エロシーンはないです。
夜中の密会と美しい珠 1
東の空に赤い月がかかっている。フェンスに寄りかかりながら水輝はぼんやりと月を見つめていた。フェンスと空の境目で月が半分に切られているように見える。西の空は赤から紫へとその色を変えている。やがてはその色も暗い空の色に飲まれてしまうのだろう。
煙草の煙が風に揺れる。水輝は僅かだけ目を細めた。紫煙がたなびき、溶けるように消えていく。
あれから一年。自分にとってはたったの一年だが、彼らには相当に長い一年だっただろう。それを思いながら水輝は小さく笑った。そしてゆらりと視線を動かし、屋上に続いているドアを見やる。軋みを立てて閉じたドアの傍には見慣れた少年が立っていた。軽く会釈をして近づいてくる。
吉良優一郎。水輝は小さく少年の名を呟いて苦笑した。どうやら自分が姿を現すことを予測していたらしい。優一郎は迷うことなく水輝の許に歩いてくる。
「お久しぶりです」
微笑みを浮かべた優一郎に水輝はああ、とだけ答えた。この一年で随分と優一郎の顔つきも変わっている。そのことを本人や周囲は認識しているのだろうか。水輝は唇だけで嗤い、端にぶら下げていた煙草を指に挟んだ。
「ふうん。少しは鍛えられたのかな? それとも元々、素質があったのか? どっちにしろ、いい傾向かもな」
水輝は唇から煙草を引き剥がした。長くなった灰を落とし、咥え直す。優一郎は言った意味を判ったのか、それともはぐらかすつもりなのか穏やかな笑みを浮かべたままだ。
「とりあえず、僕は自分に出来ることを積み重ねているだけです」
「つみ、かさねる、ねえ」
小さく笑いながら水輝はフェンスから背中を剥がした。優一郎の手を素早く取り、軽く踏み切る。驚愕に息を飲んだ優一郎と共に、水輝は高く飛び上がった。フェンスの上に静かに舞い降りる。
「今はお前も落ちないから大丈夫だ。……普段はやるなよ」
フェンスの上に腰を下ろした水輝は隣の優一郎にそう声をかけた。優一郎の足元には力を固定させてあるのだ。宙に立ったままで優一郎は不思議そうに周囲を見回している。
「物理法則を捻じ曲げるのに、どれだけのエネルギー量が要るかご存知ですか?」
優一郎は穏やかに笑って首を傾げる。だが水輝は軽く肩を竦めてさあ、とだけ答えた。すると優一郎がため息をつく。やがて諦めたのか、優一郎は大人しく水輝の横に腰を下ろした。
「概算してみましたけど、一桁違うんですよ」
空を見つめながら優一郎が呟く。水輝は訝りに眉を寄せた。
「何が」
自慢ではないが数字には弱い。かつてこの学校で学んだ時のことを思い出して水輝は渋面になっていた。だが優一郎はそんな水輝を全く気にしていないのか、ぼんやりと空を眺めて続ける。
「あなたの内包する、エネルギー量です。文字通り、あいつとは桁が違う」
そう告げた優一郎が静かに水輝を見る。その静かな視線は純粋な疑問を表している。水輝は片方の眉を跳ね上げて苦笑した。優一郎の言うあいつ、という少年を思い出してみる。確かにそう言われる程度には差があるだろう。
「そんなの、どうやって測ったんだよ。お前は不思議な奴だな」
すると優一郎はにっこりと笑った。やけに晴れやかな笑みに水輝は笑いを消した。
「僕の発明じゃありませんけど、うちにはいろいろと怪しいものが転がってるんです」
言われて思い出す。確かに優一郎の家にはそういったものが転がっているだろう。何しろ、総一郎の息子なのだ。水輝はそのことを思い出して素直に優一郎に同意した。それから眉を寄せて空を仰ぐ。
光と影のように、自分とは背中合わせで存在していた者がいた。水輝は今はもういない彼女のことを思い描いた。自分が最善の方法を選べたかどうかは今でもよく判らない。だが、確かに彼女は世界に存在していたのだ。
だが今はいない。水輝は心の中で呟いて顔を戻した。大きな月が目に留まる。ふと隣を見ると優一郎がじっと自分を見つめていた。水輝は一瞬、躊躇してから優一郎にどうした、と声をかけた。
「父はアニメが好きなんですよ。僕も子供のころによく父のコレクションを見せてもらいました」
「ああ、総一郎先輩はそういうのが好きだったよな」
何気なく返して水輝は深く息を吸った。そして細長く煙を吐く。月が紫煙の向こうに見える。
「僕が夢中になって見たアニメの中に、ドラゴンボールっていうのがあったんです。それを見た父が玩具を作ってくれたんです」
それを聞いた水輝はいきなり咳き込んだ。懐かしいアニメのタイトルを聞いたからではない。思い当たる節があり過ぎて焦ったのだ。だが優一郎は苦笑しながらそんな水輝の背中を撫でる。そうしながらすらすらと続けた。
「相手の戦闘力を測る、アイテムがあったでしょ? 僕の誕生日にあれをくれたんです」
にっこりと笑って優一郎が告げた。水輝は目に涙を浮かべて何とか咳の衝動を堪えた。
「あ、ああ、そういえばあったようななかったような」
「ただの玩具だと思っていたのに、これが本当に測れちゃうんです。困ったことに」
きっぱりと告げて優一郎は人好きのする笑みを浮かべている。水輝は微かに引きつってなるほど、とだけ答えた。確かに総一郎ならやりかねない。というか、間違いなく作ってしまうだろう。総一郎には昔からそういうところがあった気がする。水輝は短くなった煙草を握り潰し、ため息をついた。
「あと、もうひとつ、そのアニメの関係ではプレゼントをもらったんです」
ほっと一息ついていた水輝は嫌な予感を覚えてぎこちなく優一郎を見やった。優一郎は真っ直ぐに月を見つめながら足をぶらつかせている。その顔には楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「姉からなんですけどね。姉が公園で拾ったあるものを、僕にくれたんです」
「なるほど……って拾った?」
適当に頷いてから水輝は慌てて優一郎を凝視した。まさか、と口の中で呟く。だが優一郎の耳には届かなかったらしい。呑気に伸びなどしている。
「父はそれを見ていったんです。『優一郎! これは本物のドラゴンボールだぞ!』とね」
水輝の動揺も全く無視し、優一郎はすらりと告げた。水輝はそれを聞いて何もいえなかった。どこのばかが落としやがったんだ。内心でそう呟く。だが確かにありえる話ではある。優一郎と絵美佳の年を考えれば、自分が眠っていた間にそれは落ちていたことになる。ということは、あの混乱の中で誰かが紛失したものに違いない。
そこまで考えてから水輝ははたと気付いた。別にそれがどうしたというのだ。誰かのものがたとえ本当に落ちていたとして、それを絵美佳が拾ったとして、だ。だからどうして自分に関わってくるのだ。本当だとしても他人の話として聞き流せばいいだけだ。水輝はその答えに至って一人、頷いた。
だが次に目を転じ、水輝は硬直した。優一郎が見覚えのあるものをポケットから取り出したのだ。
「これ、あなたのではないけど、あなたのもの、ですよね?」
青色に輝く宝玉。水輝はそれを目にして息を飲んだ。呼吸すら止まりそうなほどの衝撃が襲ってくる。微笑みを浮かべている優一郎を見つめ、次いで宝玉を見下ろす。水輝の顔からは無意識の内に感情がなくなっていた。
「何でそう思う」
水輝は感情を殺した声で訊ねた。手の中に握っていた煙草が青白い炎を上げて一瞬で消し炭になる。水輝は僅かに目を細め、新しい煙草を唇に挟んだ。
「そう訊きましたから」
優一郎は小さく笑ってそう告げた。水輝はそんな優一郎を横目に眺め、黙ってライターを取り出した。蓋を開けて火をつけようとする。だが、オイルが切れたのか火が点かない。水輝はため息をついて右手の指を合わせた。指を鳴らす。すると空中に小さな火が現れる。
長いので切りました。
ドラゴンボールという作品名が出てくるのですが……(汗)
著作権的にどうなのだろうと思ったのですが……
この程度なら大丈夫かと思って注釈は入れていません。
ごめんなさい。