一郎と敵対することになっても。
「あの、吉良先輩」
ドアが静かに開き、隙間から巴が顔を覗かせている。絵美佳はああ、と笑って手招きをした。巴が恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。だが少しすると巴は意を決したように頷いて研究室に入ってきた。
後ろ手にドアを閉める。巴はガウン一枚でドアにもたれて俯いた。すぐに顔を上げて引きつった笑いを浮かべる。出来るだけ自然に見えるように振舞っているつもりらしい。絵美佳は苦笑して巴を呼んだ。巴はその声にびくりと肩を震わせ、困惑した目で訴えかけてくる。
「いいからこっちに来なさいよ」
絵美佳はそう言って苦笑した。巴は困ったような照れたような笑みを浮かべ、壁伝いに絵美佳に近づく。相当に恥ずかしいらしい。随分と遠回りして近づいてきた巴に絵美佳は小さく笑ってみせた。つられたように巴も笑う。だがその声は掠れていて緊張のほどが易々と読み取れた。
丸みを帯びた身体つきや、火照ってほんのりと赤くなっている肌を見ているととても巴は人形には見えない。本人にもそうと判らないように造られているのだ。絵美佳がそのことに気付いたのはつい先ほどだ。
この話、巴が主人公だったはずなのに……(泣)